朝、起きて立ち上がろうと床に足を着いたら、右足に激しい痛みが走った。昨夜までは何ともなかったから、驚いた。
昨日のことを思い出すと、ダンベルをやっていたときに、左肩の関節がこのところ痛いので、腕の筋肉の種目をやるときに左肩をかばうようにやっていた。それが、逆に右足の親指の付け根あたりの関節に変な負担をかけてしまったのではないかと思う。左肩の痛みは、祭りでカメラバッグを左肩から右脇に斜め掛けして歩き回ったためだと思う。だけど、年をとるほど5年前、10年前には考えられなかったような体の不具合がでるものだ。
決して歩けないようなものではなかったので、関節痛の薬を足に塗り、仕事にでかける。親指の関節で地面を強く踏まないように、足を引きずるようにあるけば、いつもよりもゆっくりだが会社まで行けた。仕事も今日は座ってパソコンに向かうのがほとんどだったから、問題なくできる。ただ、昼飯やトイレで歩くときはやはりつらい。
そして、今日は月初のまとまった仕事があるので、午後8時過ぎまでかかる。
今日は行徳駅まで乗って、行徳駅周辺の店でカキフライを食べて、軽くビールでも飲んでと思っていたが、それは中止。南行徳を降りてメトロセンターの天善かつ壱番屋へ行く。そしてカキフライ定食を食べる。1日、足がずきずきしていたから、ビールを飲む気はしなかった。
今日は日記以外に、もうひとつ書いておくことがある。
自分が3年間通ったIZAKAYAあびぃろぅどのマスターが、10月の21日か22日ごろ、急逝された。
23日にメールでそのことを知らせてくれた人がいた。だけど、自分で確認できるところは確認しなくてはいけない。それで、24日の仕事の帰り、あびぃろぅどのようすを見に行った。
シャッターは下ろされ、
「しばらくの間お休みをいただきます。」と書かれた貼り紙。
(今日も晩飯のあと、足が痛かったが、あびぃろぅどへ回ってみるが、10月24日と変わっていなかった。)
貼り紙に、それ以上のことが書かれていないのは、その時点でマスターが亡くなったことは公表しないという意思だと判断し、この日記には何も書かなかった。個人の日記という形を取っていても、ブログやWebページに書くことは世の中に公表してしまうことだ。
2008年の11月3日、ジャズライブHot Houseのサックス奏者・郷間和緒さんが亡くなったのを知り、自分なりの追悼を書いている。亡くなったという連絡は受けなかった。それまで7年ぐらい通ってはいたが、少ない年は3回か4回しか行かなかったこともある程度の、通う頻度の小さい客だったからだ。
だが、偶然にお葬式に出くわし、あわてて家に着替えに戻る途中、Hot Houseの前へちょっと回ってみると、店の扉に亡くなったことを知らせる写真入りの貼り紙が貼ってあった。2008年11月3日の日記に載せた画像は、その貼り紙を写したもの。葬式も密葬や家族葬といったものではなかったし、また、店の扉に訃報を知らせる貼り紙を出すことで、世の中に公表したわけだから、自分も日記に書くことができた。
今は、家族葬をやる人が増えているという。そして、亡くなったことが限られた人にしか伝えられないことも多い。
著名人の訃報が新聞やネットニュースで報じられるときも、「葬儀は近親者のみで済ませた」、「密葬で行なった」と書かれていて、すべて済んでから公表され、報道されたと読み取れる記事をしばしば目にする。あるいは、亡くなって数ヶ月経ってから、「○月に亡くなっていたことが明らかになった」と報じられるのもたまに目にする。
一般の人でも同様で、自分の親の兄弟姉妹も家族葬で済ませてから、配偶者や子供が連絡して来たというのがすでにある。自分も親からは死んだときは家族葬で済ませて、そのあとで親類縁者に知らせるようにと言われている。
親が今のマンションに引っ越してからもう10年近いが、最初のころ同じ階に、かなり高齢のおばあさんがいた家があったということだ。でも、数年後にはおばあさんの姿を見かけることはなくなったという。でも、葬式の気配も回覧板でのお知らせもなかったというから、これも、家族葬か密葬をやったのではないかと、親が言っていた。
自分の勤務先で、業界メディアで活躍してけっこう有名だった人がいた。10年ぐらい前だが、その人がまだ現役のうちに亡くなった。社内Webには、訃報が一応掲載されたが、「ご遺族のご希望により」ということで、外部には口外しないようにとのこと、つまりはかん口令も同時に敷かれた。やはり、世の中には公表を望まない人もいるのだ。
だが、その人は業界でそこそこ有名だったので、姿を見せなくなったら、やはりいぶかしく思う人も多いのだろう。2ヶ月か3ヵ月後、訃報を知った同じ業界の人が、追悼の文章を書いたことで世の中に知られることになり、社内のかん口令も解除された。
あびぃろぅどのマスターとは、特撮ものが好きだという点で自分とは共通点があったが、客と店主の関係以上の個人的な付き合いをするまでには至っていなかった。だから、連絡先も分からない。
分からないから、葬儀が家族葬なのか、即座の公表をご遺族が認めるのかを確かめられないわけで、なおさら軽々しくこの日記に書いて、世の中に公表するようなことは差し控えるべきと考え、何も書かなかった。でも、1週間に1回ぐらい、今日も含めてあびぃろぅどのようすは見に行っていた。店が最終的にどうなるか見届けるまで、しばらくはそうするだろう。また、1ヶ月か、あるいは7週間(つまり49日)という区切りが来たあたりで、なんとかしてコンタクトを取って、ブログに書いていいか聞こうとも思っていた。
だが、2週間あまりそうして、沈黙してきたのが今日、急に書くことにしたのは、世の中に知られ、周知のことになる変化があったから。あびぃろぅどのアマチュアバンドのライブとHot Houseの木曜日のジャム・セッションの両方に出ている人が、昨日の木曜日、Hot Houseでママさんに話し、ママさんが今日のブログに追悼の文章を載せたからだ。
やはり、店をやってきた人は狭い地域とはいっても、そこでの有名人。店が休んだままになっていれば、みんな不思議に思い、やがて、亡くなったことも人の口から口へと伝わり、周知の事実になっていくだろう。どちらも音楽に関わる飲み屋という、ある意味、同じ業界の人間であるHot Houseのママがブログに追悼を書いて、世間に知られる方向へ動きが生じたわけだが、自分の勤務先の業界で有名だった人の訃報が世間に知られていったときのことを思い出した。
あびぃろぅどのマスターは、去年の5月ぐらいに1週間程度入院したことがあったようだが、その後、店での様子を見る限り、どこかに悪いところがあるとは思えなかった。でも、急逝されたということは、表に見えないところで悪い部分を抱えていたのだろう。
9月に行ったときは、中野のマニアが集まる店で買ってきたという、「ウルトラQ」の怪獣・ガラモンのフィギュアをうれしそうに見せてくれた。ママさんによると、オーディオ機器でもやたらと凝って、値段の高いものを買ったりするので、そういうところは不満だったらしいが、考えてみれば好きなことを徹底的にやれたというのは、うらやましいことでもある。
だが、店名の「あびぃろぅど」の元になった、ビートルズのアルバム「アビイ・ロード」のジャケット写真の場所・・ロンドンの「アビー・ロード」へ、稼ぎがたまったら行ってみたいと、前にマスターが言っていたのを覚えているが、それが適わなかったのが心残りだったのではないかと思う。
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。