行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2009年11月22日(日)の日記

2009年11月22日 | 日記

仕事関係の勉強で必要な本を大きな本屋へ買いに行く。日本橋や丸の内の丸善でもいいけれど、周辺においしい食べ物屋がいろいろとあるから神保町の三省堂へ。

三省堂に入る前に昼飯。駿河台下にあるカレーのエチオピアへ。

前に来たのはいつだったかと過去の日記を検索すると、去年の11月30日でほぼ一年ぶりになる。2005年は立て続けに来たりしているが、その後は年1度のペース。

今回はチキンカリーで辛さは10倍。

三省堂で本を買ったあと、すずらん通りでブラスバンドに出くわした。

何のブラスバンドかと思ったら救世軍のだった。

救世軍はキリスト教系の世界的な慈善団体だけど、日本では神保町の交差点そば、白山通りに面して本部(本営という名前になっている)がある。

救世軍のことを初めて聞いたのは大学のときの英語の授業。テキストに話が載っていた。それまでは全然知らなかった。

そのあと、やはり大学生のときだけどテレビでアメリカのテレビドラマの「奥様は魔女」(無論、吹き替え版)を見ていたとき、セリフに「救世軍」が出てきた。主人公サマンサとその母親の会話で、家具か何か家で使う用具が古くてぼろいことを言うのに、
 「救世軍だって(寄付しても受け取らずに)行っちゃうよ。」
という言い方をしていた。これを聞いて救世軍というのは欧米ではかなりポピュラーな組織なのだと思った。

日本の救世軍は、社会人になって何年も経ってから、歳末の繁華街で「社会鍋」という名前で募金活動をやっているのに出くわしたりした。ブラスバンドに出会ったのは今日が初めて。今の時期なら、おそらく歳末の活動のキックオフなのだろう。

ほかに神保町に用事はないのでさっさと帰る。8月、9月にいろいろと録画してまだ見ていない映画を1本見る。1973年(昭和48年)の「日本沈没」。中学1年のときで父親と一緒に見に行った。

それぐらいの歳のときに見た映画は印象に残る。小林桂樹ですぐに頭に浮かぶ役というとこの映画の田所博士。そして存在感では田所博士に勝るとも劣らないのが、丹波哲郎が演じた山本総理。セリフを言い始めたら丹波節全開になる。自分が映画やテレビドラマで見た中では、「日本沈没」の山本総理が一番頼りになりそうな総理大臣だ。

それから、東京の大地震で大火災となるところでは、炎に囲まれて逃げられなかった人たちが黒焦げの焼死体になっている場面が出てくる。この場面で何列か前に座っていた若い女性が顔を手で覆うのが見えた。女性にはやはりショッキングな場面でそんな反応をする人がいるのだなと思った。今は若い女性でそういう人はまだいるだろうか。

晩飯はバイパスの友蔵のり玉中華そば

午後8時からは大河ドラマ「天地人」の最終回を見る。今年は来週からスペシャルドラマをやるということで大河は今回が最終回。

日曜の夜は「明日からまた仕事だ~」とたいてい、いつもゆううつな気分になるけど、3連休で月曜が休みで、もう1日休みがあるときの日曜の夜はすごく楽しいものだ。

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