行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2019年4月28日(日)の日記

2019年04月28日 | 日記

予報通り晴れたので、洗濯物をベランダに干してから予定していた行徳駅と妙典橋の撮影に出かける。午前7時すぎには起きたが、朝飯を食べて洗濯物を干していたら意外と時間がかかり、出かけたのは10時半ごろとなる。

まず、開業50年目の記録ということで行徳駅をいろいろと写す。

そして電車で妙典へ移動。

妙典橋はまず、江戸川放水路堤防のほうから写す。妙典公園のところで堤防へ出たあたりから。

妙典橋に近づいたところで。

橋をくぐって放水路の下流側から。

妙典少年野球場の脇を通って市街地へ戻る。前は妙典排水機場の脇から細い水路を橋で渡るようになっていたが、この1月中旬に橋が老朽化で閉鎖されていたことを知る。そのときは江戸川第一終末処理場の工事エリアを通って野球場のところまで歩いたが、市街地へは未舗装の道をかなりぐるっと回らなければならないと思えた。ところが、野球場の2つのグラウンドのそばを過ぎたところに、市街地への出入り口が作られていた。自転車置き場もあった。

写真で左の自転車が停められている間を抜けて街路に出る。

街路へ出てから振り返って見た入口。

妙典排水機場(排水機場は妙典中学校の隣にある)のところから100メートル程度南になる場所。

さて、新浜通りへ出ていよいよ妙典橋へ。新浜通りと妙典中央通りとの交差点のところからもう上りが始まっている。やはり短い距離で東西線車庫の上に達するためだろう。

歩道は向かって左側(江戸川放水路の上流側)だけに設置されている。それにしても勾配標識を見ると7%。

折りたたみ式のギアつきのスポーツ自転車で出かけるのはもう5年余りやっていないが、あちこち出かけていた頃の経験で7%はけっこうきつい坂だというのは分かる。

妙典橋につながる新浜通りを反対側へ進むと、浦安市に入って名前は大三角線となりやがて見明川を堀江橋で渡って舞浜に入る。その堀江橋を上るところが確か5%か5.5%だった。堀江橋でもきつい感じだが妙典橋はもっときつい。

自分が歩いて上り始めたら、ママチャリが3台追い越していった。ところがギアがついていないママチャリではすぐギブアップとなったようで、みんな自転車を押し始めた。

坂を上り始めて少し行ったところに妙典橋の名称板というか名称標識があった。これがあることろからが橋として建設された区間で、その手前は取り付け部分ということ。

きつい坂を上りきったあたりがちょうど東西線車庫の真上。ものが落下してはダメなので高いフェンスが設置されている。

坂を上る最初のほうは不透明のアクリル板が設置されていたが、おそらく周りが住宅地なので、高架上から家の中を見られるようなことがないためのものだろう。

坂を上りきったら次は平坦な部分だと思っていた。一見、そんなふうに見えるが、どうも緩い下りになっている感じ。

江戸川放水路の中央あたりに来たところで上流側を写す。

そして車道越しに下流側。

この写真を見ると、どうも奥の湾岸道路市川大橋との対比で、手前の妙典橋の欄干が左のほうへ向けて低くなって行ってる感じ。

そこで、写真から市川大橋と手間の欄干のところを切り出し、少し大きめのサイズになるようにする。そして、市川大橋と手前の欄干に線を引いてみた。

やはり、向かって右側より左側のほうが市川大橋と欄干の間が長いようだ。それに下の方の路面のアスファルト部分が写っているところのサイズを見ると、右側より左側のほうが短い。やはり緩やかに下りになっているようだ。

それで、妙典側を向いてズームレンズを望遠一杯にして写したのがこれ。

まっすぐ建てに伸びる街路灯との対比で、ゆるやかな勾配になっていることが分かる。

建設中にも放水路堤防から何度か見あげているが、このゆるやかな勾配までは分からなかった。東西線車庫を越えるところを一番高くするために、こういう構造になっていると思える。

やがて高谷側への下りに差しかかる。こちらも7%の坂。

こちらのほうが坂道の距離は短かった。緩やかな下りで稼いだからだろう。

下る途中、高谷側の放水路堤防上のサイクリングロードへ出られる場所があった。堤防は高規格堤防の高さになっている。妙典側も妙典橋の下の部分は盛り土をして高規格堤防ぐらいの高さになっているが、橋はさらにその上を通っている。緩やかな下りで高さを稼いだ分があるからこうした出入り口を作ることができたようだ。

自転車の母子連れが反対側へ道路を渡っていったが、この箇所には信号がない。

実際この箇所で道を渡ろうとするのは危険。特に見通しが悪い日が落ちてからの時間なら、なおさら。

江戸川のサイクリングロードを北へ走ると、橋がある箇所ではたいていは一旦、河川敷に降りて橋をアンダーパスするようになっている。妙典橋のところはどうかと思ったが、河川敷へ降りる舗装されたスロープはあるが、河川敷の区間は未舗装だった。

これは不便だと思ったが、なんと、堤防を過ぎたら、放水路と平行する小さい水路の高谷川の脇へ下っていく舗装の道を発見。

反対側も堤防へ上っていくようになっている。

やはりこちらを通るようにすべきだろう。もっともママチャリではスロープの部分でさえきついだろうが。

ところで、妙典橋として建設された区間は高谷側は放水路堤防のところで終わり。そこに橋の名称標識があった。

その先、高谷川を渡る部分は新高谷川橋という短い橋となっていた。

坂を下って高谷側へ。そこから橋を見る。

ふたたび橋を渡って妙典側へ戻る。そして、橋沿いに東西線車庫へ。

この車庫の今の正式な名前が気になった。すると「深川検車区行徳分室」というのが今の名称。

他にもこんな表札があった。

車庫としては深川検車区行徳分室なのだろうけど、事業所としてはいろいろな部門が存在しているようだ。

ちなみに行徳雑学館を作った最初の頃、この車庫の”表札”を写したことがある。過去画像を探すと1999年10月10日だった。そのときの車庫の正面入口。

20年も前だが、その頃は富士フイルムのDS-1という35万画素のデジカメで撮っていた。

そして施設名の”表札”は「帝都高速度交通営団 行徳検車区」。

当時はまだ東京メトロではなく営団地下鉄だったが、営団の正式名称が「帝都高速度交通営団」。

だけど、「行徳検車区」→「深川検車区行徳分室」というのは、なんか格下げされた感じ。

 

妙典駅へ戻ったらもう午後1時近い。昼飯は高架下のCoCo壱番屋へ。

大人のスパイスカレーTHEローストチキン(ライス・辛さはふつう)とヤサイサラダを食べる。

そして帰ってから、夕方までかかったが行徳雑学館トップページのレポートを作ってUP。

晩飯は吉野家行徳新浜店牛丼並Cセット(キムチ・みそ汁)