行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2017年12月31日(日)の日記

2017年12月31日 | 日記

東京は気温が急降下したらしく最高気温で6度。大手町で雪がちらついたらしい。今いる大阪はというと、曇りで午後に雨という予報だった。最高気温のほうは10度ぐらいまで上がる。

昼飯の後、堺市中心部の堺東駅あたりに買い物に行く。その前に、すぐそばの堺市役所庁舎の展望階(21階)へ。

眼下の南海高野線堺東駅とそのあたりの繁華街。午後は雨だといっていたわりに午後2時ごろは雲の切れ間から青空も見えていた。写真を写したタイミングでは日も差していた。

夏休みに貝塚(大阪府貝塚市)の中心駅(南海本線貝塚駅)のあたりがさびれた感じで、大阪あたりでも中心市街地の衰退があるのに驚いたが、堺でも中心駅の周りは自分が子供のころに比べてやはり衰退している。

上の写真の右側にあたるところではビルの取り壊し中。

このビルは30数年前、自分が大学生のころだが再開発で建てられたビル。それ以前は戦後の闇市の名残とかで小さい建物がごちゃごちゃとあったエリア。再開発ビルが建ち、堺東駅とも連絡橋でつながり、キーテナントにダイエーが入ったものの、その後、今一つ流行らなかったようでダイエーは撤退した。たしかまだダイエーが左前になる前だという。そして、残りのテナントも減っていき、ビル自体を一度壊して建替え再び再開発となったようだ。

聞いた話だが、再開発エリアの権利関係が複雑で、そのエリアの店を入居させる関係で各フロアの天井が低いビルを建てざるをえなくなり、それがショッピングセンターとしての魅力を損ねたらしい。確かに行ってみると天井の低さで窮屈な感じは免れなかった。

市役所展望階を出て堺東駅前のアーケードの商店街。人はいるが大みそかの買い物でごった返しているというふうではない。

堺東駅ビルの高島屋へ行くと、さすがに食品売り場はにぎわっていた。

そこの酒売り場で地酒を1本買って帰る。千利休という銘柄の酒。

蔵元を見ると堺泉酒造とあり、住所が堺の旧市街(大河ドラマの戦国時代ものに堺はしばしば登場するが、その時代からの市街地の範囲をこう呼ぶ。ちなみに明治時代以降にできた鉄道駅・・南海本線の堺駅、南海高野線の堺東駅も、今の堺市役所も旧市街の外側になる。)。

そんな酒造が昔からあったのかと思い、堺泉酒造のサイト(http://sennorikyu-nihonshu.jp/)を見ると、堺市内にあった酒造は1971年(昭和46年)にすべて消滅したが、2014年に40年あまりぶりに復活したのがこの堺泉酒造ということ。銘柄は今のところ、この千利休のみということ。

高島屋を出ると、天気予報は当たったようでどんよりとした曇りになっていた。親の家に帰るまでは何とかもったが、そのあと降り出した。

 

妹と二人の息子は明日帰るので、親が注文して届いたおせち料理とその他のは今日開けてしまう。

さすがに20代男子が2人いるとあっというまに減ってしまった。

自分が勝ってきた堺の地酒-千利休も晩飯の時に飲む。純米吟醸だが、フルーティーな香りは控えめだと思えた。だが、昔からの酒を飲んでいる母親や辛口付きな妹からすると、今どきのフルーティーさを追求したワイン感覚のお酒で、今一つと思うらしい。

その”今どきのお酒”も自分が初めて吟醸酒を買って飲んだ1980年代後半の感覚だが、それからもう30年ぐらい経っている。やっぱり、母親も妹も年を取るにしたがって最近の事はすぐ忘れるが、昔の感覚はずっと残っているようだ。