今日は風が強めだったけど、空は快晴。それで出かける。この前、東西線の車内広告でも見たのだが、市川市の東山魁夷記念館で「大和春秋展」が開催中ということ。東山魁夷記念館の名前は聞いていたが、まだ行っていないのでこの機会に行って見る。
行きはバスで本八幡まで行って、京成線に乗り中山で降りる。この駅には初めて降りた。一度降りてみたかったこともある。八幡から来ると写真で向こう側のホームに着くが、踏切を渡って改札口へ。向こう側にも改札はあるが、おそらく初詣のような人が多いときだけ開く臨時用。
こういう駅は昔からある私鉄の小さい駅という感じで、懐かしい雰囲気。実家のあったのは大阪の南海高野線沿線だったが、自分が小学校低学年頃にはこんな造りの駅が多かった。大阪万博前後の時期に沿線に住宅が増え、乗り降りが増えたのでみんな地下道や跨線橋になっていったが。
法華経寺の参道を山門のほうへ。黒門は修理か改修の工事中。
法華経寺山門の前で道を折れ住宅地の中を通って木下街道に出ると東山魁夷記念館がある。が、住宅地の道は細道で、しかも一旦、丘を下ってまた上る。そういう場所の道は、えてして蛇行していたりするから方角を見失いやすい。
随所にこんな感じの案内標識があるが、実際ないと道に迷う。
京成中山駅から約1キロで目的の東山魁夷記念館に到着。建物を写そうとしたらもろに逆光だったが、なんとか写った。
こうした施設内は撮影禁止なのでカメラはバッグにしまう。
東山魁夷画伯の名前は聞いたことはあるし、中山に記念館があるのも聞いていたが、どういう絵を描いた人か詳しいことは実は知らなかった。日本画家ということだけど、日本画について大して知識がないので、イメージするのは地域イベントで公開されるお寺の寺宝にあるようなもの。ふすまや屏風や掛け軸に描かれているような絵などだ。だから今回は、まず展示してあるものを素直に見て行くことにする。
記念館だから特別展に出ている以外は、実際に収蔵されている絵はそんなに多くないようだ。だけど、画伯の略歴とともに描かれた絵の写真が並べてある。見ていると、年代を経るにつれ余計なものをそぎ落とし、鋭さが増して行っているのは分かった。
「大和春秋展」と聞いて見たくなったのは、奈良というところがなんとなく好きなせいもある。別に大阪の親の家に行くたびに奈良へ行っているわけでもないのだが。
奈良も京都も古都で、今はどうか知らないが30年、40年前なら関東から関西へ来る中学ぐらいの修学旅行なら、だいたいは京都・奈良を回るものだっただろう。自分は大阪で育っているから子供の頃から京都も奈良も連れて行ってもらっているが、京都のほうが人も車も多くてごみごみしているという印象がある。鉄道も道路も東京・名古屋と直結する幹線が通っているからだろう。奈良も行楽シーズンにはもちろん混みあうが幹線交通から離れている分、ゆったりとしているところがある。そして、中心部を離れた奈良盆地は素朴な感じ。どうも自分はそうしたマイナーなところのほうが好きなようだ。
東山魁夷記念館にはカフェがあるが、食事はハヤシライスとカレーライスだけ。上野精養軒のハヤシライスとカレーライスというから、まあ味はいいのだろうけど、昨日の昼もカレーだったから別のものにしたい。それで、法華経寺の参道へ戻ることにする。
帰りに、法華経寺の境内へ裏参道から入れるのを発見。山門が開いている時間なら境内を通り抜けてもよかったわけだ。
境内はフリーマーケットのようなのをやっていた。これは骨董市だった。
境内のイチョウの木も色づいていた。
境内の一角に大仏があるのを発見。大仏というと、鎌倉の大仏、奈良の大仏、牛久大仏など大きなものが有名だから、とにかくサイズが大きいものをイメージするが、これぐらいの大きさの大仏もあるのだ。
定食物を食べたいと思ったが、どうもいい店がない。JR下総中山駅近くまできたら牛丼の松屋があったのでそこにしようかと思った。すると、その先、道の反対側にもう一つ「松屋」の看板が見えた。こちらは中華料理の松屋。
牛丼チェーンの松屋が進出してくるより前から、この場所でやっていた店だろう。
ここに入って昼飯にする。メニューに「××定食」はないので一品料理+ライスで注文。生姜焼きとライス。けっこう分厚くきったロース。こういう生姜焼きは久しぶりの感じ。
スープや味噌汁が出てこないのでどうしたのかと思ったら、ライスと別だった。それで別に注文。
中華屋ではライスというとスープや味噌汁とセットになっている店が多い。でも、考えてみれば牛丼チェーンでも松屋は味噌汁がセットだが、吉野家やなか卯は別になっている。この中華の松屋は別になっているほうの店。
夜はカップ酒で一杯やりながら、最近買ったデアゴスティーニの東宝特撮映画DVDコレクションの「海底軍艦」を見る。このシリーズでは初めて買ったもの。第1号は昭和29年ゴジラだったが、すでにそのDVDは持っていた。
「海底軍艦」(昭和38年(1963年))は小学生のころテレビ放映で見ているし、その後、社会人になってからだと思うけど、再び見たことがある。メカものとしても面白さもあるが、印象に残っているのはヒロイン役の藤山陽子。
自分としては昭和29年の「ゴジラ」から昭和30年代、40年代にかけての東宝特撮で、「お父さま」というセリフが似合う二大女優の1人だと思っている。もう1人は昭和29年「ゴジラ」ヒロインの河内桃子。
昭和40年代ぐらいまでは特撮の怪獣ものやSFヒーローもの、アニメのSFヒーローものに出てくる科学者の博士には、たいてい若くて美しい娘がいて、父親を呼ぶときは、
「お父さま」
と呼ぶというお約束の設定があった。
そしてまた、悪の組織や悪の宇宙人が娘をさらって博士を脅迫するというのもお約束の展開だった。
小学校の4年とか5年ぐらいまでの、まだ思春期に入らない時期でもなぜか父親を「お父さま」と呼ぶ博士の娘のヒロインやあるいはゲストキャラの博士の娘には不思議と気持ちが引かれていた。身近にそんな女性はいなかったから、逆に強く憧れたのかもしれない。父親を「お父さま」と呼ぶような女性は、一般には上流社会で育った女性とか、相当の良家の娘というイメージなのだろうけど、自分にとっては子供の頃のテレビ画面を通して見た作品の影響で、父親を「お父さま」と呼ぶ女性は博士の娘というイメージなのだ。
ただし、「海底軍艦」で藤山陽子演じる神宮司真琴は例外で、博士の娘でなく旧日本海軍大佐の娘である。
振り返って見ると、小学生の頃は東宝に限らず特撮のヒロイン役女優に魅力を感じることができたが、その後はどうも自分にとって魅力を感じる女優が少なくなった気がする。その代わり、そうした作品に端役で登場するまだ無名の女優を、世間に先んじて見つけた気分になることに喜びを感じるようになってきた。その代表が「ゴジラVSビオランテ」の鈴木京香。