行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2008年11月29日(土)の日記

2008年11月29日 | 日記

午前中に、2009年松下奈緒カレンダーが届く。

昨日、帰ったら不在者連絡票が入っていた。いつ注文したのか、すぐには思い出せなかった。ちょっと考えると、思い出した。先週の金曜日、飲んで帰ってから松下奈緒の公式サイトを見たら、カレンダーのことが載っていて、さらにそこからアマゾンへ飛べるようになっていたので、飛んで見ているうちに、「1clickで買う」をつい押してしまったのだ。

松下奈緒は最近の若手女優では一番気になる存在。ネットの芸能ニュースや朝の番組の芸能ニュースコーナーで名前が出ていると、つい見てしまう。だけど、前、プロフィールを見て驚いたのは身長が174cmということ。自分よりも大きい。モデルをはじめ、これぐらい長身の若い女性は今ではそんなに珍しくはないということだろうけど。

 

昼前に自転車で行徳臨海部へ。今日のトップページレポートで臨海部のことを載せるため。

まず、2、3週間前に新聞で読んだプロロジスの新しい物流センターを写す。

それから、トップページには載せないが海の風景も写す。望遠一杯で見た少し沖の海苔ひび。もう、今年の海苔の収穫が始まっている時期だ。

町名でいうと塩浜二丁目の部分は、親水護岸を作る工事が進められている。それがほぼ全長に渡って出来上がっていた。だけど、その区間はまだ立ち入り禁止だった。

市川塩浜駅前に来ると、アマゾンジャパンの物流センターがある。今朝の松下奈緒カレンダーもここから発送されたもの。

門には「アマゾンジャパン・ロジスティクス株式会社」と出ている。検索したがこの会社のオフィシャルサイトは見つからなかった。IT関係のニュースサイトの過去記事が見つかって、それによると出来たのは2005年の11月ということだった。自分が、ここにアマゾンの物流センターがあるのに気がついたのは今年の春だった。

今年の5月末に新聞で読んだ、市川塩浜駅前にできる予定のビジネスホテルの工事の模様を写して、臨海部の現在の姿として載せようと思っていた。ところが、トップページにも書いたように工事の様子は全然なし。建築予定の看板によると、年明けから工事を初めて8月末に終わる予定とのことだった。

街のほうへ戻ってくると、今日は新浜通り近辺でパトカーが止まっていたり、行徳警察署の腕章を巻いた私服警察官が止まっている車などをチェックしたりしている。てっきり、去年の外国人女性殺害の犯人が舞い戻ってきたとか、そういうことかと思った。でも、そんなにものものしいわけではない。それで、ふと思ったのだが、鴨場に皇室の誰かが来たのかも知れない。前に、親とバスツアーに行ったとき、軽井沢でパトカーや警官の姿がどうも多かった。そのときも皇室のだれかが公務ではないがプライベートで来ていたそうである。今日の雰囲気も、似た感じだった。

南行徳駅前まで来て、昼飯はなか卯親子丼小うどんを食べる。

海苔の収穫シーズンだけど、駅前の加藤海苔店の店先にも「新のり」ののぼりが立つようになった。(写真の左のほう。風であおられるので「新のり」の文字がよく見えないが)

家で飲むときに、つまみの笹かまを手巻きにしたりする板海苔だけど、前に買ったのがなくなったので新しいのと、それと缶入りの味付け海苔も買ってくる。

帰ってから、写してきた臨海部の写真でトップページレポートを作って、昨日まで行徳まつりの画像を入れたアルバムと一緒にUPする。

 

夜はジャズライブのHot Houseへ行く。

これまでHot Houseや行徳ハイムの夏まつりでのジャズライブで写した画像ファイルを探すと、けっこうな数があった。暗い店内ではぶれるので何枚も写すから、紙に印刷とかホームページに載せるとかに使えないもの多い。そうした中から、10月末に亡くなった郷間和緒さんが写ったもので、うまく撮れたものを選び出すのを先々週から行い、この前の3連休でひととおりA4サイズで印刷をしておいた。それをクリアファイルに入れ、写真集風に表紙と裏表紙もつける。店に持っていって、郷間和緒さんのメモリアルとして置いといてもらおうと思い、ママさんに渡してくる。

今日のライブはピアノの松井節子さんとベースの紙上理さん。店内にはもう、クリスマスの飾りつけがしてあった。

レギュラーのボーカルは4人いるが、この11月は土曜が5回あって今日がその5回目。ボーカルのピンチヒッターもいないので、ボーカル抜きのライブとなった。

晩飯はこの店でドライカレー

これまでHot Houseや行徳ハイム夏祭りで写した写真には、ボーカルの人たちも写ってはいるが、一人だけ清水朝香さんと郷間さんが一緒に写ったのがない。なので、今日、持って行った写真の中には清水朝香さんの写真がないから、朝香さんにはごめんなさい。

Hot Houseへ行き始めてから8年の間に、清水朝香さんがボーカルで出る日に行ったことは何回かある。ところが、この日記をブログでつけ始めてから(つまり、店に行くたびに写すようになってから)は機会がなかった。

今年の7月5日に久しぶりに清水朝香さんがボーカルの日に行った。店に行くたびに写すと言っても、店にいる間、四六時中カメラを構えてシャッターチャンスを狙っているわけではない。ママさんと話をして食べて飲んで、そしてライブをやってる最中の適当なタイミングにカメラを出してその日のブログ用に何枚か撮影する。

7月5日に撮影したときは、郷間さんはトイレから出てきたあと、ピアノの脇のいつもの席には戻らず、カウンターの脇の椅子に座って吹いていた。ときどきそうすることがあった。しかもその日はずいぶんと混んでいて、自分が座ったカウンターの席から通路に出て、郷間さんも写るようステージに近づくのも、やりづらかった。それで、ズームで朝香さんの姿だけを写した。郷間さんも一緒に写った写真はまた今度と思っていた。

そうしたら、郷間さんはその次の週か、次の次の週までライブに出て、そして入院してしまった。”また今度”は永遠に来ないことになった。だから、このときちょっと無理してもステージに近づいて写さなかったのが心残りとなってしまった。

20数年前から10数年前にかけての約10年間に、自分の祖父母-父方・母方合わせて4人はみんな亡くなった。そのとき、親やおじ・おばたちも、ちょっとずつ心残りになるようなことがあったようだ。別に、悔やんでも悔やみきれないといった大層なことではなくて、ちょっと無理してもう一度会いに来ていればとか、なにかしてあげれば、言っておけば、聞いておけばよかったという、小さな心残りである。
「そういうことって、人間みんな、ちょっとずつあるもんだよね..」
というようなことを言っていたのを思い出した。

自分も長く生きていると、そういう小さな心残りがちょっとずつ生まれてくるものだ。