日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

台風はまだ来ていません。夜にならなければ、雨にならないそうです。

2018-08-23 11:30:25 | 日本語学校

晴れ。

今晩から、「台風20号」の影響で、雨になるとか。今はそれが信じられないくらい晴れています。雲は、低いところで、空を縁取るように見えるくらいで、雨になりそうな気配は全くありません。でも、巨大台風は来ているのですよね。下手をすると、地域によっては、雨が1000ミリを超えるかもしれないとか。晴れているこちらが、申し訳ないような気分です。

さて、学校です。

教員が一人、スリランカに向けて出発しました。いわゆる、「面接」です。

「ネパール」や「ベトナム」、「スリランカ」、そして以前の中国の場合は、行って、面接して…。中国では、こちらも、ある程度、中国が判るので、会えば、それなりに判断できたのですが(日本人同士でも、人を見るのは難しい)、「ネパール」や「ベトナム」はそうはいきません。

1度目は互いに様子見です。向こうの学校、ないし間に立つ人が連れてきた中から、会って、一人か二人、入れてみます。その学生が勉強しなかったり、相手校や中間の人が、学生が問題を起こした時、面倒を見なかったりすれば、もう2回目は遠慮してもらいます。

これが普通。

但し、「ネパール」の場合は、更地のような感覚でした。実際には、すでにたくさんの留学生が日本に来ていたというのに。向こうでは、日本に留学するのに、「ひらがな」くらいが、ちょっとできただけで、もう大丈夫と踏んでいたようなのです。それでも「N5」の試験に通ったりしますからね。これは「スリランカ」も「ベトナム」の同じです。それが相場、というと何ですが、日本の日本語学校が、現地に面接に行っても、ありきたりの小テストで終わりで、勉強ややる気の方はあまり気にしていなかったらしい。だから、それでいいと思っていたのでしょう。

こちらにしても、「ネパール」が「『非漢字圏』とはいえ、インド圏だから、ヒアリングはいいだろう。ヒアリングさえよければ、こちらの言うことがわかるだろうから、『ベトナム』の学生のように三重苦で悩むことはなかろう」くらいの感覚で、入れたのです。

ところが、豈図らんや。これが本当に大変で、日本語には動詞の活用があることも、すんなり入らなければ、文字も「『ひらがな』で、終わり」くらいの知識しかなかった。「カタカナ」や「漢字」があることは知っていても、それを「ここまでやれ。どうしてしない」とせっつかれるとは思っていなかったらしい。

人柄は本当にいいのですが、勉強に関して言えば、ノホホンとしていて、毎日「どうして勉強しないのか」と怒られても、焦っているだけ。大卒であれば、彼等の国では「すごい」と言われるからなのか、日本語を甘く見ていた。

で、クラスの再編成の時に、バッタバッタと落とされた。ここで始めて、ショックを受けたらしい。

「どうしてですか」と訊きに来た学生が数名いました。クラス再編成テストのみならず、それまでの数ヶ月ごとのテスト結果を見せ、「できていないから、もう一度やった方がいい」。「これから頑張るから、このままでいさせてくれ」と言われても、「前のができていないのに、次のレベルは無理だ」。

これで、初めて、頑張らないと落とされるという意味が分かったのかもしれません。なあなあでは、やっていられないのです。

この点、スリランカの学生や、かつてのベトナムの学生は、カンニングという手があった。相手に要求されれば、当然のように見せるし、なかには同じテストを持って来て、答えを写していたスリランカの学生もいました。丸見えですから、そのそばに行って、黙って見てやると、嫌な顔をする。本当にカンニングが習いになっているとしか思えないような連中でした。

ところが、ネパールの学生は、「カンニングをしてはいけない。答えを見せてはいけない」と言っておくと、見せるように要求された学生が、芯から困ったような顔で、私たちを(助けてくれと言わんばかりの目で)見つめるのです。

そして、終わった後、「先生、悪いことをしたような気持ちになったけれども、見せたらいけないんだよね。だから、見せなかったよ」と言いに来るのです。

日本で勉強したい、日本で働きたいと思ったら、ズルはだめです。仕事や勉強ができなくても、それは、仕事ができない、勉強ができないだけのこと。もちろん、できた方がいい。けれども、それはそれで終わりであって、それで、人格まで貶められるようなことはないのです。けれども、狡いことをして、できたと誇っていると、人格まで嫌われてしまいます。信用できない人ということになるのです。まあ、一事が万事というところなのでしょう。それが嫌なら、みんながそうやっている世界に戻ればいいと、普通は思います。お互いに嫌な思いをし合っているわけなのですから。いい気分でいられるところに帰った方がいいとしか言いようがありません。

今は、「面接の仕方」や「その後の話の内容」などの勘所がどうにか判ったような気分でいます。

「ベトナム」や「ネパール」では、一人に30分あるいはそれ以上を掛けることもあります。来てしまえば、こちらの問題になってしまうのですから、こちらも必死です。まず、勉強したいという学生を探します。あとはやる気ですね。国で『みんなの日本語』を50課くらいまできちんとやっていると、ああ、勉強する気だなというのがわかります。もとより、国によって教師がいないなどの事情がありますから、それでも『みんなの日本語』25課まではやっておいて欲しい。つまり「N5」レベルです。

「N5」に合格したと言って面接に来ても、ろくに「ひらがな」も「カタカナ」も書けない。単語も覚えていない。これはカンニングを疑わざるをえません。しかも、いけしゃあしゃあとしていれば。以前、そういうベトナムの大卒者がいました。わけがわからないとしか言いようがないのですが。

留学生には来日後、時間がそれほどないのです。長くて2年。大学進学を考えると、四月生でも1年半くらいのものでしょうか、日本語を日本で勉強できるのは。ですから、『みんなの日本語』1冊目くらいは終えてきて欲しい。日本では日本人でしかできないような勉強をして欲しいのです。国でできるものは国でしてきて欲しい。つまり、時間、曜日、数、あるいは単語などの暗記です。

今年の9月には、ネパールへ、10月にはベトナムへ行って、面接してきます。しかし、今年の四月生の時も、七月生の時も、会って、話して、勉強していたのを確認していたのに、許可が下りなかったのです。私たちとしては、書類もさることながら、見るのは人ですから、銀行などの理由で落とされてしまうと、どうしていいのかわからないという気分になってしまいます。

いい人に来てもらいたいと、これほどまでに手をかけているのに(教えるのは私たちですから、変な人を入れてしまうと、こちらが苦労します。教えること以外で苦労したくないというのが本音です)、相手のお国の事情みたいなので落とされてしまうと、面接に来てくれた学生にも申し訳ないような気持ちになってきます。

ネパールの学生を入れることを考え始めてから、ネパール関係の本を何冊か読んで(インターネットでも論文がでていました)、ネパール事情を少しでも知ろうとしているのですが、その過程で、学生達の親が利用している銀行と言うのは、海外送金ができるような大手のものではなく、普段は、言わば、日本の「講」のようなものであるということ。低カーストのものでも、グローバル化が進んだことにより、富者が生まれ、その人達が中心になって、同カースト内での助け合い、相互補助のような仕組みを作り、そういうところに、金を預けたり、借りたりしている人も少なくないのだということを知りました。

日本の、いわゆる銀行という概念は、もしかしたら、彼等には乏しいのかもしれません。
彼等が利用しているところでの記録はあっても、それはだめと言われる。ならば、他の大銀行に、一時的に金を入れるしかありません。けれども、そこの記録はありませんから、結局、真偽を疑われ、また落とされてしまう。

同じ日本語学校の親しくしている方が、向こうで、彼等が使っている銀行に出向き、しっかりと話をして確認をしてきた。それなのに、その銀行も、日本の入管が認めるものとはならず、学生達は全滅となった。

はあ、本気で勉強したいと思っている学生達はどうしたいいのでしょうね。

会って、選んでくると、強気で言いながらも、内心では忸怩たるものがあります。

日々是好日

コメント
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