日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「日本語の『音』がなかなか出なかった場合…」。

2012-06-13 14:25:02 | 日本語の授業
 昨日に引き続き、今日も梅雨寒の一日になりそうです。ベランダがしっかりと濡れていましたから、雨が続いていたのでしょう。その雨も今は止んでいます。というわけで、今日は曇り。

 さて、学校です。
「聞く力」が、なかなか伸びない学生。これも「日本語の音」を発することが出来ないとなれば、当然、聞き取りも難しくなります。それでも、必死に単語を覚え、そして日本にいる時間が長くなるにつれて、頭で理解することが出来るようになります。そうなりますと、自然、緩やかながら、会話が出来るようになってきます。

 私もそうだったので、彼らの気持ちはよくわかるのです。私の場合も、中国語の音がなかなか捉えられず、故に文が聞き取れない…というものでした。けれども、そのうちに知っている単語の量が増え、文法を解せるようになってきますと、音は取れていないものの、おそらくはこの単語であろうと推測が出来るようになりますから、会話であっても、まあ、だいたいの意味は判るようになります。

 多分、彼もその道を辿っているのでしょう。ただ、休むのはいけませんし、学校で(如何に疲れていようとも)眠るのはまずい。そうしますと、せっかく勘がつき始めたところのものまで失われてしまいます。いったんそれが失われてしまいますと、それをまた構築するのに、時間がかかってしまいます。下手をすると、(その間に挫けてしまって)諦めたりする可能性だってあるのです。

 とはいえ、今はまだ、彼は彼なりに努力をしているようで、ワークブックの「聴解」の部分は事前にスクリプトを見てきているようなのです。最初の方は言えるのに、後ろの方は霧の中という表情になってしまうので、直ぐにわかってしまうのです、「はは~ん。見てきたのはここまでだったのだな」という具合に。

 面倒でも、しばらくはそれをしておきますと、だんだん文が見えてくるものです。「耳」で理解できる人は音で勉強していけばいいし、それが難しい場合は、たとえ「聴解」であっても、文を頭の中で書いて、(頭の中の)それを見て、それから理解するというやり方でもいいと思うのです。もちろん、時間はかかりますし、面倒なのですが、しようがないのです。文を書いてみなければ、音が取れなかないのですもの。私だってできたもの、彼だって出来るはずです。毎日学校へ来て、毎回授業に参加してさえいれば。

 これは、「耳の問題」なのですが、もう一つ、「絵カード」が問題になるという人達もいます。本来ならば、理解を助け、覚えるためのきっかけになるものであるにもかかわらず、却って手間暇かけることになる場合だってあるのです。

 日本人は単語を、ともかく、書いて、書いて、覚え込もうとしてきました。けれどもそれが非難されて、だんだん、「絵」や「図」を用いて覚える方がいいということになってきました。それで日本語学校でも、よく絵カードを用いているのですが、ところが、中には、(もちろん、個人差はありますし、皆が皆そうだというわけではないのですが)この絵カードが即ち「現物・実物」に結びつくというわけではない人たちもいるのです。

 例えば「持つ」という単語を覚えるとします。その時、「絵カード」を使いますと、「絵カード」で覚えた「持つ」は、絵カードの「持つ」であって、自分たちが実際に「持つ」動作をするときの「持つ」には繋がらないと、こういう具合に。実際に何かを持ってみせ、「持つ」とやらなければ、一筋の線で結びつかないのです。「ああ、『持つ』か」となってはくれないのです。

 ただ、どうしても「絵カード」を使う方が便利ですから、使ってしまうのですが。何と言いましても、「活用形」の練習でも、「自動詞・他動詞」などの練習でも、この「絵カード」で覚えてくれていないと、諸処やりにくいことが起きてしまうのです。

 本当は「生活」しながら覚えていくのが一番なのでしょうけれども。勿論、大学などへの進学を考えなかった場合なのですが。

日々是好日

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