曇り。
朝から雨…の心づもりをしていたのですが、なんとカーテンを開けてみれば、薄曇りで、時々陽が射しているような状態。まあ、直に台風も熱帯低気圧にだろうし、こんなものかなと、ちと腑抜けのようになってしまいました。とはいえ、雨でないと言うことは、苦労して自転車に乗らずにすむということ。大歓迎です。
自転車を走らせているうちに、空き地のフェンスに「夕顔」の蔓が巻き付き、白い花が飾りのように付いているのを見つけました。夏ですねえ。学校の近くでは、それと気付かぬ間に、もう「フヨウ(芙蓉)」が満開となっており、「ケイトウ(鶏頭)」も日々「かしら」というか「鶏冠」というか、それを伸ばしつつある…。
「鶏頭の 十四五本も ありぬべし」 子規
小中学校で習った「俳句」や「短歌」、「詩」などというものは、なかなか忘れられないもののようですねえ。
山川草木のみならず、特に近代は、「うた」の中に、動物や昆虫の姿も多く見られますし、日々の生活の様子なども垣間見られ、だからでしょう、何かの折にふと心の中に湧き出てように現れることがあります。もっとも、多くは一首や一句まるまるというのではなく、一部分にしかすぎぬものなのですが。
さて、今日は午前中、後半の授業で「七夕」をやります。「七夕」の説明をした後で、短冊に願い事を書き、色紙で飾りを作っていきます。
たいていは、教師に教えられたとおりのものを作っていくのですが、時々、目を見張るようなすごいものを作る人がいるので、なかなかに侮れない。折り紙は日本だけのもののようであって、そうではないということがよくわかります。
十年以上も前のことになるかしらん。インド人の学生が、この人は美術系ではなかったので、最初は、何とも思っていなかったのですが、折り始めていくと、ん、ん、ん、これはもう「私達の知っている『折り紙』」のレベルではないな…」ということがよくわかりました。立体的な建築物のようなものを作っていったのです。それからスリランカの学生、この人は美大出身だったので、多分、すごいものを折るだろうなと思っていたのですが、やはり堂々としたものを作り上げていました。
まあ、その他のは、私同様、「どうしよう…」で、「わっか」を作っていったり、網を作っていったりがせいぜい。それでも、作業というのは楽しいもののようで、なにがしかを折り上げると、「先生、先生」と呼んで見せてくれます。隣同士教え合ったり、中には手先の器用な人がいますから、難しい箇所は折ってもらったり。大半は手伝ってもらったくせに、「できた、できた」と大喜びで騒いだり…。
教室の中とは違う一面を見せてくれるので、それも面白い。
昨年からいる人たちは、皆、在日生で、特に「Aクラス」の四人は多分、昨年も折って、願い事を書いたことでしょう。説明も二度目、とはいえ、もう嫌だと言うような人はいないので、安心して説明ができます。「Bクラス」の2人、「Cクラス」の12人、「Dクラス」の3人は、「七夕」は初めてなので、いいかな。子供のいる人は、保育園や幼稚園でもするので、「知ってる」と言えれば、いいかな。
そんなこんなで、毎年の「七夕」行事が、今日もやってきます。
日々是好日