ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

最果てのたび2日目~美山

2014年02月06日 15時21分05秒 | 田舎暮らし
陶芸の郷を案内してくれると言うので、
薩摩焼を見るのも悪くないと思い喜んでついていった。

そこは伊集院駅から近い日置市。
立派な石垣がある屋敷が続いていた。
武家屋敷なのだろうか?
陶芸の郷とはちょっと違った雰囲気だった。



まず行ったのは美山陶遊館。
実用的な黒薩摩、美術品の白薩摩。
どちらもいいけど黒薩摩方が好きだ。
これだったらまねできそうな気がしたから。

薩摩焼を見てたら始めて気づいた。
あっ、そうか!
ここは司馬遼太郎の「故郷忘じがたく候」の舞台となったところだ。
一度は行きたいと思っていたところ。
薩摩焼、というとすぐにピンと来てよさそうなものなのに・・・
もうちょっと山奥かと思っていた。
昔はもっと田舎だったのかも知れないけどね。



近くに堂平窯跡というのがあったので一人で見に行った。
そっとみんなから抜け出して一人でいろいろ見に行くのはいつもの癖なのだ。
この窯は最近発見されてここに移築されたらしい。
古い朝鮮系単室傾斜釜・・・部屋が仕切られてない登り窯。
でも何を移築したのだろうね。建物は新しいし・・・
土だけを移したのだろうか?



枕壽官窯。
ここと美山陶遊館が観光のメーンらしい。
とても由緒のあいそうな立派な建物で他の窯とは別格。
有田の柿右衛門館を連想する。
展示してある焼き物も見事だった。





司馬遼太郎の碑があった。



かって朝鮮から連れてこられた陶工がこの地に住み、代々それを受け継いでいる。
朝鮮から連れ去られてきた陶工たちの姿が、
北朝鮮に拉致された日本人被害者とだぶる。
ただ唯一の救いは、江戸時代になって、朝鮮に帰ることが出来ることになったのに、
ほとんどの陶工たちが、日本に住むことを選んだということだ。
朝鮮では陶工は蔑まれてきた。
でも日本では技術者を大事にする。
朝鮮の陶工も士族になったり庄屋になったりして取り立てられた。
それで日本に住むことを選らんだ。
朝鮮よりも日本の方がいい国だったということ、これは誇りに思ってもいいのではないか。

ここで在日朝鮮の人たちともダブってくる。
朝鮮に戻らないで日本を選らんだと言うこと。
ネトウヨと呼ばれる人たちのように「在日は帰れ!」なんて言うのではなく、
もう少し前向きに考えてもいいのではないか。
もちろんネトウヨの人たちの気持ちもわかった上で言ってるのだけど・・・



梅が咲いていた。
朝鮮から連れてこられた朝鮮人陶工はそんな思い出この梅を眺めていただろう。
そして北朝鮮に拉致された日本人被害者もどんな思い出梅を見つめるのだろうか。

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最果てのたび2日目

2014年02月06日 08時18分11秒 | 田舎暮らし
夜降っていた雨もやみ、相変わらず暖かい旅行日和。
というか夜は暑くて寝苦しかった。

ホテルの朝食はバイキング。
近頃はこんな朝食が増えてきた。
夕食と違ってそんなに料理の種類は多くなくていいし、
朝はみんなそんなに食べないだろうから、
ある程度の客が見込めるところだったらこのほうが安上がりなのかもしれない。
それに食べたい量は皆違うだろうから、
決められた量を与えられるよりもこの方が合理的ではあるし、残飯も少ないのかもしれない。
昔ならここぞとばかり、料理を皆征服してやろう、何て思ったものだけど、
今さらそんな気にもなれないし、そこはそれなりに、それでも日ごろの3倍は食べた。

それから駅でみやげ物などを買い、
伊集院へ向かった。
窓からの景色はいかにも九州!
雑草の勢いがすごい!!
ここら辺ではほっといたらすぐに草ぼうぼうになるけど、
九州だったらたちまりジャングルになってしまう。

伊集院までは15分。
すぐに着いた。
兵庫の田舎に住んでいると、どこに行っても都会に感じる。
というわけで伊集院は都会。
そこで迎えに来てくれた車に乗って陶芸の郷に向かった。
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