竜野のオータムフェスティバルともみじ谷にいってきた。
日ごろ見られない町家を開放して各種イベントを行う。
晴れた日曜日の昼のイベント。
それでもシャッターを下ろした店も目立つ。
脇坂藩5万石の城下町。小藩なので観光の目玉となる大きな建物もなく、
「赤とんぼ」の作詞者が生まれた町というだけではかなり弱い。
町並み保存に努力はしているものの、歩きながら外から見るだけで、中身がない。
映画のセットを見ているようなものだ。
観光客は赤とんぼの碑にいき、しょうゆ記念館にいき、たつの城でがっかりし・・・ほかに何があるだろう?
外面でなく中身を充実させてほしい。
その意味でもオータムフェスティバルというイベントはいいことだとは思う。
ついでにもみじ谷にいってきた。
けれどももみじはまだだった。1週間早かったようだ。
もみじ谷をずっと登っていった。登りだすとどこで降りるか決心するのが難しい。
もうちょっと上に行ったら何かあるんじゃないか?と思えてくるからだ。
登山する気なかったのになぁ・・・と内心ぶつぶついいながらも、どんどん上にあがっていく。
前を歩いている人間がいるとさらに気になって、きっと上には何かあるんだろうと思ってついつい後をついていく。
やっとついたと思ったら、さらに上に城跡があると書いてある。
古城と聞くと何もないことがわかっていても、せいぜい石垣のあとがあるだけなのに、と思ってももうこうなったらとまらない。
さらに険しい道を登っていく。
そしてどうにかたどり着いた。
鶏籠山朝霧城跡。木が生えてて見晴らしはよくない。
でも木の間から南側には瀬戸内海・家島が北側には新宮の町が眼下には竜野の町並みが望める。
山城にふさわしい場所だ。でもこんな狭い場所に閉じこもるのはせいぜい数百人がいいところではないだろうか。
秀吉の大軍に赤松氏はたちまち開城してしまったという。
赤松氏は太平記以来歴史にもしばしば登場して重要な役割を果たすが全国的にはもうひとつ地味な存在。
赤松氏のあと福島正則などが一時城主になったあと脇坂氏が明治のはじめまで地味に続いた。