イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

イレグイ号は1/3000なり・・・。

2018年07月27日 | Weblog
あと3ヶ月ほどで僕の車は車検を迎える。乗り始めてから15年もの年月が経ってしまった。その間、僕のライフスタイルも変わり今ではほとんど乗らなくなってしまい、どうしても必要なときというのは年に1,2回の田辺への釣行と春の山菜採りくらいになってしまった。船の釣りではもっぱら三輪車が活躍してくれている。
奥さんも軽自動車を乗っているのでそれにたまに乗らせてもらえればそれでいいかと思い車検のタイミングで手放そうと考えた。
船が2艘、三輪車1台、それに車、バブルの頃の正義のヒーローではないのだからこんなにたくさんの乗り物を持っているというのもちょっとおかしいのではないかとも思い始めたのも一因だ。

車検も含めて自動車を持つということはほとほとお金がかかる。自動車税は13年目を境に金額が上がりいまでは年間5万円以上を払っている。任意保険は3万円ほど、車検は1回に15万円ほどかかっているからこれだけで1年あたり約15万円、軽自動車を置くために駐車場も借りているのでそれが年間約5万円、僕の車がなくなるだけで年間約20万円の節約になる。

しかし、この車検、どうしてこんなに高いのだろうか。車検というのはその時点で保安基準を満たしているかどうかのチェックをするだけなのに、点検費用だとか、重量税だとかんとかそのお金は何のために必要なのかと思う。
保安基準に適合しているかどうかなんて、エンジンかけてウインカーが点灯してその他の警告等が点灯すればそれだけ見ればいいだろう。多分3000円でできるのではないか。
(そう思うと船の点検のほうがもっとボッたくっているけれども。)
あとは自分の意思で必要な部品を交換すればいいじゃないか。今の車はそう簡単には壊れない。ぼくは15年間、バッテリーとタイヤ、ブレーキパッド以外交換したことがないけれども、今でも踏み込めば軽く時速180キロは出てくれるほどだ。
大体、自分でそんなこともわからないやつが車に乗ってはいけないのだ。

調べてみると、車検制度自体、1951年に決められたものがいまだに続いているらしい。その当時は車の性能にも信頼性があまりなかったからこういう制度で性能を担保する必要があったのだろうけれども、今の車はそんなに簡単には壊れない。僕の車がそれを証明している。そして車検を含めた自動車整備業界の売上高はなんと年間5兆円を超えているらしい。百貨店の年間売上が6兆円を割り込んでしまっているのだから車の整備だけで一大産業になっているということだ。
おまけに、この車検を牛耳っているのが、日本自動車整備振興会連合会という社団法人=民間団体だ。僕はプレジャーボートなんていうのは贅沢品だから、日本船舶振興会が僕たちを喰い物にして私服を肥やすというのもむかつくが仕方がないと思っていたけれども、自動車なんていう生活のインフラにまでこんな悪どいシステムがはびこっているとは知らなかった。重量税は印紙で納めるらしいが、その手数料がこの団体にガッポガッポと入ってくるシステムになっているそうだ。要は天下った役人の食い扶持とそいつらに群がる寄生虫を養う(養うどころか、ぶくぶく太らせているのだ)ための構造にほかならない。そういえば、あの、交通安全協会というのもものすごく胡散臭い。警察OBを養っているだけの意味しかないとしか思えない。
与党も野党も政治家はみんなそんな輩にぶら下がっているのだからこんな無駄な制度に異を唱えることもなく安穏としている。そんなことでいいのだろうか!トランプもこんなところをもっと突いてくれたら日本でも人気が出るし、アメ車でも買ってくれるご奇特なひとも増えてくるのではないだろうか。日本のメーカーだってそうだと思うけれども、これはどうも部品の売れ行きにも影響するらしく異議を唱えないそうだ。なんと身勝手な・・。
マスコミも自動車メーカーは大切なスポンサーだからこれまたどこも異議を唱えない。
これを民主主義の国といえるのだろうか。

そして、登録から13年を超えた車の地方税がアップするという制度にも納得がいかない。なんで長い間大切に乗ってきた車に対して古くて邪魔だから早く買い替えろというような仕打ちをするのか。物を大切に使い続けるというのは人間の美徳ではないのだろうか。とにかく人をいじめて新しい車に乗り換えさせようという魂胆にしか見えない。これもメーカーと整備業界が結託して庶民をいじめて私服を肥やそうとしているとしか思えない。

しかしまあ、こんなことはごまめの歯軋りにしかならないのはわかっている。
だからこんな圧力に屈して車を手放そうと考えたわけだ。僕はずっとマニュアルミッション車に乗ってきた。それはクラッチの付いていない車は車ではないと思っているからだ。そしてフェラーリに通じる赤い車にあこがれていた。40歳を超えて赤い車を買うと頭がおかしいと思われるのではないかとギリギリ39歳のときにこの車を買った。やはり魚釣りをするためには荷物を載せなくてはならない。それもスポーツカーらしい姿勢で車に乗りたいのでステーションワゴンがぼくにとっての最適の選択肢であった。当時でもマニュアル車でのステーションワゴンで商用車っぽくないとなるとほとんど車種が限られていた。結局、まだまだ値引き幅が大きくて、フロントグリルまで真っ赤だったこの車を買ったのだ。
確かによく走る車だ。シートもよくできていて、腰痛持ちの僕でもほとんど腰が痛くならずに長距離の運転もこなせたのだ。高野山の大門まで1時間という記録はこの車か最初に買った86トレノでしか記録できないであろう。(まあ、いい歳こいてこんな走り方をしていたらしまいにひどい目に遭ってしまうという恐怖心も車を手放そうという動機でもあったのだ。)

しかし、今のこの時代、こんな希望をかなえてくれる車がない。ましてやガンダムかトランスフォーマーの顔みたいな車にはシンパシーが持てない。はたまた、1台300万、400万となると僕の甲斐性をはるかに超えてしまっている。ショールームに置かれている330万円と書かれたワンボックスカーを買える人というのはどんな人たちなのだろうか・・・。僕には想像ができない。それに、新車を買って、傷をつけてはいけない、常にきれいに乗らなければと気を使うモチベーションが保てなくなってしまった。

だから、車はただ移動するだけのものだ。そう割り切って奥さんの車をちょっと間借りするのでいいやと思っていたところにとある車の発売が発表された。
ムム、この車は面白そうだ。奥さんをたぶらかして2台の車を下取りに出してこれを買ってもいいのではないかと思い始めた。
早速ディーラーに行って下取り価格を聞いてみると、なんと僕の車は1,000円だった。(奥さんの車も1,000円・・・)ブラジルのインフレではるまいし、15年で1/3000になってしまうとは・・・。
セールスマン氏曰く、こんな大きなサイズのマニュアル車でおまけに真っ赤なんて、もとから値段がつきにくくてその上15年経過している。1,000円つけば儲け物・・。とのことだ。
なんだか僕の人格までも否定された気になってしまのだ。僕の嗜好は世間ではマイノリィティどころか天然記念物以下の存在であるらしい。道理で世の中と上手く付き合えないはずだと変に納得してしまった。

さて、ぼくはその面白そうな車に乗ることができるのか・・・。
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