
中嶋隆 「補陀洛ばしり物語」読了
偶然に見つけた本であった。図書館で本を借りたあと、入り口近くにある新規購入図書のコーナーをふと覗いたらこの本が目に止まった。
現世では本意ではなく様々な罪を背負い、報われることなく生きてきた主人公たちが補陀落渡海を通して自分の本当の心を取り戻し見つける。それは観音菩薩に出会うことでもあった。
そんな内容の本である。主人公たちの苦しみは救いがないほど悲しいが、どうしてだか読後感に疲れのようなものは残らない。これは観音様の力でもあるのだろうか。
主人公たちを見守る僧はこう言う。
「一切衆生悉有仏性、人には誰でも穢れがある。虫を踏まずには、人は生きておられぬ。人と仏は違うのじゃ。汚れにまみれて生きていることは恥ではない。ただ一心に歩け。考えずに体を痛めつけろ。そうすれば仏が顔を見せる。」
これも偶然に、この本の舞台のひとつになっている四天王寺のすぐ目のコンビニで何もかもしっくりいかないでいる今の自分には沁み込んでくる言葉だ。
僕もこの言葉に助けられた。なんとか2週間、やってみようと思えるようになった。
偶然に見つけた本であった。図書館で本を借りたあと、入り口近くにある新規購入図書のコーナーをふと覗いたらこの本が目に止まった。
現世では本意ではなく様々な罪を背負い、報われることなく生きてきた主人公たちが補陀落渡海を通して自分の本当の心を取り戻し見つける。それは観音菩薩に出会うことでもあった。
そんな内容の本である。主人公たちの苦しみは救いがないほど悲しいが、どうしてだか読後感に疲れのようなものは残らない。これは観音様の力でもあるのだろうか。
主人公たちを見守る僧はこう言う。
「一切衆生悉有仏性、人には誰でも穢れがある。虫を踏まずには、人は生きておられぬ。人と仏は違うのじゃ。汚れにまみれて生きていることは恥ではない。ただ一心に歩け。考えずに体を痛めつけろ。そうすれば仏が顔を見せる。」
これも偶然に、この本の舞台のひとつになっている四天王寺のすぐ目のコンビニで何もかもしっくりいかないでいる今の自分には沁み込んでくる言葉だ。
僕もこの言葉に助けられた。なんとか2週間、やってみようと思えるようになった。
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