イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「知られざる縄文ライフ読了

2018年06月18日 | 2018読書
譽田 亜紀子/著、 武藤 康弘/監修、スソ アキコ/イラスト 「知られざる縄文ライフ読了


アフリカの原住民のカラフルで気高い姿を見ていて、日本の最初の人々の姿はいったいどんなものだったのだろうかと思い借りてみた。届いた本はイラストがたくさん入った、ちょっと児童向けのような感じの本であった。

遺跡の研究が進むと僕たちが教科書で習ったよりもはるかに進んだ生活が送られていたことがわかったのである。
特に、食料については多彩であった。そう、縄文の人々は食べることに一所懸命であったようだ。当たり前といえば当たり前だが、生きるためには食べなければならない。それが生活の大部分を占めていたのだ。
今日の天声人語の内容は、偶然にもアイヌ民族の言葉についてであった。アイヌは縄文文化を受け継いだ民族である。言葉の保存のために現代語をアイヌ語に訳する試みがされているそうだが、医者という言葉は見つからなかったけれども、やたらと食べるものに関する言葉は多かったそうだ。

人間は衣食足りて礼節を知るととともに様々なよからぬことやさらなる欲望をかきたててくる。そんな現代と縄文の時代はどちらが幸せなのだろうか?
今日は新しく食べられるものを見つけた。
春が来て山菜を食べられる。
大きなイノシシが罠にかかった・・。
そういう、自分の手の届く範囲で生きていることの実感を感じ取れる生き方のほうがよほど人間らしいのではないだろうか。
そして、イノベーションといってもそれも自分の手の中でやれることが生活を豊かにしてくれるということのほうがこれも実感をもって受け入れられるのではないだろうか。
自分の食べているものはいったいどこからやってきてどうやって加工されているのかわからない。身の回りにあるほぼすべての機械はブラックボックスだ。それでは自分が地球の一部として生きているということがわからなくなる。

もちろん、寿命は短くなるだろう、しかしそれとても、人の生死を身近に感じ、自然の循環のひとつとして自分たちの存在があり、自分を取り巻く環境と心に折り合いをつけて生きてゆく。それが大切だと思えないだろうか。この本にはたくさんの土偶や土器、装飾品の写真が掲載されているけれども、そういう「生きているんだ!」という叫びのようなものが聞こえてくるようだ。縄文時代の文化を芸術だと認識されるきっかけとなったのは岡本太郎の論文だったそうだが、さすが、人生を爆発させてきた人だ。

今日は大きな地震が起きたけれども、完全にライフラインが止まってしまって救援物資も届かない状況になったとき、いったいどれだけの人が生き延びることができるだろうか。
7200年前、鹿児島県の硫黄島付近、鬼界カルデラで大規模の噴火があり、西日本一帯は壊滅的な被害をうけたそうだが、彼らは誰の助けも受けることなく復活していったのだ。
彼らの方がプリミティブな部分でははるかに現代人より生き抜く力を持っているということだろう。

縄文時代は約1万年続いたそうだ。これだけ長く同じ文化が続いたというのはこの時代だけだったそうだ。目まぐるしくイノベーションが起こるにはもっともっと年月が必要であったのも事実だろうが、きっと「これでいいのだ。」と思えるほど心地よかった時代であったからこそこれだけの長さを続けることができたにちがいない。
日本酒が飲めるのではあれば僕もこの時代にくらしたいものだ・・・。


まったく本の内容と関係がないのだが、この書き込みは今日の夕方おこなっている。今朝の地震の報道が続いているけれども、公共交通がほぼすべて止まってしまい、主要な駅で人が溢れている風景が中継されている。僕はたまたま休みであったのだけれども、へたをすればあの状況のなかに巻き込まれていたかもしれない。帰宅困難者になっていたということだ。一応、そういうこともある程度想像はしていたけれども、それはもうあの阪神淡路大震災のように周りの風景が瓦礫の山になったときだと思っていた。
街の風景がそのままでもそんなことになってしまうのだということを思い知らされてしまった。ちょっと痛勤が怖くなる・・。



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