S.T. アクサーコフ / 貝沼 一郎 訳 「釣魚雑筆」読了
著者はロシアではかなり有名な作家でゴーゴリーやツルゲーネフとも交流があった貴族らしい。
本書はロシア語で書かれた本格的な釣りに関する書物だということなので、さしずめロシア版“釣魚大全”というところだろうか。
170年前の釣り具、ロシアの魚の話が中心で、表現力というのは訳者の訳し方にもよるのだろうが、僕は師の文章を基準にしてしまっているからなのかもしれないがそれほど文学的ではないように思う。むしろ情景や情報を忠実に伝えようと努力しているようだ。それほど釣りには精通しているようでもないようだが、釣りをとおして見る自然への愛情は序の章にあふれ出ている。
この本の圧巻はこの章にあるようだ。
「自然の美に無関心な人はまずないが、ある人(これは大多数の都市に住む人たちを指しているのであろう。)たちはそれをただの書き割りを愛でるような感情しか持たない。・・・・・彼らは何にもわからないのだ!」と切り捨てている。また、「彼らは、わが身の毎日の変わりばえのない仕事のことを考え、家路へと、おのが汚い淀みの中へと、填っほくて息苦しい都会の空気の中へと、自宅のバルコニーやテラスへと、その貧弱な庭の腐った池の彼らにとっては馥郁たる匂いをかぎに、また昼の太陽に焼かれた舗道の夕べのほてりを吸うべく急ぐのだ……」と手厳しい追い打ちをかける。ここの部分だけは文体が違うかのようなので相当な憤りと嘆きを表現していようだ。
170年前、すでにこんなに疲れ切った人々がたくさん居たいうのもなんとも悲しい。ロシア革命へと続いてゆく階級社会の閉塞感がそうさせるのか、産業革命への道を歩みつつあるヨーロッパが自然を蝕んでいく過程で人と自然の隔たりが増していったのか。
時代は繰り返し今の時代も同じようなものだ。釣りを通して朝焼けの美しさを美しいと素直に感じることができるこの身がありがたい。会社の不毛な指示やわけのわからないプレッシャー、やりがいのなさ、これは自分のモチベーションの低さが原因でもあるのだが、その低さと引き換えにこんな感受性を得られているのならそれはそれでいいのではないだろうか。特に貧弱な庭の腐った池の会社の社員にとってはこんな感受性が必要なのだ。
こんなことを愚痴っていても仕方がない。
せっかく釣りに関する本を読んだのだから当時の釣り具事情を抜粋しておこう。
竹が生育しないロシアでは胡桃や白樺の枝で竿を作っていたらしい。ロシア産の芦を繋いで穂先にクジラのひげを使った竿もあったらしい。170年前というと日本では漆を塗った工芸品のような和竿が普通に作られていた時代だからこんなものを当時のロシア人が見たら目を剥いてしまうだろう。サイズは大、中、小といたってシンプル。
糸は馬の毛やインド産の植物繊維というのでこれは当時の日本と変わらないようだが、輸入されたものは高価であると書いてあることろをみると本テグスなんかは国産では作れなかったのだろう。
オモリは銃弾や散弾を使っていたらしい。鉤についてはあまり触れられていない。当時の鉤とはどんなものだったのだろう。
どちらにしても自分で作れるものは作り、利用できるものは利用するというのが貴族であってもそれが普通だったようだ。そしてシンプルで種類も少ない。今のように専用タックルなんてものはほとんどなかったのだ。
“知ることの苦しみ”という言葉があるが、仕掛けが増えるたびにあれこれ迷ってしまう。最近、僕は釣具屋に行っても何を買っていいのかがわからないのだ。そして行き詰るところ、釣れる時というのはシンプル極まりない仕掛けが一番というのは今でも昔でも変わらないようだ。
僕もこの時代に倣っているわけではないが、作れるものは自分で作りたい主義だ。
今も新しい竿を作っている。同僚と釣りに行くために作り始めた竿であるが、残念ながらそれには間に合わなかった。まあ、いつかそんなチャンスもめぐってくるかもしれないのでゆっくり仕上げてゆきたいと思うのだ。
著者はロシアではかなり有名な作家でゴーゴリーやツルゲーネフとも交流があった貴族らしい。
本書はロシア語で書かれた本格的な釣りに関する書物だということなので、さしずめロシア版“釣魚大全”というところだろうか。
170年前の釣り具、ロシアの魚の話が中心で、表現力というのは訳者の訳し方にもよるのだろうが、僕は師の文章を基準にしてしまっているからなのかもしれないがそれほど文学的ではないように思う。むしろ情景や情報を忠実に伝えようと努力しているようだ。それほど釣りには精通しているようでもないようだが、釣りをとおして見る自然への愛情は序の章にあふれ出ている。
この本の圧巻はこの章にあるようだ。
「自然の美に無関心な人はまずないが、ある人(これは大多数の都市に住む人たちを指しているのであろう。)たちはそれをただの書き割りを愛でるような感情しか持たない。・・・・・彼らは何にもわからないのだ!」と切り捨てている。また、「彼らは、わが身の毎日の変わりばえのない仕事のことを考え、家路へと、おのが汚い淀みの中へと、填っほくて息苦しい都会の空気の中へと、自宅のバルコニーやテラスへと、その貧弱な庭の腐った池の彼らにとっては馥郁たる匂いをかぎに、また昼の太陽に焼かれた舗道の夕べのほてりを吸うべく急ぐのだ……」と手厳しい追い打ちをかける。ここの部分だけは文体が違うかのようなので相当な憤りと嘆きを表現していようだ。
170年前、すでにこんなに疲れ切った人々がたくさん居たいうのもなんとも悲しい。ロシア革命へと続いてゆく階級社会の閉塞感がそうさせるのか、産業革命への道を歩みつつあるヨーロッパが自然を蝕んでいく過程で人と自然の隔たりが増していったのか。
時代は繰り返し今の時代も同じようなものだ。釣りを通して朝焼けの美しさを美しいと素直に感じることができるこの身がありがたい。会社の不毛な指示やわけのわからないプレッシャー、やりがいのなさ、これは自分のモチベーションの低さが原因でもあるのだが、その低さと引き換えにこんな感受性を得られているのならそれはそれでいいのではないだろうか。特に貧弱な庭の腐った池の会社の社員にとってはこんな感受性が必要なのだ。
こんなことを愚痴っていても仕方がない。
せっかく釣りに関する本を読んだのだから当時の釣り具事情を抜粋しておこう。
竹が生育しないロシアでは胡桃や白樺の枝で竿を作っていたらしい。ロシア産の芦を繋いで穂先にクジラのひげを使った竿もあったらしい。170年前というと日本では漆を塗った工芸品のような和竿が普通に作られていた時代だからこんなものを当時のロシア人が見たら目を剥いてしまうだろう。サイズは大、中、小といたってシンプル。
糸は馬の毛やインド産の植物繊維というのでこれは当時の日本と変わらないようだが、輸入されたものは高価であると書いてあることろをみると本テグスなんかは国産では作れなかったのだろう。
オモリは銃弾や散弾を使っていたらしい。鉤についてはあまり触れられていない。当時の鉤とはどんなものだったのだろう。
どちらにしても自分で作れるものは作り、利用できるものは利用するというのが貴族であってもそれが普通だったようだ。そしてシンプルで種類も少ない。今のように専用タックルなんてものはほとんどなかったのだ。
“知ることの苦しみ”という言葉があるが、仕掛けが増えるたびにあれこれ迷ってしまう。最近、僕は釣具屋に行っても何を買っていいのかがわからないのだ。そして行き詰るところ、釣れる時というのはシンプル極まりない仕掛けが一番というのは今でも昔でも変わらないようだ。
僕もこの時代に倣っているわけではないが、作れるものは自分で作りたい主義だ。
今も新しい竿を作っている。同僚と釣りに行くために作り始めた竿であるが、残念ながらそれには間に合わなかった。まあ、いつかそんなチャンスもめぐってくるかもしれないのでゆっくり仕上げてゆきたいと思うのだ。
いつもコメント、ありがとうございます。
そして、あたたかいお言葉、ありがとうございます。
まあ、仕事ができないのは自業自得なので仕方がないとあきらめています。仕事ができなくても魚釣りや山での遊びを知ることができたのが人生の上ではありがたく思います。
この上司(今となっては雲の上の人ですが。)、2008年の大晦日、新年を迎える前後延々5時間、ご自分の武勇伝、自慢話をタバコの煙の中でありがたく拝聴したかたです。
本当にバッタリ出会ってしまったというのは僕の運の無さなのだと悟ってしまいました。
この方がわが社の救世主なのかどうかは知りませんが、僕がリタイアするまでの延命士ではあってほしいと願っています。
和歌山での居心地が良すぎて、さぞ残念でしょう。
上司がスマホをいじりながら、「頑張れよ」はないでしょう。
こういう変なのが、出世する会社もまた変ですね。
ここは、釣りで鍛えた忍耐で、平常心で行って下さい。
ロシアの釣魚大全も読みました。
日本の江戸時代の釣り事情は、やはり誇るべきだと思いました。