朝井まかて 「ボタニカ」読了
牧野富太郎の本は1冊読んだのでもう十分だろうと思ったのだが、予約していた本の順番が回ってきたのでとりあえずは読んでみた。
そして、朝井まかての本としても2冊目だ。前回の本も面白かったので今回も期待はしている。
前の本を読みながら、牧野富太郎の一生の明と暗の部分をどんな比率で盛り込んでゆくのだろうと思ったが、この人の場合、朝ドラの法則に則ると明の部分を目一杯、しかし暗の部分はほんの少しにしておかないと朝ドラらしくならないのではないかと思えてくるほど暗の部分が多い人に見えてくる。
明の部分はもちろん植物学(植物分類学)に対する情熱と大学教授も嫉妬するほどの知識だ。それを実現した集中力、そして天賦の才能である描画力だ。
暗の部分、それはこの人の本質の部分でもあるのだろうが、自分ほど優れた人物はいないという考え方、そして、植物学を極めるという自分が目指した使命のためには何をしても、何を犠牲にしてもかまわないのだという考え方。裕福な家庭で育ったため、欲しいと思ったものはどれだけ費用がかかろうとも手に入れる。自由民権運動に傾倒していたことがあり、権威主義には反感を感じているのか、大学のシステムにもなじめず、研究をすることに組織も肩書も必要ないという考え方。そういったことは一般的な人の価値観と常識に照らすと型破りすぎると思う。
実名が出てくる小説だから概ね事実が書かれていると思われるのだが、それぞれの登場人物の心情までが本当とは思えない。しかし、最初は好意的に手を差しのべた人でも最後は袂を分かつような結末になるというのは相手の側に非があったとばかりは言えないのではないだろう。それも1度だけではない。ということは、相当付き合いにくい相手であったのかとも思えてくる。
その原因が暗の部分であったとしたのならかなりやっかいな人であったとも見えてくる。
それでもこの人は一般の人たちにはかなり受けがよかったようだ。晩年は日本全国を回り講演や採集指導をすると多くの人が集まったらしい。いまでも高知に行くとかなり人気のある人らしい。世の中のしがらみ、アカデミズム、権威というものに縛られず、学位がなくともそういったものに立ち向かって堂々と渡り合ったというエピソードは痛快でもあったのだろう。だれでもそういう自由に憧れる。しかし、近くにいればいるほどそれに対して違和感を覚えざるを得なくなり、また振り回されてしまうというのが現実なのであったのだろう。
朝井まかてとは親類関係ではないようだが、朝井リョウという作家が、『信念を忘れたら人は迷う。迷いの中に倫理があるのである。逆に確信を持って書いた文章というのは怖い。暴力的な内容にもなる。』と書いている。ある意味、牧野富太郎には信念があまりにも強かったので「倫理」というものが欠落していたのかもしれない。ニュートンやアインシュタインも同じような生き方をしていたようで、両者はアスペルガー症候群だったと言われていたことを考えると富太郎もそうであったのかもしれない。並外れた集中力や描写力もそこから出てくるものだったのだろうか。それをなんとか実家の財力と名声でカバーしてきたというのがこの人の人生であったのかもしれない。
それでも、奥さんの寿衛子(寿衛ではなく、寿衛子が正しいそうだ)は富太郎を見下すことも見放すこともなく支え続ける。僕は逆に奥さんには本質的にはずっと見下されながらいままで来たように思うが、その違いは何なのだろうと思うのだ。
それはきっとその人が自分の仕事にどれほどの誇りを持って臨んでいるかということなのだと思い至る。それは社会貢献度が高くなくても、独りよがりの思い込みであっても、旦那がそう思っている限りはそれを支えようと借金や旦那のわがままを苦労とも思わず耐え続けることができるのだ。こういうところは確かに朝ドラっぽい。
こう書いてくると、やっぱりこの人には暗の部分、それはご本人も奥さんもそう感じてはいないのだろうけれども、その部分が相当大きいのではないかと思う。他人に対する批判もかなりのもので、仕事に協力してくれた人や、経済的な援助を受けてきた人にまで気に入らないことがあると容赦はしなかったそうだ。この後に書くが、南方熊楠に対しても批判的なことを書いているし、それを“天真爛漫”というひとことで終わらせてしまっては本当の牧野富太郎を描いたとことにはならないのではないだろうか。それとも、NHKは、最近の日本の科学研究の世界が成果主義、業績主義になってしまい、富太郎のように役立つか役立たぬかわからぬ基礎科学的なものに悠々と取り組み極め続けられなくなってしまったことへのアンチテーゼとしてドラマを仕立ててゆこうとしているのだろうか。
牧野富太郎の年譜を見ると、この人は南方熊楠より5歳年上なだけで、なおかつ同じような時期に東京大学に在籍していた(富太郎は正規の学生ではなかったが)。おなじ自然科学を目指した人たちだからどこかで接点があったのかもしれないと考えていたが前の本では熊楠との接点については何も書かれていなかった。
しかし、この本では、それについてちゃんと書かれていた。富太郎が日本の植物学会で名前が売れ始めた頃、手紙でのやりとりで採集した植物の同定の依頼があったり、熊楠の弟子によって熊楠が採集した標本が送られたりもしたそうだ。やっぱり接点があったのだ。
富太郎が和歌山に採集旅行をした際会談をする機会もあったそうだがそれは結局、熊楠がその場に来なかったことで実現しなかった。それが無礼だというので熊楠の没後、文藝春秋に寄せた文章はある意味熊楠を侮辱した内容であったようだ。やはり自分の気に入らない相手には容赦をしない人であった。熊楠もアスペルガー症候群のようなところがあったのだろうから、お互い様であったのだろう。
そして、牧野富太郎のルーツというのが紀州にあったということも興味深い。富太郎の先祖は紀州の貴志ノ荘から土佐に入ったという。今の貴志川町のことだろうか?当時の姓は鈴木で、岸屋という屋号は在所の貴志にちなんだものであると書かれていた。
熊楠とのエピソードや始祖の地が紀州であったという事実のようなものがドラマに盛り込まれたならばなんだかうれしくはなってくる。
まあ、これからの展開を楽しみにしておこう。
牧野富太郎の本は1冊読んだのでもう十分だろうと思ったのだが、予約していた本の順番が回ってきたのでとりあえずは読んでみた。
そして、朝井まかての本としても2冊目だ。前回の本も面白かったので今回も期待はしている。
前の本を読みながら、牧野富太郎の一生の明と暗の部分をどんな比率で盛り込んでゆくのだろうと思ったが、この人の場合、朝ドラの法則に則ると明の部分を目一杯、しかし暗の部分はほんの少しにしておかないと朝ドラらしくならないのではないかと思えてくるほど暗の部分が多い人に見えてくる。
明の部分はもちろん植物学(植物分類学)に対する情熱と大学教授も嫉妬するほどの知識だ。それを実現した集中力、そして天賦の才能である描画力だ。
暗の部分、それはこの人の本質の部分でもあるのだろうが、自分ほど優れた人物はいないという考え方、そして、植物学を極めるという自分が目指した使命のためには何をしても、何を犠牲にしてもかまわないのだという考え方。裕福な家庭で育ったため、欲しいと思ったものはどれだけ費用がかかろうとも手に入れる。自由民権運動に傾倒していたことがあり、権威主義には反感を感じているのか、大学のシステムにもなじめず、研究をすることに組織も肩書も必要ないという考え方。そういったことは一般的な人の価値観と常識に照らすと型破りすぎると思う。
実名が出てくる小説だから概ね事実が書かれていると思われるのだが、それぞれの登場人物の心情までが本当とは思えない。しかし、最初は好意的に手を差しのべた人でも最後は袂を分かつような結末になるというのは相手の側に非があったとばかりは言えないのではないだろう。それも1度だけではない。ということは、相当付き合いにくい相手であったのかとも思えてくる。
その原因が暗の部分であったとしたのならかなりやっかいな人であったとも見えてくる。
それでもこの人は一般の人たちにはかなり受けがよかったようだ。晩年は日本全国を回り講演や採集指導をすると多くの人が集まったらしい。いまでも高知に行くとかなり人気のある人らしい。世の中のしがらみ、アカデミズム、権威というものに縛られず、学位がなくともそういったものに立ち向かって堂々と渡り合ったというエピソードは痛快でもあったのだろう。だれでもそういう自由に憧れる。しかし、近くにいればいるほどそれに対して違和感を覚えざるを得なくなり、また振り回されてしまうというのが現実なのであったのだろう。
朝井まかてとは親類関係ではないようだが、朝井リョウという作家が、『信念を忘れたら人は迷う。迷いの中に倫理があるのである。逆に確信を持って書いた文章というのは怖い。暴力的な内容にもなる。』と書いている。ある意味、牧野富太郎には信念があまりにも強かったので「倫理」というものが欠落していたのかもしれない。ニュートンやアインシュタインも同じような生き方をしていたようで、両者はアスペルガー症候群だったと言われていたことを考えると富太郎もそうであったのかもしれない。並外れた集中力や描写力もそこから出てくるものだったのだろうか。それをなんとか実家の財力と名声でカバーしてきたというのがこの人の人生であったのかもしれない。
それでも、奥さんの寿衛子(寿衛ではなく、寿衛子が正しいそうだ)は富太郎を見下すことも見放すこともなく支え続ける。僕は逆に奥さんには本質的にはずっと見下されながらいままで来たように思うが、その違いは何なのだろうと思うのだ。
それはきっとその人が自分の仕事にどれほどの誇りを持って臨んでいるかということなのだと思い至る。それは社会貢献度が高くなくても、独りよがりの思い込みであっても、旦那がそう思っている限りはそれを支えようと借金や旦那のわがままを苦労とも思わず耐え続けることができるのだ。こういうところは確かに朝ドラっぽい。
こう書いてくると、やっぱりこの人には暗の部分、それはご本人も奥さんもそう感じてはいないのだろうけれども、その部分が相当大きいのではないかと思う。他人に対する批判もかなりのもので、仕事に協力してくれた人や、経済的な援助を受けてきた人にまで気に入らないことがあると容赦はしなかったそうだ。この後に書くが、南方熊楠に対しても批判的なことを書いているし、それを“天真爛漫”というひとことで終わらせてしまっては本当の牧野富太郎を描いたとことにはならないのではないだろうか。それとも、NHKは、最近の日本の科学研究の世界が成果主義、業績主義になってしまい、富太郎のように役立つか役立たぬかわからぬ基礎科学的なものに悠々と取り組み極め続けられなくなってしまったことへのアンチテーゼとしてドラマを仕立ててゆこうとしているのだろうか。
牧野富太郎の年譜を見ると、この人は南方熊楠より5歳年上なだけで、なおかつ同じような時期に東京大学に在籍していた(富太郎は正規の学生ではなかったが)。おなじ自然科学を目指した人たちだからどこかで接点があったのかもしれないと考えていたが前の本では熊楠との接点については何も書かれていなかった。
しかし、この本では、それについてちゃんと書かれていた。富太郎が日本の植物学会で名前が売れ始めた頃、手紙でのやりとりで採集した植物の同定の依頼があったり、熊楠の弟子によって熊楠が採集した標本が送られたりもしたそうだ。やっぱり接点があったのだ。
富太郎が和歌山に採集旅行をした際会談をする機会もあったそうだがそれは結局、熊楠がその場に来なかったことで実現しなかった。それが無礼だというので熊楠の没後、文藝春秋に寄せた文章はある意味熊楠を侮辱した内容であったようだ。やはり自分の気に入らない相手には容赦をしない人であった。熊楠もアスペルガー症候群のようなところがあったのだろうから、お互い様であったのだろう。
そして、牧野富太郎のルーツというのが紀州にあったということも興味深い。富太郎の先祖は紀州の貴志ノ荘から土佐に入ったという。今の貴志川町のことだろうか?当時の姓は鈴木で、岸屋という屋号は在所の貴志にちなんだものであると書かれていた。
熊楠とのエピソードや始祖の地が紀州であったという事実のようなものがドラマに盛り込まれたならばなんだかうれしくはなってくる。
まあ、これからの展開を楽しみにしておこう。