岸見一郎
前回に読んだものよりアドラー心理学の本質が書かれていると思う。アルフレッド・アドラーという人は、児童教育に熱心な精神科医であった。この本も子供の心の正しい成長を促すにはどうすればよいか、不幸にも心に疾患が生じたときにどうすればいいか、そういうことを元にして、人が善く生きるためにはどうあればよいのかということが解説されている。そういう意味でもよりアドラーの本質に近いものだと思う。
アドラーは、「人の悩みのすべては対人関係の悩みである」という。人は他人との関わりがないと生きてゆけない。そして、“善く生きる”ためには他人を敵と思ってはいけない。仲間と思えなければならない。それをアドラーは共同体感覚と呼ぶ。
しかしながら人はそれぞれ個人として意味づけされた世界を生きている。そしてその中で課題を持って生きている。その課題とは克服、完成、安全、優位性を求めることであり、人生の目的でもある。ひたすらそれを解決するために生きている。アドラーはその解決策を、「ライフスタイル」と呼んでいる。その課題や解決策が共同体のなかでうまく受け入れられるものでなければ人は不幸になる。
自分にしか興味のない人、全体の一部だと考えられない人は“善く”生きられない。
どの大人にも子供の時代があった。その時にどのように教育を受けたかで共同体感覚を持てるかどうかが決まる。
甘やかされた子供は支配的になり自分が世界の中心でなければ安心しなくなる
無視され憎まれた子供は自分は誰からも愛されていない、他人は敵であると考える。
相当残酷な書き方をしている。
そして、そういう子供たちに対して、励ますのでもなくなだめるのでもなく、勇気を与える教育が必要だというが、そこがそんなにうまい具合にいくはずがない。と思うのは僕だけだろうか。
自分の来し方を思い浮かべれば、どうだったのだろうか?無視され、憎まれてきたことはないとは思うのだが、どうも、自分はほかの人からはそれほど良くは思われていないのではないか、叱られたり、非難されたりしかしないのではないかと思うことのほうが多い。まあ、これは多分に子供の頃の生い立ちというよりも、社会に出てからはとにかく叱られることはあれども褒められたり勇気をもらうようなことがなかった。
それはお前の能力が劣っているからだろうが。と言われればそれまでで軽自動車をフルアクセルで飛ばしてもポルシェには絶対に勝てない。
それでもなんとかここまで過ごしてきたけれども、あと残りの数年はどうなんだろう。研修に行けと言われて行っては見るものの今さら若い人に混ざって自分を変えるんだと鼓舞されてもどうしようもない。役員の威を借りて自分の自慢ばかりしゃべっている講師には尊敬の念も沸かない。ああ、そういえば自分も他人に対して共同体感覚を持ってはいないのではないだろうかと講師の顔を見てあきらめてしまうのだ。
前回に読んだものよりアドラー心理学の本質が書かれていると思う。アルフレッド・アドラーという人は、児童教育に熱心な精神科医であった。この本も子供の心の正しい成長を促すにはどうすればよいか、不幸にも心に疾患が生じたときにどうすればいいか、そういうことを元にして、人が善く生きるためにはどうあればよいのかということが解説されている。そういう意味でもよりアドラーの本質に近いものだと思う。
アドラーは、「人の悩みのすべては対人関係の悩みである」という。人は他人との関わりがないと生きてゆけない。そして、“善く生きる”ためには他人を敵と思ってはいけない。仲間と思えなければならない。それをアドラーは共同体感覚と呼ぶ。
しかしながら人はそれぞれ個人として意味づけされた世界を生きている。そしてその中で課題を持って生きている。その課題とは克服、完成、安全、優位性を求めることであり、人生の目的でもある。ひたすらそれを解決するために生きている。アドラーはその解決策を、「ライフスタイル」と呼んでいる。その課題や解決策が共同体のなかでうまく受け入れられるものでなければ人は不幸になる。
自分にしか興味のない人、全体の一部だと考えられない人は“善く”生きられない。
どの大人にも子供の時代があった。その時にどのように教育を受けたかで共同体感覚を持てるかどうかが決まる。
甘やかされた子供は支配的になり自分が世界の中心でなければ安心しなくなる
無視され憎まれた子供は自分は誰からも愛されていない、他人は敵であると考える。
相当残酷な書き方をしている。
そして、そういう子供たちに対して、励ますのでもなくなだめるのでもなく、勇気を与える教育が必要だというが、そこがそんなにうまい具合にいくはずがない。と思うのは僕だけだろうか。
自分の来し方を思い浮かべれば、どうだったのだろうか?無視され、憎まれてきたことはないとは思うのだが、どうも、自分はほかの人からはそれほど良くは思われていないのではないか、叱られたり、非難されたりしかしないのではないかと思うことのほうが多い。まあ、これは多分に子供の頃の生い立ちというよりも、社会に出てからはとにかく叱られることはあれども褒められたり勇気をもらうようなことがなかった。
それはお前の能力が劣っているからだろうが。と言われればそれまでで軽自動車をフルアクセルで飛ばしてもポルシェには絶対に勝てない。
それでもなんとかここまで過ごしてきたけれども、あと残りの数年はどうなんだろう。研修に行けと言われて行っては見るものの今さら若い人に混ざって自分を変えるんだと鼓舞されてもどうしようもない。役員の威を借りて自分の自慢ばかりしゃべっている講師には尊敬の念も沸かない。ああ、そういえば自分も他人に対して共同体感覚を持ってはいないのではないだろうかと講師の顔を見てあきらめてしまうのだ。