江弘毅 「有次と庖丁」読了
新聞のコラムに、「いま、一をたくさん売る人のことを拍手し過ぎ。……面白くないですよね。何もないところから一をつくれる人の方がすごいですよ。」という文章が掲載されていた。
この文章は、この本の中の一節であると紹介されていた。
“何もないところから一をつくれる人”というのは確かにすごいと思う。
タイトルの「有次」というのは京都の錦市場にある包丁店の名前だ。鍛冶屋ではない。今風にいうと、OEMで作られた包丁を自社ブランドとして売っている。ということになる。
主な商品は堺で作られているそうだ。本文を読むと、コラムの言葉を言った人はとあるレストランのオーナーで、包丁鍛冶のことを言っているのだが、そこには「有次」の橋渡しがあってこそのプロの要望に答えられるものづくりが存在するのだというのがこの本の趣旨である。メーカーではないけれども、ちゃんとものづくりをしているのだということだ。
顧客である料理人のニーズを製作者に伝えて満足のいくものを作る。それが本当の「店」の役割であるというのだ。
僕も一応、小売業で給料をもらっているわけだが、そういう文章を読むと地面に顔を埋めたくなる。
「これが今年の流行ですよ~。」と言われて、はい、そうですか。と答え、「このバーゲン品は安いですよ~。」と言われて、はい、そうですかと答え、「ウチのブランドはこういう売り方をしますから口出ししないでください。」と言われて、はい、そうですかと答える。
99.9%はそんな感じだ。そこには顧客のニーズの橋渡しがあるわけでもなく、ましてやものづくりにかかわっているという感触もない。
なんだか僕の存在する業界がかなり厳しいところにきているというのもうなずけてしまう。
これくらいの規模で商売をやっているうちは顧客の顔がよく見えてその橋渡しをすることでものづくりにかかわることができるのだろうが、それを超えて規模が大きくなってくるとそれができなくなってしまう。大量に売りさばかないと会社が立ち行かないから最大公約数が必要なのだ。それも一理ある。
しかし、自分のことを振り返ると、プロの顧客相手に満足のいくものづくりをコーディネートできるかというと、どの業界に存在していたとしても、そんな集中力や説得力や根気、体力がないのは明らかで、大きな流れのなかでなんとか沈まないように浮かび続けているしかないのだと納得してしまった。
給料をもらいながら言えたことではないが、毎日なんだか物足りないのは、“何もないところから一をつくる”という行為がないからだとあらためて気付いてしまった。
そうなんだ、もともと、なんでも自分で作ってみたい性分の人間が、営業マンが持ってきた商品を見て「はい、そうですか。」と言うしかできないというのは服の上から背中を掻いているようなものだ。今となってはしかたがないが・・・。
せっかく「有次」というお店を知ったので魚の骨抜きを買い求めてみた。さすがに包丁には手が出なかったので500円の骨抜きだ。しかし、ちゃんと刻印が押されている。
使い心地はどうだかわからないが、これが本当のブランドだと骨抜きが自慢しているように見えた。
新聞のコラムに、「いま、一をたくさん売る人のことを拍手し過ぎ。……面白くないですよね。何もないところから一をつくれる人の方がすごいですよ。」という文章が掲載されていた。
この文章は、この本の中の一節であると紹介されていた。
“何もないところから一をつくれる人”というのは確かにすごいと思う。
タイトルの「有次」というのは京都の錦市場にある包丁店の名前だ。鍛冶屋ではない。今風にいうと、OEMで作られた包丁を自社ブランドとして売っている。ということになる。
主な商品は堺で作られているそうだ。本文を読むと、コラムの言葉を言った人はとあるレストランのオーナーで、包丁鍛冶のことを言っているのだが、そこには「有次」の橋渡しがあってこそのプロの要望に答えられるものづくりが存在するのだというのがこの本の趣旨である。メーカーではないけれども、ちゃんとものづくりをしているのだということだ。
顧客である料理人のニーズを製作者に伝えて満足のいくものを作る。それが本当の「店」の役割であるというのだ。
僕も一応、小売業で給料をもらっているわけだが、そういう文章を読むと地面に顔を埋めたくなる。
「これが今年の流行ですよ~。」と言われて、はい、そうですか。と答え、「このバーゲン品は安いですよ~。」と言われて、はい、そうですかと答え、「ウチのブランドはこういう売り方をしますから口出ししないでください。」と言われて、はい、そうですかと答える。
99.9%はそんな感じだ。そこには顧客のニーズの橋渡しがあるわけでもなく、ましてやものづくりにかかわっているという感触もない。
なんだか僕の存在する業界がかなり厳しいところにきているというのもうなずけてしまう。
これくらいの規模で商売をやっているうちは顧客の顔がよく見えてその橋渡しをすることでものづくりにかかわることができるのだろうが、それを超えて規模が大きくなってくるとそれができなくなってしまう。大量に売りさばかないと会社が立ち行かないから最大公約数が必要なのだ。それも一理ある。
しかし、自分のことを振り返ると、プロの顧客相手に満足のいくものづくりをコーディネートできるかというと、どの業界に存在していたとしても、そんな集中力や説得力や根気、体力がないのは明らかで、大きな流れのなかでなんとか沈まないように浮かび続けているしかないのだと納得してしまった。
給料をもらいながら言えたことではないが、毎日なんだか物足りないのは、“何もないところから一をつくる”という行為がないからだとあらためて気付いてしまった。
そうなんだ、もともと、なんでも自分で作ってみたい性分の人間が、営業マンが持ってきた商品を見て「はい、そうですか。」と言うしかできないというのは服の上から背中を掻いているようなものだ。今となってはしかたがないが・・・。
せっかく「有次」というお店を知ったので魚の骨抜きを買い求めてみた。さすがに包丁には手が出なかったので500円の骨抜きだ。しかし、ちゃんと刻印が押されている。
使い心地はどうだかわからないが、これが本当のブランドだと骨抜きが自慢しているように見えた。
