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イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「空白の五マイル」読了

2014年07月04日 | 読書
角幡唯介 「空白の五マイル」読了

開高健ノンフィクション賞の作品を読むのは「インパラの朝」以来2作目だ。
世界最後の未踏地と言われるチベットのツアンポー渓谷を単独で踏破した記録が綴られている。
人が入ったことがない藪やジャングルをダニに悩まされながら、凍傷の危険にさらされながら、飢えながら、死ぬかもしれないと思いながら歩いてゆく。

ところどころに、「自分は一体何のためにこんなことをしているのか。」、「苦労してこんな地の果てまでやってきても楽しいことなどひとつもない。」というような愚痴なのか自分への問いかけなのかのような言葉が出てくる。
自分に振り返ると、仕事って何のためにやってるんだろう?
給料をもらうため?それ以外の何か使命感のようなもの?使命感が生きること? 
自己実現?実現して何になる?そもそも実現することが生きること?
経営者というのは事業を拡大することが人生の目標なのだろうか?拡大しきったその先に一体何があるの?

考えれば考えるほど一体何が楽しくて生きているの?そもそも生きることは楽しいこと?
堂々巡りになってくる。
著者は冒険の中には生きてい意味を感じさせてくれる瞬間があると書いている。
いったいそれはどんな瞬間なのだろう。
冒険ができない僕たちは生きている意味を感じる瞬間がないのだろうか?
仕事は冒険の替りになりうるのだろうか?

やっぱり堂々巡りだ。
多分ずっと考えが堂々巡りをし続けるのだろう。
そして結論を出すには人の一生というのはあまりにも短すぎ、ほとんどの人々はそれがわからずに死んでいくのだろう。

師の言葉に、「釣り師はみんな心に傷があるから釣りに行く。しかし、彼はそれがどんな傷であるかを知らない。」と言っている。
生きる意味がわからないということが心の傷であるのならば、僕が釣りに行き続けるということにも何か意義があるのではないかと今日のところは悟ったふりをして明日からまた、堂々巡りの生活を送り続けるのだ。




水軒沖釣行

2014年07月04日 | 釣り
場所:水軒沖
条件:小潮4:28干潮
釣果:マルアジ22匹 サバ4匹


マイミクのちからさんの情報では再びマルアジが回遊してきたとのことだ。このところ休みのたびに釣りに行っているので天気が怪しい今日は安息日だと思っていたが、予報は回復傾向だしこんな情報をもらってしまってはやっぱり行くしかない。
気持ちだけ出発時間を遅らせ、午前4時に家を出発。

情報どおり双子島沖水深40メートル付近から釣りをスタート。



情報は確かなようで、釣りを開始してからまもなくアタリ。
最初はサバが釣れてきた。これはうれしい。今夜もサバ寿司だ。

うねりも気になっていたが、そんな心配はなくむしろ空気は透き通り遠く明石方面まで見渡せるし、



空に残っている雲からは天使の梯子が下りてきて今日の釣果を約束してくれているかのようだった。



沖に見える沼島は遠い航海の末にやっと見つけた島影のような雰囲気だ。



アタリは間断なく続き2時間ほどで画像の釣果を得ることができた。
チョクリでこれだけの魚を釣り上げるのは久しぶりだ。“釣った”という気持ちになれた。

そして今日の海はすごかった。
間断なく続くアタリといい、船の下はさまざまな魚であふれているかのようだった。
海面ではナブラが現れ、その直後魚探が真っ赤に染まった。機械が壊れているのではないのなら厚さではどうだろう、20メートル近くの層になっている。仕掛けにもカタクチイワシが掛かってきた。

 

1メートル近いシイラが仕掛けを切っていくし、やっと真夏の海が海が戻ってきた感じだ。
前回のキスと一緒にあとひと月は楽しませてもらいたいものだ。