イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

これからどうなるのやら・・・

2010年09月14日 | Weblog
たった今、菅総理大臣の続投が決まった。
どんな世の中になっていくのだろう・・・。
代表選終了後の挨拶で、「今一度、元気な日本を取り戻そう。」と叫んでいたが、本当にできるのだろうか。
ずっとお世話になっていた元の上司が春のリストラで会社を辞めたがいまだに次の仕事が決まらないらしい。
世の中が悪いと言うよりも百貨店業界というものが悪いのかもしれないが、少なくとも、百貨店が元気であった頃というのは日本も元気であった頃というのは間違いがないことだと思う。
今朝のテレビで、「有楽町で逢いましょう」という歌が流れていたが、この歌は、有楽町にあった「そごう」のキャンペーンソングだった。百貨店のキャンペーンソングがそのころの風俗や文化を物語るほどだったのだ。

近頃の百貨店は値段が高すぎると敬遠されてしまっているが、それは、そこには「本物」があって、「本物」を語れる人がいるからだけなのだ。
日本人が元気がなくなった原因は、ここにあるのだと思う。
何についても「本物」を知らないから何がどうでもいいことになってしまうのだ。(ついでに、政治も。)
消費という面からだけを考えると、あれがほしい、あのブランドが着たい、あれを食べたいとあこがれることが元気の源だろう。
それをファストファッションとコンビニとファーストフードではどうしようもない。
ビールでなくても泡があって黄色くて酔えればいい。そんな生活に慣れるとビールとはどんな物かを考えなくなる。それにまつわる文化や歴史がわからなくなる。多分、ドイツのお酒ということを知っている日本人のほうが少なくなってしまっているのではないか。(しかし、発泡酒というようなお酒を造っている国というのは日本以外にあるのだろうか?)
出来合いの惣菜ばかりを買っていると、元がなんであるかわからなくなってくる。前に、子供の友達の家にタチウオを届けたら、「こんな怖い顔してるの?」と聞かれて、持って来なければよかったと思ったものだ。
何もどうでもいい人間たちに元気を取り戻せと言ってもそれは無理だろう。もし、元気を取り戻せというのならそんな人たちの精神構造から直していかないとダメだろう。しかし、コンビニの弁当ばかり食べているお母さんに何ができるというのだ。

百貨店の地下の食品売り場では魚は頭と尻尾がついて売られている。マフラーの売場には本物のウールとシルクと毛皮が置いてある。やっぱり、百貨店が頑張らないと日本は元気にならないのだ。
バカになってしまった日本人を鍛えなおすのは百貨店しかないと改めて思ったのだ。


今日は久しぶりの平日の休日だったが朝からこの季節には珍しい北西の風が強かったもので気味が悪く港を前にして引き返した。
平日でこんな天気だから渡船屋の客もほとんどなく、のどかなものだった。切れかけていたロープの補修や帰港のときに隣の船にぶつかるので防舷材を隣の船に取り付けたりの作業をしていたのだが、集まってくる船のオーナーたちはみんなヨロヨロの爺さんばかりだ。船に乗り移るのも一苦労のひとや、燃料タンクが重いのでガソリンを入れられないと愚痴るひとばかりだ。
でも、みんなひとつのところに集まってきて世間話をして楽しんでいる。
多分、この人たちのほうが僕たちよりもよほど元気だ。自分のやりたいこと、ほしいもの、身の回りにある本物を知っているひとたちだ。ニセ物しか知らない人は必ず海で遭難する(本当かな?)。
僕も、別に贅沢をしたいとは全然思わない。楽しく魚釣りだけできればいいのだ。
菅さんにはそのささやかな幸せだけは守ってほしいものだ。


コメント
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