拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

三大テナーその5(歌わないこと山のごとし=東京の客)

2021-02-28 09:38:21 | 音楽
パヴァロッティがデビューして間がない頃、故郷の劇場でロドルフォを歌ったときの録音がある。「冷たい手」のハイCをばちっと決めた瞬間、会場がざわつき、アリアが終わってやんやの拍手。おらが村のルチャーノが見事に歌ったばい!って感じである。ざわついたどころじゃなかったのが中国公演。パヴァロッティがハイCを決めたその瞬間にやんやの騒ぎ。アリアがまだ終わってないのに、である。ちょっと話が逸れるが、ウィーンの国立歌劇場でフィデリオを見たとき、フローレスタンのアリアが終わって後奏が鳴っているさなか、一人の客が拍手。すると、指揮者(ラインスドルフ)がそちらに顔を向けて首を横に振ってダメダメ(私、上の方の席だったのでその様子がよく見えた)。で、完全に曲が終わってからさっきの方向を見て今度は首を縦にふってイイヨ。ってなことがありました。オペラ公演にもお国柄が出る。いや、日本国内だって地域差がある。ドミンゴのソロ・コンサートでは(あっ、この話はドミンゴのときにすべきだったか。でも、書き出しちゃったからいいや)、アンコールで「乾杯の歌」を歌って、そのとき必ず聴衆に向かって一緒に歌おうと誘う。手を耳にかかげて、聞こえないよといって催促する。しかし、東京の客は頑として歌わない。歌わないこと山のごとしである(信玄か)。しかし、九州公演の映像を見たら、なんと客が大きな声で一緒に歌ってる。一瞬、九州のファンと中国のファンが重なったワタクシであった。そんな具合にパヴァロッティの録音・映像はやまほどあるが、フレーニと組んだボエームの映像はなかなか出なかった(この二人は、SEX以外は全部一緒にしたという幼なじみ同士で、オペラでも黄金コンビである)。ようやく出たと思ったら、なんと、パヴァロッティのハイCが「シ」になっている。音を下げてこのアリアを歌う例はやまほどある(カレーラスもそう)。しかし、パヴァロッティが音を下げたら「キング・オブ・ハイC」の名が泣くというもの。「ハイC」じゃなくなっちゃうんだから。まあ、仕方がない。それが時の流れというものである。因みに、三大テナーが日本で公演をしたとき、アンコールで「あーあー、ときのながれのよーにー」を歌ったが、きちっと歌っていたのはドミンゴ。パヴァロッティはテキトーだった。そう、パヴァロッティと日本語は相性が悪い。メトの引越公演でパヴァロッティがネモリーノ(愛の妙薬)を歌った時のこと、私は会場にいたのだが、どうも舞台上のパヴァロッティが挙動不審。おまけにフシを間違える。ちょっとどうしちゃったの?と思ったらすぐ謎が解けた。「オブリガート」というところを「ありがーと」に置き換えて歌ったのだ。アイディアは秀逸だったが、パヴァロッティにとっては日本語は荷が重かったのだろう。気もそぞろで、だから挙動不審で間違えたんだろう。最後にパヴァロッティを生で聴いたのは、それから数年後、ヴェルディのレクイエムのテナー・ソロだった。もう、始まる前からわくわくして、どんなに素晴らしい「♪キーリーエーー、エ、エーーーーーエ、レーエエエイソーン」が聴けるかと思っていたら、なんだか立っているのもしんどい様子で、歌もまったく期待はずれだった。トリノの冬季五輪で歌ったのが口パクだったことがばれたりしたのもその頃だった。

三大テナーその4(商社マン)

2021-02-27 10:18:54 | 音楽
今週のチコちゃんで一瞬流れた「オーソレミオ」はまごうことなくパヴァロッティ。某社長さんの「女はドミンゴよ」に対抗するわけではないが、俳優の江守徹さんはかつてラジオ番組で「男が惚れるパヴァロッティ」とおっしゃった。古今の名アリアの録音を聴く番組で、パヴァロッティの「冷たい手」を紹介したときだった。そのときの録音はカラヤン&ベルリン・フィル。ミミはフレーニ。クラシック名盤100選とかの雑誌のボエームで常にぶっちぎりの第1位を獲得していた録音である。ところが、この演奏にケチを付けた評論家がいた。カラヤンにケチを付けると言ったらU?違う。元商社マンでオペラ好きが昂じて音大の教授にまでになった某氏である。氏がオペラの評論で登場した頃はそれは新鮮だった。とにかく詳しいし、普通の評論家が書かないことを書く。その多くはご自分で実地に体験したお話だった。例えば、ヴェルディのお墓は、上から見下ろすところにあって、下に降りて行くのは厳禁なのだが、氏は、誰も見てないのを奇貨として降りていったそうだ(さすが商社マン!)。すると、上からは見えない位置に、ヴェルディの愛人(中国語の意味の愛人ではなく、日本語の意味でのそれ)のお墓もあったそうだ。こんな案配である。多くの評論家の言うことはあてにならないと思っている私だが、氏は大尊敬する方だった。特徴的だったのは、どの国のオペラも詳しくてあらせられたが、イタリア・オペラ派だったこと。だから、前記のカラヤン&ベルリン・フィルのボエームを「重い」と一刀両断。誰もが絶賛するフレーニのミミについても低い音がきつそうと言って、テバルディを推していた。そう言えば、モーツァルトのイタリア語オペラ(フィガロ、ドン・ジョヴァンニ等)でさえも「重い」(とイタリア人が言っている)と言っていた。抗うことのできない(はずの)大天才も氏にかかれば形無しである。そうしたくらいであるから、氏は、イタリア語はペラペラだったが、ドイツ語は専門外だったようで、バラの騎士の脚本を書いた「ホーフマンスタール」をいっとき「ホーフマンシュタール」と表記していた(その後、訂正していた)。ありがちな誤りである。私自身もドイツで「ホーフマンシュタール」 と発音して先生に直されたことがある。だが、意味は全然違ってくる。「ホーフマンス・タール」は「ホフマンの谷」だが(「タール」は、ネアンデルタール人の「タール」である)、「ホーフマン・シュタール」は「ホフマン鋼」である。

三大テナーその3(高音比較。バカ丸出しな批評家)

2021-02-26 09:57:48 | 音楽
「高音の輝き」比べなら、これはもうパヴァロッティの圧勝。イケメン競争で大きく遅れをとってもここで取り返すどころか一挙にゴールインである。巨人軍への入団テストで、100メートル走で速水にうんと差を付けられた星飛雄馬が、遠投で思いっきり借りを返したごとくである(ごとくとくだとガスレンジの付属品)。なんてったって仇名が「キング・オブ・ハイC」である。ところで、ハイCもいろいろあるが、パヴァロッティの場合は、一番は「冷たい手」(ボエーム)のハイCだろう。そりゃドミンゴだってロドルフォを歌う。だが、ハイCんとこは、一瞬到達してすぐ降りる。熱湯風呂につま先だけちょびっと漬ける感じである。しかし、パヴァロッティは、楽譜の指示より早くハイCに到達し、思いっきり伸ばして、さあ、ここですぐ下山してはいけない。次のB♭、これもそこそこ伸ばさないとスカラ座の天井桟敷の通達(「つうたつ」ではなく「つうたち」)は満足しないという(2年前、スカラ座の天井桟敷に行ったんだよなぁ)。パヴァロッティはもちろんここの伸ばしも十分。クライバーの指揮で、スカラ座でパヴァロッティがロドルフォを歌った公演の映像があるが、歌い終わった後しばらく拍手が鳴りやまなかった。ベルリン・フィルのクラリネットで長年ソロを吹いていたカール・ライスターは、その自伝中、パヴァロッティについてはひとこと「ロドルフォはパヴァロッティだ」(カラヤン&ベルリン・フィルのボエームのCDのロドルフォはパヴァロッティである)。因みに、そのスカラ座の公演で、パヴァロッティへの拍手がようやくおさまって、すぐ後に続いて「私の名はミミ」を歌ったのはコトルバシュ。こちらも大名唱で、拍手がなりやまなかった。さらに、ムゼッタはルチア・ポップ。これはもう奇跡的な舞台である。ところで、クライバーのボエームのスタジオ録音はないが、収録予定はあった。そのロドルフォはまさかのドミンゴ。えー?なんで?クライバーはドミンゴと仲良しだったそうな。そのドミンゴが、用があって収録の初日をすっぽかした。ナイーヴなクライバーは、自分が否定された気になって、それで全部をキャンセル。クライバーらしい。さて、他の曲も比較しよう。「浄きアイーダ」の最後は「シ」。パヴァロッティにとっては、「シ」なんてへのかっぱである。ところがスカラ座での映像を見ると、伸ばしているうちに声が聞こえなくなる。へばったように聞こえる。しかし、これは楽譜通りディミニュエンドをした結果であった。シを伸ばしてディミニュエンドするなんて芸当は誰もやったことがないからパヴァロッティがへばったように聞こえてしまうのも皮肉である(同様に、ツェルビネッタのアリアの後半、楽譜では3点Dsにトリルが付いているが以前はみんな無視。それを当然のごとくやってのけたのがグルベローヴァである)。さあ、そのラダメスの「シ」をドミンゴはどう歌ったか。メトの映像ではやはり熱湯風呂につま先だけ漬けただけですぐあがる。その後、なんと、オクターブ下げて、シ、シ、シ、シーと歌っていた。いかにも、最初から楽譜がこうなっていると言わんばかりである。ことほどさように高音対決はパヴァロッティの圧勝。だが、パヴァロッティが日本でブレイクしたのは80年代に入ってから。上記のカラヤンのボエームが収録されたのが1970年代初頭だからもうとっくに欧米ではビッグネームになっていたが、日本ではなかなか認められなかった。1970年代のメトの引越公演にパヴァロッティが同行してロドルフォを歌っているが、さほど評判にならなかった。だから、パヴァロッティも、自分は日本では受け入れられてないと思っていたそうだ(だったら80年代に入ってからの扱いの違いにたまげたろう)。これは、当時の音楽の批評をしていた人たちが頭で音楽を聴く人ばかりで、声の魅力、音の魅力にうとかったからではないか。なんてったって、パヴァロッティについて「イタリアバカ丸出し」と書いた批評家もいたくらいである。お前の方がバカ丸出しだと言いたいくらいである。

三大テナー番外編(3大テナーは1ミリも出てきません)

2021-02-25 18:31:52 | 音楽
今朝の「三大テナーその2」のスピンオフである。だから三大テナーは1ミリも出てこない。その2に書いた「女はドミンゴよ」の社長さんの話の続きである。その社長さんは、私の親世代だから、今よりもっとガチガチの男社会で戦ってこられたパイオニアである。仰ることがときどき田嶋陽子さんみたいだった。思うに、差別を無くそうと思ったとき、真ん中あたりを狙ってもなかなか社会は動かない。逆差別をめざしてようやっと真ん中あたりになるのかも。と言うのも、今、ドイツの政界には女性がたくさんいる。メルケルさんに限らず、EUのフォン・ライエンさんもそうだし(「フォン」が付いてるのは昔の貴族である)、いろんな政党の党首の多くが女性である。だが、そういう状況を作り出すために、女性の割合をこれこれにしようという数値目標を掲げたのだという。この数値目標については、そんなものを設けるのはおかしい、女男関係なく適材低所でやっていけば自然とイーヴンになるという声を聴くが、私もかつてそう思ったが、でも、ドイツの例を見ると、やはり目標設定は有用なのかな、と思う。ものごとが一方にどーんと傾いたあと(These)、今度は反対側にどーんと行って(Antithese)、で、一つ上のステージに上る(Aufheben)、というのがヘーゲルの弁証法でなかったっけ(高校時代に読んだことをうろ覚えで書いている)。因みに、私の母のすき焼きの作り方も弁証法的である。味が薄いと思うとどーんと醤油を入れて、辛くなりすぎると今度は砂糖をどーんと入れる。それでアウフヘーベンってわけである(aufhebenには破棄するの意味もある)。

三大テナーその2(容姿比較)

2021-02-25 10:03:43 | 音楽
三大テナーの容姿ときて思い出すのは35年前の某社長さん(女性)の「女はドミンゴよ」との発言。この発言は、ジェンダー差別に関心が強い現代ではなかなかの問題発言である。まず、「ドミンゴのようなイケメンでない男は女性にはもてない」の意味を内包しているから一部(大多数?)の男性への差別。それだけではない。女性だって、パヴァロッティのハイCにしびれる人がいるだろう。そういう女性の一部(少数なのだろうか、多数なのだろうか?)の存在を無視した発言でもある(私は、当時からこのことを強く思った)。だが、ドミンゴがイケメンなのはたしかである。ガタイもいい。イケメンとBusseig(ドイツ語読みしてね)とでは、(他の条件が同じなら)イケメンがいいというのも抗うことのできない真実なのだろう(中には、Busseigの方が浮気の心配がないからあえてBusseigを選ぶという人もいるらしいが)。じゃあ、パヴァロッティはどうだ?パヴァロッティは……それなりに、である(こういうフジカラーのCMがあった。樹木希林が出てた。あの頃はまだフィルムを現像してたのだなぁ)。そもそもパヴァロッティの容姿を特異なものにしてるのは、あの巨大な体躯と髭であるが、パヴァロッティは、デビュー後、しばらくは、あそこまで大きくなかったし、髭もなかった(カラヤンのヴェルレクの映像にそういうパヴァロッティを見ることができる)。私は、実は、髭がない頃のパヴァロッティのおかげでオペラファンになった者である。中一のときだった。第何次かのNHKイタリア歌劇団の公演をテレビで放送してて(NHKの招聘だから全公演を放送した)、どれも良かったが(スリオティスとコッソットの「ノルマ」とか、コッソットとクラウスの「ラ・ファヴォリータ」とか)、なかでも私を夢中にしたのが「リゴレット」。すぐさまクラスで仲間を募って文化祭にリゴレット(抜粋)をかけたくらいである。そのとき、テレビで見たマントヴァ公爵こそが髭のないパヴァロッティだったのだ。だが、そもそも初めて見るオペラだから他と比較ができない。だから、「パヴァロッティはすごい」ではなく、「リゴレット」がいいオペラだ、という感想であった。だから「パヴァロッティ」の名前は当時覚えず仕舞。困ったのは、レコードを買いに行ったときだ。テレビで見たのと同じ人で聴きたい。だが、名前を覚えてない。だから、レコードジャケットで似た顔を探した結果、これかな?と思ったのは今から思うとニコライ・ゲッダだった。だが、そのレコードは3枚組だったので買えず(予算は2枚組がやっとだった)、唯一の2枚組のショルティ盤を買ったのだが、そこでマントヴァ公爵を歌っていたのは前出のアルフレード・クラウス。そのレコードを横浜のハマ楽器で試聴したとき、やはり名前を忘れこそすれパヴァロッティの声が頭に残っていたのだろう、なに、この弱々しい声、と思ったものだ(その後、クラウスも大好きになった)。さあ、残るはカレーラスである。カレーラスは男前である。だが、他の二人と比べるとガタイがない。三大テナーの公演をテレビが放送した次の日、普段クラシックを聴かない女性の同僚が「真ん中の人(カレーラス)は、他の二人と比べるといまいちだった」と言う。私はカレーラスだって素晴らしく歌っていたと思ったが、なるほどとも思った。カレーラスは切々と歌うのが身上だが、あの山のように大きい二人の間に入っちゃうと、その切々さが逆に悲壮感を醸し出してしまう。構図的には、両腕を左右の人間につかまれて万歳をさせられた宇宙人の写真と似てると思った。そうかと言って、端っこだと、昔、世界中の首脳が一堂に会したときの日本の総理大臣みたいになってしまう。そういう意味では、そもそも「三大テナー」はカレーラスにとってよくない組合せであった。

「すばらしき世界」に流れたカヴァレリア・ルスティカーナ

2021-02-24 09:39:03 | 音楽
昨日見た「すばらしき世界」……どうしても「美しい人生」と言ってしまって、松崎まことの歌を思い出してしまう。違った、この歌を歌ってたのは松崎しげるだった。松崎まことは笑点で長年座布団を運びつつ「赤信号、みんなで渡ればこわくない」と言ってた人だった。違った。それはビートたけしだ。松崎さんは「赤信号、横断歩道を渡りましょう」だった。ん?赤信号で渡ったらだめじゃん。違った、「手をあげて、横断歩道を渡りましょう」だった。あまりに脱線時間が長かったから、もう一度最初から言う。昨日見た「すばらしき世界」のことで、書き残したことがあるのでそれを書こう。くだらない話である。わざわざ翌日になってまで書く話ではないが、私の気が済まない。つまりね、役所広司は3回全裸になった。役所広司が西川美和監督に「身も心も裸にされた」と言ったうち体についてはこれだと思った。しかし、普通なら前張りを着けているはずである。ねっ?くだらないでしょ?裸と言えば、三上正夫(役所広司の役)が小説家志望の若者に背中を流してもらうシーンがある。ワタシ、最後がいつか思い出せないくらい人に背中を流してもらったのは遠い過去のことである。自分ではどうにもタオルが届かない背中の箇所がある。だから、その部分は垢が幾層にも蓄積されているかもしれない(地層か)。それから、シーンの変わり目変わり目で空が映し出された。きれいだな、と思った。この映画の英題は「Under The Open Sky」。空が開けている、そこが娑婆と刑務所の違いだそうだ。だが、最後に映った空は曇っていた。なんだか、この娑婆こそが悪の世界に思える瞬間がたびたびあった。実際、最近の旭川刑務所は独房完備。個室には壁掛けテレビが備え付けられていて、トイレ付きで、暖房もうっすら効いていて、娑婆よりも居心地がいいくらいだそうだ。なるほど、雑居房にはいろいろ弊害があるらしいから独房がいいのだな。因みに、ホリエモンは雑居房に入っていて、同居人の方々から「社長」と呼ばれていたそうだ。で、同居人がやばい相談をするときは「社長は聞かなくていいから」とはずしてくれたそうだ。なかなかの同居人愛である。この映画の原作は、佐木隆三の「身分帳」で、映画の「三上正夫」は原作では「山川一」で、そのモデルが「田村義明」ということだが、いろいろググってったら実は「田村義明」の本名が「三上正夫」で、そのことを事件当時の新聞で確認した西川監督が役名を「三上正夫」にした、って記事が出てきた。後追い記事は見てないので、真偽の程は不明である(プログラムを買えば書いてあったのだろうか)。最後の方で、マスカーニのオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲をアレンジした歌が流れた。心に沁みた。このオペラの世界も、不倫、決闘、殺人と相当にアンダーグラウンドである。その間奏曲があのように甘美。西川美和の描いた娑婆を「すばらしい世界」と呼ぶのが皮肉なら、このオペラに流れる間奏曲も皮肉である。あるいは、いずれも皮肉などではなく「そこに真実がある」ということか。ホントは今朝から三大テナーの話に戻るはずだったが、ちょっと前置きくらいのつもりで映画の話を書き始めたらこうなってしまった。

素晴らしき世界

2021-02-23 20:00:49 | 日記

今日は休日であったか。平日の映画館はがらんがらんだと思って行き、実際、私が選んだ人がいなさそうな席(前の方のはじっこ)は、周りに全然人がいなかったが、終わって上を振り返ってみたら、かなりの人の数であった。そうは思えないほどひっそりとしていたのは、みんながコロナを意識していたのと、あとは映画の内容のせいだろう。すすり泣きの声も聞こえた(バッハのマタイで評論家Uが奨めるメンゲルベルクの演奏もすすり泣きが聞こえるという噂である)。「すばらしき世界」は、そういう映画。救いがあったのかなかったのかの感想は人それぞれだろう。ネタバレにならない程度に、私らしい感想を言うと、役所広司演じる主人公の名字は、本日結婚25周年をお迎えになられ、おいしいワインでもと思って売り場をうろついてたら同じことを考えていたご亭主とぱったり会ったという、まさに「素晴らしき世界」を生きてこられたMご夫妻と同じである。そして、「25周年」と言えば、今年の某月某日をもってワタクシが迎える離婚記念日がまさに25周年である。そうか、私が別れた年にM美女美男は夫婦になったのか。その役所広司演じるMがかんしゃくを起こしてスマホを投げつけるシーンがあるが、その後も使っているのだから壊れなかったと見える。手加減をして投げたか。カップ麺もぶん投げたが、後で、飛び散った汁を拭くときとてもみじめな気持ちになったはずである。とにかく、役所広司が圧巻の演技であった。女性とのからみも濡れ場もあるにはあったが、決定的ではない。好きな彼女ができて、最後、その彼女とブチューとやって、周りがヒューヒュー言ってめでたしめでたしとなることの多いハリウッド映画とは次元の違う内容であった。その内容をそのまま引きずったような、見終わった後のワタクシの夕食風景。亀有の某ピッツェリアである。最近、「お一人様詐欺」(一人でいるように見せかけて実は二人で来ている)が横行しているが、私の眼下に遮るものはなにもない。横長画面にしても同じである。

なに?誰も1ミリも疑ってない?それはそれで腹膨る思い。よし、じゃあ、今度の募集は「お一人様詐欺の共犯」だ!大丈夫、顔は写さない。けど、ヴァイオリンの弓の切れた毛が風にたなびくように、髪の毛の数本を風にたなびかせてそれを写真に写しこむのが条件である。ワインおごるよー、どお?

三大テナーその1(序論で脱線しっぱなしで三大テナーの話はほとんどない)

2021-02-23 07:14:04 | 音楽
先週のアサイチで、「三大テナー」のドキュメント映画を紹介していた。なによりカレーラスが枯れてて(カレーラスだけに。歳をとると前頭葉がゆるくなり、こういうどうしようもないことを言わずにはおれらなくなるそうだ)びっくりした。すっかりおじいちゃんだ。How time flys! パヴァロッティはとうに鬼籍に入っているし、パヴァロッティと同郷で同い年の名ソプラノ・ミレッラ・フレーニも昨年亡くなった(パヴァロッティとフレーニは幼なじみで、SEX以外のすべてを一緒にやったと聞いた。SEX以外ってことは、ABC(古い言い方)のAもBもやったの?と依然煩悩から抜けられない私である)。昨夜、思い立って、ぱぱっとE-Taxで確定申告を済ませたのだが、控除項目の入力の最中、あれ?去年国民年金っていくら払ったんだろうって疑問になってよく考えたらもう払込みは終わってる年代であった。コロナ禍で結婚式を延期したカップルの話をテレビで紹介していたときも、すっかりそのカップルと一緒の気分になってボクも結婚式どうしようかななどと考えていたら「父親の生年が東京タワーと同じ」と聞いて、ありゃ私ゃ親と一緒かよ?と愕然とした。人間の子供がいないもんだからいつまでたっても自分が子供の意識なのである。さて、その映画の話。裏話満載だという。パヴァロッティはドミンゴを寄せ付けなかったという。へー!そーだろー、そーだろー、何もかも真反対の二人だもんな(スター・テナーという点を除いて)。絶対観に行こう。だが、映画と言えば「素晴らしき世界」を先に見たい。これもアサイチで紹介してて、役所広司が刑務所上がりの役をやっていた。役所広司が手を90度振り上げて歩く「刑務所歩き」を以前にも見たなぁ。今村昌平監督が二度目のカンヌを取った「うなぎ」だ。思うのだが、刑務所は罪を犯した人が娑婆で普通の生活を送れるよう更生する所でもあるという。なのに、あんな歩き方が身についちゃったら普通に娑婆で暮らせないじゃん、と思う。そんなわけで「三大テナー」を観に行くのは先になるが、とりあえず当ブログでいろんな面で比較して掘り下げよう。まず容姿……え?もうこんなに書いちゃった?今日は、容姿の比較くらい書こうと思ったのに、序論でお腹がいっぱになった。匂いだけでご飯を何杯もいける口である。ということで、本編は次回以降に。

関西の椿姫は「けったいやな」と歌う

2021-02-22 09:18:30 | 音楽
おちょやんが芝居で毒を飲んで「けったいやな、ちょっとも苦しいことあらへんわ」と言った。私、「椿姫」でヴィオレッタが「e strano」(不思議だわ)と言うシーンを思い出した。うん、「e strano」の訳は、関西で上演するときは「けったいやな」で決まり!早速歌ってみる。(移動度で)♪けったいやな(ミッレレドド)、けったいやな(ソッファファミミ)……この後、アリア「そはかの人か~花から花へ」へ入っていく。「そはかの人か」が終わると「花から花へ」へのつなぎの部分。「Follie! follie 」(馬鹿な、馬鹿な)。ここは「あほちゃうか」がよいでしょう(そのとき「あほちゃいまんねん、ぱーでんねん」と返してはいけない。オペラが壊れる)。♪あほちゃうか(ソソソーミ)、あほちゃうか(ドドドーソ)。そして、「Abbandonata in questo Popoloso deserto,Che appellano Parigi」(パリと呼ばれるこの砂漠に捨てられ)。ここをワタクシは、「Abbandonata」を「Abbandonato」に代え(一応男なので)、「Parigi」を「Tokyo」に置き換えて、孤独な我が身を思って泣くのである(コロナ禍ではなおさら。そう言えば「東京砂漠」って歌があった。前川清が歌ってた)。そして装飾音ばりばりの「花から花へ」!これをグルベローヴァで生で初めて聴いたとき、私は開いた口が塞がらなかった。異次元の世界に連れて行かれた感じだった。そうだ、誰か歌いまくる会のソロ・コーナーでこれ歌わない?盛り上がるよー!「おちょやん」に戻る。その後、舞台上で相手役の男がおちょやんにブチュー。その際、思い出したのは映画「ニュー・シネマ・パラダイス」(Nuovo Cinema Paradiso)。アモーレの国イタリアでさえ、映画のキスシーンがカットされたのである(エンディングは、カットされたキスシーンのオンパレード。音楽とあいまって萌える映画でありました)。同調圧力の日本で、しかも戦前とくれば、公然でキスをするなんざ、現代、道ばたで営むのに等しい公然わいせつ行為であったろう。客席に官憲もいた。明日の取調べのシーンは必至である。因みに、「道ばたで営む」と言ってもテキ屋ではない。寅さんであるまいし。って書いたら、寅さんの口上が聞きたくなった。「いきなねーちゃんたちしょーべん」で終わるやつ。

ワクチンと金粉

2021-02-21 20:33:49 | 日記

ステイホームもいろいろ。家族があれば家族と話す(又は喧嘩をする)。家族がなくても仕事があればリモートで同僚と話す。では、家族も仕事もなければ?家に居てひとっことも話さない……精神衛生上いいわけはない。コロナ禍で高齢者はコロナかボケるかの二択だというが、若年層はコロナか鬱かである。日本は諸外国に比べれば規制が緩やかとかいうが、そこは同調圧力がかかる国民性、お上が敷いた規制が緩やかでも国民自ら厳しくして相互に監視するから息苦しさは相当なものだ。こうなったら頼みの綱はワクチン。怖くて打ちたくない人がいるんだったら私がいくらでも代わりに打ってもらうから。痛くないっていうし。そう言えば、なぜ日本は先進国の中で一人ワクチン接種が遅れているのか、もはや先進国ではないのか、という問題提起をした。それに対する答えの一つがワクチン会社のありようだと首相の記者会見の際同席した尾身先生が言っていた。その意味がちょっと分かった気がした。私が小学生の頃、学校で普通に予防接種を受けていた。BCGの注射は痛くて、しかもぶっくり盛り上がった後が残ったが、途中からスタンプ式になり、打った後は赤い点々が残ったが直になくなった。ところが、今では学校で予防接種はしないんだそうだ。ワクチンの副反応による訴訟が相次いだからだそう。なるほどー、そう言えば、憲法の教科書に、予防接種の副反応で亡くなった方の遺族が、土地を収用された場合と同じように補償を請求することができるかが論点だと書いてあった。国民全体の健康のために自分の健康を犠牲にしたことを、公のために土地という財産権を犠牲にした場合と同視できるかという議論である。裁判結果はいろいろだったらしい。だが、そのとき明確なルール作りを国がしなかったから(だからこそ裁判が起こされた)、製薬会社が尻込みしてワクチンから撤退したらしい。ってことは、悪いのは国(=国会)である。とか思いながら、国会中継を見てたら、おっ、大臣が、「ワクチンの副作用で亡くなったらいくら払う」と明確に言っている。これは多いに評価できる(マスコミはほとんど報じてないが。多分、その意義も分かってないのだろう)。製薬会社がワクチンから撤退した理由はそんなところだとして、国民の多くがワクチンを打ちたがらない理由の一つに、「ワケの分からない物を自分の体に入れる」怖さがあるという。私は、ワクチンを体に入れるのは全く怖くないが、こないだ飲んだ生貯蔵酒が金粉入りで、それを体内に取り入れることには若干の躊躇があった。でも、みんな飲んでるんだから大丈夫だろうと思って飲んだ。冒頭の話に戻るが、私の仕事はほとんど一人でパソコンの前にいる仕事なので、仕事がないのも一緒である(仕事があっても収入にならないという点でも仕事がないのと一緒である)。ただ、家族については猫がいるので、この点は完全な独居男子とは違うと思う。会話はないが、スキンシップはしょっちゅうとってるし……

モーツァルトの三馬鹿トリオが登場するときの音楽がめちゃいい件

2021-02-21 09:58:36 | 音楽
モーツァルトの三馬鹿トリオと言えば、「フィガロの結婚」のバルトロ、マルツェリーネ、バジリオの三人と、「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・アンナ、ドン・オッターヴィオ、ドンナ・エルヴィーラの三人(「言えば」と書いたが、言ってるのは私だけ。ググっても私のブログしか出てこないから念のため)。面白いのは、この三馬鹿トリオが揃って登場する場面の音楽が滅法元気がいいこと。まさに、関ヶ原の薩摩軍である。しかも、「ドン・ジョヴァンニ」の場合はハ長調!♪ド、ドッド、ド、ドって具合にドードーと始まる。「フィガロ」の場合はハ長調ではないけれど、超明るい変ホ長調で(移動ド)♪ドー、ドド|ドッドドドッドド……と威勢がいい。いずれの三馬鹿トリオも主人公サイドからすれば仇役である。だが、ドン・ジョヴァンニの場合は、そもそも主人公が仇役だから三馬鹿トリオが正義の味方っぽいが、善人ぶってるだけって感じもする。例えば、父をドン・ジョヴァンニに殺されたドンナ・アンナのフィアンセのドン・オッターヴィオ。「君のことが心配だから一刻も早く結婚しよう」なんて騎士面をさげてるが、そのさげた面には「早く君とやりたいから結婚しよう」と書いてあったに違いない(だから、ドンナ・アンナは1年待ってくれと言ったのかも)。そして、フィガロの三馬鹿トリオ。こちらはまさに馬鹿である。マルツェリーネは、自分の子供くらい年下のフィガロと結婚しようと策を練っている。バルトロは、昔、恋路をフィガロにじゃまされたから、元カノのマルツェリーネと組んで仕返しをしようとしている。そして音楽教師のバジリオはへらへらしている(歌もヘラヘラである。私、バジリオを歌ってヘラヘラ具合が上手だと絶賛されたことがある)。因みに、マルツェリーネとフィガロは親子ほど歳が離れているが、それもそのはず、この二人は実の親子であった。父はバルトロである。もし、マルツェリーネの訴え(フィガロが金を返さないときは結婚するという約束の履行を求めた)が認められて、二人が結婚したら、倫理的にも、DNA的にも相当な禍根を残すところであった。しかし、年齢差だけだったら、いまどき(って今の話ではないが)全然珍しい話ではない。大いに推奨したいところである。因みに、少なくとも現在の日本では、婚姻は完全に当事者の意思のみによってなされるから、借金を返せないからといって結婚を強いられることはない。その日本には、正真正銘、テレビで活躍した「三馬鹿トリオ」がいた。三遊亭小金馬、一龍齋貞鳳、江戸家猫八のトリオだった。「お笑い三人組」って番組で、エンディングの三人の立ち位置は、左から上記の順だったと思う。一龍齋貞鳳が真ん中で正面を向いていて、他の二人が貞鳳さんを挟んで向かい合っていた記憶がある。へー、私が生まれる前から放送してて、放送終了は私が7歳のときか。

大坂なおみさん、汝はいかにも美しい!

2021-02-20 22:50:09 | 日記
大坂なおみが全豪優勝。プレー中も、優勝後の表彰式も私はテレビに釘付け。大坂なおみさん、汝はいかにも美しい……ゲーテのファウストにかけた。原文は「Du bist so schön.」。「汝」とか「いかにも」って訳す必要があるのだろうか。「おめぇ、超きれい!」と訳したって合っている。とにかく、大坂なおみは強くて美しい。私、もうメロメロ。だが、舞台のメルボルンはコロナでロックダウン中なのだと。それでも大会を敢行して、やれて良かったと言っている。日本では大多数の人が五輪をやる気が失せているが、全豪とか見ると、がんばって、やって、良かったねって言うのも良い気がする。ところで、美しいなおみ選手の名字は「大坂」だが、日本の都市の「おおさか」は「大阪」。でも、昔は「大坂」だったそうだ。たしか「蝶々夫人」に出てきた……っけ?「オ、オ、サ、カ」って。いや、あれは「ナ、ガ、サ、キ」であった(「オオサカ」が出てくるのはは、マスカーニの「イリス」であった)。だが、♪チャ、チャ、チャ、チャだから日本の四文字の都市名ならどれも当てはまりそう。♪ヨ、コ、ハ、マとか。因みに、「オオサカ」はなおみ選手のように名字になる。名古屋もなる(名古屋章さんとか)。福岡さんや佐賀さんもいる。千葉さんもいる。だが、「東京」はないなぁ。いや、あった!東京ぼんた!でもそのくらいか。「東京」は固有名詞というより「東」の「京」ということで、普通名詞の色合いが強いから。だから、「東」と「京」をばらせばたくさんある。「東幹久」「東八郎」「東貴博」「京マチ子」「京唄子」等々。そう言えば、「男はつらいよ」に都はるみがマドンナで出たとき、本業と同じ歌手の役だったのが、その芸名が「京はるみ」だった。

モーツァルトのハ長調は関ヶ原の薩摩軍

2021-02-20 09:00:03 | 音楽
いわゆる音楽通は口を揃えてモーツァルトは短調がいい、明るい中にちらっと光る悲しみがいい、と言う。そう言わねば音楽「通」ではない、と言わんばかりである。しかし、そう言う人達は自分が普段十分満ち足りてるから(リア充)、悲しみを見たいのである。私のような不幸な人間は一筋の灯りを見たい、だから、モーツァルトは断然ハ長調に限る、と思っている。モーツァルトのハ長調はいい!「ド」のオンパレード、ドードー正面突破の趣である。あたかも、関ヶ原で東軍の正面を突破してまんまと逃げおおせた薩摩軍のごとしである。だから、交響曲もよくぞ40番(ト短調)で終わらせずに41番(ハ長調。ジュピター)を書いてくれたと思う(交響曲は、底抜けに明るい変ホ長調の39番も大好き)。そして、オーボエ協奏曲!でだし、♪ドッドー、シドシドファッファー……いい♥ まさに正面突破、薩摩軍である。そして、私が「鳥のさえずり」と勝手に読んでる部分がくる(そう言い出したらもう鳥にしか聞こえなくなった)。♪ティー、ラリー、ラリ……ここ、オーボエのソリストって絶対狙ってるよね。特に二声目(短いラリ)。「ラリー」だったり「ラーリ」だったり、みんないろんな小細工をしてて面白い。なかには、ベーム&ウィーン・フィルのトレチェクみたいに普通に「ラリ」とやる人もいて、これはこれで新鮮である(ベームの影響?と思っちゃう)。そうそう、この曲はフルート用にもなっていて、幼なじみのフルーティスト(小中一緒)がまだ音大生だった頃、この部分は自然にやる方がいいと言っていた。いろんなこと(昔のこと)を覚えてる私。あの話だって覚えてるから。「あたしがあんたを男にしてあげる」と言った元祖美女(今でも十分お美しい)こそその彼女である。その約束はまだ果たされていない。私が実現を願っている期間の長さ第一位はこれである。もう半世紀である。第二位は持ち株の価格の上昇。20年ぐらいだろうか。半世紀越しの約束が守られて、晴れて童貞を卒業したら(童貞反応はときどき陰性に戻る)、そのときこそ私は「幸せな人」になって、短調のモーツァルトを愛するようになるはずである。

あとがき。予定では、オーボエ協奏曲の話の次は、コンヴィチュニーの話になるはずだったが、得たいの知れないモノが私を突き動かして「半世紀越しの果たされぬ約束」の話になった。毎回、書いてる自分ですらどう話が展開するか読めない。まさに気の向くまま筆のゆくままである。

ヨーロッパに侵攻した遊牧民の足が長かろうと短かろうと余計なお世話と思った件

2021-02-19 19:28:41 | 音楽
今朝、キスがどうのこうのという何の役にも立たない投稿をしたついでにトルコ軍に包囲されたウィーンの町中にトルコの鉦太鼓が響いて、モーツァルトのトルコ行進曲もその影響を受けたんでは、って書いたじゃないですか。書いてみるものですなー。リンク先のFBにありがたいコメントを二ついただいた。一つは、モーツァルトの時代に、トルコの鉦太鼓の感じを出すために打楽器付きピアノ(トルコ行進曲用ピアノ)というのが作られたという情報のご提供。すると、私が脳内で再生していた音が現実に鳴っていたということか。もう一つは、向田邦子のドラマ「阿修羅のごとく」のテーマ曲がトルコの軍楽隊の曲である、トルコ軍に攻め込まれたヨーロッパの人々はどんなに怖かったことだろうか、というコメント。早速テーマ曲をYoutubeで聞いてみた。ホントだ、トルコの軍楽隊の曲だ。怖い曲のはずなのだが、♪チャーーァ、チャチャチャッチャ、チャーーァ、チャチャチャッチャ、の次が「おさーるさあんだよー」に聞こえる。ヨーロッパの人々はどんなに怖かったことだろうか、というご意見にはまったく賛成である。ヨーロッパは、大昔から東方の遊牧民の侵攻を受けてきた。都市が城壁で囲まれたのはそのせいである。敵がせめてくるたんびに城壁内に立て籠もる。外からは鉦太鼓の音がひっきりなしに聞こえる。さぞや心細かったろう。「ロードオブリング」の三部作もそうだが、そうした中世ヨーロッパの城の攻防戦がときどき映画に出てくる。外の敵は投石機を使ったりして城壁を破壊しようとする。こんな風な戦いだったんだなー。いや、城壁の中に立て籠もると言えば進撃の巨人もそうである。私は実は高校時代、世界史が大好きで、そのあたりのこと(異民族の侵入が原因で、ヨーロッパの都市は城壁に囲まれるようになり、そのために都市国家は分断されることになった云々)をよく本で読んでいた。そして大学受験のときを迎える。W大の問題は意表をついて中南米の歴史。しかもちまちまとした問題だった。あんなに世界史を勉強したのにほとんど役に立たず。それでも合格した。それと正反対だったのが某大の問題。問題文は一行だけ、「近代ヨーロッパの経済史を書け」というもの。論述式だった。この手の問題に対しては、受験的に必須ポイントというものがあって、いかにそれを漏らさず書くかで勝負が決まる……はずなのだが、私は、大好きな分野について「好きに書け」と言われて(だから好きに書いてはいけないのだが)、アドレナリンが出まくって、ホントに好きに書きまくった。つまり、上記の内容(異民族のせいで城壁ができて都市国家が分断した)から始めて、遊牧民の侵攻のおそれがなくなって城壁をとっぱらってヨーロッパの拡大が始まったって話を延々と書いた。受験的なポイントなんて一つも書かなかった。で、なんとその大学を合格したのである。私はW大の方が向いてると思ったので(お坊ちゃまってガラではない)、某大は辞退してW大に行ったのだが、でも、あんな風にに重箱の隅をつつくようなちまちました問題を出すW大より、あの答案(というよりひとりよがりの論文)に合格点をつけた某大の方がいいのではないか、とほんの少し気持ちがゆらいだ。あっちに行ってたらどうなったろう。因みに、私が入社した会社のW大の同期は私を含めてほとんど退社している模様。それに対し某大の方はみんな残ってて偉くなってて、今の社長(Sくん)も某大出身である。話を「異民族のヨーロッパ侵攻」に戻す。フライブルクのドイツ語学校の授業で、先生が古いイラスト画を出して生徒に見せた。大昔のドイツ人と侵攻してきた遊牧民の絵である。生徒の誰かが先生に、その遊牧民の足は長かったのか短かったのかと聞いた。先生は短かったと答えた。私はバカにされた感じがしてちょっと不満だった。

トルコ行進曲

2021-02-19 09:08:15 | 音楽
包括的同意は私が不特定多数の女性に与えたものであるから、私へのキスは自由であるが、私がキスをしようと思ったら、個別の同意をとりつけなければならない。「Darf ich?」と聞きますから「Ja」か「Nein」で答えてちょうだい。「Jain」(こういうのも実際ある)だと判断に困るのでそれはなしで。それより「Darf ich?」と聞いて「Was?」(なに?)と返ってきたらばつが悪い。その場合は「Singen」とか言って歌ってごまかそう。同様に「Poss?」に「Come?」が返ってきたり、「May I?」に「What?」が返ってきても恥ずかしい……私の外国語の在庫はこれで空。そう言えば、中国語や韓国語をまるで知らない。隣国なのに。これまでの人生でその文化にあまり触れなかったからなぁ。韓流ドラマにはまった人は韓国語を勉強したいと思うそうだ。あっ、一つ中国語を知ってる。こないだ語源が同じでも国によって意味が違うって話をしたじゃん。「愛人」がそうですよ。日本ではこまわりくんが扮した「パパ」がらみの意味だが、中国では真に愛する人=配偶者のことだそうだ(「真に愛する人」=配偶者の公式の真偽についてはここでは立ち入らない)。中国の文化と言えば、中学んとき、テレビで京劇を見たときの驚きが今でも忘れられない。中国風美女がアグネス・チャンをもっと艶っぽくした声で、ポルタメントたっぷりに♪ミーレミソレミソーと歌っていた。そう言えば、アジアの音楽は、鐘太鼓のイメージである。ウィーンの街はトルコ軍に包囲されたことがあり、その鉦太鼓の音が市内でもよく聞こえたのだろう。モーツァルトの時代は少し後だがその影響が残っている。オペラ「後宮からの誘拐」がシャンシャン言ってるのもその現れであろう。だから、ピアノ・ソナタのトルコ行進曲も、♪右手でラシ♯ド、ラシ♯ドシラ♯ソ……って弾くとき左手は、タララタタタタって弾いてるじゃない。あのタララタもホントはトルコの鉦太鼓のイメージなのかもしれない。そのように脳内で再生。オリジナルに鉦太鼓を重ねてみる。なかなか面白い!

あとがき:今回は、モーツァルトのハ長調のことを書くつもりだったが、昨日の余韻が残っていて、ぶちゅー(部長ではない)の話で盛り上がってしまった。でも、モーツァルトにたどりついたのは上首尾である。書きたかった話は次回以降で。追記。アサイチで三大テナーの映画の話をしてた。湧き上がるネタ!