拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

さらば、江戸川(ヨハネ受難曲の本番でした)

2023-04-29 20:37:41 | 音楽

昨夜からの時系列。本番前には肉を食え。と言うから、豚肉を叩いてシュニッツェルにした。

で、本番の今朝。白井の会場に向かう途中、小さな花の群生が目にとまる。万太郎にあやかるマータローとしては見逃せない。

で、いよいよ本番。麹味噌合唱団(仮名)で、曲はバッハのヨハネ受難曲(これはホント)、私は合唱のアルトで参加(これもホント)。思えば、季節合唱団であるこの団が今回の募集を始めたとき、私は、体調不良を錦の御旗に掲げていたから参加意欲は減退気味であった。だが、第1回の練習後のフェイスブックのお友達たちの「楽しかった」のコメントを見て、もともと錦の御旗はインチキぽかったから、歌いたくてたまらなくなり参加。ところが、今回、結構、メンバーが入れ替わっていて、カウンターテナーに対する化け物を見るような視線を久々に感じた。日本もまだまだである。

私は本番ではアルトのテナー寄りの端っこに居を構えるのが常であるが、1年前の本番のとき、右のアルトはプロ。左のテナーは助っ人のプロ。今回、人は入れ替わっているが、やはり右のアルトはプロ(本来はソプラノ歌手)、左のテナーは助っ人のプロもどき(強烈な声の持ち主)。いやいや毎年ながら、わくわくする席順でございまする。

ヨハネはマタイと違って、怒濤の進行。緊張感のある合唱が次から次へと続いたと思ったらもうWohin(後半のバスのアリアで、合唱がときどき「Wohin?」(どこへ?)と入る)。そのWohinで、ヴァイオリンと低弦(チェロ+コントラバス)の掛け合いに聴き惚れ、かつ、へー、ここでヴァイオリンはこんな動きをしてるんだ、と感心してたらあやうく合唱の出番に入り損ねるところだった。とにかく、今回、ソリストとオケの面々(プロのみなさん)が超すばらしかった。

そして帰路。会場から白井駅までを、普通人が通らない脇道を進んでいったら池にでくわした。

私は池好きである。さて、きっと、お友達は早々に電車に乗ったんだろう、あるいはどこぞのお店で打上げをやってるんだろう、しかし、私は日のあるうちに江戸川を渡らなければならない。写真に撮るためである。

私は、毎回、麹味噌合唱団はこれで最後との覚悟をもって挑んでいる。もし、今回で最後となったらこの江戸川の風景も二度と見られないかもしれない。だから、最後になるかもしれない江戸川の写真にこだわったのである。

とか言って、数日後に江戸川を超えた先での飲み会が決定しているので、あと一度は江戸川を渡ることは確か。とにかく、今日は、公の打上はなかったので、綾瀬でお一人様。綾瀬でのお一人様こそ、今日が最後かも知れない……とか思って駅前の中華に入ったら、テレビがついていて、最強の動物は何か?って話をしている。おお!普段、飲食店のテレビなんぞ邪魔以外の何者でもないと思っているのだが、これだけは見入ってしまった。すると、近くのテーブルの家族連れの中の就学前と思しき女子が私の脇に来て一緒にテレビを見ている(その家族の席からはテレビが見られない)。ね!面白いよね!第1位は当然シャチだと思いながらもお皿も紹興酒の瓶も空になり、反面胃袋は満タンになったので、結果を知らぬまま店を出る。当然シャチですよ、じゃなきゃおかしい。

 


バックハウス

2023-04-29 05:55:13 | 音楽

今週の朝ドラの最初の方で、綾(主人公の姉)が好きな男を目にとめるシーンで一瞬流れたのが例によって無伴奏のチェロ。その直後、その男に寄り添う女が現れたとき流れたもの悲しいメロディーはクラリネットでありました。とか書いといて、今日はピアノネタでござんす。

初めてピアノのプロの生演奏を聴いたのは、中学生のとき、神奈川県立音楽堂での安川加壽子だった。県立音楽堂が月に一回開催していた無料コンサートだった。休憩時間に事務所で次の回のチケットをもらえたので、しばらく通っていた。霧生トシ子のピアノや久保陽子のヴァイオリンを聞いたのもここだった。

初めて買ったピアノのレコードは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の第2番と第4番のカップリングだった。このときは、第5番「皇帝」よりも第4番が好きだった。ピアニストはケンプだった。暖かいピアノだった。ケンプがバッハのカンタータをピアノ用に編曲して弾いていたことは最近になって、某会でN中先生が弾いて聴かせてくれて知った。

初めて買ったベートーヴェンの「皇帝」のレコードは、クライバーンの演奏だった。街のレコード店にこの演奏しかなかったので選択の余地はなかった。アメリカ人でありながらソ連のチャイコフスキー・コンクールに乗り込んでいって優勝し、帰国後、オープンカーで凱旋パレードをした等々は、ライナーノートを読んで知った。第1楽章の展開部で、「ジャンジャジャーン」をピアノとオケが張り合うところとか大層華やかな(派手な)演奏だった。こういうのがアメリカ人の演奏?と思った。その後、その名はしばらく聞かなかった。久々に聞いたのは、辻井伸行さんがクライバーンの名を冠したコンクールで優勝したときだった。

初めて買い揃えたベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は、バックハウスのモノーラル録音の方。当時、レコードは1枚2000円(その後、200円ずつ値上がっていった。インフレの時代だったから。今再びインフレである。日銀の前総裁は、おやめになるときようやく「もはやデフレではない」と認めた)。だが、古い録音は廉価版と言って1000円で売っていた。バックハウスのベートーヴェンのソナタは、ステレオの新録音が2000円で、モノーラルの旧録音が1000円だった。高校生の私は、月の小遣いが1000円。それをそのままバックハウスの旧盤の購入に充てたのである。全32曲で何枚だったかは忘れたが、全曲揃ったとき私は既に大学生だった。最後に買ったのは第27番が入ってるやつだった。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタで一番好きなのは第29番「ハンマークラヴィーア」。当然バックハウスで聞いていたのだが(この曲だけは、バックハウスは再録音しなかったので、新全集のそれは、旧録音を機械的にステレオにしたもの(擬似ステレオ)である)、私が大学生のときポリーニのレコードが出て評判になった。聴いたらやたらに速くてスポーツカーのよう。なじめなかったが、聴いてるうちにだんだん良くなってきて、いつの間にかポリーニ・ファンになっていた。ポリーニがこの曲を弾くのをサントリーホールで聴いたこともある。舞台に現れピアノの前に座るやいなや弾き始めた(舞台に登場して拍手が鳴り終わる前にタクトを振り下ろしたクライバーのよう。因みにクライバーとポリーニは友人同士である)。私の席は、舞台に向かって左側のステージの真横。ポリーニの背中越しに、ピカピカのピアノにポリーニの手が映ってて特等席だった。そんなこんなで、しばらくバックハウスのことを忘れていたのだが、数年前にホントに久々に聴いて、その悠然かつ堂々とした演奏に打ちのめされた。特に、第1楽章の展開部から再現部に入っていくところは他の追随を許さないと思った。

そのバックハウスは、池田理代子の「オルフェウスの窓」の最後の方に、没落するイザーク(主人公の1人)と入れ違いに神童として登場する。「オルフェウスの窓」は妹が持っていた単行本を読んだ。妹は第6巻までしか持ってなかったが、話はまだまだ続くということで、その先が気がかりだった。全冊大人買いして読んだのは大人になってからである(だから「大人買い」と言ったのである)。

因みに、Wikipediaの「オルフェウスの窓」のページには、作中の実在の人物欄があるが、そこに「バックハウス」の名は記されていない。編者にとって情報価値が低かったのだろうか。


ひまわり(最後は発声の話)

2023-04-28 09:25:11 | 音楽

認知症予防のためにこのブログとは別に日記をつけている。三食の内容がほとんど。「思い出すこと」が大事だというので、翌日以後に書く。例によって食材名が出てこない(この程度なら認知症ではないそうだ)。ほら、切って干した大根、何だっけ。思い出した!切り干し大根だ!そのままではないか!因みに、袋には「千切大根」と書いてあるが、これは商品名で、裏ラベルの食品名は「切干大根」。それを言うなら、私が愛用している「どろソース」も商品名。

裏ラベルには「濃厚ソース」と書いてある。なんでも、ソースの起源はウスターソースで、その名は薄いからではなくイギリスのウスターという街の主婦が偶然発明したからなのだが、偶然名前と一致して薄かったのでお弁当箱の穴からこぼれてしまった。濃ければこぼれないだろうということで作られたのが濃厚ソース。その間が欲しいという関東人の需要によってできたのが中濃ソースということである(以上、チコちゃん情報。なお、関西の人は中濃ソースを知らないそうだ)。で、さっきの話に戻ると、「とんかつソース」「どろソース」は商品名で、食品名は「濃厚ソース」ということである。ソースこそは、本当に各地にいろんな種類があって、いっときコレクションにしようと買い集め始めたことがあるのだが、私、ソースはほとんど使わないから完全な「輸入超過」。貯まりすぎて困りそうだったからコレクションを止めた次第である(貯まってほしいお金は貯まらず、積み上がるのはガラクタのみ)。

さて。久しぶりに映画「ひまわり」を録画で観た。前回観たときよりも、幾分かは大人になってるし、イタリア語も少し聞き取れたこともあって、より切なさが身に染みた。以下は、私らしく、メインではない、周辺事の感想である。

作曲担当のヘンリー・マンシーニについて、あれ?イタリア語なら「ヘ」って発音はないはずだが、と思ったらアメリカ人。と思ったらイタリア系。生まれたときの名前はエンリコ・マンチーニだと聞いて納得。

マストロヤンニ演じる男が兵役を逃れるために気が触れたフリをした。日本人は醤油を飲んだそうだ。当時、イタリアにはソイ・ソースはなかったのだろう。

ソフィア・ローレンとマストロヤンニの新婚夫婦が日夜を忘れて部屋にこもっていちゃついてたが、阿部定も犯行前、その情人(殺害相手)と何日も宿屋にこもっていちゃついたそうである。高校のとき、社会の先生が「君たちは阿部定を知ってるか?え?知ってる?そうか、「愛のコリーダ」か」と言っていた。そう、私らの年代の多くは事件を大島渚監督の映画「愛のコリーダ」で知ったものである。なお、俳優の阿部サダヲの名を初めて聞いたときはびっくりした。実際、芸名の由来は阿部定だそうだ(Wiki情報)。

この映画(ひまわり)を最初に見た時、ソフィア・ローレンは趣味じゃないなぁ、と思ったが、今観たら、全然行ける!と思った。そう言えば、私は成人するまでニンニクとオリーブ油を食したことがなかった。成人して最初に食べた頃はお腹が痛くなったものである。だが、今はどちらも私の主食である。

ひまわり畑のシーンはウクライナでロケをしたという。ひまわり達が風でおおいに揺れていた。ウクライナは日頃から風が強く吹くのだろうか。ヴィットリオ・デ・シーカ監督は、このひまわり畑を観て、映画のタイトルを「Girasoli」(ひまわり)に決めたという。「gira」=回る、向く、「soli(e)」=太陽だから、日本語で漢字で書く「向日葵」と意味は同じ。それどころか、「日回り」と書くこともあるそうで(Wiki情報)、そうなると、ますますイタリア語と同じである。その他、ドイツ語では「Sonnenblume」、英語では「sunflower」。いずれも「太陽花」の意味で、「回る」「向く」というニュアンスはなくなっている。因みに「gira」の動詞の「girare」(回す)は、発声の先生がよく使う言葉。高い声を出すコツだそうだ。

追記。読み返したら「こまわり(君)」って文字が目についた。よく見たら「このひまわり」だった。「最後は発声の話」と書いたのに、別のオチがついてしまった。


「空」がかすがい

2023-04-27 09:23:41 | 日記

前回、私のビフォー・アフターの写真を載せ、ビフォーの頃(半世紀前)は脚が速かったと書いた。当時と何が変わったかというと、筋肉もそうだが10キロ以上重くなっている。馬だって、馬体重が重要視され、増えすぎてると「絞れてない」と言われ敬遠される。重いのは走りの敵である。だが、最近はウォーキングのせいで、多少減量したし、筋肉もついたようで、交差点で信号が変わりそうなとき走る身が軽い。

さて。パソコンの写真(画像)ファイルの分類にあたり、大勢力なのは「内食」「外食」「草木」「楽器」等々だが、「空」も負けずに一大勢力である。とにかく、ヴァラエティ豊か。朝焼け、夕焼けのせいで赤いのが多いのだが、

黒いのもあるし、

黄色いのもある。

お化けみたいのもある。

色やカタチが違っても写ってるのが空だけなら「空」にぶちこめばいい。問題は、他のモノが一緒に写ってる場合である。例えば冒頭の写真などは、夕焼け空とスカイツリーと富士山と新中川が写っていて、「空」「スカイツリー」「山」「河」のどれに入れるか迷う。そこで、「景色」という大きなフォルダーをこさえて(大合同)、そこにぶちこんだ。そこに至る道のりはこうである。「山」と「河」は「山河」という言葉があるくらいだからハードルは低く最初に合同した。だが、「山河」と「スカイツリー」の合同は、片や自然で片や建造物。異次元の存在であり合同は当初ありえなかった。だが、ありえない合同が起こるものである。例えば、右派の自民党と左派の社会党が連立して生まれたのが村山富市内閣だし、三井銀行(さくら銀行)と住友銀行が合併して三井住友銀行が生まれたときもびっくりした。わが家の写真ファイル君たちも小異を捨て大同につくことができるか。ここでかすがいとなったのは「空」。山河もスカイツリーもたいてい空が一緒に写っている。この「空」が「かすがい」となって宿敵同士をくっつけることに成功したのである。すなわち、「空」は、長州と薩摩を結びつけた坂本龍馬なのである(ただし、幕末における坂本龍馬の役回りについては、近年研究が進んで、異説が登場しているらしい)。

だが、合同した後に離散があるのも世の常。大合同したわが家の写真ファイルも、そのうち自我を主張して離散するかもしれない。例えば、スカイツリーなどは、やっぱり独自フォルダがいい、と言って抜けるかもしれない。そのときは、東京タワーを道連れにしそうである。

そのスカイツリーは、実はうちのベランダから見える。あるとき、ニュースで「今、建設中。第1展望台までできた」と言うので、もしやと思ってベランダから眺めたら見えた!

てっぺんに見えるクレーンをどうやって乗せたか?って話をこないだチコちゃんでしていたっけ。完成した今は、わざわざスカイツリーを見るためにベランダには出ない。富士山も、当たり前のように見えると感動はないのだろうか。


ビフォー・アフター

2023-04-26 11:36:05 | 

小一んときの国語の教科書の最初のページは「みえる みえる」だった。人が遠くの景色を眺めてる絵だった。次のページは「はるみさん はい」だった。教室ではるみさんと思しき女子が先生にあてられて答えてる絵だった(と思う)。北野武氏は、私よりかなり年上でいらっしゃるが、教科書が同じだったんだろうか。ご自身の自伝のタイトルが「たけしくん はい」だったからそう思量する次第である。

写真の左側は、そのとき(小一んとき)から8年くらい経った頃(脚が速かった頃)。

この頃の写真はフィルム式で現像していた。それをスキャンして加工したものである。右側は現在。その間、写真がデジタル化した。「写真が変わる、現像する必要がなくなる」とニュースが言ってたっけ。20年以上前だっけ。現在の私は、素性を隠しているので素顔を撮らせないが、子供んときの写真から現在を推量できないだろうから(眼鏡をかけてないし)、ま、いいか、で載せたものである。なお、現像は、普通の人は、自分でせずに写真屋さんにしてもらうから、正しくは「現像していた」ではなく「現像させてた」(ドイツ語なら「gensohen lassen haben」)である。

これが、今のウチの猫となると、ウチに来たのは14年前だから、ビフォー(左側)もアフター(右側)もデジタルである。

こうしてみると、2ニャン(姉妹)とも顔が三角で耳がでかい。これに対し、先代猫は丸顔で、耳はそんなに大きくなかった。先代猫は4ニャンだが、チロに代表して登場してもらう。

先代は、母猫+3ニャンだった。もう1ニャンいたらしいが、一番器量よしだったのでウチがもらう前に他所にもらわれたそうである。現猫の2ニャンがもともと何ニャン姉妹だったのかは不明。保護されてヴォランティアさんのところに連れてこられたのが2ニャンだけだったので。

なお、昔の写真がひょいと出てくるのは今パソコン内の写真の整理をしてるから。この話は次回に続く。


母ネタ再び

2023-04-25 09:54:28 | 日記

ここ数日、夕方、北西の空に三日月が見える(写真右下)。

月が北半球にあることがどうもピンとこない。写真左上で輝いているのは、星空アプリによると金星である。

私の下着シャツはユニクロの汗を吸うやつ(名前が出てこない。認知症の危機!?)。7着ある。おっ、1週間分か、すると洗濯は週に1回やればよい……とはならない。例えば、日曜日から土曜日までに着た7着を日曜日の朝洗濯しようとすると、その日に着る分がないから、土曜日に洗濯する。すると、次は、土曜日から木曜日までの6着を金曜日に洗濯する。このように、毎週1日ずつ前倒しになるのである。

で、今週の洗濯日は今日。毎朝のルーティーンに洗濯が加わり、いつもに増してバタバタする朝。だが、こうやってバタバタするのは認知症予防になる(なーんて書いてたら下着の名前を思い出した。「ヒートテック」だ)。そう言えば、こないだあさイチで認知症特集をやっていて、認知症のリスク要因のうち対策可能なモノが40%。その内訳は、難聴8%、知的好奇心のなさが7%、喫煙5%、抑うつ4%……ときて、過剰飲酒は1%。なんだ、過剰飲酒は認知症のもとって言うから青くなったが、わずか1%か、じゃ、いいじゃん。知的好奇心は旺盛だし、喫煙はしない。難聴は今んとこない。

難聴がやばいということは母を見たから分かる。あと、母は知的好奇心が薄かった。テレビで映画を見て感想文を書けとかいろいろ勧めたがやらなかった。料理は大っ嫌いで、施設の食堂で3食済ませていた。施設でやってる「脳トレ」「習字」「歌謡」に行け行けと言うと人間関係がどうとか言ってサボろうとした(まるで私が子供を塾に行かせようとする親で、母がさぼろうとする子供のようだった)。だから、ほとんどすることがない。チコちゃんに「ぼーっとしてるんじゃないよ」と怒られるような生活を送ってたからボケるべくしてボケたというべきか。

母が亡くなって施設関係の手続が全部終わって、施設の人とお別れのご挨拶をしたとき、お名残惜しいとか言うから、「私がボケたらそのときはお世話になります」と言ったのだが、私は国民年金だからとてもじゃないがこんな施設には入れない(施設にもピンキリあるが、大体、庶民的なところだと、厚生年金(遺族年金)でまかなえるような金額である)。ボケないように歌と楽器をがんばろう。

因みに、母が施設にいたとき、「歌謡」の先生(いかにも声楽家って感じの明るいお姉さん)が部屋まで呼びに来てくれて、私が部屋にいると私が応対して「行かせます!」とお返事すると、あなたもいかがですか?と言う。よっぽど「私、カウンターテナーなんです」と言おうかと思ったが言わなかった。もし、あらま!じゃあ是非に!とか言われて、出かけて行って、施設の中で「イージマさんの息子さんオカマみたいよ」と言われたら母が気にしてる人間関係がますます悪くなると思ったから。人間関係の煩わしさはどこにでもあるらしい。母がボケて一つだけ良かったのは、そうした煩わしさから解放された点である。

 


ゲネプロの日も山野を歩くマータロー

2023-04-24 12:44:36 | 音楽

所属している麹味噌合唱団(仮名)のゲネプロの日、会場に早めに着いたマータロー(仮名)は、会場周辺に保護緑地があることに気づく。

山野草好きのマータローは早速散策。

別に朝ドラの万太郎を真似たワケではない。マータローは以前から群生してる小さい花が好きで、見つけると写真に撮っていた。そう言えば、亡くなったマータローの父親の荷物の中にも山野草の本やビデオがたくさんあった(興味のない母親がすべて捨ててしまったが)。血は争えないものである。因みに、料理と山歩きと競馬が好きなのも父譲りである。ところで、山野草は、山野に生える草だから山野草なのか(山野・草)、山に生える野草だから山野草なのか(山・野草)どっちなのだろう?

ゲネプロが終わり、駅までのちょっとした距離を誰にも負けぬ早足で闊歩。マータローは健脚自慢である。当然一番乗りかと思いきや、駅のホームには既に数人のメンバーの姿。車で来たという。まるで、天竺からきんとん雲で帰郷した孫悟空ご一行のごとし。そしてマータローは、明治の世に東京新橋間を汽車と競走して惨敗した車引きのごとしである。

で、例によって、綾瀬でお一人様。さて、今日は、いつも行ってた中華にしようか、それともこの間開拓した中華にしようか、どっちもキクラゲと卵炒めを置いてるし。甲乙つけがたく共倒れ。結局イタリアンにした。

いずにせよ、麹味噌合唱団の帰りのお一人様は、この日を含めて残り2回。だが、認知症予防のためには人と話すことが大事らしい。「こしょく」はよくない、とどっかの先生が言っていた(「こしょく」の漢字は「個食」だろうか?「孤食」だろうか?)。

 


クロウ

2023-04-22 10:40:38 | グルメ

チコちゃんに教えてもらって疑問は一層深まるばかり。例えば、

「アフタヌーンティーの習慣は日本では1990年代のバブル景気時に入ってきた」と言うが、バブル景気は1991年2月に終焉を迎えている。つまり、1990年代のバブル景気は1年と2か月しかなかった。「1990年代のバブル景気」がしっくりこない。

アフタヌーンティーのときボート(競艇)の話をするのは、研究家に言わせると「残念」(マナー違反)なのだそうだ。だったら、競馬の話をする私も「残念」と言われそうである(もともと私にはアフタヌーンティーの文化はない。「今度お茶に行きましょう」を「今度一杯やりましょう」の意味にとるワタクシである)。

アフタヌーンティーのスタンドの段々に置かれた食べ物は下から食べるべき、と言っていたが、これって「昇順」「降順」のどっち?下から登っていく点は昇順だが、一番最後のものが一番上にある点は(パソコンで写真を時系列で並べるときの言い方で言えば)降順である。

野菜を食べるときシャキッと音がするのはなぜ?という問いに対して、テレビに向かって「セルロースがあるから」と答えたら、正解は「細胞壁があるから」だった。私の理解では細胞壁=セルロースだが、チコちゃんでは、えてして、正解と思われても番組が用意した言い方でないと「ぼーっと生きてるんじゃないよ」と怒られる。はたして私は怒られただろうか?

なんかの解説のとき(もはやその解説自体はどうでもいい)、「わしづかみ」という言葉が出てきて、画面には「claw-hand」の文字が映った。え?「クロウ」ってカラスだよな、そうか、カラスのような猛禽が脚でモノをつかむ様子か!カラスが日本は鷲になったのか!「ワッシとつかむ」からではなかったのか!と思ったら、カラスの「クロウ」は「crow」だった。「claw」は「鳥獣のかぎ爪」だった。ま、しかし、「猛禽が脚でモノをつかむ様子」という理解自体は間違っていないようである。因みに、ウルトラQに出てきた怪鳥・ラルゲユウス(シン・ウルトラマンにも出てきた)に少年がつけた名前が「クロウ」だった。私が「クロウ」で最初に思い浮かべるのは「九郎義経」である。

ポイントカードが日本で作られたきっかけの解説のとき、その解説よりも、画面に映ってるのは明らかに猫なのに「クマ」となっていたことが気になった。

チコちゃんの話はこのくらいにして、次は私からの出題である。次の写真に一個だけ他と違うものがある。どこにあるでしょう?

簡単!真ん中の2個のうちの右側である。餃子作りの際、皮が足りなくなった(具が余った)とき、これまでは、ハンバーグにして焼いたり、ピーマン肉詰めにしたりしてたが、今回はハンバーグにするほどの量はなく、冷蔵庫にピーマンもなかった。そこで、「皮でつつまずに」「他の餃子と一緒に」焼いてみた。つまり「1人だけ裸」である。「裸」という文字を使っていても、これはグルメ(B級グルメ)ネタであり、下ネタではない。だが、フェイスブックのAIは1個の単語だけを捉えて、つまり、言葉尻をとらえて人に見せるか見せないかを判断しているらしい。はたして、今回の記事は人目につくであろうか。

因みに、ドイツ語で読んでいる「カラマーゾフの兄弟」は、長男のドミートリー(ミーチャ)が父親殺しの容疑をかけられて取調べを受けるところまで読み進んだ。取調べで裸にされたミーチャが「みんなが裸なら恥ずかしくない。恥ずかしいのは、みんなが服を着ていて自分だけ裸のときである」と思った、という話は昨日読んだ部分である。この小説を学生のとき日本語訳で初めて読んだとき、途中で数か月間が空いたので完読に1年かかった。今回は、ちんたらちんたら読んでるが継続はしてるので(兎でなく亀なので)、もしかしたら1年かからずに読み終えるかもしれない(兎を抜くかもしれない)。因みに、ヴァーグナーの「指輪」の完成に20年かかったといっても、それはジークフリート第2幕を書き終えてから何年も放置されたからである。

 

 

 


ロット、ボニー、オッター

2023-04-21 09:03:38 | 音楽

カルロス・クライバーがウィーン国立歌劇場の来日公演で「バラの騎士」を振ったとき、こんな完璧な演奏があるのかと舌をまいたものだが(あまりに完璧すぎて現実感がなかった、というのも正直な感想である)、その完璧な演奏の立役者が、三人の女声陣、フェリシティ・ロット(元帥夫人)、バーバラ・ボニー(ゾフィー)、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(オクラヴィアン)である。今回は、この3人を最初に聞いたときの話。日本では当時無名だったが私はいち早くファンになった、つまり私が聞く耳を有していることの自慢話であり、みなさんが大好きで私が大嫌いな下ネタは出てこない(予定)なので悪しからず。

ロットは、主に、グラインドボーンのオペラのライブ映像で見ていた。魔笛のパミーナも良かったが、特に印象的だったのは、ストラヴィンスキーの「道楽者の成り行き」とリヒャルト・シュトラウスの「インテルメッツォ」。知的でのびやかな美声に加えて、演技が上手かった。一瞬にして表情を変えて聴衆の笑いを誘っていた。このときの「インテルメッツォ」は英語上演。後に、サヴァリッシュがミュンヘン・オペラでリヒャルト・シュトラウスのオペラの全曲上演をしたとき、「インテルメッツォ」の夫人役はロット。今度はオリジナルのドイツ語上演である。♪ブンタカッタッタ的なアリアの歌詞なら数カ国語で歌うこともたやすいだろう。しかし、リヒャルト・シュトラウスのオペラの歌詞は会話の延長だから、分量が多く込み入っている。ロットは完璧にやってのけた。頭のいい人なんだなー、と思った。そして、クライバーの「バラの騎士」の元帥夫人に抜擢され、絶賛を博したことは皆が知るところである。

ボニーを最初に視聴したのは、ショルティ指揮の「バラの騎士」のレーザーディスク。可憐で高音も良く出ていてゾフィーにぴったりだった。バロン・オックス(私ではない)に「まだ肉付きが足りない」と言われるシーンも現実感があった。そのときから私は「ボニ子ちゃん」のファンになった。ところが、音楽雑誌のビデオ評は、元帥夫人を歌ったキリ・テ・カナワのことばかり褒めていて、ボニーの「ボ」の字もなかった。書いた人、お耳がついてるの?と思った。その後、日本でもあっという間にブレイクした。因んだ話その1。このときのボニーは、それまで見たどのゾフィーよりもオクラヴィアン(17歳の青年役をメゾソプラノが歌う)とべたべたしていた(最後はオクラヴィアンと「できる」のだからよいのだが)。そのボニーにはバリトン歌手の夫がいて、夫婦で録音したレコードのジャケット写真では夫とべたべたしていた(まあ「夫婦」なのだからよいのだが)。その2。後年、ビッグネームとなったボニーが若手に公開レッスンをする映像を見た。ある若者は、注意されればされるほどどんどん下手になっていった。人に教えるって難しいな、と思った。その3。なんかのオペラのときボニーが客席にいた。小柄で全然普通ぽかったがやはり可愛かった。その4。ボニーの歌も生で何度か聴いたが、アバド指揮の「フィガロ」のスザンナは素晴らしかった。告白します。第4幕のアリアのとき、私、ルチア・ポップからボニ子ちゃんに浮気しました。

トリはオッター。最初に聞いたのは、ロイヤル・オペラの引越公演の「コシ・ファン・トゥッテ」のドラベッラ。モーツァルトの繊細なメロディー・ラインを細筆書きできちっと歌う様が好ましかった。フィオルディリージのキリ・テ・カナワが太い毛筆でベターッと歌う感じなのとは対照的だった。音楽雑誌の批評は、やはりキリ・テ・カナワのことばかり褒めていて、オッターの「オ」の字もなかった。この人、お耳がついてるの?と思った。このあたり、上記のボニーのときのまったく同じ。私にとってキリ・テ・カナワ(とこれにこびへつらう批評家)は、常に仇役として登場する(因みに「クヮルテット」という映画(音楽家が入る老人ホームが舞台)で、主人公チームと張り合う入居者(仇役)を演じているのは、往年の大ソプラノのギネス・ジョーンズである)。オッターも、その後、日本であっという間にブレイクした。因んだ話その1。ドイツ語学校に来ていたスェーデン人に聞いたら(オッターはスェーデン人である)、発音は「オッテル」が正しいそうである。その2。そのオッテルはバロックも歌い、サルツブルクで上演されたオールスターキャストの「ジューリオ・チェーザレ」(ヘンデル)にも名を連ねていたが、このときの演出家はやたらに歌手を脱がす。ジャルスキーも上半身裸になった。そしてオッテルも?アリアを歌いながら脱ぎ始めた。どきどきしたが、うまく露出を避けながら舞台裏に引っ込んで事なきを得た。「今回は下ネタはない」という公約を果たすことができたのはそのおかげである。


私って、下ネタが嫌いなのかもしれない

2023-04-20 08:01:15 | 音楽

日の出とともに目覚めるから最近朝が早い。今朝、「朝飯前」にしたことは、FMで「古楽の楽しみ」を聴き、昨日作った楽譜の校正をし、食器を洗い、猫にご飯をやり、猫トイレを掃除し、ベランダのプランターに水を遣ったこと等。それから自分の朝食の準備をして朝食。今朝は肉野菜うどんであった。私は、栄養は朝にとり、昼はカロリーを補う程度、夕食は娯楽である。

さて。カザルスが来日したのは1961年。私は幼児だったから生演奏を聴けたわけがない。幼児から体だけは大人に成長した私は、世界中の演奏家の生演奏を聴くようになっていたが、その中には高名なチェリストも何人かいた。そのお一人のことである。相当なビッグネームであらせられたが正直あまりピンと来なかった。しかも、悪い日本人の友達から放送禁止用語を教えられた当該チェリストが銀座の街中でその言葉を連呼したって話を音楽雑誌で読んでからは、その方の名を聞くたびに(超高潔な人格者として語られる)、そのことを思い出して、微妙に感慨にふけるのである。私って、下ネタが嫌いなのかもしれない。

そういう余計なことをする日本人はえてしているもの。フライブルクのドイツ語学校にいた某日本人(偶然、私の高校の後輩であった)が、やはりそういう言葉を外国人に教えたため、寮の中はその言葉であふれかえった。私はとっても恥ずかしかった。私って、下ネタが嫌いなのかもしれない(パート2)。

某チェリストの話をしたので、名前を伏せるつながりで某音楽家(故人)の話である。この方は、平和主義者で知られ、今でもその高潔な人格が語られる。その通りなのだろうが、一つひっかることがある。この方が大昔所属されていたグループのコンサートで、氏を含めたメンバー全員がナチスの制服を着て舞台に現れたことである。極右を除き、たいがいのドイツ人が見たら気を悪くするいでたちである。私も、ファンだっただけに、残念な気がした。いったい平和主義者の氏がこうしたコスプレをしたのはなぜだろうか。若気の至り?歴史を風化させないためあえて着た?たしかに、いまでも、ヒトラーを描いた映画がとぎれずに公開されている。そういうことであろうか。

因みに、ヒトラーの著書「わが闘争」は長らく発禁であった。「発禁」とは思い切ったもの。下手をすると、国家権力による表現の自由の侵害になりかねない。よっぽど戦後のドイツ人にとって、ナチスは負の遺産なんだろうなぁ、と思ってたら、少し話が違っていた。同書の著作権は州政府が所有しており、その著作権に基づいて、印刷を禁じていた、ということなのだ。だから、著作権が切れた今、出版は可能らしい。

もう一つ因みに、上の方で書いた放送禁止用語は、放映禁止用語ではない。ある映画で木村佳乃が「堂々と」「明るく」連呼し、それを中井貴一が絶賛していた。なんて映画だったっけ……

 


朝ドラからカザルスへ

2023-04-19 11:30:03 | 音楽

朝ドラで主人公が「若」と呼ばれているが、これってなんの略だろう、「若大将」?加山雄三じゃあるまいし。「若殿」?主人公は町人だし。「若社長」?この時代、主人公の実家(酒造業)はまだ会社組織になってないはず。そうだ!「若旦那」だ!

その若旦那の実家の商売が「酒屋」と紹介されていた。今では、「酒屋」と言えば酒販店のことだが(ゲゲゲの女房の実家がその意味の酒屋だった)、当時、酒造業も「酒屋」と言ってたんだなぁ。

その朝ドラだが、今回、特筆すべきは劇中音楽におけるチェロの活躍である。レシー(ト長調の重音)って鳴ったときなどバッハの無伴奏チェロ組曲第1番かと思った。因みに、前作ではクラリネットがよく使われていた。それから、今の大河の主題曲では、いろんな楽器が交互にソロででてきて、なかなか聴き応えがある。

そのチェロの音が好きである。一度触ってみたいとの思いから1年半前に購入したのだが、ずーっと触ってたいと思う。チェロをやってる人は、大概、バッハの無伴奏チェロ組曲を弾きたいと思うようだが、先生についてると、先生が「まだ早い」と言ってなかなか弾かせてくれないので、どうしても弾きたい人は隠れて弾くそうだ。私には先生がいないから、そこらへんは堂々としたものである。

そのバッハの無伴奏チェロ組曲を最初に聴いたのは、子供の頃、多分FMで。カザルスの演奏だった。素晴らしい演奏で、演奏後に解説の人が「こんな名演があれば、もう他の演奏はいい、と思いたくなるが」と言うからラジオのこっちで、うんうんと頷くと、「他にもいい演奏があって」と言って、次にかけたのがヤーノシュ・シュタルケルの演奏。ほんとだ、こっちもいいなぁ、と思った(解説の人の言いなりになった素直な子供時代のワタクシであった)。

動くカザルスを初めてテレビで見たのは、有名な国連での「鳥の歌」の演奏であった。カザルスの故郷のカタルーニュの鳥はピース、ピースと鳴くのだよ、と言っていた。カザルスがスペイン内戦を避けて亡命していたことなど、当時、お子ちゃまだった私は知る由もなかった。

そのカザルスがオケを振ったときの録音を聴いたら、あまりに骨太なのでびっくりした。

私が最初に買ったベートーヴェンの「大公トリオ」のレコードは、カザルスがチェロを弾いたものだった。有名なカザルス・トリオの演奏ではなく、晩年にボンのベートーヴェン・ハウスで弾いた生演奏の録音である。

朝ドラとカザルスのつながりはかような話でごじゃり申し候。無理くりな流れではなかったでござろう。それにしても、今日は、東京は26度になる、半袖でいい!とテレビが言ってたから朝から半袖で過ごしているのだが、家の中はいっこうに気温が上がらず大変寒い。あわててセーターを着込んだワタクシである。


このーてだれのてきになるてPart……いくつだっけ?

2023-04-18 11:37:33 | グルメ

キクラゲ卵炒めを食べ損ねた一昨日の恨みを昨日晴らした。感じのいいお店であった。「いつも行かれるお店に10回行くうちの1回を当店に」などとしおらしいことを言うので、ごひいきにしようかしらん。

「グリューネグリーン」という馬がいる。以前「ヴェルデグリーン」という馬もいた。いずれも同義反復である。お母さん馬と馬主さんは同じである。この馬主さんは、よほど緑が好きらしい。子供の頃、遠くの緑を見ると目がよくなると言われたものだ。なお、「手」の主も緑が大好きであられる。

麹味噌合唱団(仮称)の本番の立ち位置が発表になった。まあ、私の場合は、アルトの島んなかで、最後列で、テナー側の端、と相場が決まってるので(アルトの中では一番背が高く、声は女声でも服は男性と同じため)、見なくても分かると思ってたら思ってた通りだった。

私は「分類好き」である。趣味は?と聞かれたら「分類」と言おうかしらん。と思うくらい。DVDの分類、家計簿の科目の分類等々をやってるが、最近、寝る間を惜しんでやってるのがパソコンの中の写真フォルダの分類。これは分類のし甲斐がある……のだがなかなかやっかい。例えば、私は雲や月や星を撮るのが好きだから「雲」と「月・星」というフォルダをそれぞれ作ったのだが、では、雲の合間に月が出てたらどっちに入れたらいいのだ?さらに、飛行船や飛行機が飛んでる写真に雲が一つも浮かんでなかったら「雲」には入れられない。じゃあ、それ用のフォルダを作る?そんなことをしてたらフォルダが増える一方(政党の小党分立と同じ)。そこで一案が浮かんだ。「空」というフォルダを作って、そこに、雲も月も星も飛行船も飛行機も太陽もぶちこむのだ(小党分立後の大合同である)。フォルダ間を渡り歩くヤツもいる(政党を鞍替えする政治家と同じ)。例えば、野良猫は、これまで「猫」フォルダに入れていたのだが、2ニャンが、由緒正しい家猫のあたしたちと一緒にしないで、と言うので(言ってる気がしたので)、「生物」フォルダに移し、「猫」フォルダの名前を「ウチの猫」に変えた。因みに、「生物」フォルダの旧名は「野鳥」だったくらい、この中の一大勢力は野鳥。続いて新参者の野良猫&他所猫。後は、カエル、トカゲ等々。

「空」と言えば、NHKの「カネオくん」のアシスタントMCのそらちゃんは、小学生のときから番組に出ていて、いまや高校生。テレビ画面を通じて成長がうかがえる。そのそらちゃんの「お父さんネタ」が面白い。お父様は、相当な吝嗇家……もとい、倹約家であらせられるという。私など、裸足で逃げ出すほどである。


ニアミス

2023-04-17 07:19:00 | 音楽

麹味噌合唱団(仮称)はアマチュアの合唱団だが、プロの歌手が混ざっている。H美女はその1人。そのH美女が、練習の際、互いに「あおり運転」をしようと言って私の真横に来た。私は仙人だから美女が近くにいると緊張する。しかも、コロナ禍。お隣と言えども立ち位置は少し離して挑んだのだが、やはり上手な人とのハモりは魅力(H美女はソプラノで私はアルト)。万有引力の法則に導かれ、立ち位置はそのままでも上半身はどんどん美女に吸いよせられ、終いには頬と頬がふれあう距離になった……なーんて書くから、K氏に、「イージマさんのブログは、ウソではないんだけれど、1を100に誇張して書いている」と言われる。Stimmt!(その通り)合唱団の練習で頬と頬が触れあったら公序良俗に反します。だから100を1に戻そう。吸いよせられはしたが頬と頬は触れあってない。それでも、さきほど、家の鏡をみながら再現したら、足の位置より10センチは上半身が美女側に傾いていたと思う。いやいや楽しうございました。私にとっては、これで本番終了である。

「100を1に戻す」のイメージは、初代ウルトラマンの最終回。ハヤタ隊員がベータカプセルを掲げてウルトラマンに変身するとき、画面の奥から前面に拡大するウルトラマンが表れるが、最終回にハヤタ隊員と分離するときは、逆に前面から奥に縮小したものである。

因みに、初代ウルトラマンのオープニング、縞々模様がだんだんはっきりしていくシーン、おっ、前番組のウルトラQもそうだった。と思ったら、画面に浮かんだのは、「ウルトラQ」の文字。え?前番組と同じじゃん。新番組じゃないの?と思った次の瞬間。轟く不協和音とともに「ウルトラマン」の文字。同様の手法を用いたのが最近の映画「シン・ウルトラマン」。最初に浮かんだ文字は「シン・ゴジラ」。これが、次の瞬間に「シン・ウルトラマン」に変わるのである。だが、初代ウルトラマンの場合は、白黒だったウルトラQが初代ウルトラマンからカラー放送になったから、それも含めて変わったんだよ!という演出だったのか、と今は推測する。だが、「シン・ゴジラ」と「シン・ウルトラマン」の間にはいったいどういうつながりがあるんだろう。じゃ「シン・仮面ライダー」のオープニングはどうなるのだろうか?因みに、ウルトラQはその後色づけが行われ、今ではカラーで見ることができる。

昨夜は、再び、独り寂しく呑もう会。「綾瀬の中華」はいつもどうりだが、中国語が飛び交ういつものお店から浮気して別の店に行った。

目当ての「キクラゲ・豚肉・卵炒め」がないので仕方なく回鍋肉。やはり浮気はいかんかった。次回は戻ります。と言いつつ、いろんな店の餃子を食べるのもよい。自分の餃子作りの参考になる。


オペラ

2023-04-16 12:32:22 | 音楽

 

再びベランダのプランターへの水遣りが日課となった……と言ってるそばから芽吹き。

左がバジル、右がほうれん草。

昨夜のパスタは、久しぶりに長かった。

そうか、スパゲッティってこんなに長かったんだ。いえね、ガス代をケチろうと思って小さい鍋で湯量を少なくして茹でてるんで、いつもは半分に折ってんのだよ。だけど、昨日は大きいフライパンで「ワンパン」(ニンニクを炒めたフライパンにそのまま水(昨夜は、ピザソースを白ワインでのばしたもの)を入れて茹でるやり方)で作ったんで、

折らなかったわけ。それにしても、ワンパンで作るパスタは美味である。

さて。ドイツ語で映画を見てたら、音声は「インストルメント」で字幕は「器具」。そうか、われわれは「インストルメント」で楽器を思い浮かべるが、もともとは器具一般を言うんだよな。それが証拠に、「カラマーゾフの兄弟」のドイツ語訳にも「インストルメントで武装する」って出てきて、つまりここでの「インストルメント」は武器なわけ。当初、楽器は、「ムジークインストルメント」(音楽器具)だったのが「インストルメント」だけでも「楽器」になった。武器も「なんとかインストルメント」(武力用器具)だったのが縮まって「インストルメント」(武器)になったのだろう。

それを言うなら、イタリア語の「オペラ」は、本来は「作品」の意味。で、オペラのことは、当初は「オペラ・リリカ」(叙情的作品)と言っていたのだが、「リリカ」がとれて「オペラ」だけでも通用するようになった(今でも「オペラ・リリカ」という言い方はある)。ドイツ語の「Oper」(オペラ)に「作品」の意味がないのは、イタリア語で「リリカ」がとれた後にドイツにオペラが入ったからだろう、と推測する。

と、いうことで、皐月賞で応援する馬は「なんとかオペラ」である。


パセリ

2023-04-15 18:17:25 | グルメ

「クローズアップ現代」で「FIRE」の話をしていた。経済的に自立して早期退職するって話である(Financial Independence,Retire Earlyの略。「解雇する」の「fire」ではない)。私も最近仕事を辞めたが、私が辞めたのは一昔前なら定年の年齢のときだから「早期退職」ではない。さらに「経済的自立」についても、FIREの若者たちは、私の何倍も長い余生を人間の家族と共にスキーとかやりながら送っているが、私は短い余生を猫の家族と共にスーパーの見切り品コーナーに通いながら送っているから意味合いは全く異なる。

そのスーパーの見切り品コーナーだが、ここにも需要と供給の原則が働いてる。すなわち、人々が同コーナーに押し寄せてるから需要過多で供給が逼迫し、見切り品にも価格高騰の波が押し寄せている。

そんな見切り品の中で、こないだパセリを買った。油で炒めたら驚いた。なんと香ばしくなることか。もちろん、イタリアン・パセリなどはハーブとして売られるが、普段、刺身のつまにくらいしか使わずボソボソした印象しかないジャパニーズ・パセリが豹変した。人の才能を見抜くのは難しいが、野菜についてもその隠れた良さをどんだけ見逃してきたことか。

ということで、定番の豚肉とキャベツのほかに今回の餃子の具に採用したのが見切り品のパセリ。クミンも、こないだまったく香りがしなかったと書いたが、あれは思った通り古かったせいで、新しいのを使ったら瓶を振ったその瞬間に香りが立ちこめた。

今回の餃子にはもう一つ新機軸がある。こないだは余った具をハンバーグにしたが、今回はピーマン肉詰めにした。

これはいい。私って天才(自画自賛)。竹芝桟橋で買った青唐辛がらし醤油を付けていただいた。

あと、パスタのソースにも使ってみた。パセリをオリーブオイルで炒めた後、ボトルの底に残ったピザ・ソースを白ワインを流し込んで振って溶かし、それを流し込んで煮た(こういうけち臭いところがFIREではない所以である)。

写真を撮るのを忘れるくらい旨かった。撮るのを思い出したのはほとんど食べ終わった頃である。

因みに、私が「FIRE」で思い出すのはトーマス・モーリーの世俗曲「Fyre,fyre」。元気で楽しい曲である。