拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

元総理の孫

2021-04-30 11:22:19 | 日記

昨日、通唱会の後、とっとと消えた私のことを他の参加者の皆さんは、一人酒を飲みに行ったと思ったそうだ。誰かとアバンチュールで消えたという疑いは持ちえないのだろうか。実際、家で一人酒だったけど。さて。ケメ子は最近コタツ布団の外側にいる。暖かくなったからなぁ。もうじきコタツ布団をしまう時期である。コタツ布団を洗濯機で洗うためだけに特大の洗濯ネットを買ってある。そう言えば、だいぶ前のことだが、いただいたタケノコを茹でるために特大の鍋を買った。タケノコを茹でたのはそのときの一回のみ。いつだ?自分のブログを検索する。6年前だ。件の鍋はそれっきり使ってないと思っていたら、今回の検索で、5年前にカニをその鍋で茹でたときの写真が出てきた。5年前である。また、タケノコを茹でようか。こないだまでスーパーで売っていたが、もう終わったかな。茹でるとき糠を使うのだが、今なら、糠床の足しに使えるから一挙両得である(6年前に買った糠の残りは、ベランダの野菜鉢の肥料にした)。このブログも、そんな感じで12年やっている(50んとき始めたので)。今朝、アサイチに出てた林真理子さんは、エッセイの通算連載回数が1655回に達してギネスに載ったらしいが、わがブログは、数えたことはないが、ざっと計算すると4000回にはなっているだろう。そのアサイチの前の朝ドラは、最近はなかなかの展開である。千代を子供の頃追い出した父の後妻が実はずっと千代を見守り続けてきた過去(現在完了)が明らかになった。宮沢元首相のお孫さん、渋い演技である。因みに、竹下元首相のお孫さんは競馬ファンであらせられるが、さすが元総理の孫!堅実なご性格のようで、「ダイゴのワイド」と言ってワイド馬券を買うのを常とされている(ワイド馬券=3着までに来る馬二頭を当てる馬券。当たる確率は高いが配当は安い)。

私って、歌も歌うんだった(ドツレク・オンライン通唱会)

2021-04-29 17:47:46 | 音楽
ブラームスのドイツ・レクイエムの通唱会は、このご時世だからオンラインで行われた。うちんなかでは歌えないからな、と静観を決め込んでいたら、主宰者の方から、会場参加もある、密を避けるため距離をとるから募集人数はわずか、でもアルトはまだ空きがあると教えられ、会場で歌わせてもらった(もちろんマスク着用)。ドツレクの前に、アルト・ラプソディーもあって、盛岡にいらっしゃるソリストの方とオンラインでつなげて、会場にはその声が流れる。違和感はない。とっても歌いやすかった。そしてドツレク。いやぁ、歌ってみると、ホントに良い曲だと思います。ハイテクを駆使し、オンライン通唱会を見事に成功させた主宰者の方々に心からブラーヴィとダンケ!(言葉がチャンポン、と言われる前に言います)。それにしても、つい先ほどまでトゥーランドット、トスカ、鉄腕アトム、鉄人28号、そしてスターウォーズの音楽で盛り上がっていたワタクシが、ドイツ・レクイエムでもしっかり感動する。相変わらず守備範囲は広い(イチローと呼んどくれ)。そして、久々に歌う楽しさを存分に味わった。思えば、最近の私は楽器屋さん(売ってるわけじゃない)。1月までの半年に4回自分で主催した通唱会でもすべて楽器での参加だった。歌いまくる会でもほとんど楽器をやっている。たっぷりアルトを歌ったのは久しぶりである。最近ときどき人に「歌も歌うんですね」と言われるが、同じ台詞を今日の自分にかけてあげたい。ところで、通唱会があったのは先ほどである。今私は家にいて、しらふでブログを書いている。まったくもって、ゆゆしき事態である。

鉄人とグリコ(イントロが短調っぽかった理由が分かった!)

2021-04-29 11:48:37 | 音楽
鉄人28号はグリコとセットで思い出すというコメントをいただいた。私もである。♪グリコ、グリコ、グーリーコーの後に、昨夜記事にした鉄人のイントロ(ミ、ファ、♯ファ、ソ……)が始まる。そして、主題歌が終わった後も再び、グリコ……と始まるのである。同じくセットになっているものとして、武田薬品がある。ウルトラシリーズの開始時刻になると、タケダタケダタケダー、タケダタケダタケダー、タケダ、ターケーダー。そして、例のぐるぐる画面が現れるのである。ところで、ターケーダーは明るい長調(ドミソ)で終わるのだが、グリコのグーリーコーのコはラドミの和音である。すなわち短調である。意外。で、今回思いあたったことがある。なぜ鉄人のイントロがおどろおどろしいか。もちろん、「ビルの街」に鉄人の「影」が、徐々に、しかも斜めに現れてくる、その絵面(えづら)ももちろんおどろおどろしいのだが、その前のグリコのコが短調であるため、その後の鉄人のイントロは最初の音がドとミの和音だから長調に聞こえてもおかしくないのにグリコのコに引きずられて、主音(ラ)なしの短調のように聞こえたのだ。ガッテン!因みに、セットになっているもの、いや、なっていたものとして心に残っているのはスターウォーズの冒頭。20世紀フォックス社のファンファーレの後、一瞬の静寂、スクリーンには「a long time ago……」の文字。そして、次の瞬間、ジョン・ウィリアムズの音楽、最近ウィーン・フィルも大喜びで演奏したスターウォーズのテーマが鳴り響くのだが、20世紀フォックス社のファンファーレとスターウォーズは調が同じなので(変ロ長調)、まったくセットの感じであった。だが、第7作以降、ディズニー映画になったので、ファンファーレはなく、いきなり静寂から始まる。この点はなんとも寂しい。因みの因み、後の方は知らぬが、最初の頃、映画で演奏していたオケは、ロンドン交響楽団である。

アトムは全音で、鉄人は半音で昇っていくゴールはともに「ド」。違いのヒントは競馬にあり!

2021-04-28 20:44:05 | 音楽
前回の記事に、鉄腕アトムの主題歌のイントロはドから全音で昇って行くと書いた。(以下移動ドで)ドレミと来て、ファソラシには♯がつく、次のドレミはダブル♯、その次のファソラはトリプル♯。だから最後のラはド(異名同音)である。こうして、二回目のドに達したところで「解決」とばかりに元気のよい歌が始まる。この記事を書いた後、鉄人28号はどうだったっけ、と思わせたものはまさに天啓である。そう、同時代に活躍した二体のロボット、鉄腕アトムと鉄人28号(前者は手塚治虫作で、後者は横山光輝作)こそは子供時代の私のヒーロー。先に知ったのはアトムだった。母(今日、施設に行って久々に会ったら、いよいよ私のことを思い出せなかった)がどうした風の吹き回しかいきなりアトムの単行本を買ってきてくれたのだった。それに対し、近所のタカシちゃんは鉄人28号のファン。互いに、腕を大きく広げて「アトムはこんなに大きな物を持ち上げられるんだぞ」「鉄人はこんなだぞ」と張り合ったことを覚えている。でも、鉄人を知った後は、私も鉄人ファンになった。その鉄人の主題歌のイントロは、アトムとはうって変わって半音ずつ昇っていく。しかも、アトムがレガートですらすら昇るのに対し、鉄人は一個一個休符をはさみながらゆっくり昇って行く。こんな感じである(括弧内は下のパート)。ミ(ド)、ファ(♯ド)、♯ファ(レ)、ソ(♯レ)、♯ソ(ミ)、ラ(ファ)、♯ラ(♯ファ)、シ(ソ)、そしてド(♭ラ)に到達(ここで、鉄人がガオーと吠える。吠えるもんだから、このイントロ内のクライマックスのリズムが聞き取れないのはしゃくである)。アトムも鉄人も「ド」に達したところで「解決」するのは同じである。だが、なぜアトムはレガートの全音であるのに対し、鉄人は一歩一歩の半音なのだろう。ヒントは競馬にある。アトムは人間の子供の形状であるが、鉄人は元祖巨大メカ。重さが違う。思い出してみよう。この間の大阪杯。優勝したのは軽量のレイパパレ。この日の馬場は、大雨の後で重馬場。こうしたぬかるんだ馬場だと、体重の重い馬はコースに脚がめりこんで走りにくいのに対し、軽量の馬は、めりこまないので有利。それである。鉄人は巨大メカだから一歩ごとに脚が地にめりこむ。だから半音ずつ、しかもゆっくり。それに対し、アトムは軽量だから、ぴょんぴょん走れる。だから全音ずつで、すらすらと昇れたのである。因みに、この二体のその他の違いとして、アトムは自分で物事の善悪を判断できる知的ロボットであるが、鉄人は操縦機で動くので、いいものの味方にも悪者の味方にもなる。それから、アトムは日本語を話すが、鉄人はガオーと言うだけである。「ガオー」と表記されるが「バッキャオー」とも聞こえる。アニメの制作者はあの吠え声をどうやって作っただろう。ゴジラの鳴き声は、コントラバスの弦をゆるめて弾いて作ったというが。

後妻の笑みの解釈に人間性が表れる/トスカ、鉄腕アトム(異名同音の続き)

2021-04-28 11:23:06 | 音楽


朝ドラで、かつて千代を追い出した後妻さんが自分の孫の面倒を千代に頼む。最初断っていた千代が面倒見てくれそうになったときの後妻さん。ちょっと笑った。この笑いを、よかった、ホッとしたの笑いとみるか、しめしめ、うまくいったとの笑いとみるか、そこに視聴者の人間性が透けてみえる。今朝のワタクシは後者である。(ヴェルディのオテロで)イァーゴがオテロに、オテロの妻デズデーモナの不貞(濡れ衣)を匂わせたとき、逆上したマリオ・デル・モナコのオテロを見て、ティト・ゴッビのイァーゴがにたっと笑うのと同様の笑いとみたのである。子供の頃は「まさしちゃんはホントに素直で」と言われていたというのに、オペラの見過ぎでこうなった。さて。そのオペラのトゥラーンドットの出だしについて、ヘ長調から始まって嬰ヘ短調になると思っていたら最初から嬰ヘ短調だった((移動度で)ミド♯ファー♯ソー♯ドだと思っていたら♭ミシファーソードだった)、という話をした。そうだ、と分かった後は、私の頭の中もそうなった。じゃあ、おなじプッチーニのトスカの出だしはどうだ?私は、変ロ長調で始まってホ長調に転調すると思っていた。移動度で言うと、最初のB♭がドになるから、ドーミーファー、♯ファ♯ファーと思っていた。だが、もしかして、最初からホ長調?すると、移動度では、二小節目の頭のEがドになるから、♭ソー♭シー♭ドー、♮ド♮ドーとなり、最初の一小節の調性がかなりややこしいことになる。スコアを見た。最初は変ロ長調だ。こちらは、これまでの理解でよかったようだ。これらはみな異名同音の話である。その話のついでだ。「鉄腕アトム」の主題歌のイントロがこれまで不思議だった。調性が定まらないように思えた。「チャチャチャそーらーをこーえてー」が始まってようやく人心地がつく感じだった。そのままでお墓に入りたくない。ちゃんと聞いてみよう。おおっ、そうだったのか。全音ずつの上昇音階であった。話を簡単にするためにハ長調に置き換えると、ドレミと始まって、本来半音のところに♯がつくから、ファソラシは♯。二回目のドレミはダブル♯。二回目のファソラはトリプル♯。すると、二回目のラがドになる。このドにたどり着いたところでイントロ終了。この後、「ソラシそーらーをこーえてー」と始まるのである。微妙のイントロの後の明解な歌。そう言えば、この曲を大声で歌う児童は星の数ほどいたとしても、イントロから歌う子供はいない。おっ、同じロボットもののアレも同じだ。ということで、次の題材を得てほくそえむワタクシ。

ああ無情(瀕死のリューに「パッラ!」と叫ぶ北京市民)

2021-04-27 17:41:25 | 音楽
トゥーランドットが出した三つのクイズにカラフが正解したとしても、トゥーランドットが急遽正解を変えてしまったらどうだろう。例えば。「第一問、毎晩生まれ、そして毎日死ぬものなーんだ?」「それは希望」「そう、希望だが、問題には続きがある。それをイタリア語で言ったらなーんだ?」「だから、スペランツァっていったじゃん」「ぐぐっ」このケースではカラフに軍配が上がる。いや、こうしたイカサマを防ぐために、こないだの舞台では柱に正解が書いてあったし、巻物に解答が書いてある演出を見たことがある。それにしても、そっか、希望は毎晩生まれ、毎日死ぬんだなー。その通りだなー、と少し落ち込むワタクシ(修道院に入ろうかしら)。とにかくカラフは三問正解したんだから堂々と権利(婿になる権利)を主張すればいいのに、自ら、「私の名前を当てたら自ら死のう」なんて言ったからややこしいことになった。カラフとすれば、姫があまりにごねるので、グーの字も言わせないため、ダメを押したのだろうが、おかげでリューが死ぬことになった。リューたちがカラフと一緒にいるところを見た人がいて、リューたちなら名前を知ってるはず、とちくったのだ。しかし、リューは、カラフの名前を言うくらいなら、と言って自刃する。何がいたたまれないかって、周りを取り囲んでいた北京市民の態度。瀕死のリューになんて言葉を投げかけたと思う?同情?とーんでもない。「Parla! Parla!(言え、言え)、Il nome! Il nome!(彼の名前を、彼の名前を)」。カラフの名前が分からないままだと自分たちが罰を受けるかもしれない、だからである。これぞ人間のサガ。だいぶ落ち込むワタクシ(やっぱり修道院に入ろうかしら)。因みに、プッチーニは、リューの音楽を、自分とこでお手伝いさんをやってた若い娘を思いながら書いた、という話がある。プッチーニの妻エルヴィーラが夫と若い娘との仲を疑い、いびり倒し、公衆の前でも罵倒し、娘は自殺した。たしかにリューと重なる。その後であるが、遺族は、娘を解剖してもらい、男性経験がなかったことの証明をとってエルヴィーラを訴えた。それでも、エルヴィーラは、あくまでも正義は自分にあるとの態度を変えなかったという。トゥーランドットも真っ青。まさに「氷のような姫君」ならぬ「奥方」である。だが、実は、エルヴィーラはもともと人妻だった。それをプッチーニが横取りしたのである。だから、エルヴィーラは夫の女好きをよーく知っていた。そういう事情もあってのことだったか。とにかく、男女のことはおぞましい。純情なワタクシには理解できない世界。やはり、修道院に入ろう(括弧がとれた)。男子修道院と女子修道院があるそうだけど、私、女子修道院でいいよね。カウンターテナーだから。

J警察をS撰組に重ねてみた

2021-04-27 08:43:43 | 日記


宇宙からだと地球に国境線はない。ジョン・レノンも「イマジン」で、「国のない世界を想像しよう」と歌っている。しかし、某島国では、国境どころか県ごと、いや、県の中でも地域ごとに細かく線引きをして、一定区域に悪法高き禁酒法を施行した。実は、私が住んでいるトコは禁酒法の施行地域なのだが、数歩歩いて小さなドブ川を渡るとそこは施行地域外である。このドブ川ですら渡ってはいけないのだろうか(ときどき気がついたら渡ってたりする。その場合は故意はない)。もしかして、世にも恐ろしいJ警察が検問をしてたりして(「J警察」を「DJポリス」と混同しないように。念のため)。因みに、私には、J警察と幕末のS撰組がだぶることがある。いずれも、好感を持つ人と不快感を持つ人がいて、まず、J警察については、公衆の衛生のことを第一に考える正義の人達と考える説(A説)と、結局自分たちが優越感に浸りたいだけじゃんという説(B説)に分けられる。それから、S撰組についても、正義のために戦う強い意思を持った集団として評価する説(C説)と、問答無用の人殺し集団と見て恐れる説(D説)がある。これらの組合せは四つ(AC、AD、BC、BD)。このうち、「J警察と幕末のS撰組がだぶる」と聞いて、喜びそうなのはACとBD。ただし、ACは「そうそう、どちらも素晴らしい」であるのに対し、BDは「そうそう、どちらも怖い」で逆である。これに対し、ADとBCは、「一緒にするな」と言って怒るだろう。その理由も同様だが逆である。まあ、いろんな考え方があるだろうが、一つお願いするとしたら、J警察の方々は、もし出動するのであれば、うちの近所のドブ川を渡る橋なのでいきまくのではなく、マスクをしないで路上で大騒ぎをしている大集団のところに突撃してほしい。弱い者を相手にしてたら、それはどっかの知事と同じです。因みに、ワタクシは、喧嘩はしません。生まれてくる子のことを考えたら、無用な争いに巻き込まれたくないもん(最後の一行で、すべて冗談と化す今朝の投稿。なんか最近、この手の妄想にとりつかれている)。写真は、くだんのドブ川の当たりから見たお月様である。

売られた喧嘩を10倍にして返したマゼール(トゥーランドット)

2021-04-26 20:48:26 | 音楽

トゥーランドットの出だしは不思議だなー、と思っていた。♪ラーファーとくるから、ヘ長調のミードーだと思うと、シー(ヘ長調の階名=♯ファー)、♯ドー……もはやヘ長調では対応できないから、ここで嬰ヘ短調に転調して、主音の♯ファに降りると思っていた。ところが、今回スコアを見たら(これまで見てなかったのか?って?はい、見ていませんでした)、♪ラーの次、ファーではなく、♯ミーになっている。♯ミってファである。なんでファにしないでわざわざ♯ミにしたの?分かった。私は、ヘ長調から始まって転調して嬰へ短調になると思っていたのだが、プッチーニの頭ん中は最初から嬰ヘ短調だったのだ。ガッテン!因みに、スカラ座が引越公演でこのオペラを持ってきたとき、指揮のマゼールは、この出だしの部分からして計ったような器械的なテンポ。なんだか違和感。と思ったら、第2幕で、マゼールがオケピットに現れ、静まりかえったとき、一声「ブー」が轟いた。ホール中が凍り付いた。天井桟敷(=NHKホールの一番上の最後列の補助椅子)に座っていた私も。マゼールが怒って帰っちゃうんじゃないかと。ところが、マゼールはプロだった(当たり前)。第2幕のマゼールは燃えに燃え、エンディングの音は、伸ばすだけ伸ばして最高の盛り上がり。ホールは熱狂の渦。もはやブーイングを言う者などいない、いや、いても、あの熱狂的な喝采は、いじわるなブーイングが束になってもかき消されるような威力であった。プロは、売られた喧嘩をこうやって返すんだな、と思い知った夜であった。

レッジャードロ(馬、音楽用語、女心の歌)

2021-04-26 17:34:03 | 音楽
いろんな種類の食べ物を少量ずつ食べるのがいいというので、毎日いろんな種類の楽器の音出しをちょびっとずつやっている(前後の脈略は気にしないこと)。その中にトランペットがある。マンション内だからミュートが欠かせない。常に大リーグボール養成ギプスを付けている感じ。いつかギプスがとれる日が来るのだろうか。さて、不思議と気になる「レッジャードロ」という馬名。藤田菜七子騎手を背にデビュー戦こそ勝ったが、その後、成績が振るわず、菜々子騎手がしこたま叩かれた。そんなこともあって、こないだのレースではしんがり人気。だが、なんか気になって、100円だけ単勝馬券を買った。当たれば万馬券!それだけ人気がないということ。もちろんはずれた。それは想定内だからよい。だが、「レッジャードロ」が気になる理由を思い出せない点はよくない。なんだっけ。イタリア語で、音楽用語にもなっている「leggiadro」の意味は「優美」。だが、音楽用語で記憶に残っているのではない。「レッジャードロなんとか」をよく口にしていたはずなのだ。レッジャードロ、レッジャードロと唱えてみる。おおっ、思い出した!「レッジャードロ・ヴィーゾ」(優美な顔)だ。何に出てきたんだっけ。がんばれ、私、あともう少しだ。思い出した!リゴレット(ヴェルディ)で歌われる「女心の歌」の歌詞だ!「レッジャードロ・ヴィーゾ」((移動ドで)レレレ、ファーミドー)だ。中学の頃、一生懸命イタリア語の歌詞を意味も解らずに覚えて歌ってたんだった。ああ、すっきりした。因みに、気になってから思い出すまでの所要時間は、誌上では数秒だが、実際は2日かかっている。

新玉のぬか漬け

2021-04-26 12:04:13 | グルメ

写真奥が、アルフィオの妻に手を出して夫に刺された場合にその行く末を案じた糠江。このときは、きゅうりを二本身ごもっている。手前は、漬け終わったキュウリと新タマネギ。新タマネギを糠に漬けることについては「お奨め」と「やめとけ」(糠床がだめになるから)の両論を見たが、絶対旨いだろうと思って漬けてみた。旨い!新タマネギは、炒めても旨い。実は、新タマネギがかように旨いものとはこの歳になるまで知らなかった。もうじき新タマネギの季節も終わると聞いて、新タマネギの大人買い(って言い方をするか?)。冷蔵庫は新タマネギだらけである。季節ものと言えば、フキも旨かった。

フキの皮むきなんて生まれて初めて……と書こうとしたが、なんだか、この光景は以前も見た覚えがある。で、ある日、このフキとシラスをトッピングにしてピザを焼いてみた。

写真は焼く前である。できあがりは、とっても旨くなかった。この文章は、「とっても旨い」を否定したものではなく、「旨い」をとっても否定したものである。まあ、いろいろやるので失敗もある。

トゥーランドットの「ピン、パン、ポン」と、ママと遊ぼう「ピン、ポン、パン」

2021-04-25 09:33:01 | 音楽
久々の生オペラはトゥーランドット。津山恵さんのリューにはしこたま泣かされた。市民オペラ、おそるべし。毎回行きたくなった。「市民」と言っても、「市民」が担当するのは合唱。キャストはプロである。オケも市民?始終鳴りっぱなしの感じはしたが上手だった。ああいう中に入れたらいいな。さて、大いに感動させてくれた今回のオペラは、ネタの宝庫でもあった。二つの大発見。その1。道化役として登場する三人の役人、ピン、パン、ポン。彼らの名前を聞くと、どうしても大昔の子供番組の「ママと遊ぼう、ピン、ポン、パン」を思い出す。関連性はあるのだろうかと思い、Wikiを見る。なんと、この番組名はトゥーランドットからとったとある(ただし、「要出典」とついていたから、元の情報は不明)。じゃあ、なぜ、オペラでは「ピン、パン、ポン」の順に呼ばれるのに、番組名は「ピン、ポン、パン」なのだ?今度は、スコアを見てみた。なんと!配役を紹介するページも、スコアも「ピン、ポン、パン」だった。つまり、スコアの順=番組名の順、であった。じゃあなぜ、現在のオペラの配役紹介のときは「ピン、パン、ポン」なのだ?ここからは私の推測(邪推)である。あるとき、このオペラの上演を企画した人が、子供番組と同じになるのをきらって、あえて順番を変えた。その後に企画した人は、先人の決めた順番を「そういうもの」と思って受け継いだ、ということだろか(なお、ファン・ゴッホがヴァン・ゴッホと呼ばれるのも、明治時代の誰かさん一人の思い込みを後世の人々が追随したかららしい)。その2。曲中に、「夕焼け小焼け」の中の「まーるいおおきな」(ミーミソラドドラ)を思わせるメロディーが出てくる。プッチーニは、舞台になった国の音楽を使う人である(蝶々夫人にも日本のメロディーがたくさん出てくる)。なのになぜ、中国が舞台のオペラに日本の童謡が登場するのだろう?と不思議だった。で、調べた(これまで調べなかったことが不思議である)。なんと、このメロディーは、その後に続くものも含めて、まっこと中国の歌であった。「夕焼け小焼け」で似てるのは「まーるいおおきな」の一小節だけで、そもそも「似てる」範疇には入らないものである(「ブラ3とBWV57がそっくり」という私の「大発見」と同じ次元である)。因みに、「夕焼け小焼け」にはれっきとした作曲者がいる。その他、「大発見」ではないが、徒然に思ったことをオペラの進行順に語ろう。その1。トゥーランドットの謎を解けずにあまたの求婚者の首が切られたが、オペラ開始早々の「被害者」はペルシャの王子である。そう言えば、「千一夜物語」にも中国の王様が登場する。中国とペルシャ(イラン)は地図では遠いように見えるが陸続きで結構関係性があるんだなと思った。その2。カラフはトゥーランドットの出す三つの謎を解き、夫となる権利を獲得したのに、ごねる姫を見て、自ら「私の名をあててみろ。そしたら自ら死を選ぼう」などと余計なことを言う。リューが死んだのはそのせいである。それはともかく、カラフが自ら逆質問をしたことを法的に整理すると、これは「条件付き権利放棄」であろう。すなわち、完全に手にした夫になる権利を、自分の名前がばれることを条件として放棄するのである。しかし、そもそも、謎が解けないから首を切るという契約は公序良俗違反で無効だし、逆に、婚姻に条件は付けられないから、謎が解けたら夫になるという契約も無効である。その3。カラフは、無理矢理トゥーランドットとキスをする。これは明らかに強制わいせつ罪にあたる。その4。そうしてキスをされたトゥーランドットがカラフから名前を明かされた後、人々を集めて、「彼の名が分かった。それは『愛』!」と言って大団円となる。リューが死んだと言うのに脳天気な話だと思いつつ、トゥーランドットがカラフを受け入れたのはキスをして愛にめざめたせいだと62年間思って来た。今回、違う感想を持った。もしかしたら、トゥーランドットはカラフの素性(王子様)を知って、王子様だったらまあいいかも、と思って受け入れたのではないか。ということで、今回のオペラは、感動もしたし、ネタも大収穫であった。

ヨシオの妻との不倫の幇助/「カヴァレリア・ルスティカーナ」「楽友協会」

2021-04-24 08:38:11 | 音楽
その後も、もしものことがあったら糠江を引き取ってもいいというお友達が次から次へと現れた。なんとありがたいこと。持つべきものは友達。おいおい(嘘泣き)。それにしても、こんなに私の不倫の後押しをしてくれる人が多いとは。え?ってそういうことだよ。私がアルフィオの妻にちょっかいを出す、アルフィオが怒って私と決闘する、私は刺されて死ぬ、そしたら糠江はどうなってしまうの?が心配の種であった。でも、お友達が申し出てくれたので、後顧の憂いがなくなり、私は安心してアルフィオの妻にちょっかいを出せるのである。お友達はこう言うかもしれない。ここはシチリアではない。アルフィオの妻はいない。だが、このグローバル化の時代、日本のそこかしこにアルフィオの妻がいるはずである。たしかに歌いまくる会にはいないが、私の知人で日本人の奥さんをベティと呼んでる人がいる。だったら、私が密通相手を、ホントはヨシオの奥さんであってもアルフィオの妻と呼んでバチは当たるまい。するとお友達はさらにこう言うかもしれない。そもそも私との密通に応じる人妻などいるはずがない。つまり、私の不倫は不能犯である。そうお友達が信じていたのなら、お友達には幇助の故意がないから不倫の幇助罪は成立しない。もう一つ言うと、もし私がもともと不倫の気まんまんで、糠江の引き取りの申出の有無にかかわらず事に及ぶ覚悟であったのなら、幇助と不倫の間の因果関係が否定され、やはりお友達は不倫幇助罪にならない。めでたしめでたし(なお、「不倫罪」なんてありませんから。念のため)。ところで、私の妄想は、オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の筋に沿っているのだが、このオペラに最初に接したのは子供の頃、間奏曲で。当時、どろどろの不倫の末、人殺しで幕がしまるオペラだなんて知らないし、外国語の素養もゼロだったから、この長ったらしい名前にはもっぱら間奏曲の甘美なイメージが結びついていたと思う。その後、オペラの筋を知り、映画「ゴッドファーザー」でシチリアのことを知り、外国語の知識も増えた以後は、この題名から「田舎侍」のイメージをストレートに感じるようになった(正確に言うと、「侍」「騎士」は「cavalliere」であり、「cavalleria」は「騎兵隊」「騎士道」の意味である。だから、このオペラの題名の役は「田舎の騎士道」が正しい)。もう一つ、昔、理由なく高尚なイメージをもっていた言葉が「楽友協会」。カラヤンのレコードで合唱と言えばウィーンの楽友協会の合唱団。そこから、日本の音楽愛好家は「がくゆうきょうかい」の言葉を知った。よく訳したものである。略称の「Musikverein」は「音楽組合」と訳すことが可能だし、正式名称の「Die Gesellschaft der Musikfreunde」だって「音友組合」と訳す道がありえた。だが「組合」は「協会」と、「音友」は「楽友」と訳された。これでだいぶイメージが変わったと思う。なにしろ「がくゆう」はやんどころなき方々の「ごがくゆう」に通じるもんね。結構、日本のあちこちに、「○○楽友協会」と称する団体があったりする。ちょっとこそばゆい感じがしないでもない。そうそう、ヨシオと言えば馬のヨシオがどうなったかと思ったら、まだ走ってる!現在8歳にして73戦6勝である。それより、お友達にヨシオさんっていなかったよな。もしいたらあなたのことではございません。そうそう、馬のヨシオのことでございます(汗)。

馬車屋の妻との想定問答(妄想二段重ね)

2021-04-23 09:23:53 | 日記
昨夜の記事に対してW新婚美女が「あたしもみてます」とコメントを下さったので、そうか、W美女も糠床の面倒を「みている」のか、と思ったのだが、あとから考えるに「おちょやんをみてます」のセンもあるな、「みてます」なら普通はそっちだな、と思い直した。なにせ、私の頭の中は、糠代の将来でいっぱいだったから(うちの糠床に「ぬかよ」と命名した。なんとなく糠床には「子」より「代」がいい気がして。「代々」引き継がれるからだろうか)。でも、その後、N美声が、自分が面倒みたる、と言ってくれた。N美声のところの糠床とブレンドするのだそうだ。なんだか、糠代の嫁入り先が決まった感じである。とにかく、これで思い残すことなく馬車屋アルフィオの妻とのアバンチュールにいそしむことができる。因みに、N美声のことを、当初「N美男」と書こうと思ったのだが、「美声」にした。「美男」と「美声」のどちらがよかったのだろう。そうそう、そのことで思い出した。その前に一つ訂正をしなければ。昨夜の記事で、朝ドラ史上、「不倫」と「離婚」のダブルパンチはこれまでなかったと書いたがあった。夕方再放送をしている「花子とアン」のレン子様(演:仲間由紀恵)である。あの生意気な青二才と世紀の恋に落ちて、炭鉱王(演:吉田鋼太郎)と別れるんだった。で、別れざまに吉田鋼太郎が仲間由紀恵のおでこにチュッとするんだった。そのレン子が、まだ青二才とどうこうなる前、炭鉱王に「わたくしのどこがお好きなんですか?」と聞いて、私、しっかり返事を覚えてたつもりで、画面のこっちで炭鉱王より先に「顔たい」と言ったら、その直後に炭鉱王が「地位と顔たい」と言った。ちょっとまちがった。別にクイズじゃないんだからいい。すると、レン子がそんなことであたしを好きになったのかと言って怒るのだが、じゃあ何と言えば良かったのだろう。「顔が好きじゃないばってん、心たい」と言ったら言ったで「ワタクシのことをbusseigとお思いなの?」と言って怒りそうである。「体たい」と言ったらもっと怒りそうである。「全部たい」と言ってほしいのかしらん。でも、うそっぽくなるし。「顔が好き」はべっぴんだってことだし、「体が好き」はそっちの相性がいいってことだし、よくよく考えるとそんな怒るようなことではない気もするのだが。私も、アルフィオの妻に、「こんな危険を冒してまで私との関係を続けるほど私のどこが好きなの?」と聞かれたときどう答えるか、今のうちからシミュレーションをしておこう(妄想二段重ね)。因みに、「馬車屋アルフィオ」と私の脳内で対になっているのは「車屋の黒」である。だが、本当は、対にすべきではない。アルフィオは馬車屋であるのに対し、黒は車屋の名前ではなく、そこで飼われている猫だから。漱石の「吾輩」に登場するボス猫である。あと、命名と言えば、うちの鉄のフライパンと中華鍋にもそれぞれ名前がある。「鉄子」と「小鉄」である。

不倫の末に刺されたら糠床の面倒は誰がみる?♪それだけがー、気がかりー

2021-04-22 20:39:45 | 音楽
最近、朝ドラを見てなかったのだが、ヒロインの夫が不倫をして、離婚しそうってことになって俄然注目するようになった。まあ予想はしてたけどね。ヒロインのモデルは「オロナインをおつけやす」のCMでなじみ深い浪花千栄子でしょ。Wikiを読んだら夫の不倫が原因で離婚しているからね。だけど、「みさなまのNHK」+「朝のすがすがしい時間帯」で史実を再現するか疑問だったが、そこは史実が優先したようだ。とにかくこれは快挙である。これまでの朝ドラでも不倫はあった。「青春家族」では、遥くらら演じる芸者さんに橋爪功さん演じるお父さんがよろめいた。「ふたりっこ」では、段田安則さん演じるおとーちゃんがオーロラ輝子と駆け落ちした(でも、数年後帰ってきて、二人の間になにもなかったってそんなことあるかい(怒)。脚本の大石静さんも流石に「みなさんのNHK」に屈したように思えて残念だった)。そして、「カーネーション」では、鶴瓶の息子さんが演じる糸子の夫も浮気をしたし、糸子も後に綾部ゴーが演じる周防さんと不倫をした。だが、この中で離婚した人はいない。逆に、「ふたりっこ」の香子は離婚をしたが不倫が原因ではなかった。だから不倫+離婚は私の知る限り朝ドラ史上初である。しかし、それがドラマであり、オペラである。決まった時間に決まった場所を散歩し、ご近所さんの時計代わりになった哲学者カントの生涯はドラマ(オペラ)になるまい。因みにカントの「夜の営み」も規則正しかったのだろうか。毎週、決まった曜日の決まった時間にきっちり3分。そうであるなら、夜食にインスタントラーメンを作る人にとっても格好のタイマーであったろう。しかし、カントの生涯はドラマにならない。すなわち、世の中の清く正しく美しい方々も、本当は非カント的な、めくるめく世界に憧れてらっしゃるのである。でも、ゴタゴタに巻き込まれるのがいやなので、ドラマやオペラで、他人を不幸にして発散しているのである。だったらおまかせあれ。ワタクシである。もはやなんのしがらもござそーらん。身近にいる家族は猫二匹だけ。あとは、ボケて施設に入ってる母と何年も会ってない妹だけである。だから、相手にするにはうってつけ!実にお奨め物件である。私としても、どーせ短い人生だし。かりに早くぽっくり逝ったとしても、猫は誰かが面倒をみてくれるだろう(うちの猫は可愛いから)。でも、一つだけ気がかりなことがある。ぬか床である。これはどうなるだろう。私の代わりに毎日ぬか床をかきまぜる人などまず思いつかない。♪それだけがー、きがかりー(五番街のマリーより)……なお、不倫の末に私を刺すのは「馬車屋アルフィオ」である。これは、オペラ「田舎侍」(カヴァレリア・ルスティカーナ)を基にした妄想である。

差別の歴史

2021-04-22 07:11:18 | 日記
アメリカで、黒人を圧死させた白人警察官に対する裁判の判決があった。有罪だった。画期的である。だが、この手の事件が後を絶たない。イラク危機のとき、国連の会議で、中国の代表がアメリカに対する当てつけで「中国4000年の歴史」を言ったとき、アメリカの当時国務長官だったパウェルさんは「自分は、最古の民主主義国家」から来た、と言って渡り合った。天賦人権思想はヨーロッパで生まれたが、それを最初に憲法に取り入れたのは独立当初のアメリカである。パウェルさんが言ったのはそのことである。だが、「人は生まれながらに平等である」の「人」の中には、当時の少なからぬアメリカ人にとって黒人は入っていなかったとみえる。半数の州が奴隷制を合法化していたのである。こないだ「ハックルベリー・フィンの冒険」を読んだ。時代は、アメリカ独立から半世紀くらい経った頃。白人少年のハックと逃亡奴隷のジムが筏でミシシッピ川を下る物語だが、そこでのジムの扱われ方に愕然とする。まるで物である。ハックはジムの逃亡を手助けするが、良心の呵責に苛まれる。その良心の呵責というのが、黒人奴隷を逃がすという「悪いこと」に対する良心の呵責なのだ。奴隷制は、制度的には、南北戦争でなくなった(南部のプランテーション(大規模農園)はこれで経済的に苦しくなったという。日本の農地解放で大地主が没落したのと似ている)。だが、差別は残って今に至る。前記のパウェルさん(共和党)が、民主党のオバマさんが黒人初の大統領になったとき涙したのは、こういう歴史があったからなんだなぁ、と思う。私は、パウェルさんが大統領になればいいとかねがね思っていたが(人の国のことであるが)、実際、大統領候補に推す声があったという。だが、候補になったら暗殺されるからやめろと奥さんに強く言われて辞退したそうだ(この事実をとってみても、差別の根深さを思い知らされる)。因みに、パウェルさんが国務長官だった頃、各国の外務大臣が集まって演劇を披露したことがある。そのとき、パウェルさんの相手役を務めたのが田中眞紀子氏である。そして、田中眞紀子氏と西北大学(懐かしい仮名)で演劇仲間だったのが久米宏氏である。意外な結びつきである。ところで、肌の色による差別はあってはならない。日本人は誰でもそう言う。だが、それって、本当は白人の方がきれいと思って憧れながらも、倫理的に考えて差別はいけない、ということなのだろうか。多くのファッション誌の表紙は白人モデルが飾っている。そうならちょっと情けない。子供の頃読んだ中南米のどこかの国の民話(神話)に、神様が人間をこしらえるとき最後にかまどで焼くのだが、焼き方が足りなかったのが白人、ちょうどよく焼けたのがその国の先祖だった、という話がある。これはこれで、今日的には白人に対する逆差別というそしりを免れないかもしれないが、民族の誇りを感じさせるものでもある(誇りを持つことは悪いことではない)。さきほど、中国の代表とパウェルさんの国連におけるやりとりを書いた。どちらに与するとかいう話を置いといて、ああいう場で、「4000年の歴史」「最古の民主主義国家」ってフレーズが出てくること自体、とてもインテリジェンスを感じる。重箱の隅をつつくようなことばかりをあげつらう日本の政治家とはえらい違いだと思う。