拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

イェフテの娘

2022-10-30 17:56:54 | 音楽

カセットテープのデータ化作業をしていたら、20代のとき所属していたSM合唱団(下手に歌うと女王様がムチでびしばし叩く合唱団(ウソ))の演奏会の録音がぞろっと出てきて感慨もひとしお。その中で、カリッシミのオラトリオ「イェフテ」が2回出てきた。10年くらいの間に2度もやったんだなぁ。私がこの曲を合唱の一員として歌ったのは、この2回のほか学生んときの室内合唱団でも歌ったんで合計3回。その思い出を記す。

室内合唱団の定期演奏会んときの「イェフテの娘」(ソプラノ)は市川倫子さん(指揮者先生のつてでお願いしたに違いない)。当時楽譜係だった私は楽譜のことで直接お電話でお話をしたのだが、バカ学生相手にほーんとにご丁寧に応対してくださった。この方が、日本で「ナクソス島のアリアドネ」を初演した際にツェルビネッタ(超々難役。グルベローヴァが十八番にしていた)を歌われたえらーい方だと知ったのは卒業後だいぶ経ってからである。もちろん、素晴らしい「イェフテの娘」だった。♪ファソラソファミレドシードレミ、ド、シーラー……。残念ながら、このときの録音は見つからない。

SM合唱団の1回目のとき「イェフテの娘」を歌ったのは、「われらがディーヴァ」Y内さん。Y内さんはプロの歌手なのだが、どういうわけか、SM合唱団に団員として所属されていた。このときの録音が出てきたのである。Y内さんの「イェフテの娘」は、数十年前の記憶が頭の中で増幅しているはずなのに、その増幅した記憶を上回る素晴らしさ。こんなにすごい歌手がよくぞ私らごときと一緒に合唱団で歌ってくれたものである(それを言ったら、Hヶ崎さんが麹味噌合唱団でご一緒してくださったことも驚きである)。因みに、このとき、イェフテの娘のエコー(上記の♪ファソラソファミレドをイェフテの娘の後になぞる)を歌ったのが、現在いろんな音楽の場でご一緒しているS崎さんである。録音を聴くと、まさに今に通じるS崎さんの声である。

SM合唱団の2回目のときの録音も出てきたのだが、このときY内さんは既に団を離れていた。団員の入れ替わりもあった。そのせいもあったろうか。1回目よりかなり落ちる。つうか、今回、SM合唱団の演奏をずーっと聴いていて、時代が下るにつれレベルが下がってきている。この後、団を主宰してきたオルガニストの先生(ご本人の希望で団員は先生と呼ばずにさん付けで呼んでいた)が団を辞められた。理由は、団主催からくる負担が限界に達したいうことだった。たしかに、主催には有形無形の負担が降りかかってくる。それでも、それを上回る喜びがあれば続けられるものだ。前記した「レベル低下」がモチベーションに影響したのかもしれない、というのが、今回録音を聴いた私の見立てである。

因みに、このオラトリオはアルトのレチで始まるのだが、私はこのレチが最初に室内合唱団で聴いたときから大好きで、いずれ自分でもカウンターテナーで歌ってみたいと思っていた。で、近年、某ソロ・コーナーや某セッションで歌う機会を得たのだが、満足に歌えた試しがない。


間違い探し(スタンバイ棚)

2022-10-21 08:50:38 | 音楽

新ドラ(新しい朝ドラ)で、ヒロインの兄の本棚に野口英世の伝記があった。野口英世と言えば、小学校高学年のとき読んだ本に、当時を知る人の話として、野口博士がしょっちゅう大酒を飲まれて酔っ払っていた旨が書いてあり、偉い人と習っていただけにショックであった。その本には、「お酒でも飲まなければやっていられなかったんだろう」と書いてあったが、その意味がよく分からなかった。そのことについて、じゅーぶんに得心がいったのは大人になって私自身が大酒を飲むようになってから。へべれけになるたびに、野口博士を思い出すのである。

そのワタクシであるが、なんと、家飲みを中断している。体調不良は、自分でも仮病な感じもするのだが、ときどきホントっぽく思えるときもあり、その原因については日々原因候補が変わるのであるが、根強いのが「飲み過ぎ説」である。そう考える脳がストップをかけているらしく、家では飲みたいという欲求にかられない(お酒自体を絶とうなどというできもしないことは絶対考えないから、前にも書いたが、おデートと宴会の際はたんまりいただくつもりである。因みに、以前、何度かドイツ人の女性から「Tee trinkenに行こう」(お茶を飲みに行こう)と誘われたが、私はお茶よりもお酒の方がいいのであまりうれしく思わなかった)。だが、家飲みをやめたことによる心配もある。赤ワインによって摂取していたポリフェノールをどうしよう。「フランス人の逆説」というのがある。フランス人は肉をたくさん食べるのに心臓病患者が少ないのは赤ワインを飲んでるから、という仮説である。そう、赤ワインにはポリフェノールが含まれる。私も、その恩恵を受けてきたのは間違いない。それをグレープジュースで代用することができるのだろうか。グレープジュースにもポリフェノールが含まれるが、発酵によってのみ得られる養分は赤ワインで摂れてもジュースでは摂れないという。だったら、毎晩、赤ワインをグラス一杯だけ飲めばいい、適量のお酒は薬である、と人は言う。だが、私は、グラス一杯なら飲まない方がよい。飲むときは、ぐわーっと飲みたいのだ。あと、痛風も心配。痛風は飲み過ぎが原因と言うが、大酒を飲んでた人が急に飲まなくなっても発症する(私自身、痛風初体験のときの原因はそれだった)。そのときのために、ロキソニンをスタンバイさせている。

スタンバイと言えば、多くの楽譜を故郷(楽譜専用棚)に戻したのだが、まだ続けている音楽活動もあるので、それに関する楽譜類はスタンバイ棚に置いてある。

今回の整理で随分すっきりとしたこの中には、実際に今でも継続しているもののほか、再開しなきゃ、と思っていてなかなか重い腰が上がらないものもある(その中にはY先生の「超私信」にあった某メドレーもある)。ジャンル違いなものも一つ紛れている。


ショーシャンクの空に響いた手紙の二重唱

2022-10-20 08:53:23 | 音楽

涼しいを通り越して朝晩は寒いくらい。2ニャンはすっかり休戦協定を結んだらしく、くっついている。

さて。映画「プライベート・ライアン」の公開時(20年以上前)、観に行った友人が、戦闘シーンで「腸が飛び出す」と言っていたので、私はそこが恐ろしくてずっと観ないできた。だが、最近、Youtubeの映画紹介サイトで「最初の20数分がすごい」と言っていて、そこを乗り切れば大丈夫そうで、かつ、名画だというので、意を決して観た。あ、これが「腸」か。斜め目線で観た。不思議だったのは、タイトルが「プライベート・ライアン」で、主役がトム・ハンクスだから、てっきりトム・ハンクスがライアンだと思ったらそうでない。トム・ハンクスが中隊長を演じる部隊がライアン二等兵を探しに行く話である。原題を観たら、「Saving Private Ryan」(ライアン二等兵の救出)なので納得。邦題は人をミス・リードする。

そのサイトを含め、複数のサイトで絶賛してたのが「ショーシャンクの空に」。やはり20年以上前の公開である。観てない。それもそのはず、30代のこの時期、私は結婚生活を辞めた頃で、映画どころでなかったから(と言っても、20代は会社を辞め、40代はいろいろあって、50代もいろいろあって、平穏な時期などなかった)。現在は、およそ人生で初めて訪れたかもしれない平穏の真っ最中である。よし!観てやろう。だが、私が契約してる動画サイト(アマゾン・プライムとディズニー+)ではただで観れない(と書くと、いちいち、パソコンが「ら抜き」だと言ってくる)。平穏=貧乏である。有料で観れるほど(また「ら抜き」だと言ってきた)お大尽ではない。そうだ、こういうときのために映画(とオペラ)のエアチェックをしてるんだった。映画とオペラのDVD(ブルーレイを含む)は、他のDVDとは別に、ディスク・タワーに収納している。

それぞれ千タイトルずつはある(ケメ子の敷き布団になっているのはワタクシ)。リストをチェック。「ショーシャンクの空」、ありました!で、視聴。囚人のアンディが勝手にレコードをかけて刑務所中に響かせた曲は、モーツァルトの「フィガロの結婚」から手紙の二重唱でありました。曲名など知らずともうっとりと聴き入る囚人たち。「規律違反」だと逆上する刑務所長らとは対照的でした。


楽譜隊解散

2022-10-18 16:54:30 | 音楽

新ドラ(新しい朝ドラ)でときどき流れるオーボエのメロディーが、「あすか」のテーマとちょっと似ている。あっちは、宮本文昭さんのオーボエだった。その新ドラのお父ちゃんは、家業が苦しくても子供に苦虫をかみつぶしたような顔を見せないから人格者である。さすが、らららクラシックのMCだっただけのことはある(関係ない)。今日は、隣の食堂のメニューに載ってる「いてまえ定食」の献立が気になった。

さて。これまでS会の月例会が終わるとカンタータの楽譜だけ新旧入替をして、アカペラの楽譜はそのまま「すぐ取り出せる所」でスタンバイさせていた。だが、このたび、S会が冬眠に入ったので、楽譜隊を解散して故郷である楽譜棚に帰すことにした。すなわち、これまでは「S会で使う」ということで一つのチームになっていた楽譜隊を、作曲者別に分類して保管することにしたのである(まさに「解散」である)。と言っても、長らく故郷を離れていたので、多くの隊にとって故郷がなくなっている。そこで、棚の一段を空け、分量の少ない隊はクリアファイルに、多い隊は背表紙付きの厚紙ファイルに入れて、終の棲家とした(なお、背表紙の文字を下から読むのはドイツ流である)。

当然ながらシュッツが多い。その中でも「宗教的合唱曲集(Geistliche-chormusik)」は相当多量なので三分割。シュッツは他に「受難曲(Passion)」と「その他(übrig)」のファイルも作った。前者には、第1シーズンで歌ったマタイとルカが入るし、後者には、世俗曲、ダヴィデ詩編曲集(これは一度も歌わなかった)、音楽による葬送(一度さわりを歌った)、そして12の無伴奏宗教合唱曲集(Zwölf geistliche Gesänge。「Ich danke」はこの曲集に入っている)が入る。さすが、シュッツの名を冠したグループで使った楽譜だからシュッツが多い。

あと、特筆すべきは、ブクステフーデ(Buxtehude。写真の左端)の多さ。これも二分割とあいなった。そして、シュッツの大集団のすぐ左にあるシェレ(Schelle)にも注目。この人は、ライプチヒの教会のバッハの二代前のカントル(バッハとシェレの間がクーナウ)。シェレを発見したのは大ヒットだった(もちろん会で歌った)。

その他、クリアファイルに入れた隊(少量なので背表紙はない)は、デュファイ、オケゲム、シャイン、プレトリウス(ミヒャエルとヒエロニムス)、リュリ、パーセル、ラインベルガー等々。こうやってみると、シーズン1と2を通して随分歌ったものだ。

以上は、写真に映ってる段のお話。ちょこっと映ってる下段は、J.S.バッハの楽譜陣のお里である。ここは真に大所帯である。

因みに、「解散」で思い出すのは、「レインボー戦隊」。最終回のエンディングで、隊長のロビンが「レインボー戦隊は『かいさん』します」と言って、私は「かいさん」の意味が分からなくて、なんかいい話なのかな?と思ったらなくなってしまうことだと知ってショックを受けた。この解散宣言は、私がネットオークションで買ったレーザーディスクには収録されていなかったが、その後、発売されたDVDには収録されているらしい。だが、そこの部分だけ見るためにDVDで全部買い直すほどお大尽様ではないので、見れなくてずっと悔しい思いをしているワタクシである。

楽譜の整理は、心のけじめである。これでまた、次に向けてスタートを切れるのである(その「次」が見えてないけど)。

なお、楽譜隊を迎え入れるために空にした棚にこれまで並んでいたのは法律関係の本。廃業のときだいぶ処分したが、捨てるにしのびなく残したものがあった。その多くを今回処分した。こうして、わが家の中も、徐々に別の景色に塗り変えられていくのである。


白い料理(料理の赤はダークサイドの証し)

2022-10-18 08:56:13 | グルメ

新ドラ(新しい朝ドラ)で、息子が「お父さんの炊くご飯は硬い」と言っていたが、電気炊飯器で炊いて堅いというのは、水の分量を間違えたとしか思えない。因みに、私は、ご飯は圧力釜で炊いている。今、使ってるお米は、以前訪れた多古町の米である。その新ドラは前作とは打って変わってほのぼのタッチ。直後のあさイチの朝ドラ受けで大吉さんが「いじめや家庭内暴力の話になったらどうしようと思った」と言ったのは、前作が念頭にあった故の発言とみた。

朝ドラとご飯で覚えてるのは名作の誉れ高い「ちりとてちん」。ヒロインが「お母ちゃんの作るお弁当は茶色い」と言って文句を言っていた(しかし、料理の茶色は栄養の証しである)。料理の色のことを言えば、私の料理はしょっちゅう赤い。トマトソースを多用してるから。だが、こないだ焼いたピザはヘリこそ赤いものの、中央部が白っぽい。

これはきのこがもたらした色である。このインフレのご時世、生活防衛手段は安いモノを買うこと。安いモノ=旬のモノ=美味しいモノでもある。すると、この季節はきのこ。この日ピザに乗せたのはエリンギとブナシメジ。焼き上がったピザから香る香りの香ばしいこと!(「香」が三つ並んだ。二つ同じ言葉が重なる文章はあまり美しくないが、三つだと逆に開き直った感じがしてよい)。

同じキノコでも、別の日はパスタに和え、しかもホワイトソースを使ったから真っ白である。

ウチでホワイトソースを作ることは滅多にない。テレビで教わったまま生クリームを使ったが、お高いからこの一回きりにして、次回からは牛乳を使うつもりである。ソースの調理中はこんな感じ。

因みに、ノーメイクのルチア・ポップのお顔は真っ白で、ある種、のっぺらぼうのようであったと誰かが言っていた。

そもそも「白」とはどういうイメージだろうか?
まず、思い浮かぶのは良いイメージ。「純白」「あの人は白(無罪)」「色の白いは七難隠す」等々。反対に、「黒」は、有罪の意味に使ったりと悪い印象がある。

だが、「白」もネガティヴに使われることがある。「白旗」「白装束」「白ける」「顔が蒼白」等々。逆に、礼服は黒色である。アメリカでも同じらしく「大草原の小さな家」の一家(実在)の結婚式の写真を見たら、全員が真っ黒な服を着ていた。

因みに、相手が「赤」だと、「赤勝て、白勝て」と言った具合に好敵手となる。だが、スターウォーズでは、赤は悪の色である(ダークサイドに墜ちたジェダイの剣の色は赤である。これに対し、善い方のジェダイの剣の色は青である)。だから、いつもの私の料理が赤いのは、私がダークサイドに墜ちた証しである(?)。


放牧

2022-10-17 11:21:18 | 音楽

備忘録。S会第2シーズンファイナルの反省会で某先生(男性)から聞き出したこと。女性を好きになった回数=10回。そのうちの過半数において告ったが、自身の控え目の性格が災いして勝率はゼロ。以上。

さて。S会が冬眠状態になったので、私もゆっくりしよう。目指す生活は、隠遁生活はたまた放牧。どちらの表現がよりしっくりくるかというと、それは直前に見たものによる。ディズニー+でスターウォーズを見た後なら「隠遁生活」。オーダー66(ジェダイ抹殺指令)を生き延びたヨーダ(依田)、オビワン・ケノービ、アソーカ・タノらジェダイが隠遁生活に入ったのは、直接的には帝国の刺客から逃れるためであるが、歴戦の疲労が重なってもうイヤになったこともあるようだ。

競馬中継を見た後なら「放牧」である。解説者が、レースで相当な足を使った馬について「この後は、一冬、放牧に出すのが良いでしょう」と言ってるのを聞いて、それ、ワタシのこと!と思った次第である。

だが、思い出して見れば、レースは……もとい、音楽をする機会はまだまだ残っている。さぼって行ってないが「ぼちぼち来い」と言われてるところもある。新たなお誘いもある。「隠遁生活」又は「放牧」が実現するかは不明である。早くもS会の新装開店セールを期待する声もある。

昨夜、大きい部屋で歌ってみて、つくづくS会が「室内合唱団」であることが分かった。よって、第3シーズンの開店セールの条件は、「パートが揃うこと」と「北新宿のBの部屋が取れた」こととしよう。新装あいなったS会は、今度は古楽の団体らしく、あるいは、帝国の目をあざむきながら活動する反乱軍のように、秘密裏に活動する会となるはずである。すなわち、第3シーズンのS会は秘密結社であり、当ブログで、その名を明かしておおっぴらに活動状況を報告するようなことはないはずである(既に「S会」と呼んでいる)。

因みに、このたび、S会の閉店セールのお知らせを各方面にいたしましたら、以前、所属していた○プ(ここで、冒頭の某先生と知り合った)でご一緒していたM子さん(外国の音楽院で学ばれた方。心に沁みる歌を歌われる)からメールをいただいた。「飯島さんが頑張っているから、私も頑張ろう!といつも思っています」と書いてくださっている。困った。頑張るのをやめて、放牧に出ようと思ってる私であるのに……


ふた「こ」たまがわ

2022-10-16 08:31:39 | 音楽

てっきり「ふた『ご』たまがわ」だと思っていた。ところが、その駅名は路線アプリに出てこない。「ふた『こ』」だったとは知らなかった。そう言えば「にこたま」と言うよなー。勘違いの期間は約半世紀。小学生のとき神奈川県の地理を習ったとき以来である。因みに、その頃、二子玉川から渋谷までは新玉川線だった。田園都市線は大井町につながる路線だった。それが、いつからか渋谷に行く線になった。このようにルートを変えるところは、まるで利根川や荒川である。

で、なんで二子玉川に行ったかと言うと、そこで、管楽器のアンサンブルのコンサートがあったから。メンバーの半数は、私の高校の吹奏楽部の後輩だという。その威を借る後輩がまた増えた!と言っても、歳は私よりずっと下だから、接点はないのだが(そのうちのお一人(フルート)とは、カーサクラシカでご一緒している。こないだも、モーツァルトにつきあっていただいてめっちゃ楽しかった)。こういう立派な後輩を見るたびに、私もクラリネットを中断してなかったら今もっと上手かったかな?とか思う。実は、大学で室内合唱団に入った後も、当該吹奏楽部のOBOGが作った吹奏楽団に入っていた。ところが、大学3年のとき室内合唱団の学生指揮者になり、二つの練習が重なったとき室内合唱団の練習を優先さざるを得なくなった。すると、クラリネットの先輩のしのぶさんに「どっちにするかはっきりしなさいっ」と迫られ(脅され)、泣く泣く吹奏楽団をやめたのだった。後から他の先輩たちは「やめることはなかったのに」とおっしゃってくれたが、とにかくしのぶさんが怖かったのである。まあ、最近、クラリネットを再開できたのだからいい。80になって再開することは考えたら速攻の再開である。

という具合に、そのコンサートは素晴らしかった。曲は、時代的に多岐に及び、どれも素晴らしかったが、特に、ルネサンスの舞曲を最近の作曲家が編曲したヤツは、私的には更なる可能性を感じさせてくれるものだった。すなわち、私は古楽畑であり、クラリネット吹きである。古楽とクラリネットは相容れない、というのが常識であったが、今回聴いてみて、ぜんぜんそんなことはない。十分生ける。今後、こういうのを吹いてみたい。それが新たな可能性である。

終演後は、多摩川の土手&岸辺を散歩。

二子玉川駅って、すぐそこが多摩川なんだなぁ。このあたりになると、多摩川の川幅は結構狭い。もっと東に行くと、東横線と京浜東北線の橋があり、西に行くと小田急線の橋があるんだよな。シン・ゴジラが渡ったのはここだっけ?アザラシのタマちゃんは、どのあたりまで来たんだっけ?

 


おデートのときは飲むからね!

2022-10-15 09:25:19 | 日記

思えば、日銀の前総裁の任期の末期(民主党政権の末期と重なる)、ハイパー円高が進んだのは、世界各国が金融緩和をしてるのに独り日本だけが渋ちんを決め込んだから。気休めの為替介入をしても効果は一時的だった。そして、現在の総裁が登場。Kバズーカと称される金融緩和で円高は解消。ところが、その総裁の任期の末期にきて今度はハイパー円安。世界各国が利上げをしてるのに独り日本だけが低金利のままだから。気休めの為替介入をしても効果が一時的なのは前回の例を見ればシロートでも分かる。だが、現総裁は、断固として利上げに応じようとはしない。物価上昇を自身の使命としているからだろう。総裁にとっては、スーパーのメンチカツが100円から110円になっても、痛くもかゆくもないのだろう。きっと、任期を全うされた後、ふかふかの椅子に身を沈めて、高級ワインかなんかを片手に、公約の物価上昇をやりとげた♥と悦に入られるのだろう。私は、当ブログで、前総裁について「動かざる事日銀のごとし」と書いた。新総裁には「奢れる日銀久しからず」の言葉を贈りたいと思う。

さて。私は、若い頃、「食事はワインと共にするもの。食事の席で水を飲むのはアメリカ人と蛙だけ」と習い、かたくなにそのことを信じてきた。洗脳された、と言ってもいい。だが、現在の体の不調について、やはり飲み過ぎが原因である気もする。いい機会だ。自分自身に問うてみよう。

「ねえ。食事のときお酒を飲む男って、ママはどう思う?」「好き、かな?ルーさんみたいに頭皮ケアするひと……好き、かな?」

これはCMである(私は、ルー大柴ではない)。この後、ルー大柴は、ボトルをもう一本キープし、ママは「喜んで」と言う。ママがいる店ではこういうやりとりがあるのか。綺麗そうなママだって、一皮剥けば骸骨である(その合間には頬肉もついている)。そういう店にはいくもんか。話を戻す。食事のときお酒を飲むことを聞かれたんだった。うーん。好きだが、我慢できるかもしれない。ということで、2,3日禁酒をしてみた。お!風呂いんで!禁断症状は出ないし、朝から快調。よし、これからは、おデートと宴会を除いてお酒は控えるようにしよう……ということは、実質、お酒を飲むのは宴会時のみ、ということになる。ホントに家で飲まないのかって?はいな!いくらでもそう断言しますよ(だって、家で飲んでも誰にもバレないし)。

風呂と言えば、寝る前にぬるいお風呂に15分つかるとよく眠れるらしい。これまでは、食事前にばばっと風呂に入り、風呂上がりにぐぐっとビールを飲んだのだが、ビールを飲まないのなら風呂は食事の後でもよい。そう言えば、子供の頃は、風呂に入ると1時間は出なかった。母が、息子はいったい何をしてるのか?と心配したほどである。息子がしていたのは「禁じられた遊び」ならぬ潜水艦ごっこである。潜水艦のおもちゃを風呂場に持ち込んで、湯船に沈めて遊んでいたのだ。今も、それをやれば長くつかっていられる。と、思って、子供用の潜水艦のおもちゃを物色している、頭の中は子供のままのワタクシである。

念のために繰り返すが、私は、おデートのときは飲むからねっ(誰に言ってんだか)


あんたは最高!

2022-10-14 08:56:40 | 日記

このところ、お昼は雑煮にしている。煮る前にちょっと焼いた方がよく煮える。以前はレンジを使っていたが、電気代をとことんけちってるので、セラミック網を使って焼いている。

さて。ここ数日、テレビで心の不調の話をしている。ちょっと前は、アスリートの告白。競泳の萩野選手は金メダルをとった後不調だったが、実は心の不調で部屋を出られなかったというし、バレーボールの大山加奈選手は、メグカナで大人気だった頃、睡眠導入剤と精神安定剤が欠かせなかったという。彼らの今回の主張の骨子は、心の不調は誰でもなる、自分で自分を褒めよう(肯定感を持とう)というもの。

なるほどなー、と思ってたら、昨日はお昼のワイドショーで、「脳疲労」の特集をしていて、意見を求められたコメンテーター(ジャーナリスト)が、「自分はこの番組への出演が近づくと具合が悪くなる」とまさかの告白。あわてたMC陣が必死にフォローをするも、「お金を稼がなきゃいけないんで出てる」と火に油を注ぐ。だが、そこはジャーナリスト。原因をちゃんと分析していて、それは「がんばろうと思う気持ちと加齢による衰えとのギャップ」だそうだ。思い当たる。ジャーナリスト氏は私より4つ上。私も、今まで綾瀬駅まで25分ちゃりをこげたのに、今、北綾瀬駅までの10分だけ。これはほんの一例だが、こうしたことに衰えを感じてがっくりし、それがまた不調を生むのである(自分の不調の原因が分かった気になっている)。だからこそ、前述の「肯定感」は大事なのである(分かった気が確信になっている)。

因みに、25年前に入っていた某合唱団のMちゃんは、自分が超元気印だから人の弱さを理解できない。団員仲間で心の不調を訴える人に対して、冷たく「そんなことを言っても、だーれも同情なんかしてくれないからね」と言い放った。だが、心の不調は誰でもなる。Mちゃんも、その後、例えば、当時付き合っていた奥さんのいる男性と泥沼の関係になり、心の不調になったなら、他人の気持ちが分かるようになったかもしれない……いや、例が悪かった。そんなことくらいでめげるMちゃんではなかった。周りの心を不調にしつつ自らはいっそうたくましくなって、最強のMちゃんになっているかもしれない。そういう人には近づかないことが自己防衛手段である。

じゃ、誰を近づけたらいいかというと、これはもう、自分を肯定してくれる人である。でも、なかなかそういうありがたい人はいないもの。そうだ!オウムを飼おう。で、「あんたは最高」という言葉を覚えさせて、一日中言わせよう。冗談のようで、案外、名案かもしれない(だが、猫のいるウチだと、一日中に猫に狙われて、オウムが心の病になるかもしれない)。

え?耳に痛いことを言ってくれる人こそ、成長させてくれる?あのね、この際、成長はいいの。成長して病気になっちゃったら元も子もないでしょ?

因みに、大昔、日本テレビで「今夜は最高」というタモリさんがメインの番組をやっていて、相当に面白かった。和田アキ子さんとかが参加して作ったオペラも秀逸だったし、塩沢ときさんが記念になるからとアドリブで胸をはだけたときのタモリさんのびっくりした表情は見物(みもの)だった。だが、ほどなく番組は終了。民放の番組としては異例の時間とお金をかけて制作していたらしい。


浮世の人間社会

2022-10-13 09:55:43 | 日記

これまでは協同組合から毎年送ってきたから手帳を買ってなかったが、廃業したからもう来ない。さて、どうしよう。スマホだと、「次の練習日はいついつ」と急に言われてもすぐに入力できない。やはり紙だよな、よし、買おう、と思ったのだが、紙の手帳は、個人情報が書いてあるからむやみに捨てられない。だから毎年増える。思案中である。

ワサビが窓越しにベランダを見ている。

ベランダにあるのは、プランターに植わったバジル。

わっさわっさ生えているが、寒くなると、あっと言う間に枯れちゃうから、その前に収穫しなければならない(これまでは、必要になるたびに先っぽを切って食していた。それが摘心になって、更にわっさわさになった)。その時期が思案どころである。収穫したら、ジップロックに入れて冷凍するつもりである。

テレビで、誰かが「岩崎弥太郎は岩崎宏美のお父さん」と言って、画面に「違います」のテロップが出たが、目の不自由な方や、家事をしつつ耳だけテレビに向けている人には訂正が伝わらない。絶対に、全国で何百人かがそれを信じたろう。信じた人が他の人に伝えることによってデマが蔓延するかもしれない(Gの増え方と同じである)。テレビ局の人がそのことに気づかないのは想像力の欠如である。

ある飲み会で、その場にいるA男の不倫が話題になり、みんなが「A男の不倫相手が可愛そう」と集中攻撃。私は、横で、当事者がよければいいじゃん、と思いながら聴いていた。それにしても、みんな他人のことに積極的に意見する。相互に関わり合っている。それが浮世の人間社会である。そういうのが面倒臭いと思う人が隠遁するのだろう。

隠遁と言えば、オーダー66(ジェダイ抹殺作戦)発令後、生き残ったジェダイの多くが隠遁生活を送った。ヨーダしかり、オビワンケノービしかり。それにしても、スターウォーズの物語は長大である。エピソードⅠⅡⅢの後、30年くらいたってⅣⅤⅥになり、その後、更に30年くらいたってⅦⅧⅨである。その間、活躍するジェダイも悪役もどんどん入れ替わる。だから、合間の世界を描くスピンオフを見るときは、いつ頃の話かを把握しとかなければならない。例えば、パドメを見ながら、一瞬、パドメの子(ルークとレイア)は誰に預けてるんだっけ、と思ったらそれは間違いで、パドメが活躍してるときはルークたちはまだ産まれてないのである。

 


7人の味方あり

2022-10-12 13:23:42 | 音楽

カーサクラシカのセッション(ピアノはおなじみ!金澤亜希子さん)で、ストラデッラを初披露。カウンターテナーで歌った。ストラデッラはバロック中期のイタリアの作曲家で、私に合いそうな歌の楽譜がネットにごまんとある。だが、彼は「プレイボーイとして浮名を流し、最後は貴人の愛人を誘惑した咎により、報復としてジェノヴァで暗殺された」そうだ(ウィキペディアより引用)。私とは違う。私は将来知人から「もてない男として貞操を守り、最後は牝馬を追っかけた咎により、報復として馬に蹴られて死んだ」と言われる予定である。作曲者の人格とは正反対。うまく歌えなかったのはそのせいか。いや、今回、いつもの思いつきでいきなり歌ったもんだから、練習が足りなかった。そのせいである。歌も楽器も四の五の言わずにひたすら練習。それが、最善の道であろう。

と、言っても、男も女もカウンターテナーも家から出ずれば7人の敵がいる。いや、7人どころではない。世間のほとんどが敵と言っていい。20世紀後半の文化を塗り替えたと言ってよい「スターウォーズ」ですら、試写を見た業界人たちは「冒頭のテロップが長い」「チューバッカは猿なのになんで二足歩行してるのか」「レイア姫の団子のような髪型は変」等々の罵詈雑言を浴びせまくったという。この話を聞くと、「世間」というのはつくづくバカである。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲だって、初演時は高名な批評家のハンスリックから「悪臭のする音楽」と酷評された。「高名」の別名は「バカ」である。そのようなバカにあふれた世の中で、めげずに我が道を行くには自分を信じるしかない。だが、それも大変である。スターウォーズの産みの親のジョージ・ルーカスですら公開時はすっかり自信を喪失し、失敗を確信して誰とも連絡がとれないところへ逃げ込んだという。唯一、友人のスピルバーグだけは成功を確信していたという。

そこへいくと、カーサクラシカには7人(以上)の味方がいる。昨夜も、クラリネットの達人とヴァイオリンの名人と初めて会って、いろいろためになる話を聞くことができた。モーツァルトの交響曲第39番のメヌエットをクラリネットで演奏するときは、高校の吹奏楽部の後輩(心の先輩)がフルートで付き合ってくれて、とっても楽しかった。まあ、失敗もたくさんするだろうが、あのグルベローヴァですら、カラヤンの指揮で魔笛に挑んだときの夜の女王は「生涯で最低の出来」だったという(本人談)。完璧を旨とするグルベローヴァにそういう経験があったことは驚きだが、グルベローヴァが失敗することがあるんだったら、私などは毎回失敗しても不思議でない。おおいに気休めになる話である。

ところで、私の不調は本物である。なんと、カーサでワインをボトル一本しか空けられなかったし(一本飲んでるじゃん) 、「朝までアフター会」ではまったくお酒が飲めなかった(オールしてるじゃん(注:「オール」とはオールナイトのこと。私の年代は知らない人がいると思うから注釈を付けた))。ま、しかし、よく思い出してみれば、金曜日から連チャンで大酒を飲んでいる。不調はそのせいだ。以前よりちょっと歳をとった。それに見合った風に生活習慣を変えていく必要があるのだろう。チャリでこぐのも綾瀬まではやめて北綾瀬までにした。そういうことである。とりあえず、目の前に迫ったS会第2シーズンの最終回の反省会を完結するまで、体調維持に万全を期す(断酒するなどという無理は最初から言わない)。因みに、知人がやってる結婚相談所のお世話になろうと思ったら、な、なんと年齢制限があるんだと。65歳なんだと。猶予期間は20年未満である(ジュースの果汁含有率10%未満と同様の人を惑わす書き方である)。

今日のブログにも相変わらず、いろんな内容をぶちこんだから、読者の興味をひく箇所はまちまちだろう。因みに、筆者的に筆が乗った箇所は「カーサクラシカの7人の味方」「スターウォーズの試写を見て酷評したおバカな人達」「貞操を維持した私が最後牝馬に蹴られて死ぬ」の各部分である。


貼り紙

2022-10-11 08:28:02 | 日記

自然の中の風景のようにも見えるが、もう少しカメラを引くとこう。

実は都会であった。この街は、外国人の街として有名だが、管楽器の街でもある。私のクラリネット(B♭管)は、半世紀近く前、この街で買ったものである。練習に行く途中によく通る街なのだが、常にこうした空を見れるわけではない。そこには、練習の開始時間と日没の時間が関係している。

さて。その練習場のエレベーターの脇には、こうした貼り紙がある。

酒気をおびてたらダメ?じゃあ、景気づけにサイゼリヤによってワインをひっかけていったらダメということ?居眠りの方が入館する心配はないだろう。寝てたらこのエレベーターの前に立ってないはずである(夢遊病患者なら別だが)。一番問題なのは「悪臭」。ジョニー・デップは、「パイレーツ」の撮影にお風呂に入らずに来るもんだから臭かったと共演したオルランド・ブルームが言っていた。すると、デップはこの施設には入れない。だが、そうした冗談では済まないかもしれない。子供の頃読んだ本に、体臭による差別を肯定するかのような記述があった。今なら発禁ものである。この貼り紙は、「お風呂に入って来なさいね」という意味だろうが、あまりいい感じはしなかった。この貼り紙とは関係ないが、銭湯や温泉では大抵タトゥーお断りを謳ってるが、サッカーの試合で外国人選手のくりからもんもんをみるたびに、この人たちが温泉に来ても入れないのかなー、と思う(当然入れないんだよね。入れたら、逆差別だもんね)。因みに、縄文時代の日本人は、みなもんもんを入れていたそうな。それどころか、東京湾の水辺で働いていた人足さんたちは、明治時代においてもみんなもんもんを入れていたそうな。すると、彼らが現代にタイムスリップしてきても、温泉には入れないことになる。


反省会の下見/プリンター

2022-10-10 08:37:31 | 音楽

次回のS会(この後、冬眠に入る)の反省会の会場探しに出向く。ホントは、ググって電話すれば済むのだが、自分なりの言い訳を作って外食をしたかったのだ。おかげで、笑点の円楽さんの追悼番組を見損なった。だが、出向いた甲斐はあった。目星をつけていたイタリアンの飲み放題のワインをテイスティングさせてもらったのだが、飲み放題にはもったいないような品質。

即決した。冬眠前、良い反省会になりそうである。うーんと反省しよう!因みに、下見のこの日に頼んだお料理は、私がお一人様のときの定番=マルゲリータ・ピザ。

柔らかい生地にたっぷりのチーズがとろけてこちらも満足。プライベートでもまた来たいと思った。

話は変わる。今使っているプリンターはレーザー。レーザーは、トナーとドラムを時期がくると交換するのだが、最近、「ドラム交換」の表示が毎回出るようになった。だが、トナーもドラムも純正品は高い(互換品は何度かひどい目にあったので買いたくない)。これまでは仕事で大量の印刷をしたからレーザーを使っていたが、現在、晴れてプータローの身である。冬眠に入るから楽譜の印刷だってこれまでのようにはしなくなるだろう。最近の大容量のインクタンクを使うインクジェットの方がランニングコストが安いというからそっちに切り替えようか。だが、ついこないだトナーの替えを買ってしまっていた。それが無駄になるのも悔しい。仕方がない、ドラムを交換して、替えのトナーを使い切ったらそれでレーザーはおしまいにしよう。


大谷君に負けた

2022-10-09 10:13:09 | 日記

ケメ子がふみふみをしてる先、もっこりした部分はワサビが潜んでいるあたりである。

ワサビに限らず、最近はケメ子も毛布にもぐるようになった。ある日の毛布の中身はこんな感じ。

分かりにくいが、左側の三毛がケメ子、その下が私、その右側に目が映ってるのがワサビ。左右の位置どりはいつも通りである。因みに、左大臣と右大臣では左大臣の方が位が上。それでも、右大臣だってたいしたもので、武家でありながら右大臣に任じられた源実朝は異例の出世である。その実朝を暗殺したのは甥の公暁(読みは、学校では「くぎょう」で習ったが、今は「こうぎょう」と言うらしい)。鎌倉は、横浜市の高校生にとって憧れの地で、おデートで言ってみたい場所No.1であったが、これほどに血にまみれた地であったかと思うと印象も変わる。それでも、ときどき行きたい街である。私の一推しは円覚寺(北鎌倉駅からすぐ)。そう言えば、2,3年前、大船から円覚寺の裏手の山をめざしてハイキングをし、そこから円覚寺の境内に入る予定が(地図ではそれが可能に見えた)、円覚寺の山側の「守り」は予想以上に厳しく、境内に入ることができず、やむなく道なき道を下ってようやく公道に出ることができた。

私が心からお慕い申し上げている某お姉様は、当ブログを10年このかた読んでくださっていた。ところが、最近読んでくださってない。あのかわいらしいお声で、「今、大谷君の記事を見るのが忙しくて、イージマさんのブログ読む暇がないの♥」と嬉しそう。お姉様から見捨てられたらもう終わりである。奢れるブログは久しからず。私の心の病は、実は、すべてこのことが原因であった。

以上は、お姉様との出来レースである。こういうブログを書くことを既にお伝え済みである。心の病と言うわりには、よく食べ、よく飲み、よく歌っている。だから心の病というのはこれこそ100%仮病。たしかに、昨日のU会に出かける際は絶不調で、このままでは歌えない、サイゼリヤでちょびっとひっかけて勢いをつけよう、と思って店内に入ったら、席はがらがらなのに、「お名前を書いてお待ちください」と言われて名前を書いてもいっこうに案内してくれない。収益を上げるために人手をとことん減らしているせいだろう。諦めて(書いた名前を怒りをこめて抹消して)、会場に行って歌ってみたら、声が出ること出ること。やはり、調子の悪いときこそ歌うべきなんだな、と思い、某唱会をキャンセルしたことを悔やんだ。で、アフター会。参加費を払ったら、あらま!財布にお札がなくなった(財布の中を秋風が吹き抜けた)。某唱会をキャンセルして正解だった。会費を払えないところだった。

なお、お姉様とは出来レースなのだが、一つ私は約束を違えた。「お姉様」という表現は使わないと約束したのに使ってしまった。これは、大谷君に負けたワタクシのささやかな意趣返しである。今、毎日ブログを読んでくださってる方はだいたい200人。義経が衣川で敵に襲撃されたとき、味方はわずか10数騎。それに比べれば200人は大軍。ありがたい限りである。


男にあるまじき(褒め言葉)/クリックラ

2022-10-08 09:20:16 | 言葉

「ほてり、発汗、動機」に見舞われることがある。ホルモンのバランスがくずれたときの症状だ。男でもホルモンバランスがくずれるのかって?くずれる。男がアルトを歌うよりもよっぽど高い頻度で現れる症状らしい(が、社会的な認知は進んでいないらしい。なお、男がアルトを歌うことは病気の症状ではない)。最近の私の脱力については、仮病説と夏バテ説のほぼ二択だったが、ここにこのホルモン説が加わった。加わって早々、最有力説である。もしそうなら、寒くなっても体が火照って寒さを感じなくて済みそうだが、急に寒くなったこの2,3日、ちっとも火照らなかった。うまくいかないものである。

体のこと、と言えば、母が施設にいた頃、施設の人から母のための血圧計を用意しろ、と言われて、簡易式のヤツを買ったのだが、母が亡くなって結局私のところに戻ってきた。それで計った血圧の値が信じられない数値。ホントなら死んでてもおかしく値だ。だから、きっとウソである(器械がボロいに違いない)。私は、若い頃、献血のときの血圧測定で「男にあるまじき低血圧」と言われていた。「男にあるまじき」という表現が、カウンターテナーとしては大層な褒め言葉に聞こえたものである。だから、今更、安物の器械に「高血圧」と言われてもすぐさま信用する気にはなれないのである。

話は変わる。スターウォーズのスピンオフ作品をディズニー+で見ていて、「クリックラ」という言葉が聞こえてきた。字幕は「クリック・クラック」(童話に出てくる呪文)。長いなー。長い字幕はNGじゃなかったの?耳に聞こえるままに「クリックラ」ってすればいいのに。

その字幕は、相変わらずの意訳のオンパレード。その中で、最近、へーっと思った例。おニューの望遠鏡を敵にとられてしまい「あれは新品だったのに」と嘆いた仲間にかけられた言葉が「Das war's」(直訳:それは、(かつて)そうだった)。それに付いた字幕が「諦めろ」。原文は、新品で手元にあったのは過去のことだという客観を重視して過去形を用いたのだが、字幕は、手元にないので諦めるという主観を追加したのである。