拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

「アウトレイジ」はたまた「忠臣蔵」(サングラスの親方)

2017-11-30 22:16:21 | 日記
今渦中にあるT親方はほんとに親方というよりジャパニーズ・マフィアの親分のようだ。サングラスとマフラーの他にも理事会に行くとき乗ってた黒塗りの車。理事会では椅子に深々と腰をおろし……というのはマスコミの表現。要はふんぞり返ってて偉そう。北野武監督の「アウトレイジ」に出てくるどのこわもてよりもおっかない。対面に座した八角理事長が背筋をピンと伸ばしてるのとは対照的だった(八角理事長は、横綱北勝海になる前は保志だった。日馬富士は安馬だった。ついでに、貴乃花は貴花田だった)。「道」を説く人にはふんぞり返ってほしくない。今回の騒動、なんだか忠臣蔵に見えてきた。殿中で刃傷に及んで(二次会で暴力をふるって)切腹させられた浅野内匠頭(引退させられた日馬富士)。対する吉良上野介(貴の岩と貴乃花)はすっかり悪役になって大石内蔵助の仕返しの対象となる(白鵬の仕返しの対象となって貴乃花の元では巡業に行きたくない、と言わせる)。思い起こしてみるに、マフィアの親分じゃなかった親方は昔から説明をしない人だった。大昔、某女優さんとの婚約を破棄した際も、日本中を騒がした兄弟げんかの際も、理由らしい理由を言わない人だった(婚約破棄の際、一人で記者会見に応じた女優さんのことを仲人に決まっていた野球の王さんが○○ちゃんは健気だったねと評していたのを思い出す)。でも、態度には出る人で、お兄ちゃんのこと大嫌いってそぶりがあからさまだった。今でも、モンゴル人横綱が稽古の土俵に上がるとさっと立って帰ってしまうそうだ(と、相撲記者の横野レイ子さんが言っていた)。やはり、人間口(くち)があるんだから説明しなきゃ。以前、「新婚さんいらっしゃい」に出てきた10代の新婦(妊娠検査薬が陽性になったとき「ビンゴ」と言ったという、いかにも軽薄って感じのヤンママ)が、亭主との間に問題がおきると「まず話し合いだよね」と言ったのには敬服した。

モンスター・ペアレント

2017-11-29 21:52:25 | 日記
すみません、某会のソロ・コーナーで私スマホを見てました。でもなぐらないで下さい。前回のこの会で場所を間違えた方がその時「誰もいない」というメールをうっていて「それを見て『違うよ』と言ってくれればすぐかけつけられたのに」と怒ってらした、で、その方が今回またいらっしゃらなかったので、もしやまた別んとこ行った?で、メールうった?と思ってチェックしてたんです(なんで私が怒られなきゃいけないんだ。私はここの幹事でもなんでもない末端会員にすぎないのに。因みに似たような会をもう一個作りました。そっちは私が幹事です)。その数日前、某合唱団の練習の後の飲み会、指揮者が手品のネタを一生懸命説明してるのにスマホをいじってる数人がいる。なんと「つまらないね」とLineで言い合ってた。でも、ビール瓶を振りかざすような人はいない。だから、絶対なぐっちゃぁいけない。ということで、日馬富士は今日引退会見。横綱が人を傷害して警察沙汰になったのなら引退はやむをえないだろう。でも残念。前にも書いたが私は日馬富士のファンだった。自分が一番苦しいのに他の横綱が全員休むから無理して出て優勝したり(責任感)、慈善活動に熱心だったり(優しい)、絵が上手だったり(繊細)。だから、引退やむなしと思いながらもなんとか何場所か出場停止くらいでおさまってくれればと思っていた。被害者の貴の岩だってこれでモンゴルに帰れなくなったし、休場が続けばどんどん地位が下がるし、ご本人が望んでいた結果とは思えない。今日の会見によると、事件後、貴の岩が日馬富士のところに謝りに行って、握手して和解した。だから日馬富士はもう解決したと思って九州場所に出場したのだ。そしたらこんな大事(おおごと)になった。大事(おおごと)にしたのはもちろんあのサングラスをしてマフラーを肩にかけたマフィアの親分みたいな被害者の師匠(ご母堂が、あたしが妻だったらその格好を諫めると言っていた。変なところで嫁姑問題を見た感じ)。なんだか、喧嘩した子供同士は仲直りしてるのに後から話を聞きつけた親が大騒ぎして「お前、もう学校行かなくていいからな。父さんがきっちり仕返しをしてあげるから」「父さん、もういいよ、ぼく学校行ってみんなと遊びたい」「馬鹿言うんじゃない、父さんがいいようにしてやるからお前は家にいて一歩も外に出るんじゃないよ」って話のよう。それにしても、私、大好きな日馬富士が人をなぐるなんてありえないと思ってるところに「酒乱」って話を聞いたからそれをふまえてブログを書いた。でも、今日の会見で本人も親方も「酒乱」をきっぱり否定した。じゃあ、最初の「酒乱」って誰が言ったの?その親方、泣いてましたねぇ。弟子が子供同前なのはなにもマフィアの親分だけじゃないってことだわさ。私、自分も白黒つけなきゃ気が済まない性分だったがあのマフィアの親分を見て反省。人間、落とし所が肝腎なんだなぁーって。

E-Musik(クラシック)とU-Musik(娯楽音楽)の違い(競馬のファンファーレはどっち?)

2017-11-29 13:30:12 | 音楽
(承前)E-Musik(まじめ音楽=クラシック音楽)とU-Musik(娯楽音楽)の違いがどうにも分からない。使う楽器だろうか?いや、昨日の「歌コン」(歌謡番組)の伴奏は東フィルだったぞ。マイクの有無だろうか?いや、三大テナーはマイクを使ってたし、和田アキ子は紅白でマイクなしで歌ったことがある。聴衆の聴く態度だろうか?ふむ。クラシックは静かに聴かないと怒られる(「花子とアン」で蓮子様は夫の炭鉱王が弦楽四重奏の演奏中に煎餅をばりばり食べていたのをたしなめた)。ロックは客が大騒ぎをする。しかし、これとて例外がある。ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートのラデツキーマーチは聴衆が曲に合わせて拍手をする。パヴァロッティが北京でボエームを歌ったときはハイCを出したところで聴衆が拍手喝さいした。ドミンゴのリサイタルでは、ドミンゴがアンコールで客にも一緒に歌えと強要し、大人しい日本人を困らせる(九州の聴衆は大きな声で歌っていた)。そういえば、こないだのグルベローヴァのルチアのとき、臨席の男性が始まる前に大きな声で独り言をしゃべりまくっていて(まったく普通に会話するような感じで。だから横に小さなつれがいるのかと私、体を伸ばして覗いてみたら一人だった)、このまま始まった後もしゃべってたらいやだな、と思ってたら、独り言はぴたっと止まったが、代わってものすごい鼻息。こいつ寝てんのか?と思ったらまじめに(E-MusikのE=ernst)聴いている。これじゃ注意もできない。カラヤンがレコード録音に注力した理由を聞かれて、「わくわくしながらコンサートの席についてたらぎりぎりになって飛び込んできた客が隣の席に座って汗臭かったらいやだろ?」と言っていた。家でレコードを聴くぶんには誰にもじゃまされない、ということだ。聴きながら煎餅をばりばり食べても誰にも怒られないし。E-MusikとU-Musikの話に戻る。競馬のG1レースのときの生ファンファーレはどちらだろう。パーンパパパーンパパパーーーン(うぉー!)パパパパーーーン(うぉー!)パパパパーーーン(うぉー!)……観客が熱狂的に「うぉー!」と合いの手を入れる。最後は拍手喝さい。こんなに聴衆が盛り上がる演奏も珍しい。普段は自衛隊の音楽隊が演奏するが、NHKマイルチャンピオンシップのときはN響が吹く。なんだかいつもよりテンポが緩くて音が丸くていまいち観客と一体になってないような。

ワーグナーはクラシック(古典派)ではないが、ワグネリアンはクラシックに出るかもしれない

2017-11-28 18:33:17 | 音楽
ふと思った。「茨城」は「いばら姫」の眠る城か?茨城県の「茨城」の名の由来の一つに賊から守るために城を茨で作ったというのがあるそうだ。さて本題。前回、「いばら姫」の中に「aufheben」って言葉があって、そっちは某都知事の用法とは違って通常の用法であると書いた。だが、「通常」はなにで「変チクリン」がなにと決めつけてもいけない。言葉の使い方は人それぞれだ。例えば「クラシック」と聞いて、音楽好きなら「クラシック音楽」を思い浮かべるだろうが、競馬好きなら「ダービー」を初めとするクラシッック・レースだろうし、車好きなら「クラシック・カー」、家具好きなら「クラシックな家具」、それからさっき知ったのだが、コスプレ好きなら「クラシック・ナース」だろう。ところで、一口に「クラシック音楽」というが、いったいどこからどこまでがクラシック音楽なのだろうか?例えば、私は「古楽」「ベートーヴェン」「オペラ」が好きだが、ベートーヴェンを除いては「クラシック」という呼び方がどうもしっくりこない。あらためて、Wikiのドイツ語サイトでその定義を見る。まず、音楽はE-Musik(いい音楽!ってことではなく(それでよいかもしれないが)、「ernste Musik」(まじめな音楽)の略だ)と、U-Musik(Unterhaltungsmusik(娯楽音楽)の略)に大きく分けられ、E-Musikが広義のクラシック音楽(klassische Musik)に相当する。で、その広義のクラシック音楽がさらに古楽と狭義のクラシック音楽(古典派)とロマン派の音楽に分類される。さらに、狭義のクラシック音楽は、前古典派とウィーン古典派(最狭義のクラシック音楽)に分類されるということだ。しかし、そもそものE-MusikとU-Musikの区別がどうも気に入らない。じゃあなにかい?クラシックは娯楽で聴いちゃぁいけないのかい?まあ、言葉の使い方は場に応じてということで。「ワグネリアンがクラシックに出る」と言った場合、これは音楽の話をしているのではありませぬ(ひーんひひひひひ)。

いばら姫

2017-11-28 10:50:33 | 言葉
相変わらず読み続けているグリム童話はいよいよ「いばら姫」。そこに流行語大賞候補のあの言葉が出てきた。「祝宴に呼ばれなかった13番目の魔法使いがやってきて、姫に『15歳で死ぬ』との呪いをかけた。それを12番目の魔法使いが『aufheben』(これこれ!)できなかったが、『100年の眠りにつく』に緩めることができた」。ここでの「aufheben」は某都知事(都知事は一人しかいないのだから伏せ字にならない)がお好きな「止揚」の意味ではなく、もっと普通の用法の「取り除く」。そりゃそうだ。メルヘンに「止揚」なんて哲学用語を使っても子供は分からない。読んでる大人だった分からない。ところで、「100年の眠り」だと目が覚めたらみんないないよなぁ、将来の宇宙飛行士と同じで寂しいなぁ、と思ったが、王と王妃をはじめ城中が眠りにつくから無用の心配であった。それでも怖いと思ったのは、城が眠りについてる間、城の回りはいばらで覆われ中が見えない状態。何人かが侵入を試みたが、体がいばらにからまれて身動きができなくなってみんな死んでしまった……げー、じゃあ、城の周りはお陀仏だらけ!?じゃあどこかの王子様はなぜ侵入できたかというと、この人がとりわけ勇敢とかいうのではなく、100年たったので自然と通路が現れたというのだ。グリム童話は、その王子と結婚してめでたしめでたしとなるが、別の童話集でのヴァージョンでは、姫が眠りについたとき王と王妃は落胆して城を去ったりとか(すると、さきほどの心配(目が覚めたら肉親がいない)が現実のものとなる)、眠りを覚ましてくれた王子の母が人食いで姫と生まれた子を食おうとしたとか、なかなかおぞましい。さて、冒頭、「魔法使い」と書いたのは「die weisen Frauen」。直訳すると「賢い女(達)」でそう訳しているものもあるが、一般には「魔女」になっている。魔女は魔法を知っていて賢いのだろう(でなければ呪文を忘れてしまう)。魔女もいろいろある。「Hexe」「Zauberin」そして「weise Frau」。

エルコンドルパサー(コンドルは飛んでいく)

2017-11-27 19:27:41 | 言葉
昨日開催されたジャパン・カップで過去優勝した馬に「エルコンドルパサー」がいる。スペイン語の知識は1ミリもないが、1ミリくらいはあるイタリア語の知識を動員すると、これ、「theコンドル・パサー」だよな。「パサー」はパスと似ているから「過ぎ去る」だろう。すると、この馬は「コンドルは飛んでいく」か?はたしてそうであった。以上は、スペイン語をご存じの方なら、「Das ist ein Garten」=「これは庭です」で感心するくらいの「馬鹿丸出し」に見えるであろう。「丸出し」でもめげないところが私のいい所(大昔、「丸出ダメ夫」という主人公が登場する子供番組があった)。ところで、「el」(the)が付いているということは、飛んでいくコンドルは特定のコンドルなのだろうか?それとも「コンドルという鳥」といった感じの種類を表す定冠詞なのだろうか?馬がなぜコンドルなのだという疑問は言うまい。そんなこと言ったら「ジェンティルドンナ」は馬なのになぜ人(貴婦人)なんだ?ということになる。昨日勝った馬についてはそうした疑義はない。「シュヴァルグラン」はフランス語で「偉大の馬」。大本命視されていたキタサンブラックは連覇を逃したし、年上のおとこ馬に挑戦した3歳牝馬のソウルスターリングは7着に敗れた。あらためて、ジェンティルドンナのすごさを実感。3歳牝馬でありながらこのレースに勝ち、翌年連覇したもんね。

割れても聴けるホロヴィッツ

2017-11-26 11:51:11 | 音楽
なーんてタイトルだと例の来日公演の際の「ひびの入った骨董品」を思い浮かべる人があるかもしれない。そうではなく、全盛時に録音したトロイメライのSP(78回転のレコード)をソファに置きっぱなしにして、忘れて座ってバリッと割ってしまった話(子供の頃)。アナログの良いところは、それでも真ん中の紙のラベルの部分でつながっていてバラバラになってさえしなければ再生できるということ。そう、私が小学生の頃、家にあったレコード再生装置である「電蓄」(電気蓄音機の略)は故障でLPが聴けないので、もっぱらSPばかり聴いていた。30センチ盤でも3分で終わる。逆に、そのくらいの時間だと朝学校に行く前に一曲聴くのにちょうど良かった。聴いてた中にはストコフスキー&フィラデルフィア管の「ハンガリー狂詩曲第2番」があった。これを父が買ったのは映画「オーケストラの少女」の影響だったことは明らか(ミーハーな父だった)。なんとそのSP盤をFB友達が蓄音機(電気なし)で再生した動画をアップしてくれた。懐かしいし、音がびっくりするくらい良い。昨日は、昼、映画「愛と哀しみの果て」で蓄音機でSPをかけるシーンを見て、夜、その動画を見て、SPルネサンスの日であった。あと、子供の頃聴いたSPの中にはカルメンの第1幕への前奏曲もあった。その後オペラを聴くときはもちろんだが、「たけしのTVタックル」のテーマほか、いろんなテレビ番組で使われてて、それを聴くたびにある種の感慨にひたる私である。関係のない余談(以前のブログに書き忘れたこと)二題。その1。リゴレットに「Va!」(去れ)と言われる殺し屋スパレフチレはブルゴーニュの出身である。最近ヌーヴォーが解禁になったボジョレーだってブルゴーニュの南端にあって一応ブルゴーニュである。その2。黒柳徹子さんのドラマ(トットちゃん)での口癖の「あらま」(気づいたら私もしょっちゅう使ってた)は、イタリア人には相手の話にいちいち反論しているように聞こえるのだろうか(あら、ma)。

愛となんとか(映画のタイトル)

2017-11-25 21:36:36 | 日記
外国映画の邦題は映画会社の人が付けるんだろうが、それにしてもワン・パターン。特に多いのが愛のなんとか。「愛」を付ければいいと言わんばかり。しかも、「愛」に続く言葉も似たようなものばかり。例えば「愛と哀しみの果て」と「愛と哀しみのボレロ」。このうちぐぐってたくさんヒットするのはメリル・ストリープが主演した前者。でも音楽やバレエファンは後者になじみがあるだろう。モデルがカラヤンやヌレエフだから。それから「愛と追憶の日々」と「愛と喝さいの日々」も紛らわしい。しかも、これら二つともシャーリー・マクレーンが主演ときている。ええと、バレエ団の話は「喝さい」の方だったよなぁ。まだある。「愛と青春の旅だち」なんてのもあった。リチャード・ギアーが主演したやつだ。以上挙げた中で、原題に「Love」の「ラ」一文字でも入ってるものなど一つもない。さて、今日録画を見たのは「愛と哀しみの果て」。実は「フランス軍中尉の女」以来Mストリープのファン。ストリープは役によって「イタリア訛りの英語」とか「イギリス英語」とかにこだわるので有名だが、この作品では、「デンマーク人の英語」ということで、わざと下手に英語をしゃべっていた(と思う)。そう言えば、「シン・ゴジラ」で石原さとみが日系アメリカ人の役で出てて、変な日本語をしゃべっていたが、英語もネイティヴには聞こえず、結局、日本語も英語も変という変な結果に終わっていた(「てるてる家族」の石原さとみは大好きなんだけど)。「愛と哀しみの果て」に戻る。この映画の中で、ストリープがロバート・レッドフォードに対して「私を好きなら誘わないで」と言ったと思ったら次のシーンで二人して車に乗っていた。これが大人の恋愛か、こういうことを知らずに還暦に近づくわが身が「愛と哀しみの果て」であると嘆くことしきりの私であった。

ま(オー・ソレ・ミオ)

2017-11-25 09:00:23 | 音楽
「ま」もインパクトがある。「しかし」「but」「aber」を一言で言い表す。昨日の「あさいち」でイル・ヴォーロという声楽ユニットが「オー・ソレ・ミオ」を歌っていたが、この曲の中間部、一番もりあがるところも「マー・ナートゥ・ソーレー」(しかし、もう一つの太陽は)と「ま」で始まる。不思議なのは、一般に日本では、この部分に「オー・ソーレ・ミーオー」を当ててることだ。子供の頃持ってた歌集に原詩が書いてあって、この部分が「オー・ソレ・ミオ」になっていないのが不思議でならなかった。最初に誰かが書き換えて、それが日本での常識になってしまったのか。とにかく、この部分、その歌集をみながら原語(もどき)で歌っていたのだが、イタリア語の知識など1ミリもなかったから、「ま」=「ma」=「しかし」なんてことは知る由もなく、「マナトゥ」で一語だと思っていた。逆に、私の名前をイタリア人が聞いたら「しかし」+「さし」と思うだろうか?似たような話(切り方によって意味が違ってくるという話)は「女心の歌」にもある。これもレコードのおまけのヴォーカル・スコアに原詩と堀内敬三訳が併記されていて、「女心の歌」などは原詩で歌っていたのだが、最初はもちろん意味などなーんにも分からず、問題は多少初心者に毛が生えた程度にイタリア語が分かってきたときだ。「クァル・ピウ・マル・ヴェント」と歌っていて(ほら、そこが間違ってるでしょ、と言うイタリア語を知ってる人の声が聞こえる)、これがどうして「風の中の羽のように」になるのかが分からなかった。だって、「~のような・もう少し・もう一度(ドイツ語)・風」のどこにも「羽」がないからだ。馬鹿丸出しであった。真実は「クァル・ピウマ(風)・アル・ヴェント」だった。なまじ知ってる単語「piu」があったため、場違いなドイツ語まで持ち出して勝手に文章を作っていたのであった。因みに「馬鹿丸出し」は山田洋次監督がハナ肇主演で撮った映画だが、ちょっこし出ただけの渥美清が圧巻で全部もっていってしまった。その渥美清さんは黒柳徹子さんと大の仲良しだったそうで、そのくだりが「トットちゃん」(ドラマ)でどう描かれるかが興味津々である。

2017-11-24 10:43:53 | 音楽
いただいたコメントによると、富山では「あなた」のことを「ば」と言うそうだ。そういえば、イタリア・オペラのテキストには「Va!」(行け!)がよく出てくる。一字で文になってしまうんだからイタリア語は経済的。そのぶん日本語訳が大変だ。「Va!」が乗ってる一音に「行け」の二文字をあてなければいけない。そういえば、リゴレットが殺し屋スパラフチレと別れるとき「Va!Va!Va!Va!」と言うのだが、ここ、堀内敬三訳だとどうだっけ。見てみよう。あれ?ない。中一のときに買った全曲盤レコードのおまけについていたヴォーカル・スコア(私はこれと第九のスコアで音楽の勉強をした)。私の宝物なのに、レコードもろともない。捨てるわけないから押し入れの奥にあるのだろう。私の目の黒いうちに再会できるだろうか?仕方がないから、必死に思い出してみる。「行けっ!行けっ!行けっ!行けっ!」だっけ。「行けっ!行けっ!もう、いい」だっけ。「さ、ら、ば、じゃ」だっけ。だんだん想像色が強くなってくるようでもある。最初の話に戻そう。日本語どころではない。ドイツ語はもっと長い。しかも、展開に時間がかかる。イタリア・オペラでは「ターモ」「ぶちゅっ」で終わるところ、ヴァーグナーだと「この思いはなんなんだろう」と分析し始めるからなかなかぶちゅっにならない。例えば「行けっ」は……あらま「Geh'!」で済んじゃった(ヴァルキューレの第2幕の幕切れ)。おまけの話その1。イタリア人に「ターモ」と言ったら(別に愛の告白をしたわけではない。オペラの歌詞にこんなのがあったよという話)、「ティアーモ」だと直された。「『ターモ』は省略形でオペラではよく聞く」と言うと「聞いたことがない」と。その2。「あらま」はお昼にやってる「トットちゃん」で黒柳徹子さん役の女優さんがよく言う台詞。気に入ってる(台詞が。それから女優さんも)。

Hannaはハンナにあらずしてハナなり(♪はーるのー)

2017-11-23 09:12:15 | 音楽

解禁から1週間遅れのボジョレー・ヌーヴォー。併せたのはピザと鶏胸肉のソテー。ピザは14分焼いたところでいったん取り出しバジルを乗っけてもう数分焼いた。バジルを乗せるのは最後ぎりぎりでもよかった。さて、今再放送している「花子とアン」で、今朝、兄やんの出征のお祝いの席でみんなが赤ワインらしきものを飲んでいた。ふーん、山梨では戦争前から葡萄酒を飲んでたんずらね(ググったら、山梨でぶどう栽培が始まったのは800年前からだって)。で、はなが「おらのこと、ハナでなくて花子と呼んでくりょー」と言ってるが、ハナでもいいじゃん、ハナだったらドイツでも通用するずらよ。「Hanna」=「ハナ」。一般に、「Hanna」は「ハンナ」と訳されてるが、会話では「ハナ」。「sammeln」も「ザンメルン」ではなく「ザメルン」(でも、歌は別。長い音符に乗ってたら「ン」「ム」を意識する。例えば、シュッツの「Sammelt zuvor……」は「ザムメル……」って感じ。「ザーメル……」だと具合が悪い)。それから、山梨の人は驚いたときに「てっ」と言う。ラテン語の「(ad)te」を連想する。だとすると「てっ」=「あなたを」となる。私、父が山梨出身で、夏休みに父の実家に行ったとき甲州弁を聞いていたから甲州弁は懐かしい。ドラマの中ではマキタスポーツさんの甲州弁が一番自然に聞こえる。当然だ。マキタスポーツさんはネイティヴだから。「ハナ」に戻る。「♪はーるのー、うらあらあのー」(花)の曲名を私はずっと「隅田川」だと思っていた。

酒はキ○○○水

2017-11-22 11:31:31 | 日記
そりゃ殴った方が絶対悪い。最近は被害者の親方についていろいろな意見が出てて、私も、弟子は実の子供以上だと言うのは分かるがあの親方のやってることって弟子のためになってるのかなと疑問だし、いくら協会に不信感があると言ったって相撲協会はれっきとした公益財団法人で親方はそこの理事だから報告義務も説明義務もあるのにそれを果たしてるように見えない。だが、それとこれとは別。とにかく殴った方が悪い。日馬富士には厳罰が下るかもしれないがやむを得ない。それにしても残念。私、横綱の中では日馬富士が一番好きだった。小兵なのに気持ちで相撲を取ってたし。他の横綱が全員休場したとき自分も調子はよくないのにがんばって出場したりして責任感が感じられるし。慈善活動にも熱心で優しい気持ちが感じられるし。横綱をはりながら大学院に入学したりして勉強家だし。絵も上手で繊細だし。そんな人がなんで後輩をなぐっちゃったんだろう。え?日馬富士は酒乱?(追記:引退記者会見で、本人と親方は酒乱であることを否定)あちゃー。酒はキ○○○水という。酒で身を滅ぼした人がどれだけいたことか。私もよくここまで生きて来れたなと思うくらい酒での失敗談は後を絶たなかった。古くは、学生時代、地下鉄の高田馬場駅の最上段から一番下まで転げ落ちた。「蒲田行進曲」の階段おちを地でやったわけだ。しかも着地は頭で。2週間口が開かなかった(でも生きている)。しかも、こういうことが一度や二度の話ではない。それこそ、検査をすれば「頭蓋骨の骨折の跡」だらけだと思う(それでも生きている。頭蓋骨が丈夫であることはたしか)。とにかく酒はキ○○○水。いや、キ○○○水にさせるのは飲む人間の方だ。某元サッカー選手は数年前の飲酒上の不祥事からはいっさい酒を飲んでないそうだし、某国民的アイドルは酔って全裸になってとっつかまってからしばらくは酒を断ったそうだ。私も失敗するたびにノン・アルコールビールを山ほど買う(今、それが在庫となっている)。まあ、最近は目立った失敗もなく、酒席で同じことをぐるぐるしゃべって回りにご迷惑をかける程度(程度ってなんだっ?すっごい迷惑だぞっ。ははっ、すみません、同じことを話す母を見るたびに、私も酔っ払ったときは同じだと自覚して反省してます)。話を戻す。今回の事件の被害者の方はまた元気に相撲をとってほしいし、日馬富士も重い処分が下るだろうが粛々と受けて人生再スタートしてほしい(なーんて私ごときが言うことではないでしょうけどね)。大昔、やはり酔っ払ってタクシーの運転手さんに暴行した名物アナウンサーがしばらく謹慎した後、番組に復活したときちょうど見ていて、他のアナウンサーが何事もなかったように「担当は○○アナウンサーです」と紹介したとき、「その前に」と自ら切り出し、お詫びの言葉を述べていたのを思い出す。

2017-11-22 09:23:12 | 日記

ベランダのプランターは大葉も終わって現在休耕状態なのだが、妙に緑が映えている。苔だ。よく見ると、なかなかきれいだ。鋤き返して次に備えようと思っていたが、しばらく苔を眺めることにする。「君が代」に「苔のむすまで」とあるが、巖に苔がむすには時間がかかるのかもしれないが、プランターの土にはすぐ苔がむした。一般には「苔」のイメージはどうなのだろう。「コケにしやがって」というからあまりいいイメージではないのかな?と思って調べてみたら、「コケにする」の「コケ」は仏教用語の「虚仮」であった。

シュッツのマタイでも岩が裂けていた

2017-11-21 08:53:00 | 音楽
バッハのマタイ受難曲の通唱会が終わったが、シュッツを歌う会で歌い繋いできたシュッツのマタイもいよいよ最終盤。ところで、最初にシュッツのマタイをつらーっと聴いたとき、あれ?エヴァンゲリストの歌詞に省略あり?と感じた。もちろん、バッハのマタイのように、エヴァンゲリストの間のアリアだとかコラールは一切ないからもともと簡素ではあるのだが、エヴァンゲリスト自体、なんだか足りない感じ。しかし、それは気のせいだった。なんでそう感じたかというと、バッハの方は、イエスが亡くなった後、「垂れ幕が裂け、地が揺れ、岩が裂ける」。ここんとこのエヴァンゲリストの音符が激烈で、まさに天地がひっくり返るような歌なのだが、シュッツの方は、そういった目に見えるような激烈な部分がなくてつらーっと進行して終わる。だから、省略されたように思えたのだが、いや、ちゃんと聴いてみると、たしかに「垂れ幕が裂け、地が揺れ、岩が裂け」ていた。もともとバッハに比べると、シュッツのエヴァンゲリストは音の幅が狭く、大体1オクターブの中に全部入っている。高い音もないから、フィッシャー・ディースカウがエヴァンゲリストを歌ったりしている。でも、本来そっちの方が難しんだろうな。あまり動きのないなかで物語を表現するわけだから。そう言えば、われわれのシュッツを歌う会も言ってみれば通唱会だった。だって、みんなでエヴァンゲリストを歌うんだから。で、つらつら歌ってきてようやく最後の方まできたのだが、反省。せっかく鈴木仁先生のお手本(CD)があるのに、ろくに聴かずに音を追うだけできてしまった。どうしよう。もう一回最初から歌ってみようか?今度はもちっとお手本を頼りにして。かようにゆるーい会なんです、私達は。でも、面白そうと思う方、大歓迎!因みに、ピッチは自慢。最初に一回音をとっただけで完全アカペラでも音をとりなおさずずっと維持できる(こともある(なんだそりゃ))。