拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

「山川惣治」「ジャングルブック」「狼少年ケン」

2024-05-22 09:52:58 | 小説

続いて動画配信が奨めてきたのは2016年製の「ジャングルブック」。子どもの頃、子供用小説を読んで以来である。あれ?読んだ内容と違う。主人公のモーグリが狼少年で黒豹と熊が味方である基本線は同じだが、ほかは、いろいろ違う。例えば仇役の虎のやっつけ方が本では水牛の群れに踏み潰させたのが映画では木から火の中に転落させている。それから大蛇の扱い。本では一見味方なのだが実は催眠術を使って敵味方構わず飲み込む魂胆なのに対し、映画では徹頭徹尾敵である。

しかし、「狼少年」とくれば、私の年代はモーグリよりも圧倒的に「ケン」である。その主題歌は鮮明に覚えている。同い年の横野君に覚えてるところでイントロ部分を楽譜にしてもらった。

そうそう、これこれ。「わーお」は少年合唱で、「ボバンババンボン」は低い男声。この直後に本編が始まる。最近、この「ボバンババンボン」をCMで聴いた。いったいこのCMはどの世代をターゲットにしたんだろう。私達の世代だけでウケても商売にならないと思うんだけど。因みに「ボバンババンボン」に漢字を当てたら「戊番場番盆分母番場馬場戊番場番盆分馬盆」になった。それから、横野君は、最初の「わーお」を聴いてヘ長調だと思ってると「ボバンババンボン」で、え?変ロ長調?とフェイントをかまされた気分になる、ベートーヴェンの交響曲第1番の冒頭なみのフェイントだ、と言っている。

あと、ウソばかりつく人のことを「狼少年」という。年齢性別に関係なく。ちょうど、ドイツ語の「お客さん」(Gast)が実際の性別に関係なく常に男性名詞として使われるのと等しい。例の三文字のファミレスの名前はここから来ているのだろう。

「狼少年」ではないんだけど、「少年がジャングルを旅する」でうっすら浮かんでくるのは子どもの頃読んだ挿絵付きの本。はっきり覚えてるのは、大蛇が出てくることと、その大蛇に習って浅瀬を見つけながら沼を渡るシーンのみ。このシーンを思い出すたびに脳内から「少年ケニヤ」という響きが聞こえてくる。この際、調べた。果たしてそうであった。山川惣治作の絵物語「少年ケニヤ」にたしかに大蛇と沼を渡るシーンがあるそうである。是非とも読んでみたい。復刻版が市場に出ている。が、断捨離の最中に荷物を増やすわけにはいかないし……

だいぶ話が逸れて、もはや「少年」「冒険」だけのつながりになるが、子どもの頃(の話ばかりだが)、定期購読していた「こども科学館」に連載されていた冒険小説については、随分前に(と言っても、やはり読んでから半世紀経った後だが)戸川幸夫の「太郎の冒険旅行」であることが判明し、全24巻中18巻を古本で買い戻した。父親の発明した水陸空共用の乗り物で海底、地底、宇宙を旅する物語である。今考えてみると、いろんな作品の寄せ集めの感があり、特に、地球の侵略を目論んだ異星人が地球のバクテリアによって撃退されるところなどは近年スピルバーグがリメイクした「宇宙戦争」そのものである。因みに、この冒険小説には印象的な挿絵が掲載されていたのだが、な、なんと、それを書いたのは、上記の「少年ケニヤ」の作者である山川惣治さんであったことを今知ったところである。今回の記事の目玉であったはずの「ボバンババンボン」が完全にぶっとんでしまった私である。だからタイトルも「山川惣治」が最初に来るのである。


湯河原(回り回ってたどり着いた話)

2024-05-17 08:06:00 | 小説

最近の私の嗜好をよく表している本棚。

最近はキンドルで読書をするので紙の本を買う機会がほとんど無くなったうえに買うとすれば古本。だが、写真に映っている図鑑・地図の半分は新品である。おかげで、新しい紙の匂いを久しぶりに嗅いだ。なんともいいものである。このように、私の頭を占めてるツートップは山と草木。そこには奥地も関係している。山々は奥地の家の窓から眺めているし、「猫の額」は草木に満ち満ちている。

ま(この場合の「ま」とイタリア語の「ma」はほぼ同じ用法)、それでも奥地の家で山と草木だけを眺めているわけではなく、配信動画だって見る……が、そのためにはモバイルルーターが必須なのに前回はそれを持ってくるのを忘れてしまった。なので、キンドルで漱石を読んだ。

キンドル画面は漱石の「明暗」である。「未完」ということなのだが、読めども読めども続きがある。ようやく「完」ならぬ「未完」にたどりついた。なんでも、本作は漱石の作品中最長だそうだ。それで未完である。未完なのがなんとも残念。なんてったって、気持ちが通い合わない新婚の妻を東京に残し、元カノ(人妻)のいる温泉場に行った主人公が元カノと再会したところで切れているのである。私の妄想(希望)は、元カノと怪しい関係にならんとするその場にいきなり妻が現れる、というストーリー。それにしても、登場する男女の会話が辛辣。前回=最初に読んだとき、その時私は子どもだったからその意味するところなど分かるはずがなかったろう。だが、今では、そうそう男と女ってこういう言い方をするんだ、こんな風に鎌を掛け合うんだ、と納得の嵐である。

因みに、主人公が元カノと再開する温泉場だが、東京から汽車でその日のうちに行けて海があると言うので伊豆かな?と思ったらその手前の湯河原だった。モデルになった宿は漱石自身が泊まった温泉宿で、駅から山の方に谷筋を登ったところにあったが、今は取り壊されて別の施設に変身してるという。

湯河原と言えば、以前、真鶴から南郷山、幕山、梅林を廻って湯河原に降りたことがある。梅林から駅までの道はやはり谷筋だったが、「明暗」の舞台の谷筋よりもちょっと北側の別の谷筋だった。南郷山に登る途中の景色はまさに絶景。真鶴半島の全貌が目前に広がり、

その先、太平洋には初島、さらにその先には大島と利島(円錐形から推測)が見えた。

因みに、石橋山の戦いで敗れ、潜伏した岩穴で敵に見つかりながらも知らん顔をしてもらって命拾いをした頼朝が安房国(房総半島先端)に向けて漕ぎだしたのが真鶴半島である。


刑事コロンボ~おまえうまそうだな

2024-05-11 06:15:20 | 小説

刑事コロンボのキャラクターの元は、ドストエフスキーの「罪と罰」でラスコーリニコフを追い詰める判事だそうだ。そう言えば、「罪と罰」は一度しか読んだことがないが、ラスコーリニコフをネチネチ追い詰めるコロンボみたいな刑事がいたっけ……いや、刑事ではなく判事だったのか。そう言えば、同じ作者の「カラマーゾフの兄弟」でも判事が刑事みたいな仕事をしていた。よし、今読んでる漱石の「明暗」をやっつけたら「罪と罰」を読もう。青空文庫(ただで読めるネット文庫)にある。ただし、青空文庫にあるヤツは、普通、キンドルでもただでゲットできるのだが、「罪と罰」はキンドルにタダのがない。だから、タダにこだわる私は、スマホで、青空文庫アプリで読むことになる。

タダにこだわる私だが、芥川龍之介については、「全集」を200円でキンドルで購入した。芥川龍之介は、それこそ多くの作品がキンドルでタダ。なのに、200円「も」出して買ったことは私の信条に反するが、芥川の作品は短編が多い。それをいちいちダウンロードしてたらキンドルの端末内が芥川のアイテムであふれかえってしまう。「全集」ならアイテムはそれ一個のみ。そこから個々の作品に入っていけばよい。芥川龍之介は、中学の国語の時間に全集を読むことを先生から奨められて読んで面白かった経験も今回の全集ゲットの動機の一つである。

というわけで、今は漱石の「明暗」を読んでいる。男女の気持ちのすれ違いを描くのが大好きな漱石だが、この作品の男女は新婚である。新婚早々の隙間風。その風穴を大きくするのに一役かっているのがコバヤシという男。夫の入院中に、妻のところにやってきて夫の不貞を匂わすようなことを言う。これって、まるで、「オテロ」の「イァーゴ」である。ただし、イァーゴは妻の不貞を夫に匂わせたが、コバヤシは夫の不貞を妻に匂わせた。いずれにせよ、自分に都合のいい噂を流して人を追い落とそうとする輩には違いない。このような情報操作は御免被りたいが、チコちゃんによると、これは生き残るために培った人間の性(さが)だそうだ。因みに、「オテロ」の本家本元はシェークスピアで、そこでは「オセロ」なのだが、はヴェルディのオペラから入った人は「オテロ」が当たり前になっている(私は、オペラ好きの横野君から仕込まれたんで「オテロ」である)。ん?妻の名前は、オペラでは「デズデーモナ」だけど原作はどうなの?綴りは同じだけど、発音記号は「デズデモウナ」だった。因みの因み、「エリザベス」のドイツ語は「エリザベート」ではなく「エリーザベト」である。

本の話が続いたのでもう一つ。あさイチで「おまえうまそうだな」って絵本を紹介していた。ティラノサウルスがゴジラみたいに直立二足歩行で描かれているのは良い!この絵本が描かれたのは既にティラノサウルスら肉食恐竜が鳥のように前傾して歩く(走る)との説が定着した後だけれど、作者はあえて直立二足歩行にしたのだろうか。で、そのティラノサウルスと仲良くなるのがアンキロサウルス。おお!アンキロサウルスこそはゴジラ映画に出てくるアンギラスである。因みに、ラドンはプテラノドンであり、欧米では「ロダン」と呼ばれている(考える恐竜?)。なお、ゴジラはゴジラであり、ティラノサウルス等の実在した恐竜とのつながりはないが、唯一、「ゴジラVSキングギドラ」では「ゴジラザウルス」という架空の恐竜が変異した設定になっている。