拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

哀れなるものたち(18禁(映画もブログも))

2024-01-31 09:55:26 | 音楽

お友達がいい!って言ってたから映画「哀れなるものたち」を見てきた(ネタバレあり)。宣伝文句に「天才科学者によって蘇った女性が旅をする」ってあったから、あたし、ロボコップみたいなのを想像して、蘇って超能力を身につけたスーパーウーマンが世界の悪者を倒すSFアドヴェンチャーだと思ってたら、全然違った。旅はするけど、それは駆け落ち旅。その過程で、ヒロインは性に目覚め、娼婦になり、社会主義者になり、最後は……ネタバレありと書いたけどそのくらいは伏せておきましょう。予想と違ったけど、とーってもよかった。生きる活力をもらいました。

表層的に言えばね、全編「エロ」と「グロ」にまみれてる。「エロ」=性描写は「R18+」に偽りなし。「グロ」=死体損壊のオンパレード。でもね、良い映画なの。すかっとするの。なぜかしら。ヒロインが既存のしがらみから無縁で、なんでも経験して吸収して、で、前向きだからかしら。自分の生い立ちを聞いたときも、「あたしって不幸な女」と言ってよよと泣き崩れるなんてことはしない。そういう前向きな映画だからタイトルの「Poor things」を「哀れなるものたち」と訳すのは、直訳として間違ってはないけど、ミスリードな感じがする。さっき「悪者退治」ではない、と書いたけど、考えようによっては、彼女に群がる悪い奴はどんどん没落するからある意味悪者退治でもある。

ヒロインを熱演したのはエマ・ストーン。「エマ」で思い出すのはエマ・トンプソン、宮澤エマ、横野君的にはエマ・カークビー。エマ・トンプソンで思い出すのは「日の名残」。「日の名残」で思い出すのはアンソニー・ホプキンス。アンソニー・ホプキンスと言えば殺人鬼のレクター博士(連想ゲームはここまで)。因みに、エマ・トンプソンってあたしの1個下です。

「ストーン」で思い出すのは、シャロン・ストーン。この人はぴったりあたしと同い年。さあ、ここからは、「哀れなる」同様、18禁で行きますからね、お子ちゃまは読んじゃダメよ。シャロン・ストーンで思い出すのは「氷の微笑」。この映画もエロいシーンが有名だったけど、当時は映画館でモザイクがかかってた。でも、「哀れなる」ではモザイクなし。あたし、かねがね、エロくてグロいのは女体じゃなくて男の身体だと思ってる。だって、でっぱっててブラブラしてるでしょ?そうよ、エマ・ストーン演じるベラが公の席で平然と「ピーナス」と呼ぶそれのことよ。茄子じゃないわよ。だから、女性のヘアヌードが解禁されて、菊地凛子さんの「バベル」にモザイクがかからない世の中になっても、男のピー茄子は解禁にならなかった。「バベル」の数年後よ、ピー茄子を写した海外の写真集の輸入を認めなかった税関が裁判で負けたのは。その後、国内でも見かけるようになって、あたしが初めてモザイクなしでピー茄子を見たのはね、横野君から勧められて見た「バラの騎士」ってオペラの映像。最近の舞台で、第3幕で素っ裸のおじいさんがブラブラさせながら舞台を横切るの。筋とはなんの脈絡なしに。ヨーロッパのオペラの演出家ってとにかくやたらに裸を見せたがるらしい。そういう土台があるからかしら、「哀れなる」でベラが「ピー茄子」と言っても同席した高齢の貴婦人は結構余裕をかましてる。日本の上流気取りのご婦人なら目も口も三角にして怒るだろうに。で、今回の「哀れなる」でもピー茄子にもざいくがかかってなかった。

そう言えば、大昔、アラン・ドロンが全裸で走り回る映画があって、もちろん解禁前で、当局の目があるからしかるべき措置がとられて(モザイクだかカットだかは忘れた)、で、その映画を配給した会社の人が残念がって、「是非、日本のファンの方々にアラン・ドロンのふり○んを見てもらいたかった」って言ってたのを覚えてる。

そうだ!今回、一つ英語を覚えた!娼婦のこと「ホー」って言うのね。役者が「ホー」って言ってる時の字幕が「娼婦」だったから。用法等々はいずれまた。取り急ぎ、書いときます(挨拶文かっ)。


魔王が「愛してる」って言う件

2024-01-30 08:56:29 | 音楽

例の音楽横好きの横野好夫くんが、昨日、カーサクラシカのセッションに行ってきて、ピアノ伴奏は金澤亜希子さんで、で、シューベルトの魔王を歌ったんですって。

あたし、歌のことは知らないけど、ドイツ語を勉強したからゲーテの歌詞については興味があって、まず題名。「魔王」は「Erlkönig」の訳だけど、「Erlkönig」の直訳は「ハンノキの王」。ハンノキは水辺に生える高木。なぜ「ハンノキの王」が「魔王」になったかについてはいろんな説があって、ウィキペディアには「ゲーテはむしろそのハンノキの王から、樹木の精霊の王として魔王を設定し、想像力を膨らませた」と書いてあった。たしかに、人里離れたとこにある高木はなんとなく怖い。SF映画でも、ときどき大きな木が暴れたりするものね。ただ、「魔王」って言ったら魔法使いの王様でしょ?魔法使いは、ハリー・ポッターもそうだけど一応人間。それに対して「精霊」は超自然現象でどっちかというとお化け。だから「精霊の王」と「魔王」ではニュアンスが違う気がする。

この歌、一人の歌い手が「語り部」「父親」「子」「魔王」を歌い分けるんだけど、特に魔王のパートがすごい。猫なで声で子どもに近づいていって、最後なんていうと思う?「Ich liebe dich」よ。「愛してる」って恋愛場面で語られる台詞だと思ってたら、お化けが子どもにとりつくときも言うのよね。で、最後の最後に、「もし自分からこないんだったら」、「so brauche ich Gewald」(力ずくで)って言って正体を現すの。まるで、北野武監督の映画に出てくる怖いお兄さんの台詞みたい。

あと、この歌詞を読んでてときどき、え?と思うのは、文章の途中に呼びかけが挟まってること。例えば、「Siest,Vater,du?」って具合。「Siest du?」は「お前は見たか?」なんだけど、その質問の相手がお父さん(Vater)なのね。だったら、普通は「Vater,siest du?」又は「Siest du,Vater?」となるところなんだけど、その「Vater」が間に入ってるのよ。ドイツ人って普段こんな言い回しをするのかしら。あたし、浅学にして知らない。詩だからこその表現なのかしら。

横野君、昔は、人前で歌うときは絶対食べ物を口にしなかった。合唱団の演奏会の前のお昼ですら食べなかった。なのに、いつからか、平気な顔をしてがっつり飲んで食べるようになった。カーサクラシカでも、しっかり食べて飲んでその間に歌。ワインは平均1.5本飲むんだって。この日もそう。

なぜ平気で食べるようになったんだろう?食事をして声が出ないというのは気のせいだと分かったのか、それとも、声が出なくても歳をとって鈍感になってそれに気づかなくなったのか。因みに、年寄りがつまらない駄洒落ばっかり言うのも、歳をとって前頭葉のおさえがきかなくなって、思わず口から出ちゃうんだって。やーだ、横野君、自分は若い若いと言ってても歳なのね。って、あたしも人のこと言ってられないけど。


春節/地下鉄のお兄さんが怖かった件

2024-01-29 10:53:18 | 日記

先週、奥地の家に行ってね、帰りにいつもの中華に行ったら閉まってる。扉に紙が貼ってあって、「1/23から2/10まで中国帰省のためお休みします」だって。春節かぁ!それにしても、帰省で19日間もお店を閉めるってすごい。日本じゃ、そんなに休むと戻ってからのことが心配で、お盆休みもお正月休みもせいぜい1週間でしょ?中国の方が、ゆとりがあるのかしら。

だもんだから、この日は、飯能まで出て、そこで開拓することにした。あたしの「奥地」からすれば、飯能は大都会なの。ウソじゃないわよ。実際、面白いピッツェリアを見つけた。去年開店したらしんだけど、厨房にはピザ焼き窯があって、

あと、燃料に使うらしい薪も。こだわってるわねー。シェフも店員さんも、まだまだ若い(つもりの)あたしよりも、ずーっとずーっと何回りも若そうで、意気込みが伝わってくる。ここも応援しよう!奥地の家は奥地すぎて男を呼べないけど、飯能なら池袋から一本ですからね、誘ったら男もついてくるかもね。

ところで、その帰り道のことなんだけど、電車を乗り換えるとき、間違えて地下鉄の改札に入っちゃったの。すぐに気がついて、若い駅員さんに、「間違えちゃった」って言って出してもらおうとしたら、ものすごくおっかない顔をして「……」。顔がおっかないくせに声が小さい。「え?」って聞きなおしたら、今度は怒鳴るように「何線に乗り換えようと思ったんですかっ」って。なにも、怒鳴んなくてもいいと思うんだけど。あたし、泣きそうになっちゃった。駅員さんがこんなにおっかなく見えたのはなぜなんだろう、といろいろ考えて、
第1説。地下鉄会社から「間違えちゃっった、って言う客をドロボーと思え」と教育されてるから。
第2説。地下鉄会社から教育されてるわけじゃないんだけど、この駅員さん独自の考えで、間違えちゃっった、って言う客をドロボーだと思ってるから。
第3説。この駅員さんが彼女に振られたばかりでいらいらしてたから。
第4説。あたしが被害妄想だったから。
第4説以外の説が当たりだとすると(つまり、ホントにおっかなかったんだとすると)、いいわねー、って羨ましく思う。だって、例えば、もしピッツェリアの店員がそんなにおっかなかったらお客は来なくてすぐお店がつぶれちゃう。でも、地下鉄は絶対つぶれませんものね。


山のカタチ

2024-01-28 09:59:19 | 日記

お友達との間で山座同定(山の名前を当てること)が話題になったので、その話。山座同定でなにが難しいかって、山って、角度によって見え方が全然違うでしょ?だから、○○山の写真はこれ!って画像があっても、そのように見えなかったりするとその山に結びつかないのよね。例えば、あたしのマイブームの赤城山。赤城山は多くの峰から成っていて、関東平野から見ると(南側から見ると)、だいたいこんなカタチで、

これは伊勢崎から撮った写真なんだけど(わざわざ近くで見たくて伊勢崎まで行った)、左から、鍋割山(赤城山の特徴である長い稜線から当然ぼこっと出てる山)、荒山(その右の尖った山)、地蔵岳(その右の丸い山)、そして黒檜山(その右。赤城山の最高峰)って感じで並んでるんだけど、これを真西から見るとこうなるの。

一番手前(中央やや右より)にぼこっとあるのが鍋割山、その左奥にあって雲がかかってるのが荒山、さらにその左奥にあって頂上に塔が何本か見えるのが地蔵岳。ね?南から見た写真とは左右が逆になるのよね。これは、関越自動車道の車窓から撮ったもので、さらに北にいくと、こんな峰が見えてくる。

これ、鈴ヶ岳(やっぱり赤城山の一峰)。南側からだと他の峰に隠れちゃってほとんど見えないのに、ここらへんではとんがってて一番目立ってる(右端が地蔵岳)。ほーんと、角度によって違う。富士山なんかだと、どこから見ても富士山で、それが富士山たる所以なんだけど、そんな山ばかりじゃないのよね。

富士山と言えば、赤城山と妙義山とともに「上毛三山」に挙げられる榛名山もいろんな峰から成っていて、その中に榛名富士があって、で、「榛名山 画像」でググると多くは榛名富士が単体で出てきて、「富士」って名前だけあって富士山みたいな円錐形で、その真ん前に榛名湖を従えてるんだけど、関東平野から榛名山全体を見るとこんな風。

これも伊勢崎で撮ったんですけどね、矢印が榛名富士。そのすぐ右側の尖った峰は相馬山で、なんだかこっちの方がえばって見える。ここからだと、相馬山が手前にあって榛名富士はその奥なせいもあるんだけどね。因みに、「榛名富士」と入力しようとして、何度か「日馬富士」になっちゃった。「な」を「ま」と打ったせい。懐かしい名前ね。

富士と言えばね、関東平野から赤城山、榛名山と目を移していくと、その左側に浅間山が見える。

なんだか、こっちの方が富士山みたい。実際、あれ?なんでこんなところから富士山が見えるんだ?って思っちゃう人が結構いるらしいのよ。

因みに、関東で本当の富士山が見えたら、その左側に目を移すと大山(おおやま)と丹沢が見えるのよね。大山と丹沢の方がずっと手前なんだけど、遠くからだと並んでるよう。例えば、拝島駅構内から見たときもそう。

ちょっと分かりづらいけど中央やや左寄りに富士山があって、その左にながーく写ってるのが丹沢で、一番左にある独立峰が大山なの。大山も結構がんばってるなー、って感じです。

 

 

 

 


チャーハンの歌(チコちゃん)

2024-01-27 09:23:14 | 音楽

チコちゃんで、なぜ人はうわさ話が好きなのか、ってお題に対して、その答えは石器時代にまで遡る、すなわち、石器時代の人類の2割の死亡原因は「他殺」。100人くらいの群れの中で「役立たず」のレッテルを張られた人は仲間から排除されてしまったそうな。そこで、排除されないために、人は、自分が役に立つという噂と他人が役立たずという噂を流して生存を図ったという。さらに、現代人も、うわさ話をしてるときは脳が幸せを感じるんだそう。「他人の不幸は密の味」と言うけれど、これすなわち、「他人の不幸」=「自己の生き残り」なので「蜜の味」ってことなのね。以上を、ダーウィンの進化論的にまとめると、石器時代、うわさ話で脳が幸せを感じる遺伝子を持ってる人がうわさ話をたくさんして、結果、多く生き残ったので、現代人もうわさ話が好き、ということでしょうかね。

あと、チコちゃんで、「ミュージカルはなぜ急に歌い始めるのか」ってお題もやってて、答えの解説の中に「オペラのアリア」って言葉があったけど、あたし、かねて不思議だったのは、イタリア語の「アリア」は英語の「エア」だから分かる通り、「歌」の他に「空気」の意味もある。なぜ「歌」と「空気」が同じ言葉なんだろう。歌が空気を振動させるからかしら。別の言い方をすると、空気を通って人の耳に届くからかしら。

その解説をするために、番組内で、「チャーハン」を題材にした歌が歌われた。男から別れ話を切り出された女が、実はあたしもあなたより冷蔵庫の中にあるチャーハンの具材の方が好き……って歌。すごくよくできてる。合いの手に「パラパラ」って言葉が入るのも秀逸。しかも歌ったのは田代万里生さんと涼風真世さん。作り手も演じ手も全力感満載。ヴァラエティ番組でちょこっと歌われるだけではもったいない数分間でした。

そう、ヴァラエティだからって馬鹿にしちゃだめ。大昔、タモリさんがやってた「今夜は最高」で演じられた「任侠オペラ」も最高だったし(まさに「今夜は最高」)。

 


高等

2024-01-26 16:27:27 | 言葉

八王子に「100円ラーメン」の店が復活したんだと。日銀のお偉いさんはさぞやほぞをかんでいることでしょう。なにせ、物価を上げたくて仕方がない人達だから。

漱石の「彼岸過迄」に「私は高等遊民」と自称する人が登場する。「高等遊民」とは、高等教育を受けながら仕事をしないでぶらぶらしてる人のこと。「それから」の主人公も高等遊民で、仕事をしないでも一戸建てを構え、書生と女中さんを住まわせているけど独り者だった。けれど、「彼岸過迄」の高等遊民氏は、「一戸建て」「女中さん」に加えて、奥さんもいて子どももいる。そして、奥さん以外の女性と西洋料理店でお食事をしたりしてる。お金の出所はやはり親だろうか。日本の公的年金制度は1942年に始まったというから(厚労省のサイト)、明治時代にはまだなかった……つうか、件の高等遊民氏は制度があったとしてもまだ年金をもらうような歳ではない。因みに、知らない人からレストランで一緒にいたのは誰かと聞かれてときの答えが「高等淫売」。でも、これはウソで、本当は姪っ子。そう言えば、「椿姫」は高級娼婦だったわよね。「高級娼婦」と「高等淫売」は同義かしら。どちらも偉い人しか相手にしないっていうから同じかもね。

仕事もしてないのに一戸建てを構えて……って書いたけど、考えてみれば、明治時代にはアパートもマンションもなかったからね(アパートが最初にできたのは1910年)。長屋じゃなければ一戸建てに住むのが普通だったのかもね。それに、漱石の登場人物は大概借家住まいだから、「一戸建て」が「高等」の所以ではなかったのかも。そう言えば、昔の知人が結婚して水戸に住んでたことがあってね、当地では、アパートではなくて一戸建てを借りるのが普通だと言っていた。

あたし、ほら、奥地に一戸建てを買ったでしょ?でも、二束三文だけあってリフォームしないと住めないの。そこで、今、リフォームを検討してるんだけど、どこに頼んだらいいのかよく分からなくて。ガス屋さんが副業でリフォームをやってることが多くて、そっちでもいいかな、と思ったんだけど、エコキュートにしてオール電化もいいかな、と思って。でも、ガス屋さんにオール電化の相談したら怒られるわよね、絶対。

そう言えば、こないだ共産主義について、「各人が能力に応じて働いて、各人が必要に応じて受け取る世界」って書いて、でも、人間はそこまで「高等」にできてないから、さぼる人も出てくるだろうし、余分にとる人も出てくるだろう、って書いたけど、共産主義の論者もそこんとこはちゃんと分かってて、「各人が……」は人類がもっと高等になった後の話で、その前段階においては「働いた分だけ受け取る」んですって。すると、高等遊民は、働かないんだから配分を受け取ることができない。すると、餓死していなくなっちゃう。そうやって、能力に応じて働く人ばかりが残って、それイコール「人類が高等になった」で、共産主義の理想型にたどり着く、ってことかしら。すると、高等遊民はネーミングに反して高等ではない、ってことね。いずれにせよ、高等遊民は共産主義社会には存在しない種族なわけね。

「長屋」と言えばね、星飛雄馬は長屋で育ったんだった。で、「巨人の星」の続編の「新・巨人の星」で、その長屋が取り壊されるシーンをちらっと見たんだけど、あたし、「巨人の星」はしっかり全部読んだんだけど、「新・巨人の星」はちゃんとは読んでないの。だから、長屋が取り壊される前後の話がよく分かってない。読まなくちゃ。

 


おさらい会に珍獣現る

2024-01-25 10:00:06 | 音楽

例の音楽横好きの横野好夫君のことなんだけど、ピアノの某子さん主催のおさらい会に行って、クラリネットを吹いて、おかま声で歌を歌ってきたんですって。ちゃんとしたステージで、聴衆は40人くらいだから立派な「本番」。で、横野君、クラリネットはさらっと吹いて、力点は歌のつもりだった。ところが、そのクラリネットが難物だった。

っていうのも、選んだ曲がモーツァルトの協奏曲の第3楽章(ピアノ伴奏版)。「さらっ」のつもりでなんでそんなご大層な曲を選んだのかというと、横野君、この曲が好きで、前からちゃらちゃら吹いてたらしいの。でも、「ちゃらちゃら」吹いてても本番で吹けるとは限らない。いざ、本気で練習してみると、テンポを速くすると指がもつれるし、遅くするとすべるしで全然上手くいかない。横野君、「ボクは昔、指があんなにくるくる回ったのにこんなにもつれたりすべったりするのは歳のせいだ」って思ってだいぶ落ち込んでたからあたし言ってやったの。「あんたね、昔は『くるくる』と言ってもそう思ってただけで、実はできてなかったのよ。地道にこつこつ練習してこなかった自分がいけないのよ」って。そしたら「音楽の『お』の時も知らない拝島さんに言われたくない」とか返ってくるかと思ったら黙ってる。図星だったのね。よしよし。今からでも遅くないから地道にこつこつ練習しなさいね。そしたら80になったらちゃんと吹けるかもよ。とか言いつつも、とりあえず今回の本番をどうにかして乗り切らなきゃいけない。曲の変更も考えたらしんだけど、ここで変えたら「おかまがすたる」、そこで、テンポを少し落としてこれまでスラーで吹いてたところにタンギングを入れたらすべらなくなった。これが本番の前日の話。そんな付け焼き刃でうまくいくんだろうか。なにしろ本番には魔物がいるっていうし。そしたら、魔物は出なかった。今できる限りのところは出せたんですってよ。実は、横野君、指がくるくる回ってた子ども時代は速いテンポにタンギングが追いつかないので全部スラーで吹いてた。最近は、指が回らないのでゆっくりになっていつもタンギングで吹いてたら、タンギングが昔より上手になったんだって。年取るって悪いことばかりじゃないわね。

で、歌の方は、と言うと、例によって、横野君がいまライフワークにしてる「別嬪な粉屋の娘」(巷では「美しい水車屋の娘」と呼んでいる)から1曲歌ったんだけど、ホントは、暗譜しようと思ってたんだけど、なにしろ、前日まで頭の中はクラリネットのことばかりで、こっちまで気が回らなかったんだって。当初の思惑とは逆に歌の方が「さらっと」になっちゃったらしい。で、歌い終わったあと、某子さんが客席に向かって「生のカウンターテナーを聴けましたね」って言ったのを聞いて、横野君、そうか、ボクはイリオモテヤマネコなみの珍獣なんだ!と思って、ちょっとうれしかったんだってさ。

後で録音を聴いたらね、不思議なことに、クラリネットも歌も相当ゆっくりやったつもりだったのに、結構速かったんだって。「赤バットの川上哲治も、好調時はボールが止まって見えたそうだから、ボクも同じだ」って急に鼻息が荒くなった。すぐ調子に乗るんだから。そもそも「川上哲治」って誰?

参加者は全員熱演。その中に、「ラ・ボエーム」を歌ったシニアのカップルがいて、ほら、「冷たい手」の歌い始めに、ロドルフォがミミの手を握るでしょ?でも、今回のロドルフォは奥ゆかしくてなかなか手を握らなくて、横野君は「早くにぎれにぎれ」って思って、お寿司屋さんじゃあるまいし、そしたらたまりかねたミミが自分でにぎられにいって、でも、とってもいい雰囲気で、シニア同士ってこんなかぁ、って、横野君、ちょっとキュンとしたんだってさ。

因みに、「某子さん」を「ぼうしさん」と読んじゃだめよ。「帽子」は昨日のネタですからね。「こ」と言えば、漱石の「彼岸過迄」に「千代子」と「百代子」って姉妹が出てくるんだけど、「ちよこ」はいいんだけど、妹はなんて読むのかしら。「ももよこ」かしら。ちょっと聞きつけない。でも、初めて「さくらこ」って名前を聞いたときも「こ」が余分な気がしたけど、今では全然普通に聞こえるしね。


シルクハット/お蚕様/ビーバーちゃん

2024-01-24 06:49:26 | 日記

漱石の小説を読んでいて、「シルクハット」って言葉がでてきて、うんうんあーいうカタチのヤツよね、と思ってたら「山高帽」って言葉も出てきて、あれ?この二つどう違うの?そう言えば、「シルクハット」って直訳すると「絹帽子」よね。もしかして、あたしがシルクハットだと思ってた帽子は山高帽で、シルクハットって絹製の帽子全般を指すのかしら、と思ったらそうではなかった。シルクハットと山高帽はどっちもつばが付いてて中央部が高くなってるんだけど、頂上が台地みたいのがシルクハットで、丸い山になってるのが山高帽なんだとさ。で、その台地型(筑波山の御幸ヶ原を思い出す)の帽子って、以前はビーバーの毛皮で作ってたんだけど、ビーバーが絶滅寸前になったんで、で、絹製になって、それでシルクハットって呼ぶようになったんだって。おかげで、ビーバーは命拾いをしたけど、代わりにより多くのお蚕様が命を落とすことになったわけね。

あたし、子どもの頃、絹糸って蚕の繭から作るって不思議だった。繭だったら中にさなぎがいるはずでしょ?それはどこいっちゃうの?と思ったら分かった。なんと、さなぎは繭ごと煮られちゃうの。石川五右衛門じゃないけど釜ゆでの刑に処せられちゃうの。そう言えば、亡き父の実家が山梨で農業をやっててね、で、あたしが小さい頃はそこで鯉を飼ってて、「さなぎ」をエサとしてやってたんだけど、その「さなぎ」って釜ゆでの刑に処せられた蚕のなれの果てだったわけね。そんなことをしておいて頭に「お」をつけてしっぽに「様」を付けて「お蚕様」って呼ぶのって、左遷した菅原道真が化けて出ないように「天神様」って呼んで祭り上げるのと同様の心理かしら。

そう言えば、漱石の「門」の中に、「富士の北影の焼石ばかりころがっている小村」では「米も粟も収れないから、やむを得ずを植えてを飼う」ってある。「富士の北影」って山梨よね。それから、ほら、有名で高齢な俳優さんがこぞって老人ホームの住人を演じたドラマがあったけど、その主人公が山梨出身で、若い頃のエピソードに「村がこぞって養蚕を始める」話があったっけ。あたしの父の実家が鯉に「さなぎ」をやってた背景にはそういう歴史があったわけね。とってもガッテン!

あと、「ビーバー」と言えばね、あたしが子どもの頃、「ビーバーちゃん」っていうアメリカのホームドラマをテレビで放送してたっけ。


鶴見川源泉への旅

2024-01-23 08:39:16 | 日記

以前、恩田川の源泉への旅をしたことがあるけれど、今回は恩田川の本流の鶴見川の源泉を目指す旅をした。スタートは小田急小田原線が鶴見川をまたぐ辺り。ここらへんはまだまだ川幅が広い。

恩田川は、小田急小田原線をくぐったあたりから急に川幅が狭くなってバッハ(小川)になって、そこから源泉までは1時間くらいだった(歩いた時間は4,5時間だったけど、それは鶴見川との合流地点(中山と鴨居の間)よりずっと下流の小机付近から歩いたせい)。たけど、鶴見川は、小田急小田原線をくぐった後も、この程度の川幅がずーっと続く。さすが本流!と感心。歩き始めて3時間くらいたってようやくバッハの雰囲気に。

すると、「鶴見川上流端」の標識が現れた。でも、その先もまだまだ水路は続く。「上流端」は単にお役所の都合らしい。川はますます小川の風情。

で、しばらく歩いて、まだかなー、と思ってスマホのグーグルマップを見たら、もう着いてる!横を見ると、そこに「鶴見川の源泉」があった。

あやうく見過ごすところ。「鶴見川の源泉」と書かれた標識の文字が消されていたせいね。ま、とにかくたどりつきました。ここまでスタートから3時間半。ここから、更に1時間くらい歩いて小田急線の支線の唐木田駅にたどりつき、家路につきました。

はいはい!川ですから当然、お目当てさんたちがいましたよ!おなじみのカモがいたし、

サギもいた。冒頭の1羽を別角度から撮ったのがこれ。

鯉もいました。

あと、白黒の小鳥がいたな。

川歩きをするとときどき見る。なんて名前か知らなかった。この際、調べてみましょう。画像検索って便利なものがあるからね。分かった!「セグロセキレイ」だって!あと、暖かい時期だと亀がいるんだけど、今、冬だからね、どこかで冬眠してるのかもね。

ちょっと思った。鴨居はカモがいたからそういう地名?たしかに鶴見川にはカモがいる。つうか、鶴見川って言うのに鶴はどうしたのかしら。どこかにいるのかしら。追記。ウィキペディアは川名のゆかりについて二説紹介してる。一つは「大きく湾曲して、ぐっと水の流れがゆるやかになっている鶴見川の地形に由来する」で、もう一つは、「源頼朝がこの地で鶴を放ったという伝説からこの名がついた」ですって。「伝説」かぁ。じゃ、必ずしも、鶴がいたから「鶴見」ってわけでもなさそうね。


剛力

2024-01-22 08:24:14 | 日記

今、漱石も読み進んでて「彼岸過迄」にかかってる。そしたら面白い話が書いてあった。ロシアのゴーリキーって作家がいるじゃない?そのゴーリキ(漱石は「ー」をつけてない)が主張している社会主義を実行するための資金集めにアメリカに行ったっていうの。社会主義のために行った先がよりによってアメリカ。しかも大歓待されたっていうの。まあ、ゴーリキは当時既に文学者として名を馳せてたからね。アメリカのレッドパージは第二次大戦後のことだから「社会主義」はまだ問題ではなかったのね(なんてったって、アメリカはその社会主義国ソ連と組んで日本と戦ったんだから)。ところが、「社会主義」ではセーフだったゴーリキは一転アメリカ人から総スカンをくうことになる。同伴してた女性をみんな奥さんだと思ってたらそうではない「情婦」だったから。この点、漱石は「ロシアとアメリカは違う」と書いている。いまでもそうね。アメリカの政治家は夫婦が仲良しであることをことさらにアピールするからね。

その「社会主義」は「共産主義」に至るための通過点ということ。そう言えば、競馬予想家のスガダイが面白いことを言ってた。「ハタチまでに左の思想にならない人は情熱の足りない人で、40までに保守にならない人は知性の足りない人」みたいな話し。それじゃずーっと中道の人は情熱も知性も足りないの?って思っちゃったけど、たしかに「ハタチまでに左の思想にならない人は情熱の足りない人」っていうのは思い当たるフシがある。不平等な世の中に憤って、「人は能力に応じて働き、社会の生産物を必要に応じて取る」っていうマルクスの思想は、血気盛んな若者には受けるんだと思う。ホントにそういう世の中が実現すればいいと思うわ、あたしだって。でもうまくいかなった。理由は、あたしが思うに、人間ってそんなに偉い生き物じゃないからだと思う。「能力に応じて働き」と言っても絶対サボる人はいるし(「高等遊民」は絶対働かないもん)、「必要に応じて取る」といっても絶対余分に取る人が出てくると思う。そう言えば「動物農場」って小説があった。「とある農場の動物たちが劣悪な農場主を追い出して理想的な共和国を築こうとするが、指導者の豚が独裁者と化し、恐怖政治へ変貌していく過程を描」いてるの(ウィキペディアより)。やっぱりそういう風になっちゃうのね。

そんな中で、日本共産党がいまだに「共産党」の文字を党名としているのはなかなかの根性。最近、委員長が志位さんから女性に変わったわね。志位さんがクラシック・ファンだから、だいぶ日本共産党は音楽好きのシンパを獲得してたわよ。

そう言えば、テレビで、ある落語家が、「マスコミが岸田政権の悪口を言うたびにつられて政権支持率が落ちる。もう少し支持層の意見もとりあげたらどうか」と言っていて、あたし、うん、なかなか客観かつ公平な意見だ、と思ったらね、昨日も紹介したオピニオンリーダー気取りがこれに食いついて「政権から金をもらってるのか」みたいなことを言ったんですって。少しでも政権寄りのことを言っただけで政権支持と決めつけて攻撃するなんてホント馬鹿。この落語家さん、政権支持のわけないじゃないの(ご自分でも後でそう言っている)。なーんて書いたら、あたしも「政権寄り」だって怒られるのかしら。あたしはね、選挙権をもらって最初に投票したのが「新自由クラブ」。上記の「情熱も知性も足りない」人の部類よ。因みに、そのオピニオンリーダー気取りは大学が横野君と一緒。この一事でたかが知れてる。高校は優秀な高校で、その校名を芸名にしてるけどね、この高校からあの大学じゃちっともえばれない。なのにえばってる。やだやだ。

因みに、「ごーりき」と打って変換したら「剛力」が出てきたので、それをタイトルにしたの。女優さんのことかと思った?ごめんなさいね。


えいえいおー

2024-01-21 09:19:04 | 日記

暮れのどの番組だったかな~。誰かがテレビで「えいえいおー」と言ってたんだけど、一人で言っちゃだめよ。お殿様が「えいえい」と言ったらそれに家来が「おー」と呼応するのが正しいカタチだそうだから。

これははっきり番組が分かる。「紅白」。ディズニー特集をしてたんだけど、いつもは決して「ディズニー」とは口にせず、ミッキーマウスのことも「ねずみ」とか言うNHKなのに、思いっきり「ディズニー」って言えたのはなぜなんだろう。

「なぜなんだろう」と言えば、その昔、「地下鉄の車両はどうやって地下に入れたんだろう」と悩む夫婦漫才がありました。「なんでだろー」はテツandトモ。「欧米かっ」は「タカアンドトシ」。

テツandトモはギターと歌が上手。そう言えば、おぼんこぼんがトロンボーンとサックスが上手くてびっくりしたって書いたけど、ウィキペディアの二人のページには楽器の「が」の字もない。そう、歴史や伝記には編者の主観が入るから、書いた人の興味外のことは載らないのよね。だから、ウィキペディアの田中道子さんのページにも「特技はピアノ、ハープ演奏、テニス、スキューバダイビング。絵を描くのが好きで、プロ級の腕前を持ち」とあるけれど、競馬の「け」の字もない。でも、あたしにとっての田中さんは一番に「ばちこん姐さん」(競馬ファンはそう呼んでる)。

結局、人の言うことを鵜呑みしちゃいけないってこと。最近も、あるタレントさんが震災がらみで政府批判をしたら、その批判が事実誤認に基づくことが分かってご本人は謝罪に追い込まれた。オピニオンリーダーを気取ってたのかもしれないけど、その程度のものだった。馬脚を現したってまさにこのこと。

因みに、前出の田中道子さんは、最近、一級建築士の試験を通ったんだって。どこまで才女なのかしら。あと、井森美幸さんのウィキペディアのページには「競馬好き」との明記がありました。


狭山茶/相続放棄

2024-01-20 16:23:21 | 日記

奥地の家の窓から富士山が見える。

あたし、富士山が見える家に住みたかったから一応夢がかなったんだけど、鉄塔が邪魔なのよね。あたしがお殿様なら「あの鉄塔をどけろ」と言えるけどあたしお殿様じゃないし。あたしが魔法使いサリーだったら魔法で鉄塔をどけるんでしょうけどあたしサリーちゃんじゃないし。

だけど、見えるだけまし。こないだ入間市の桜山展望台に行ってきたんだけど、こんな感じできれいな展望ではあったんだけど、

ちょうど真ん中あたりに見えるはずの富士山が写ってない。ガスがかかってたのね。他の山は見えてるのにね。因みに、左端が大山で、その右が丹沢。右端が大岳山。

そうそう、この展望台にはね、霞川に沿って歩いてきたんだけど、霞川って言えば、この間、入間市駅で降りて大昔に住んでた団地を見にいったとき近くを流れてた入間川の支流。その上流がこんなところにあったんだ(って、同じ入間市だから考えてみれば不思議ではないんだけど)。

このあたりの風景の主役はなんと言っても茶畑。

狭山茶の産地なのよね。狭山茶と言っても、その6割は入間市で栽培されてるんですって。次が所沢市。狭山市は3番目なんだって。

奥地と言えば、今、リフォームを検討して、業者さんから話を聞いたりしてるんだけど、リフォームと言っても、ガス設備屋さんとか電気屋さんとか水道屋さんとかいろんな人がからんできて、一人にお任せってわけにはなかなかいかないらしいの。なんか、めんどくさい、と思ったんだけど、考えてみれば、法律や税金の資格もいろいろあって、ざっくり言って、訴訟代理は弁護士、登記は司法書士(一定の要件のもとで訴訟代理ができる場合がある)、税金は税理士、役所関係は行政書士って具合に「縄張り」がある。そしたら、今日テレビを見てたら、相続放棄の説明を税理士がしてた。業務としての法律相談は、弁護士や司法書士の職分だから一瞬「え?」と思ったんだけど、まあ、テレビで法律の説明をするだけだったら資格はいらないし、相続税こそは税理士さんの確固たる縄張りだから周辺知識として相続放棄のことは当然知ってるわけよね。因みに、相続放棄は「被相続人が亡くなってから3か月以内」って普通言いますけどね、正確には「亡くなったことを知ってから3か月」なの。まあ、普通は身内が亡くなればすぐ連絡がいくから死亡日=知った日なんだけど、よくニュースで独居老人が亡くなって数か月間誰も気づかなかったなんて言うじゃない。そういう場合は「知ってから」が意味をもってくるのよね。こういうことは、やっぱり専門的に法律の勉強をした資格者じゃないと分からないわよね。


半島

2024-01-18 16:58:15 | 日記

被災地に行ってお金を落とすのも支援の1つというけどそれはインフラが回復したあとのこと、今行ったら迷惑なだけ、って聞いたけど、場所にもよるようで、金沢市なんかは、インフラはそれほどダメージを受けてないのに観光客が減ってコロナ禍の頃に逆戻りしちゃって困ってる、観光客に来てほしい、って声があさイチに寄せられていた。あたし、猫がいなければ行ってるんだけどな。猫がいるから家を空けられないの。

あと、今回、七尾市ってよく耳にするけど、江戸時代の画家の長谷川等伯の故郷よね。

道路の地盤が上下に波打ってる様子をみると今回の地震がホントにすさまじかったんだなって。あれ、直すの、相当に大変よね。

今回、地震が襲ったのは能登半島だったんだけど、半島って、多くの場合、普段からインフラが届きにくくて、だから半島促進法って法律があるって知った。たしかに、半島の多くは山で、道路が通ってるのは海岸沿いだけだから、そこがやられちゃうといっぺんに交通が不便になる。あたしの住んでる関東地方で言えば、房総半島も三浦半島も伊豆半島も同様かなぁ。

因みに、半島のでき方っていろいろあって、川が運んだ土砂が伸びて半島になるパターンとか、隆起して半島になるパターンとか(能登半島はこのパターンですってね。今回も、さらに隆起したそうね)、あと、プレートの移動で島がぶつかって半島になったパターンがあって、伊豆半島がそれ。このパターンだとぶつかったところに高い山ができる。富士山がそう。インドがユーラシア大陸にぶつかってできたのはヒマラヤ山脈。え?すると、インドって半島?たしかに、あのくらい大きいと「半島」とは言いにくいので「インド亜大陸」って呼ばれるそうだけど、「インド半島」って呼び方もあるんですって。

ま、しかし、半島に限らず、日本中に活断層があるんだから明日は我が身。防災意識をしっかり持っておこう。簡易トイレも絶対用意しとこう。そういえば、トイレ車が活躍してるらしい。普段、各自治体に置いといて、災害が起きると被災地に各地から集まるってプロジェクト、とってもいいと思う。


晩年って

2024-01-18 11:08:40 | 日記

最近、テレビに70ウン歳とか80ウン歳の人が出てきて、周りが「お若い!」って言うけど、ちっとも若くない、年相応だわ、と思うことが多い。最近は若い人は全然珍しくないからね。

そう言えば、夏目漱石の「晩年の写真」ってぇのがあって、でも、漱石は享年49だから「晩年」って40歳代なのよね。明治時代でも「人生50年」だったのかしら。なら、戦国時代と変わりない。織田信長の享年も49だし。

それからすると、漱石の約100年前のベートーヴェンなんかは享年56だから結構がんばったってことになる。

そのベートーヴェンも、漱石も、「晩年」は病気で苦しんだらしい。そもそも、漱石が「吾輩は猫である」を書いたのは、神経衰弱のリハビリとして友達に勧められたからだった(モノを書くことは、精神衛生上よいって聞く)。ところが、プロの小説家になったら今度は書くことが負担になったのかしら。大吐血をしたりしてどんどん具合が悪くなって、で、49で亡くなったのよね。やっぱり、好きなことは趣味にとどめておくべき、ってことかしらね。


階級

2024-01-18 08:48:26 | 音楽

朝ドラで、劇中の役者が「玄人と素人が同じステージに立ったら調子が狂う」と言っていた。プロとアマとの間の階級差ってこと?でも、タナケン(モデルはエノケン?)が、「幕が開いたら玄人も素人もない」と言っていた。ほっとする台詞。でもね、横野君がよく言うんだけど、アマチュアの間でも階級差があるんですってよ。上手なアマチュアが下手なアマチュアを小馬鹿にするんですって。あたし、そういうの一番いや。だから、音楽はやらないの。横野君はしがみついてるけど。