拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

三大テナーその3(高音比較。バカ丸出しな批評家)

2021-02-26 09:57:48 | 音楽
「高音の輝き」比べなら、これはもうパヴァロッティの圧勝。イケメン競争で大きく遅れをとってもここで取り返すどころか一挙にゴールインである。巨人軍への入団テストで、100メートル走で速水にうんと差を付けられた星飛雄馬が、遠投で思いっきり借りを返したごとくである(ごとくとくだとガスレンジの付属品)。なんてったって仇名が「キング・オブ・ハイC」である。ところで、ハイCもいろいろあるが、パヴァロッティの場合は、一番は「冷たい手」(ボエーム)のハイCだろう。そりゃドミンゴだってロドルフォを歌う。だが、ハイCんとこは、一瞬到達してすぐ降りる。熱湯風呂につま先だけちょびっと漬ける感じである。しかし、パヴァロッティは、楽譜の指示より早くハイCに到達し、思いっきり伸ばして、さあ、ここですぐ下山してはいけない。次のB♭、これもそこそこ伸ばさないとスカラ座の天井桟敷の通達(「つうたつ」ではなく「つうたち」)は満足しないという(2年前、スカラ座の天井桟敷に行ったんだよなぁ)。パヴァロッティはもちろんここの伸ばしも十分。クライバーの指揮で、スカラ座でパヴァロッティがロドルフォを歌った公演の映像があるが、歌い終わった後しばらく拍手が鳴りやまなかった。ベルリン・フィルのクラリネットで長年ソロを吹いていたカール・ライスターは、その自伝中、パヴァロッティについてはひとこと「ロドルフォはパヴァロッティだ」(カラヤン&ベルリン・フィルのボエームのCDのロドルフォはパヴァロッティである)。因みに、そのスカラ座の公演で、パヴァロッティへの拍手がようやくおさまって、すぐ後に続いて「私の名はミミ」を歌ったのはコトルバシュ。こちらも大名唱で、拍手がなりやまなかった。さらに、ムゼッタはルチア・ポップ。これはもう奇跡的な舞台である。ところで、クライバーのボエームのスタジオ録音はないが、収録予定はあった。そのロドルフォはまさかのドミンゴ。えー?なんで?クライバーはドミンゴと仲良しだったそうな。そのドミンゴが、用があって収録の初日をすっぽかした。ナイーヴなクライバーは、自分が否定された気になって、それで全部をキャンセル。クライバーらしい。さて、他の曲も比較しよう。「浄きアイーダ」の最後は「シ」。パヴァロッティにとっては、「シ」なんてへのかっぱである。ところがスカラ座での映像を見ると、伸ばしているうちに声が聞こえなくなる。へばったように聞こえる。しかし、これは楽譜通りディミニュエンドをした結果であった。シを伸ばしてディミニュエンドするなんて芸当は誰もやったことがないからパヴァロッティがへばったように聞こえてしまうのも皮肉である(同様に、ツェルビネッタのアリアの後半、楽譜では3点Dsにトリルが付いているが以前はみんな無視。それを当然のごとくやってのけたのがグルベローヴァである)。さあ、そのラダメスの「シ」をドミンゴはどう歌ったか。メトの映像ではやはり熱湯風呂につま先だけ漬けただけですぐあがる。その後、なんと、オクターブ下げて、シ、シ、シ、シーと歌っていた。いかにも、最初から楽譜がこうなっていると言わんばかりである。ことほどさように高音対決はパヴァロッティの圧勝。だが、パヴァロッティが日本でブレイクしたのは80年代に入ってから。上記のカラヤンのボエームが収録されたのが1970年代初頭だからもうとっくに欧米ではビッグネームになっていたが、日本ではなかなか認められなかった。1970年代のメトの引越公演にパヴァロッティが同行してロドルフォを歌っているが、さほど評判にならなかった。だから、パヴァロッティも、自分は日本では受け入れられてないと思っていたそうだ(だったら80年代に入ってからの扱いの違いにたまげたろう)。これは、当時の音楽の批評をしていた人たちが頭で音楽を聴く人ばかりで、声の魅力、音の魅力にうとかったからではないか。なんてったって、パヴァロッティについて「イタリアバカ丸出し」と書いた批評家もいたくらいである。お前の方がバカ丸出しだと言いたいくらいである。

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