拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

アケミさんはイケメン好き/カイザーバル

2017-03-31 08:46:29 | 日記
朝ドラでアケミさんがエイスケとくっついたことについてネット雀たちは昔年下のタケちゃんに言い寄られたときは自分は結婚しないと言っていたのにおかしいと文句たらたらだが、私はちっとも変ではないと思う。単にアケミさんはいい男(しかも高身長)が好きなのだ。結婚しない云々はタケちゃんのことが趣味ではなかったので断る口実だったのだ。閑話休題(次も閑話)。こないだ「カレーラスは休養あけで絶好調だった」と書いた。これを競馬風に表現すると「休み明けはよく走る」。十分発声練習をするとよく声が出ることを競馬風に表現すると「ひとたたきしてよくなる」。今「マイヤベーア」という馬がいる。これはオペラ作曲家のことだよな、ほかにマイヤベーアって有名人いる?ほかに最近耳に付いた馬名=カイザーバル=Kaiserball=皇帝舞踏会。このタイトルの古い音楽映画があるそうだが(馬主はこの映画から名前を付けた?)、見た記憶がない。

猫を見て源平合戦を思う(そこから大河ドラマの話に)

2017-03-30 08:49:28 | 
早食いのワサビは自分の分をたいらげると、きまってケメ子のごはん(と言ってもお米ではない)を奪おうとする。その気配を察した私は、両者の間に私の足を置く。すると、孫悟空にとってのお釈迦様の指よろしく(と言ってもおしっこはひっかけないが)それ以上の進入は控える。私がいないと大概ワサビが奪ってしまう。ワサビはケメ子より1kg以上重い。顔もでかい。そのせいか、と思ったが、ある日、珍しくケメ子の方が先に食べ終わった。すると、ケメ子がワサビのごはんを奪ってしまった。うーん。体や顔のでかさではないようだ。先に食べ終わった方が勢いをつけてのりこんでいくと勝つようだ。勝敗の鍵は勢い(相撲取りではない)だった。そう言えば、源平合戦の最終戦の壇ノ浦の戦いでは、当初平氏が優勢だったが、潮の流れが変わって源氏が上流側になると一転優勢となり、戦いに勝利したのであった。そのことを思い出した。因みに、「源義経」は私が物心ついて最初にみた大河ドラマだった(弁慶が緒形拳)。テーマ音楽が印象的で、作曲が武満徹だということは大人になってから知った。大河の話のついで。今やってる大河は、井伊家のお話。井伊家なんて江戸末期の井伊直弼まで知らなかった。そんなマイナーな話、面白いのかな、と思ったら面白い。強大な勢力に翻弄される人々の内心の機微がよく描かれている。高橋一生は、なるほど、きゃーぴー言われるだけのことはある。音楽が超豪華。開始のテーマでピアノを弾いてるのがランランで、エンディングでヴァイオリンを弾いてるのが五嶋ミドリ。一瞬相撲の話をしたのでついで。こないだの稀勢の里が勝った優勝決定戦、私は出先でラジオで聞いていたのだが、歓声をすごくて実況の声が聞こえずしばらくどっちが勝ったのか分からなかった。

盗賊対策

2017-03-29 14:22:04 | 

このキッチンワゴンの中には、ラーメン、小麦粉、乾燥ワカメ等々が入っているのだが、最近、盗賊に狙いを付けられてて困っている。盗賊はなかなか賢く、ワゴンの扉を開けてはなかのものを物色する。で、自分が食べられないものだと分かると床にぶちまけるところが憎たらしい。ある日の床は乾燥ワカメで真っ黒だった(写真2枚目)。ソロ・コーナーでスタバト・マーテルの終曲を歌って帰った日の床は小麦粉で真っ白だった(あっ、写真撮っとけばよかった)。扉の前に重しを置いといてもそれを除ける術をじきに習得した。なんとけせにゃワゴンが空になる。百均で買えるもので何かいい対策はないか。ということで、ワイヤーロックを購入。これで盗賊対策は万全。こらっ、ケメ子、盗賊ってお前のことだよっ。

メトロノーム(第8の原曲カノンは偽作?シンドラーを証人喚問せよ)

2017-03-29 08:47:56 | 音楽

ベートーベンの第8交響曲の第2楽章はタッタッタッタッタッタッタッって感じでメトロノームっぽい。メトロノームを発明したメルツェルはベートーベンの同時代人。ベートーベンの弟子のシンドラーによると、同楽章の原曲は「親愛なるメルツェル」という四声カノンで、ベートーヴェンが作ってメルツェルに贈ったという。聴いてみると、ほほう、同楽章とそっくり。原曲と言われればなるほどと思う。でも、和音進行があまりにも芸がない。さらに疑問点。第8の初演は1814年。それに対してメトロノームが今日の形で完成したのは早くて1815年。案の定、シンドラーの偽作説があるそうだ(第8のWikiの日本語版には今でも同カノンが原曲と書いてあるが、ドイツ語版はなんとかという音楽学者の偽作説を紹介している)。もし偽作説が正しければシンドラーはとんでもない弟子だ。もともとこの人は師匠の伝記を書くにあたってもずいぶんと史実を自分に都合がいいように書き換えたような人だし……まてよ、偽作の動機はなんだ?師匠の作品を自分の作品と言うのはありそうだが、自分のへんてこな曲を師匠の作品として発表することになにか意味があるのだろうか?推測1:「第8はメトロノームにインスパイアされた」という自説の信憑性を高めるため。そうなら証拠ねつ造。推測2:自分の曲だと世に残らないがベートーヴェンの名前がついてれば残る。そのため。そうなら他の鳥の巣に卵を産み付けるカッコウのようだ。とにかく分からん。真相解明のため、シンドラー君の証人喚問を求めるっ。因みに、CMで「だいはち」ではなく「まるはち」と叫んでいたのは高見山大五郎氏。

アグネス・バルトザ(バルツァ)

2017-03-28 08:28:56 | 音楽

(マティスの話の続き)マティスのケルビーノで胸キュンした日本人が次にびっくりしたケルビーノはバルツァだった(因みに、バルツァはホントはバルトザだがドイツ語読みのバルツァにご本人も気に入ってるそうだ)。1980年、やはりベームが連れてきたのだった。私はこのとき就活中で、たしかフィガロの初日の次の日が就職解禁日で生のオペラに行ってる余裕はなく、自宅でFMの生放送を聴いていたことを思い出す。えらくおどろおどろしい声のケルビーノだな、と思った。ウィーン国立歌劇場は、この次に来たときもフィガロをもってきたが、その公演は会場で生で聴いたのだが、ケルビーノはクララ・タカーチで、歌い終わった後必死にポーズをとるもまばらな拍手で気の毒だった。後日、テレビで後藤美代子アナウンサーが「前回の彼女がすごかったから損をしてる」と言っていた(私が聴いた日は、ダブルキャストの2番手組で、ところどころひどかった。手紙の二重唱がユニゾンになった)。さて、こうやってあらためて聴いてみると、このときのバルツァは上(頭声)と下(地声)の違いがさほど目立たない。だが、1980年のなかば、その違いがはっきりするようになる(まるで、男性歌手のファルセットと実声の違いのよう)。その分岐点が「レ」あたりにあるらしく、ロイヤル・オペラの引越公演のカルメン(これは生で聴きにいった)を歌った時、登場してすぐの一声は「さすが!」とうならせるものだったが、ハバネラ(レで始まる)が始まると音程がめろめろになって聴いてる方がひやひやした。でもブーイングは飛ばなかった。ブーを浴びたのはドン・ホセを歌ったカレーラスだった。このあたりからブーイングおじさんが跋扈し始めたのだが、このブーイングは不当だった。カレーラスは休み明けで絶好調だったから。バルツァがカラヤンと喧嘩して(もともとバルツァは大人しくはいはい言ってるタイプではなく、しょっちゅうカラヤンにたてついていたそうだが)、サルツブルクのカルメンを降板したのもこの頃だった。声の不調が原因との観測もあった。そんなバルツァが私の中で大復活を果たしたのがスカラ座の来日公演でのロメオ(カプレーティとモンテッキ)だった。ムーティ指揮のこの公演、特に第1幕のエンディングは素晴らしく、私が聴いたオペラの五本の指に入るものだった(相方のソプラノはクベッリ。因みにムーティ指揮のこのオペラのCDでは、グルベローヴァとバルツァの黄金の組合せで聴ける。当時のオペラのギャラ1位と2位だ。1位がバルツァで他人事なのに悔しいと思った)。そんなバルツァさん、お会いしたことはないから実際どんな方だか知らないが、インタビュー記事を読んでたらこんな話が。インタビューの場に夫がいて、ある質問に夫が答えようとすると、「これは私のことなんだからあんたはだまってらっしゃい」とぴしゃり。少しこわいかな、と思った。

エディト・マティスの「恋とはどんなものかしら」

2017-03-26 11:50:29 | 音楽

アメリカの防衛長官はマティスさん。マティスと聞いて私が最初に思い浮かべるのはエディト・マティス(ソプラノ)。昔、ある人と「マティス」について話をしててどうも会話がかみ合わないなと思ったら、相手方は画家のマティスのことを言ってて私はエディト・マティスのことを言ってたからだった。まあね。例えば「マティス」でぐぐるとたくさんでてくるのはジェームズ・マティス(国防長官)で、次がアンリ・マティス(画家)だから、そのときのかみ合わない会話の原因は私だったのかもしれない(だが、こういうことにメジャーもマイナーもない。「ベートーヴェン」といったら断固犬だという人だっている。音楽ファンなら「マティス」=「エディト」だろう……いや、ヒンデミットのオペラに「画家マティス」ってぇのがあるから、そうとも言い切れない)。リンクした映像は1966年でマティスは28歳。この3年前、ベルリン・ドイツ・オペラの引越公演でベームがケルビーノ役で連れてきたのがマティスで、当時の音楽ファンはその愛くるしさにキュン死したそうだ。例の、一生カラヤンの悪口を言い続けた某(亡)評論家もファンになっておっかけたのだそうだ。因みに、私はマティス来日時8歳。オペラといえば、「闘牛士の歌」くらいは知ってたかもしれない。マティスを最初にレコードで聴いたのはモツレクだった。清澄な歌だな、と思った。かなり後に、ソロ・コンサートを聴きにいったとき、アンコールで「恋とはどんなものかしら」のイントロが流れた瞬間客席から拍手がおきた。1963年に胸キュンした人の生き残り(失礼!)だと推察した。因みに、このアリアの「Voi che sapete che cosa è amor」の「cosa è」は「コーザエ」と歌う人と、「コーゼ」と歌う人がいるが、マティスは一貫して「コーゼ」だった。

「黙ってろ」

2017-03-25 11:39:36 | 音楽

ヴィクトリアの6声のレクイエムの楽譜を見てたら、途中で4声になるところ、普通だったら歌う声部を「ソプ1、ソプ2、アルト、テナー1」と指定するところが逆に歌わない声部(テナー2、バス)を指定して「黙ってろ」だって。

ツクシの子はツクシ

2017-03-25 10:28:40 | 音楽

その芝桜の合間にツクシが顔を見せる。「ツクーシーの子がはずーかーしげに顔をだします」(春一番)。ん?ツクシはスギナの子だろ?じゃあツクシの子はツクシなのではないかい?歌ってて思った(以下の内容から今回の投稿も音楽ネタとなる)。「かおをだします」のところ、正確に発音しようとすると「お(o)」と「を(wo)」がくっついていて歌いにくい。

グルベローヴァのゾフィー、ルチア・ポップのツェルビネッタ

2017-03-24 10:06:27 | 音楽

グルベローヴァのゾフィー(バラの騎士)を聴きたいなぁ、歌ったことがあるのはたしかなんだよな(伝記にクライバーに呼ばれて歌ったと書いてあった)、と思ってたらあっさり出てきた。これは、状況からするとなんかのコンサート(もちろんクライバーであるはずはない)。高音もグルベローヴァからすればなんのその。さて、ゾフィーを得意としていたルチア・ポップは、グルベローヴァの十八番のツェルビネッタ(ナクソス島のアリアドネ)を歌ったことがあるのだろうか。検索したらポップのインタビューが出てきた。ずっと前、2回だけ歌って、それが最初で最後で、「riesiges Desaster」(大惨事)だったと言ってる。「高音のコロラトゥーラは『meine Sache』(私の専門)ではない」とも言ってる。さらに検索すると、そのとき会場で聴いてた人の英語の投稿が出てきて、三点eを伸ばすところあたりからぐだぐだになったと書いてある。ポップ自身の「供述」だと「早々に退散した」だが、投稿だと「なんとか盛り返そうとがんばった」。証言が異なる(昨日のどっかの理事長の証人喚問のようだ)。いずれにせよ大失敗であったことはたしかなようだ。そうかぁ、ポップはデビュー当時夜の女王を歌ってたけど(初めてのオペラ録音もクレンペラーの指揮で夜の女王だった)、三点Fをピンポイントで出すのと三点eを長ーく伸ばすのは全然違うもんな。同じブラティスラヴァ出身でも適性が違うのは当然。グルベローヴァの最大の当たり役のツェルビネッタをポップが「大惨事」以後二度と歌うことはなかったし、逆に、グルベローヴァは一度だけクライバーにゾフィーで呼ばれたが、その後この役でお呼びがかかったことはなく、クライバーが常にゾフィーに起用したのはポップだった。餅は餅屋だ。

ほうれん草ピザとアジフライ(猫がぶんまいたパン粉)

2017-03-23 09:35:38 | グルメ

昨日の手作りピザの具はほうれん草とソーセージ。ほうれん草は、油で炒めてから生地に載せた。茹でるという話も聞くが、炒めた方が栄養的にいいと思って。フライはアジ。業務スーパーで、単価が安かったのでパン粉の大袋を買ったのだが、後から使い切れない量であることに気づき愕然。そしたらわが家のお猫様たちが袋を破って床にぶんまいてくれたので、残りがちょうど使い切れる量となった。それでも結構あるから最近はフライが多い。