拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

文鳥

2024-06-11 08:51:54 | 

夏が近づいてきて、猫共も家中に散らばるようになり(「家中」と言っても、現住所は狭い「鰻の寝床」である)、ワサビは一本足の足下にいることが多くなった。

因みに、王選手の一本足打法を知ってる人がどれだけいるのだろう?そろそろイチローの「振り子打法」だって怪しくなってるのかもしれない。

例年なら、とっくにコタツの布団をとっぱらってただのテーブルにしてるところだが、今年は布団を残している。ケメ子が夜、コタツ布団を枕にして寝るからである。

365日休み無くケメ子とワサビの世話をしている。人間一人だから家族が交代に、ってわけにはいかない。だが、それで良い面もある。なまじ家族があると、家族に任せたつもりで結局誰もしてなかった、ということがありうる。漱石の「文鳥」の主人公がそうである。人からもらった文鳥を、始めの頃は大いに可愛がってエサをあげたりしていたのに、そのうち仕事にかまけて家族任せになり、とうとう文鳥は死んでしまった。その言い訳を文鳥をくれた人にした手紙がこうである。「家人(うち)のものが餌をやらないものだから、文鳥はとうとう死んでしまった。(中略)しかも餌をやる義務さえ尽くさないのは残酷の至りだ」と書いて、家族のせいにしている。こういうのを「厚顔無恥」と言う。あるいは、この小説が巷間言われているように自伝的小説なら、これは漱石の公開懺悔なのかもしれない。人は、抱えてる悩みを吐き出すことによって気が軽くなるという(漱石の気が軽くなっても文鳥は生き返らないが)。


エプロンの活用法/ドクダミの天ぷら/一ノ谷

2024-06-07 08:30:24 | 

リクライニングチェアでくつろいでいると、相変わらずケメ子が上に乗ってきて爪を立てる。痛い。だが、私がリクライニングチェアでくつろぎたいがごとくケメ子は私の上でくつろぎたいのだから邪険にしては気の毒。だから私の身体に布団をかけ、その上にケメ子を乗せるようにしたのだが、そろそろ夏、布団は暑い。そこで、思いついた。使ってないエプロンがあった。それもジーンズ生地のしっかりしたヤツ。あれをかけてチェアに座ろう。ケメ子にはその上に乗ってもらおう。で、そのようにして待っていると、ケメ子が正面からやって来た。飛び移る気まんまんである。

次の瞬間、私の上にいた。

そしてくつろいだ。

私も痛くないからくつろいだ。作戦は大成功である。

閑話休題(次も閑話)。食材としてのドクダミの活用第2弾は天ぷら。

加熱するとドクダミらしさが和らぐって誰が言ったんだろう。ドクダミらしさは健在どころかいっそう華やいだ。味付けになんらかの工夫が必要である。何かあるだろう。ニンジンだってピーマンだってセロリだってこんなに美味しく食べられるようになったのだから。ところで、ドクダミには薬効があるというが具体的にはなにに効くのだろう?ググって見た。デドックス。いいじゃん。高血圧に効く。うーんといいじゃん。利尿作用がある……ええーっ?トイレが近くなるってこと?それは困る。

閑話休題(次も閑話)。源平合戦のメジャーどころの第1弾は「一ノ谷の戦い」。私が最初にこの戦(いくさ)について抱いたイメージ(第1のイメージ)は、小1のときに見た大河ドラマの「源義経」(私の覚えてる中で最古の大河)によるものだった。「一ノ谷」は文字通り谷筋の、傾斜のある道で、結構な幅があって、競馬場の「コース」っぽくて、そこを大群が疾走する様子は、さながら京都競馬場の第4コーナーのようだった(だんだんと傾斜がゆるくなっていったのは、カメラアングルを変えたのだろう)。ところが、その後、「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」という言葉を聞くようになった。すなわち、「一ノ谷」と言ってるけど、義経が下りたのは「鵯越」で、どどどっと駆け下りたのではなく、崖をえっちらおっちらと下ったのであり、ある武者などは、馬に怪我をさせないため自分が馬を背負って下りた、という話だった。私のイメージはそのように上書きされた(第2のイメージ)。ところが、最近、また別の話を聞いた。「鵯越」って所は実際は見晴らしのよい平地でありこんな場所での「逆落とし」はありえない、ここは通過点で、義経が馬で下りたのは、平家の砦である「一ノ谷城」の裏手にある鉄拐山の斜面だと言うのである。現場候補が再び「一ノ谷」に戻ってきた。どれ、地形を見てみよう(ブラタモリで培ったアプローチ)。すると、たしかに鵯越のあたりはほぼ平地だが、一ノ谷の裏手には山がある(その山の一つが鉄拐山である)。すると、崖を下りたのならそこは「一ノ谷」であり、競馬のように疾走したのならそこは「鵯越」ということになる(第1のイメージと第2のイメージの場所と方法が交叉する)。学説は分かれているそうで、「逆落とし」自体なかったという説もあるという。確かめる方法はもはやない……こともない。光速を超えて宇宙の彼方に飛んでいき、当時の様子を映した光を追い抜いた後に振り返って見れば、当時の様子を見られるはずである(実際、私たちが見ているアンドロメダ大星雲は、250万年前の姿である)。


ルーティーン

2024-05-20 08:39:33 | 

破れたシーツの上には乗らないが私の上には乗る、と書いたその証拠である。

正直、暑い季節になって薄着なところにケメ子に乗っかかれると痛い(写真でもわかる通り、ケメ子は爪をかけて踏ん張る)。だが、「いたい」というと済まなそうな顔をするから一応言葉は通じているらしい。食い意地は張ってるが相当に頭のいい猫である。なお、ワサビは私の上には乗らず、布団にもぐりこんで私の傍らで寝る……おお!ってことは、ワサビはシーツが破けてるのはいいんだ。

私の朝は、起きて猫トイレを掃除して、散らばってる猫砂を掃除機で吸って、猫にご飯をやって、で、ようやく自分のご飯を食べる頃に朝ドラが始まる。これを1年365日繰り返している。まさにルーティーンである(と書くと、「365日」は誤っている、日曜日に朝ドラはやってない、と言われそうである。なお、「パーフェクト・デイズ」の役所広司のようにドアを開けてお日様を見上げてにっこりすることはしない)。逆に、猫も、1年365日、決まった時間になるとご飯をくれと催促鳴きをする。これもルーティーンである(これは、一日の狂いもなく365日である)。

猫によっては、同じものばかり食べさせられると、もう飽きたと言わんばかりにぷいと食べなくなる輩がいるときくが、うちの猫についてはそういうことは絶無。ただし、ケメ子には吐き癖があるので、缶詰とドライフードの配分に配慮が必要。試行錯誤の末、最近は吐く回数がずいぶん減った(ワサビは、今にいたるまで(毛玉を除き)吐いたことがない)。その代わり、猫同士のご飯の取り合いを防がなければいけないって話は数日前に書いた。

10年前の私の計画では、母は100歳まで、猫は20歳(人間の100歳に相当)まで元気だろう、母と猫を見送ってからドイツに行こうと思っていた。だが、計画は変更を余儀なくされた。まず、母が88歳で亡くなった。母のような、頼りない活力のない人頼みの人こそしぶとく生き延びると思っていたから意外だった。認知症の恐ろしいところである。そして、行き先は「ドイツ」から「奥地」に代わった。猫の20歳は大丈夫そうである。それより、私の方がガタが来て怪しくなってきた。せめて猫が元気なうちはがんばりたいと思っているが、はて、ではなく、さて……


猫跨ぎ

2024-05-19 17:15:17 | 

ある晩、布団に入ったらビリッて音。その夜以来、布団に入る度にビリッが続き、いつしかシーツを敷いてるのに敷いてないのと同じ状態になった。こんな絵は通常はお目にかかれない。世のため人のために撮っとこうと思ったらケメ子が見てる。

よし、ケメ子がこの上を歩いてる様子を撮ろうと思ったらそこに立ちすくんだまま待てど暮らせど上を歩かない。この上に私が寝てれば迷わず私の上を歩くケメ子なのに。私を介さなければ布団の上を歩けないのか?この状態は猫にとっても奇っ怪なのか?「猫跨ぎ」とは猫も食べない魚のことを言うらしいが、私の辞書には猫も歩かない布団を付け加えよう。

それにしても、シーツと靴下とパンツはどうしてこう破れるのだろうか。人類は、なぜ穴の開かないシーツと靴下とパンツを発明しないのだろうか。そんなものを開発しちゃうと新品が売れなくなるからかもしれない。

因みに、破れるのはシーツだけではない。その下の布団も実は破れている箇所がある。どうせなら、破れたシーツから破れた布団が覗ければより絵になった(?)と思うのだが、そう物事が上手くは運ばないようである。


柵越え

2024-05-14 09:37:00 | 

ウチの猫らのご飯のとき、早食いかつ大食いのケメ子は自分が先に食べ終わるとワサビのご飯を奪おうとする。それを許すわけにはいかない。もちろんワサビに迷惑だがケメ子も食べ過ぎると吐く。自分で食べ過ぎて吐くんだから始末におけない(とか言ってて、自分で飲み過ぎて吐いてる人間も人(猫)のことを言ってられない)。だから、ワサビの傍らにいてその防御に努めているのだが、ワサビが食べ終わるまで動けないのも不便である。そこで一計を案じた。ワサビが食べ終わるまでレンジフードを柵にして両者を分かつのだ。

おお!うまくいった!食べ終わったケメ子はワサビとは逆方向に向きを変えた。

左上に去りゆくケメ子の尻尾が見える。「ゴジラ×メカゴジラ」でメカゴジラに背を向けて海に去るゴジラのごとしである……と思った次の瞬間、ケメ子がきびすを返して突進し、柵を跳び越えてワサビの陣地に攻め入った。一ノ谷の戦いにおける義経の鵯越によって平氏側が大混乱に陥ったようにワサビも仰天。平氏と同様に陣地を放棄してしまった。作戦失敗。次の名案が浮かぶまで、当分はワサビ側に張り付いていなければならないようである。まったく。世の中には雁首揃えてなかよくお皿に向かう猫たちもいるというのに。

騒動が一段落すると、何もなかったようにくつろぐ猫たち。ケメ子も私の手に足の肉球を乗せて(そのように慣らした)、安眠をむさぼっている。

食べてすぐ寝ると牛になると言うが、猫が牛になった例は知らない。因みに、ドッグサークルから出られない犬を見るたびに、犬はあの程度の柵を跳び越えることができないの?と不思議に思う。

「柵」で思い出すのが映画「子鹿物語」。農家の息子が可愛がる子鹿が作物を荒らすので一家は柵を作った。だが、子鹿は柵を乗り越えてしまった。万事休す。轟く銃声。動物好きの私のことを、私の父は「子鹿物語」と揶揄していた。近所で見つけたガマガエルを慈しんだときも「お前はホントに子鹿物語だ」と言った。そんな父は、農家の生まれで動物は家畜、つまり使って食べるモノであった。次男坊だったので山梨の実家を出て横浜の郊外に家を持ったときも鶏小屋をしつらえていた。

目的は玉子だったと思うのだが、鶏の行く末については記憶がない。後年、あの鶏はどうしたの?と親に聞いたら「食べた」と返ってきて受けたショックは深層心理に今も潜んでいる。ま、しかし、そういう時代であった。北野武氏のお姉様が慈しんでひよこから育て上げた「ピーちゃん」という鶏も、ある日お姉様の留守中に御尊父様が鍋にされたそうである。お姉様は火がついたように泣かれたという。この話は「たけしくん、はい」に載ってると思ったのだが、今読んだらない。じゃ、続編だっけ。続編はウチにはない。そう言えば、続編を立ち読みして大泣きした覚えがある。大泣きだけして買わなかったものと見える。

それに対し、これは、手元にある第1作で今も確認したエピソード。ある日、タケシ少年は悪友たちと友達の家(掘立小屋)に行くと留守。その掘立小屋にみんなで入り込んで柱を切る等々の狼藉をしていたらいきなり小屋がバターっと倒れた。で、夕方、帰ってきた親子が立ちすくんでいたそうだ。

この話と言い、ピーちゃんの話と言い私には泣ける話なのだが笑い話ととる人もいるだろう。渥美清さんは、自分が寅を演じた「男はつらいよ」をいろんな映画館で見たそうな。すると反応が違うという。例えば、寅屋の面々が寅さんの分をとっておかずにメロンを食べてるところに寅が帰ってきて怒る有名なシーン、山の手の館の客は笑うそうだが、下町の客は笑わない。「寅のためになんでとっておいてやらなかったんだ」という反応だそうだ。

なお、漱石の小説にも鶏を飼う話が出てくる。ふーん、漱石の階級=上級国民も鶏を飼ったんだ。やはり玉子が目的らしい。しかし、彼らに飼われた鶏がその後鍋になったか否かについて漱石は触れておらず、不明である。

 


要害

2023-11-15 11:41:20 | 

お城を作るときは、三方が山だとか海に囲まれてる場所を選ぶという。自然の要害になって敵に攻め込まれにくくなるから。あたしの足は、ワサビにとって要害。ケメ子軍の侵入をガードしてるの。以前は、ワサビが先に食べ終わるとケメ子のを奪おうとして、で、あたしがケメ子のガードになってたの。「こらぁ」とか言わなくて、足を置くことによって、あっ、お兄さんはガードしてるんだな、ってワサビは分かったようで、ケメ子のご飯をとろうとはしなくなった。そしたら、逆に、今度はケメ子がワサビ城に侵入するようになった。で、あたしがワサビ城の要害になってるわけ。でも、ケメ子の方ががっついてるから、あたしがワサビに味方してるってことが分かってもなかなか侵入を止めない。隙をみてはワサビのご飯を横取りしようとしている。要害(あたしの足)の間をくぐろうともする。まったくもー。そうやって、横取りして食べ過ぎて吐くのはケメ子なんだから。

その昔、人間が二人いたときは4匹の猫を飼ってた。今、人間が1人だから猫は2匹にしよう。猫も、1ニャンでいるよりも姉妹でいる方が楽しいでしょう。と思って、姉妹をもらい受けたんだけど。うちの2ニャンは姉妹なのに仲が悪い(つうか、兄弟姉妹は他人の始まりって言うから、姉妹だから仲がいいとは限らないわね)。加えて、どっちも食い意地がはってるから、ほっとくと、早く食べ終わった方がもう片っ方のをとろうとする。身体の大きさよりも、攻め入った方が優勢。勢いがあるからね。ほら、壇ノ浦の戦いでも、潮目が変わって源氏側から平氏側への潮の流れになって源氏が勝ったでしょ?そんな具合だから、猫らのご飯のとき側についてなければならないの。多頭飼いの難しいところよ。多頭飼いのみんながみんなそんな感じでもないみたいなんだけどね。なかよく雁首付き合わせて同じお皿でご飯を食べる猫らもいるらしいんだけど、ウチは違うわ。

合戦(かっせん)と言えば、こないだの「どうする家康」は関ケ原だった。陣形は西軍が東軍を取り囲むカタチで圧倒的に有利。後に、日本に来たヨーロッパの専門家が、関ケ原の陣形をみて当然勝ったのは西軍だと思ったら東軍が勝ったと聞いてびっくりしたそうな。小早川秀秋が裏切ったからね。だから、小早川秀秋が関ケ原の2年後に21歳で死んだとき、小早川に攻め込まれた西軍の将の大谷刑部のたたりだと言われたそうな。でも、小早川秀秋はどうやらお酒の飲み過ぎだったようね。21歳で肝硬変って言ったら若いうちからどんだけ飲んでたんでしょ。

それにしても、ドラマの家康が、最近、妙に落ち着いちゃって、ちっとも「どうする?」って感じじゃない。15年後の大坂の陣で真田幸村にあわやということころまで攻め込まれて、動転して「自害する。介錯せい」と言う人には見えない。「どうする」はあと1か月くらいでおしまいだから、すぐ大坂の陣なんだろうけど、動転するシーン、果たして動転するんだろうか。歴代の大河で、見事に動転したのは津川雅彦の家康。鉄砲が飛び交う中、家来に抱えられて、ほうほうの体で逃げおおせたんだった。

 


保護

2023-07-31 08:34:05 | 

ウチの猫らは冷房が嫌い。私1人ならエアコンをつけずにがまんするのだが猫がいるのでつけている。なのに(親の心子知らず)、わざわざエアコンをつけてない部屋に行く。ワサビはチェロの下がお気に入りである。

ま、しかし、人間だって、今エアコンが効いてる部屋の温度を冬に体感すれば寒いと思うかもしれない(逆もまたしかり)。猫らは、四季の観念に惑われず、絶対的な温度感覚のもとに生きているのかもしれない。

猫と言えば、野生の猫の捕獲の様子をテレビで見た。罠をしかけ、二匹の子猫がひっかかったが母猫と他の子猫は逃亡。ナレーションはその二匹を「保護した」と言っている。まさに、ウチの2ニャンはこうやって「保護」され、母猫と離ればなれになったに違いない。相当怖かったのだろう。いまだに私以外の人間がくると押入にかくれてしまう。因みに、私に2ニャンを譲渡してくださったヴォランティアさんは中央区にお住まいでそこで「お見合い」をしたのだが、2ニャンが「保護」された場所は足立区だと言っていた。もともと(下流の)ウチの近くにいたんだな、ご近所だったんだな。

動物の保護と言えば、絶滅が危惧されているヤンバルクイナで親とはぐれたひな鳥はいったん人間がひきとって育て、後に自然に帰しているそうだが、保護センターでヤンバルクイナにエサとして与えられいたのがミミズ。ヤンバルクイナはこれで生き延び、ミミズはこれで生涯を終える。ヤンバルクイナは個人(鳥)として尊重されるが、ミミズは個?として尊重されないのだろうか。されないようだ。

鳥と言えば、雀はちゅんちゅん言ってかわいらしいが、その顔をアップでみると猛禽類と同じで結構怖い(祖先である恐竜を彷彿とさせる)。ミミズにとって目の前の雀は恐竜に見えるに違いない(ミミズには目がないが)。ミミズがもうダメだと思ったその瞬間、タカが雀を捕らえたならば、タカはミミズの救世主である。映画「ジュラシック・パーク」で、いよいよ人間を追い詰めたラプトルが、飛びかかろうとした次の瞬間、ティラノサウルスに咥えられたシーンを思い出す(このとき、ティラノサウルスは、人間にとって「正義の味方」であった。ジョン・ウィリアムズ作曲のテーマ曲が高らかに鳴り響いたっけ)。因みに、人間にとって一番怖い恐竜は、背丈が人間と同じくらいのラプトルだと思う。でかい恐竜は、隙間に隠れればやり過ごすことができても、ラプトルの場合はそうはいかなそうだから。さらに言えば、全長50メートルのゴジラから隠れるのは容易である(にもかかわらず、子供の頃見たゴジラに追いかけられる夢では、どこに隠れてもゴジラに見つかってしまったのは不思議である(不思議なのが夢である))。だが、それは昭和のゴジラの話。最近のゴジラが口から発する熱線は周囲をあっという間に焼け野原にするから、どこに逃げても無駄である。


キャット空中三回転

2023-07-17 06:25:53 | 

「新婚さんいらっしゃい」に57歳の若夫婦が出てきて(以前は、新郎新婦が40歳で「え~」って声があふれたものだが、今のご時世50代でも「若夫婦」である)、秋田の人である新郎が語尾に「だす」を付けていた。え?「だす」って大阪でも言うよね(朝ドラ「あさが来た」で、ヒロインのあさは実家の京都では「どす」と言っていたが、嫁ぎ先の大阪では「だす」になった)。でも、そう言えば、「いなかっぺ大将」の風大左衛門は東北出身で「だす」と言っていた。大左衛門の故郷は秋田だっけ。だが、ググって見たら青森である。秋田と青森は陸続きだが、同様に「だす」と言うのだろうか。

その「いなかっぺ大将」は、「小学○年生」(子供雑誌)で連載が始まったときから読んでいた。当初はスポ根モノだった。例えば、柔道大会で自信家の大左衛門が決勝戦で小柄な相手に投げられて負けたときは、畳の上にすわりこみ「負けただす」と言い、それを見守る師匠が「こいつは大物になるわい」と言うようなシリアスなシーンもあった。が、体育の時間の跳び箱で、他の誰も跳べない段の跳躍に成功しながらもふんどしに手がかかってしまい、着地時は下半身丸出しで女生徒全員が手で顔をおおって後ろを向くといった下半身ネタも満載だった。後日、テレビアニメになったときは下半身ネタばかりになっていた。そのテレビアニメで主題歌を歌っていたのが吉田よしみ、後の天童よしみである。

「いなかっぺ大将」にはにゃんこ先生も出てて、先生が2階から飛び降りてもちゃんと着地するのに習って大左衛門が編み出した技が「キャット空中三回転」である。だが、いくら猫と言っても、高層階から転落したら無事ではすまない。ヴォランティアさんが今の2ニャンをうちに連れてきたとき(そう、ウチの2ニャンは考えてみれば今はやりの「保護猫」であった)、マンションの4階であることを心配して、絶対窓を開けて猫をベランダに出さないように、と申し渡された(以前、譲渡した先で、転落事故があったそうである)。言われなくても私は同じことを心配していて、絶対ベランダに出さないと決めていて、実行してきた。だが、先代の4ニャンのときは、隙を見てはベランダに出てごろごろしていたが(トラなどは、ベランダに干した布団の上に飛び乗ってこちらの肝を冷やさせたりもした)、今の2ニャンは臆病で、窓が開いてても決して出ようとはない。相当に慎重な猫たちである。

慎重すぎて困ることも。病院に連れて行こうとしても気配を察すると隠れて出てこない。体重を計ろうとしても同様である。そういうときに抱きかかえあげようとする私の手が、萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」(原作:光瀬龍)でゴルゴタの丘で磔になったイエスに向かって空から伸びてくる巨大な手(天使の手?)のようにみえるのかもしれない。そこで、一計を案じて、大きなペット用の体重計を買い、それをいつも猫らがご飯を食べる場所に置いてみた。ご飯につられて自ら体重計に乗ることを期待したのである。乗らなかった。

いつもとは違う方角からお椀に向いた。こうなったら強硬手段。猫の首根っこをつかまえ、猫を持ったまま私が人間用の体重計に乗って差額を計る方法をとる。うまくいった。猫は、首根っこをつかまえられると、子猫のとき母猫にそうされていた記憶が蘇って大人しくなるのである。大昔、「笑っていいとも」で猫のことをよーく知っているタモリさんが子猫をそうやって移動させたら、客席から「きゃー」という声(いかにも、子猫が可愛そうだと言わんばかりの黄色い声)が湧いたが、声の主らは猫のことを知らないな、と思ったものである。ただし、大人しくなると言っても、大人の猫の場合、子猫とは体重が違う。片手で首根っこを持ちつつ、もう片手で猫の体重を支える配慮が必要である。


最近の猫らのご飯事情

2023-06-23 09:19:10 | 

いっときケメ子が痩せてきて、大声を出すようになって、甲状腺に異常があるとそういう症状が出ると聞いて大層心配した。よっぽど動物病院に連れていこうかと思ったが、実は、ケメ子はかつてメタボな時期があり、このままでは成猫病になると思い、加えてケメ子には(猫によくある)吐き癖があって、それでご飯の量を減らしていた。痩せたのは単にそのせいかも。と思い、ご飯を増やすことにした。だが、ご飯を増やして吐いたのでは元も子もない。なので、1日二食だったのを3食にし(一回分は逆に少なくした)、かつ、ドライフードだけだったのを缶詰とドライを混ぜたものに変えた。その効果は爆発的。あっという間に体重が増え、かつ、大声を出さなくなった(ってことは、大声を出していたのは、ご飯が少ないと文句を言っていたのか)。と同時に、2ニャンの力関係に変化が生じた。これは、今朝のご飯風景である。矢印の方向に事が進んでいる。

まずは1枚目。各自が自分の位置で自分の器(うつわ)でご飯を食べている。これがデフォルトである。上がケメ子で下がワサビである。

2枚目。ケメ子が先に食べ終わる。これが大変化。ドライだけのときは先に食べ終わるのはワサビだった。しかも、必ず何粒が残して「ごちそうさま」をするのだった(「ごちそうさま」とは言わないけれど。因みに、朝ドラ「ごちそうさん」のヒロインは杏である)。今では、ケメ子の方が早い。さらに、ワサビも、残すことなく最後の最後まで平らげようという風情。それを横目で見るケメ子(不穏な空気が漂う)。

3枚目。ケメ子がワサビの器に首をつっこむ。以前、ケメ子の器に首をつっこんでいたのはワサビだった(ケメ子の体重が減った一因でもあると見ている)。これって、まるで、ライオンが倒した獲物を横取りするハイエナである。

4枚目。そしてケメ子が勝つ。ライオンVSハイエナの勝負も、多くの場合ハイエナが勝って横取りが成功するのと同じである。これも大変化。以前は、勝つのはワサビだった。だから、私がガードしてケメ子の食べる分を死守したのである。

そもそもワサビの方が骨格がしっかりしていて断然大きい。だから、ご飯戦場では、私はケメ子に肩入れしたのである。その結果、ワサビはケメ子の分を奪わくなった。だが、ご覧の通り、このところ、ケメ子の傍若無人(猫)が目立つようになった。この先、逆に、ワサビのためにガードをしなければならなくなるかも。だが、そうすることによってケメ子がいじけても困る。なかなかさじ加減のむづかしいところである。まあ、病気の心配はなくなったので、その点はホッとしている。とにかく、どっちにも健康でいてほしい。猫が健在でいる限り、私はここに住み続ける所存である。

よく、同じお皿に複数の猫が顔をつっこんで仲良く食べてる図柄を見る。アフリカの草原でも、倒した獲物に数頭のライオンが同時に食らいついている図柄を見る。なんで、ウチはそうならないんだろう?飼い主のがっついてるところが似てしまったのだろうか?「!」(「ブラタモリ」でタモリさんが何か思いついたとき画面に出るピックリマーク)まさに、今、書いてて思った。お皿が小さいから?大きいお皿なら仲良く雁首揃えて食べる?だけど、定位置で自分の容器で食べるというデフォルトは14年間ずっと変わらないできた。ここで変えるのもなぁ……


悪い人間

2023-05-24 08:01:30 | 

猫も、人間同様メタボだと成猫病になりやすい。しかも、うちのケメ子は(多くの猫がそうなのだが)吐き癖があり、ご飯が多いと際限なく食べて、そして吐く。だから、これまでご飯量を制限していた。だが、最近、痩せて怒りっぽくなる猫の病気がある、と聞いて、なんだかケメ子にあてはまる気がして心配になった。そこでご飯の量をちょっと増やすことにした。かつ、一度に食べて吐いてもいけないので、食事の回数を2回から3回にした。

これで太ってくれるだろうか。ご飯を多めに与えてはケメ子の体を触ってチェック。なんだか、「ヘンゼルとグレーテル」で、ヘンゼルにお菓子をたくさん与えつつ、ヘンゼルの腕を触って食べ頃を探った魔女の気分である。

すると、如実に結果が表れた。ふっくらしてきて怒らなくなった。そうか、ご飯が少なくて怒ってたのか。ごめんごめん。だが、かと言って、このまま右肩上がりに体重が増えていったらメタボになって成猫病の心配が現実のものとなる。さじ加減は微妙である。

なお、「ご飯」と言っても、お米のことではない。その昔、「ねこまんま」と言って、本当に猫のご飯はご飯だった。米飯にちょっと何かを混ぜる程度だった。だが、肉食の猫にご飯ばかり与えてよいはずはない。だから、昔の猫は短命だったのである。私がウチの2ニャンに与えてるのは「完全栄養食」の表示のあるドライフードである。

因みに、江戸時代の江戸では、人間様も米飯(白米)ばかり食べていた。それが江戸町民の生き甲斐だったらしい。だから江戸町民には脚気が多かったそうだ。日本人は、本来、ストライキその他の社会運動に冷ややかであるにもかかわらず、天保の大飢饉の際に江戸で打ち壊しが起きたのは、米の値段が高騰したからである。食事のほとんどを占めていた米が高騰したら食べるものがない。つまり、インフレが町民の生活を直撃したからである。

欧米では、市民の多くが社会運動に親和的である。民主主義が戦後、上から降ってきた日本と違い、自分たちの手によって勝ち取った歴史があるからだろう。こないだも、フランスで鉄道がストをして、多くの市民の足に影響したのだが、市民の多くが「自分たちにとっては不便だが、彼らがストをすることは理解できる」と言っていて、彼此の違いを思ったものである。なお、ストライキ権は、日本においても、憲法で保障された人権である。

「ヘンゼルとグレーテル」にちらっと触れたせいで、あの魔女に名前があったかどうか急に気になった。例えば、「眠りの森の美女」の魔女は、アンジェリーナ・ジョリーが魔女を演じた映画では「マレフィセント」という名前がある。Wikipediaの「ヘンゼルとグレーテル」のドイツ語のページで確認してみた。一貫して「die Hexe」(定冠詞+魔女)で名前はないようだ。一箇所、「die böse Hexe」(悪い魔女)と書いてる部分があった。「人食い」だから人間からしたら「悪い」魔女だろう。だが、それを言うなら、ラーメンにチャーシューを入れる人間は、豚から見れば「悪い人間」である。


ビフォー・アフター

2023-04-26 11:36:05 | 

小一んときの国語の教科書の最初のページは「みえる みえる」だった。人が遠くの景色を眺めてる絵だった。次のページは「はるみさん はい」だった。教室ではるみさんと思しき女子が先生にあてられて答えてる絵だった(と思う)。北野武氏は、私よりかなり年上でいらっしゃるが、教科書が同じだったんだろうか。ご自身の自伝のタイトルが「たけしくん はい」だったからそう思量する次第である。

写真の左側は、そのとき(小一んとき)から8年くらい経った頃(脚が速かった頃)。

この頃の写真はフィルム式で現像していた。それをスキャンして加工したものである。右側は現在。その間、写真がデジタル化した。「写真が変わる、現像する必要がなくなる」とニュースが言ってたっけ。20年以上前だっけ。現在の私は、素性を隠しているので素顔を撮らせないが、子供んときの写真から現在を推量できないだろうから(眼鏡をかけてないし)、ま、いいか、で載せたものである。なお、現像は、普通の人は、自分でせずに写真屋さんにしてもらうから、正しくは「現像していた」ではなく「現像させてた」(ドイツ語なら「gensohen lassen haben」)である。

これが、今のウチの猫となると、ウチに来たのは14年前だから、ビフォー(左側)もアフター(右側)もデジタルである。

こうしてみると、2ニャン(姉妹)とも顔が三角で耳がでかい。これに対し、先代猫は丸顔で、耳はそんなに大きくなかった。先代猫は4ニャンだが、チロに代表して登場してもらう。

先代は、母猫+3ニャンだった。もう1ニャンいたらしいが、一番器量よしだったのでウチがもらう前に他所にもらわれたそうである。現猫の2ニャンがもともと何ニャン姉妹だったのかは不明。保護されてヴォランティアさんのところに連れてこられたのが2ニャンだけだったので。

なお、昔の写真がひょいと出てくるのは今パソコン内の写真の整理をしてるから。この話は次回に続く。


ゼットン

2023-04-13 08:55:41 | 

ウチのお嬢たちは肉球をさわらせてくれる。日頃、私に大いにお世話になってるから、せめてサービスで肉球くらい触らせてやろうと思ってる風である。

早いもので、もう初夏の陽気である。春になって虫が土から出てくる様を啓蟄というが、この時期、ウチの猫らは土ではなくコタツから出てきて、ケメ子は重役椅子が定位置となる。

この椅子は「腹筋くん」とかいう言う名前がついていて、私が腹筋を鍛えるために通販で買ったモノだが、本来の用法(腹筋)に用いられてことはほとんどなく、もっぱらケメ子の居場所となっている。それでよい。ある先生が言っていたが、声楽に必要なのは横隔膜の動きで、六つに割れてるような腹筋は不要だそうだ。管楽器にも同じことが言えよう。合宿で、二人一組で腹筋をやったのは、大学の合唱団だっけ?高校の吹奏楽部だっけ?因みに、中学の陸上部の顧問の先生は、「うさぎ跳びは百害あって一利無し」と言って生徒にやらせなかった。慧眼である。

肉球の話ついでに脚の話。ティラノサウルスは後肢に比べて前肢が異様に小さいと言われるが、人間だって、脚と腕の太さはまるっきり異なる。ただ、さすがにティラノサウルスほどの差はない。アロサウルスくらいの差だろうか。因みに、ティラノサウルスは白亜紀に生きた恐竜。ジュラ紀にいたのはアロサウルス。だから、映画「ジュラシック・パーク」にアロサウルスが出てこなくてティラノサウルスが出てくるのは本来変なのである。実は、私はティラノサウルスよりアロサウルスを先に知った。小さいとき読んだ「太郎の冒険旅行」に出てきたからである。この二種の比較であるが、ティラノサウルスの方が大きくてパワーがあるが、アロサウルスは俊敏だったそうな。例えて言うなら、ティラノサウルスがジョージ・フォアマンで、アロサウルスはムハメド・アリであり(ある)。

恐竜の話ついでに怪獣の話。だが、怪獣は通過点で怪獣と日夜格闘したウルトラマンの話。アマゾン・プライムで「シン・ウルトラマン」を見た。劇場で見て以来である。こないだ「シン・ウルトラマン」について、「テレビではスペシウム光線発射のシーンと、それが怪獣に当たるシーンが別々だったが、映画では、横長のスクリーンなので、2つのシーンを同時に見れてうれしかった」と書いたが、これは記憶違いであった。スペシウム光線はたしかに横にびよーんと延びてすごかったが、そのシーンに怪獣は映っておらず、命中するのは次のシーンだった。因みに、「シン・ウルトラマン」にはゼットンが登場する。「ゼットンって、テレビ放送の最終回で、ウルトラマンを倒したんだよね」と言って通じる相手は同年配……とも限らない。同年輩でも全員がウルトラマンを見ていたわけではないし、逆に、もっと若い世代でもビデオで見て知ってるかもしれない。例えば、私は、リアルタイムでビートルズを聴けた世代ではないが、レコードを聴きまくって大概の曲は知っている。そのゼットンを倒したのは人間(科学特捜隊)である。地球人は、すべてにおいてウルトラマンにおんぶにだっこではなかった、という制作側のメッセージだろうか。スターウォーズのスピンオフのある回で、敵のドロイドの大群を結局ルーク・スカイウォーカー1人で倒し、なんだルークがいればそれだけでよかったのか、と思ったのとは対照的である。


泥棒猫1号発進!

2023-01-17 15:19:07 | 

 

コタツ基地から発信直前のウルトラキャット1号である。

この基地に潜むウルトラキャットは1号と2号。どちらも猫の種類は同じ。すなわち、泥棒猫である。

ウルトラ警備隊のウルトラホークは、ウルトラセブンと共に人類を怪獣から守るため基地を飛び立ったが、ウルトラキャッツが基地から出て狙うのは食料庫。荒らしてる最中に「こらぁ」と怒られるとこの基地に逃げ帰る。因みに、「こらぁ」は薩摩弁で「ちょっと」という呼びかけだったのだが、ご維新の際、全国に散らばった薩摩出身の警官の語調が強かったため、他人を叱るときの言葉として定着したそうだ(チコちゃん情報)。

ウルトラ警備隊の秘密基地が参考にしたのは、サンダーバードの秘密基地だと思われる。だが、ウルトラホークは機体がピカピカしていて、いかにもプラモデル風だったし、ジェット噴流が花火のようで、煙が上に上っていくのが興ざめだった。そこへ行くと、サンダーバードのメカは本物ぽかった、と言うのも、本物らしさを出すためこすってわざと傷をつけていたそうな。因みに、番組製作当時、世界はサンダーバードの秘密基地がどこにあるのか知る由もなかったが、衛星網が発達した現代ならばればれである。あと、秘密基地と言えば、規模は小さくなるが、大昔にテレビで放送していたバットマンシリーズでも、バットマンとロビンが車で出入りする秘密基地があった。逆に、あのような小規模な基地なら現代の衛星からでも見つかりにくいだろう。

以下は備忘録。ウルトラキャッツに荒らされて袋に穴が開いたので容器に移し替えた粉がなんだったか忘れるといけないので。

一番左がお好み焼き粉であとの3つが薄力粉である。

それから、昨日出題した「曲当てクイズ2023年第1弾」は、現時点で回答者がゼロである。その理由を探ってみた。
考えられる理由その1。お友達は合唱畑の人が多いので、ジャンル違いのため曲名が分からない。
考えられる理由その2。ばかばかしくて付き合ってられない。
考えられる理由その3。当ブログは、読んでもその足跡を残さないようにしている。回答すると読んでることがばれるから。

その3は大いに考えられる理由付けである。と言うのも、普段、まったく読者であることを匂わせない方々が、年賀状等で「体調はどうですか?」と聞かれるからだ。これは、不調を訴えた昨年秋口のブログを読んだからだと思われる。では、なぜ、足跡を残さないようにしてるのですか?それはね、「変な人とかかわりを持っちゃだめよ」と親から教えられたから、だそうだ。


頭隠して尻隠さず/過去完了形の演奏

2022-11-13 11:30:53 | 

 

頭隠して尻隠さず、である。右端に出っ張ってる茶色のもこもこはケメ子の尻尾。ケメ子の下にいるのは例によって私。つまり、構図的には、ケメ子の黄門様は私の鼻先にある(猫を飼ってる人なら知っているよくある状況)。

今日は暖かいな、昨日、外でお酒を多い目に飲んだせいかな(私に「ボエームごっこ」をさせようとしてたくさんついだ人がいた。私は、最近、大人になって、そういう破廉恥な真似をやめているのである)、やっぱ、お酒は飲まなきゃだめかな?と思ったら、今日の気温は24度まで上がるそうだ(暖かいのはお酒のせいではなかった)。風がものすごく強い。あおりをくって、ベランダに吊した洗濯物のハンガーが落下した(どういう物理的運動でもって落下したのだろう)。あちゃー、また洗い直し?という考えが一瞬頭をよぎったが、いや、洗濯物は、洗濯直後はいずれにせよ雑菌だらけで、乾燥によって雑菌が消えるという。なら、わざわざ洗い直す必要もないだろう。

相変わらず、昔の録音録画の移行作業をしている。なかには、昔の番組が、そのまた昔の演奏(過去完了形)を紹介してたりして(昔×昔=大昔)、興味が尽きない。その中で気になったヤツをいくつか。

大昔の超レジェンド歌手(テナー。その名は歌劇団の名前にも刻まれている)が「冷たい手」を歌っている。この方は、お父さんがスコットランド人ということで、なかなかの二枚目である(大相撲の大鵬はお父さんがロシア人、指揮者の渡邉暁雄はお母さんがフィンランド人で、いずれも二枚目である)。その二枚目レジェンドの「冷たい手」が聞けるとあって期待は否応にも膨らむ。だが、膨らんだ期待はパチンと消えた。プッチーニ特有のながーいフレーズはそこかしこで寸断され、パヴァロッティの流麗な歌がデフォルトになっている私の耳にはもはや別の曲である。日本語で歌ったせいだろうか。この後も、声楽陣については、そうしたがっかりが続いたのだが、ここに山路芳久が登場した。出たっ(お化けのように言うな)、これぞモノホン!山路芳久の歌は何度か生で聴いていて、そのときの感興が蘇る。しかし、彼は早逝したのだった。惜しい人を若くして亡くしたものである。

器楽は、大昔から達者な人が多かったようだ。ピアノの安川加寿子の映像も出てきた。この方は、私が、生で聴いたおそらく最初の演奏家である。10代でN響のヨーロッパ演奏旅行に同行し、振り袖姿でショパンのコンチェルトを弾いた有名ピアニストの映像も出てきた。この方の演奏は、まさに、鍵盤を「叩く」というもの。ピアノは打楽器であると思わせる弾き方は、当時は主流だったのだろうが、今では、だいぶ変わってきているそうだ。そう言えば、日本では、指揮も「叩き」が主流だそうで(某指導者の影響らしい)、ヨーロッパでカラヤンに学んだ若手が「叩き」とは正反対の指揮をするようになって日本に帰ってくると、指導者は「まったくもー」と言って直すのだそうだ(実際「まったくもー」と言うかどうかは知らないが、「(若手が)カラヤンのところに行っておかしくなって帰ってくる」と、某有名指揮者が言ったのは聴いたことがある)。


2022-11-08 10:41:56 | 

ワサビは、前掛け(顎から胸にかけての白い毛)がチャームポイントである。足下の爪とぎをおニューのものに取り替えた。人間(私)ばかりいろいろ買ってることの罪滅ぼしである。

尾張名古屋は城でもつ、なら、お江戸上野はパンダでもつ。ついでに足立区のわが家は猫でもっている。

「キクラゲ」は「木耳」であり、海にいるクラゲのことではないのだが、では、海に黄色いクラゲはいないのだろうか?調べた。いた!クラゲの名は不明だが、黄色いんだから「黄クラゲ」と言ってもバチはあたらないはずである。

国会図書館に一度行ったことがある。子供の頃読んだ「こども科学館」(月刊誌)を是非読み直してみたかったから。索引票(当時は紙だった。今は当然電子化されてるんでしょうねぇ)を検索したらその名の本があったので閲覧を申し込んだら、出されてきたのが同名の単行本。私が望んでいた本はなかった。「本はなんでもある」わけではなさそうである。因みに、お目当ての本は、ネットオークションサイトで見つけてゲットできた。

スターウォーズの「ジェダイ」は、ドイツ語では綴りは同じ「Jedi」だが読みは「イェーディ」。こないだ見たスピンオフで、女性のジェダイが「Ich bin ein Jedi」と言っていたから、ドイツ語の「Jedi」は男性名詞である。ジェダイが女性であっても同じである(「ein」は男性名詞に付く不定冠詞である)。

ドイツ語とスターウォーズのからみをもう一つ。30年前、ドイツのテレビでスターウォーズを見てたら、冒頭、がーんと大写しになるタイトルが「Star Wars」ではなく「Krieg der Sterne」だった。すなわち、まだドイツ人がドイツ語に愛着を持っていた。今ではオリジナルのまま「Star Wars」。別の映画では「もう一曲」と言うべきところを「Noch ein Song」と言っていた。一昔前なら「Noch ein Gesang」と言ったはずである(「Krieg der Sterne」について追記。「Sterne」が複数形なので「星々の戦争」「星間戦争」って感じだろうか。あれぇ?複数形と言えば、「Wars」が複数なんだから、「Kriege」じゃなきゃおかしいよなぁ、でも確認したらやはり「Krieg」で合ってた。けど、ちょっと不思議)。

源実朝は夢日記をつけていたそうだ。私もつけようか。ここしばらくは、以前のような荒唐無稽な精神の破壊を疑わせるような内容の夢は影を潜めていたが、最近、復活しつつある。そういうヤツをここに書くわけにはいかないので、最近見た穏便なヤツを一つ。麹味噌合唱団と思しき団体で、バッハのロ短調ミサとモテットの第1番を練習する夢だった。メリスマを走ってしまって隣の人に睨まれた。夢でも楽しいだけってないものだ。あと、なぜヨハネではなく、過去にやったメサイアやマタイやドツレクでもなくロ短調とSingetなのかは不明である。