拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

アイデンティティ確認(クリオラ通唱会)

2019-12-31 10:48:44 | 音楽
昨日はクリスマス・オラトリオ(バッハ)の通唱会。ここんとこの「うさ」、つまりA合唱団に人がいないので男声を歌わされている「うさ」……とか言うと、「歌わされた」とはなんだ、誰も頼んでないのに自分で勝手に移動したんだろ、と言われそうだが、みんなの顔に「バスを歌え、テナーを歌え」と書いてあった。とか言うと、それはお前の被害妄想だ、と言う。すると、被害妄想だなんて言ってない、いや顔に書いてあったって話になって、まるでどうどうめぐりの痴話げんか。これでは永遠に終わらなくなるので先に進む。とにかく、A合唱団でアルトを歌っていないのは事実であって、その「うさ」を昨日は存分にはらさせていただいた。合唱のパートはもちろんアルトを歌ったし、普段の通唱会ではテナーやバスのアリアを男声で歌うのだが昨日はこちらもオクターブ(場合によると2オクターブ)上げてカウンターテナーで。通唱会もいろんなシステムがあって、昨日の会はレチタティーボはエントリー制。私はどたばたしているうちにエントリー期間が過ぎてしまってどこにもエントリーしなかったのだが、前の日になって主宰者からレチを一曲歌わないかとの打診をいただき(ドタキャンが出たのだろうか)、私のようなものがオファーをいただいて断る道理がないから歌わせていただいたのだが(なんだか橋田壽賀子の脚本の口調のようだ)、これもアルトの曲である。ということで、自分のアイデンティティ(カウンターテナー)をしっかり確認した貴重なひとときであった。とかいいながら、自分でやってる歌いまくる会では、ばちっと歌える人がやまほどいるから私は大喜びで楽器にまわることが多い。すると、偉そうにアイデンティティとか言っといてホントは何がやりたいんだ?と自分につっこみたくもなる。このように自分を客観的に書くことがブログのメリットであり、健康にもとってもよいことなのだそうだ(紫式部のことを扱った番組でそんなことを言っていた。紫式部は日記を書くことによってストレスまみれの平安貴族社会において健康を維持したのだそう)。だから、私のブログは、健康増進のためであり、もう一つは安否確認の意味もある。なにしろ独居青年(!?)だからなぁ。

去りゆく後ろ姿(を前から見たら)

2019-12-30 10:52:58 | 日記
フレンチレストランが舞台のドラマを番宣に弾かれて最終回だけ見た。だいたい私が民放のドラマを見ないのはイケメン(天敵)がいかにもイケメン風に登場するからだ。ときとしてキザだし、それを隠そうとすると不必要に乱暴だったり。キムタクも厨房で怒鳴ってたなぁ。私、結局こういう人生になるんだったら若い頃からコックの修行でもすればよかったと思うこともあるが、そりゃあ大昔だったら会社にもこわい先輩はいたが、今でもあんな風に怒号が飛び交う世界だったら軟弱者の私には務まりそうもない(音楽の修行も同様なのだろう)。それにしてもフレンチってやつは繊細ですなー。参考にはまったくならない。だって、私の料理って、ジャーッと炒めて、バサーっ具をからめて、ジューっとスープをぶっかけて、はい、できあがりだもんね。フレンチは常温で出すというし。とか文句を言いながら結構楽しんで見させていただきました。気になったのは、最後にキムタクが店を辞めて去っていくシーン。大体、そういうシーンって後ろ姿を映す。が、前から撮ったらどういう顔をしてるんだろう。あーあ、強がり言っちゃったけど、辞めなきゃよかった、という後悔の念がにじんてたりして。こないだ徹子の部屋に出た小堺一機さんがご両親の話をしていた。お父上はよくちゃぶ台返しをしたのだが、翌日、壊れたちゃぶ台の修理にいそしんでいたそうで、その様子を見ながらご母堂が一機少年に「映画はかっこよく去って終わるが、実際はそこからが本当の人生なんだよ」と教え諭したそうだ。名言である。去って行くシーンで思い浮かぶもの二つ。一つは「シェーン」(古い西部劇)。少年が「カム・バック・シェーン!」って叫ぶのに振り返らず去っていく。ホントは直前の決闘でシェーンは致命傷を負っていてあの後死ぬのだという解説をする人がいた。「シェーン」でドイツ語の「schön」(美しい)が頭に浮かぶようになったのは後年になってからである。もう一つ。朝ドラ「カーネーション」で、糸子が八重子さんに毒づいて別れた後、みるみる後悔の表情に変わっていく様。名優だなぁ、と思った。

これが包丁かっ

2019-12-29 12:50:32 | グルメ

あまりにもローストビーフがうまく切れないのでポチった種子島包丁がけっこうすぐに来たので、リベンジとばかりまたまたローストビーフに挑戦(100g150円台のお肉です)。おおおーっ、薄く切れた!これがホントの包丁か。野菜だってそう。これまではざくっ、びしっで(押して引いて)切っていたが、「トン」で切れる。料理番組で見る光景である。里芋の皮むきだって、かたいかたいと思っていたが、ジャガイモの皮むきと変わらない。うーん、名人筆を選ばずと言うが、そもそも私は名人ではない(無名人である)。今までの金物はなんだった!?竹槍でB29に立ち向かうようなものであった。もっと早くにいい包丁を買うべきであった。ようやくスタートラインに立ったので来年は料理の年にしよう。やはり初心に戻ってイタリアン。そもそも料理を始めたのは、30年前にBSで放送していたイタリアの料理番組(レポーターがイタリアの土地土地を訪ねてそこの料理とレシピを紹介する)であった。あの録画DVDを引っ張り出して一つ一つ再現しよう。今日は「グランメゾン東京」っていう料理番組の最終回だそうで、これまで見たことがなかったがさっき番宣を見て少し興味が沸いた……が、フレンチだしな。私は、フレンチの知識はゼロである。練習帰りにときどき寄るビストロ(パスタがないの?と聴くとウチはフレンチだからと言って怒られる。ずっとこわいマダムだと思っていたが、こないだ財布をなくして電話をしたら優しかった。ツンデレだ)では、私は借りてきた猫状態。それにしても、道具でこんなに違うということは、ヴァイオリンも、今は2万円ちょっとの楽器で結構楽しんでいるが、もっと出せばもっと上手に弾けるのだろうか。もし、私が余命3か月の宣告を受けたら200万円のヴァイオリンを買うことをここに宣言する。一つ反省。ローストビーフを写真のように全部切ったのだが、半分は食べきれないで翌日に残す。すると、血がたくさん出る。薄く切るのはとりあえずそのとき食べる量だけの方が良さそうだ。

ペーター・シュライアーにひれ伏したマタイの夜

2019-12-28 12:49:09 | 音楽

ペーター・シュライアーが逝った。シュライアーは心底好きな歌手だった。当初、レコードであまり良さが分からなかったが、ライブで聴いて、ノックアウトされてひれ伏した。それはトマナーコーアだったかクロイツコーアだったかのマタイ受難曲。あの壮大な第1曲が終わってエヴァンゲリスト(シュライアー)が歌い始める。「Da Jesus」(写真)の「Je」が東京文化会館の上階で聴いていた私の耳を直撃。全く普通に呼吸をするかのように発せられた声の伸びやかさはまるでリスグラシューの末脚のよう。この直撃を受けて直ちに降参。以降、熱烈なファンになった。あと、ミュンヘン・オペラの引越公演のときもすごかった。このときのマイスタージンガーはシュライアー(ダーヴィットを歌った)のほか、コロ、ヴァイクル、プライ、モル、ローターリング、ポップ等々一線級の歌手が勢揃い(まるでこないだの有馬記念)。その中でもシュライアーがすごかったのはそのタフネスぶり。ダーヴィットはかなり歌い詰めの役だが、それを連日こなしたうえに、ドン・ジョヴァンニの指揮までした。歌手は声に神経質で普段なるべく喉を使わないようにする人が多いそうだが、シュライアーときたら、来日すると空港からホテルまで車の中で歌いまくったそうだ。そう言えば、シュライアー(Schreier)という名字は「叫ぶ人」。おっ、歌手にぴったり、と思ってはいけない。ベームに「歌手らしくない名前だね」と言われたように、この場合の「叫ぶ」は「金切り声をあげる」の意味だ。でも、ドイツ人の名前は職業からくることが多いが(日本人のお名前は場所からくるという)、シュライアーのご先祖様がどういうお仕事をなさっていたかは知る由もないが「喉を使う」仕事だったのかもしれない。すると、それが「喉のタフさ」として受け継がれてきたのかもしれない。おっと、シュライアーと言ったら私のFB友達の多くが持つイメージはリート歌手だろう。シュライアーの「水車屋の娘」は歳をとってから録ったものがいっそう若々しかったっけ。その録音を聴いた追悼の朝であった。

内縁夫婦

2019-12-27 10:15:37 | 日記
世は「愛より結婚」、婚活ブームだという。昨日の「所さん……」で、婚活パーティの様子を放送していた。男「もう42年も歌ってましてね」(あっ、私も同じことを言える)女「まー、どんな曲を?」男「長渕剛」。むむっ、私なら「バッハ」「シュッツ」と言うところ。しかし、「バッハ」ならまだいい。「シュッツ」なんて言ったら、「え?主っ津?どこの津ですの?」とか聞かれそう。因みに、寅さんは、竹下景子演じるマドンナが「ウィーン」と言ったのを「湯布院」に聞き間違えてウィーンに行ったのであった(パスポートはどうしたんだろう)。そう言えば、今日が寅さんの新作の公開日。私がいつも行く映画館は、寅さんに限って中学生以下のチケット代が100円だという。いいなぁ。中学生以下と同伴で大人も100円にならないだろうか(なるわけない)。夫婦割りは一方が50歳以上なら両方割引になるけれど。あれって、内縁の夫婦にも適用があるのだろうか。いまや、内縁夫婦は法律の世界では多く点で法律婚と同等扱いである(相続とか名字はダメだが)。適用があるとして、どこから内縁夫婦になるかが問題である。さあ、今日からぼくたちは(届は出さないけど)夫婦だよ、と思ったらその日から内縁夫婦になる、という解釈だってありうる(賭博はこれから常習しようと思ったら始めてすぐでも常習賭博罪になる)。しかし、ある程度実質を伴わなければならない、ということなら映画にいく前に男女の営みを済ませておこう。すると、たかが映画を観にいくだけでも大騒動だ(そのための「ショバ代」の方がはるかに高くつく)。で、見終わったら別れる。次行くときまた営む。そのうち子供ができれば、そうなればおおえばりの内縁夫婦だ。因みに、私は常にシニア割がきくお年頃である。

むかしむかし(Es war einmal)

2019-12-26 11:23:50 | 日記


塊肉を買ってきたので(例によって100g200円以下)、ローストビーフにした。フライパンで各面に焦げ目を付けてからオーブンで焼いてアルミフォイルで包む。ここまでは良かったのだが包丁がボロで薄く切れない。切れる包丁の購入は以前からの懸案事項だったが、ローストビーフがうまく切れなかったのがきっかけとなり種子島包丁をポチった。今年最後の自分へのご褒美である……はずだったが、全部たまっていたポイントでまかなえたので、ご褒美は別のものにしよう(買い物の口実を自分で作る)。さてさて、日曜日のリスグラシューの走りとおととい観たスターウォーズの二つの余韻が覚めやらない。スターウォーズが完結してしまって(古い神が去って)、以後何を生きがいにすればいいのだろう(どんな新しい神がくるか)……と書いたが、新しい神は案外スターウォーズかもしれない。ディズニーは、この後もスピンオフはもちろん数年後に本編の続きを作ると言ってるそうだ。だが、それってスターウォーズと言っていいのだろうか。原作者のジョージ・ルーカスは、当初からエピソードは9つと言ってたわけだし、ジョン・ウィリアムズは、スターウォーズの音楽を書くのはこれが最後と言っているそうだ(今後がありそうだから、わざわざそう言ったのだね)。音楽がジョン・ウィリアムズでなければ別物だよねー、でも、公開されれば見に行くんだろうが。それにしても、今回の作品のストーリーはうまくできている。前作で広げられた大風呂敷をちゃんと回収して、ラブストーリーも織り交ぜて、旧作へのオマージュもそこかしこにちりばめられている。こういう大作をどうして日本人は書けないのか……と書きそうになって(もう書いてしまったが)、思い出した。日本人だって負けていなかった。源氏物語は、洋の東西を問わず最高の大河ドラマだという。昔の物語だけではない。サイボーグ009の黄泉編とレインボー戦隊ロビンのパルタ編の壮大でかつ緻密な物語は圧巻である。こういう上質の子供向け作品で育った私らの世代は幸せである。きっと、その精神を継いだ人々が世界に誇る日本のアニメを今発信しているのだろう。「昔の物語だけではない」と書いたが、サイボーグ009もレインボー戦隊ロビンもほとんどの人にとっては「むかしむかしの物語」(Es war einmal)なのだろうか。因みにスターウォーズは「むかしむかしの物語」である。40年以上前に初めて見たときまずこの設定にやられた。だって、SFだったら未来の物語ってぇのが常道でしょ。それが「ずっと昔、別の銀河系で」って言うんだから。

聴き納め~スターウォーズ

2019-12-25 16:11:59 | 音楽

スターウォーズの最新作にしてシリーズ完結編のエピソード9を見てきた。私は普通に感動すると左目だけから涙がこぼれるのだが(女優だから(?))、両目からさめざめと汗が出ましたとも。まだ公開したばかりだから内容についてはネタバレになるから書かないけど、音楽については書きますよー。なにが感謝って、ジョン・ウィリアムズが全9作、テーマだけでなく本編の音楽も付けてくれたこと。最近は、シリーズもののテーマこそジョン・ウィリアムズのものでも本編は他の人ってことが多いわけだが(ハリー・ポッターやスーパーマンとか)、やはりスターウォーズは思い入れが違うだろうね。スターウォーズ第1作(エピソード4)のとき、ジョージ・ルーカスは当初音楽は「2001年」みたいに既存のクラシックの曲を使う予定で、スピルバーグから紹介されたジョン・ウィリアムズはジャズ・ピアニストでもあったので本格的なクラシックっぽい曲を書いてくれるか不安だったそうな。それがクラシックになりましたからね、ジョン・ウィリアムズのスターウォーズの音楽自体が。初めて聴いたとき、20世紀フォックス社のファンファーレが鳴って、「a long time ago,in a galaxy,far,far away」で一瞬静寂があたりを覆った次の瞬間ホールに轟いた「ジャーン」の和音(20世紀フォックス社のファンファーレと同じ調だからあたかもつながっているかのようだった)。多くの観衆とともに、私もこの音の一撃でこの映画の、そしてこの音楽の虜になりました。ディズニーになってから例のファンファーレがなくなったのは寂しいが、やはり冒頭の「ジャーン」は、特にこれが最後、聴き納めと思うと感無量。いつもよりテンポがやや遅く、じっくり演奏している感じがした。そして本編の音楽。台詞がないシーンがあっても、音楽のないシーンはない。あらためて、これは無声映画だと思った。登場人物の動きを全部音楽が表しているのだ。まるでヴァーグナーのライト・モティーフである。そして、物語は大団円。さあ、ロール・クレジットで流れる音楽こそ聴き納め。さながら劇中の音楽のエッセンスがつまった組曲である。実はこの「組曲」だが、当初の三部作あたりは、スターウォーズのテーマで始まり中間部がしんみりして最後は再び活力を取り戻して大音量で終わってみんなすっきりという流れだったのが、その後しんみりしたまま終わるようになった。でも、最後である。最後はやはり「ジャーン」で終わってほしい、プロデューサーはジョン・ウィリアムズにそう頼んだかかなぁ、でもそう思っても超々大家にこうしてくれなんて意見は言えないよなぁ、私だったらどうお願いするかなぁ、遠回しに昔はジャーンで終わりましたよねぇ、とか言って話をもってくかなぁ、などと私がしてもまったく意味のない妄想をあれこれめぐらしていたらあなた、思いが通じたのか、ジャーンで終わりましたよジャーンで。もうずーっとその場でたたずんでいたかった。夜の部の回りの観客も思いは一緒だったか、ロール・クレジットで席を立った人はゼロ。最後のジャーンが終わってもしばらく誰も動かない。まるでドイツの劇場でのマタイ受難曲の終演時のごとしであった。あーあ、終わってしまった。半世紀近く私に生きる活力を与えてくれ続けたスターウォーズ(とその音楽)が終わってしまって、それこそ、今後、何を楽しみみ生きていけばいいの?いや、大丈夫である。「古い神様が去ると、新しい神様が来る」(「ナクソス島のアリアドネ」(Rシュトラウス)より)。次はどんな神様が来るのだろうか。

長崎は今日も雨だった

2019-12-24 13:05:52 | 音楽
昨日は某男声合唱団の練習日で練習後に忘年会でカラオケに行くという。私、風邪が完全に抜けていないから練習後も「歌」となるときつい。なにより、カラオケは30年近く前サラリーマンだった頃客の接待で客より上手く歌って課長や先輩にこっぴどく怒られてからトラウマになって、脱サラをしてからはほとんど行ってない。だから、お休みすることにして(あくまでも、メインの理由は「風邪」)、スターウォーズを観に行って、最近メニューを増やして巻き返しをはかっている五文字のお店で一人誕生日のお祝いをするプランニングをした。ところが、同団を指導する某子先生が地方公演でせしめた美味しい酒をカラオケに持ち込むと聞いて、どうしてもそれが飲みたくなって、急遽方針転換。そちらに行くことにした(男心と秋の空)。すると、私よりも症状の重い風邪っぴきが何人かいる。これなら風邪が誰かにうつったとしても誰の風邪がうつったのか特定されずにすむ(不埒なっ)。で、何十年ぶりかでカラオケに行って、当初は、歌など歌わずにもくもくと飲んでようと思っていたのだが、そうなるはずはなかった。まるで、「オーケストラの少女」で当初は追い出そうとしたオケの演奏にだんだん体が反応してとうとう指揮をしてしまったストコフスキー状態である。上司に怒られた曰く付きの「長崎は今日も雨だった」を皮切りに終わってみたら「あんたが一番歌ってた」んだと。いやぁ、楽しゅうございました(あほー)。因みに、「長崎は……」は、大学卒業間近の頃、それまで歌っていったらルネサンス・バロックしか歌ってなかったが、会社に入って得意先や同僚とカラオケとなってシュッツを歌うわけにはいかない、カラオケのレパートリーを作らなきゃ、と思って、クールファイブの曲が2曲入ったカセットテープを買ってきて練習した、そのうちの1曲である。そういう事情により、会社員時代私の長崎は来る日も来る日も雨だった。毎回同じ曲を聴かされた先輩にはお気の毒である。「またか」と辟易の様子であった。あっ、もう一つ、水戸黄門の主題歌も歌ったっけ。ところで、いまどきのカラオケルームって、(店によって違うらしいが)お酒を持ち込めて、安くて、楽器も可と言うんだったら、楽器の練習にも使えそう。しかも、公共の施設だと、休憩時にちょっと一杯というわけにはいかないが、カラオケだったら可能である。もっとも、私の場合、♪ちょっと一杯のつもりで飲んで、いつのまにやらなんとかだからやめておいた方がいいか。あっ、昨日、この歌も歌えばよかった。

おしん~リスグラシュー~マイスタージンガー

2019-12-23 12:42:21 | 音楽

あらま、おしんが乙羽信子に代わってびっくりしたと思ったら、ハッちゃんがスーちゃんになってこれにもびっくり。それはそうと、軍に協力したおしんの亭主の竜三が終戦時に自決したのを見て、なんて身勝手な、家族のことも考えずにと思ったが(今も思っているが)、脚本家は、そういう非難を承知で、戦争後、ころっと態度を一変させて、大昔から戦争反対であったような顔をした多くの日和見主義者を批判したかったのだな、と思った。時計を昨日に戻す。有馬記念は、世界一強かったはずのアーモンドアイがまさかの9着。ずるずる後退する様は見たくないシーンであったが、でも、そうしたことをふっとばすくらいに優勝したリスグラシューの怒濤の走りは圧巻であり、感動的だった。リスグラシューはアーモンドアイより一つお姉さん。若い頃はいまいち勝ちきれなかったが、この血統は大器晩成型のようで、引退直前の今年になってようやく本格化。本格化したと思ったらいきなりGⅠ三連勝。あっという間に最強馬の称号をアーモンドアイから奪い取った。大いに勇気をもらいました。私も本日カンレキから一年経ったわけで、これから本格化する予定である。何を?さあ……遊びかしらん……まだ風邪が治りきってないのにホントに懲りない人間である(馬ではない)。本日三つ目のお題は時計の針を数時間進ませて、N響のコンサートのおまけに放送された1957年のカラヤン来日の際の映像のお話。モノクロの古ぼけた音と映像であるが、ベルリンフィルの音に思わず聴き入った。やはりすごいものはすごい。オーボエは若き日のローター・コッホだろうか(ググったら、この歳、22歳で同オケの主席に就任したそうだから年は合っている)。カール・ライスターはまだいない。つまり、フルトヴェングラー時代の音がまだ残っていた頃。そう、私は、この頃の前後20年くらいのベルリンフィルの音をレコードで聴いて育ったのだった。曲はマイスタジンガーの前奏曲。たっぷり全曲放送してくれた。素晴らしい!因みに、後半、大団円に向かって盛り上がっていくところ、写真の楽譜は弦楽器の第一ヴァイオリン以下だが、私が大昔吹奏楽で吹いたときは、第一ヴァイオリンを2クラで、第二ヴァイオリンを1クラで吹いていた。第二ヴァイオリンの方が音が細かくて指が難しいからだろうが、しかし、これは子供達に(大人にも?)、この部分は第二ヴァイオリンの方が重要なんだよという誤ったメッセージを与えるおそれがある。ここでの主役は断然第一ヴァイオリンである。これは、オペラのクライマックスの歌合戦のシーンで、ヴァルターがそれはそれは美しく歌う懸賞歌(3拍子)を4拍子に引き延ばしたものだ。これは、オペラ自体を知ってないと分からない。私は、器楽ばかりやっているときは知らず(指揮者もそういったことは言わなかった)、後でオペラを聴くようになって知ったことである。オペラはずいぶん小さいときから聴いていたが、さすがにヴァーグナーの毒が全身に回ったのは少し大きくなってからであった。

神様、声を治さないで!

2019-12-22 12:53:32 | 音楽
朝方の再熱発はすぐおさまったが声はガラガラのまま。だから夜のシュッツを歌う会は、私にとってはシュッツを弾く会だった。主にソプラノのパートを、ときおり補強に他のパートをヴァイオリンで弾いた。後から考えたらファルセットは出るんだからBさんと一緒にアルトを歌う手もあったのだが、もう、今日はヴァイオリンを弾くと決めていたためその他の選択肢が思いつかなかった。そしたら案外よい。ヴァイオリンの音って、歌声によく溶ける。シュッツの歌声には特に。バランス的にも私が歌うのよりよいかもしれない。そうだ!いいことを思いついた!これまでメンバーが足りなくて声部の少ない曲ができなかった。これからはできるぞ。いないパートはヴァイオリンで弾けばいいんだから。特にシュッツのGeistliche-chormusikなどは、シュッツ自身が「声部のうちのいくつかは歌手が歌ってもいいし、楽器で演奏してもいい」と言っている。うってつけである。そしたらパレストリーナの「マルチェリ・ミサ」だって歌える。第二ソプラノは私がヴァイオリンで弾こう……と思ったら、あらま、この曲で二つに分かれる声部はテナーとバスだった。だったらヴァイオリンを弾かなくても私がバスの一つを歌えば済む話だった。せっかく弾く気になったのに。声のガラガラがずーっと治らなければいいんだよな。神様、治さないで!でも、声以外は治して下さいね。じゃないと、みんなが一緒に飲みに行ってくれないから。そう、ホントなら金曜日(熱発の日)、朝からスターウォーズを観に行くつもりだった(この日が封切り)。ぐずぐずしてるとどこからネタバレが耳に入ってくるか分からない。もう今日あたり観に行ってもいいくらい体調は戻ってるが、今日は有馬記念で気持ちはそっちだし……と、ここまで書いて、タイトルを「神様、声を治さないで!」に決めて、試しに、ハー、ハー、ハーと歌ってみた。あらま、治ってる。予定が狂う(汗)。神様にお願いするのが遅すぎたか。あるいは、人生そうそう上手い具合に行かないよ、とのご教訓か。はたまた、体調は治すが声だけ治さないでなどという願いがずーずーしかったか。因みに、高見山大五郎関は、ハスキーな声で有名だが、もともとはボーイソプラノも歌った美声だったのだという。相撲の稽古が原因であのハスキーヴォイスになったのだという。

熱発のエヴァンゲリスト

2019-12-21 15:00:35 | 音楽
昨夜はA合唱団のレパ会(通唱会もどき。もどきたる所以=全く自由にソロを歌っていいという感じではない(実際は歌いたい人は歌っているが))。曲目はバッハのクリスマス・オラトリオの第5部と第6部。私はエヴァンゲリストなので休むわけにはいかない……のだが、なんと3日前から風邪で声ががらがら。うん、でも3日あるから、銀のベンザを飲んでれば当日は治っているだろう……と思っていたら、前日になっても治る気配がない。毎夜の大量の酒で喉が充血するせいかしらん、と思って、な、なんと何年かぶりかで酒を抜いた。そして当日の朝。治るどころか熱発。アーモンドアイが香港のレースを回避したのも熱発だったがあれは微熱だったそうで、明日の有馬記念に死角は見当たらない。しかし、私の場合は38度6分でこれは微熱ではない。もしかしてインフルエンザ?だったら、人がいなくて困ろうがレパ会に出向くわけにはまいらぬ。確かめようと、近所の診療所に行く。9時から診察開始で9時に行ったら待合室は人であふれている。受付開始が7時からなのでみなさんはやーく来て診察開始の9時にはもう満杯状態なのであった。それでも進行はなかなかスピーディーで、10時前には診てもらえて、インフルエンザのチェックもしたら陰性。で、「薬はなんか飲んでますか?」「銀のベンザを飲んでます」「銀のベンザはやめてこちらが処方したものを飲んで下さい。銀のベンザと成分は同じだけど(え?そーなの?)、量が違うので(じゃあ、普段は銀のベンザでいいんだ!)」。で、処方された薬を飲んで数時間経ったらなんと平熱に戻っている。こりゃレパ会に行かないわけにはいかない。だが声ががらがらのまま。エヴァンゲリストはほとんどファルセットで歌うから支障はないが、合唱やソロのバス・パートは無理。だから指揮者に事情を話して、バス・パートを歌って下さるようにお願いした……つもりだった。ところが、バスのソロになって、休憩を決め込んでいる私に手で「どうぞ」の合図。え~っ、歌えないって言ってるのに、だから歌って下さい、って言ったのに。出ない声でがんばりました……いや、がんばりませんでした。逆に力が抜けてとちるところもなかった。それにしても、この声のガラガラはいつまで続くのだろうか。お友達のMさんが一時声がガラガラになって、このまま治らなかったら何を楽しみに生きていけばいいの?と悲嘆にくれたそうだが、私の場合は、声が治らなくても楽器があるからいいや、と思うとそれはそれで明るい未来の感じである。この日も終曲はヴァイオリンを弾いて(突然思い立って、練習時間は20分でした)、みんなにも「ヴァイオリンが入るといいね」とか言ってもらえて、なんだ、こんなに声が出ないんだったらエヴァンゲリスト以外は全部ヴァイオリンを弾けばよかったと思ったりもした。今後も、人々の隙をみてそろ~と弾いてやろう。さて、平熱に戻ったことだし、レパ会の後の忘年会にも当然参加。熱燗が風邪に効くと思ったせいもある。で、例のごとく、午前様。で、熱がぶり返してがっくりしている今朝の私でありました。自業自得とはこのことです。それにしても、このところ、どんなに不摂生をしても体は常に丈夫だった。そのことが輪をかけて私を不良中年にさせたのである。などと甘くみたツケを今回払わせられたのだろうか。

バッハ、バッハ、バッハ……(馬へのコール)

2019-12-19 11:36:52 | 日記
藤田菜七子騎手ががんばっている。通算100勝、重賞初勝利等々、その活躍には目を見張る。だが、騎手の下でがんばっているのは馬である。人気馬が勝つと騎手の名前のコールが起こるが(武豊騎手に対する「ターケ、ターケ」とか)、馬名のコールが起きないのは馬に気の毒。その理由として、馬の名前を呼んでやっても馬には分からないのと(馬の耳に念仏)、あと、馬名が長いこともあるが、これについては省略して呼ぶという手がある。バッハ好きのみなさんにお勧めなのは「ショウナンバッハ」。馬券のお勧めではない。名前のコールのお勧めである。負けても負けても走り続けて今8歳だが、ようやく年明けに引退するらしいから、是非競馬場に行って「バッハ、バッハ」と呼んでやったらいかがだろう。因みに、ちゃんとしたドイツ語にこだわって「バッハ」の「ハ」を「ch」で発音しちゃうとコールにならない。で、騎手にまたがられているお馬さんの話であるが、女性騎手ががんばっているが、女性のお馬さんはもっとがんばっている。アーモンドアイは、現役最強。牡馬牝馬ひっくるめて図抜けて強い。これはすごいことだ。例えて言えば、男女混合の陸上の試合で女性ランナーが他を圧倒して勝つがごとしである。私はそういう牝馬が大好きである。だからジェンティルドンナが好きだった。もちろん、牝馬限定のレースもあるが、競馬では強い牝馬は男馬と一緒に走る。もともと馬を含めた草食動物には雄雌で走るスピードに差はない、もしあったら肉食動物に追われたとき雌ばかり食われてその種は絶滅したはずだ、という人もいる。今度の日曜日の有馬記念にそのアーモンドアイが出走。心なしか、FBに「有馬記念」の文字を多く見かける気がするのだが、気のせいだろうか。

隠し芸大会

2019-12-17 09:27:44 | 音楽
昨日は所属する某男声合唱団と某女声合唱団がジョイントで開いた内輪のクリスマス・コンサート。それぞれの団が単独で、あるいは合同で合唱を披露。合同(混声)のときは私は女声合唱団にお邪魔してアルト。おばさまがたに、すみません、私アルトなんです、と切り出すときは結構勇気が必要だったが、以前よくあったような化け物を見るような冷たい視線にさらされることはなかった。その後はソロ・コーナー。私は、カウンターテナーでメサイアのアリアを歌い、ヴァイオリンでデュオを弾き、クラリネットでソロを吹いた。ない中身を全部さらけ出して空っぽ。「冬草や兵どもが夢の跡」の心境である。まあ、しかし、黄昏れてるのは今日一日にしよう。いろんな企画が目白押しである。因みに、ヴァイオリン・デュオのお相手は某子先生。先生がヴァイオリンの初お目見えにソロを弾かれて、その余興に私とのデュオが組まれたものである。この日、御年90歳のNさんが若々しいお声で「水車屋」を歌われた。すごい。私が今もっともご尊敬申し上げている方のお一人である。

Servieren

2019-12-16 09:06:07 | 日記

六国見山は北鎌倉の円覚寺の裏にある標高百うんメートルの山だが、大船から歩くと結構いい距離があるうえ、頂上に至る最後の数十メートルは一瞬登山の気分を味わえる。なんといっても頂上からの景色がよい。富士山を見るとなぜこうテンションが上がるのだろうか。下山した後はドイツレストランでお食事。店主はドイツ人の(昔の)フロイライン。私だって客のはずだが、ladiesのお供ということで、給仕(Servieren)の仕事を仰せつかった。そう言えば、ドイツの語学学校に通ったときのこと、クラスみんなが先生(やはり昔のフロイライン)の自宅にお呼ばれしたのだが、ホステスの仕事を奪っては逆に失礼?とも思ったのだが、いや、「客」である、ということより「男」である方が優先して、私は給仕係をつとめたのであった。いや、ドイツ人がらみでなくとも、考えてみれば、某会のアフターのガストでも、回りは日本人だらけであるが、やはり私は給仕係であった。そういう星のもとに生まれたのであろう。帰り道(話は一挙に足立区に飛ぶ)、子猫に呼び止められる。おお、数日前撮った猫と同じ模様。その子供に違いない。

ショパンスキ(ではなかった)

2019-12-15 09:57:48 | 音楽
別にマリア自身がカロゲロプーロスをカラスに改名したわけではないが(改名したのはマリアが生まれる前の両親)、ルチア・ポポヴァーがルチア・ポップになり、ルネ・コロツィースキがルネ・コロになったのは(ステージ・ネームにしたのは)本人の営業戦略だろう。長いよりも短い方がなじみやすいからね(野球のイチローもアメリカでは「イチ」と呼ばれていたし、厩務員さんはジェンティルドンナをジェン子と呼んでいた)。なんでもルネ・コロが日本で初めてタンホイザーを歌うはずだったとき、熱烈なファンのある女性は会場に行く道すがら「ルネ・コロ、ルネ・コロ」と唱えながら歩いたそうだが、「ルネ・コロ」だからよかった、「ルネ・コロツィースキ」を繰り返すのは大変である。因みにこのときの公演は私も行ったのだがコロはドタキャン。しかし、次にジークフリートを歌いにきた後はしょっちゅう来てくれて(一度原宿でオヤジ狩りに遭ったにもかかわらず)、ヴァーグナーのほとんどの役を聴かせてくれた。そのコロさん、「……スキ」と言うのだから祖先はロシアとかポーランドとかの人だろう。かのカウンターテナーのジャルスキーも祖先はロシア人で、ジャルスキーという名前になったのは祖先がロシアから逃れてきてフランスに入国する際、「ロシア人か?」と問われて「ヤー、ルスキ(はい、ロシア人です)」と答えたからだそう(フランスに入国するのに、なぜ「ヤー」とドイツ語でかえしたのかは疑問)。昔、Jリーグにもリトバルスキというドイツ人プレーヤーがいたっけ。ふと思った。ショパンはポーランド人だ。すると、「ショパン」は芸名で、本名は「ショパンスキ」か?おおっ、そうなら大発見だ。私的に今年一番の記事がかけるぞ……と興奮して調べたが、本名もショパン。お父さんがニコラ・ショパンでフランスからの移民だそう。「世紀の記事」は幻と終わった。名字で一つ思い出話。ドイツワインの試飲会に接客係としてドイツからフロイラインが来ていて、そのフロイラインとおしゃべりをしたときのこと。私が「ドイツ・オペラが大好き。オットー・ニコライのオペラも楽しくてよい」と言ったら、件のフロイライン、「ニコライなんて名前のドイツ人はいない、それはロシア人に違いない」と言う。「いや、たしかにドイツ人だ」と言っても「Nein!」の一点張り。まあ、ドイツ人のことをドイツ人と議論しても仕方がないので適当に切り上げたが。