拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

「リゴレット」とかけて「コシ」ととく、そのココロは「重唱」

2016-02-29 11:15:52 | 音楽
リゴレット(ヴェルディ)は当時としては異色だ。当時のアリアは、カバティーナ(ゆっくりとした部分)に続いてカバレッタ(元気のいい部分)、という構成だが、そうしたアリアがほとんどない。マントヴァ公爵の「女心の歌」はカンツォーネ、「あれかこれか」はバッラータで、いずれも小歌という感じ。ジルダの「慕わしき御名」とリゴレットの悪豆……じゃなくて(相変わらずお馬鹿なパソコン)「悪魔め鬼め」はアリアと銘打っているが、伝統的なアリアとはかなり趣きが違う。そうしたところが、当時の評論家から「メロディーが少ない」となどという今からすればとんでもない批評(評論家があてにならないことの有力な論拠の一つ)がされた所以なのだろう。特筆すべきは充実した重唱の多いこと。有名な終幕の4重唱(私は、中学生のときにこれを聴いて、学校では教えてくれない偉い作曲家がいるものだ、と思った)はもちろん、他にもきれいな重唱が目白押し。そうした意味では、この曲はアンサンブル・オペラだ。コシ・ファン・トゥッテ(モーツァルト)と同じだ。ところで、リゴレットの中にも当時のアリアらしいアリアがある。第2幕の冒頭で公爵が「エッラ・ミ・フー・ラピータ!」に続いて歌い出すアリア。あまり有名ではないが、私はこの曲が(も)大好きだ。冒頭の部分がCMに使われたこともある。

コソットのどや顔

2016-02-28 11:45:49 | 音楽
「イル・トロヴァトーレ」の話に戻る。この曲は、中期の三大傑作の中で、一番ヴェルディらしいというか、わくわく感がはんばじゃない(私流に言えば「調子がいい」。ここでの「調子がいい」の意味は、ワサビに「お調子!」と呼ぶときの意味(にゃーんと甘えてくる様子)でもヘンデルの「調子がいい鍛冶屋」の意味(良く調律されている)でもない。どんどん前に進んでいく感じ)。各パートに均等にアリアも割り当てられている。アルトのアズチェーナにもアリアがある。そのアリアをフィオレンツァ・コソットで生で聴いた。このイタリアを代表するメゾの名花もこのときは最盛期を過ぎていて、アリアの最後の高音がなんとも低く、「あちゃー(汗)」という感じだった。なんとも拍手がしずらい雰囲気であった。が、歌い終わったコソットは、どうだーっ言わんばかりに目と口をかっと開いてどや顔。拍手がくるまでその体勢を崩しそうもない。半ば強要された客は必死に拍手をしたのだった。私が旧S合唱団でコソットの話をしたとき、「こそっと歌えばよかったのにね」とのたまったのはもちろん近藤さん(仮名)。今回、「コッソット」ではなく「コソット」の表記にしたのはこのオチでしめたかったから。

食物庫襲撃

2016-02-27 22:19:17 | 

今日もにゃつらは食物庫を襲撃したようだ。扉が半開きになっているからわかる。把手を紐で縛っているから襲撃は大体失敗する。それでもなぜ止めないのか?たまに成功するからだ。私が紐で縛るのを忘れた時だ。帰宅して床がラーメンで一杯になってると、しまった、またやったと思う。そうした時のにゃつらの得意そうな顔といったら!

顔面の良き男は

2016-02-27 10:33:20 | 日記
「顔面の良き男は女を堕落し破滅させ」(今朝の「あさが来た」の台詞)。そう言ったくせに田村宣女史は顔面の良き成澤某に心惹かれた様子。なんだ、口ほどにもない。やはり女はみんなイケメン好き(Cosi fan tutte)?いや、なかには「いーじまさんだってイケメンよー♥」(「だって」?)という人がいるかも知れない。この発言(架空)には二つの可能性がある。一つは「ウソも方便」。もう一つは本当にイケメンだと思ってる。後者を「蓼食う虫も好き好き」という。

訳の分からないアズチェーナ(トロヴァトーレ)

2016-02-26 12:05:44 | 音楽
ヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」は定冠詞を取って「トロヴァトーレ」と呼ばれるのが普通。それに対し、合奏団の「イ・ムジチ」は「ムジチ」とは言わない(多くの日本人は「イム・ジチ」と発音してるのではないだろうか。なにやら質物のようだ。因みに「むじな」は狸の一種である。)。その「トロヴァトーレ」(ようやく、ヴェルディのオペラの中期三大傑作の「親子の情愛」の話に戻った)、親子は出てくるが、しかしその関係は複雑怪奇。母親=アズチェーナ、息子=マンリーコということになってるが、アズチェーナはその昔、自分の母親の仇とばかり先代の伯爵の息子を母親を焼く火に投げ入れた。ところが、投げ入れたはずの伯爵の息子が傍らにいる。間違って自分の子を投げちゃったのだ。で、その伯爵の息子をわが子として育てる。これがマンリーコだ。で、マンリーコは、伯爵のもう一人の子供(ルナ伯爵)と敵対関係にある……ってことは、兄弟同士じゃん。でもご本人たちはそのことを知らない。最後にルナ伯爵がマンリーコを処刑すると、アズチェーナは「復讐が成った」と叫ぶ。うーん、この心境ってなんだろう。ずーっと親子として暮らしていたわけでしょ?それが死んじゃったっていうのに。ずーっと復讐の材料に使おうと思っていたのだろうか?それとも、可愛くもあり憎らしくもありの複雑な心境だったのだろうか?それとも、やけくそで(加えてルナ伯爵に対するいやがらせで)叫んだんだろうか?

ニャープ

2016-02-25 19:50:04 | 日記
22日は猫の日だった。その日、電機のシャープはツイッターでニャープ(NYARP)と名乗ったそうだ。そのシャープがいよいよ台湾のホンハイに買収されることになった。日本の官民ファンドは買収競争に負けた形。シャープ・ファンの私(経営再建中だからといってファンをやめたりしない)としては、シャープのブランドが残ってほしい。官民ファンドが買収した場合はシャープの家電を他の会社の家電と統合するそうだ。そしたらブランドだってどうなることかわかりゃしない。かつてパナソニックに買収されたサンヨーのブランドは消滅してしまった。サンヨーだっていい製品を作ってた。エアシス、ごぱん、エネループ等々。そうしたヒット商品だけはパナソニックが引き継ぎ、「パナソニックの」エアシス等々になった。その他は中国のハイアールが引継ぎ、いまや町にハイアール商品を多くみるようになった。

コシ・ファン・マニア(の方がよかった)

2016-02-25 15:47:23 | 日記
やまみちを登りながらこう考えた……うそ(草枕を気取ってみた)、ほんとはチャリをこぎながら考えた。こないだの「コシ・マニア・トゥッテ」は「コシ・ファン・マニア」の方がよかった(主語に主語、動詞に動詞が対応する)。考えたのは法務局からの帰り道。ちゃりの前カゴには野菜がたくさん。え?法務局で野菜売ってるの?のわけがない。仕事で法務局に行く用事ができて、郵送で済まそうかとも考えたが、近くに激安スーパーがあって、そこで野菜が買えるぞ、と思いついて決行したわけ。もはや大根は15円では売ってない。あの頃(安さがピークだった頃)はよかった。今月の内食費(お酒は別)は昨日の段階で7000円台。今月の目標は1万円未満。今日のお買い物で目標ぎりぎりとなったがなんとかクリアーしそうだ。それにしても、日本の経済は大丈夫だろうか?私の消費性向は、(お買い物の対象(CD、DVD)を除いては)実に景気動向と一致している。私がけちなときは日本全体がけちだ。大体、偉い人(皮肉)のやってることと言ったら、自分たちで掲げた目標を達成するために(メンツを保つために)物価を上げることだけ。手段と目的がひっくり返ってんじゃないの?高けりゃモノは買いません。

格さんの声

2016-02-24 10:24:45 | 日記
今やってるドラマ10は、吉田栄作さんが秋吉久美子さん(その昔、赤ん坊を卵で産みたいとのたまった)を振って田中麗奈さんに乗り換える、という話(ものも書きよう)。中年の恋バナも味があってよいものだ。プロポーズされた田中麗奈さんの顔、雨期のサバンナのようにぐしょぐしょ。この方、実生活でも新婚だそうな。ところで、田中麗奈さんの昔の師匠役で登場した人、顔は分からなかったが、声は明らかに「格さん」。声フェチの私は俳優も声で聞き分ける。エンドロールを見たら当たり!横内正さんだった。水戸黄門は役柄に入れ替わりがあるが、私にとっての「基本形」は、水戸黄門=東野英治郎、助さん=里見浩太朗、格さん=横内正。主題歌を助さんと格さんが歌うのだが、横内格さんの声は立派だった。

椿姫の内縁関係はヴェルディの実体験!?

2016-02-23 10:35:47 | 音楽
親子の情愛を描いたオペラ、と書いたが(二つ前)、たしかにヴェルディの中期の大傑作三作のうちリゴレットはそのとおりだが、椿姫とトロヴァトーレはそう一筋縄ではいかない。まず椿姫。音楽的には、リゴレットとジルダの二重唱がそのままジェルモンとヴィオレッタに移行した感じだが、だが、こちらは義理の父娘(にはなってないか。内縁だもんな)。(内縁の)義父はひたすら「息子と別れろ」と脅し、屈しないとみるや泣き落とし。とうとうヴィオレッタが観念すると「Piangi,piangi……(泣きなさい、泣きなさい)」っておかしいだろ、自分が泣かしといて(ここについてる音楽が最高に泣かせる。)。ということで、情愛というより多分にエゴイスティックな父の思惑であった。まてよ、内縁と言ったらヴェルディとジュゼッピーナがそうだった(後に結婚したが)。世間から不道徳だと非難されたそうな(だから、子供を里子に出さざるを得なかった?)。椿姫に影響したのは、むしろそうしたヴェルディとジュゼッピーナの内縁関係だった、と思えてきた(トロヴァトーレの話は次回以降)。

安いチェーン(リゴレット)

2016-02-22 11:31:39 | 音楽
たしかに、シモン・ボッカネグラに限らなかった(これが一番直接的だが)。隠し子がいたことが影響を与えたと思われるヴェルディのオペラ、中期の3大傑作は言われるようにいずれも親子の情愛を描いている。そのうちもっとも深刻なのはリゴレット。こっちは死に別れだからなー。私は、椿姫やミミが死ぬシーンで泣いたりしないが、ジルダ臨終のシーンは胸が詰まる。ここのところのリゴレットとジルダの親子の二重唱は感動敵……ばかじゃないの、このパソコン。感動敵な敵がどこにいるのさ(怒)……感動的だ。ジルダが「Lassu in cielo,vicino alla madre.In eterno per voi preghero(お母さんの傍ら、天国で永遠にお父さんのことを祈ってます)」と歌うのに対し、リゴレットが「Non morir,mio tesoro,pietate(死ぬな、私の宝物、後生だから)」。この切ないこと。と言っときながら変な話で恐縮だが、子供の頃、毎日のようにこのオペラをレコードで聴いていて(親子=ロバート・メリル&アンナ・モッフォ)、ジルダの「Lassu in cielo」が「安いチェン」に聞こえた。安いチェーン店てどこだ。大根いくらさ?行ってみたいものだ。

ヴェルディの隠し子の母親

2016-02-21 18:03:49 | 音楽
(承前)ヴェルディの隠し子騒動を聞いて、最初に母親だと思ったのは、ヴェルディが歳をとってから「いい仲」になった(かもしれない)ソプラノ歌手のテレザ・シュトルツ(ヴェルディ夫妻のお墓の傍らにそのお墓があるそうだ。)。このときヴェルディは50代半ば。やはり50代半ばで40歳近く歳の離れたエレーヌと結婚して子供をもうけたルーベンスを思えば無理な話ではない。しかも、ヴェルディには奥さん(ジュゼッピーナ)がいたから外で作っちゃった子供を里子に出す、というのはありそうな話。ところが、本を書いた人によると違うらしい。母親はジュゼッピーナだというのだ。二人が同棲中に生まれた子供だという。どうせこの後結婚するんだから里子に出す必要なんかなかったんじゃないの?現代の日本だったら「できちゃった婚」につながる話だが、ヴェルディとジュゼッピーナの同棲自体が不道徳とされていたそうだからそう簡単にはいかなかったのかもしれない。因みに、ヴェルディとジュゼッピーナと書いたが、両方ともファーストネイムにするとジュゼッペとジュゼッピーナ。パパゲーノとパパゲーナみたいだ。

ヴェルディに隠し子?(シモン・ボッカネグラにこだわった訳が見えた)

2016-02-20 13:49:54 | 音楽
ヴェルディに隠し子がいた、というニュースがとびかっている。隠し子の子孫だと主張する人物にインタビューをした方が本に書かれたんだそうだ。ホントだったら大ニュースだ。ヴェルディ直系の子孫がいた、ということだから。生き別れた親子を描いたオペラとくれば「シモン・ボッカネグラ」。そっかー、なるほどー。このオペラ、初演は大失敗に終わったのだが、なぜかヴェルディはこれに相当な愛着をもっていて、何十年もかけて改訂し、最後、成功に導いたのだった。シモンとアメーリアの親子に自身と隠し子を重ね合わせたとみれば、尋常ならざるこだわりのわけも分かろうというもの。そのうち、ベートーヴェンの隠し子も出てきたりして。いや、こちらはもっと可能性がある。ベートーヴェンの「不滅の恋人」がベートーヴェンの子供を産んだという説だってあるんだから。いまんところ、ベートーヴェンには直系の子孫はいない(ということになっている)。弟の子孫のベートーヴェンさん(女性)をテレビで見たことがある。