拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

抵当権とキス

2021-02-18 20:35:48 | 日記
Selig sind die Toten(死せる者は幸せである)
Selig sind die Essen((サイゼリヤで)食する者は幸せである)
さて、わがブログでは、「聖子ちゃん」=松田聖子、「聖子さん」=橋本聖子さんという表記の決まりを設けよう。その聖子さんが森さんの後任に決まった途端、数年前の某スケさんへの「強制キス」について外国がどう思うだろうと人々が心配している。外国、外国ってさぁ、なんでそんなに外国のことばかり心配するわけ?たしかに人の目を気にする民族だからこその同調圧力なんだろうが(ロックダウンしているヨーロッパ諸国より日本の方がよほど息苦しいそうだ。その日本人の同調圧力は脳科学から説明できる、と中野信子さんがテレビで言っていた)。たしかにセクハラだったらもってのほか。だけど、キスされた男がいやじゃなかったって言ってるんでしょ?セクハラかどうかはされた方がどう思うかで決まるんだったら問題ないじゃん。もし外国が何か言ってきたら男が言ってやればいい。言えないんだったら私が言ってやる。「ちょー、気持ち良かった」(某スケさん違い)。だが、キスしたのが男だったら言語道断、女の聖子さんだったらからいい、ということであれば、これは猛烈に異議ありである。それこそ、いわれのない性差別である。因みに、ワタクシについては、この際いい機会だから、事前かつ包括的な同意を宣言しよう。すなわち、すべての女性がいかなる場所でいかなる状況においてもワタクシにキスすることに同意するものである(なーんて言うと、なんで男はだめなんだ、差別だと言うクレームが来るかもしれない。うーん。これに対しては理論的な反論はできない。ただイヤだと言うほかはない)。実は、聖子さんと写真週刊誌と聞いて、私がただちに思い起こすのはキスなんかのことではない。あれは数十年前、まだ聖子さんがばりばりの現役だった頃である。写真週刊誌に聖子さんの実家のことが載っていて、牧場を営んでおられて、「抵当が何重にもついている」とあって、私はびっくり仰天して、え?国民的英雄の聖子さんのご実家が何重にも抵当?と悲しくなったものである。モノを知らない私であった。商売をして銀行から融資を受ければ不動産に抵当権を設定するのは当たり前。融資のたんびに設定するから、二重三重なんてのはまったく普通である。そういうことを知らずに、ただ歌だけを歌っていた、某美女に守ってあげたいと言わしめた容姿だった私は「何重にも抵当」に青くなったのだ。そう言えば、学生時代、わが母校の大隈講堂がN大の抵当に入っていると聞いたとき愕然としたのも同様の心理である。てなことを言っているが、私自身は、未だに借金は嫌いであり、自前の不動産に抵当を付けたことはない。だから、先ほどの包括的同意のもとにキスして結婚するはめになっても借金はないからね、安心してね!包括的同意と同様、不特定多数に向けたアピールでありました。満足。Selig bin ich,der in Saizeriya viel getrunken hat!(冒頭とつながったかな?)

アラジンの魔法のトースター

2021-02-18 08:50:58 | 日記
ドイツのニュースを見てたらアナウンサーが「Variante」と言ってる。音楽用語では変奏だがここでは新型コロナの変異型のことだった。そういう話なら、「トム・ソーヤーの冒険」を読んでて「Pult」が出てきた。教会兼学校の説教台である(大草原の小さな家で、オルデン牧師が使ってたようなヤツである)。これが音楽だと「譜面台」。なるほど、斜めのあの感じが「Pult」なんだな。オケで「○プルト」と言ったら弦の奏者二人一組のことだが、これも二人で一台の譜面台を使うからである。さて、私が直近で読んでみたくなったのは「カサノヴァ回想録」。だが、その前に「デカメロン(ドイツ語版)」、さらにその前に今読んでる「千一夜物語(ドイツ語版)」を片付けなければならぬ。「千一夜物語」のドイツ語は、予想したとおり比較的簡単。だが、思わぬ困難が待っていた。お話の上にお話が積み上がるのである。もともと、シェーラザード姫が王から生き延びるために毎夜お話をするのだが、そのお話(これを登記風に順位番号1番としよう)の登場人物が命乞いのためにお話をする(順位番号1番の1番。このように枝番を付けてする登記を付記登記という)。さらにそのお話の中の登場人物が命乞いのためにお話をする(順位番号の1番の1番の1番。付記の付記)。ぼーっと読んでると、チコちゃんに怒られるだけでなく、いま誰がお話をしているのか分からなくなる。まあ、そういった大変さはあるが、レベル的には私にちょうどいいから(ドイツ語も話の内容も)、夕方サイゼリヤにお一人様で行くときはキンドルを持って行ってワインをなめながら読みつないでいる。至福の時間である。思ったよりも下ネタが少ない気がするが、きっと私がお子ちゃまのせいで意味を読み取ってないのだろう。「至福の時を過ごした」は「やった」(バッタではない)の意味であるらしいことを最近気づいた。その「千一夜物語」には「アラジンと魔法のランプ」も入っているらしいが(「アリババ」同様、後から付け加えられたらしい)、それはまだ出てこない。だが、「千一夜物語」の前に私の心をとらえるアラジンが現れた。トースターである。イギリスのメーカーのアラジン製である。今、コンベクション・オーヴンでパンもピザも焼いているのだが、庫内が高温になるまで待っていて、それが5分くらいかかる。ところがアラジンのトースターは特許技術により0.2秒で280度になるのだという。大きいサイズのやつは25センチのピザも焼けるという。ほ、欲しい。愛を諦めたアルベリヒ飯島は、今後、ピザを焼いて生きていく覚悟だ。だからいいよね、買っても(許可をねだる相手は私自身である)。