拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ダダ(カーサ・クラシカのセッション)

2022-05-31 09:00:22 | 音楽

カーサ・クラシカのセッションだった。ピアノ伴奏は金澤亜希子さん。昨夜は、もともと百花繚乱のソプラノ陣にプロの声楽家が二名加わって一層華やか。金澤さんにピアノ連弾を挑んだ猛者もいた。その彼がブラームスのハンガリー舞曲第5番をやりたいと告げたとき、金澤さんの目が光った。リスト音楽院出身の金澤さんにとってハンガリーは特別らしい。オペラで描かれるハンガリーの女性は「情熱的」。まさに情熱的な演奏だった。で、ワタクシのこと。最初に、クラリネットでブラームスのソナタ第1番の第2楽章を吹いた。今回、楽器はこれだけであとは歌。まず、N氏とメサイアのアルトとテナーの二重唱(男性二重唱だが、男声二重唱ではない)。相手がN氏だからうまくいかないはずはない。因みに、N氏のことを以前は「N美男」と書いていたが、N氏が美男でなくなったわけではない。質実剛健に生きることを決意したワタクシが「美男」「美女」などというちゃらちゃらした物言いを封印しただけである(今後この表現を使いだしたら、またちゃらちゃらし始めた、と思ってくだされ。ワタクシの決意などその程度のものである)。あとはアルトのソロで、同じくメサイアから「He shall feed」とシュッツの「Eile mich」。演奏順は、カーサ・クラシカへの到着順で決まるのだが、私の直前が、前記のプロのうちの一人。椿姫の「花から花へ」のコロラトゥーラが炸裂したあとが私で、普通の心臓の持ち主なら裸足で逃げ出すところだが、そこは厚顔無恥で定評のあるワタクシ。ゴジラが放射能を吸収するように、はたまたウルトラ怪獣のネロンガが電気を吸収するように、プロの歌声を吸収して自分のエネルギーにしてやろう(実際、CDなどで上手い歌手を聞いた後は上手くなる。耳から入った情報を脳が学習するのだろう)。ところで、その「Eile mich」の歌詞に、「私のことを"da,da"と罵る輩」というくだりが出てくる。これは奇っ怪。「da」は、現代のドイツ語では「そこで」という副詞であり、人を罵る意味にはとれない。この歌詞は、もともと聖書の中の詩編のルター訳。聖書の日本語訳はどうかと思って見てみたら「あはぁ、あはぁ」。一層奇っ怪である。だが、ルター訳は、ルターの死後も何度か改定されている。現代のルター訳では「Ha,ha」。これなら分かる。「ははん」と鼻で笑う感じだ。実は、「ダダ」と聞いて私が最初に思い浮かべたのはウルトラマンに出てくる宇宙人である(「ウルトラ怪獣」にくくられることがあるが、宇宙人は怪獣ではない)。なんでこんな名前になったんだろうと思ってググったら、なんとダダイズム(20世紀初頭に流行った思想)から来ているという。「ウルトラマン」は深い。ウルトラマンを侮るなかれ。


鎌倉殿=鎌倉どん=ドン・カマクラ

2022-05-30 09:06:24 | 言葉

暢子が働くレストランにあったのと同じような製麺機がうちにもある。おイタリア製である。さて。暢子が「出向」することになった新聞社のデスクが自己紹介のときに「デスクと言っても机じゃない」と言っていた(朝ドラ)。地名が人を表すのは普通のこと。レオナルド・ダ・ヴィンチも、ピエールルイジ・ダ・パレストリーナも、焼津の半次も、鎌倉殿もみんなそうだ。だが、机のような物が人になるのは不思議である。そう言えば、ドイツ語で読んでる千一夜物語に「Frauenkammer」ってぇのが出てきて、直訳すれば「女性の部屋」なのだが、文脈的にもどうも「女性」っぽい。はたしてそうであった。へー、部屋が人になるんだ。そう言えば、日本語にも「側室」という言葉がある。女主人は「御台所」だし、鎌倉殿の「殿」はもともと館のことである。
話は変わる(鎌倉殿は後で再登場する)。今朝の「古楽の楽しみ」でとりあげていたのはジョヴァンニ・ジローラモ・カプスベルガー。イタリア生まれだから、ファーストネイムとミドルネイムはイタリア語だが、名字が表すようにお父さんがドイツ人なので、ドイツ風に、ヨハネス・ヒエロニムス・カプスベルガーと呼ばれることもあるそうな。この名前は、私的にはネタの宝庫である。
まず、ミドルネイム。へー。「ジローラモ」=「ヒエロニムス」!NHKのイタリア語講座で世に出てちょい悪親父でブレイクしたジローラモ・パンツェッタ氏と、「Cantate Domino」を作曲したルネサンス期のヒエロニムス・プレトリウス(有名な方のミヒャエル・プレトリウスとの血縁関係は不明)は同名だったか!
そして、ファーストネイム。「ジョヴァンニ」=「ヨハネス」ということは、さらに、=「ジョン」「ジャン」「ヤン」「フアン」「ヤーノシュ」。ということは、「ドン・ファン」=「ドン・ジョヴァンニ」=「ドン・ジョン」……ん?最後の「ドン・ジョン」はちょっと変。英語で「ドン」(敬称)ってあったっけ。アメリカ英語でマフィアの親分に使うくらいのようだ。英語で敬称と言えば「サー」。同時に二人の人妻に同内容のラブレターを送りつけたファルスタッフも、「サー・ジョン」である。おお!ってことは、「ドン・ジョヴァンニ」=「サー・ジョン(・ファルスタッフ)」。道理で、二人とも女性好きである。ところで、敬称の「ドン」をググっていたら(ドイツ語で「googlen」という言葉がある。古い辞書には載ってないが、「ググる」という意味(そのまま!))、日本語にも「敬称のどん」があるという。たしかに、「西郷どん」というようなぁ。「殿」から変化したそうだ。ってことは、鎌倉殿(ここで再登場)も、「鎌倉どん」と言っていいことになる。あるいは、スペイン語やイタリア語においては「ドン・カマクラ」である。そう言えば、西郷どんが使いそうな一人称は「おいどん」だが、「どん」が敬称なら「オレ様」である。

途中まで戻って「ヨハネス」のこと。「ヨハネス」の省略形は「ヨハン」と「ハンス」。「前残り」が「ヨハン」で、「後差し」が「ハンス」である。スローな展開だと前残りになりやすく、時計が速すぎると差しが決まることが多い(なぜか話の締めは競馬である)。


モツレク通唱会

2022-05-29 09:57:49 | 音楽

もつ煮込みを囲んでのレクリエーションではない。モーツァルトのレクイエムである。昨日は神奈川県でそのモツレクの通唱会。主催のFさん、お疲れさまでした。ありがとうございました。一人で通唱会を主催することはまっこと大変である。経験者だからよくわかる。終わったあと、みんなが楽しかったと言っていたことがFさんへの最大の慰労であろう。私は、ヴァイオリンとクラリネットB♭管とバスクラリネットで参戦。歌う暇はないと思っていたが、演奏中にふと気がつくとTuba mirumで長い休みがあったので寸暇を惜しんでアルトのソロにも参加。最近のマイブームの言葉で言えば「セッション」をおおいに楽しんだ。それでも直前は不安があった。どの曲のどの部分をどの楽器で演奏するかが確定したのが二日前。ちゃんと演奏できるだろうか。下手にやったらそれこそSpott(罵詈雑言。バッハのモテットの第3番にこの言葉が出てくる)の嵐。だが、がんばろう。Spottが来そうだったら逃げて帰ってしばらくフェイスブックを開けなければ済むことである。その結果。もちろん、へまは山ほどやらかしたが、私的に、ここさえ押さえれば、と思っていた箇所をなんとかやり遂げたので満足である。幸い、参加者は優しい方達ばかりだったので、Spottも来なかった。その「ここさえ」と思っていた箇所とは以下の通りである。

一番は、バスクラで吹いたDomine Jesuの前半のファゴット・パート。16分音符の補強ということで吹くことになった。こういう楽譜である。バスクラ用の移調譜で、実際の音はオクターブと二度下である(歌詞が書いてある音符はガイドとして書き加えたソプラノパート)。

今回の大荷物の中で、一番かさばり、かつ重かったバスクラは、唯一、この箇所を吹くためにだけかついできたのだが、かなりうまくできた。自分で自分をほめてあげたい。

続いて、クラリネットのB♭管で吹いたDies Iraeの第1ヴァイオリンのパート。皆から、ヴァイオリンで弾け、と言われたのだが、高速の16分音符は1年くらい練習しなければ無理。代わりに、8分音符にしてクラリネットで吹いた。その終わりの部分がこれ。

もともと音の配列がヴァイオリン用だからクラリネットで吹くのは困難。まあ、なんとかしのいだ、という表現が妥当なところだろう。大いにほっとした。後から考えると、8分音符にするんならヴァイオリンでも弾けた気がする。「16分音符は無理→8分音符にする→だったらできる」ではなく、「16分音符は無理→クラリネットで代用→8分音符にする」の思考回路だったから思いつかなかった。吾輩はバカである。名前はまだない(ウソ)。

同じ16分音符でも、ゆっくりのSanctusなら、ヴァイオリンで弾ける。弾けなくても弾く。弾くなと言われても弾く。だーいすきである(ハズキルーペよりも)。これである。

この部分は、モーツァルトの弟子のズィスマイヤーが補完したもの。モーツァルトの筆ではない、ということで、いろいろケチをつけられることの多い曲であるが、次のBenedictus同様、よくぞ書いて下さった!というのが私の感想である。モーツァルトの奥さんのコンスタンツェと不倫をして、自分の子供を産ませ、モーツァルトの子として育てさせたとしても、私が許す!(どこに許す権利があるの?とつっこまれる前に自分でつっこむ)

ということで、終わった後は、他のみんなと同様、とっても幸せな気分になり、参加しないでこそこそ逃げ帰ることも視野に入れていた反省会にも参加。もういちど、主催のFさんにお礼をいいます。ありがとうございました。

そうそう、今回バスクラで吹いた箇所だが、高校1年のとき吹奏楽部でバスクラで吹いたベルリオーズの幻想交響曲のファゴット・パートを思い出した。第4楽章のこれである(ファゴットのパート譜だから原調)。

8分音符だが、早い曲なので、テンポ感は、今回のDomine Jesuと近い。当時、これをノンブレスで吹いたんだった。若さは偉大。今回は、カンニングブレスをし放題。大人になってずるさばかり覚えたワタクシである。

 

 


暢子とトゥーランドット

2022-05-28 06:52:20 | 音楽

暢子は、見習いの分際でオーナーにペペロンチーノ対決を申し入れ、負けたらクビになる約束で勝負に挑んだ(朝ドラ)。ところが負けたのにクビにしないでくれ、と泣きつく。まるでトゥーランドットである。トゥーランドットは、求婚者に三つの問いを出し、解けたら結婚するが解けなかったら首をはねると約束させ、あまたの若者の首をはねてきたのに、カラフが全問正解したとたん、結婚するのはいやだ、とだだをこねる。契約は守らなければならない。ヴォータンがラインの黄金から作った指輪をファフナーから取り返せなかったのは、契約をしたからだ(自分では取り返せないので、自分の血を分けた英雄に代理でやらせようと目論んだが結局失敗した)。ところが、カラフは、契約をたてに結婚を強いることができたのに(注:現在の日本では、婚姻届を提出する瞬間にその意思がない者に結婚を強いることはできない)、トゥーランドットがカラフの名前を当てたら結婚しないでよい、自分が死ぬ、と言い出す。馬鹿な条件を出したものである。おかげで、北京の市民は「誰も寝てはならぬ」と命じられて睡眠不足になったし、なによりも、カラフと一緒にいるところを見られたリューがカラフの名前を言うくらいなら、と自決してしまう。カラフが変なかっこをつけなければ、リューは死なずにすんだ。オーナーも同じである。暢子をクビにすることができたのに、今後自分の言うことに絶対服従することを約束するならクビにしないでやる、と言う。甘い世界である。それにしても、暢子の一家はなんなのだろう。暢子はそんな具合に無礼なうえに契約を守らない。ニーニーは立派な詐欺犯。ネーネーは、婚約式の席で話をひっくり返した。前記の通り最終的に婚姻は当事者の意思に委ねられるにしても、夫になるはずだった若者は、ドラマでなければ一生癒えない心の傷を負ったはずである。そんな子供達を決して叱らない母親。そんなだからこういう子供達が育つのだろう。だが、子供達が同様のDNAを受け継いでいると考えれば筋は通っている。生真面目な家庭からすれば、腹の立つ一家であるが(ネットは「同情できないヒロインとその家族」ということで盛り上がっている)、ちゃんと生き延びているのだから、彼らには彼らの生き様があるのである。彼らからすれば、自分達が標準で、堅いことを言う輩は石部金吉なのかもしれない。「巨人の星」で印象に残るシーンがあった。甲子園を目指す星飛雄馬は甲子園で苦戦を強いられる。だが、「自分が辛いときは相手も辛い」という言葉を思い出して、相手ピッチャーをバントでゆさぶって勝つ。すると、自分が「変なヤツ」と思う相手もこちらのことを「変なヤツ」と思っているかもしれない。どんなに理不尽だと思っても、相手には相手の理屈があるものだ(暢子には暢子の理屈が、ニーニーにはニーニーの理屈があるのである)。だから、言い合いは無駄であり、喧嘩になったらひたすら謝るのが上策である。この普遍の真理を私が学んだのはごくごく最近のことである。因みに、ペペロンチーノから唐辛子を除いたものがアーリオ・エ・オーリオであり、これがもっともシンプルなパスタであろう。昔、よく作った。実家で作って父に食べさせたら「旨い!」と言っていた。父が私を褒めたのは、これが最初で最後である。

結婚話をひっくり返したネーネーのことを書いたが、これはたまにある話ではある。映画「卒業」もそうだった。結婚式会場から花嫁を奪ったダスティン・ホフマンが花嫁とバスで逃走するシーンで映画が終わるが、その後の苦難を暗示するかのようにその表情が次第に曇っていくのが印象的である。


ミは高いか低いか(極古VS極オペ)

2022-05-27 06:25:46 | 音楽

フランス大統領選挙では結局現職のマクロンさんが再選されたが、二位が極右、三位が極左で世は「極」時代である。音楽愛好家の世界にも極古楽党(略称:ごくぶる)と極オペラ党(略称:ごくおぺ)がある。以下は、その党首討論会の様子である。「(司)」は司会進行役、「(古)」は極古楽党、「(オ)」は極オペラ党の党首の発言であることを表している。

(司)「どういう歌い方を目指しますか?」(古)「ビブラートのない清純な声で美を追究します」(オ)「張りのある高音で情熱的な世界を追究します」(古)「なんて野蛮な」(オ)「なんですと?そういうあなた方、あれで歌と言えますか?」(司)「のっけから熱い戦いが繰り広げられてます。では長三度はどう扱いますか?」(古)「純正調に則り低めに歌います」(オ)「短調との違いを強調するため高めに歌います」(司)「低いと高いじゃ正反対ですね。では、練習後のアフター会はどう運営されますか?」(古)「静かに、はめをはずさずに反省します」(オ)「おおいに騒いで明日への活力とします」(古)「ちょっとぉー、コロナ禍ですよ。騒いじゃだめじゃないですか」(オ)「コロナ、コロナって、あんたたちみたいな輩が自粛警察になって同調圧力を作りだしてんだよ。規制には意味がなく違法だって言った裁判所の判決を知ってるの?」(古)「規制解除は、感染対策をきちんととることが前提。騒いでいいはずがないだろうが」(オ)「そういうあんたの声がでかいんだよ。よっぽど菌をまきちらしてるよ。歌のときそういう声を出しなよ」(古)「コロナと歌は関係ない」(オ)「関係ない話を始めたのはそっちだ」ここでもみ合いになり、討論会は中止となった。

かように、両党の間には超えられない深い淵が存在する。それでも、ドクター・ストレンジが異なる世界をつなぐ通路を空間に作って行き来するように、二つの世界を行き来する「中間層」が少なからず存在する。例えば、ワタクシなどは、音楽については極古楽党の主張に惹かれるところが大きいが、飲み会については極オペラ党の主張が魅力的である。ただし、へべれけ状態の古楽ファンは自分自身以外に見たことがない。それから、ここでとりあげた極オペラ党の「オペラ」は近代オペラ、例えば、ヴェルディやプッチーニのオペラを念頭に置いているが、バロックオペラとなるとまた話は違ってくる。「え?バロック時代にオペラなんてあったの?」「ばっかじゃない。オペラはモンテヴェルディとともに始まったことも知らないのか(注:正確にいうと、オペラの創始者はモンテヴェルディよりほんのちょっと早いヤコポ・ペーリである)」「ほら、名前にヴェルディってつくじゃん。やっぱオペラはヴェルディだよ。♪ブンタカタッタ、タッタ……」(負けじと)「♪タン、タカタッタッ、ターン、ターン」「うるさい、かぶるな」「そっちこそ」こうして再び喧嘩となる。音楽ファン同士ほど仲の悪いものはない。

後注:筆者が「ブンタカタッタ、タッタ」でイメージしたのは、ヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」のマンリーコの(かつて後藤美代子アナウンサーが「火を吹くような」と形容した)アリアであり、「タン、タカタッタッ、ターン、ターン」はモンテヴェルディの「オルフェオ」のムジカのプロローゴである。それから、今回の記事は、長三度について書きたかったことが誘因。私は、指導者が長三度を低くと言うか高くと言うかで古楽系かそうでない系かを見分けている。その「長三度」でここまで話を広げた私は相当な大言壮語家である(ベートーヴェンを思わせる展開力と言ってほしい)。


無口な男

2022-05-26 08:30:36 | 音楽

「無口な男」に読者の反応があったので補足。リヒャルト・シュトラウスのオペラに「無口な女」(Die schweigsame Frau)というのがある。無口な女はヒロインのアミンタのことだが、そう装っているだけでホントはおしゃべり。騙された老モロゾフが無口だと思ってアミンタと結婚した後、1,2,3で本性を暴露し、大騒ぎをする。シュトラウスのオペラの中ではマイナーだが、私はこのオペラが大好きだ。よく、通ぶって、わざとマイナー曲を一番に推す人がいるが、私は、「『運命』が大好き」と言っているくらいだからそういう人間ではない。本当にいいオペラだと思っている。フライブルクのドイツ語学校で、プレゼンに選んだのもこのオペラだった。「バラの騎士」等でシュトラウスと最高のコンビを組んだホーフマンスタール(脚本担当)が亡くなった後、「無口な女」の脚本書きにシュトラウスが得たのがシュテファン・ツヴァイクだった。シュトラウスは喜んだろう。だが、新たな名コンビで作ったオペラはこの一作だけ。ときはナチスの時代。ユダヤ人だったツヴァイクは亡命してしまったから。最近、断捨離の最中に大学時代の第2外国語の教材が出てきたのだが、それがツヴァイクの著書で、ちょっとびっくり。当時は、このオペラのことは知らなかった。お奨めCDは、大昔、カール・ベームがサルツブルク音楽祭で振ったライブ録音。後年、ゆっくりテンポの権化になったベームが若い頃いかに速くはつらつとしていたかを聞くことができる。ヘルマン・プライの美声を聞くこともできる。

話を戻す。そんな具合に、「無口な男」と言っても内容は様々。検討してみよう。
1 みかけは無口。実際も無口
2 みかけは無口。ホントはおしゃべり(アミンタのパターン)
3 みかけはおしゃべり ホントは無口(私?)
4 みかけはおしゃべり ホントもおしゃべり
以上のうち、1から3までは広義の「無口な男」に含まれると思うが、4には「無口」の要素はゼロだから含まれる可能性はない。


音が高かったり低かったりするワケ

2022-05-25 11:26:20 | 音楽

先日某所で歌ったバッハのカンタータ第194番は、声楽パートの音が異様に高かった。バッハのカンタータで音が高かったり低かったりする場合、理由として考えられるのはまずオルガのピッチ。当時のオルガンのピッチは個体によってバラバラ(A=442だ、440だとか言っているのは長い音楽史の中ではごく最近のことである。生物史における人間の歴史のごとくである)。そうした世界では、オルガンのピッチが高ければ楽譜の音は低い音が多くなるし、ピッチが低ければその逆となる。もう一つ、その作品が書かれた当時の合唱メンバーの声域が影響したことも理由として排除できない(高い音が得意なメンバーがいたとかの個別的要因)。だが、各パートとも音が高かったり低かったりする場合は、やはりオルガンが原因だろう。BWV194は、各パートとも高い。この曲を歌った後の友人の投稿は、パートを問わず「高かった」という悲鳴であふれた。するとやはりオルガンか。すると一つ疑問点が浮上する。バッハがこの曲を書いた時期はライプチヒ時代であり、聖トーマス教会の儀式のためにカンタータを書いていたからオルガンは同じはず。なぜ当時の曲の中でこの曲だけ高いのか。そこには理由があった。この曲は、ライプチヒ近郊のシュテルムタールの教会の建替えに伴ってしつらえられた新しいオルガンのために書かれたのである。そのオルガンのピッチがトーマス教会のオルガンのピッチよりも低かったと考えれば説明がつく。逆に、初期のミュールハウゼン時代に書かれたカンタータ第4番は全般的に音が低い。オルガンのピッチが高かったのかもしれない。バスにしょちゅうローE(低いミ)が出てきてそこだけバスの声が聞こえなくなる(例えば「Todesbanden」は「banden」がローEだから「トーデースバンデン」になる)。因みに、私はローEは楽勝で出る。ローCまでは普通に出て、大酒を飲んだときはもっと下まで、こないだは、ローEのオクターブ下のEまで出て有頂天になったが、あれは「出た」というよりも「壊れた」が正確な表現だろう。なお、この記事をフェイスブックにリンクさせた飯島氏はカウンターテナーであり、筆者(無口な男)と同一人物とは限らないから、飯島氏に、そんなに下が出るんならバスを歌えと言ってはダメである。すねて辞めてしまうかもしれない。


Übersetzung

2022-05-21 12:11:23 | 言葉

Auf deutsch mein Blog zu schreiben,ist eine Methode von Deutschlernen. Mit dem deutschen Ton und dem japanischen Untertitel per Internet Filme zu sehen,ist auch so,aber es gibt dabei eine Schwierigkeit. Der Untertitel ist manchmal zu entfernt von dem originalen Text,auch von dem Ton. Gleich ist nur die Nuance. Dabei ist es schwer,den Untertitel mit dem Ton zu verbinden. Könnten Übersetzer es für böse halten,Sätze direkt zu übersetzen? Aber ab und zu begeistert mich der Untertitel. Zum Beispiel,in der Szene,wo zwei Personen gleiche Anzüge anziehen,spricht die eine,"besetzt",und der Untertitel dabei ist "kabutteru(かぶってる)." Wunderbar! Die eigentliche Meinug von "besetzt" ist "wird gerade von jemandem benutzt". Das japanische Wort "kaburu(かぶる)" zeigt die Nuance des deutschen Wortes gut. 


ブログの日本語訳(5/17~5/20の四回分)

2022-05-20 09:58:22 | 日記

安物買いの銭失い(5/17)
暢子が東京で初めて行き、そこで働きたいと思っているレストランはイタリアンだった。イタリアンは私も好きで、パスタもよく茹でるし、ピザもよく焼く。ピザと言えば、おいどんはピザを作るときとろけるチーズを使う。安物なのでたくさん使えるばってん旨うない。「安物買いの銭失い」とはよく言ったもの。人生は短い。たった一度の人生、旨いものを食したい。だから、高くとも品質のいいチーズを使おうと決め申した。値段のせいでちょびっとしか使えんが、とっても旨かぁ!
それから、塩と胡椒が一緒に入った缶!一回振ると、塩と胡椒が同時にフライパンに入る。これは便利たい。だから、安うはないが、いつもこれを買うのでごわす。
「billig(安い)」と言えば、かつて、ドイツで、宿の部屋をとるために案内所に行ったときのこと。私は窓口係に「billigならbilligなほどいい」と言うと、窓口係がどこかのホテルに電話をかけ、そこで「günstig(お値打ち)ならgünstigなほどいい」と言っている。私は、そのとき初めて、宿の部屋を探すときは、「billig」より「günstig」の方がよいことを知った。宿の「予約」は「reservieren」より「buchen」の方が良いことを知ったのも同様の経験からだった。まっこと、本だけではなく、実地の経験を通して知恵はつくものでごわす。

タマネギ(5/18)
原田美枝子が演じる社長が言ったことは当たっている(朝ドラ)。「ナポリタン」はイタリアンではない。パスタを茹でるときは、鍋に塩を入れなければならないし、長く茹ですぎてはならない。「アルデンテ」が肝心だからだ。だけれども、当時の日本ではそういう知識は広がっていなかったろう。あたくしだって、オリーブ油を初めて味わったのは大人になってから。それは1980年代のことでござんす。その後、1990年代になって、イタリア料理が好きになったんですの。理由は二つ。その一つはサイゼリヤ。もう一つは、BSで放送されていた、イタリア料理を紹介する海外のTV番組。その番組ではイタリアのいろいろな地域の料理が紹介されておりました。それをビデオに録ったから、今でも見ることができるのですよ。時々、そのヴィデオを見て、紹介された料理を作りたいと思うのですが、今はその時ではありませんね。あたくしの記憶では、大抵のレシピでタマネギが使われていたと思いますが、今、タマネギの値段がとんでもなく高うござんしょう?だから、タマネギの値段が下がるまで待つつもりざんす(注:途中からすましてる割にはケチ)。

シン・ウルトラマン(5/19)
社長と暢子の父親との間になにか特別な関係があったのか?「特別な関係」と言う言葉にちむどんどんする吾輩であーる。
シン・ウルトラマンを見に行ってきた(ドイツ語では語尾のnが二個?でも、固有名詞だし)。この映画は原作(ウルトラマンのみならず(ウルトラマンの前作の)ウルトラQも)へのオマージュに満ちている。怪獣や宇宙人のキャラクターはオリジナルのままだし、「科学特捜隊」のテーマ音楽も流れた。こんな例もあった。約50年前、「ウルトラマン」の初放送のとき、ドラマの冒頭で縞々模様がぐるぐる回りつつだんだん「ウルトラQ」の文字に変わっていく。まったくウルトラQと同じだ。「え?ウルトラQが終わって、新たにウルトラマンが始まるんじゃなかったの?」と思った。と、次の瞬間、強烈な不協和音とともに浮かび上がった文字が「ウルトラマン」!そして今回である。ぐるぐる回る縞模様があって、それが文字に変わっていく。その文字が「シン・コジラ」。そして、次の瞬間に浮き上がる文字が「シン・ウルトラマン」!まさにちむどんどんである。
可笑しかったこと。山本耕史が宇宙人を演じてるんだけど、私には「鎌倉殿」の三浦義村にしか見えなかった。
残念だったこと。ウルトラマンは(注:変身後は)何も話さない。「しゅわっち」と言わないで飛び立つ。私は、黒部進が早田隊員役を演じることを期待していたが、出てこなかった。冨士隊員も同じである。多くの観客がオリジナルを見たことがないのだろう。時は流れるとはよく言ったものだ。

嘲笑(バッハのモテット第3番)(今日(5/20))
良子が入っていた浴室は外から覗くことができた(朝ドラ)。なんと危険な!だが、突如、昔の記憶が蘇った。私が子供時代に入っていた浴室も同じだった。
私は、多くの事(音楽、料理、ドイツ語等々)をするが、それらは、えてして私の能力を超えている。だから失敗することが多く、常に嘲笑を受けている。しかし、負荷は私の能力を向上させる、これは私の信念である。私は、この信念を変えるつもりはない。バッハのモテット第3番でもこう歌っている。「嘲笑や嘲りを耐え忍ばなければならなくても、私はこの苦しみの中に留まる。イエスはわが喜び」。


Spott (Bachs Motette Nr.3)

2022-05-20 09:23:13 | 音楽

Das Badezimmer,worin RYOKO gebadet hat,konnte von außen gesehen werden(Morgen-Drama). Wie gefährlich! Aber plötzlich erinnere ich mich daran,daß das Badezimmer,worin ich als Kind gebadet habe,gleich war.

Ich lesite viele Sachen(Musik,Kochen,Deutsch usw),aber sie sind manchmal über meine Fähigkeit. Deshalb scheitere ich oft ,und ich nehme immer Spott ein. Aber die Überlastung verbesselt meine Fähigkkeit,was mein Glaube ist. Ich will diesen Glaube nicht ändern. Auch in der Motette Nr.3 von J.S.Bach wird gesungen,"Duld ich schon hier Spott und Hohn,dennoch bleibst du auch im Leide,Jesu, meine Freude." 


SHIN ULTRAMAN(N)

2022-05-19 09:52:26 | 日記

Gab es zwischen der Direktorin und NOBUKOs Vater eine "besondere Beziehung"? (Morgen-Drama) Das Wort "besondere Beziehung" macht mich  "TSCHIM DON DON"!

Ich bin SHIN ULTRAMAN(auf deutsch ULTRAMANN?)sehen geganen. Der Film wurde mit der Hommage an die Originale,sowohl ULTRAMAN als auch ULTRA Q,gefüllt. Die Charaktere von Monstern und Aliens sind gleich wie die Ursprünglichen. Die Themenmusik von "KAGAKU-TOKUSOTAI" kann man hören. Sonst gab es auch das folgende Beispil. Als das TV-Programm,ULTRAMAN,vor ungefähr 50 Jahren zum ersten Mal gesendet wurde,sah man am Anfang des Dramas Streife,die sich rollte und sich langsam zu einem Wort,ULTRA Q,änderte. Das war ganz wie ULTRA Q. "Was? ULTRA Q war zu ende,und ULTRAMAN fängt neu an,nicht?",meinte ich. Aber im nächsten Augenblick,mit starker Dissonanz,tauchte das Wort,ULTRAMAN! Und diesmal sieht man Streife,die sich rollte und sich langsam zu einem Wort,änderte. Das Wort war SHIN GODZILLA! Und das Wort,das im nächsten Augenblick taufte,war SHIN ULTRAMAN!  Das war wahrlich  "TSCHIM DON DON"!
Komisches ist;KOJI YAMAMOTO spielt die Rolle eines Aliens. Aber er schien mir unbedingt YOSHIMURA MIURA(KAMAKURADONO).
Enttäuschung sind;ULTRAMAN sagt nichts. Er fliegt ohne "Schwa-tsch" zu schreien. Ich habe mich darauf gefreut,daß SUSUMU KUROBE die Rolle von HAYATA spielt. Aber Er ist nicht erschienen. FUJI auch nicht. Viele Zuschauerinnen und Zuschauer könnten die Originale nicht gesehen haben. Die Zeit fliegt!


Zwiebel(タマネギ)

2022-05-18 11:24:37 | グルメ

Was die Direktorin(MIEKO HARADA)gesagt hat ist wahr(Morgen-Drama). "Napolitan" ist nicht italienisch. Beim Pasta-Kochen muß man in den Topf Salz einwerfen und nicht zu lange kochen,weil "al-dente" wichtig ist. Aber damals wurde solche Kentnisse in Japan nicht verbreitet. Ich selbst habe Olivenöl zum ersten Mal gekostet,nachdem ich ein Erwachsener geworden bin. Das war in 1980er Jahren. Danach in 1990er Jahren ist die italienische Küche mein Liebling geworden. Die Gründe sind zwei. Ein Grund ist SAIZERIYA. Und ein anderer ist ein ausländisches TV-Programm,das italienische Gerichte vorgestellt hat und per BS gesendet wurde. In der Sendung wurden viele Gerichte von verschieden Gegenden in Italien vorgestellt. Ich habe die Sendung auf Video aufgenommen,deshalb kann ich es noch jetzt sehen. Ab und zu habe ich einen Anlaß,das Video zu sehen und die Gerichte,die in der Sendung vorgestellt wurden,zuzubereiten. Aber jetzt ist nicht die richtige Zeit. Nach meiner Erinnerung wurden in den meisten Rezepten Zwiebeln benutzt. Heutzutage ist der Preis der Zwiebel ziemlich hoch. Deswegen will ich darauf warten,daß der Preis davon niedriger wird.   


billig und schlecht(安物買いの銭失い)

2022-05-17 11:17:18 | グルメ

Das Restaurant,das NOBUKO in Tokio zum ersten Mal besucht hat,und worin sie arbeiten will,ist italienisch(Morgen-Drama). Italienische Gerichte gefallen mir. Ich koche gern Pasta,und backe gern Pizza. Ueber Pizza gesagt,habe ich früher beim Zubereitung von Pizza den Käse benutzt,der mit Hitze sofort schmiltzt(とろけるチーズ). Weil er sehr billig ist,kann ich ihn in grossen Mengen benutzen. Aber er schmeckt nicht gut. Das Wort "billig und schlecht" ist wahr. Das Leben ist kurz. In meinem einmaligen Leben,möchte ich leckere Gerichte essen. Deshalb habe ich entschieden,daß ich für Pizza den Käse benutzen,der höhere Qualität hat,obwohl er teuer ist. Wegen des Preises kann ich ihn nur in kleinen Mengen benutzen. Trotzdem schmeckt er sehr gut!

Und dieses Kännchen,worin Salz und Pfeffer gemischt gepackt werden!

Wenn man es einmal schüttele,werden Salz und Pfeffer gleichzeitig in die Pfanne eingewolfen,was sehr nützlich ist. Deswegen kaufe ich es immer,obwohl es nicht billig ist.

Ueber "billig" gesagt,war ich einmal bei einer Information in Deutschland,um ein Zimmer zu buchen.  Da sagte ich zu dem Mann am Schalter,"Je billger,um so besser." Dann rief er ein Hotel an,und sagte am Telfon,"Je günstiger,um so besser." Da verstand ich erst,daß "günstig" in diesem Fall besser als "billig" ist. Durch eine ähnliche Erfahrung verstande ich,daß "buchen" besser ials "reservieren" ist,wenn man über ein Hotelzimmer sagt. Das heißt;nicht nur durch Bücher,sonden durch reale Erfahrungen  werden Erkentnisse verbessert.


ブログの日本語訳(5/14~5/16の四回分)

2022-05-16 18:40:15 | 日記

考えるラドン(5/14)
あたし、虎と鷲のどっちかに食べられちゃうんなら虎に食べられる方がいい。だって、虎は獲物の首にかみついて息の根を止めてから食べ始めるのに、鷲ったら、獲物を足で地面に押さえつけて、生きたままつついて食べるのよ。痛みがしばらく続くじゃない。怖すぎー。だから虎の方がいいの。だけどね、実のところ鷲は大きさが違うから大人の人間を殺せないのよ。もし、あたしたちが恐竜時代に生きたとしてもね、同じ理由から翼竜のプテラノドンを怖がらなくてもいいの。しかもね、プテラノドンは歯がないのよ。プテラノドンがたくさんの人間を襲って食べちゃう映画があったけど、実際にはそんなこと起こりえないわ。つまりインチキってわけ。ところでね、ゴジラのお友達の空飛ぶ怪獣はラドンなんだけど、「ラドン」って名前は「プテラノドン」を縮めたものなのよ。そのラドンは、欧米では「ロダン」って言われてるの。あらやだ、ってことはラドンは考えるのかしら。

餃子(5/15の1回目)
久しぶりに餃子を作った。餃子が焼き上がったら皿をフライパンにかぶせる。そうすると餃子がフライパンからお皿に移。この時、とっても緊張する。ここで大事なのは、餃子をフライパンにくっつかないようにすること。「こびりつきにくいフライパン」を使うのはそのため。フライパンはいくつか持っていて、その中に鉄製のが二つあって、ホントはそれで大抵の料理をするのに十分なはずなんだけど、餃子を焼くときはそうした理由で「こびりつきにくいフライパン」が絶欠かせない。28センチあるから、餃子をたくさん乗せられる。
おまけその1。餃子の生地を重ねるための器具があるんだけんど、これまでは無用の長物。普通のサイズの生地にとってでかすぎるため。
おまけその2。焼いてる最中にフライパンに入れる水の量はちょびっとの方がいいって新説を最近テレビで聞いた。
おまけその3。餃子は、ドイツ語で「Jiaozi」って言うんだけど、言葉の性も複数形も不明。プテラノドンの複数形がプテラノドンテンだってことは調べがついんたんだど。
おまけその4。ドイツ語の「kochen」って、「茹でる」(狭義)だけじゃなく、料理一般の意味(広義)がある。ってことは、多分、大昔の人は獲物を食うときはいつも茹でてて、「料理」って言ったら「茹でること」で(狭義=広義)、焼くことを覚えたのは後になってからだというのは私の推測。

美しくて強い(5/15の2回目)
「天は二物を与えず」と申す。だが、常に例外はあるもの。白毛の牝馬ソダシは、その美しさゆえ多くのファンから愛されておる。言うなれば「アイドルホース」。かつては、「白毛は走らず」と信じられておった。GⅠをいくつか勝ってその常識を覆した馬こそソダシでござった。そして、今日、ヴィクトリアマイルを勝ち、3度目のGⅠの勝利を勝ち取ったのでござる。ソダシは、美しく、かつ、強い。まさに、天は二物を与えもうした。
美しさのほかに、白毛には一つ良いところがござる。レース中、馬群の中のどこを走っているかがすぐ分かるところでござる。

鶴見(今日(5/16))
今日の放送で、暢子が鶴見を歩いてたねぇ(朝ドラ)。おお!この町の名前は私に高校時代を思い出せる!なぜなら鶴見が属してる高校の学区には、私の故郷の中山も属していて、だから当時の友達の多くが鶴見に住んでたんだよ。放送では、この町の人が酔っ払ってたけど、当時、鶴見って酔っ払いの町だったのかなぁ。友達に聞いてみたいよ。どう感じたかを。自分の父親が酔っ払って町中を闊歩してたかもしれなかった様を見て。どっちにしろ、鶴見は今後このドラマで重要な場所になるらしい。楽しみ!
どころで、同じ放送で、暢子のお姉さんの良子が男から結婚を前提として付き合ってる男がいるか聞かれてたねぇ。答は「ノー」だった。私の答も「ノー」。え?私には誰も聞いてない?それまた失礼いたしましたっ。


TSURUMI(鶴見)

2022-05-16 11:59:12 | 日記

In der heutigen Sendung ist NOBUKO in der Stadt,TSURUMI,gewandert(Morgen-Drama). O! Der Name der Stadt erinnert mich an meiner Hochshulzeit. Denn TSURUMI liegte in einem Hochschulbereich,worin Nakayama,meine Heimat,auch liegte,und deswegen wohnten viele damalige Freunde in TSURUMI. In der Sendung waren die Bürger von der Stadt betrunken. War TSURUMI damals eine Stadt von Betrunkenen? Ich möchte meine alten Freunde fragen,wie sie sich fühlten,als sie sahen,daß ihre  Väter in der Stadt betrunken gebummelt sein könnten. Auf jeden Fall soll TSURUMI im Drama ein wichtiger Ort sein,was mich freut.

Uebrigens in derselben Sendeng wurde RYOKO,NOBUKOs Schwester,von einem Mann gefraft,ob sie einen Freund hat oder nich,der ihr die Ehe verspricht. Die Antwort ist "Nein."  Auch ist meine Antwort "Nein!"  Wie? Niemand fragt mich? Es tut mir leid.