拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

冷気が逃げる、電気代が嵩む

2013-06-30 11:03:09 | インポート
アメリカの映画、(当然ながら)文化の違いを感じることがあって。勧められて観た「レナードの朝」。デ・ニーロ(顔認識ができた!)の演技が迫真で、聞いてた通りの感動作。アーバー(歌だとアーベル)、一つだけ、セイヤー博士(ロビン・ウィリアムズ)が自宅で冷蔵庫から何かを取り出すシーン。冷蔵庫の扉を開けたまま閉めない。は、早く閉めなきゃっ、冷気が逃げる、電気代が嵩む、で気が気でなかった(冷蔵庫の扉はすぐ閉めなければならない、は元配偶者にきびしくしつけられました。)。それからET。言わずと知れた嗚咽を呼ぶ名作ですが(音楽を付けたJウィリアムズは、この頃絶頂だった。その後、スター・ウォーズのエピソード1あたりから神秘的な方向に向かった。)、子供達が自転車を乗り捨てるとき、ばたーんと放り投げる。物はもっと大事にしなきゃ、と気になりました。

顔認識

2013-06-30 10:22:06 | インポート
最近はスマホでも顔認識をするってぇのに、私、人の顔の認識が苦手(スマホ以下)。ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノの区別が最近までできなかった。この問題を解消すべくゴッド・ファーザーPart2を視聴。字幕で気になったとこ。マイケルが公聴会に呼ばれて「お前はギャングのボスか?」と聞かれるシーンで、台詞は「Yes,I do.」なんだけど、字幕は「いいえ」。あー、あれだよ、notで聞かれてYesで答えると訳は「いいえ」になる……じゃないんです(それだったら、今さら驚かない)。台詞は「You deny this?」「Yes,I do.」。これを素直に「あなたは否定しますか?」「はい」と訳せば「Yes」=「はい」で問題はなかった。それを「あなたは認めますか?」としちゃったから、「いいえ」とせざるを得なかったんですね。デ・ニーロとパチーノの顔認識はできるようになりました。

カストラート

2013-06-29 14:15:31 | インポート
久しぶりに映画「カストラート」を観る(WOWOW)。カストラート(去勢)された歌手のファリネッリ(本名=カルロ・ブロスキ)の話で、お兄さんである作曲家のリカルド・ブロスキとの愛憎が話の軸ですが、他にもヘンデルやポルポラ(最近流行?)が出てくる。ファリネッリの歌は、現代では真似ができないので、低いところはカウンター・テナー、高い所はソプラノが歌ったのをコンピューターで合成したんだと。見終えた直後、バルトリ姐さんの「カストラートの芸術」を視聴。いつ聴いてもすごすぎ。コンピューターで合成なんかしなくても姐さんの歌、十分カストラートです(兄さんと呼ぼう)。映画で歌われるのと同じような曲を歌ってて、リカルド・ブロスキの歌もしっかり歌ってる。すごい。映画の中では、ブロスキはエンデル(フランス語。映画の言語は、兄弟間ではイタリア語、ほかはフランス語)に、装飾ばっかで心のない音楽と悪口を言われますが、かまいません、よくぞここまで技巧ひけらかしの曲を書いてくれました。当時はファリネッリの魅力を十分引き出したろうし、現代のわれわれはバルトリのすごさを存分に味わうことができます。

めんこーい(夏ばっぱの猫)

2013-06-29 11:27:35 | インポート
じぇ!あまちゃんの夏ばっぱが猫を飼い始めた!めんこーい!あき、いっつもルイちゃんと比較されて「可愛い方じゃなくて訛ってる方」と言われる。でも、時代はあきちゃん。本家のAKBだってさしこが総選挙一位だし。ところで、AKBって、既にGMT(じもとの略)化してる?総選挙んとき、大分市長まで出てきてさしこを応援してたし(さしこ、直後のいいともで、一位になった本音を聞かれて、「なめんなよ、ばっかやろー」だって。いつも笑わてくれます。)。九州のファンは絶妙に票を分けましたね。さしこが一位で、で、まりこさまもしっかり前年の五位キープだし(背が高い二人がいっぺんにやめちゃいます。)。GMTの博多出身って言ってた子、番組案内で佐賀出身になってて、何かの間違い?と思ったら出身地詐称で、佐賀出身が正しかった(今日の放送)。埼玉出身の子の名前は「入間」なんとか。埼玉県には入間市があり、入間川が流れてます。

劇の進行より嫁入り優先?

2013-06-28 09:06:14 | インポート
コトルバスを日本で聴いたのは、リート・リサイタルと藤原歌劇団の椿姫。その椿姫で、アルフレードから「こんな金返してやらあ」と札束を投げつけられて失神するシーンで、倒れた時ドレスの裾がぱあーっと広がってしまった。でも、そこはプロ。失神してるんだから微動だにしません。共演者がそっと直してあげてました。それと引換え、某高校の演劇部、代々受け継がれた十八番の演目があって、で、ある年の上演で、失神した女生徒のスカートがめくれてしまった。その女生徒、このままじゃお嫁に行けないと思ったのか、自分で「そそくさ」と直してしまった。えらく理性的な失神に観客は爆笑。劇よりも嫁入りですよね。花も恥じらう十何歳だし。関連した話二題。某日本人男声歌手がドイツでドン・ジョヴァンニの騎士長を歌ったときのこと。騎士長が殺され倒れた上にドンナ・アンナがすがりつくシーン。ドンナ・アンナの胸が騎士長の顔を覆い隠し、騎士長はホントに死にそうになった(それでも騎士長は動かなかった、いや、動けなかった?ご本人の自伝に書いてあった。)。それから、最近の私のある晩のいでたち。上下の下着とパジャマの下がびりびりに破けて穴だらけ。めくれてなくても肌が露出。さすがに買いに行きました(わが家には衣料品を買う金などないはずですが、さすがにこれはしゃーなかった。)。

木村多江はたまたコトルバス

2013-06-27 19:13:05 | インポート
イレアーナ・コトルバスもクライバーの指揮でずいぶん歌ってました。かの、1979年のスカラ座でのボエーム(パヴァロッティ、ポップ、ネステレンコの神がかりキャスト)のミミもフレーニではなく、コトルバスだった。コトルバスがかつてインタビューで、「クライバーは、あたしに、もっと歌え歌え、と言うんで、あたしが声量がないのは知ってるでしょう(え?声量なかったんだ)、と言い返す。で、公演が終わると、クライバーがにこにこしながらやってきて、また次、僕と組む気あるかい、と聞く」なんてこと言ってた。とどのつまりは仲良しだったようですが、こないだのドキュメンタリーで、「クライバーは、奥さんを泣かせた」と言ってたから、ご自分がその原因になったことはなさそう(じゃなきゃ、そんなこと言わないだろ)。薄幸の役はほんとにぴったりでしたもんね。木村多江か、はたまたコトルバスかって。スカラ座の聴衆にも大いに受けてました。スカラ座には、1975年1月、フレーニの代役で、ミミでデビューしたそうで。そんときフレーニがどたきゃん。スタッフが慌てる中、パヴァロッティが、「僕、いいソプラノ知ってるよ」、でそれがコトルバス。ぎりぎり間に合って、で、大成功。コトルバスは、成功する自信があった、と語っている。こんときはクライバーではなかったみたいね。クライバーは、スカラ座には同じ年にバラの騎士でデビューとあるから。コトルバスが「私の名はミミ」を歌う時、「フォリャ・ア・フォリャ」のところでいつも手のひらを返すしぐさをします。これ、本を読んでる仕草だったんね(フォリャ=葉=ページ)。

大草原の小さな家

2013-06-26 19:21:20 | インポート

大草原の小さな家のDVD全集完結。全部買ったから特製のラックをもらった。D社の週刊マガジン、「太陽系を作る」等々途中で断念したもの多数。最後までいったのは「渥美清の負けてたまるか」DVD全集以来。大草原……はだーすきで、原作(原書)も全部買ったし、「大草原」展にも行きました(まわりは女性ばっかだった)。実は、初回放送の時は観てなかった。具合が悪くて家で寝てたとき再放送みて、黒人少年ソロモンの回だったかな、ぼろ泣きして以来のファン。弱った心に忍び込まれたわけ(まるで、エルザの家にオルトルートが入り込んだみたいな、悪いものが入ったみたいな言い方は適当ではないでがした。)。

狂気もいろいろ

2013-06-25 23:25:15 | インポート
答は「メリーに首ったけ」。原題(There's something about Mary=メリーには何かがある(で合ってる?))より、ドイツでのタイトル(Verrueckt nach Mary)とニュアンスは同じ。邦題とドイツ語のタイトルは、映画の中で語られる「(男みんなが)in love with Mary」からとられたんだろうか。そのドイツ語の「verrueckt」は気が狂ったという意味で、恋狂いの意味でも使われる。だけど、同じ恋狂いでも状況によってかなり違う。「メリー……」の恋狂いは、笑える恋狂い。それに対して、シューベルトの「糸を紡ぐグレートヒェン」(詩はゲーテ)の「verrueckt」は、切羽詰まった狂気です。さて、「首ったけ」で私が思い出すのは、フライブルクのドイツ語学校に行ってたとき、現地の音楽大学で管楽器を勉強しててドイツ語学校にも来てた○エちゃん(その音楽大学に入学する日本人のほとんどは、最初のうち、ドイツ語学校にきてドイツ語を勉強する。)。その○エちゃん、普段はおっとりしてて静かなのに、ある時パーティーでお酒が入ったと思ったら、イタリア人のいけめんの首に腕を回して離れない(これが首ったけ?)。で、そのイケメンくん、○エちゃんをずるずる引きずりながら会場を歩き回ってました。

「Krieg der Sterne」「Verrueckt nach Mary」

2013-06-25 16:19:10 | インポート
そんなような、「おらがしゃべってる言葉が一番でがす」のドイツ人(ヨハネ受難曲のピラトの歌詞をもじれば、「Was ich gesprochen habe,das hebe ich gesprochen.」)ですから、かつては、オペラはみんなドイツ語訳で上演(旧東独のオペラ劇場が日本で引越公演をしたとき、フィガロを予定されていた歌手は、イタリア語で歌う自身がない、といってキャンセルした。)。ただ、状況は変わってきたようで、原語上演も増えてきたそうな(ウィーンの国立歌劇場で原語上演を定着させたのはカラヤンだと)。映画でも、15年前、「Star Wars」は「Krieg der Sterne」だったけど(英語では戦争が複数なのに、独訳だと星が複数なのはなぜ?)、今では「Star Wars」。それから、公開当時「Verrueckt nach Mary」だったのも今ではアメリカの原題でDVDを売ってる。さて、この映画の邦題はなんでしょう?

ただのドイツ語訛りだっぺ

2013-06-24 18:23:58 | インポート
本題に入る前に、二つ。先日の出題「ド、ドド♭ミソド」は「ナンバラバンバンバン」(ウッチャンナンチャンのナンチャンの踊りの音楽)でした。それから、バッハの歌詞でDassやWieで始まる副詞句で動詞が最後に来ないのは歌いやすくするため、と書きましたが、これは文法的にはNGですから、ドイツ語学校のクラス分け試験でこんな作文をしたらなんにも分かってないって一番初級のクラスに入れられちゃいます。さて本題。バッハの作品には、少数ながらラテン語のミサ曲があります。で、日本人の偉い先生は、「eleison」を「エレイゾン」とドイツ語風に発音しろ、と指導するんだと。その理由は、偉い先生のそのまたドイツ人の先生(以下「大先生」という。)がそう発音したから。さて疑問。大先生はなぜそう発音したのだろう(宇宙はビッグバンで始まったというけれど、その前に何があったの?って感じの疑問)。多くの人が納得する模範的な解答=バッハはドイツ語風に発音してただろうから、それと同じように発音すべきである。これに対し、或る阿呆(芥川の小説か?)の見解=単なるドイツ語訛り。(あまちゃんの)弥生さんが、「わだすのお墓のまーえで~」と歌うのと同じ(日本人がエレイゾンと歌うのは、弥生さんに歌を習った外国人が本国に戻って「わだす」と歌うようなもん)。だってね、ドイツ人って、おらが発音が一番正しいんだべ、と言って、みんなが思い思いに発音してる。リヒター指揮の受難曲でも、なんとエヴァンゲリストとイエスが違う発音で歌ってる(じぇじぇじぇ!)。だから、そんなに高尚なこと考えての「エレイゾン」じゃねくて、「son」が「ゾン」なのは当たり前だっぺ?って世界じゃねえかと、おら、そう思うんだ。あっ、これ、私の見解じゃなくて、或る阿呆のしゃべってることだった。ほんとに阿呆は死んでも治んねえなあ。

年取ると角がとれる?(あおりを食ったソプラノ)

2013-06-23 23:21:24 | インポート
うって変わって熟年期のライプチヒ時代のバッハ、角がとれた感じ(ヴァーグナーのリングも、ジークフリートの第2幕までと第3幕以降は時代に隔たりがあって、後者は熟練の技ですが、ヴァルキューレやジークフリートの第1幕にあった、触ったら怪我しそうな角はなくなった。私も、最近は酔っ払って暴れることがなくなった。)。で、この時代のカンタータ、時々、音楽がやけにイージーに感じられることがある(ヴァーグナーの最後の感動作パルシファルの第1幕の回廊のシーンの音楽も、ヴァーグナーの疲労が感じられる、と言った人がいる。)。それは、曲全体について感じられることもあれば、パート(特にソプラノ)について感じられることもある。ソプラノがイージーに感じられるのは、やはり少年が歌ってたことが原因の一つか?アーノンクール&レオンハルトのカンタータ全集でも、ソプラノのソロを少年が歌うことがあって、ちょっと不安定(だけど、清新な感じ……私の歌を「下手」と言わないでいいところを探し出して(又は、でっちあげて)ほめてくれる奇特な方々に倣っていいことも言いました。)。当時の少年のために譜面が易しくなったあおりを食ってるのが現代の大人のソプラノの面々。「ソプラノが簡単すぎて歌いがいがない」と。

とがってた若きバッハ(承前)

2013-06-23 20:44:31 | インポート
「チャララーーー。チャララララ、ラー」ちゃら男のテーマではない。チャルメラでもない。とか書いちゃったんで、恐ろしくてホントの曲名を書けなくなった。有名なバッハのあの曲です(偽作説もあるらしい)。もっとも初期の時代ってんだから、ミュールハウゼン時代よりも前のアルンシュタット時代、あるいはさらに前?この曲もとがってますねー。バッハの若い頃の曲はとがってます。性格もとがってたらしく、アルンシュタット時代(20歳前後)に決闘未遂事件を起こしてます。Kさんが、「ファゴットで応戦した」とのヒントを下さったので、調べたら、相手方がファゴット奏者でバッハは剣を抜いたとあるので、相手方がファゴットで応戦したのでしょうか。町を歩いてて相手方と遭遇して喧嘩になったって、ロミオとジュリエットの冒頭の喧嘩のシーンみたいな感じか?

バッハのミュールハウゼン時代のカンタータ(ティーララ)

2013-06-23 10:50:31 | インポート
バッハのカンタータ第71番(Gott ist mein Koenig)の合唱の部分の楽譜を見て、鋭角的な厳しい感じが第4番(Christ lag in Todesbanden)と似てると思ったら両方ともミュールハウゼン時代の作。この話は、前にも記事にしましたが、その第71番のテナーのソロの楽譜を見たら、おろ、音の動き(ティーララティーララティラララティ~ララ)が第106番(Gottes Zeit)のソロと似てる!(ティーララで分かるかっ、って怒りの石が飛んできた。乱暴はいけません。)。そしたら第106番もミュールハウゼン時代の作だった。私の中で、第71番をかすがいとして第4番と第106番がミュールハウゼンでつながった一瞬でした。ちなみに、バッハがミュールハウゼンにいたのは20代前半(若い頃)。後年、ライプツィヒでカンタータを量産しますが、その頃の作品、もちろん円熟を感じますが、たまに、えらく簡単というか素直というかひねりがないパートが出てきます。これって、聖歌隊(少年合唱。バッハが指導してた)の能力によるものだろうか?ハードスケジュール(1週間に一度のペース)が理由ではないと思うんだけど?