ウチの猫らは冷房が嫌い。私1人ならエアコンをつけずにがまんするのだが猫がいるのでつけている。なのに(親の心子知らず)、わざわざエアコンをつけてない部屋に行く。ワサビはチェロの下がお気に入りである。
ま、しかし、人間だって、今エアコンが効いてる部屋の温度を冬に体感すれば寒いと思うかもしれない(逆もまたしかり)。猫らは、四季の観念に惑われず、絶対的な温度感覚のもとに生きているのかもしれない。
猫と言えば、野生の猫の捕獲の様子をテレビで見た。罠をしかけ、二匹の子猫がひっかかったが母猫と他の子猫は逃亡。ナレーションはその二匹を「保護した」と言っている。まさに、ウチの2ニャンはこうやって「保護」され、母猫と離ればなれになったに違いない。相当怖かったのだろう。いまだに私以外の人間がくると押入にかくれてしまう。因みに、私に2ニャンを譲渡してくださったヴォランティアさんは中央区にお住まいでそこで「お見合い」をしたのだが、2ニャンが「保護」された場所は足立区だと言っていた。もともと(下流の)ウチの近くにいたんだな、ご近所だったんだな。
動物の保護と言えば、絶滅が危惧されているヤンバルクイナで親とはぐれたひな鳥はいったん人間がひきとって育て、後に自然に帰しているそうだが、保護センターでヤンバルクイナにエサとして与えられいたのがミミズ。ヤンバルクイナはこれで生き延び、ミミズはこれで生涯を終える。ヤンバルクイナは個人(鳥)として尊重されるが、ミミズは個?として尊重されないのだろうか。されないようだ。
鳥と言えば、雀はちゅんちゅん言ってかわいらしいが、その顔をアップでみると猛禽類と同じで結構怖い(祖先である恐竜を彷彿とさせる)。ミミズにとって目の前の雀は恐竜に見えるに違いない(ミミズには目がないが)。ミミズがもうダメだと思ったその瞬間、タカが雀を捕らえたならば、タカはミミズの救世主である。映画「ジュラシック・パーク」で、いよいよ人間を追い詰めたラプトルが、飛びかかろうとした次の瞬間、ティラノサウルスに咥えられたシーンを思い出す(このとき、ティラノサウルスは、人間にとって「正義の味方」であった。ジョン・ウィリアムズ作曲のテーマ曲が高らかに鳴り響いたっけ)。因みに、人間にとって一番怖い恐竜は、背丈が人間と同じくらいのラプトルだと思う。でかい恐竜は、隙間に隠れればやり過ごすことができても、ラプトルの場合はそうはいかなそうだから。さらに言えば、全長50メートルのゴジラから隠れるのは容易である(にもかかわらず、子供の頃見たゴジラに追いかけられる夢では、どこに隠れてもゴジラに見つかってしまったのは不思議である(不思議なのが夢である))。だが、それは昭和のゴジラの話。最近のゴジラが口から発する熱線は周囲をあっという間に焼け野原にするから、どこに逃げても無駄である。