拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

あわや大惨事

2024-07-21 21:14:04 | 日記

奥地に向かう途中、電車が急ブレーキをかけ、警告音が延々と鳴り続けるうちに停車。停まったのは、幅2メートルくらいの踏切のかろうじて手前?いや、踏切にかかっている。

わあ、やだ、私が乗った車両が人を挽いた?先頭車両に乗っていたが、とてもじゃないが外を見ることができなかった。だが、おそるおそる目をやると、高齢の女性がすくっと起ち上がって、下りた遮断機のこっち側(線路内)に立ちすくんでいる。どうやら、自分が電車に挽かれそうになったことも、自分が依然として線路内にあることも分からず、ひたすら遮断機が上がるのを待ってる様子。すると、線路の外側から人が集まってきて、女性を遮断機の外側に出るように促し女性は安全地帯に。男子が一人、遮断機をくぐってささっと車両の下あたりから救いだしたのは女性のものと思われるキャリングケース。その間、車内では「踏切で転倒した女性と車両が『衝突』したので安全確認を行ってます」とのアナウンスが流れた。え?衝突?してないでしょ。女性はちゃんと歩けてたし。何かが衝突(接触)したのならそれはキャリングケースのことかも。とりあえず、怪我をした人がいなさそうでよかった。だが、当然、現場検証が待っている。すぐに発車というわけにはいかないのは素人でも分かる。アナウンスをした運転手さんは運転席から下に下りて(文字通りのワンマン。全部自分でやってる)、踏切からちょっと離れたところに停まっていた車の中にいるらしい件の高齢女性から直接……というわけにはいかないらしく、その女性を引き取った別の人から聞き取り調査(親族なのか知人なのかはたまた見かねて女性を病院に送ろうとひきとった赤の他人なのかは不明)。ときどき、車内に戻っては、車内放送で、事情説明をしてるうちにとんだ「二次災害」が発生した。そのとき私は既に後ろの車両に移動していたのだが、突然、先頭車両でモノをたたく音がし、同時に男性の怒号がとんだ。どうやら、運転席を蹴り、早く電車を出せとわめく乗客が現れたらしい。件の高齢女性は認知症なのかもしれない。そして、この男性も、精神状態は認知症でなくても、それ以上に危険である。幸いに、騒ぎはすぐ止み(誰かが取り押さえたのだろうか。あるいは、仏の顔をして宥めたのだろうか)、ほどなく列車は運転を再開した。私は、運転手さんに心の中でブラヴォーを捧げた。踏切の異常をいち早く察知して急ブレーキをかけて大惨事を防いた大功労者である。しかも、その後の女性の安全確認ほか現場の検証を一手に行い、加えて心ない乗客の暴言・暴行に対しても冷静に事を収めて運転を再開した手腕はとびきりの賞賛に値する。こういう若い人がいる限り日本はまだまだ大丈夫と思った(怒号を発した中年のおっさんの存在は日本国のマイナス点ではあるが)。そんなこんなで降車駅に着くと、単線なのにいつもと違って上り電車が待ってない。事故によりダイヤが乱れたのだな。ホームにいる乗客は事情を知らないらしく「ときどき、ダイヤが乱れるのよねー」との声が聞こえた。

そんなわけで、予定よりちょっと遅れて奥地の家に行き、ゴキブリほいほいもどきをセットしたら自分がひっかかってしまい、手についた糊をはがすのに一苦労であった。それから、こないだ垣根を剪定した翌日、やたらと目がかゆくなりまぶたが腫れたのだが、今日、剪定した枝木をビニール袋に詰める作業をしていたら、やはり目がちくちくっとして痒くなった。どうやら、垣根の木の木くずが私にアレルギー反応をもたらしているっぽい。やはり、梅の木とさざんかの木を残して全部業者に根こそぎ成敗してもらおうか、との意を強くしたワタクシであった。


右と左、どっちが怖い?(ある高校の応援団の想い出)

2024-07-11 21:40:53 | 日記

NHKの7時のニュースの晴山さんの顔色がよくなった。数年前、電力不足かなんかでNHKがスタジオのライトを絞ったとき明らかに顔色が曇ったのだが(ライトの威力は大きい)、このところライトが元に戻ったのだろう。顔色がよくなり、美しさがいっそう映えるようになった。まっこと、お天気キャスターにぴったりの名字であらせられる。この晴山さんは、今後、どういう方面に行かれるのだろうか?

と言うのも、晴山さんの大先輩であるN某さんは(20年前にお天気キャスターを務められ、絶大な人気を誇り、紅白にお出になられた)、お天気キャスターの後、女優になり、更に右派の論客となって今に至った例があるからである。

この「左右」について、最近、へーと思ったことがある。私の出身高校がどっかのテレビで取り上げられたのだが、そこにOBの「なんとか先生」が登場し、さかんに「○○生はこうなんです」(○○生=その高校の在学生及び卒業生)と決めつけて言うのだが、私は、その「こうなんです」にことごとく合致しておらず、まるで、もぐりのような肩身の狭さを味わったのだが、その「なんとか先生」がびっくりすることを仰った。それは、「(当該先生の在学中)先生にも生徒にも左翼がいた」ということである。え?そうだったの?「なんとか先生」は私の二個上だが、私の在学中は、まったくそんな感じはしなかった。私が知らなかっただけだろうか。

思えば、当時は学生運動が下火になった時期。右翼の学生運動って聞いたことがないから、学生運動は左派の専売特許であった。そして、学生運動は、大学がメイン舞台だったが、その後高校にも飛び火した、って話を聞いたっけ。「なんとか先生」は、その時代の最後に在学されていたのかもしれない。

私の頃は、左翼はいなかったが(気付かなかったが)、過激な応援団はあった。それは入学式の時であった。式の途中で、いきなり応援団に属する上級生数人が壇上に駆け上り、そこにいた先生をわきに追いやってアジ演説を始めた。途中何度も「○○生なら返事をしろー」と怒鳴って聴衆の相槌を強要した。そして、新入生は放課後に応援団主導で校歌及び応援歌の練習をするべしと勝手に決めつけて実行した。先生方は見て見ぬ振りだった。しかも、指導する応援団員が音痴で、メロディーがよく分からなかったので、多分、こうなんだろうな、と思いながら歌ったものである。

今から考えると、パワハラ以外の何物でもない。かりに、あれがいやで退学した生徒がいて、その生徒が高校を訴えたなら、今なら高校(県立高校だからイコール県)が敗訴するのは明らかである。だが、なにせ半世紀前のこと。どうなっていたかは見当がつかない。

さあ、そこで、さきほどの「左右」の話である。当時、あの応援団が右か左かなんてことは思いもよらなかった。以下は、今思えば、という話である。「校歌を歌え」は「国歌を歌え」と似てるから右っぽい。だが、「なんとか先生」の話を聞いて、ふと思った。もしかして、応援団の強権ぶりはその数年前まで高校にも飛び火していた学生運動の残り火だったのではないか?つまり左だったのではないか。

そもそも、右と左のどっちが怖いか、と言って、早急にどっちだとは言えない。各人の体験(怖い思いをした体験)によって違ってくるだろう。右派の街宣車に拡声器で怒られたことがあれば怖いのは右だし、左派の集団に囲まれてコールを受けたら怖いのは左である。そういう怖さは、選挙においても現れるものである。

わが母校の応援団は、そんな具合だったから、当初、私の印象は最悪だった。これに対する新入生の態度は二分。反感を持つ者がいる一方で、そんな応援団に入団して「偉ぶる側」に回ろうとする者。私はもちろん前者である(世の中で一番嫌いのモノ=上から目線)。だが、校歌と応援団の「指導」について私のクラスの担当だった応援団員がえらくソフトな人で「応援団に反感を持たないでね」と言っていて、ちょっと印象が変わった。それどころか、後に、吹奏楽部と応援団でタッグを組んで野球部の応援をしたときなどは、まあ、メンバーの主流が私と同学年になっていたこともあるが、随分仲良くやったものである。思えば、あの入学式の怒号が「過激な応援団」「学生運動を引きずった応援団」の断末魔だったのかもしれない(当ブログも、初稿が一番過激で、第2稿、第3稿と直していくうちにかなりマイルドになる)。

聞いた話では、最近は母校も学校の側の力が強くなり、学力アップを最優先にする学校に成り下がった聞く。そんな環境ではかつのような応援団は存在しえないだろう。それもまた面白い話ではない。

因んだ話その1。現在、世界的には政界における右派の躍進が甚だしい。いっとき、左派が強くなった反動だろうか。だが、フランスでは、右派政権誕生か!ってところまで行ったが決選投票の末、右派は失速したらしい。

その2。わが国のかつての官制においては、左大臣は右大臣の上である(今放送している大河ドラマで、道長が貴族のトップに立ったときは右大臣だったけど、その後左大臣になったんだっけ?)。この官制は明治の初め頃まであったということは、大久保利通公が暗殺された跡地(清水谷公園)に建つ公の碑に掘られた「右大臣」で知ることができる。


マンションのペット規約

2024-07-10 10:23:41 | 日記

私の毎朝のルーティンの一つは、布団をたたんで……「んで」ではなかった、「んで」と書くと後に「押入に入れる」と続かなくてはならないが、私の場合は「たたむ」でおしまいである(これも「万年床」の一種であろうか)。まあ、たたんだだけ布団の嵩が高くなって「崖」ができ、飼い主に似て崖の好きなケメ子が崖下でくつろぐことになる。因みに、ワサビがくつろぐのは崖上=台地の上である。

ところで、彼女らはまだ私の現住所のマンションにいるのだが(奥地への引越はまだなのだが)、マンションの下の階には犬を飼ってる夫婦(法律婚か事実婚かは知らない(どうでもいい))がいて、そのうちの玄関前を通ると犬がいつも吠え、するときまって奥さんが「こらぁ」と言っていた(「こら」が薩摩弁であることはこないだ記事にした)。犬の鳴き声がご近所問題となることを恐れてのことだろう。まあ、私などは、動物は好きだし、赤ん坊は泣くのが仕事であるごとく犬は吠えるのが仕事であると思ってるから、一日に二三度「わん」が聞こえても気にならないのだが、最近、気にする人が現れたらしく、管理会社がよこした文書に犬についてどうのこうのと書いてあった。そう言えば、以前、珍しく総会に出席したとき、私が「このマンションは規約上ペット可のはず」と言ったら管理会社の担当が「そこんとこはちょっと微妙」と言っていた。微妙もなにもあるものか。たしかに、規約には「犬猫可」とも「不可」とも書いてなくて、だから「微妙」と言ったのかもしれない。動物が嫌いな人もいるだろう。だが、そもそもこのマンションには大昔から犬猫を飼えることを前提として人が集まってきた経緯がある。経緯は大事である。今の管理会社は前の管理会社をクビにした後に委託した会社なのでそういう経緯を知らないのかもしらない。知らないなら勉強してもらいたい。この期に及んで変なことを言わないでほしい。私の管理会社に対する不信感はこの一事から始まったものである。

ところが、その文書が配られたあと、異変が起きた。件の家から犬の鳴き声が聞こえなくなった。それどころか、朝夕、犬を散歩に連れ出す奥さんの姿も見なくなった。管理会社がそのウチに直に何か言って、奥さんが犬を連れて亭主を残して家を出たのだろうか。亭主はどうでもいい。犬が無事であることを祈るワタクシである。

犬の前は、騒音問題について書かれた紙だった。いずれもこの1年間に起こったこと。私がこのマンションに来てから30年余りこんなことはなかった。この1年間で急に住みづらくなった。

かりに、管理会社が、いよいよ強硬になって「管理規約によるとペットは不可」とか言い出したら、そのときこそ奥地に猫を連れてくよい機会である。だが、後からやってきた管理会社や住民の意向でもって、それまで先住民が享受してきた安寧秩序が破壊されるのはまったくもって面白くない。向こうの出方によっては裁判所に訴えてもよい。その場合は「犬猫の飼育を不可とする規約の不存在確認の訴え」と「犬猫の飼育を認める規約の存在確認の訴え」のどっちがよいかなー……と一人でヒートアップしている今日この頃である。せっかく下がった血圧がまた上がるかもしれない。そうなったら血圧を下げる効果のあるナスがテレビで取り上げたせいか急に高くなり入手しづらくなったから大事(おおごと)である。特に効果の大きい高知ナスは売り場で全くみなくなった。


I丸電気、あのねのね他(都知事選)

2024-07-08 16:27:26 | 日記

都知事選が終わったので、候補者何人かについての感想を書く。なお、文章が好意的でも支持しているとは限らないし、批判的でも不支持とは限らない点を申し添える。投票の秘密は憲法が保障した人権であり、私はその秘密をしっかり守る者である。

K池さんは、子育て世代の女性から圧倒的に支持されてるというが、それを実感したのは、ある日バスに乗ってたら近くに母娘と思しき二人連れがいて、娘は子育て中のようだったが、その二人の会話が聞こえてきたとき。
娘:「K池さんの子育て支援策が良い」
母:「……」(良く聞こえなかったが、学歴詐称疑惑についてしゃべったらしい。すると、娘が青筋を立てて)
娘:「だってカイロ大学が『卒業した』って言ってるんだからそれでいいじゃない。(これを3回繰り返した揚げ句)卒業してなくてもいいわ」
なんだ、結局何が何でも支持なんだ。こうした岩盤支持層にK池さんは支えられてるんだな、と思った(私はその層の中に入ってないけど)。

今回の候補者にI丸さんが2名いることに選挙当日に気付いた。間違って投票した人もいたに違いない。私は、I丸と聞くと、昔秋葉原にあったI丸電気とそのCMソングを思い出す。♪Iまるー(ドドミソー)、Iまるー(ファファラドー)って歌である。家電売り場のほか、CD売り場もあってたいそう充実していて、よく通ったものである。

R舫さんは、その昔「二位じゃだめなんですか」と言ってて、それに対する都民の答えは「だめ」だったようだ。三位だったから。

元自衛隊の偉い人だったT母神さんは、「災害に強い街づくり」だとか、子どもが生まれたら「一人目は100万円、二人目は200万円、三人目は400万円、四人目は800万円、五人目は1600万円支給する」といった政策が気に入ったが(後者は倍々ゲームで金額を覚えやすい)、「道徳復活」は困る。私は道徳は苦手である。この一点で票を入れるわけにはいかなかった。

その点、同じく「災害に強い街づくり」を掲げたS水さんは、道徳のことを言わないから気に入った。その昔「あのねのね」というコンビで「♪あかとんぼ……」という歌を歌っていた方だが、思いのほか、全然真面目である。因みに「♪あかとんぼ……」で始まる歌は「できちゃったのは、赤ちゃん!」で締めくくったと記憶している。

ドクターN松さんは96歳でご健在。いろいろなモノを発明された方だが、その代表作のフロッピーディスクは現在まったく見なくなった。あと、テレビでぴょんぴょん跳びはねる靴を自ら履いてぴょんぴょん飛んでおられた姿もよく覚えている。


御器齧の館

2024-07-07 15:20:11 | 日記

Gと言ったらいろいろあるが、やはり二大巨頭はゴジラと御器齧(ごきかぶり)であろう。どちらのGにも幼体がある。そのうち、ゴジラの幼体には大きく二種類あって、ミニラ、ベビーゴジラ等は成体同様に直立二足歩行だが、シン・ゴジラの幼体は四足歩行で威厳のかけらもない。私が「シン・ゴジラ」を作品として好きになれない理由である。以上に対し、御器齧(ゴジラじゃない方のGの語源。食器すら喰らうほどの貪欲な食欲からきている)の幼体は、羽が生えてない点を除きほぼ成体と同じ格好をしている。そんな御器齧の幼体が最近、現住所に出没するようになった。居住を許した覚えはないのにけしからん。成敗してやろう、なにかなかったっけ、と思ってふだん開けない道具箱を開けると、おー、大昔に買った御器齧ほいほいもどき(メーカーが違うから「ほいほい」と称せないらしい)がある。いつ買ったんだろう。10年前、もしや20年前?それでも、組み立てると新築物件だけあってきれいである。

問題はハウスの中に入れる薬剤。賞味期限は大丈夫だろうか。もちろん御器齧の健康を心配しているのではない。御器齧を誘因する香りが残っているかが心配なのである。とりあえず二個セットした。気のせいか、急に幼体が姿を消した気がする。

二個セットしてもまだ五個残ってる。奥地の家に持っていこう……いや待て、奥地の家には守り神がついている。先日、床に巨大な枝のようなモノが落ちていて、こないだ剪定した生け垣の切れっ端か、と思ったら、なんと枝がさささっと右に動いた。錯覚かと思い目を凝らすと今度は逆方向にささっと動いた。巨大な蜘蛛であった。ひえー、私は虫の類いは大丈夫というかむしろ好きなのだが、これは巨大すぎる。出て行ってもらおうと思ってティッシュを探している間にどこかに隠れてしまった。くそう、次来たときは絶対成敗してやるぞと思いつつ調べてみると、タカアシグモってヤツで、「見かけは怖いが」「御器齧を食べてくれる益蜘蛛であり」「人に害を与えない」「だから、見かけを我慢できるならほっとくのがいい」ということであった。そういうことなら、居てもらおう。大いに御器齧を食べてもらおうと方針を転換した。そんなところにほいほいもどきを持って行って守り神がかかってしまったら大変である。だから、ほいほいもどきを奥地に持って行くのは止めにした。

それにしても、御器齧はバカである。動画で見たのだが、仲間がカマキリに食われてる最中におこぼれをもらおうとカマキリに近づいていって一緒に食われた御器齧がいた。極めつけのバカである。それとも、勇気(蛮勇)があるとの評価も可能なのだろうか。それにしても、カマキリは器用である。片っ方のカマで食いかけの御器齧を保持しつつ、もう片っ方のカマでバカ御器齧を捉えたのだから。

そう言えば、先週の朝ドラで酔っ払った判事が食器をかじっていた。その様子を文字にすれば立派な御器齧である。


打首獄門同好会のjunkoさんは同い年

2024-07-05 21:25:01 | 日記

あさイチのゲストに清少納言が登場。大河「光る君へ」のお陰で、清少納言を「せいしょう・なごん」ではなく「せい・しょうなごん」と正しく読む日本人が増えそうで嬉しい。その清の少納言を演じるファーストサマーウイカさんの名前について、「ファーストサマー」は「初夏」でよいとして「ウイカ」とは何?浅学にして「ウイカ」から思い当たる単語がない。初夏の「蚊」?「ウイカ」の「カ」からの連想である。だが、打首獄門同好会の歌じゃあるまいし、ぶんぶんぶんの蚊であるはずはない。初夏の蛍?蜻蛉?いや、分かるはずはなかった。「ウイカ」はウイカ氏の本名の「初夏」であった。すなわち、「ファーストサマーウイカ」は「初夏初夏」(同義反復)であったのである。ところで、演者同士はもちろん、ドラマの中でも紫式部(演:吉高由里子)と清少納言は仲良しだが、史実では、紫式部は清少納言のことを相当に悪く書いている。はたして今後ドラマでそのあたりが描かれるかが見物(みもの)である。

はて、ではなくさて、同じ日のあさイチでウイカ氏に続いてゲストとして登場したのが、日常的な事柄を歌う三人組ロックバンドの「打首獄門同好会」。まずは一曲、ということで歌った歌で目を引いたのが、金髪のロン毛をぶん回し、踊りながらエレキベースを弾きまくるjunkoさん。露出も多い。そして、歌い終わった後のメンバー紹介でこの方の年齢が明かされた。えーーーーーっ?私とタメ?前期高齢者ーっ?なんと、お生まれになった日は私と数日違いであった。最近こそは、元気な高齢者は全く珍しくない。が、たいていは「そりゃー若者とは違うが、お歳のわりには」というパターン。だが、junko氏のパフォーマンスは若者そのものである。いいものを見た。決して、見習おうなんて下から目線ではない。タメだからね。数日違いだからね。同じことができなくてどうする?って感じです。ただ、私も元気で徘徊しまくってるけど、最近は瞬発力に欠ける。昔は短距離走が専門だったんだから、もう少し走るための筋肉を鍛えよう。

その意味では横野君もがんばってる。おかま歌手は年齢による衰えが早くきがちだけど、彼は下向きのベクトルに逆らってがんばってる。性格の悪いバカだけど、そういうところは偉いと思う。


紙の本

2024-06-28 17:35:41 | 日記

「ソフィーの世界」をダウンロードした。これでも、高校生のときは、教科書に出てくる哲学書は一通り読んだ。分かったつもりでいたが、今思うと1%も分かってないと思うので、読み返してみたい、と思っていたタイミングであった。今回ダウンロードしたきっかけは、朝ドラが終わった後も流れでテレビを見てる人にはバレバレだろう。そう、あさイチで紹介してたからである。高知なすを買うのも、「ソフィーの世界」をポチるのもあさイチの影響である。

こんな具合に、最近の読書のほとんどは電子書籍のキンドルで。いくら購入しても部屋は埋まらないし、どこにいてもすぐ読みたい本を読める。そもそもタダの本が多い(いくら著作権が切れていても、紙の本でタダで売ってるモノはないだろう)。だが、一つ気に入らないことがある。ところどころに傍線が引いてあって「何人がハイライト」との表示が出ている。つまり、多くの人が重要箇所だと言ってるとご丁寧にも教えてくれてるのである。だから心して読め!と言うことだろうか。大きなお世話である。だいたい、外国企業はお節介が過ぎる。フェイスブックも、むやみに「お友達に声をかけよう」とか奨めてくる。読んで良かったと思う箇所は自分で決めるし、お友達へのご挨拶だって自分で決める。「お友達」と言えば、バスの車内宣伝放送で、「1歳2歳のお友達、○○幼稚園に入りましょう!」と言っているのだが、幼稚園に入る前からなぜ「お友達」なのだろう、と奇異に感じるひねくれ者で友達のいないワタクシである。

そう言いながら読書生活をキンドルに頼り切っているワタクシだが、こんだけ依存してて、万が一、アマゾンがキンドルから撤退したら、これまでポチったヤツは一切読めなくなる。そんなことがあるものか……いや、つい最近、中国で、キンドルが撤退したそうだ。企業の逃げ足は速い。なんと、パナソニックはブルーレイ・レコーダーの生産を打ち切ったそうな(これは私にとって大事件である。回を改めて書くつもりである)。やはり、読書で最後に頼りになるのは紙の本なのだろうか。デジタル依存は見直した方が良いのだろうか。

だからってわけではないのだが、実は、わが家の本棚の紙媒体もちょこちょこ増えている。例えば、最近買った紙の本はこんな具合である。

こう見ると、最近の私の趣味がよく現れている。山座同定には大きな紙の地図をだーっと広げて定規をあてたいし、凸凹の地形の把握は印刷した地形図で見たい。草木の事典に関しては、私のキンドル端末は白黒だから、カラー印刷の紙の事典の敵ではない。実は、もう一つ紙の本が増える理由がある。奥地に行くときの乗換駅で30分電車が来ないのはざら。そうしたとき、構内にある本屋さんに自然と足が向く。しかも、場所柄、「山歩き」「田舎生活」系の本が、都市部よりもずっと充実している。だからポチる……いやネットではないからポチらない、現物を購入するのである。

わが家の紙の本の絶滅を防ぐかもしれない事象はまだある。わが家には前の仕事の関係で法律の本(紙の本)が腐るほどあったがだいぶ処分した。残したのは偉い先生の書いた所謂学者本である。それも開くことはないと思いダンボールに詰めた矢先に、また読みたくなり、ダンボールから復活と相成った。朝ドラの寅子のせいである。また、資格試験用のレジュメでも書いてみようかしらん。もう人を教えることはないから、誰のためということではなく自分のために。ところで、「偉い先生」の多くは過去の人である。だから、大先生が書いた本は、大概法改正で今では通用しなくなっている。そういう過去の遺物を残して現在通用する法律本を処分してるのがワタクシである。変だなー、と思う今日この頃である。

因みに、法律が改正で通用しなくなるってあたりは芸術と異なるところである。例えば音楽で五度の和音が綺麗なのは自然の摂理であり、お上(おかみ)に綺麗だと思えと言われたから綺麗なわけではない。お上が「これからは五度よりも二度に感動しなさい」と命じても無理な相談である(二度でぶつかるのが好きな人もいるが)。そこへいくと、法律はあくまでも「人の作ったもの」だから、人の手による改正で中身が変わりうるのである。ただし、法律の上位にある憲法となると話は違う。憲法が拠って立つ人権思想は近代以降普遍的である。


独身オーラ

2024-06-16 16:26:56 | 日記

この半年、キャベツを買ってないからキャベツの料理を作ってない。餃子もタマネギで作った。理由はバカ高いから。この物価高の中でも異常な高値である。一個300円なんてキャベツの値段ではない。300円出せば、激安スーパーで弁当が買える。そうしたご時世の中、なんと、今朝、スーパーの朝市に行ったらキャベツの見切り品が一個50円!さっそく手を伸ばすと、近くにいたどこかのお姉様が私の袖を引っ張って「おねーさん、今日は新品が安いんだよ。だから傷がついてる見切り品なんか買わなくていいんだよ」と言う。え?そうなの?で、キャベツ売り場に目を転じると、おお!たしかに!一個99円だ。だが、待て。それでも見切り品の約2倍である。傷が付いてると言ったってちょっと黒いだけ。だから、お姉様に「こっちは50円だからねー。傷んとこなんてチャチャっと切ればいいんだし。それに、私、腐ったモノ食べても大丈夫だし」と言うと、大いに感心した様子で「そうか。そうだね。一人暮らしならそんなに量はいらないしね」と返ってきた。え?私が独り者だってなんで分かるの?独身オーラが漂ってるんだろうか。さらにお姉様のご親切(お節介)は続く。「おねーさん、ほら、同じ見切り品でもこっちの方がいいよ。傷がないよ」と言って別の球を私に差し出す。親切をむげにするわけにはいかないから「ありがとう!」と言って、その球を受け取ってさっきのヤツはコーナーに戻す。でも、さっきのヤツの方が大きい。黒いところを切ってもずっと食べごたえがある。ので、お姉様がどこぞへと引き揚げたのを確認してからコーナーに戻り、元のヤツもカゴに入れ、お姉様のご推奨品もカゴに入ったままでレジに向かった。結局、二個買うことになった。

今夜は、久々の回鍋肉である!

見切り品コーナーでは他にニラとトマトも買ったのだが、そのトマトが買い物袋の中でおされたらしく汁が出ている。もともと見切り品だから傷むのが早い。早々に食べきろっと。

因みに、競馬評論家のスガダイのYoutube番組にときどき登場する女性馬券師が、雑談コーナーで「自分で作った料理をSNSにアップしても(人の心に)刺さらない」と言っていた。では、見切り品コーナーで買った野菜の写真はどうだろうか?なおさら刺さらないと言われそうである。でも、私の心に刺さるのは一流レストランの料理よりも自分で作った出来損ないの料理や見切り品コーナーで売られている破棄寸前の食材である。こうして、記事を書きながら、今日買った見切り品の写真を見て恍惚とするのがワタクシという人間であり、こうした人間であっても、憲法13条によって個人として尊重されるのである。


2番じゃだめでした

2024-06-16 08:46:54 | 日記

昨夜のプロジェクトXは、スーパーコンピュータの速度世界一を目指したエンジニアの物語。世界一?もしかして、今度の都知事選に立候補してる某R氏の有名台詞「2番じゃだめなんですか?」に関係あり?年代を見ると、エンジニアが奮闘してる時期の真っ只中に某R氏が仕切った「事業仕分け」がある。関係大ありのこんこんちきだった。まさに、某R氏は、スパコンの開発費に対してメスを入れようとしたのである。

果たして、番組ではそのあたりのことを詳しく言うのか?いや、都知事選の前だから下手に言ったりしたらそれこそ某R氏に舌鋒厳しく「偏向報道」と非難されそう。すると「事業仕分けの対象になったが続行が認められた」「お金がかかりすぎると言われたことがある」って感じでさらっと流していた。選挙があるからだろうか?某R氏が怖かったからだろうか?これなら某R氏及び某R氏を支持する政党は黙っているだろう。下手に騒いだら、知らない人の知るところになって「墓穴を掘る」ことになりかねない。

以上は、某R氏の「2番じゃだめなんですか?」を否定的に解した場合の話である。否定的にとらえる人ばかりではないようで、某R氏の過去の「活躍」を紹介する際に、この発言が引用される場合がある。「かっこいい」ととらえる人もいるようである。

かくいうワタクシは、某R氏の支持では決してない(「支持ではない」は、「支持はしないが嫌いでもない」「嫌い」の二通りの意味があるが、そのどっちかであるかはここでは言わない。「内心の自由」は憲法19条で保障されている)。そして、このケースにおいては1番を目指すべきだったと思う(そしてそれを実現した方々には脱帽である)。だからと言って、某R氏の「2番じゃだめなんですか?」がそれほどの暴言とは思わない。某R氏は「だめなんですか?」と聞いたのである。ダメだったら「ダメです」と言えばすむことである。あのとき、言われた方はその場では反論しなかった。反論を言ったのは、後で、別の場所で、である。まあ、某R氏の気迫に押されてその場では反論ができなかったのかもしれない。すると、某R氏に対する最も適切なダメだしは「おじさんたちを攻めるときは、もっと優しくしてあげなければダメです」である。

その某R氏も、都知事選で2位ではダメである。競馬は、単勝を買った人にとっては2位ではだめだが、馬連なら2位に入ってくれたら御の字だし、複勝なら3位までOKである。

音楽のコンクールに出てる横野君のお友達とかは、日頃から1位、2位を争う世界で切磋琢磨されていて偉いなと思う。その点、横野君や私の生息地は順位とは無縁の仙境である。


内堀~外堀

2024-06-13 10:23:33 | 日記

江戸城の外堀の見附(役人が番をする見張所)のことを書いたが、見附は内堀にも外堀にもあって、内堀と外堀の見附が直線上に並んでることもある。例えば、内堀に架かる桜田門(「門」は「見附」と同義。以下同じ)から伸びた道(今でいう桜田通り)が外堀(汐留川)にぶつかるところに虎ノ門があるし、内堀の半蔵門から伸びた道(今でいう新宿通り)が外堀にぶつかるところに四ッ谷見附がある、という具合である。外堀の門が突破されても内堀で防ぐという二重防衛システムである。とくれば、その間を歩いてみたくなるではないか。幸い、前日3時間歩いても身体のどこも痛くない。決行である。

まずは桜田門に皇居外苑から向かう。

真ん中に写ってるのが桜田門(櫓門)。この場所(皇居外苑)は一般に開放されているが、一応、内堀(日比谷濠)の内側だから江戸城の「中」である。だから、今私は桜田門を通って江戸城の外に出ようとしているわけである。写真に写っている堀は内堀のそのまた内にある堀であり(二重橋堀)、その内側(西の丸)には普通の人は入れない。今回は、ここを歩いてるうちに記憶が蘇った。学校を出て入った会社が休日にマラソン大会を開いたときの集合場所・スタート&ゴール地点がここだった。戻ってくるランナーは桜田門をくぐって来た覚えがある。

その桜田門の櫓門をくぐると、そこは中庭で、もう一つ門(高麗門。下の写真の右側)がある。

このように、門に入ってから90度折れてさらに門があるカタチのことを「枡形」と言うそうである。その高麗門から覗ける外界がまさに「桜田門外」であり、

井伊直弼が暗殺された場所であり、「犯科帳」の「鬼平」の遥か後輩たちが詰めている現代風番所がそびえ立つ場所である。そうか、こんなだから警視庁のことを「桜田門」と言うのだな。当時からここに警視庁があれば井伊大老が襲われることはなかったかもしれない。

この桜田門外からまっすぐ伸びているのが桜田通り(下の写真で車が渋滞している通り)で、

その先にあったのが、虎ノ門である(虎ノ門も枡形だったそうである)。

その現在の様子がこれ。

撮った位置は白黒の虎ノ門の写真と同じ。すなわち、左右を走る通りは桜田通りであり、右にずっと行くと桜田門にぶちあたる。虎ノ門は跡形もない(石垣の一部がどこかにあるらしいが)。

桜田門外に戻ろう。へー、お堀に白鳥がいるんだ!

ここから内堀に沿って、時計回りに歩を進める。すると、目の前に国会議事堂が現れた。

国会議事堂は、前日その脇を通ったばかりだが、そうか、あっちは裏通りだったんだ。皇居に通じるこっち側が表通りだったんだ。

んなことに感動しつつ、道路は上り坂。そう、江戸城は台地の縁に作られている。実は、この日、皇居に来たついでに大手門をくぐって(その際、持ち物検査があった)皇居東御苑を散策したんだけど、本丸跡に通じる道が上り坂で、そのときも「台地の縁」を実感したのだった。お城を台地の縁に作ると、防御等々で都合がよいらしい。

で、だいぶ上っていって、内堀も随分下の方に見えるようになって、半蔵門らしきものが見えてきた(下の写真の左上に小さく見える色の白っぽい構造物)。

そして、一番高くなったあたりで半蔵門に到着した。

ここは立入禁止である。「半蔵門」の名前の由来は、徳川家康に使えた伊賀者の服部半蔵の家来達がこの門外に屋敷を設けていたことというのが有力説だそうだ。この地からまっすぐ西に行ったところが四ッ谷。その四ッ谷に見附が設けられた。本日の最終の目標はそこであるから、半蔵門を背にして新宿通りを下る。

なだらかな下り坂。ときどき左右の横道に目をやると、相当の下り坂になってるから、この通りは台地の「尾根」を通ってるようだ。そして、四ツ谷駅に至る(前日も来た場所)。

ウィキペディアには「当駅が史跡「江戸城外堀跡」の範囲に建築されていることから云々」とある。200年前のここは水面だったわけである。

さすがに二日続けて3時間歩いた今日は、身体が疲れている。なので、今日は、外をほっつき歩くのはやめて楽器の練習でもしよう……あ、私は楽器をやらないのだった。一瞬、横野君になってしまった。あんな人格に乗っ取られたらたまったものじゃない。気をつけようっと。

 


外堀沿いを歩く

2024-06-12 08:41:48 | 日記

目論んでいた外堀通り闊歩の小旅を敢行。スタートは御茶ノ水。聖橋を渡ろうとすると、眼下に神田川と、これに架かる複数の鉄道橋が見えた。そう言えば、子どものとき定期購読していた「こども科学館」にこの様子が載っていて「見事な立体交差」と書いてあった。今、それを目にしている。なるほど、見事だ。地下鉄の丸ノ内線は地上にその姿を見せるし、

総武線は、左の鉄橋(緑色)を超えてやって来るし、

中央線は、その下をくぐって右に行く。

ラッシュアワーならこの三線を一同にして見ることができるのだろうか?マニアはいい時間帯を知ってそうである。気がつけば、周りにカメラを持った人が集まっている。外国人もいる。観光スポットのようである。

ここからしばらくは、ウルトラマンとハヤタ隊員が一体化するごとく、神田川と外堀は一体化しているから、それに沿って西に向かう。ほどなく水道橋駅付近に到着。遊園地の観覧車は、

こないだ、本郷台地等を闊歩したとき遠くに見えていたソレである。

そして、ほどなくして飯田橋駅付近に到着。飯田橋と言えば、大きな交差点に架かったこれまた大きな歩道橋のイメージだが、これが「飯田橋」というわけではあるまい。すると、駅の東口附近にあった!これが本家本元の飯田橋である。

この交差点のあたりで、ウルトラマンの最終回でウルトラマンとハヤタ隊員が分離するごとく、神田川と外堀は別々の水となり、神田川は直前で北に流れを変えるからこの橋は外堀のみに架かるのだな、この写真の様子からみると、

暗渠になってるのだな、と思ったのだが、後から調べてみたら、この辺りの外堀(飯田橋壕)は埋め立てられ(反対運動があったそうだ)、そこに○○プラザという施設が建ったそうだ。そう言えば、外堀の位置にたしかにそういう名の施設があった。すると、「飯田橋」は外堀の名残のような水面、言ってみれば掃きだめに架かっているのである。掃きだめにツル……ではなくサギがいた(上の写真の下部に小さく写っている)。まっこと、水辺にサギはつきものである。

外堀の水が復活するのは、少し先の牛込橋(飯田橋駅西口付近)の辺りである。総武線・中央線の飯田橋・市ヶ谷間に車窓から見える水面がそれである。

既に、線路&外堀は、皇居を囲むように南西にカーブしている。この水面も拝めるのは市ヶ谷駅を過ぎた辺りまで。四ッ谷に近づくと、水があったはずの谷は運動場になっている。

その後、四谷見附跡(見附(門)=役人が常駐する見張所。江戸時代には外堀のところどころ(牛込、四ッ谷、赤坂等々)に見附が設けられていた。四ッ谷見附の跡で一番幅をきかせていたのは公衆トイレだった。もちろん、もよおしたときはありがたい存在である)を経て上智大学脇のソフィア通りを歩き、紀尾井ホール横の急坂(紀尾井坂)を下りて清水谷公園に行く。台地の中にある窪地(谷)である。すると、そこに石碑があり、「右大臣」の文字が目に入った。おっ、「光る君に」を放送している最中だから、右大臣と言えば藤原の某?と思ったら、明治の元勲・大久保利通公だった。この地で暗殺されたそうで、公を偲んだ石碑だという。案内板を読んだら暗殺について「大久保公を知ってる人で、悲しまない人はありませんでした」と書いてある。
「先生!質問です」
「はい、拝島さん。なあに?」
「大久保利通を知ってる人がみんな悲しんだのなら暗殺者も悲しんだのですか?自分で暗殺しといて悲しむっておかしくないですか?」
「あなたね、そんな屁理屈を言ってるとろくな大人になれませんよ」
「『ろくな人』ってどういう人ですか?いい人のことですか?」
「あなた、もう学校に来なくていいから」(退学)

さらに歩を進めると赤坂見附に出る弁慶橋。ここら辺でまた外堀の水が復活している。

が、外堀の水はここまで。江戸時代には、この先に溜池、さらにその先には汐留川があって、それが外堀を兼ねていた。溜池から汐留川を経て浜離宮に至るルートは過日歩いたので、本日の外堀巡り歩きはここで終了。国会議事堂を拝んで帰ろう、と思って、日比谷高校に通じる新坂を上る。

これはかなりの傾斜である。ここを三年間上った日比谷高校の生徒さんはさぞや足腰が鍛えられることだろう。国会議事堂の周りにはおまわりさんがたくさんいた。

おまわりさんを見ると、なんとなく心がざわつく小市民のワタクシだけれど、臆することはない、国会議事堂は国会議員の仕事の場、国会議員はわれわれの代表者である。だから、国会議事堂はわれわれの庭である。

歩いた時間は、写真を撮りつつで3時間。残存している外堀は全部歩いた。江戸時代の外堀の全体から見れば半周くらいだろうか。あっと言う間に回った印象である。駅を過ぎるとすぐに次の駅が現れる感じである。東京の中心部の成り立ちが少し分かった気がする。

さて、地下鉄の国会議事堂前駅から地下鉄に乗って帰路についたのだが、いい機会だ、綾瀬で下りずにそのまま乗って、かの川を越えて禁断の地に足を踏み入れてご無沙汰している中華に行こう。で、実行。例によってムースーローの玉子の量は多いのだが、

小バエがたくさんいた。紹興酒を入れたグラスがいやな臭いがしたのは体調のせいだろうか、ドクダミの食べ過ぎだろうか、ドクダミの食べ過ぎで体調がおかしくなってるのだろうか。家でも洗い方が足りないと感じる臭いである。ここを密会の場にする案は白紙にした方が良さそうだ。


千葉のじゅんじゅん

2024-06-10 10:10:53 | 日記

台湾で大地震が起きたとき仮設住宅が素早く建ったのを見て、すごい、日本よりずっと進んでる、日本が先進国というのはもはや夢、昔日の栄光であり、いまや後進国だ、と思ったのだが、一昨日の「カネオくん」で紹介された災害時用の日本のテクノロジーを見ると、なんだ、日本もすごいじゃないか、単にわれわれが知らないだけじゃないか、と思いを新たにした(知らない理由は報道されないからである。良いことは報道されにくいのだろう)。

だが、IT関係はやはり周回遅れか。数年前にイタリアに行ったとき、ヨーロッパ特にイタリアなどは過去の文化遺産で食ってる古い国というイメージがあったが、どこもかしこもペーパーレスでびっくりした。逆に、外国の人は、日本が技術先進国だと思って来てみると旧態依然としててびっくりするのだそうだ。その原因の一つは、IT化に向けて国を引っ張っていくべき政治家等にITが苦手な人が多いせいじゃないかと思う。いつまで経っても紙にこだわっている。そう言えば、私は数年前まで法務局や裁判所に関係する仕事をしていたが、せっかくオンライン手続が用意されても、結局、役所の方でそれを紙にプリントして処理していたっけ。

「紙」と言えば、もう随分前になるが、年金のことが問題になり、当時の野党がしきりに「紙データをあたれ」と言っていた。そのすぐ後に政権交代が起きた。その数年後に再度政権交代があって今に至っているのだが、この後はどうなるのだろうか。ちょっと政権交代は起きにくいかな、という印象を持っていたが、最近の補欠選挙等ではのきなみ与党が負けている。

ITと言えば、なんと言ってもインド。グーグル等々アメリカの名だたるIT企業のトップの多くがインド出身である。そのインド、今や、人口は14億越え。中国を抜いて世界一である。そして、平均年齢が28歳!未来はインドのためにあると言っても言いすぎではない。いっとき、人口が増えすぎると食糧問題が起きてよくないように言われた時期があって、だから中国も一人っ子政策を採ったりしていたが、実は、私は経済学科出身で、しかもゼミは人口経済学で、そこで「人口が多いことが経済発展につながる」と習っていたから、人口増を悪のように言う世間に懐疑的だった。そうしたら今になって、人口が減ってる、えらいこった、と言っている。

インドについて、以前われわれが持っていた貧困や非衛生のイメージは、もはや過去のものである、と誰かが言っていた。そりゃあ、そうだろう、と思ったが、今朝の「あさイチ」でインドを特集していて、ミドル層が住む住宅の家賃は2万円くらいと言ってたし、貧困層が住むエリアでは水道が通ってないと言うから、ちょっと進みすぎたイメージは修正する必要がありそうだ。MCの大吉さんがインドを旅行したとき「とにかくうるさかった」という経験談は真実味があった。渋滞する車がとにかく譲らずクラクションを鳴らしまくるらしい。因みに、北部インド人は、人種的にはインド・アーリア語族に属し、ヨーロッパ人と同じである。

実は、私の40年以上前の就活において、相思相愛で入社直前までいった会社があって、結局、そことはご縁がなかったのだが、その会社が後にインドでビッグビジネスを成功させたので、あー、もしこの会社に入ってたらインド駐在になってたかもしれないなー、と時々思う。

その「あさイチ」なのだが、今日、「千葉県のじゅんじゅん」って人からの質問コメントが紹介されていた。「インドでお奨めのヨガポーズはなに?」と言うものだった。私、千葉県のじゅんじゅんって人を一人知っている。美女の歌姫である。彼女だろうか?

因みに、NHKの山内泉アナウンサーと出身が同じ静岡の知人(こちらも美女の歌姫)がいて、お顔も山内アナウンサーと似てるので、これはもう親戚に違いない、と思ったのだが、その知人から「違う」というコメントをいただいて、こちらの疑惑(?)は解消している。


続・マンション脱出計画

2024-06-05 07:00:25 | 日記

多くの人は都会での生活があるからそうやすやすと奥地に引っ込むわけにはいかないだろうが、私は諸活動から撤退に次ぐ撤退をして現在ほぼ仙人であるから奥地に行っても支障はない(つうか、仙人は奥地に住むものである)。にもかかわらず、なぜすぐに引越をしないか?理由の一つは猫である。

当初、15歳の猫に引越は負担だと思っていたが、猫の15歳は人間の75歳。今や75歳は青春真っ只中である。逆に、広くなった家の階段の上り降りは猫にとっても楽しいのではないか。走る際「ドドドド」と轟いても騒音の心配は無用である。

それでもためらわれるのは運搬のこと。運ぶなら二匹をいっぺんにしないといけない。一匹だけ先に、となると、残りの一匹を移すまでの間、私は毎日往復6時間かけて二箇所を行き来しなければならない(そこが、病院に連れて行くのと違うところである)。だが、どこかに移動するという気配は猫に分かるらしく、このように呑気にくつろいでいても、

キャリングケースを見た途端、一転超警戒モードになり、捕獲は至難の技となる。かろうじて一匹をだまくらかせたとしても、その瞬間、もう一匹は奥に隠れて当分は出てこない。するとその日のミッションは失敗となり、先にとっ捕まえた方はリリースせざるを得ない。こうして失敗が重なるたび、猫どもはいよいよ慎重になって、ますます捕獲が困難になるのである。

いったいなぜ二匹がこういう性格になったのか?逃げたペットの猫を専門業者が「保護」する様子をテレビで見たことがある。エサでおびき寄せて、やって来たところをセットしてあったネットをかぶせてとっ捕まえていた。ネットにからまった猫はまるで魚網にかかった魚のように暴れていた。ウチの二匹は保護猫である。だから、こういう体験をしてトラウマになっているのかもしれない。母猫と兄弟姉妹がいただろうにこの二匹だけ「保護」されたのは、とりわけ食い意地が張ってるからエサにつられたものだと容易に想像できる。

そう言えば、猛獣を動物園間で移すときは麻酔で眠らせる。猫にまたたびを与えて酔っ払っているうちに運搬というのはどうだろう。だが、急性またたび中毒になっては大変だ(そういう症状の有無は知らないが)。無理は禁物。そもそも大事なのは、猫2匹と人間1匹が一日一日をつつがなく過ごすことである。

考えてみれば、うちの2ニャンと私に血縁はない(考えなくてもわかる)。にもかかわらず、運命共同体になっている。これぞ「袖触れ合うも多生の縁」である(「多少」ではなく「多生」だということを今知った。意味は、「多くの生を経る間に結ばれた因縁」である(大辞林)。「多少」よりよほどありがたい。因みに、私が広辞苑ではなく大辞林を引くのは、20年前に買ったシャープの電子辞書がいまだ健在で、その中に入ってるのが大辞林だからである)。

引越に踏み切れない理由は、実はもう一つある。前回書いたように、奥地の家購買の理由の一つは荷物を置くことであった。だが、上から下までがら~んとしていて音が響き渡る現在の奥地の家が大層気に入っていて、そこを荷物で埋め尽くすことが憚られる。いっそのことマンションの方を荷物倉庫にしようか、そもそも荷物(ほとんどがCD,DVD)が必要なのか、と思うこともある。そこんとこの方針が決まらなければ引越はできない。

以上が、若きウェルテルでない私の悩みである(「でない」と否定するのは「ウェルテルであること」であり、「若い」を否定するものではない)。「独り」は、自分の意思を通せる点はプラスであり、自分一人の浅知恵でなんでも決めなければいけない点がマイナスである。


マンション脱出計画

2024-06-04 10:34:01 | 日記

そもそも私が奥地の家を買ったのには大きく二つの理由がある。一つは現住所がモノであふれかえっているのでスペースが欲しかったこと。もう一つは現在のマンションから逃げ出したかったことである。

マンションから逃げたい理由は以下のとおりである。

1.建物が老朽化して水回りが心配なこと。漏水して被害が階下に及ぶと賠償問題になる。

2.だったら大規模修繕をすればいいと言っても、住民が高齢化して年金暮らしが大半を占めるようになると積立金が積み立てられない。それどころか管理費の滞納も生じる。その結果スラム化が進む。

3.近隣トラブルもある。マンションに付きものなのは騒音問題。しかも、マンションは構造上変な音の伝わり方をするから原因の特定が難しい。文句を言われた住民が「ウチじゃない」と言って怒ったりする。そうかと言って注意喚起のビラが一斉に配布されたりすると住民同士が疑心暗鬼になる。騒音問題以外にも、こんな話があった。あるお宅のピンポンがしつこく鳴ったので出てみると同じマンションの住民(かなりの高齢者)が鬼の形相で立っていて「ウチのピンポンを押すな」と言う。なんでも、自分ちのピンポンが鳴ったので出てみると誰もいないので同じマンションの住民の仕業だと思ったそうな(思うかっ)。ピンポン・ダッシュは人んちのピンポンを押した後ダッシュで逃げるから「ピンポン・ダッシュ」である。どこの世界に近場で押すヤツがいるものか。と説明されると、鬼の形相だった高齢者は「すみませんでした」と謝って帰ったというから、一応の理解力はあるらしく、認知症かどうかは定かではない。いずれにせよ、この人がピンポン・ダッシュに遭ったことはまっことお気の毒であり、一次的には被害者であるが、よそのウチのピンポンを押したことで、二次的に自分が加害者になったわけである。もちろん、一番悪いのはピンポン・ダッシュの犯人であり、ウチもたまに被害に遭っている。

4.環境も悪くなった。当マンションの南側の道路が拡張され、交通量が各段に増えた。加えて、道路沿いに新たにバイク屋さんができて巨大なバイクがすさまじい音を轟かせてやってくるようになった。

そこに持ってきて、道路拡張の余波で道路とマンションの間にあった家が撤去されたから、道路とマンションが直接接することになった。お陰で騒音はこれまでの比ではない。テレビの音がまったく聞こえなくなることもしばしばである。因みに、奥地の家は、たまーに車の音がすると、あ、ウチ宛ての宅急便が来た、と分かるくらい静か(辺鄙ともいう)である。

5.そして管理会社がバカである。管理会社が提案した管理規約変更内容に「理事に欠員が生じた場合は、理事が選任できるものとする」というのがあった。これは、国会議員を国会議員が選挙するごとく、あるいは取締役を取締役が選任するごとく、全くの背理である。かてて加えて、総会議事録の写しを各戸に配るのを止めて、見たいヤツは管理会社まで見に来いと言い出した。だから、この規約変更が可決決定したのか、それどころか次期の役員が誰になったのかいまだに分からない。そんな管理会社でも辞められると困るから誰も文句が言えない。管理料の値上げも管理会社の言いなりである。

こう書いてみると、逃げ出したくなるのも当然である。逃亡先も奥地に確保した。にもかかわらずすぐに引越ができない理由があるのだが、ここまで随分の量を書いたから、そのことは回を改めて書くことにする。


火災保険/漱石は華族と金持ちがお嫌い?

2024-05-31 13:05:18 | 日記

寅子が憲法14条を読んだ中に「(前略)門地によって(中略)差別されない」って部分があった。そう、だから門がない、又は小さいからと言って人は差別されないし、地面(庭)が猫の額であっても差別されないのである。

だが、人は立派な門が欲しいのであろうか。近所に、普通の家で庭も私の奥地の家とどっこいくらいなのに門だけやたらに立派(屋根付き)なお宅があった。

なお、都会のマンションの敷地は居住者の共有(例えば100戸のマンションなら100人の共有)だから、各人が土地について有する資産価値はうんと小さくなり、その結果固定資産税の土地分も小額になるのだが、私の場合、なんと、現住所のマンションの固定資産税は奥地の家(曲がりなりにも一戸建て)のそれよりも高い。私の現住所は23区の中でも最も地価の安い地域であり、建物だって築40年でほぼ無価値であるにもかかわらず、である。どんだけ奥地が安いか、ということである。

そんな奥地であるが、ガスも引いたことだし、このたび火災保険を付けた。全ての手続をネットでできる会社があったのでそこと契約した。登記事項証明書(登記簿謄本)くらいは現物を郵送するのかな?と思ったら、それすらもデータ送信で間に合い、完全にネットだけで手続が完了した。保険金額(火事のときもらえる金額)は、売買代金を元に算出する方法もあったのだが、それだと私の場合ただ同前なので参考にならない。なので、平米数から算出する建築代金を元にした。すると約1500万円であった。そうか、新築するとしたら1500万円くらいか……まあ、全焼してしまったら仕方がないが、そうでない限り、今の建物にがんばってもらうつもりである。雨が漏ったら洗面器を置くつもりである。

憲法14条には続きがあって、「華族その他貴族の制度はこれを認めない」とある。寅子の勉強仲間に華族のご令嬢がいたが、あの人はどうなったのだろう?華族と言えば、夏目漱石は、金持ちと華族が大嫌いだったようで、小説にその悪口がよく登場する。金持ちと華族がお金と地位にモノを言わせて学問の分野にまで口を出してくるのが気に入らなかったようだ。かと言って、平等主義ってわけでもなさそうで、こと学問については自分達の領分なのだから他の人は入ってくるな、といかにも上から目線である。特に、車屋と下女については上から目線も極まれり、である。因みに、漱石はその随筆に「播州の岩崎という人に不愉快な思いをさせられた」と書き、岩崎某との間に起きた事を細かく書いている。「仮名」ともなんとも断ってないから実名なのだろう。実名でよくこんなことを書くなー、と思ったのだが、一つ思い当たった。漱石は当時の金持ちの代表として「三井、岩崎」の名を挙げている。「岩崎(弥太郎)」は今の三菱である。漱石を不愉快にさせた岩崎某は財閥の岩崎とはなんの関係もないが、「岩崎」の名前から金持ちの財閥を連想して、それがきらいなものだから「不愉快な想い出」を書くに至ったのではないか、と勘ぐったワタクシもなかなかの下司である。