拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

本音と建て前

2021-02-04 09:09:02 | 日記
わたしだってコロナは怖い。かかりたくない。だが、経済を回さなければならないこともホントである。今や多くの飲食店は青色吐息。いや、飲食店だけでない。納入業者も旅館も美容院もクリーニング店もぎりぎりの状態。老舗の川甚は閉店してしまった。長く守ってきた暖簾も下ろすのは一瞬である。また、夕方の番組で私と同い年の独居男性を紹介していた。コロナ禍で店を解雇され収入はゼロ、頼みの貯金が20万円……いつも、ニュースの後に気の利いたことを言って人気のMCも絶句していた。だから、経済は回さなければならない、危険なのは飛沫と言うのなら、営業休止や時短を求めるのではなく、客に会話中のマスクを義務づけるとか、大声での会話を禁止するとかして、違反した客には退店してもらう、それこそ警察を呼んで過料を払わせるとかすればいいと思う。私は、ときどきファミレスで居眠りをすると必ず店員に起こされる。以前、電車がなくなったんで郊外のガストに入ったときなんざ、寝てるのを起こされたうえ「出て行ってください」と言われて追い出された。寝ている客を追い出せるんだったら、マスクをしない客だって追い出せるだろう。だいたい、店には夜8時まで営業していいよ、といっておきながら、国民には家から出るなというのはなんなのだ?矛盾ではないか。その真意をかんぐりたくなる。ホントはロックダウンにしたいのだが、そうすると補償金を払わなければならない、その財源はない、だから時短営業ということにしているが、実質ロックダウンだから家から出るなと言うのならそれは業者の見殺しである。または、ステイホームを呼びかけても必ず一定数のはみ出し者(私のような)が周りの白い目を顧みずに出かけるはずだ、それをひそかに当てにしている、それで最低限経済を回そうと考えている。うーん、日本ならありそうなことである。本音と建て前の国である。例えば、ある業種の営業許可をとるには、一定の実績が必要である。ところが、許可前は、適法に実績を積むことができない。だから違法に営業して実績を積んでから始末書を書いて許可をもらう。変だなと思う。それから、仏教では殺生を禁じている。動物に限らず植物だって生物だから野菜を食べることも厳密に言えば殺生でありこれもダメなはずである。けれども、一般の人が残して捨てる物なら捨てるより食べる方が供養になるからそれを托鉢でいただいて食べるのはよい、という話を聞いたことがある。だが、それって一般の人に殺生をしてもらうことが前提である。みんなが坊さんだったら食べられるものは皆無である。この問いにお坊さんはどう答えてくれるのだろう(半世紀抱き続けている疑問)。因みに、私は今でも夕方よくサイゼリヤに行くのだが(なんだか家にいると鬱々として料理する気にならない)、客はみな意識が高い。みんなマスクをしている。こないだ、ガッハッハという馬鹿笑いの声が聞こえてぞっとした。来なきゃよかったと思ったが(だから私だってコロナが怖いんだって)、こわごわそちらの方をチラ見すると、それは四人の若者集団で、みんなマスクをしていた。