拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ルーク受難曲の楽譜が発見された(と書けばジャニュアリー・フール)

2023-01-31 09:18:33 | 音楽

土曜日にロ短調メッセ曲を聴いた後のウォーキングで「けっとばし屋」の前を通ったことは書いたが、そのあたりを別角度で撮った写真をあらためてみると、手前から、ハンバーグ、桜肉(けっとばし)、鳥豚鍋、そして牛丼と続いていて、種類は違えどまさに「肉街道」である。

昨日の記事で、左のこめかに出血の後があったことを書いた記事の続報である。災害の被害は日を追って拡大すると言う。ワタクシの場合も、左足をすりむいていたことが判明。ダメージは左半身に集中している。玄関に新しい血痕も発見した。ドアを開けて玄関に倒れ込み、その際、左半身を打ち、かつ、ポーチの中身をぶちまけた、というストーリーが一番自然である。ま、しかし、これまでの人生を考えれば、些細な出来事である。最近、入れてもらった合唱団の練習で山手線と地下鉄が連絡している某駅に行っているのだが、地下鉄の階段を見ると、学生時代、ここを頭から転落したことを思い出す。映画「蒲田行進曲」に「階段落ち」のシーンがあるが、私の場合はあんなものではない。最後に着地したのは脳天である。それから2週間は口が開かなかった。その際は出血はなかった。出血を伴う出来事と言えば、それより10年くらい後の常磐線の某駅前。こけて道に倒れ込んだのだが、帰宅して鏡を見るとお岩さんの男性版が映っていた(その光景が恐ろしくて失神しそうになった)。翌日、現場に戻ってみると、血痕が残っていた(犯人は現場に戻る、と言うが、被害者も現場に戻るのだろうか)。このことから二つのことが言える。一つは、こういう経験を重ねるたびに確実に脳細胞が切れて一層頭が悪くなった、ということ。もう一つは、それでも死なないできたのだから相当に頭蓋骨が丈夫だということである。

話は変わる。映画「天使と悪魔」を見ていて、人物は「ルーク」と言ってるのに字幕が「ルカ」となっているのを見て、そうか、「ルーク」はルカ受難曲の「ルカ」なんだな、ということを初めて知った。そのことを確認しようと思って「ルーク」でググると、「ルーク・スカイウォーカー」ばかりがヒットした(因みに、昨日「千鳥足」のことを書いた際、チドリのことを知ろうと思って「千鳥」でぐぐったらお笑いの千鳥ばかりがヒットした)。そのルカ受難曲だが、バッハが作曲したのはたしかだが楽譜が失われている。もし、それが発見されたら、これはその世紀を代表する大ニュースである。もし「発見された」と今日書けば「ジャニュアリー・フール」。明日なら「フェブラリー・フール」である(競馬ファンが「フェブラリー……」で思い浮かべるのは「フェブラリー・ステークス」)。ふと思った。「ウソ」なのになぜ「ライ」ではなく「フール」なのだろう。と思って英和辞書(20年前に買ったシャープの電子辞書に内蔵)でひいてみた。「fool」には「ばか」のほか、「おどける」「ふざける」「冗談を言う」と言う意味があるという。そうか、すると「エイプリルフール」は「4月のウソ」というよりも(ましてや「4月バカ」ではなく)、「4月の冗談」ってニュアンスなのだな。おお!このことはドイツ語で一層明らかである。「エイプリルフール」はドイツ語で「Aprilscherz」と言うそうだ。「Scherz」はまさに「冗談」の意味である。因みに「ウソ」は「Lüge」である。

なお、楽譜が失われたのはバッハのルカ受難曲である。シュッツの同名曲の楽譜は現存しており、シュッツ会でも以前歌ったことがある。

 


吾輩は酔っ払いである。名前はまだない(ウソ)

2023-01-30 17:25:06 | 日記

そう言えば、♪おらーは、よっぱらっただー……って歌があった、いや、アレ(フォーククルセイダースの「帰ってきた酔っ払い」)は「しんじまっただー」だった。だが、酔っ払って死んじまったんだから方向性は同じである。昨夜のワタクシだって、北綾瀬から歩いた30分はとてつもない千鳥足だったから、そこに車でも来ようものなら歌の通りであった。因みに、この歌では、天国は「さけはうまいし、ねーちゃんはきれいだ」そうだ。そう言えば、神々の長ヴォータンがおわすヴァルハラ城では、戦地から連れてこられた勇者たちは「ヴォータンの娘から杯を受ける」(オペラ「ヴァルキューレ」でブリュンヒルデがジークムントにそう言っている)。これを意訳すれば「さけはうまいしねーちゃんはきれい」である(ワタクシは手酌派であるけれども)。

千鳥足と言えば、この日の昼(まだ酔う前)、道に小鳥が舞い降りた。

チドリではないようである。いつからか、小鳥が人間を怖がらなくなった。人間もなめられたものである。もし、パパゲーノが劇場の外に出て小鳥をとっつかまえたら、鳥獣保護法違反でおまわりさんにとっつかまるのはパパゲーノである。

さて、この日の惨状は、翌朝、家の玄関を見て明らかとなった。財布、スマホ、キンドル端末その他諸々の品々がぶちまけられている。だが、スマホの画面は無傷。10年前にスマホデビューをしたときの端末を買ってすぐに飯田橋のサイゼリヤのトイレで落として画面がひびだらけになって悲しい思いをしたので、以後、必ず保護シートを張っている。キンドル端末はもともと調子が悪かった。昨年、買い換えたのだが、ページをめくるべく画面をタップしても元のページに戻ってしまい、ちっとも先に進まない。もしかすると昨年のお買い物の中で一番のハズレだったかもしれない(どこかでこのことを書きたかった)。以前は、酔っ払うたびに眼鏡のレンズを割っていたが、レンズがプラスチック製になってからはそれもない。で、品々をかたづけて玄関の元の姿が現れたのだが、あれ?どうも変だ。あっ、靴の片っ方がない。

あわてて家宅捜索。発見したのはちょっと離れた床の上。結局、物損はなくて済んだ模様。ふと、こめかに手をやると、なにやらザラザラしている。鏡を見る。な、なんとカサブタができている。出血したらしい。それが分かった途端に、急に痛みも出始め、重傷者になった気分(病は気から?)。道で転んだか?電柱にぶつけたか?捜査は、その原因の究明に切り替わった。現在のところ手がかりなし、である。なお、患部の写真の掲載は差し控えるが、代わりに、近所の畑に植わっていた赤い大根の写真を載せよう。

ちょっと戻って、玄関の惨状を見たときに詠んだ歌。「げんかんや よっぱらいどもの ゆめのあと」


メッセ帰りに「さすらい」を歌う

2023-01-29 12:01:10 | 音楽

その「ミサ」のことなのだが(承前)、「ミサ」はドイツ語で「メッセ」(Messe)。この「メッセ」には「見本市」「年の市」の意味もある。「幕張メッセ」はそっちの意味だろう。ミサも見本市も大勢が押しかけるところが同じ。ドイツ人が「メッセに行く」と言った場合どっちの意味かは状況・文脈によることになろう。昨日のロ短調のメッセには、まさに大人数が集まった。因みに、「ミサ」は英語では「マス」。「マス・ゲーム」の「マス」と同じであり、やはり大人数である。

昨日も書いた通り、メッセを聴いたあと、西に向かって地下鉄4駅間を歩き、綾瀬駅前でピッツァとヴィーノ(急にイタリア語。まあイタリアンのお店なので)を胃におさめた後、さらに4kmの道のりを歩いて帰宅。早足でもくもくと歩くその様子は、まさにドイツ語でいうところの「Wandern」であり、そのように歩きながら歌うには、シューベルトの「Wandern」(「水車屋の娘」の第1曲)がぴったりだ。以前も、この曲の邦題が「さすらい」と訳されてることに異議を申し立てたワタクシだが、「Wandernが粉屋の愉しみ」(1番)だとか「Wandernが私の楽しみ」(5番)とか歌いながらいい気分でwandernしてると、ますます「さすらい」じゃないよな、と思う。

「もくもくと歩く」と書いたが、途中、景色を撮るために立ち止まったりはする。最近、よく撮るのは野鳥。例えば、(昨日撮ったものではないが)近所を流れる綾瀬川を泳ぐ鴨などはよい被写体である。よくみると、いろんな鴨がいる。例えば、黒いこれだとか、

頭が茶色のこれだとか。

鴨と言えば、今朝、NHKで自然番組を放送していて、空中をホバリングするオオタカが鴨を狙っていたが、鴨が危険を察知して水にもぐって「助かりました」。だが、そうやって助かった鴨を捕まえて食べるのは人間だったりする。私などは、自分では鴨はとらないが(普通の人が野生の鴨をとっつかまえると鳥獣保護法違反で自分がとっつかまる)、鴨のオレンジ煮は大好物で、合鴨じゃあ物足りないってことで、わざわざ本鴨肉を買いに遠出をしたこともある。

一点、昨日乗せそこなった写真を。新大橋で隅田川を渡ったことは書いた。その新大橋は吊り橋である。下から見上げる支柱はなかなかに壮観であった。

因みに、昨日稼いだ歩数は1万6000歩。2万歩に足らなかった。もっと歩いとけばよかった。この点だけは、心残りであった。


ろたんちょう

2023-01-28 21:46:11 | 音楽

今日、J.S.バッハのミサ曲ロ短調を聴きに行った。

冒頭、チェンバロがソロで弾き始め、あれ?ロ短調ミサの他に別の曲があったっけ?と思ったら、ロ短調のミサの導入だった。音取りの意味があったようだ。そうやって始まったミサ曲はテンポがかなり速い。だが、最近はやりの古楽奏法とは一線を画していて、とーっってもSanft(優しい)な音。心に染み入りました。終わった後も、直後に「ブラボー」と叫ぶような輩はおらず、もう、このまま、ほんわかした心持ちで家路についてもいいくらい、と思ったのが、じょじょに拍手が湧いてきて、なんだかドイツの演奏会のようでありました。

あらためて、クレドなどは物語だなー、と。「Ex maria virgine」(乙女のマリアから生まれて)、十字架にかけられて、悲しい和音が響く。だが、はじっこではおもむろにトランペットが起ち上がってる。そう、この後は華々しい復活のシーンであった。思わず「Ex maria virgine」はドイツ語でどう訳すんだろうか?と考える。「ex」=「aus」は問題ない。マリアも固有名詞である。問題は「virgine」。ドイツ語の直訳は「keusch」だが(そういうことばかりよく知ってる)、意訳で「Jungfrau」にする、という手もありそうだ。

この公演で、目立ったのは、男性のソリスト(CT、T、Bs)のズボンが細かったこと。もともとおみ足が細くてらっしゃるんだろうが、ズボンもあえて細くしてるんだろうか。それが昨今の流行なのだろうか。因みに、私の高校生、大学生の頃はベルボトムが流行っておりました。

曲名について。普通で言えば「ミサ曲ロ短調」なのだろうが、「ロ短調ミサ曲」ということがある。おろ?ちらしもそうなってる。これって、業界の人が「チーズ」を「ズーチー」と言うノリ?まあ、ベートーヴェンの「運命」だって「ハ短調交響曲」と言うものね。作曲者を言わずに「ろたんちょうみさ」と言っても、ほとんどの人はJ.S.バッハと分かるだろう……が、ホントにそうだろうか?他のロ短調のミサ曲でいい曲ってなかったっけ。まず、ミサ曲がさかんに作られていたルネンサンス期はそもそも調性の概念がない。ジョスカン・デ・プレのミサ「パンジェ・リングァ イ短調」なんて誰も言わない。そもそも言ってはいけない。あの頃、ピッチは場所によって違うし、そもそも主音は刻一刻と移り変わるから調性の概念はない。調性が確立した後、ハイドンとモーツァルトがたくさんミサ曲を書いている。たが、手元の資料にはロ短調は見当たらない(ハ長調がやたらと多い。あの圧倒的な「ジュピター」も(ミサではないが)ハ長調である)。だから、一般に、「ロ短調ミサ」と言うと、J.S.バッハのミサ曲を思い浮かべるのである。

因みに、室内合唱団のわれわれの代で「ディー・ヒムメル」(Die Himmel)というと、シュッツの「宗教的合唱曲集」の中の一曲を思い浮かべるのだが、そうはうかうかしていられない。同じ詩編を歌詞に持つ曲はバッハのカンタータにもあるし、ハイドンのオラトリオの中にもある。さらにでござる。シュッツだって、結構同じ詩編に複数回作曲している。例えば、「Die mit Tränen」だって「宗教的…」のほか、若い頃の「ダヴィデ詩編曲集」の中にもある。もしや、Die Himmelも?ありましたぞな。その後の歌詞は違うけど、冒頭「Die Himmel」で始まる曲が!

さて、幸せな気分につつまれてホールを後にし、時間がまだ早かったので、ひたすら西に向かって歩く。途中、けっとばし屋を見、

新大橋で隅田川を渡り、

4駅間くらい歩いたところで観念して、地下鉄に乗って、綾瀬まで戻ってイタリアン。「本日のジェノベーゼ・ピザ」をいただきました。

もちろん、お1人様。カウンター席を勧められたんだけど、テーブル席を希望してそっちに座ったら、後から来たお一人様の女性客が私が座るはずだったカウンター席に陣取って、なじみ客らしく店員を相手に延々とここ数日身に降りかかった不幸話をしていた。その店を後にしたワタクシは、さらに4km歩いて帰宅。

そう言えば、私がいた頃の室内合唱団の団内誌のタイトルは「ハモル」だったっけ。もちろん「ロ短調」と「ハモる」をかけたものである。


ご褒美

2023-01-28 18:02:53 | 音楽

チコちゃんで、どっかの先生が「豚肉を飼育」と言っていた。肉は飼えない。だが、いくらでも撮り直しがきくだろうにしなかったのは、NHKが「これも一興!」と思ったのだろうか。そう言えば、カラヤンは完全主義者で知られるが、ボエームの第2幕の最後でトランペットが派手にはずしてるのをそのままレコードにした。これも、スタジオ録音だからいくらでも録り直しが聞くだろうに、実際、自分の気に入る音が鳴るまで何度も何度もテイクを重ねたカラヤンにもかかわらず、あえてそのまま出したものである。そう言えば、カラヤンは、後年、「完璧な演奏よりも、どこかに傷がある方が面白い」と言うようになった。そのことが思い出される。

あと、今回のチコちゃんで、白く濁ったとんこつラーメンの製法を開発した人(以後「開発者さん」と呼ぶ)が製法を秘密にせずみんなに教えまくった行為を「偉い」と評していた。だが、技術を開発したエンジニアが経済的に潤わないところに、技術立国のはずの日本の今日の低迷がある、と言った人もいた。思うに、開発者さんがとった行動を「偉い」と評するのは日本的である。村中で協力しあって農作業をしてきたわが国では、スタンドプレイよりも利他の精神が貴ばれるのであろう。因みに、個人主義が徹底していると言われるフランスのオペレッタ「天国と地獄」に「世論」が出てくるのは意外である。フランス人も、まったく世論を気にしない、というわけではないようだ。

「天国と地獄」と言えば、レハールのオペレッタ「メリー・ウィドー」には、近年、きまって曲中に「天国と地獄」の音楽(♪かすてらいちばんでんわはにばん……の音楽)が登場する。あれは、ウィーンのフォルクスオーパーが始めて広まったらしい。そんなことを言い出したら、オペレッタの「こうもり」の上演の際も、当たり前のように、ポルカ「雷鳴と電光」が演奏されるが、別の曲である(作曲者は同じヨハン・シュトラウスだけれども)。

冒頭の話に戻る。開発者さんはとんこつラーメンの製法の特許をとらなかったから、経済的には損をされたかもしれないが、番組では「キャバレーでもてた」と言っていた。それがホントならご同慶の至りである。かりに、特許をとられたとしても羨ましいとは思わないが、おもてになったのならそれこそ最高のご褒美、垂涎である(どこが仙人かっ、のワタクシである)。


ご褒美

2023-01-28 10:01:20 | 音楽

チコちゃんで、どっかの先生が「豚肉を飼育」と言っていた。肉は飼えない。だが、いくらでも撮り直しがきくだろうにしなかったのは、NHKが「これも一興!」と思ったのだろうか。そう言えば、カラヤンは完全主義者で知られるが、ボエームの第2幕の最後でトランペットが派手にはずしてるのをそのままレコードにした。これも、スタジオ録音だからいくらでも録り直しが聞くだろうに、実際、自分の気に入る音が鳴るまで何度も何度もテイクを重ねたカラヤンにもかかわらず、あえてそのまま出したものである。そう言えば、カラヤンは、後年、「完璧な演奏よりも、どこかに傷がある方が面白い」と言うようになった。そのことが思い出される。

あと、今回のチコちゃんで、白く濁ったとんこつラーメンの製法を開発した人(以後「開発者さん」と呼ぶ)が製法を秘密にせずみんなに教えまくった行為を「偉い」と評していた。だが、技術を開発したエンジニアが経済的に潤わないところに、技術立国のはずの日本の今日の低迷がある、と言った人もいた。思うに、開発者さんがとった行動を「偉い」と評するのは日本的である。村中で協力しあって農作業をしてきたわが国では、スタンドプレイよりも利他の精神が貴ばれるのであろう。因みに、個人主義が徹底していると言われるフランスのオペレッタ「天国と地獄」に「世論」が出てくるのは意外である。フランス人も、まったく世論を気にしない、というわけではないようだ。

「天国と地獄」と言えば、レハールのオペレッタ「メリー・ウィドー」には、近年、きまって曲中に「天国と地獄」の音楽(♪かすてらいちばんでんわはにばん……の音楽)が登場する。あれは、ウィーンのフォルクスオーパーが始めて広まったらしい。そんなことを言い出したら、オペレッタの「こうもり」の上演の際も、当たり前のように、ポルカ「雷鳴と電光」が演奏されるが、別の曲である(作曲者は同じヨハン・シュトラウスだけれども)。

冒頭の話に戻る。開発者さんはとんこつラーメンの製法の特許をとらなかったから、経済的には損をされたかもしれないが、番組では「キャバレーでもてた」と言っていた。それがホントならご同慶の至りである。かりに、特許をとられたとしても羨ましいとは思わないが、おもてになったのならそれこを最高のご褒美、垂涎である(どこが仙人かっ、のワタクシである)。


優しい先生

2023-01-27 11:16:07 | 音楽

あさイチに亀井聖矢さんが出演し、ピアノを弾いていた。亀井さんの基準によると、怖い先生=生徒が背伸びをして難しい曲をやろうとすると「止めろ」という先生、優しい先生=「いいよ」という先生、ということらしい。で、亀井さんが子供の頃についた先生は後者で、「やりたいと思う気持ちが大事」と言ってやらせてくれた「とっても優しい先生」だったそうだ。良いことを聞いた。私には「怖い先生」はいないが、「やりたいと思う気持ちが大事」を自分自身への言い訳としよう(なんでもかんでもやりたがる質(たち)に対して、ときどき「止めろ」と言うのは私自身である)。その亀井さんの演奏を見てて、指を鍵盤に対して寝かせてるのが目についた。優しい音色だった。これが当世流らしい。で、思い出すのが、古い映像のデータ化の過程で見た半世紀以上前の映像。有名ピアニストが今日の亀井さんよりもっと若い10代の頃、振り袖を着てコンチェルトを弾いていて、そのときの指は常に鍵盤に対して直角で、指を鍵盤に叩きつけてるようだった。硬質の音色だった。これが当時の流儀である。

「データ化」と言えば、カセットテープのデータ化が完了。全380巻。当ブログに「大量のカセットテープを発掘した」と書いたのは去年の7月30日だから、半年かからずにやり終えたことになる。偉かったのは器械である。壊れずにもってくれてよかった。何度かテープが切れたことがあったが、分解してテープを取り出してセロテープで貼っつければちゃんと再生できた。アナログのいいところである。それに対し、MDのデータ化の進捗具合ようやく4分の1。単純計算で、あと2年弱かかる。器械がもってくれるかが心配だ。

それから、ブルーレイのダビングも始めた(これらの作業は、私にとっての「終活」の一部である)。実は、この2,3年、日曜深夜のクラシック番組を録りだめる一方でろくに見てなかった。それらをダビングに際してちらちら見ると、かなりのお宝がある。ジャルスキーとプティボンが共演したグルックの「オルフェオとエウリディーチェ」なんてのもあったし、ネトレプコがマクベス夫人を歌った「マクベス」もあった。へーえ。時代は変わるものだねー。可憐なヒロインを歌ってたネトレプコが、猛女の代名詞のようなマクベス夫人を歌うようになったか。しかも、あの難役をきっちりかっちり歌ってる。実力も兼ね備えてたんだねー。

あさイチに戻る。亀井さんが登場する前、メイン・ゲストは俳優の新納慎也さんだった。名字は「にいろ」と読むそうだ。「デニーロ」にかけて覚えると覚えやすいそうだ(たしかに)。「鎌倉殿の13人」で阿野全成を演じた方である。ドラマでは、宮澤エマさんが奥さんだった。宮澤エマさんこそは、今、私の一推し女優さんである(どこかでこのことを書きたかった。今書けて嬉しい)。この方は、宮澤元首相のお孫さん。宮澤元首相は英語が堪能で、当時のアメリカ大統領のジョージ・ブッシュ(パパ・ブッシュ)を「ジョージ♥」と言いながら両手を広げて迎えた様子を覚えている。「おじいさんが総理大臣」つながりなのはDAIGO。この方、本業は歌手?私にとっては競馬番組と料理番組のMCのイメージである。その料理番組は、なかなか評判がいいらしい。料理初心者のDAIGOがまじめに包丁と対峙する姿勢が好感を呼ぶようである。あさイチの「ごはんだよー」コーナーで博多華丸さんも包丁を握ってるが、こちらはもう5年もやってらっしゃるのでかなりの腕前である。


木綿のハンカチーフの意味(お蚕様は鯉のエサ)

2023-01-26 08:35:47 | 日記

そうか!だから小学校で習った地図記号の中に桑畑があったのか。日本はかつて生糸の生産が世界一で輸出国だった、だからそこかしこに桑畑があったんだ!かつての民法に「蚕種」の文言があったのもそのため。だが、江戸時代には輸入していたんだそうだ。その対価として金銀が多量に海外に流出したんだそうだ。これじゃいかん、ということで、偉い人達のがんばりで国産を増やしたのだそうだ(昨夜のNHKの番組)。

今ではその国の名物のように思われてる産物も、結構歴史が浅かったりする。例えば、イタリアンにトマトは欠かせないと思うのだが、原産は南米で、ヨーロッパに入ったのは16世紀。それをイタリアの貧困層の食用にすべく改良がなされて一般に食用として広がったのは19世紀以降だという。なんだ、まだ200年くらいじゃないか。それからドイツ料理につきものと思われてるジャガイモも南米原産で、ヨーロッパに伝わったのは大航海時代だって言うから、グリム童話にはジャガイモは出てこないことになる(出てこなかったっけ。完読したけどそこんとこ意識しなかったからなー)。そんなことを言ったら、世界に冠たる日本の握り寿司だってその誕生は江戸時代である。それまでトロは捨てていた(ただし、なれ寿司は大昔からあった)。

この世は疑問だらけである。生糸(絹糸)についてもかねがね疑問があった。生糸は蚕の繭から作るというのだが、じゃ、繭の中の蚕(さなぎ)はどうなるの?まさか殺生?そのまさかであった。繭を熱湯に入れて中のさなぎを殺生するのである。釜ゆでの刑である(なお、石川五右衛門の釜ゆでは、熱湯ではなく熱した油で行われたそうである)。「お蚕様」とか言って、持ち上げるだけ持ち上げておいて、最後は釜ゆでに処すのだから蚕の身からすればひどいものである。

お!ここでつながった。父の実家は山梨のブドウ農家だったのだが、鯉の養殖もやっていて、「サナギ」をエサとして与えていた。なんのサナギかなんて子供の頃は考えたこともなかったが、お蚕様のサナギであったに違いない。昨日の番組で、江戸から明治にかけて特に寒村で養蚕が発展したと言っていた。山梨で葡萄の栽培が盛んなのは、土地が米作に向かないからである。そう言えば、往年のスターが暮らす老人ホームを扱ったドラマの回顧シーンで、山梨出身の主人公の実家が養蚕を始めるシーンがあった。父の実家も、そんな感じで養蚕を始めて、お蚕様のサナギを鯉のエサとして有効活用していたのだろう。

ところで、久しぶりに、太田裕美が「木綿のハンカチーフ」を歌うのを聴いた。遠距離になるカップルの女性が男性に木綿のハンカチーフをねだる歌である。ここでまた疑問である。なぜ、木綿なのだろう?木綿は絹(原料は生糸)より安価である。だから、質素倹約を旨とした八代将軍吉宗は、絹の着物をやめて綿にしたそうだ。その論で言えば、当該カップルは貧乏カップルになる。それに対し、百均で売ってるようなナイロン製じゃないんだよ、ということを強調してるなら、当該カップルはおハイソなカップルになる。サナギの運命についての疑問は解決済みだが、この疑問は疑問のままである。因みに、その歌で、男が「東に向かう列車」に乗って遠距離になるのだが、「東」ということは、少なくとも、関東から東北又は北海道への移動ではない。もしそうなら「北に向かう列車」に乗るはずだからである。

ところで、モスラは蛾の怪獣である。国産怪獣第3号として蛾が選ばれたのも(第1号=ゴジラ、第2号=ラドン)、そして、昭和の時代においてモスラは成虫よりも幼虫が多く登場したのも、お蚕様の歴史があったればこそ、なのだろうか?これも未解決の疑問である。


君はバラより美しい/4羽の鶏

2023-01-25 09:15:47 | 音楽

歌謡曲は年に一度紅白でチェックするので普段は見ないから、NHKを見ていて、それが火曜日の夜で8時になって「うたこん」が始まるとすぐにチャンネルを回していた(回す(古語)=変える)。が、昨夜はトップ・バッターが布施明。この人を見ると、瞬時に2つのことが頭に浮かぶ。1つは「歌が上手い」。もう1つは「元妻がオリヴィア・ハッセー」。後者に関連する話として、以前、布施氏が「わらっていいとも」でしゃべってたのだが、オリヴィア・ハッセーとの間の一粒種君が日本に来たときステーキを食べさせたら、少年が「ロット」(rot=腐っている)と言ったという話。当然、高級な和牛の霜降りだったのだろう。それが外国在住の少年の舌に合わずに「ロット」と言わせたのだろう。日本人だって、江戸時代までは、まぐろのトロは油が多いと言って捨てていた。それと同じである。

だから、と言うことではない。前者の「歌が上手い」ことを思い出して、珍しくそのまま「君はバラより美しい」と歌ってるのを聴いてたら、聴き入ってしまった。マイクからあんなに口を離して歌ってる。張りのある美声は健在である。しかも、私よりちょっと年上なんだよな……え?75!?「ちょっと」どころじゃない、一回り近く上だった。へへー、おみそれいたしましたー(這いつくばって拝んでる様子)。最後にがーんと延ばした音は「G」だったし。

話は、その日の朝に戻る。「あさイチ」で、中華のお店の厨房を覗いていた。番組の目的は清掃方法を見ることだったが、私は、厨房の上から吊り下げられたお鶏さんに目が行った。羽をむしられ、これから焼かれるお鶏さんは全部で何羽いるんだろう。数えたら4羽だった。おお!4羽の鶏!これが白鳥だったら「白鳥の湖」の「4羽の白鳥」である。この「4羽の白鳥」は、大概、背格好が同じ4人のダンサーがシンクロで踊るのだが、一度、ボリショイのビデオだったか、一番右側の白鳥嬢だけ体格がずいぶん他の人と違っていて、しかも他の3羽から微妙に距離をとっていて「はぐれ鳥」風であった。いずれにせよ、鶏や鴨と違って、少なくとも日本においては、白鳥は踊るものであって食べるものではないのだが、「カルミナ・ブラーナ」においては、炙られて人間に喰われる白鳥(テナー)が断末魔の歌を歌う。私、最初にこの作品を舞台で見たとき(ソプラノ・ソロはルチア・ポップ!)、恥ずかしながらこの曲をろくに知らなくて、で、焼かれる白鳥の歌が、妙にヒーヒーしてて、え?この人、名声のある人なのに、今日はずいぶんヒーヒーしてるなー、と思って聴いていた。もちろん、わざとヒーヒー歌ってらしたのである。へへー、おみそれしましたー……と思ったのは少し経ってからである。

ワタクシが昨夜焼いたのは鶏ではなくてピザ。キムチピザである。手製のピザ生地にキムチを敷いて、その上にチーズ(イメージは、チーズダッカルビ)、そしてソーセージをトッピングにして、

アラジントースターで焼く。

昨年購入した諸々の中で、私が金賞を贈りたいのがこのアラジントースター。0.2秒で280度の威力は相当なもの。予熱がいらないから、光熱費高騰のこの時期、ありがたいことこのうえない。

あっ、そう言えば、ウチのソーセージは、「豚肉風」の「鶏肉ソーセージ」だった。ってことは、焼いたのはやはり鶏肉だった。


野良猫が鳥を生で食して大丈夫な理由を誰か教えて!

2023-01-24 10:52:14 | 音楽

競馬予想家のスガダイの雑談コーナーで、ラーメン一杯いくらまで出せるか、って話をしていて、千円だ、二千円だって話になってて、えー?今やそんな時代なの?私って浦島太郎なの?さすがに一杯50円とかは言わないけどワンコインで食べられないの?とか思ってたら、某駅の車内から見える看板に「中華そば 390円(税込み)」の文字を見つけて、

束の間の安堵感を得た在りし日の夕方であった。そう言えば、私が通った高校は、横浜駅から丘の方に20分以上歩くのだが(お金持ちんちの子はバスに乗るのだが)、その途中に相当年季の入ったたたずまいのラーメン屋があって、吹奏楽部の女子部員が怖いもの見たさで一度入りたいと言うので行ったことがある。似たような話で言えば、大学んとき室内合唱団の女子団員が吉野家に一度入りたいと言うから一緒に行ったことがあったが、冒険難易度からすれば件のラーメン屋の方が数倍上であった。

さて。仮装敵を電気からガスに切り替えて対策を検討していて、調理時間の短縮のため朝の雑煮に圧力鍋を使ってみたら、たしかに短時間で火は通るのだが、味はいまいち。煮る時間は、単に食材に火を通すだけではなく、味をしみ込ませるためのものでもあるのだな、と再認識。その「火を通す」話である。豚や鶏はしっかり火を通さないと大変である。あるお笑いコンビが売れない頃、ガスを止められたので、鶏肉をロウソクの火であぶって食べたらお腹をこわしたそうだ。「2,3日続いたよな」と振り返っていたから相当のダメージである。そのことで、かねがね不思議に思ってたことをここに吐き出そう。野良猫は、野生の鳥を襲って食う。もちろん、生で、である。大丈夫なのだろうか。大丈夫ならその理由はなんなのだろうか。免疫が備わってるのだろうか?だったら、その免疫は遺伝的なものなのか、それとも、例えば母猫の母乳に含まれていた等の後発的なモノなのだろうか、後発的なモノなら、例えば生まれてすぐ人の手で育てられた猫などはその免疫を持ってなくて鶏の生肉を食すとお腹を壊すのだろうか。謎である。誰か教えて下さいまし!

因んだ話その1。居酒屋で、たまに鶏肉が生で出されることがある。「これは、大丈夫だから」と言われてもやはり恐怖である。おデートのときは、通ぶって余裕をかましていても、内心はびくびくである(この段落の後半はフィクションである)。

その2。これも人間の話だが、どこかのお医者さんが「幼少期にあまりに清潔な環境で育つと免疫がつかない」と書いていた。さすれば、「落ちたモノは拾って食べる」ことを金科玉条のように考え、子供に強要した亡き父は、免疫の観点からは子供に良い教育を施したことになる。ただし、現在のわが家においては、(人間は)誰も見ていないにもかかわらず、いったん床に落ちたモノは瞬時に猫の毛まみれとなるので、洗って再加熱しない限りさすがの私でも食すのはためらわれる。まさに「瞬時」「augenblicklich」に、であるから、ここでは「3秒ルール」の適用の余地はない。


練習日を間違えてドイツ語三昧になった件

2023-01-23 10:02:19 | 言葉

次に楽譜を持って江戸川を渡るのはいつだろう?と思っていたら、あっさり実現してしまった。麹味噌合唱団の本練習が始まった旨の情報がフェイスブックにあふれ、見てたら歌いたくなったのである。ところが、会場に着くと、たしかに見知った面々がいるのだがどうも様子が違う。持ってった楽譜のヨハネ受難曲を歌ってたので、そのまま最後までいたのだが、後で聞いたら目指したのとは別の練習だった。

その後、松戸まで行って中華で反省会。店員さんが中国語の達人だったことから語学談義となり、その店員さんにドイツ語をしゃべらされた。さっきまでの練習もドイツ語の歌だったから、つくづくこの日はドイツ語三昧の日であった。

「三昧」と言うのだからもう1つ(三つ目のドイツ語ネタ)。この日買った馬券は、ユーバーレーベンの複勝。

「ユーバーレーベン」=「überleben」=「長生きする」「生き残る」を意味するドイツ語である。だが、「ü」の発音は、ホントは「ユ」よりももっと「イ」が混じった音。かと言って「イーバーレーベン」はやりすぎだから、「ユーバーレーベン」という馬名はやむを得ない。因みに、この日、ユーバーレーベンは3着だったから馬券は的中。と言っても、500円が1350円になっただけだから、高騰する光熱費の足しになったとは言いがたい。え?ユーバーレーベンの馬券を買った理由?それは君、私が女好きだからである。因みの因み、2着に来た馬は「エヒト」。これもドイツ語である(echt=ホント、マジ)。

そう言えば(書いてると、話が予定しなかった方向に流れていく。すなわち、当ブログは予定調和にはほど遠い)、この日駅までの2kmの道を歩いてたら5メートル先を人が歩いている。髪を染めた細身の牝馬(人)である。抜いてやろうと思ってがんばるのだがなかなか距離が縮まらない。当世、牝系が強いのは馬も人も変わらない。ジェンティルドンナ(牝馬)も最後の有馬記念でゴールドシップ(牡馬。ユーバーレーベンのお父さん)の追い上げを許さなかった。それでも、ワタクシの場合は徐々に差をつめていってとうとう並んだ。すると、当該牝馬がスマホで誰かと話してる声が聞こえた。この牝馬、鳴き声はえらく低い……顔をチラ見すると、なんと牡馬であった。


ヒラメ作戦/三本の矢

2023-01-22 12:07:13 | 日記

仮想敵を電気からガスに変え、対抗措置を検討。その1つ。調理に圧力鍋を使うこと。茹で時間を半分に短縮できる。だが、これは小手先の手にすぎない。ガスをもっとも使うのはお風呂だからそこをどうにかせねば。だが、入浴回数は減らせない。「ぬるいお風呂に浸かる」ことは大いなる健康手段である。だったら、ますますぬるくし(「ぬるいのが良い」って言ってるんだから)、お湯の量を減らしてバスタブの底に這いつくばろう。人呼んで「ヒラメ作戦」である(ヒラメは、多くの時間、海底で静止しているそうである)。

さて。山口県の前身は長州藩。その党首は「三本の矢」の毛利家。明治維新のおり、政治の実権を握っていたのは長州だが、それって今でも続いてる?と思うことがある。会津戦争の遺恨はどうだろう。会津出身の西田敏行は、せごどんを演じるとき、郷里の仲間に相談したら「薩摩なら(長州と違って直接は戦ってないので)いいんじゃない?」と言われて出演を決めたそうな。そんな山口県だが、最近、私の中でその株が上昇するトピックスがあった。1つは、住民が竹製の洗剤を開発したって話。飲めるのだそうだ。これは欲しい。もう一つは、女性の杜氏が増えているという話。ベルリン・フィルもウィーン・フィルも、半世紀前は男ばかりだったが最近は女性団員が目立つ。特に、ベルリン・フィルのホルン奏者のサラ・ウィリスは大人気である。逆に、以前は第九の中継ともなるとカメラが合唱団の中の特定のお姉さんばかり追っていたが、最近はお兄さんを追うこともある。進歩だとは思うが、どうせなら、特定のお姉さんやお兄さんは追うのをやめて、広くくまなく写してほしい。女にしろ男にしろカメラマンの趣味を押しつけられるのはゴメンである。

話はつながるもので、山口の女性杜氏の話題をテレビで見た直後くらいだったろうか、反省会で入った日本酒のお店で、店員さんに「ワインみたいなフルーティなお酒が飲みたい」とリクエストをして出してもらったのが山口のお酒。

おー、タイムリー!と喜んだワタクシである。この日は、ほかに、岡山、長野、秋田(米どころだけあって、お米の感じが一番したのがコレ)のお酒を飲んだ。味の比較ができて、楽しい夜であった。反省会という名目だが、反省は1つもしなかった。

「三本の矢」と言えば、黒澤明の「乱」の冒頭で、父が3人の息子達にこの教えを説く場面があるが、正直者の三男が三本の矢を折ってしまう。かねがね、1本なら折れるのなら、力持ちなら3本束ねても折れないことはないだろう、と思っていた。我が意を得たり、である。因みに、この作品は「リア王」を翻案したもので、原作の3人の娘が3人の息子たちに置き換えられ、上記の三男はコーデリアに相当し、最後に非業の死を遂げる点は共通なのだが、半世紀前にお子様用の「リア王物語」を読んだときは、なぜコーデリアが死んだのかワケが分からなかった。そうか、コーデリアはフランス王妃になっていて、これって英仏戦争の意味合いもあって、イギリス軍に捕まったコーデリアは敵国のお妃って立場だったんだなぁ。


♪ブンブンブン、はえがとぶ

2023-01-21 11:02:11 | 日記

「八代将軍の名前を書け」という問題に「松平健」と書いた答案を正解にした学校教師は見上げたものだ。今後は「冨永愛」も正解に加わるという話だが、だったら「西田敏行」だって正解肢の1つにならなければおかしい。因みに、「本物」の吉宗は、質素倹約に努め、絹の着物を着ずに綿で通した、ということだが、新たに綿の着物を一揃い新調したのだろうか。だったら倹約とはいいづらい。真の倹約は、穴が開いた服をそのまま着続けることである(昨日の私の動画のように)。

その冨永愛のお友達だという外国人がインタビューで日本語で応対していたが、それに対して日本語の字幕が出ていた。大体、しゃべってる通りの字幕の内容なのだが、「ティーム」(team)についた字幕は「チーム」だった。これこそは翻訳である。大昔、どっかの国語の先生が、「『チーム』は既に日本語になっているのに、NHKのアナウンサーが『ティーム』と発音するのはおかしい」と言っていた。最近のNHKのアナウンサーがどう発音してるかは知らない。

以上は、金曜日の「あさイチ」の話だが、同番組の後半では「石」を特集していた。事前の放送予定を見て、私が思い出したのは竹中直人が監督・主演を務めた映画「無能の人」。どこにでもあるような石をオークションで大金で落札した人が描かれていて、そういう石が出てくるのかな?と思ったら、あに図らんや、「あさイチ」が紹介した石は、キラキラ光っててホントにきれいであった。

話は変わる。最近、私のがんばりが成果として実を結んだことがある。電気代である。直近の請求書を見たら、電気使用量が昨年の4割。おかげで、この値上げラッシュのおり電気代は昨年の6割におさえることができた。原因は、エアコンの設定温度を20度にしたとか(当初は19度だったが、さすがに寒くて1度上げた)、浴室の換気扇は朝必ず止めるとか、電気みじん切り器に代えて手動のモノにしたとか(手動のヤツを「ブンブン」と呼ぶのは一般的なのだろうか)いろいろあるが、決め手は、勉強部屋兼音楽室の暖房をエアコンだけにして、足下のヒーターを使わなくしたことである。その代わりに、ダウンパンツや防寒スリッパで足下の寒さをしのいでいる。

これに対し、がっかりしたのだがガス代。使用量は昨年の8割におさえたのだが、ガス代は1.2倍に増えた。私は、電気を仮想敵とみなして奮戦してきたのだが、実は、値上がり率はガスの方が高いらしい。そっちの方の対策が喫緊の課題である。

とか言っても、光熱費を削りすぎてしもやけになっては元も子もない(もうなっている。今年に限った話ではないが、今年が一番ひどい)。

あらためて今回のタイトルを見た。「ブンブン」か。自分で書いときながら、やはり「ブンブン」と言ったらもう1つ「ブン」を足して♪ブンブンブン、と歌いたい私は歌好きである。「ブンブンブン」の後に続くのは「はえが飛ぶ」である(私はそう歌っている)。


真逆(こっそり曲当てクイズ第2弾)

2023-01-20 09:44:13 | 音楽

ヴァイオリンの経験があるならチェロはすぐできるでしょう?ところがどっこい。クラリネットだってたった半音の違いなのにB♭管とA管の管の長さの違いは顕著。まして、ヴァイオリンとチェロはオクターブと5度違う。弦を抑える指の移動距離の違いは卵のおやじのピーヨコちゃんとダチョウの歩幅の違いにも等しい。いや、それよりも根本的な違いがある。ヴァイオリンは、低い弦から高い弦への移動が左から右なのに対し、チェロはその逆なのだ。それが一番顕著に出るのが4つの弦を同時に鳴らす重音。ヴァイオリンはまず左の2弦を鳴らしてから右の2弦に移動するが、チェロは右の2弦を鳴らしてから左の2弦に移る。頭の切り替えをしっかり行わないと2つの楽器は弾けない。これって、ドイツ語と英語の関係にも似ている。2つは兄弟言語だから似てるでしょ?と言っても語順が異なる。「Can you german speak?」。この中学生でもしないような間違いの文章は、私が、ドイツ語に浸かりきってるときに、実際にアメリカ人に対して発した言葉である。すなわち、これはドイツ語の語順なのである。

真逆と言えば、昔と今と正反対になったなぁ、と思うことが多い。血圧はその一例である(若い頃は低血圧だったのに最近高血圧になった(さらに直近ではまた低くなった))。そのほか、私のクラリネットのピッチは昔低かったのに(だから、マイスタージンガーのソロを降ろされた)、最近は高い。それから、音楽のリズムのことだが、昔は走って怒られたが、今はもったりして怒られる。

このリズムについては奇っ怪な話がある。カール・ベームの晩年のベト7の第1楽章の序奏部分なのだが、木管楽器だけで長い音符を吹いてるときは速めなのに、弦楽器が16分音符で刻み始めると急にゆっくりになる。その後、また木管楽器の長い音に戻ると速くなり、弦が入ると遅くなる(最晩年の日本での公演で測ってみた。速いときは♩=58。遅いときは♩=50)。つまり、「走る」と「もっさり」が同居しているのである。オケに入った先輩が、「長い音符は短く、短い音符は長く」を金科玉条のように言っていたが、それにしてもこのテンポのゆらぎは顕著であり奇っ怪だ。コンサートマスターが「マエストロ!テンポがちょっと」とか言わないのだろうか?いや、ベーム大先生に言えるはずがない。

ということで、こっそり曲当てクイズ2023年第2弾を出題した(動画)。大ヒント=さすがに第1弾とよく似てるなぁ。それから、今回のブログの記事も大ヒントである。セーターの肘に穴が開いてるのは演出である(ウソ。後から気づいたが、「男を捨ててる」のでそのままアップしたものである)。


オリーブ・オイル

2023-01-19 10:14:37 | グルメ

あさイチで、韓国ドラマの登場人物がよく「でー」と言う、と言っていた。そんなことを言ったら、日本人だってしょっちゅう「でー」と言う。調べたら、韓国の「でー」は「はい」の意味だと言う。それに対し、日本語の「でー」は話をつなげたいときに語尾につける、ってことは接続詞なのだろうか。韓国の人は日本のドラマを見てて、話の最後にやたらと「はい」が多いな、と感じてるのだろうか。ロシアの人は、アントニオ猪木の「だー」を聞いて、「はいー」だと思っていたのだろうか。

さて。先日、ウォーキングの際、いつもと違う道を歩いてたら、え?こんなところにあるんだ!と思うような場所に個人経営っぽいスーパーがあった。歩いてみるものである。ほうれん草が99円だったので購入。マイバッグを持参してなかったが、レジ袋を買うまでもない。手にぶら下げて歩けばよいのである。

すると、その数日後、近所のスーパーでもほうれん草を99円で売っていた。「お一家族二束まで」と書いてあったので、買い物かごに二束入れた。「お一人様」ではなく「お一家族」だったのは、量があまりなかったので早々に売り切れになるのを防ぐためだったのか?だが、このやり方は、下手をすると、憲法14条の平等原則に反するというクレーム客を呼ぶ可能性がある。すなわち、私のような独り者なら1人で二束だが、4人家族だと4人で二束。1人当たりの買える量が、前者だと二束なのに対し、後者だと1/2束になる。ほうれん草一束の価値に4倍の開きが生じてしまうからだ。これが選挙権なら明らかな憲法違反だが、民間スーパーで売るほうれん草の数であれば直接的には憲法問題にはならない。憲法は、直接的には国家と個人の関係を律する規範であるからだ。ってことは、かりに国営のスーパーがあって、そこでこうした売り方をしたら、それは憲法問題になりうる、ということである。

ところが、この「お一家族二束まで」問題は、これで終わらなかった。レジの人が「二束目からは値段が上がりますが宜しいですか」と聞く。え?そんなの聞いてない。もしかして、売場にちっさい文字で書いてあった?いずれにせよ、この日ほうれん草を買うのは99円だからである。じゃなければ買わない。すぐさま「じゃあ、一束でいいです」と言ってことなきを得た。だが、日本文化は恥の文化である(そうなの?)。多分、少なからぬ人が、見栄を張って「いいです」は「いいです」でも「二束のままでいいです」と言うのだろう(亡き父などは、絶対そのクチである)。もしかして、スーパーはそこを狙っているのかもしれない。私のような「恥知らず」には通じない策略ではある。

いずれにせよ、99円のほうれん草に飛びつくのは、子供の頃見たポパイのアニメ(アメリカ製)の影響である。ポパイは、危機に瀕した際、缶詰のほうれん草を食して元気百倍となった。小学校の調理実習で私が人生で最初に作った料理もほうれん草炒めである(緑黄色野菜は煮ると栄養分が逃げてしまう。油で炒めるのが最善である、と聞いて以後半世紀に渡りそれを実践している)。因みに、ポパイの彼女は、「姓はオイル、名はオリーブ」、すなわち、オリーブ・オイルである。現在の私のささやかな贅沢は、油炒めに常にオリーブオイルを使うことである(もう1つはヒートテックの下着を着ることである)。