拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

お嬢達(あれ?お兄さん、お姉さんになっちゃったの?)

2016-06-30 10:58:26 | 
狭いわが家ではあるが、それでも微生物を含めれば何億兆個もの生物がいるはず。そのなかで、三つの生物が気持ちを通じ合わせている。これも何かの縁。さて、お嬢達は私を猫だと思ってるのか?それとも自分たちを人間だと思っているのか?それは不明だが、べたべたくっついてくる様子から、親だと思ってることは想像できる。ふむ。親だとして、父親、母親どっちだと思ってるんだろう。因みに、家でジークリンデを歌うとぎょっとした顔をする(あれ?お兄さん、お姉さんになっちゃったの?)。いずれにせよ、「大きくなって、戸籍謄本を見て、あれ?お兄さんはホントのお父さん(お母さん)じゃなかったの?」ということは終世ないはず(猫は戸籍謄本を見ないし、そもそも戸籍にお嬢たちは載ってない)。因みに、ドラマで、養子縁組をした養親を「本当のお父さんお母さんではない」と表現することがあるが、これは法律的にはまったく誤り。養親は、完全にホントのお父さんお母さんだ。私などは、自分のDNAは一個もお嬢達に入ってないが、お嬢達を娘だっと思ってるもんね。

猫筒?

2016-06-30 09:14:07 | 

ケメ子が丸く収まってるのは、本来は、爪磨き。側面にでかでかと「黒缶」と書いてある。以前「猫鍋」(猫が鍋の中に入って丸くなるのを撮った写真のこと)というのがはやったが、これはなんと言ったらいいのだろう?猫筒?

短波放送

2016-06-26 14:37:47 | 日記
ドイツのラジオニュースはインターネットで聴いている。便利な世の中になったものだ。ドイツ語を勉強してた頃、とにかくドイツ語に浸りたくて、それにはニュースだ。でも、当時日本で視聴できるドイツのニュースと言ったらBSの海外ニュースくらいしかなかった。で、目をつけたのがラジオ。短波放送ってやつは遠くまで電波が飛ぶので、国際放送も聴けるという。で、ドイツの語学学校に行ってたとき、スーパー(日本で言えば、イトーヨーカドーみたいな感じの)の電器売場で短波放送を受信できるやつを探して(子供の頃、競馬中継を聞きたいがために短波放送を聴けるラジオにこだわった父親に反抗した私が今同じく短波にこだわっている。複雑な心境だった)、「kurzwelle」という表示があるのを見つけて、店員さんに、これ日本で聴けるか?と尋ねたら聴けないと言う。え~?話が違うと思ったが、聴けないやつを買っても意味がないので断念。あのときの店員さんの話が本当だったかどうかは分からないが、どっちにしてもインターネットで聴けるので短波はどうでもよくなった。

ブリテン

2016-06-26 14:08:58 | 言葉
イギリスがEU離脱を決めて、世界中でニュースになっている。ドイツのラジオを聞いてると、「グロースブリタニエン」(英語で言うところのグレートブリテン)の言葉が乱れ飛んでいる。「グロース」(グレイト)かぁ。だから「大英帝国」と「大」が付いてるんだな。でも、「大英帝国」だと「グレイト・イングランド」になってしまって変。そもそも「グレートブリテン」とはイギリスの国土である島の名称だ(かつ、サイボーグ009の僚友の007(イギリス人)の名前)。フランスにある「ブルターニュ」と区別するために「グレイト」をつけたそうだ。あれ?英語圏ではイギリスのことをなんと呼んでるんだっけ。「United Kingdom」(略してUK)かぁ。「Britain」も多い。そういえば、ベンジャミン・ブリテンって作曲家がいたなぁ。でも「Britten」で綴りが違う。すると、読みは、国の方は「ブリテイン」で作曲家の方は「ブリッテン」?いや、発音記号はどっちも「ブリトゥン」。電子辞書にはどっちにもネイティヴの発音がついてて、発音してる人は声の高さを変えてるけど(なんで?)発音は同じ(どっちも小さいエが入ってる感じ)。イギリスに逃げられたドイツやフランスは怒ってる模様。「なるべく早く出て行け」だって。逃げたイギリスだって若者は怒ってる。投票をやり直せという声が押し寄せてるんだと。でも、じっさまやばっさま(大英帝国の末裔。プライドが超高そう)が出て行きたかったそうだ。

オテロはヴァーチョばっかり(少年の感想)

2016-06-25 07:46:06 | 音楽
オテロを最初に視聴したときの話に戻るが、「愛の二重唱」で、「ウン・ヴァーチョ」と歌ってぶちゅ。きゃっ、恥ずかしい、とうぶな少年の私。なのに「アンコーラ・ウン・ヴァーチョ」でまーたぶちゅ。「ヴァーチョ」ばかりの印象であった。それがいつのまにか愛聴曲となる。好きな演奏はNHKイタリアオペラの公演でのデル・モナコとガブリエラ・トゥッチのもの。この公演直後「トゥッチ、東京で大成功」の報が世界に打電されて、トゥッチは世界的にブレイクしたのだった。このときのトゥッチの声は、(私が生まれた頃だからCDやビデオで視聴した感想だが)澄み切っていて最高にきれい。数年後にやはりNHKイタリアオペラで来日したときの声はもう荒くなっていた。あと、メトの100周年ガラでのドミンゴ&フレーニも良かったなぁ。ところで、プッチーニの蝶々夫人にも第1幕の幕切れに愛の二重唱がある。このステュエーションがオテロとよく似てる。ドタバタがあった後、更けゆく夜にしっとりと歌われ、静かに幕となる(愛の二重唱を朝は歌わないよな)。二人が交互に歌い継いでいくところもオテロと同じ(ということはヴァルキューレとも同じ)。好きな録音はカラヤン盤。フレーニとパヴァロッティがたっぷり聴かせる。同じカラヤンでもビデオになると、フレーニは同じだが、ピンカートンがドミンゴに替えられてる。やはり見かけかね。私は、パヴァロッティがいいなぁ。どこまでも伸びていくような声で。

オテロとヴァルキューレ

2016-06-25 06:22:54 | 音楽
オテロの第1幕には素晴らしい「愛の二重唱」がある。「素晴らしい」と書いたが、最初からそう思ったわけではない。オテロを視聴したのは、中学1年でリゴレットでオペラにはまってからさほど間もない時期だった。リゴレットや同時期の椿姫の二重唱は、分かりやすい有節歌曲風で、1番をソプラノ、2番をテナー、3番をデュエットでハモる……という感じだが(バレエのグラン・パ・ドゥドゥーみたいだ)、オテロとなると、男女が交互にメロディーのようなそうでないような歌をだらだら歌うという感じで(当時の率直な感想)、「作曲家が年取るとなんでこうややこしくなるんだろう」などと(不遜なことを)思ったものだ。男女交互にだらだら……これ、まるでヴァーグナー。そう、現在ではヴァーグナーもオテロも大好きな私。そういえば、ヴェルディはヴァルキューレ(ヴァーグナー)を聴いて、「それにしてもあの第一幕の二重唱!」と言ったそうだ。私はこの発言を感嘆の証しととらえているのだが、「二重唱!」の後がないので、どういう趣旨だったか確実なところは分からない。原文を探しているのだが今のところ見当たらない。でも、ヴェルディが後年ヴァーグナーの影響を受けた、ということは多くの人が言っている。ところで、アイーダの二重唱にはまだ有節歌曲風なところが残っている。で、次作のオテロで作風が大きく変わってヴァーグナー風になる。各作品の初演を年代順に並べてみると、ヴァルキューレ(1870年)、アイーダ(1871年)、オテロ(1887年)。アイーダとオテロの間が大分空いてる。この時期にヴァルキューレに影響を受けた、と考えてもおかしくない。おっと、オテロと蝶々夫人の話を書くつもりだったのにヴァルキューレが入り込んで字数がいっぱいになってしまった。続きは次回。

オテロのような同級生の夫

2016-06-24 10:54:22 | 音楽

この日飲んだワインはソアーヴェ(イタリアの白)。ソアーヴェはイタリア語で「優しい」だが、まてよ、ワイン名のソアーヴェは地名だよな(ソアーヴェはDOCワイン(産地統制ワイン)。だからソアーヴェは産地名のはず)。じゃあ「優し村」ってことか?そういうことだった。さて。ソアーヴェを飲むときはいつも「♪デズデーモナ・ソアーヴェ(優しいデズデーモナ)」と口ずさむ。これはイァーゴ(トンボの幼虫ではない)がオテロをだまくらかす歌(ヴェルディ)。「夜、カッシオが寝言で『デズデーモナ・ソアーヴェ』と言ってた」という作り話をオテロに吹き込み、オテロの猜疑心をあおる歌だ。でも、夢ん中の話だし(夢ならなんだってある。私だって夢の中でタレントの某さんとデートした)、「優しい(愛しい)デズデーモナ」で怒るなんて……と思ったが、まてよ、思い出した。あったあった。(以前も書いた話だが)私がドイツ語学校に通ってたとき、同級生の女性と勉強になるからとFAXで手紙のやりとりをしようということになって、で、彼女が「Lieber Masashi」(直訳すると「愛しいマサシ」だが、手紙では「拝啓マサシ」になる)で書き出した手紙をご夫君が読み、不幸なことに、ご夫君は「中途半端に」ドイツ語ができたんで、「愛しいマサシ」の意味に捉えて激怒したというのだ。まるでオテロだ。そしてデズデーモナと同様、私も潔白だった。だが、文通は中止。さて、私がこの歌のお手本にしてるのは、イァーゴ(とスカルピア)を十八番にしてる、とくれば言うまでもないティト・ゴッビ。「デズデーモナ・ソアーヴェ」の部分は、響きをいっさいなくした上っ面の声で、「夢の中」を見事に現している(そうした歌い方もたっぷり真似した)。歌詞や背景を知らない人が聴いたら「へろへろ」と思うかもしれない。因みに、初めてカルミナ・ブラーナを聴いたとき、某日本人テナーのソロがやたら「ひいひい」歌ってるなぁと思ったら、それは「焼かれる白鳥」の歌で、あれは最高の歌い方だった、ということを後で知った。

決めててん~夢の超特急~giovinetto

2016-06-23 09:07:14 | 言葉
「てるてる家族」で夏子が(東京に行くことをもう)「決めててん」。「てて」からドイツ語の動詞の過去形を連想。よしっ、「決めててん」になるような架空のドイツ語を創ろう。「決める」=「kimeten」(キメテン)。過去形で「kimetete」(キメテテ)。主語が複数で(夏子とおかあちゃんの照子が主語で)「kimeteten」。完成!Wir kimeteten,nach Tokio zu fahren(うちら、東京に行くことを決めててん)。だが、これは文語っぽい。日常会話では過去のことは現在完了で話すのが普通。すると、Wir haben gekimetet,……となる。さて、もう一つ、今朝の「てるてる家族」から。「東京まで特急こだまで6時間半」。そうか、その時代なんだね。この頃、近く開通予定の新幹線は、特急に「超」が付いて、さらに「夢の」が付いて、「夢の超特急」と呼ばれてた。開通したのは私が5歳のとき。毎月読んでた子供科学館って月刊誌に導入予定の車両の写真が載ってた(その後、実際に導入された車両(鉄道ファンは0系と呼ぶそうだ)とは少し違ってた)。え~っ?生まれた時まだ開通してなかったの?……なら私はじじー。え~?開通したときそんなに小さかったの?……なら私はgiovinetto(若者。ルネサンス期の世俗曲を聴いてるのでこう綴ったが、今ではgiovanottoが普通か。うちのイタリア語の安い辞書にはそっちしか載ってない)。

エディト・マティス=可愛い(オールドファン(私より上の))

2016-06-23 05:52:09 | 音楽
そのベーム&ドレスデン盤(バラの騎士)のゾフィーはリタ・シュトライヒ(往年の名コロラトゥーラ)。ベームには他にサルツブルク音楽祭でのライブ録音があって(もちろんオケはウィーン・フィル)、ここでゾフィーを歌ってるのはエディト・マティス。その硬質な音色は、まだ開いてない蕾のようなゾフィーにぴったり。私の心がルチア・ポップに奪われる前、その位置にあったのはマティスだった。人が画家のマティスの話をしても、私にとってマティスはエディト・マティスだった。マティスと言えば、オールドファンにとっては「可愛い」の代名詞。1963年にベームがベルリン・ドイツ・オペラと来日した際に連れてきたマティスがめちゃめちゃ可愛かったという話が語り草になっている。私も十分にオールドファンだが、そこまでオールドではない。私がマティスを初めて聴いたのはベームのモツレクのレコード。その清廉な歌はしばらく私のスタンダードだった。そう言えば、どこかの評論家が、リヒターがマタイ受難曲の映像収録にヘレン・ドーナトを起用したことにけちをつけて、「なぜマティスを起用しなかったのか」と書いていたが、そういう言い方はドーナトの過小評価で気に入らない。たしかに、ドーナトのピーカンな声よりマティスの禁欲的な声の方が(あるいは、ジャパネットの商品紹介のお姉さんみたいに満開の笑顔のドーナトより、はにかんだ笑顔のマティスの方が)受難曲ぽいと言えなくもないが、しかしドーナトは超実力者だ(高音はマティスより自在)。さてさて、マティスのソロ・コンサートを聴きにいったときのこと。アンコールで「ヴォイ・ケ・サペーテ」のイントロが始まったとたん会場から拍手。拍手した人の年代が分かる。前記のオールドファンだ。そう、1963年に「可愛い」マティスが歌ったのはケルビーノだった。

フィッシャー・ディースカウのファーニナル

2016-06-22 09:43:39 | 音楽
(承前)第2幕冒頭のファーニナルの一声「Ein ernster Tag」はとっても重要。これでこの幕の雰囲気が決まる。だから、脇役ではあるが名歌手が歌ってる。古いところでは、カラヤンの古い方の映像にも出てくるエーリヒ・クンツが秀逸。他のファーニナルとは格の違いがありあり。これに比べちゃうと、クライバー&ミュンヘンのベノ・クーシェなんかは田舎のひひおやじに見える(役としてはそれでいいのかもしれないが)。最近は、以前オペラの主役を歌ってたベテランがファーニナルになっててびっくりしたりする。例えばメトではトーマス・アレンが演じてた。幕があいてこの人が登場すると拍手(メトの客も分かってる)。それから、グルントヘーバーが歌ってる公演もあったなぁ。私、この人のイメージはヴォツェック。今まで見たファーニナルの中で一番人相が悪かった(だからヴォツェックにはぴったりだった)。一番笑っちゃったのはベーム&ドレスデンのCD。だれがファーニナルかというと、なんとフィッシャー・ディースカウ!もう、はりきりまくり。このファーニナルはほんとに重要な役どころで、終幕の最後の最後、ゾフィーとオクタヴィアンの二重唱(天上の音楽)がいったん途切れたところに、マルシャリンと一緒に入ってきて、しみじみと「Sind halt aso,die jungen Leut!」(若者はこんなもんですかね)と歌うんだけど(これに対してマルシャリンが「Ja,ja.」と言って二人して去る。うーん、このシーンについても書きたくなったが別の機会に)、フィッシャー・ディースカウは「Leut!」の「t」をこれみよがしに発音する。あまりに「らしくて」笑ってしまった。

結納の日(バラの騎士)

2016-06-22 09:17:19 | 音楽
さて、ゾフィーが登場するのは第2幕からだが、この幕で最初に声を発するのはゾフィーのおとっつぁんのフォン・ファーニナル(因みに、ゾフィーだってファーニナル)。チャーチャチャン、チャン「Ein ernster Tag,」(厳粛な日)。これで終わらず「ein grosser Tag」(偉大な日)「ein Ehrentag」(栄誉ある日)「ein heilger Tag」(聖なる日)といった具合にあらん限りの言葉を尽くしてこの日を称えている。いったい何の日かというと、バラの騎士(結納の使者)、次いで花婿(オックス)がやってくる日、つまり(日本風に言えば)「結納の日」なのだ。この結納を「花嫁から花婿へ」と主張したのはオックス。公証人がおそるおそる「普通は花婿から花嫁へ贈るものでして」と言ってもオックスは聞かない(この辺のやりとりは第1幕)。もともとオックスはファーニナル(成金貴族)の財産目当て。ファーニナルはオックスの家柄目当て(最近で言えば、シャープとホンハイのようだ。シャープはホンハイの資金が欲しかった。ホンハイはシャープのブランドが欲しかった)(続く)

ロフラーノ伯爵はイタリア系(シュトラウスはお嫌い?)

2016-06-21 17:58:01 | 音楽

バロン・オックスにかすり傷を負わせたオクタヴィアン(17歳)の名字はロフラーノ。バラの騎士の到着を待ちわびるゾフィーが「結婚は神聖なもの」と言ってぱぁーっと明るくなったところに「ロフラーノ」の合唱(写真)。バラの騎士=オクタヴィアン=ロフラーノが到着したので、人々がその名前を連呼してるのだ(競馬場で、ジェンティルーと呼ぶのと一緒)。この合唱は何度も繰り返され、ポップじゃなくてゾフィー(私の頭の中では一緒)も、聴いてる私たちも、窒息しそうに気分が高揚する。そしていよいよ「チャーン、チャ、チャン(ヘ長調)、チャーーーン(嬰へ長調)」でバラの騎士が舞台に登場(初めてこのシーンを見たとき、私、興奮して死ぬかと思った)。ところで、「ロフラーノ」は母音で終わってるからイタリア系であることが分かるが、シュトラウスはイタリアが嫌いだったという説がある。だからかね。オクタヴィアンは、終幕、かなり格好悪い。二人の女の間に立って、ぼくちんどうしていいか分からないの図。だが、「ロフラーノ」と呼ぶ合唱の音符は「ロフラーノ」以外あり得ないほど「ロフラーノ」という言葉にぴったり。まさか、ホーフマンスタールに、この音符に合う名前にしてね、と持ちかけたわけではあるまいが……因みに、最後の最後のオクタヴィアンとゾフィーの二重唱は楽譜が先に出来て、後からそれに合うように歌詞が作られたそうだ。

バロン・オックスの名のとおり

2016-06-21 09:47:51 | 音楽
さてさて、昨日「しおしおと歌う」と書いて、そう言えば、昔、「しおしおのぱ」と言ったキャラクターがいた。なんだっけ?伯母級ではなくてオバQに出てくるドロンパだっけ(因みにケロンパはうつみ宮土理さん、露出の大きい衣装でフカキョンが演じたのはドロンジョ)?それとも忍者ハットリくんだっけ?ぶっぶー。ブースカだった。うーん、私の記憶もいい加減なものだ。まあ全部覚えてたら、それこそ、「記憶と創造」でうつ病になる。そのあたりの昨日のブログ記事を読み返してみたら、私、まるでオックス男爵。オックスはオクタヴィアンと剣を合わせてかすり傷を負って、「Moerder」(人殺しー)と大げさに騒いで、ぐちぐちしながらトカイ酒を舐めてるうちにすっかり気分がよくなって、「Mit mir keine Nacht Dir zu lang」(私といれば長い夜などない)とか歌いだす。私も、うまく歌えなかったと大いに嘆いていたはずが、ワインを舐めて録音を聞きかえしてるうちにすっかり気分がよくなった。だから、このブログは「バロン・オックスのブログ」なのだよ。「Mit mir……」とは歌いませんけどね(相手がいないので)。