拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

三大テナーその2(容姿比較)

2021-02-25 10:03:43 | 音楽
三大テナーの容姿ときて思い出すのは35年前の某社長さん(女性)の「女はドミンゴよ」との発言。この発言は、ジェンダー差別に関心が強い現代ではなかなかの問題発言である。まず、「ドミンゴのようなイケメンでない男は女性にはもてない」の意味を内包しているから一部(大多数?)の男性への差別。それだけではない。女性だって、パヴァロッティのハイCにしびれる人がいるだろう。そういう女性の一部(少数なのだろうか、多数なのだろうか?)の存在を無視した発言でもある(私は、当時からこのことを強く思った)。だが、ドミンゴがイケメンなのはたしかである。ガタイもいい。イケメンとBusseig(ドイツ語読みしてね)とでは、(他の条件が同じなら)イケメンがいいというのも抗うことのできない真実なのだろう(中には、Busseigの方が浮気の心配がないからあえてBusseigを選ぶという人もいるらしいが)。じゃあ、パヴァロッティはどうだ?パヴァロッティは……それなりに、である(こういうフジカラーのCMがあった。樹木希林が出てた。あの頃はまだフィルムを現像してたのだなぁ)。そもそもパヴァロッティの容姿を特異なものにしてるのは、あの巨大な体躯と髭であるが、パヴァロッティは、デビュー後、しばらくは、あそこまで大きくなかったし、髭もなかった(カラヤンのヴェルレクの映像にそういうパヴァロッティを見ることができる)。私は、実は、髭がない頃のパヴァロッティのおかげでオペラファンになった者である。中一のときだった。第何次かのNHKイタリア歌劇団の公演をテレビで放送してて(NHKの招聘だから全公演を放送した)、どれも良かったが(スリオティスとコッソットの「ノルマ」とか、コッソットとクラウスの「ラ・ファヴォリータ」とか)、なかでも私を夢中にしたのが「リゴレット」。すぐさまクラスで仲間を募って文化祭にリゴレット(抜粋)をかけたくらいである。そのとき、テレビで見たマントヴァ公爵こそが髭のないパヴァロッティだったのだ。だが、そもそも初めて見るオペラだから他と比較ができない。だから、「パヴァロッティはすごい」ではなく、「リゴレット」がいいオペラだ、という感想であった。だから「パヴァロッティ」の名前は当時覚えず仕舞。困ったのは、レコードを買いに行ったときだ。テレビで見たのと同じ人で聴きたい。だが、名前を覚えてない。だから、レコードジャケットで似た顔を探した結果、これかな?と思ったのは今から思うとニコライ・ゲッダだった。だが、そのレコードは3枚組だったので買えず(予算は2枚組がやっとだった)、唯一の2枚組のショルティ盤を買ったのだが、そこでマントヴァ公爵を歌っていたのは前出のアルフレード・クラウス。そのレコードを横浜のハマ楽器で試聴したとき、やはり名前を忘れこそすれパヴァロッティの声が頭に残っていたのだろう、なに、この弱々しい声、と思ったものだ(その後、クラウスも大好きになった)。さあ、残るはカレーラスである。カレーラスは男前である。だが、他の二人と比べるとガタイがない。三大テナーの公演をテレビが放送した次の日、普段クラシックを聴かない女性の同僚が「真ん中の人(カレーラス)は、他の二人と比べるといまいちだった」と言う。私はカレーラスだって素晴らしく歌っていたと思ったが、なるほどとも思った。カレーラスは切々と歌うのが身上だが、あの山のように大きい二人の間に入っちゃうと、その切々さが逆に悲壮感を醸し出してしまう。構図的には、両腕を左右の人間につかまれて万歳をさせられた宇宙人の写真と似てると思った。そうかと言って、端っこだと、昔、世界中の首脳が一堂に会したときの日本の総理大臣みたいになってしまう。そういう意味では、そもそも「三大テナー」はカレーラスにとってよくない組合せであった。

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