拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

どこまで伸びる?雑草ちゃん3号

2014-06-30 20:36:33 | 日記

毎朝「雑草に水を遣る」なんて人がいるだろうか?(ここに一人いるけど)花が咲く気配はない。名前もまだない(漱石の猫か?)。それでも、伸びる伸びる雑草ちゃん3号(2号(い)改め)。ゴーヤー棚のてっぺんに届く勢い。

カンタータ第140番の歌詞(その2。deinかseinか)

2014-06-30 10:06:14 | 音楽
(承前)この曲(カンタータ第140番のソプラノとバスの二重唱)の冒頭は、ソプラノの「Mein Freund ist mein」(My friend is mine)で始まる。このデュエット、イエスと霊の会話を新郎と新婦のそれに置き換えたものだから、「Freund」を「友達」と訳しちゃいけない。そもそも、「Freund」「Freundin」は、単なる知り合いを超えた親密な関係を意味する。さほど親密ではないドイツ人女性を、他の人に「Meine Freundin」と紹介すると、ぶっとばされると聞いた。だから、「私のカレは左利き(……ではなくて(ふ、古い))私のもの」てな感じ。さあ、ここから疑問。そのソプラノに答えて、バス(イエス)が、以前は「Und ich bin dein」と答えてた。つまり、新婦:カレはあたしのもの、新郎:ボクは君のもの、で、結論が一致していた。ところが、最近の楽譜・演奏では「dein」が「sein」(彼のもの)になってる。この「sein」(彼のもの)はどういう意味か?三説考えた(最初に言っときますが、第1説は冗談です。怒らないで下さい。)。第1説:「ボクはカレのもの」。つまり、新郎は実はおねえで、彼女のほかにカレがいた。思わずバラしてしまった、とする説(だから、冗談だって。)。第2説(ここからは大真面目):「ボクは父なる神のもの」。つまり、「彼」は「Gott」を指す。第3説:「ボクは霊(=キミ)のもの」。つまり、「sein」は男性名詞の所有格であるところ、新婦は、霊。霊は「Geist」で男性名詞。だから「sein」は「霊のもの」=「キミのもの」となり、結局「dein」と同じ意味となる。このうち、第2説が一番妥当だろうけど、私的には第3説を思いついたとき、心が打ち震えた。と、ところが、ここでの「霊」は「Seele」という話がある。これは女性名詞。すると、第3説は崩れる。しかし、「Geist」も宗教的な霊の意味で用いられることもある(バッハのモテットの第2番とか)。土俵際、残ったか?

カンタータ第140番の歌詞(その1。牛になって草を食む?)

2014-06-30 09:43:10 | 音楽
今回のカンタータの会のソロ・コーナーでご指名いただいて歌った曲はバッハのカンタータ第140番のソプラノとバスの二重唱。今月の指名ランキングは私が一位!(と言っても、ご指名はお一人のみ。一人しかいない会社で社長だとえばるようなもの)で、その歌詞に、「Ich will(あなたと、天国のバラ園で)weiden」というのがある。「weiden」の直訳は「(家畜が牧場で)草を食む」。だからって「私は、天国で牛になって草を食みたい」のわけはない。私は、牧場で草を食む牛のように、ぬくぬく過ごす様を連想した。「ちゃんとした」訳は「憩う」。雰囲気としては合ってた(「憩う」なんて言葉は思いもつかなかったけれど。)。ここ、「will」になってるのは意思を感じる(天国で憩うんだいっ、という)。いつもだと、「wollte」「wolle」のような接続法で遠回しに願望を言うところです(続く)。

斉藤晴彦さんを偲ぶ(ワーレサって言ったらだーれさ?)

2014-06-29 14:04:03 | 音楽
斉藤晴彦さんがお亡くなりになったんだと。私、この方のファンだったもんね。東京文化会館でやった「テノール・リサイタル」にだって行ったさ。この方を知ったのは、こんにゃく座のフィガロの結婚。1980年代だった。当時、オペラというオペラは片っ端から聴きに行ってて。で、劇場でもらったチラシにこんにゃく座のがあったんで、こんにゃく座のことは何も知らずにチケットをゲット。そしたら、場末の芝居小屋みたいな狭い所で、オケピットなぞはなく目の前が舞台。なんだか、すごい所に来ちゃったのかな~、と不安がよぎる。で、始まった。プロの声楽家の中に、一人がらがら声の人が混じってて、この方が斉藤さんだった(アルマヴィーヴァ伯爵役)。なにやら不気味な感じ。ところが、その不気味な演技にだんだん引き込まれていく。第3幕の伯爵のアリアの例の三連符の連続を見事に歌いきったときは、客席から万雷の拍手(客席全体が引き込まれていたんですね)。それ以来、こんにゃく座のフィガロの結婚は公演のたびに聴きに行ってた。そうこうするうちに国際電話のCMに出られて(ネットニュースではトルコ行進曲に合わせて、と書いてあったけど、「こーーくさーーーいでーーんわぁはーー」はハンガリー舞曲第5番だったと思う。)、笑っていいともにも出られて、すっかりメジャーになられたのでした。私が斉藤さんの替え歌で一番好きなのは、「ワーレサって言ったらだーれさ、ワーレサって言ったらかーれさ」(軍隊ポロネーズのメロディー。この記事の冒頭の「行ったさ」は「さ」で韻を踏んだ。ウソ。偶然。)。ご冥福をお祈りします。

ヨーゼフ・グラインドル

2014-06-29 10:42:31 | 音楽
そのシーン(相変わらず、神々の黄昏での三人の復讐の誓いのシーン)、ニルソンはそのまま、他の二人を入れ替えた映像を見る(60年代のバイロイト)。ぐぐぐ(すごすぎて、声が出ない)。ここでニルソンと共演してるのは、トーマス・スチュアート(グンター)とヨーゼフ・グラインドル(ハーゲン)!特にグラインドルのすごさは何だ?体の大きさも声の大きさも桁違い。キアーラが「とっても大きな女の人」と言ったニルソンが少女のよう。声も、あのニルソンの声が小さく聴こえる。グラインドルとフリックにベーメを加えたものが、(昔の)ドイツ・三大バスなんだそうだ。それにしても、ヴァーグナー歌手はみんなでかい。なで肩のフリックが小さく見えるのも、回りがでかすぎるせいだろう。

ニルソンやフリックはバッハを歌うか?

2014-06-29 10:36:22 | 音楽
さて、これら超弩級のヴァーグナー歌手はバッハを歌うのだろうか?フィッシャー・ディースカウは歌うのこんこんちき。ニルソンは無理だろう。メリスマ苦手だし。誰でも弱点はある。アキレスの踵、ジークフリートの背中、ニルソンのメリスマ(ベーム指揮のドン・ジョヴァンニで、ドンナ・アンナを歌ってて、ちょっと大変なことになってる。ファンにとっては、あばたにえくぼですけど。)。と思いながら「Nilsson Bach」で検索したら、で、出たー(お化けじゃない)。そしたら、グノーのアヴェ・マリアだった。納得(メリスマないし。)。じゃ、フリックはどうだ?バッハは出てこない(やはり、向き不向きがある?)。代わりにファルスタッフが出た!え~?と思ったら、ヴェルディのじゃなくて、オットー・ニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」だった(「酒の歌」が有名)。納得。さらに検索してったら、「フリック名唱集」(10枚組で1402円!)を発見。注文。悪魔の声に浸るぞ!

強力トリオ(ニルソン、Fディースカウ、フリック)

2014-06-28 10:36:25 | 音楽
そのシーン(神々の黄昏で、ブリュンヒルデとグンターとハーゲンがジークフリートへの復讐を誓う場面)といえばとっておきの映像がある。ショルティがリングを録音したときのメイキング映像。ウィーン・フィルの後方にしつらえられた歌手席にニルソン、フィッシャー・ディースカウそれにゴットローブ・フリック(みんな私服)。三人三様個性が際立つ。一声発するだけで場を支配するニルソン(ドラマティック・ソプラノが苦手のはずの高音をフェルマータがついてるかと思わせるほどたっぷり歌う)。明るいよく通る声のフィッシャー・ディースカウ。対象的に、太く、深く、暗~い声のフリック。フリックの印象度はすごい。他の二人はヨーロッパ人らしい体型(長ーい足の上に大きながたいが乗っかってる。だから腰が悪くなるんだそうだ。)。それに対してフリックはわれわれ伝統的な(正しい?)日本人と同じ体型。欧米人だから足が長いということはない。ドイツ語の教材に、デートした男の品定めをする話があって、そん中に「Beinがkurz」という台詞があったし。顔も怖い(最初に見たフリックの顔が、魔弾の射手のオペラ映画でのカスパール(悪魔の手先)だったんで、怖い印象がすり込まれた。)。フリックの声を聴いた後、自分の声を発してみた。おおっ、リリック・テナーじゃん!最近、あっちこっちで声が太いと怒られてる私ですが、フリックに比べれば風に舞う羽衣のよう。この三人の声の競演(ウィーン・フィルのホルンなんか吹き飛ばす)、すごすぎて息もつけない。

ブリュンヒルデに指輪の相続権はない!?

2014-06-27 09:19:35 | 音楽
「オペラと悲鳴」に戻って。刺されるといえばカルメン。しかし、あまり悲鳴は聞かない。その前のドン・ホセとのやりとりがもう悲鳴みたいだから。これが夫婦げんかだったらいい近所迷惑。カヴァレリア・ルスティカーナ(マスカーニ)のトゥリッドウも最後決闘で殺されますが、現場は舞台から見えない。悲鳴をあげるのは決闘を見てた近所の人。ところで、トゥリッドウが殺されたのは、(内縁の)妻のサントゥッツァが嫉妬から車屋のアルフィオに告げ口をしたのがきっかけ(車屋は強い。決闘では勝てない。車屋に飼われてる猫も強い。漱石の「猫」に出てくる車屋の黒とか。)。そういやー、ジークフリートが死んだのも妻(ブリュンヒルデ)が夫の弱点をハーゲンに教えたから。にもかかわらず、ブリュンヒルデは自分が夫の相続人だと言って指輪の所有権を主張。いやまてよ。ブリュンヒルデは相続できないぞ(人を殺すとその人の相続人になれない=相続欠格)。ブリュンヒルデは「あたしは関係ない、ハーゲンが勝手に殺ったこと」と言うだろう。しかし、第2幕で、ハーゲン、グンターとともに「Siegfried falle!」(ジークフリートは死ぬのだ)と歌ってる。これは殺人の共謀共同正犯です(検察側の主張)。なお、「faellt」じゃなくて「falle」なのは接続法一式。フィデリオで「Er sterbe」と言うのと同じ。

ヴァーグナーのリングでの「Spitze」

2014-06-26 09:06:39 | 音楽
自分で書いた「Spitze」(先っちょ)で、なにやらワクワクする私。原因はなんだ?しばらく分からない……もやもやする……分かったっ!ヴァーグナーのリングだ!まず、「ヴァルキューレ」の大詰め、ヴォータンが「Wer meines Speeres『Spitze』fürchtet,durchschreite das Feuer nie!」(私の槍先を畏れる者は、(ブリュンヒルデを守る)この火を超えてはならぬ)と歌う。ここを、本物の神様のように歌ったのはハンス・ホッターだそうで。その神様の逸話。あるとき、ホッターは舞台である岩山から突然姿を消す、しばらくして再登場。岩戸に隠れてたの?ではなく、こけて転落したんだけど必死によじ登ってきたそうな。真面目なドイツ人の典型(出ない高音にいつも挑むクルト・モルを思い出す)。もっとすごい「Spitze」は「神々の黄昏」の第2幕、二組の結婚式のさなか、ブリュンヒルデがジークフリートの裏切りを知って大激怒する場面、ジークフリートとブリュンヒルデがそれぞれ槍の「Spitze」に誓いをたてる。ここ、すごい。二人が交互に「シュピッツェッ」と高い音で歌う。でも、ギネス・ジョーンズの「シュピッツェッ」の音量と迫力には、たいがいのジークフリートは歯が立たない。

スカルピアとオックスの比較

2014-06-26 07:39:16 | 音楽
刺されて悲鳴をあげる男といえば、オックス男爵(バラの騎士)も。スカルピアと比較しよう。スカルピアは女に刺される。オックスは役の上では男、実際は女に刺される。スカルピアは胸深く刺される。オックスは、剣の先っちょ(Spitze)が腕にあたる。刺された直後、スカルピアの発する「Maledetta」はリズムだけで音がない。オックスが発する「Mord!」(人殺しー)にはしっかり音が付いてる(高いミ。さすが、音にできないものはないと豪語したリヒャルト・シュトラウス!)。スカルピアは数分後に息絶える。オックスはトカイ・ワインを飲んでいい気持ちになってワルツを踊る。バラの騎士、コメディーの面目躍如!

スカルピアの悲鳴はト書きにあった

2014-06-25 10:08:36 | 音楽
「オペラと悲鳴」の続き。「刺されて悲鳴」と言えば、最近も記事にしたスカルピア。ときどきあがってくる疑問。カラスが……じゃない(つい、トスカとスカルピアというと、カラスとゴッビを思い浮かべちゃう。)、トスカが使った凶器は果物ナイフ。これで致命傷を与えられるか?めった刺ししたなら別だけど、刺したのは一回だよな~、で、あらためて台本を見ると「トスカはナイフをスカルピアの胸にふかぶかと(in pieno petto)刺す」とある。プロの仕事じゃん(スパラフチレの弟子だった?)。ところで、こないだ当ブログに、「スカルピアの悲鳴は楽譜にない」と書きました。が、台本(ト書き)にはあった。「ma l'accento voluttuoso si cambia in un grido terribile」(しかし、好色な声は恐ろしい悲鳴に変わった)。うーん、まだまだ勉強が足りん。それにしても、スカルピアが息絶えたときカラスのトスカが歌う「È morto! Or gli perdono!」(死んだ、許してやろう)はドスが利いてる。さすが、元メゾ。

ムートン’84を飲む

2014-06-23 19:58:49 | グルメ

今年の「いいワイン飲み」(数年前から、貯め込んできた銘醸ワインの消費に入ってる)は、シャトー・ムートン・ロトシルトの1984年。この年のラベルの画家はアガム(写真1枚目左)。1984年はボルドーのはずれ年(値札を見たら4,980円。はずれ年にしても安!私が買うはずだ)。はたして生きながらえてるか?コルクも心配。で、コルク抜きは特別なやつを使用(2枚目。コルクの両端に金具を挿して挟んで抜く)。だめだ、あと一息のところでコルクが瓶中に落下。しかし、これは想定内。濾し器付のワインシャワーでデカンティング(3枚目)。色は悪くないぞ(1枚目右)。さあ、どうだ?生きてたー!最高品質ではないが、劣化は免れた。それにしても、濾し器、すぐれもの!

裸のアンナ・モッフォ(オペラ歌手と映画)

2014-06-23 13:32:45 | 音楽
そのアンナ・モッフォ、映画にも出演。そこで脱いでる。「役のためだったら裸も厭わない」ということだけではないらしく、映画以外でも脱いでる。脱ぐのが好きだった?その映画の一つ、「ローマのしのび遭い」、う~~~、わんっ、じゃなくて、見たいっ。検索すると、中古で336円で出てる。ひえ~、買う~、と思ってよく見たら、DVDじゃなくて、映画のパンフレットだった。そのパンフレットの表紙の画像に「Love me,baby,love me」という副題。不思議。原題は「Una storia d'amore」なんだけど(よくありそうな題名で、これで検索すると、複数の映画がヒット。カンツォーネもヒットする。)。調べたら、「Love me,baby,love me」はイギリスでの題名なんだと(日本の関係者はイタリア語より英語の方がなじみがある、と思ったんだろうか)。因みにドイツでは「Die Geliebte」(愛人)。題名を意訳するのはどこの国も同じみたいですね。その他、オペラ歌手の映画出演と言えば、ティト・ゴッビ(バリトン、つまり男)。芝居が超上手ということで、映画に多数出演してる。日本でイァーゴを歌ったゴッビの演技を見た日本の有名役者さんが「俺たちより上手いや」と驚嘆したとか。だから、裸に自身がある、ということではない……が、その日本公演で、ゴッビはブルマー(みたいの)にタイツ、という出で立ちで、おみ足が妙になまめかしい。この公演のビデオを人に見せると、みんな足についての感想を言う。あと、シャリアピン(ステーキでお馴染み!)は、「ドン・キホーテ」という映画に出てるのは有名。

悲鳴(アンナ・モッフォ)

2014-06-22 07:42:36 | 音楽
飲み屋で大河の音楽が話題になった。私が人生最初に見た大河は「源義経」。武満徹作曲のテーマを歌う私。考えて見れば、これ50年前。それどころじゃなくて、二作目の大河「赤穂浪士」はリアルタイムでは見てなかったけど、音楽(芥川也寸志)は知っててそれも歌う。古いって?でも、シュッツは400年前……400年か。結構最近じゃん!(マショーは700年前)さて。最初に買ったリゴレットのレコード(私が最初に買ったオペラのレコードでもある)で、ジルダを歌ってるのはアンナ・モッフォ。スパラフチレに刺されるとき「きゃ~~」と派手な悲鳴を挙げる。この場面での悲鳴はあまり聞かない。だってスパラフチレは殺しのプロですから、がいしゃ(刑事ドラマか?)に騒がれるような下手な刺し方はしないはず。とにかくモッフォは芝居っけたっぷり。その後息絶えるときも「は~~」とため息。その歌も派手で、装飾音はつけまくり。歌の最後は必ずオクターブ上げる。美貌でも名を馳せたんだそうだ。ところで、私が子供のころ、百科事典(20巻以上あった)を引くのが日課で。私のよもやま知識の大半はこの事典から得たもの。で、そこにモッフォも載ってて、声がよくないと書いてあった。え~?レコードで聴く声はきれいだけど。どこがよくないんだろ?と、腑に落ちない少年の私。活字になってるものは正しいはず、と信じていた子供は、自分の感性とのギャップに悩んだのであった。今では、おおえばえりで言っちゃうもんね。「モッフォは美声だった」(辞書は、変なことを書かないで欲しい)。声の酷使で衰えが早くきた、という話もある(Wiki)。

イーヒッ、アーゲン(しまらない)

2014-06-21 13:37:02 | 音楽
(Hは廃れる、の続き)ドイツ語だって、言葉の間に入るHは発音されない。昔は発音されてたんだと思う(今でも、ゆっくりしゃべるとHが入ったりする)。もし、語頭のHも発音されなくなったらどうだろー?神々の黄昏の大詰め、ジークフリートを殺したのは「俺だ、ハーゲンだ」と言うところ、「イーヒッ、アーゲン」。う~、しまらない。それから、パルシファルで、クリングゾルとクンドリーの魔法使いコンビはしょちゅう侮蔑しあう。「Ha!」と鼻で笑って。例えば、クリングゾル「Ha!俺だけにはお前の魔力は効かないんだ」、クンドリ「Haha!(言い返すとき、Haが増えてる)あんた童貞?」(童貞と言われて怒り狂うクリングゾルが妙に可愛い)。これが「あ!」「ああ!」だと侮蔑した感じが出ない。そういやー、ヴェーバーの魔弾の射手のオープニングで、村人みんながよってたかったマックスのことを「へっ、へっ、へっ、へっ」と笑う。Hって侮蔑的な音なんだろうか?この部分、付いてる音楽も侮蔑的でなんか好かない。