拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

高安まちまち

2023-05-31 18:36:29 | 音楽

先週末、ぶっつけで、モーツァルトとフォーレのレクイエムを「通」して歌「唱」する「会」が開かれ、私は、クラリネットとヴァイオリンとチェロで参加させていただいた(あと、アカペラのときはアルトを歌った)。全員とのアンサンブルはそれはそれは壮大で素晴らしいのはもちろんだが、別の楽しみもあって、それは「同族」でのアンサンブル。例えば、モツレクのうち2曲はピアノのY先生がクラに回ってくださりクラの二重奏が実現していつも通り楽しかったし、ヴァイオリンやチェロを弾くときは、お隣のヴィオラ氏とのアンサンブルが面白かった(ヴァイオリンのときはヴィオラ氏の上、チェロのときはヴィオラ氏の下、そうした上下移動もスリリングだった)。そんなことを言ったら、アカペラだってまさに「同族(声)」のアンサンブルである。

個人的な出来を言えば、フォーレクのチェロにうーんと高い音があってポジションチェンジが余儀なくされるので、そればかり練習してたら基本のポジションが怪しくなってきて、いっとき途方にくれ、どうしよう、高い音をさぼろうか、などと考えたが、結果的に一番上手く弾けたのはその「高い音」であった。「練習は嘘をつかない」が真理であることを実感した(この真理を、私は、暦が一還りするまで知らなかった)。それから、モツレクの「Dies Irae」は、本当はヴァイオリンを弾いた方がいいのだが、速い16分音符が大変なのでクラに逃げたのである(テンポがLargoなら弾ける(←バカ))。よし、鬼に笑われても来年に備えて今からさらおう、そしたら弾けるかな(と、1年前も言っていた)。

このような、楽しく、ありがたい機会を提供してくださった主催のF井さんに心から感謝である。因みに、私も、「通」して歌「唱」する「会」の主宰者の連絡会の末席を汚していて、誰もやらなかったコロナの初年度に4つ開催などという浮世離れなことをやり、そこで燃え尽きて今に至っている。よく人から「お前は、高低の差が激しすぎる」と言われるが、株だってそうだ。うーんと高いときがあれば地を這うほどに安いときもある(そこでつぶれなければ(うーんと時間はかかるかもしれないが)再び高嶺に跳ね上がるかもしれない)。因みに、大相撲の高安関の名前を聞くと、常に「高安(たかやす)まちまち」と言う株価の実況を思い出す。高い株もあれば安い株もある、という意味である。

そんな感じで数年来「安」だった私の心価だが、最近、たまに某子さんと「次回」のことを話したりしている今日この頃である。


誤字俗字

2023-05-27 08:37:09 | 言葉

じゅんばんが
ちがうといわれた
むかしはね
いまはどうせい
そしてけっこん

チコちゃんで、日本に梅雨があるのは、めぐりめぐってチベット高原があるからだ、と言っていた。めぐりめぐって、と言うのならインドがユーラシア大陸にぶつかってチベット高原ができたのだから、そのことが大元の原因のはずだ……いや、インドが大陸にぶつかったのはプレート移動のせいだから、地表がプレートで被われているのが原因……いや、そもそも……なーんて言ってたら因果の流れははてしなく続き、最終的には宇宙の誕生=ビッグバンにたどりつく。たしかに、「ビッグバンがなければめぐりめぐって梅雨はなかった」のだから、因果関係は十分に成立する。

あと、チコちゃんで、いろんな漢字の「さいとうさん」がいるのは、明治になって誰もが名字を名乗ることになり、役所に登録に行った際、字を「間違えまくったから」というのは、これは十分にガッテンである。なるほど、だから「誤字」と言うのか。私がかつてやってた商売=某士業においては、「誤字脱字」が重要な意味を持っていた。例えば、不動産売買の際の登記においては、買主(新所有者)の氏名は申請書に書いたとおりに記録されるのだが、この買主の氏名ってやつが曲者で、それこそ、さいとうさんだったらいろんな漢字があり、少数の「正字」と大多数の「誤字・俗字」に分類される。こだわらない人もいるが、多くの人は、先祖伝来の由緒正しい字なんだから戸籍通りに登記してくれ、と言う。だが、いっとき、登記できる文字が正字に限られた時代があり、そのときは、「残念ながら、この字を登記できないんですよ」とお役所になりかわりお客さんに謝ったものである。今では、多くの誤字・俗字による登記が可能になっているが、それはそれで一苦労。ワープロが変換できないが登記可能な字については「外字」をこしらえたものである。そこだけ手書きにすれば簡単に済むのだが、全部ワープロで打つ、という変なプライドがあったのだ(いまでは、お役所のサイトで、この外字を簡単に拾ってこられるようになっている)。

「ワープロ」と書いたが、これは現在は死語らしい。因みに、上記の士業者は、大昔は申請書を手書きしていた。その後、タイプになり、私がその仕事を始めた頃はワープロが全盛になりつつあった。インクジェット・プリンターでもOKなどという先例が出たのもこの頃である。その当時でも、どこどこのなんとかという先生は、申請書を筆で手書きしてるなんて話が業界を駆け巡ったっけ。その後、オンライン申請が可能になり、新しもの好きの私はすぐに飛びついた。今は昔の物語である。

そうそう、あと、「○藤さん」の名前の由来は、○という役職等に就いた藤原さんが「○」と藤原の「藤」をくっつけて名乗ったのがきっかけという話(チコちゃん)も面白かった。「正解」にはときどき文句を垂れるワタクシだが、総じてタメになる番組である。


下北沢で一句

2023-05-26 10:00:02 | 日記

中華そば
そば粉がまるで
入ってない
それでもそばと
言っていいのね

俵万智さんは私より4つ下だから入れ替わりだなー。尊敬する大学の先生の薫陶を受けて短歌の道に入ったという。本来、大学とはそういう所である。ワタクシの場合は、大学生活=室内合唱団生活であって、薫陶を受けたのは大学の先生ではなく合唱団の先生だが、ま、それでも大学に行ったから室内合唱団に入れたのだから、大学に行った甲斐があったと思おう。

さて。まるで様変わりした下北沢は、40年前、室内合唱団の卒業後(正確に言うと、大学を卒業したので室内合唱団を卒団した後)、入ったSM合唱団の練習に毎週通った町。練習場所の線路沿いの某スタジオは、実はNHKのドキュメンタリーで一躍有名になった某ピアニストのご実家であることをずっと後に知った。すると、あのおばさまは当該ピアニストのご母堂であらせられたんだなー。

その下北沢は、何回か前のブラタモリの舞台。今は若者の街の下北沢は、その昔はお茶の産地だったそうな。で、下北沢の印象を聞かれたタモリさんが「演劇、古着屋、レコード」と言っていた。そう、レコード!SM合唱団の練習の前に私が必ず立ち寄ったのが下北沢のディスクユニオン。わが家にある某大な数のレコードの多くはここで購入した中古レコードである。そのレコードは引越屋の段ボールに入って押入を占拠しているのだが、レコードにぴったりの収納箱がないか?とググってたらディスクユニオンが販売するレコード専用の箱がヒットした。ウチのレコードの多くはオペラでボックスだから30センチ四方だと収まらない。レコードが入ると謳ってる箱の多くはこの点で失格である。だが、餅は餅屋。ディスクユニオンはその道のプロである。多分大丈夫だろう、寸法を見ても余裕があるように見える。ということで、試しに1セット(5枚入り)を注文。来た。詰めてみた。おお!

レコードが
ぴったり入り
いい気持ち
レーザーディスクも
これに入れよう


餃子で口説く(ダメならピザで)

2023-05-25 09:06:32 | グルメ

というわけで(いつの話の続きだ?)、今回は餃子を皮から手作り。

左が前回、右が今回。お店屋さんみたく大判にしたかった夢がかなった。その分、個数は減って17個(前回は25個)。

皮の製造過程はこんな案配。

多くの人がやってるように、生地を棒状にして切ったのだが、思った。どうせ、円盤状にするんだったらいったん棒状にする必要はないのではないか。球状のままで分割すればいいのではないか。次回はその方法でやってみよう。今回、生地をこねた後、寝かせなかったが、次回は少し寝かせてみよう。今回はちょっと薄すぎて破けやすかったから、次回はもう少し厚みをもたせよう。等々。しばらくは試行錯誤である。

このところ、具の野菜の切り刻みをブンブンチョッパーでやっていたのだが、別にプロの料理人を真似る必要はないから包丁にはこだわらないのだが、ブンブンだと容器の中にどうしても切カスが残ってしまう。なので、今回はまな板の上で包丁でみじん切りにした。やはりブンブンとの差は歴然。まあ、粗いのも歯ごたえがあって悪くはないのだが(粗いにもほどがあるという噂も)。

ま、とにかく餃子作りは嫌いでない。「嫌いでない」の解釈には、「嫌いではないが好きでもない=真ん中」の意味もあるが、反対解釈をすれば「好き」である。ここでは後者の意味である。因みに、ドイツ語の「nicht schlecht」(悪くない)は「良い」の意味で使われることが多いと思ったのだが、「悪くないが良くもない」の意味で使ってる人がいて、その人はギリシャ人なのだが、疑問に思ったものである。そう言えば、「国会中継」「相撲」「高校野球」等々でなかなか進行しない夕方の「ひらり」の再放送だが、この朝ドラ(夕ドラ)の中で、伊東ゆかり演じるひらりの母が夫の親友と不倫しそうになるのだが、その不倫相手候補がなにかにつけ「悪くない」と言うのが大層キザに感じて、もう、まどろっこしいなぁ、好きなら好き!と言えよ、と思ったもので、だから、上記で「嫌いでない」などと書きながら、あの不倫相手と同じことをしている、と忸怩たる思いをしたワタクシであった。話を戻す。餃子作りは、だから好きである。これを口説き文句に使おう!奥地に引っ込んだら、「ねえねえ、ウチに餃子を食べにおいでよ」といって口説こう!え?お話にならない?じゃ、ピザならどう?

これは一昨日の夜の作品である。ほうれん草のトッピングの仕方は、試行錯誤のうえ、まず炒めて、それをピザソースを塗った生地の上に乗せ、その上にチーズをかけて焼くとほうれん草が焦げなくていいことが分かった(なお、冷凍したバジルは冷凍した分、一番上に乗せても大丈夫である)。全体に、焼き具合には満足。ひとえにアラジン・トースターのおかげである。だが、全体の味はいまいち。小麦粉とチーズのせいだと思う(蕎麦派とうどん派のトークバトルの番組で、蕎麦派が「うどんは原料によって差はつかないけど、蕎麦はつく」と言っていたが、小麦粉だって地域等による違いがあるのではないか?)。「いまいち」なんて書いたら誰も来てくれないだろ、と心配してくれた?大丈夫。口説きにひっかかった……もとい、同意してくれた方がいらした際は、いつものスーパーのとろけるピザチーズではなく、モツァレラのナチュラルチーズを使うから!

 

 


悪い人間

2023-05-24 08:01:30 | 

猫も、人間同様メタボだと成猫病になりやすい。しかも、うちのケメ子は(多くの猫がそうなのだが)吐き癖があり、ご飯が多いと際限なく食べて、そして吐く。だから、これまでご飯量を制限していた。だが、最近、痩せて怒りっぽくなる猫の病気がある、と聞いて、なんだかケメ子にあてはまる気がして心配になった。そこでご飯の量をちょっと増やすことにした。かつ、一度に食べて吐いてもいけないので、食事の回数を2回から3回にした。

これで太ってくれるだろうか。ご飯を多めに与えてはケメ子の体を触ってチェック。なんだか、「ヘンゼルとグレーテル」で、ヘンゼルにお菓子をたくさん与えつつ、ヘンゼルの腕を触って食べ頃を探った魔女の気分である。

すると、如実に結果が表れた。ふっくらしてきて怒らなくなった。そうか、ご飯が少なくて怒ってたのか。ごめんごめん。だが、かと言って、このまま右肩上がりに体重が増えていったらメタボになって成猫病の心配が現実のものとなる。さじ加減は微妙である。

なお、「ご飯」と言っても、お米のことではない。その昔、「ねこまんま」と言って、本当に猫のご飯はご飯だった。米飯にちょっと何かを混ぜる程度だった。だが、肉食の猫にご飯ばかり与えてよいはずはない。だから、昔の猫は短命だったのである。私がウチの2ニャンに与えてるのは「完全栄養食」の表示のあるドライフードである。

因みに、江戸時代の江戸では、人間様も米飯(白米)ばかり食べていた。それが江戸町民の生き甲斐だったらしい。だから江戸町民には脚気が多かったそうだ。日本人は、本来、ストライキその他の社会運動に冷ややかであるにもかかわらず、天保の大飢饉の際に江戸で打ち壊しが起きたのは、米の値段が高騰したからである。食事のほとんどを占めていた米が高騰したら食べるものがない。つまり、インフレが町民の生活を直撃したからである。

欧米では、市民の多くが社会運動に親和的である。民主主義が戦後、上から降ってきた日本と違い、自分たちの手によって勝ち取った歴史があるからだろう。こないだも、フランスで鉄道がストをして、多くの市民の足に影響したのだが、市民の多くが「自分たちにとっては不便だが、彼らがストをすることは理解できる」と言っていて、彼此の違いを思ったものである。なお、ストライキ権は、日本においても、憲法で保障された人権である。

「ヘンゼルとグレーテル」にちらっと触れたせいで、あの魔女に名前があったかどうか急に気になった。例えば、「眠りの森の美女」の魔女は、アンジェリーナ・ジョリーが魔女を演じた映画では「マレフィセント」という名前がある。Wikipediaの「ヘンゼルとグレーテル」のドイツ語のページで確認してみた。一貫して「die Hexe」(定冠詞+魔女)で名前はないようだ。一箇所、「die böse Hexe」(悪い魔女)と書いてる部分があった。「人食い」だから人間からしたら「悪い」魔女だろう。だが、それを言うなら、ラーメンにチャーシューを入れる人間は、豚から見れば「悪い人間」である。


見切り品男とは私のこと

2023-05-23 13:55:01 | グルメ

なんかの字幕で「crazy」が「やばい」と訳されていた。うちの電子辞書は20年前に買ったものだが、「crazy」「やばい」のどちらにも「すごい」が載っていた。そんな昔から肯定的な意味で「やばい」と言ってたんだなぁ。当時、ジャパネットは電子辞書をさかんに売ってたが、今ではまったく見なくなった。代わりに、ウォーターサーバーだとか、豪華客船によるクルーズだとか、各地の名物料理を毎月送るだとか、そういうものに力を入れているようだ。当時、私は、ジャパネットを「甲高い声の社長さんの会社」と書いていたが、甲高い声の社長さんは、社長の地位だけではなく、経営権(株)もすべて息子さんに譲渡してなかなか潔い去り方であった。と思ったら、こないだ、一視聴者の「タカタさん」として自分とこの番組に登場し、商品を宣伝……いや、あくまでも一視聴者だったら感想と言うべきか……を仰ってた。

朝ドラで万太郎が実家の使用人のタケオに働かせた金でレストランでステーキを食べていた件について、「こういうところにお坊ちゃまが出ている」という意見に賛成である。そう言えば、映画「ラストエンペラー」で、獄中の人となった溥儀が自分では靴下もはけず、同獄の元使用人(?)が泣きながら履かせてやるシーンがあったと思うのだが合ってるだろうか。かなりの大作だったから、確認するために録画を見る勇気がいまいち出てこない。

こないだから十割そばを食している。健康を考えてのことだが、やはり「十割」はお高い。激安スーパーならいくぶん安いかと思ったら、激安スーパーには「十割そば」は置いてなかった。代わりに「茶そば」を買ったのだが、裏の成分表示をみると最初に「小麦粉」が来ている。ということは蕎麦より小麦粉の分量の方が多いということ。小麦粉が9で蕎麦が1だったらどうしよう……という心配はない。使用比率(%)が書いてない場合は最低でも3割は入っているというから。

最近、とんと卵を食してない。卸値の値上がり率は1.6倍ということだが、私は特売日に99円のパックを買ってたから、私にとっての卵の値上がり率は3倍である。だが、ハンバーグやシュニッツェルを作るときの「つなぎ」として卵は必要である。なにか代わりになるものは?と思ったら、マヨネーズが結構代用になるという話を聞いたので、早速ハンバーグに使ってみた。

つなぎ役としてはいまいちで一部分解してしまった(写真は、「整形後」のものである)。そう言えば、餃子にはつなぎはいらなかったよなー、そうか、皮に包むからいらないんだ!と気づいてだいぶ利口になった気分のワタクシである。因みに、この日は、実は、餃子だけを作るつもりだった。ところが、5個包んだところで、残りの皮がカビてることが判明。そこで、仕方なくハンバーグに転用したのである。次からは、皮も自分で作ろうと思う。

カビた皮は消費期限をたった1週間すぎてただけ。それでも傷む季節なのだなぁ。昨日、スーパーで購入した野菜はすべて「見切り品」だから、

早めに消費しなければ。ということで、パセリは全量を餃子つうかハンバーグの具に使用。この日の餃子(つうかハンバーグ)の具は、豚肉とパセリのほかは、タマネギ、キクラゲ、椎茸という変則ヴァージョン。餃子にキャベツも白菜も使わなかったのは初めてのことである。


洗面器の活用術

2023-05-22 18:09:30 | 日記

10代の頃は、ストレートヘアだったのに(写真左)、歳が一回りしたらくせ毛になった(右)。中学までは、毎月床屋に行っていた。高校、大学んときは、ほぼ床屋には行かなかった。社会人になったらまた毎月行くようになった。今は、鬱陶しくなったら行くことにしていて、だいたいある日突然鬱陶しくなり、それは計ったように3か月に一度である。

その床屋はカットだけで千円。消費税込みで1100円だったが、今月行ったら1200円に値上げしていた。インフレの波はこんなところにも、である。生活防衛のため、今後は鬱陶しくなってもそこから少し我慢して(合唱指導の先生が仰ってたが、歌を歌うときも、十分息を吸ったと思っても、そこからさらに少し息を入れられるという)、4か月に一度にしよう。

床屋だけはない。マンションの管理費も値上がったようだ。ところが、それを承認した総会の議事録に、「値上げの件」とだけ書いてあって、いくらになったかは書いてない(ありえない話である)。ここに来て、マンションの住みづらさをつらつら感じるようになった。管理費もそうだし、騒音問題もある(マンションの住民は被害者にも加害者にもなりうる)。古くなると水漏れの心配もある(お隣のトイレがこないだ夜中に壊れ、水浸しになって階下に漏れたらしい。そこへ行くと、一戸建ては、たとえ雨漏りがあっても、自分だけ我慢して洗面器を置けばすむし、ブログネタにもなる)。だいたいダメになるのは水回りである。わが家の場合、お風呂の扉を閉めてはいけないし(入浴中に閉まったら最後、開けられないから「巌窟王」になってしまう(巌窟王で合ってる?))。キッチンのガスコンロの魚焼き器は山ほど便利なのに故障して使えないのだが、備え付けコンロなので簡単には取り替えられない。取り替えるとすればリフォームになるが、今さらリフォームする価値があるようには思えない。「奥地への移住」の考えが再び浮上してきたのにはそうした背景があるのである。さてさてどうしたものだろうか……若くない、ウェルテルではないワタクシの悩みである(ウェルテルの悩みと異なり、色っぽくない悩みである)。


白鳥

2023-05-21 09:50:34 | 音楽

西の空に一点、輝く星は宵の明星=金星のようである。

時刻は夜の7時のちょい前。陽の名残りだろうか、空の色が黒ではなく群青色、きれいである。星座アプリによれば、金星の左上に火星があるはずなのだが、赤い星影は見えなかった。

さて。始動した木管カルテットの課題曲であるサン=サーンスのカプリースは、一般に知れ渡った人気曲ではないが、演奏してみると大層楽しく、頭の中で鳴り続ける、すなわち、「後に残る」曲である。なんでもサン=サーンスは、生前はヨーロッパを代表する大作曲家の扱いだったのだが、その反動からか、没後は逆に不当な低評価を浴びせられたという(指揮者のカール・ベームについても同様のことが言えそうである)。特に、日本では、クラシック音楽については長らくドイツ偏重主義がまかり通ってきたからなおさらである。逆に言うと、まだ知らないサン=サーンスの名曲がごまんとある、お宝の山がそこにある、というわけで、そう思うとわくわくする。以下、そのサン=サーンスに関する私の思い出である。

最初にこの作曲家の名前を知ったのは、多分、多くの人がそうだろうが、中学の音楽の授業で習った「動物の謝肉祭」だった。だが、この作品が、他の作曲家の作品のパロディや、音楽評論家に対する当てこすりにあふれてることを知ったのは最近のことである。だから、彼の生前、演奏は常に非公開で行われたという。その中で、抜群にきれいな「白鳥」は、チェロを始めた人が、バッハの無伴奏チェロ組曲と同様に、将来絶対弾いてみたいと思う(あるいは、弾くためにチェロを始める)曲だと思うが、かくいうワタクシもそのクチなのだけれど、始めてみて分かったのは、この曲は相当に音が高い。ほとんど一番高い弦だけで弾く曲である。しかも、ヘ音記号でなく、テノール記号で書かれている。以上のことから相当にハードルが高い曲である。もし、私が、ソロ・コーナーだとかセッションとかでこれを弾いてたら、オクターブ下げたインチキであることを最初にばらしておく。なお、評論家に対する音楽家の反撃(作品の中での当てこすり)で思い出すのは、リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」、それからヴァーグナーの「マイスタージンガー」あたりである(ベックメッサーは、批評家ハンスリックへの当てこすりだという)。

サン=サーンスのチェロが「白鳥」なら、ヴァイオリンは「序奏とロンド・カプリチオーソ」。中学時代、学校を通じて定期購読していた音楽雑誌の付録の17センチLPで聞いたのが多分最初である。ちょっと前のセッションで、この曲を弾かれた方がいて、「一度弾きたかった」と言って感激しておられた。相当な難曲だから、私は1ミリも弾こうと思ったことはない。

私にとって、泣ける映画5本の中に入るであろう「ベイブ」(牧羊豚の物語)で鳴り響くのはサン=サーンスの交響曲「オルガン付き」。クライマックスで、牧羊犬コンテストに出場した子豚のベイブが見事に羊を整列させるシーンで敢然と鳴り響くのだが、あらためて全編を見直してみると、その音楽の断片はすでに冒頭から鳴っていた。この曲を知ったのは「ベイブ」よりずっと前、レコード屋さんの店内において。なにやら豪壮な音楽が鳴っていて、びっくりして店員さんに曲名を聞いて教えてもらったのが最初である。

オペラ・ファンならこの曲を語らないわけにはいかないのが「サムソンとデリラ」。特に、デリラの歌う「あなたの歌声に心が開く」。デリラがサムソンをたらしこむとき歌うアリアで、色っぽさで言ったら古今のアリアで3本の指に入る(私見)。私は、別に男をたらしこむつもりはないが、この曲が歌いたくて歌いたくて仕方がない。だが、最高音がソ♭。音域外である(出したことがあるが、オルフの「カルミナ・ブラーナ」に出てくる「焼かれる白鳥」のように悲惨であった(なお、「焼かれる白鳥」が悲惨なのはイメージに湧くその光景であり、音自体はレだからカウンターテナーにとっては悲惨になるような高さではない)。それでも、どうしても歌いたいので、音を下げて、セッションでもソロ・コーナーでも歌ったのだが、私自身が原調に慣れ親しんでいるのでしっくりこない。この曲を原調で歌えたら男をやめてもいい(もうやめてるという噂も)。

ところで、冒頭に「ドイツ音楽偏重」についてふれた。それって、とりもなおさず視点がウィーン古典派と、それに続くドイツのロマン派に集中していたことの表れである。だが、バロック音楽は、フランスの宮廷において燦然と輝いていた。さらに、ルネサンス期の前半、世界中に作曲家を供給していたのはフランドル地方(フランス北西部からベルギーにかけての地域)である。イタリアもしかりで、ヴェネチアで当初活躍していたのはフランドル出身の作曲家である。その意味で言えば、映画「アマデウス」で、ドイツ音楽を小馬鹿にするイタリア人音楽家だって、そうそう大きな顔はできないはずなのである。


大人様ランチ

2023-05-20 09:13:27 | 日記

ほうれん草を収穫した後のベランダのプランターに、再度種まきをしたのは火曜日。なんと木曜日に発芽。

二日で発芽って早くね?(「ね」は「ない」が縮まったもの。「nai」が「ネ」になるのはフランス語ぽい。さらに二日経った今朝、もう一個の発芽を確認した)

トーク番組で、ゲストが「毎日献立を考えるのが、た」まで言ったので、その後、「のしい」と続くのか「いへん」と続くのが気になった。気になって考えてる隙にゲストが言葉を続けてしまって、実際、何が続いたのかは未確認である。

ヒナゲシは、虞美人草とも言われている。因みに、三方ヶ原で家康の身代わりになった夏目広次の末裔である夏目漱石がプロの作家になって最初に書いたのが「虞美人草」である。ってことは、その前の「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」はアマチュアの作ということになる。アマチュア音楽家であり、最近はアマチュア作家の自称をも目論んでいる腹黒いワタクシはなんだか誇らしい気分である。

その「腹黒い」は、昔、ひとはお腹で考えると思われていたのでできた表現だという(チコちゃん情報)。「昔」?いや、最近、再び「腸が考える」と言われ始めた。因みに、「腹黒い」をセールスポイントにしていた円楽師匠は、ホントは他人思いの優しい人だったそうだ。腹黒くないのに腹黒いと言ったのだから、円楽師匠は嘘をついたことになる。それから、上記で、ワタクシに「腹黒い」の形容詞を付けたのは、次にこの話題をもってくるための演出である。だからワタクシも嘘をついたことになる。

今週のチコちゃんは、お子様ランチのことも取り上げていた。お子様ランチは、子供の好きなハンバーグやスパゲッティを組み合わせたプレートだというが、これらは大人の私だって好きである。なんで「大人様ランチ」がないんだろうか?思うに、お店側とすれば、ハンバーグやスパゲッティを単品で頼んでもらった方が売り上げが上がる。だからか。とか思ってたら、「大人用のお子様ランチ」のメニューが増えてるそうだ。だが、画面に映ったメニューは3600円!たっか。仮に、この店が「子供用の(本来の)」お子様ランチも提供していて、そっちを注文したのが大人だったら3600円になるのだろうか。だったら子供を連れてって、その子名義でお子様ランチを注文し、アリバイ工作で子供にはエビフライの尻尾をちらっと舐めさせ、「あれま、もうお腹いっぱいなの?残しちゃもったいないからお父さんが食べてあげるね」などという「腹黒い」大人が現れるに違いない。とか思ってたら、なんと、五文字のイタリアンが出してるキッズプレートは、60歳以上の大人でもOKらしい。今度注文してみよう。だが、キッズプレートと赤ワインを両方注文するのはなんか背徳の匂いがする。


李白

2023-05-19 08:36:06 | 音楽

猫ハウス内にベッドを新調。初めに気づいたのがケメ子。いぶかしがってくんくんしてる。入りたいそぶりだが入らない。そうこうしてるうちにワサビが入ってしまった。怒るケメ子。自分が慎重すぎたせいなのに。で、半日もすると、2ニャンともおさまった。やはり新品は気分がいいらしい。

パソコンで文字をうつとき、今もそうだが、日本語で入力するときはいちいちモードを切り替えなければならぬ。面倒。フォルダやファイル名は、いっそすべてアルファベットにしてしまおうか、と思う。

今朝の朝ドラのBGM、締めはいつものようにシックなチェロだったが、冒頭はチェンバロだった。BGMばかりに耳がいって、台詞をあまり聞いてないワタクシである。続くあさイチのゲストは国枝慎吾さん。声は立派なバリトンである。

昨日は、旧木管トリオに新たにフルートの名人(たまたま私の高校の吹奏楽部の後輩。だが、人には「先輩」と言っている)を加えて新装あいなった木管カルテットの始動式。メインはサン・サーンスのカプリース。ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネットのアンサンブルで、私はクラリネットを担当。おまけにクララ・シューマンの小曲を。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットのアンサンブルで、私はファゴット・パートをバス・クラリネットで吹いた。楽しい楽しい会であった。やはりアンサンブルは良いなぁ。

その会のアフター会でのこと。某美女が、例によって才気煥発な発言をし、おおいに感心したワタクシは、それ、明日のブログのネタにする、と言ったら、「イージマさんはいつもそう言って忘れちゃって書いたためしがない」と言う。ちゃーんとそう言われたことを覚えていてここに書いている私は記憶の達人である(で、その才気煥発な発言については、某美女の言ったとおりであった)。

昨日もたくさん飲んだ。飲んべえの詩人と言えば李白。高校の漢文の授業で習った李白の詩はなにひとつ覚えてないが、飲んべえだったことだけは覚えている(あと、お酒を讃えた李白の詩を生徒の前で読んだ先生がおおいに感動されていたことも覚えている。なお、高校の古文で習ったことで覚えているのは「あなかま」だけである)。ちょっと待った。そう言えば、マーラーの「大地の歌」の詩は李白だった。

 


止レ

2023-05-18 05:58:25 | 音楽

あと、エアコンの室外機に直射日光があたらないようにすることも、電気代節約の「ちりつも」だという(昨日のネタの続き)。ようし!ウチもなんとかしよう。この日、二回目のホームセンター。小さい簾が498円で販売。ちょっと、日本語おかしいよ、と思ったでしょ?テレビのテロップではこんな具合なのだよ。「簾が」と言ったら簾が主語だから、この文だと簾が何かを売ったことになってしまう。受動態を表す語尾の「された」が抜けてるんだよね。このことをどこかで言いたかった。今言えてすっきりした。で、その簾を買ってきて、取り付けた。

なにが満足かって言って、くくりつけがビニールひもで済んだこと。取り付け器具も売っていたが(主語(=お店)省略)、千円以上する。「ちりつも」のためにそんなお金をかけていたら本末転倒である。それから、エアコン側でくくりつけたのは昔使ってたキーボードの脚。不要になっていたが粗大ゴミで出すとお金をとられるのでベランダに退避させていた。それが今立派に役にたっている。もう不要とは言わせない。まったく、何がいつ役にたつか分かりはしない。

こうやって「ちりつも」の努力をしているワタクシであるが、なんと、最近の高熱費は前年比大幅に「減」である。増加を抑えたなんてレベルではない。「マイナス」なのだ。濡れぞうきんを絞りに絞って既にからから状態。こうなってくると、この後が大変である。ここまで絞ってまだ絞れるか。まあ、しかし、日本企業だって、過去、石油ショックだ、ドルショックだと何度も危難を迎え(例が古い)、既にギリギリまで経営努力をしてきた、もう無理とか言いながら、その都度乗り越えてきた。わが家もがんばろう。因みに、5文字の外食チェーンの社長さんが、以前、「この会社は濡れぞうきん。いくらでも絞れる」と言っていた。その後「ぞうきん絞り」は人件費削減に向かったらしく、とにかく店員さんが少ない。だから手が回らず、席ががらがらでも、なかなか待ってる客を案内できない。それでも、このインフレ下、値上げをしないでがんばってくれてることには感謝である。だから、他の値上げをした店から客が流れてきてますます待ち時間が長くなっているのに減益だそうである。応援しよう!だが、並びたくない。なら、空いてる店舗を探してそこでお金を落とそう……だが、そういう店舗はすぐ閉店になる。その前に行かねば。おっかけっこである。

さて。ここからが本題である(と言っても、本題はすぐ終わる)。シューベルトの「美しい水車屋の娘」をちびりちびりと歌っていて、今第3曲。タイトルは「Halt!」(とまれ)なのだが、この「とまれ」に相応しい漢字はなんだろうか?「停まれ」(一次停止)、「駐まれ」(駐屯)、「留まれ」(先に行かずにそこに落ち着く)、「泊まれ」(ラブホで夜を明かす……いや、こんな上から目線の言い方ではお相手は泊まってはくれませぬ)とまあいろいろあるが、こないだ阿蘇山の映像を見てたら「止レ」という看板が見えた。これは「これ以上先に行ってはいけない」、つまり禁止の意味だぁね。では、件の第3曲の「Halt!」にはどれが相応しいか。内容は、放浪の旅に出た粉屋の見習いが、良さそうな水車屋(粉屋=新たな奉公先)を見つけて、そこにとどまろうとするって話だから、そうすると……


雪化粧/シャンプーハット

2023-05-17 08:21:17 | 音楽

木村佳乃が「鶴瓶の家族に乾杯」で、どうやってモチベーションを維持してるか子供達から聞かれて「人が10人いれば、木村佳乃の顔が嫌い、声が嫌い、芝居が嫌いという人がいる。だから人の評価は意味がない。肝心なのは自分が楽しむこと」と言っていた。至極名言である。因みに、私は木村佳乃の顔も声も芝居も好きであるが、今一推しの女優さんは宮澤エマである(その芝居が好きである)。

「ほんじゃけんど、ほんはよみました(駄洒落?)。あらゆる書物が先生ですき」と言う万太郎。これをあざ笑うT大の助教授と学生たち。これって、まるで「マイスタージンガー」の第1幕のヴァルターとこれをあざ笑うマイスター達である(万太郎を認めた教授はハンス・ザックスである)。因みに、カーサ某には、T大オケの代々のコンマスやコンマス級が来ていて、その前で「Erbarme dich」のヴァイオリンを弾いた私、さらに、ばりばりのプロのソプラノの後に順番が回ってきて、カウンターテナーで歌った私は万太郎でありヴァルターであり、前記の木村佳乃の人生訓の体現者である(珍しく自己肯定感の強い今朝のワタクシである)。

さて。昨日のアサイチで、光熱費を削減する裏技を特集していた。目新しい話はないが、さぼっていたり忘れてたりしていた事が多く、ためになった。例えば、

エアコンのフィルターをまめに掃除すると良いというのは聞いていた。だが、さぼっていた。だが、掃除するとしないとでは25%違うと聞いて、聞いてるそばからフィルターを取り出してみると、おお!見事な雪化粧である。

これを見た時、私は歓喜に打ち震えた。ビフォーでこんだけ埃が付いていれば、アフターの効果は大というもの(伸びしろがある)。まず掃除機で吸って、油分でとれないヤツがあるので洗剤入りの水をはった浴槽に午前中いっぱい漬けて、午後、歯ブラシでごしごし。こうなった。

余は満足である。

それから、ガスコンロで煮るよりもレンチンの方が安くあがる場合があると言って、その例にブロッコリーを挙げていた。ブロッコリーのレンチンは前から実践していた。電気代もそうだが、なによりも、水で煮ると栄養分が逃げるがレンチンだと逃げない。そのためである。実は、今、真剣に検討していることがある(と大げさに言っても大した話ではない)。テレビ通販で宣伝していた電気式のミニ炊飯器の電気代が1合あたり2円という。今、お米は、圧力鍋を使ってガスコンロでまとめて炊いて、数日に分けて食しているのだが、炊くときのガスと、翌日以降食すときのレンチンの電気代がかかっている。1合2円だったらそっちの方がお得かしらん。押さえ込んでいた真の顔(家電好き)が頭をもたげ、理屈を付けて購入しようとする魂胆が丸見えのワタクシである。

それから、節水式のシャワーヘッドを薦めていた。私は、既にそれを付けていたが、最近、パッキンから水が漏れるようになり、節水式のはずが浪費式に成り下がっていて、とりあえずビニールテープでぐるぐる巻きにして応急措置を施していた。だが、放送を見て、すぐさまホームセンターに行って新品を買い求めた。おお!前回に比べると遥かに品揃えが進んでいる。CMでは何万もするヤツを紹介していたが、2000円台からある。それでも節水効果は50%だというからそれを購入。無事交換が済み、余は満足である。因みに、売場の店員に「シャワーヘッドどこですか?」と聞くと怪訝な顔をする。「節水式とかがある……」と言うと、「ああー!ごめんなさい。全然違うものを想像してました」と大笑い。「頭にかぶるやつだと思ったんですか?」「おほほほ」。それは「シャンプーハット」である。

 

 


個魚の尊厳/夏目広次

2023-05-16 11:09:16 | 日記

今朝、朝飯前にしたルーティン以外の仕事=洗濯(6日に一回)とベランダのほうれん草の収穫。

発芽して1か月。これ以上経つと硬くなって美味くなくなることは経験済み。収穫後は再びほうれん草を種を蒔くつもり。なお、お隣のバジルの収穫はまだ先。

もう少し大きくなったら先端だけ切って食す。これが摘心になって、一層、繁茂する。こうした「ちびちび収穫」は初冬まで続く。短期間で「全取っ替え」のほうれん草とは対照的である。

さて、昨日のヒナゲシの話の続きである。人が江戸川の土手に慈しんで植えるのがヒナゲシ、そこらへんに雑草として生えていて、人から敵視されるのがナガミヒナゲシということを今回学習したわけだが、万太郎に言わせれば、「この世に雑草などない」「すべての草花に名前がある」ということである。この万太郎の言が土佐の自由民権運動の思想に合致した(朝ドラ)。だが、雑草と人では、やはり決定的な違いがある。人は個人として尊重される(個人の尊厳)。だが、草は、名前があると言ってもそれは種類の名であって、一本一本の草には名前は付いてない。これは、魚屋さんの店先に十把一絡げで売られているイワシも同じである。すなわち、個草、個魚に尊厳はないのである。

人間だって、個人の尊厳が尊重されるようになったのは近代になってから。それまでは、特にいくさにおける足軽などは、敵から見れば十把一絡げの扱いであった。それでも、大将級となると話は別で、敵は、大将の首級をあげようと躍起になる。だが、三方ヶ原で武田方が家康の首級だと思って持ち帰ったのは身代わりになった家臣の夏目広次のそれであった。ネットでは多くの視聴者が涙した、と言っている(私は、ヒナゲシからうまく夏目広次につながって歓喜で涙した)。演じたのは甲本雅裕さん。この人を最初に知ったのは「カーネーション」。電気屋のおっちゃんの役だった。それから「カムカムエヴリバディ」ではヒロインのお父さん役だった。

この夏目広次の末裔であると称していたのが夏目漱石。真偽についていくつか説があるそうな。そういった話なら、以前「ベートーヴェンの末裔」と称するご婦人がテレビでインタビューを受けていた。ご先祖様(ベートーヴェン)はハンサムでもてたと言っていた(「ハンサム」というのは「ご先祖の引き倒し」のきらいがあるが、もてたのはたしかなようである)。だが、ベートーヴェンに子供はおらず、このご婦人はベートーヴェンの弟の子孫らしい(傍系の末裔)。だが、実はベートーヴェンに隠し子がいたという説もあり、それがホントなら、この世界のどこかにベートーヴェンの直系の子孫がいるかもしれない。

さて。今朝のルーティーン以外の仕事は、収穫と洗濯であった。その洗濯で、干したシャツ類とハンガーの数が過不足なく一致した。

人類にとってはとるに足らない出来事だが、私にとっては大きな喜びである。


美人これ有り

2023-05-15 12:52:56 | 言葉

数日前、江戸川沿いを散策したことを書いた記事の中で、当初、「レンゲ畑が広がっている」と書いたのを、コメントをいただいて「ポピー畑」に直したのであるが、その際、「ポピー=ヒナゲシ=虞美人草」である旨を初めて知った。ところで、江戸川で撮った写真をまじまじと見てみると、花弁が散った後の種の入った袋(ケシ坊主)に何本かの放射線状の線がある(写真の真っ赤な花弁のすぐ左側)。

あれ、これって見た覚えがある。ウチの近所に山ほど生えている雑草である。

だが、こっちはどうやらナガミヒナゲシである。ケシ坊主がこっち(雑草)の方が長い。そこで区別がつくらしい(実(ケシ坊主)が長いから「ナガミ」?つうか、こうして写真でアップすると全然違う)。ナガミヒナゲシは、特定外来種にこそは指定されていないけれど、相当に繁殖力が強く、厄介者扱いされているヤツである。そんなヤツと一瞬たりとも一緒にしてしまって、ヒナゲシには悪いことをした。話を、ヒナゲシ(本物)に戻そう。以下、「ポピー」「ヒナゲシ」「虞美人草」について、それぞれ思ったことを徒然に記す。

「ポピー」という名は知らなかったが、パピイは知っている。主題歌によれば、「悪者たちをやっつけ」「地球の上を掃除する」ためにやってきた遊星少年である。変身するとき「ぴー、ぱぴー」と叫ぶ。

「ヒナゲシ」と言えばアグネス・チャン。その主題歌の出だしをずっと「おっかのうーえー、ひっなげしのはぁな「がー」」だと思っていたが、「がー」は「でー」だったような気もする。「がー」ならヒナゲシは主語、「でー」ならヒナゲシは手段である。その後を記憶を頼りに歌ってみると「あの人のことを占う」。すると「でー」が正しいようだ。早速、Youtubeで答合わせ。やはり「でー」だった。因みに、ケシの仲間は催眠作用を有していて(「オズの魔法使い」には、ドロシー一行がケシ畑を通過する途中、ケシの麻酔作用によって生身のドロシーとライオンが寝込んでしまうシーンがある)、種類によっては栽培するととっつかまるからご注意あそばせ!ヒナゲシにも催眠作用があるそうで、その名は、昔、寝かせつけるために子供(ヒナ)に飲ませたことに由来するそうだ。だが、ウィキペディアには「小児の花や生の葉の摂取は危険性が示唆され、妊娠中や授乳中の安全性については情報が不足しているため、摂取を避けることが求められる」とある。

他方、「虞美人草」の名前の由来は、中国の古代の英雄「項羽」が四面楚歌となっていよいよ最期を迎えるとき、奥さんだか愛人だかが踊りを舞い、後日、その場所から草が生えた。その奥さんだか愛人だかが「虞」という「美人」だったから、その草の名前が虞美人草になったということである。この「美人」は、schönの意味にとらえるのが普通だが役所名の可能性もあるそうだ。史記における登場シーンは「有美人姓虞氏」。この「有」は、「有している」(持っている)の意味ではなく、ましてやダルビッシュ有のことでもなく、「有り」(存在の意味。be,seinの意味)の意味で、「美人これ有り、その氏を虞という」ということと推測する(中国語分かる人、間違ってたら教えて)。

「有り」について書いてたら遠い記憶が蘇った。英語塾の先生に丸覚えさせられた文句である。それはこう。「あるにはいろいろある。存在の「ある」と状態の「ある」……」。be動詞の解説で「ある」。因みに「美人これ有り」の「有り」は「存在のある」であろう。「状態のある」なら「虞氏は美人で有る」となるはずである。


ビーバーちゃん

2023-05-14 20:52:46 | 日記

楽器でできなかったところが一晩寝て翌日になるとケロッとできたりする。睡眠中に脳が学習するとしか思えなかったがどうやら当たりらしい。脳は、睡眠中に必要な知識とそうでない知識の仕分けをしているという。大谷選手がたくさん寝るのも故あるかな、である。

温泉に浸かる時間が長くなると逆効果だという。すると、湯治客は、温泉に浸かりにきてるのに、長く浸かっちゃダメと言われたら、そりゃぁやることがない。だからいい男orいい女に色目を使って小説ができあがるのかもしれない。

「いい男」と言えば、信玄役で貫禄の演技を見せている阿部寛を初めて見たのは、うん十年前、「わらっていいとも」の「いい男さんいらっしゃ」のコーナーだった。

「わらっていいとも」と言えばタモリさん。タモリさんと言えば「ブラタモリ」。昨日の「京都の回」も目からうろこぼろぼろ。京都と言えば、京都駅の北側に見所が集まっていて、南側は、南西の方角に五重塔があるくらい、と思ってたら、その五重塔があるのは東寺。東寺というくらいだから平安京の東側にあり、その西側に羅城門(平安京の中央通りである朱雀大路の南端にある門。芥川龍之介の小説では、この門が「羅生門」に読み替えられている)があり、さらにその西側に西寺。だが、京の西側は土地が低かったので水害に遭い、だんだんさびれていって、京の東半分のみを秀吉が土塁で囲って洛中としたこともあって、朱雀大路及びその西側は影も形もなくなったのだという。「影も形もなくなった」点は、こないだその跡地を歩いて回ったお江戸の汐留川と同じである。私はそういうところにロマンを感じ、歩いてみたくなる。ここで問題。京都に現れた怪獣はなんでしょう?え?ゴジラ?それってクラシックの曲名当てクイズでかたっぱしから「運命」と言うのと同じ。答えは「平成ガメラ」である。

続いてのテレビネタは日付をまたいだ京、ではなくて今日。今日の「ダーウィンが来た」の主人公はビーバー。ヨーロッパではいっときビーバーが人間によって乱獲されて多くの国々で絶滅したんだと。だが、イギリスなどは反省して、他国から個体をもらい受けて繁殖にこれ務めているそうな。思ったことその1。ビーバーは、川にダムを造って水かさを上げてイタチ等の天敵から身を守るというが、まさか、「天敵から身を守る」ことまで意識してダムを作ってるとは思えない。たまたま遺伝子的にダム造りが好きで、結果的にそれが天敵予防になったと思うのだが。いや、うちの猫みたいにずる賢いのを見てると案外かなりの部分まで意図してやってるのかもしれない(「見損なわないで」と言ってるかもしれない)。その2。ビーバーが作るダムのおかげで川の水が濾過されてきれになり、清流を好む生き物が増えたと言っていたが、清流をきらう魚もいるだろう。そっちはどうなるのだろうか?(お風呂も、一番風呂は体に良くないという)その3。いったん絶滅しても外国から同種を連れてきて再び繁殖させると言えば、日本ではトキがそうだが、ニホンオオカミもその方法で復活させさらないものだろうか。狼がいれば、現在の鹿等による食害は相当軽減されるという。その4。子供の頃、見ていたドラマに「ビーバーちゃん」というのがあった。アメリカから輸入したドラマだったようだ。