先週末、ぶっつけで、モーツァルトとフォーレのレクイエムを「通」して歌「唱」する「会」が開かれ、私は、クラリネットとヴァイオリンとチェロで参加させていただいた(あと、アカペラのときはアルトを歌った)。全員とのアンサンブルはそれはそれは壮大で素晴らしいのはもちろんだが、別の楽しみもあって、それは「同族」でのアンサンブル。例えば、モツレクのうち2曲はピアノのY先生がクラに回ってくださりクラの二重奏が実現していつも通り楽しかったし、ヴァイオリンやチェロを弾くときは、お隣のヴィオラ氏とのアンサンブルが面白かった(ヴァイオリンのときはヴィオラ氏の上、チェロのときはヴィオラ氏の下、そうした上下移動もスリリングだった)。そんなことを言ったら、アカペラだってまさに「同族(声)」のアンサンブルである。
個人的な出来を言えば、フォーレクのチェロにうーんと高い音があってポジションチェンジが余儀なくされるので、そればかり練習してたら基本のポジションが怪しくなってきて、いっとき途方にくれ、どうしよう、高い音をさぼろうか、などと考えたが、結果的に一番上手く弾けたのはその「高い音」であった。「練習は嘘をつかない」が真理であることを実感した(この真理を、私は、暦が一還りするまで知らなかった)。それから、モツレクの「Dies Irae」は、本当はヴァイオリンを弾いた方がいいのだが、速い16分音符が大変なのでクラに逃げたのである(テンポがLargoなら弾ける(←バカ))。よし、鬼に笑われても来年に備えて今からさらおう、そしたら弾けるかな(と、1年前も言っていた)。
このような、楽しく、ありがたい機会を提供してくださった主催のF井さんに心から感謝である。因みに、私も、「通」して歌「唱」する「会」の主宰者の連絡会の末席を汚していて、誰もやらなかったコロナの初年度に4つ開催などという浮世離れなことをやり、そこで燃え尽きて今に至っている。よく人から「お前は、高低の差が激しすぎる」と言われるが、株だってそうだ。うーんと高いときがあれば地を這うほどに安いときもある(そこでつぶれなければ(うーんと時間はかかるかもしれないが)再び高嶺に跳ね上がるかもしれない)。因みに、大相撲の高安関の名前を聞くと、常に「高安(たかやす)まちまち」と言う株価の実況を思い出す。高い株もあれば安い株もある、という意味である。
そんな感じで数年来「安」だった私の心価だが、最近、たまに某子さんと「次回」のことを話したりしている今日この頃である。