拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

朝ドラ名場面SPの感想文

2024-03-31 08:49:31 | 音楽

金曜日のチコちゃんの時間帯に朝ドラ名場面スペシャルを放送していたので(主語=NHK)視聴。以下はその感想文。私のことだから、清く正しく美しい感想文ではないこと、及び、朝ドラとは無関係のネタをも含んでいることを予めにお断りしておきます。

「半分、青い」でスズメがリツの布団にもぐりこんでキスするシーンはなるほど胸キュンものではあるけれど、今見てみると、スズメが服を着たまま布団に入っている。布団に入るならパジャマに着替えなさい。じゃなきゃ、服が臭うよ……ということを、中学生の私に言ってやりたい。当時、私は、面倒臭くて毎夜制服のまま布団に入っていた。しかも、制服は1着しかなかったから文字通り着たきりスズメ(スズメつながり!)。相当臭ってたはず。え?橋の下に住んでたのか?って。いえ、屋根のある家に住んでました。親はなにも言わなかったのかって?はい(ヨーロッパ言語では「いいえ」)、言いませんでした。

子ども時代の長澤まさみが「さくら」に出てたって言うんだったら、子ども時代の稲垣吾郎が「青春家族」に出てたことにも触れてほしかった。

イントロだけで胸キュンとなる朝ドラの主題曲。イントロ当てクイズとまいりましょう。第1問。(ヴァイオリンで)ティーラリラリー。第2問。(ピアノで)ティラリラリラ×4。第3問。(オーボエで)……(イントロはなくて直接本編で始まる)。

ヒロインのお母ちゃんは昔のヒロインが務めることが多いが、お父ちゃんは昔も今もバイプレーヤーが務めることが多い。例えば……「おしん」のお父ちゃん(伊東四朗さん)は殿堂入りだからそれ以外で……

「ちりとてちん」のお父ちゃん=松重豊さん。今や売れっ子。「孤独のレストラン」の井の頭五郎もいいけれど、私は「英雄達の選択」(歴史番組)のナレーションが好きです。

「てっぱん」のお父ちゃん=遠藤憲一さん。育てのお父ちゃんを演じた。因みに、生物学上の父は、ヒロインが産まれた年から逆算してある時期ヒロインの母親と関係があったことをもって自分が父と主張したけれど、そんなことは証拠にはならない。それでもって自分が父だと言うのは自惚れというもの。例えば、映画「マンマ・ミーア」では、アマンダ・セイフライド演じる娘の父親候補は三人いた(メリル・ストリープ演じるマンマが該当時期に交際していた男が3人いたらから)。なお、この映画のロール・クレジットの際に流れる、アマンダ・セイフライドが歌う「Thank you for the music」は絶品。本家のABBAのヴァージョンと違って、ピアノ伴奏でたいそうシックです。

「青春家族」のお父さん=橋爪功。このお父さんは、いしだあゆみ演じる妻がいながら遥くらら演じる芸者と関係を持つ。へー、朝ドラでも不倫をするんだー、と感心(?)したものです。

「ふたりっこ」のお父ちゃん=段田安則。このお父ちゃんは、手塚理美演じる妻がいながらオーロラ輝子と駆け落ちをする。ところが、後から、旅先で二人が枕を並べたことはない、って話になっていて、不自然、大内静の脚本らしくない、NHKからの圧力があったか?と疑った。段田さんは大内静の脚本作品の常連で、現大河の「光る君へ」では藤原兼家役で出てて、この兼家がめちゃくちゃ強権的で、ものすごくはまってて、これまでの「やさしいお父ちゃん」とは別人のよう。なお、4月から大内静の朝ドラ第2弾の「オードリー」の再放送が始まるのだけど、見ようか躊躇している。ネックその1。日本人キャストが英語を話すこと(「シン・ゴジラ」にも同じことが言える)。ただし、英語が上手けりゃいいってもんでもなくて、「さくら」のヒロインは英語ペラペラだったけど録画は消してしまった。その2。ミスターの息子が役者役で出てること。「おれは演技が下手なんだ」って台詞には開き直り感があふれていた。なお、「さくら」には「世界の某」(指揮者)の息子が出ていた。

「お父ちゃん」ではないけれど、國村隼さんを初めて見たのも朝ドラだった(ふたりっこ)。それからは大好きな俳優さんになったんだけど、一番舌を巻いたのは、映画「バルトの楽園」。徳島の収容所でドイツ人捕虜が日本初演となる第九の演奏をした話なのだが、國村さんのドイツ語の発音は完璧だった(と、共演したドイツ人も言っていたそうだ)。


しっぺ返し

2024-03-30 11:24:46 | 音楽

最近、横野城の殿様(横野殿)の寵愛は鞍殿(くらどの)に傾いていて、夜ごとお運びになる先も鞍殿の寝所だし、城外の催しに同伴するのも鞍殿。こうした殿のご所業について他の方々はどうお思いかというと、馬夜鈴の局(ばよりんのつぼね)はお城勤めが長くてそれなりの地保を固めているから「そのうちお構いになるでしょう」と余裕の表情。瀬呂の君(せろのきみ)は新参だけれどもお局と同族でその後ろ盾があるからこちらもご安心。気が気でないのは古う都の方(ふるうとのかた。写真上)と大吠えの方(おおぼえのかた。写真下)。

お二方とも新参でこれと言った後ろだてもないから頼るは殿だけ。その殿のお振る舞いがそうしたものであっては心穏やかでいられようはずはない。それでも、殿は、古う都の方の寝所にはお運びになる。だけれどもささっと済まされてすぐ行く先は鞍殿の寝所、城外にお連れになることはまずない。でも、お運びがあるだけましで、大吠えの方に至ってはお運びそのものが絶えて久しい。それが、いかなる風の吹き回しか、殿が大吠えの方の寝所にお運びになった。突然のことに動揺しながらも精一杯お勤めを果たそうとする大吠えの方様。久々とも思えぬいい声で鳴かれたのだけれど、やはり久々がたたったか、時を置かずして「楽の音」は「ぜーぜー声」となり、気味が悪くなった殿は早々に寝所を後にした。因みに、このお二方は同じもっかんの国のご出身。だから、取扱い方(指遣い)は似ているのだけど違いもある。例えば、ラとシの間の音(♯ラ=♭シ)を出すのに、古う都の方はシの指に他の指を足して出すのに対し(シから半音減らす感じ)、大吠えの方はラの指に他の指を足して出す(ラに半音足す感じ)。違うならうーんと違う方がやりやすい(お二方と鞍殿の違いのように)。こういう微妙な違いはかえって面倒(「青魚が好き」と仰る姫君にサンマをお出ししたら「なぜアジを出さぬっ」と怒られるようなものです)。因みに、写真は大吠えの方の希望で、古う都の方を誘って撮ったもの。次、いつ日の目を見られるか分からないから、とのこと。ま、それでも、お城に寝所があれば浮かぶ瀬もある。かつて喇叭の君と呼ばれたお方などは、今では下女部屋の片隅にいて忘れ去られている。

さて、ここからは私の話。「砂の惑星」の原作には続編が何作もあって、「砂の惑星」は入り口に過ぎない。ので、とりあえず、直後の続編の「砂漠の救世主」をキンドルに入れました(有料アイテムをポチるのは、私としては滅多にないこと)。で、読み始めたんだけど、早速目からうろこ。冒頭に登場する宇宙航海士の姿形の形容を読んで、デイヴィッド・リンチ監督が「砂の惑星」の冒頭に付け足したシーンに登場する宇宙航海士の奇っ怪な姿はこれがモデルだ!とガテンがいった。さらに、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の新作ではエンディングに至っても「戦いがまだまだ続く」ことを予感させる、とブログに書いたけど、それはこの続編の冒頭から得られる情報だった!そして、ポールが皇帝になるために政略結婚した前皇帝の姫君は、ポールから手も触ってもらえない、ちょっと気の毒かもって書いたけど、そうやって邪険に扱われたものだから続編の冒頭で夫に対する謀反の相談をしている。とんだしっぺ返しというべきか。そう言えば、「光る君へ」の藤原詮子(吉田羊)も、愛を断念した後は父・兼家と協力して息子の即位を画策し、寛和の変を引き起こした。だから、横野の殿様も、鞍殿以外の方々にもうちょっと気を遣ってあげないといけないかもしれない。


引退

2024-03-29 09:22:15 | 音楽

スズ子の引退公演で何を歌うのかと思ったら(朝ドラ)、イントロはこれまで聞いたことの無いようなシックでゆっくりなピアノ演奏。え?なに?六郎を偲ぶ「大空の弟」?とか思ったら「東京ブギウギ」だった。シックな「東京ブギウギ」もいい。そう言えば、横野君、ソロで歌ったり演奏したりするとき、これまでは「この曲はこのテンポじゃなけダメ」っていうのがあって、そのテンポでできないと諦めてやらなかった。でも、こないだゆっくりフルートを吹く人の演奏がとっても豊かなのを聞いて、そっか、できなきゃゆっくりにしてもいいんだ、と思って、最近は、難しい曲をゆっくりにしてやってる。昨日のカーサクラシカもそう。だから、横野君の演奏を聴いて、あ、ブラームスのクラリネット・ソナタっていい曲だな、って思った人、CDとかで聴いたらびっくりすると思う、速くて。因みに、ゆっくり始まったスズ子の「東京ブギウギ」、途中からテンポアップして、大いに盛り上がった。ああいうシーンで観客席にいるエキストラさんたちって、拍手喝采で盛り上げるのがとっても上手いんだってよ。実際、趣里さんは上手だったけど。あと、スズ子(趣里)が客席に向かって「ありがとうございました」って叫ぶ声が、キャンディーズ時代のランちゃん(趣里さんのお母さん)の声でした。

スズ子は、歳もあって、これまでのようなパフォーマンスができなくなって引退したんだった。はたから見てまだまだできるのにもったいないと思っても、ご本人にはご本人なりの基準があるんでしょうね。例えば、王選手は最後のシーズンでもホームランを30本打っていた。30本打ったら普通ならおおえばり。でも、40本、50本打ってた王選手から見れば、満足できる数字ではなかったんですね。覚えてるんだけど、そのシーンズが終わった後も、王選手は引退するそぶりなんて見せなくて、翌シーンズ用のバットも注文したって話だった。だから引退発表は唐突でした。まあね、やめるかもしれないと思ってても、続ける可能性があるなら最後まで準備を怠るべきではないですからね。熟考しつつ続ける準備はしていて、で、いよいよ辞めると決めたとき、ご本人には自然な流れでも周りには唐突に見えるのでしょう。私なんか、注文したバットはどうするんだろ?ってそんなことが気になりました。

朝ドラで、スズ子の地位を脅かす若い歌手がいたけれど、あの人のモデルは江利チエミさんなんだって。へー!私が江利チエミさんを知ったのはドラマの「サザエさん」。アニメではないですよ。大昔、実写ドラマがあったんです。だから江利チエミさんって女優さんだとばかり思っていて(まあ、それには違いないんだけど)、美空ひばりさん、雪村いづみさんと共に「三人娘」って言われた歌手だった、って知ったのはずーっっと経ってから。それでもまだぴんときてないから、今回、あの若い歌手のモデルが江利チエミさんだって聞いて、ちょっとびっくりした。因みに、私が笠置シズ子(スズ子のモデル)を知ったのは「家族そろって歌合戦」の審査員をやられてたとき。とっくに歌をやめてたけど、昔、有名な歌手だったってことは聞いていた。「東京ブギウギ」も知ってたし。

因みに、件の実写ドラマの「サザエさん」で思い出すシーンは、マスオさん(川崎敬三)が家族を集めて手品をやると言い始めて、スーツのズボンをはさみでじょきじょき切るの。でも、切れたままで元に戻らないの(当たり前)。で、翌朝、マスオさんは半ズボンになったズボンをはいて出社、サザエさんたちが笑顔で「言ってらっしゃい」って言って見送る。ちょっと、危ない家族ですね。

「ブギウギ」の最終話(NHKが「最終回」って言わないのは、明日(一週間のまとめ)があるからですね)のあと、久々の「あさイチ」。ホントはもっと早く生放送が再開するはずだんたんだけど、高校野球の順延で再開が遅れたそうな。かろうじて最終話に間に合って「朝ドラ受け」を見れました。「久々」と書いたけど、実は、数日前に夜のゴールデンで生放送をやってた。見たけど、なんだか浮き足立ってて「テンションが変です。いつも通りやってもらえればいいです」なんて視聴者からのコメントが寄せられる始末。「ゴールデン」って言葉には魔物が潜んでるんだろうか。やり慣れない場、ってことで調子が狂ったのかもしれない。笠置シズ子さんにはホームの劇場(歌いやすい劇場)とそうでない劇場ってあったのだろうか。でも、戦中の慰問の際は、どこにでも行って歌ったんですよね。


DUNE砂の惑星PART2/ミニ味噌カツ

2024-03-28 11:16:52 | 日記

「DUNE砂の惑星」のPart1の後、コロナの影響で随分間隔が空いてしまったPart2が待望の公開。早速、見てきました。

この物語は、原作があるんだけど、私は1984年に公開されたデヴィッド・リンチ監督の映画(以下「旧作」と言う)で知った。その映画は「失敗作」が定評らしいんだけど、ウィキペディアには「独特の悪趣味的世界観が全面に出ており、映画マニアの間ではカルト作として一定の評価も得ている」ともある。じゃ、私「マニア」?ものすごくはまって、原作も読んだ(ドイツ語で。分からないところは日本語で。だから、結局全編日本語で)。

今回のPart1&2(以下「新作」と言う)の監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ。映画「メッセージ」を撮った人らしく、重厚で神秘的な雰囲気。映像と音響は圧倒的でした。見に行く価値はあると思う。Part1と2を合わせて5時間も尺があるから、2時間の旧作で省略された原作のエピソードもかなり取り入れられている。それでも省かれたところはあるし、原作から改変されたところもある。加えて、私には「失敗作」の旧作が「神作品」なので、それと見比べて「ちょっと」と思うところがありました(一般には逆なんだろうけど)。以下、特に「へー」「おおー」「あれ~」と思ったところを徒然に書きます(ネタばれあり)。

原作からの最大の改変は、ポールの妹アリアが最後までレディ・ジェシカ(ポールの母)のお腹の中にいたままであること。原作では途中で生まれたどころではない。生まれながらにして特殊な能力を身につけていて、敵であるハルコネン男爵にとどめをさすのは幼児のアリア。旧作ではこのアリアがそれはそれは不気味に、かつ、魅力的に描かれている。旧作でアリアを演じたのはアリシア・ウィット。ググって見たら、今48歳。へー、撮影時10歳に満たなかった彼女がねー。私も歳をとるわけだ。この人、ピアノの達人でもあるらしい。あと、旧作の出演者ではスティングが異様だった(つうか、ハルコネン家は誰もが異様だった)。旧作のポール役のカイル・マクラクランはこの後「ツィンピークス」等々リンチ作品の常連になるのだった。

エンディングは、原作では一定の「めでたしめでたし」感があるんだけど、新作は、砂の惑星の上空に集まってきた各星の艦隊がポールの皇位継承を認めず、これからも戦いが続く、で終わり、余り「めでたし」感はない。旧作は逆。なんと、砂の惑星に雨が降り「まっことポールは救い主であった」感で終わる。「めでたし」もここに極まれり!です。

ポールは皇位を継承するために、愛妾チャニがいながら皇帝の娘と政略結婚をする。当然、チャニは面白くない。原作では、そんなチャニを慰めるためにポールは「(新婦は)子を産むことも、触られることも、やさしい眼差しを向けられることも、欲望をいだかれることもない」と言い、ポールの母ジェシカも「(新婦は)尊大で、自信たっぷりで、文学志向が強いそうだから、そっち方面で慰めを見いだしてもらおう」とか言う。それじゃ新婦も可愛そう、と思いながらも、そんなに偉そうな人ならいっか、とも思ったりする。奥さんなのに手を触れられない点は家康に嫁いだ秀吉の妹みたいだし、偉そうなところは漱石の小説に出てくる「上から女」を思い起こさせた。旧作ではポールがチャニを慰めるシーンはないし、新作でも「僕はずっと君のそばにいる」止まり。

この物語、そもそも全宇宙を統率する皇帝がいながら、各星々は「大領家」(日本でいう大名)が治めている。日本にあった封建制度を思い出す。そんな中、ポールが属するアトレイデス家は皇帝から砂の惑星への「移封」(領地替え)を命ぜられて、そこから話が展開する。日本でも、あまたの大名が将軍から領地替えを命ぜられたっけ。

砂の惑星に移封させられたアトレイデス家は、その後、前にこの惑星を治めていたハルコネン家に攻められていったん滅亡するんだけど、アトレイデス家の生き残りは、当初それをレディ・ジェシカが裏切ったせいと思い込んでいて、後に誤解が解けて謝る。これが原作。映画では、新旧どっちも、そもそも誤解してない。

原作の改変は、新旧ともまだまだある。例えば、新作でアリアが生まれてなきゃ誰がハルコネン男爵を殺すのか?というと、それはポール。旧作で、皇帝に呼ばれた男爵が広間に来てみるとそこに自分の甥っ子の生首があった、その無能ぶりに腹を立てた皇帝の処断だったってってシーンは、「悪趣味」なリンチ監督が付け足したもの。

因みに、物語に出てくる魔女集団(レディ・ジェシカも、ポールの新婦もその一員)は「ベネ・ゲセリット」と呼ばれるんだけど、私、ときどき「ゲネ・ベセリット」と言っちゃってた。でも、これからは間違わない。というのも映画では「ベネ・ジェセリット」と発音してて、なるほど、英語だと「ジェ」かって思って、これが印象づけになったと思うから。でも、ホントは「ゲ」と「ジェ」のどっちなんだろ。ドイツ語で読むときは当然「ゲ」。日本語訳でも「ゲ」。でも、この原作、そもそも英語で書かれてるからなー。なお、「ドゥニ・ヴィルヌーヴ」のことも「ヴィニ・ドゥルヌーブ」と言ったりするワタクシ、この間違いは今後も続きそう。

見終わった後の一人ご飯、この日は五文字のイタリアンでなく三文字のファミレス。え?「ミニ○○」ってメニューがあるの?じゃそれをいろいろ頼もう。と思って、ミニ・ピザを頼んだら文字通りミニ。

値段は通常の半分だけど面積的には4分の1くらいか。懲りずに、ミニ味噌カツを頼んだ。

私、名古屋の味噌カツと味噌煮込みが大好物なので。


榛名山と伊香保温泉/逃避行の条件

2024-03-27 09:02:02 | 旅行

去年、高速バスで尾瀬に行ったとき、関越道(下り)の車窓から見える山々をずっと見てて、主に向かって右側(東側)の赤城山に注意が集中してたんだけど(その山座同定(山や峰の名前を当てること)は大体済んてブログにも書きました)、ふと左側を見ると、いきなり「ぴょこたん」と突き出た峰が目に入ったので、あわててシャッターを切る(下の写真の赤矢印)。

これはなんて山だろう?当初、皆目見当がつかなかった。その後、家に帰り、地図と写真を見比べながら必死の捜査。右に赤城山があったし、この後、利根川を渡ったんだから、位置的には、これは榛名山。榛名山の中のどの山だろう?(榛名山は赤城山と同様、多くの峰の総称です)関越道から一番近くに見えたということは榛名山の東端。となると水沢山なんだけど、水沢山って、いつも見てる写真だと頂上が台地っぽくて、真ん中だけがぴょこんと出てる(下の写真(伊勢崎から撮った)の赤矢印)。

でも、これって、南東から撮った写真だから、真東から見ると違って見えるのかもしれない。そこで、地形図を見ながら水沢山の等高線を書いてみた(単純な楕円で書いたけど、ホントはもう少しぐにゃぐにゃしてる)。

おお!たしかに南東側からだと、頂上附近が台地状で中央だけぴょこんと出ているように見えるはず(二番目の写真の赤矢印と符合。山頂が1194mなのに直下の等高線が1140mだから中央だけかなりぴょこんとなっていることも符合する)。それに対し、ま東から見ると、麓から頂上まで急峻なとんがりに見えるはず(一番目の写真の赤矢印と符合)。ということで、件の「ぴょこたん」は水沢山で決定(私の中では)。一枚目の写真で水沢山の左側にあるのは(白い矢印)相馬山じゃないだろうか。伊勢崎から見ると、相馬山が真ん中で一番えばってるんだけど(二枚目の写真の白い矢印)。因みに、榛名山の代名詞にもなっている榛名富士は、伊勢崎から見ると相馬山の左側でちょっと控え目(二枚目の写真の黄色い矢印)。少し奥まった所にあるため。一枚目の写真では、他の山の陰になって写ってない(と思う)。

なお、水沢山は、別名、浅間山。と言っても、ときどき大噴火する「あさまやま」ではなく、「せんげんやま」と読む。その「あさまやま」は、関東平野からは「せんげんやま」を含む榛名山のすぐ左側に見える。それから、相馬山にも別名があって「黒髪山(くろかみやま)」と言うらしい。

さてさて、地図で水沢山を見てたら、そのすぐ近くに伊香保温泉の文字。へー、名前は聞いてたけど、「いかほおんせん」ってここにあるのか!群馬県は他に草津温泉が有名だけど、湯量が段違いに多くてお湯の温度も相当に高い。草津温泉で板でお湯をかき回すのはそうしないと熱くて入れないから。昔は湯治客が自ら板を回して冷ましてた等々の話を聞いていて(一部、ブラタモリ情報)、私、猫舌の全身皮膚版だから熱いのは無理と二の足を踏む思いなんだけど、伊香保温泉はそんな話は聞かないから私でも入れそう。この温泉地は石段が有名で、明治時代の写真(Wikipediaから借用)にも写ってる。

この石段は戦国時代からあるらしいから、明治時代にあるのは当然。いいじゃないですか!是非とも行きたい。最近はコロナの影響で客足が減った?だったら情人との逃避行にもってこい。上野駅から密かに上越線で向かいます。

その情人だけれど、逃避行と言うからには、配偶者のいる人か、逆に独身で相手がいないと言って世間をたぶらかしてる人でなければならない。私の情人はどちらかって?知らない。まだ会ったことがないから。と、想像(妄想)をたくましくしていたら新しい情報を目にする。最近は外国人客が増えて結構な賑わいなんだと。あらま、それだと逃避行ができないじゃん。とがっかりする一方、情人を探す必要がなくなったと安堵する自分もいる。こういうのを取り越し苦労と言う。それとも、捕らぬ狸の皮算用の方が適切だろうか。因みに「不適切にもほどがある」は、今週最終回を迎えます。


庭木

2024-03-26 12:29:10 | 日記

東京のソメイヨシノの開花はまだだけど、奥地の家に行ったら庭で桜が咲いていた。

早咲き桜なんだろうけど、色が濃くないから河津桜ではないと思う。へー、玄関脇の樹は桜だったんだ!儲けた気分。でも、この樹は良い。よくないのが隣家との境に植わってる木。

この時期、赤い実を付けてるんだけど(写真は実がなる前に撮ったもの)、枝がお隣の土地に越境しそうだし、私自身が裏に回るにも邪魔。よっぽど切っちゃおうかと思ってノコギリを持ってったんだけど、樹って魂が宿ってそうで切るには忍びない。「庭木を切ったら不幸になる」という言い伝えがあるそうだけど、それを知る前からそんな感じがしてた私のDNAはやはり日本人のものですね。だから、越境しそうな&裏に行くのに邪魔な枝だけ切ろう、と方針を転換し、高枝切りバサミを調達して次回持参しようと思ってる。因みに、改正前の民法では、越境した根っこは勝手に切り取って(煮て食べて)よかったんだけど、越境した枝はお隣に「切って下さい」と請求できるだけで勝手に切ることはできなかった。でも、改正で枝も(一定の要件のもとで)切ってよくなったらしいです(「らしい」って、元法律職のくせに)。

あと、庭を我が物顔で占領してる雑草も頭痛の種。いっそ、鋤(スキ)を調達して、地面を根こそぎ掘り返してやろうか、と思って今回行ってみたら、雑草に混じって可愛らしい青い小さな花が地面を覆っている。

困った。これもろとも根こそぎってわけにはいかないなー。まったくもー、猫の額ほどの庭なのにお悩みは尽きません。365日ここにいれば、毎日の微々たる作業がやがて実を結ぶんだろうけど、現状ではそういうわけにいかないからね(そう、引越はまだなんです。ときどき聞かれるんだけど)。

今回、奥地の家に行ったのは、カーテンレールとカーテンを取り替えるため(売主さんが付けてたレールのプラスチック部分が劣化して使い物にならなかったので)。おニューのカーテンが付いた二階の窓からさっきの桜が見えました。

こうやって、ちょこちょこ手を入れてると、だんだん自分ちって感じがしてくる(法律的には既に100%私のモノなんだけど)。

あと、横野君ちで余ってた譜面台をもらって持って行きました。

私も何か楽器をやろうかと思って。クラリネットでジャズをやるってどうだろう。「ブギウギ」や「カムカムエヴリバディ」で見るバックバンドって格好いい。そうだ!横野君にここを練習に使わせてあげる代わりに教えてもらおうか!

私、雨の日に奥地に行ったのって今回初めてかも。窓から見る山々のところどころ、煙みたいに白く見えるのは霞?

それとも雲?そもそも霞と雲って何処が違うの?歌にも「霞か雲か」ってあるから、この疑問はそんなにおバカじゃないですよね。

ということで、帰りにはいつもの駅前の中華。

牛ステーキチャーハンはこのヴォリュームで1000円ちょっと。既に、前回からこのお店「かもめ食堂」化してて、お客さんがいっぱいなんだけど、今回は平日なのにこの前以上。一人しかいない中国人の店員さんはてんてこ舞い。お一人様用の席はないので、長テーブルの端に座るのだけど、そこに団体さんが来ると席を空けてあげなくてはいけない気分になる。


紀行番組の音楽

2024-03-25 10:19:56 | 音楽

先月のガスの使用量は前年同月の3倍。おかげでこの冬はしもやけに罹らずに乗り切れることはほぼ確実。それでも、電気代と合わせたトータルで光熱費は前年同月比でマイナス。政府の光熱費補助策が効いたカタチ。私は、現政権・現与党の支持者では決してないけれど、今回の補助策は大いに評価します(同様に、私は、現都知事の支持者では決してないけれど、犬猫殺処分ゼロの公約を達成したことについては大いに評価します)。

紀行番組を見る。地方で若い女性が一人で手作りパン屋さんを開いて奮闘中。店内に本を並べることを思いついた。そこに、常連客の年輩の男性が本と本箱を持参してお手伝い。このお店に関してはまっことうるわしい光景なのでしょう。でも、あくまでも一般論なのだけれど、外部の人間のお手伝いが過ぎて店主への口出しが多くなると、店主の本来やりたいこととの齟齬が拡大して、最悪喧嘩別れ、そのお客さんは二度とそのお店には行かない、店主とも会わないってことになりがちです。人という字は人が二人支え合う様から出来てるといい、事実、他人あっての自分ではあるけれど、人が二人集まると諍いが生じるのも世の常。まあ、基本は、人間は集団で生きる動物なのだろうけど(野獣に喰われて絶滅しなかったのはそのせいかと)。

それにしても、NHKの紀行番組の音楽は、番組ごとに違う作曲家が書いてるんだけど、なぜみなそろってもの悲しいのだろう。どれも名曲だとは思うんだけど、なんだか過疎化を暗示してるようで好きとはいえない。地方はこんなに楽しいよ!って音楽があってもいいと思うんだけど。


大森の待合/北枕

2024-03-24 08:05:58 | 日記

その「虞美人草」を完読。以下、後半部分の読書感想文。

終盤、男は女(前回のブログで「支配する女」と書いた女)を大森に誘う。私などは、「大森」ときくと「貝塚」を思い出すが(いつの時代の人間?)、どうやら男が女を「大森」に誘ったということに意味があるらしい。そう言えば、うっすらと、大森はその昔男女が忍び会う場だった、と聞いた覚えがある。ググると、大森には待合がたくさんあったという情報が。待合!前朝ドラの「らんまん」でスエ子が待合の経営を始めるとなったとき、誰かがラブホ!と言っていた。話がつながった。大森には今でいうラブホがたくさんあった。だから大森に女を誘うということは、そこで「ちょめちょめ」(「不適切にもほどがある(来週いよいよ最終回)」的表現)をして、のっぴきならない関係に持ち込もう、という魂胆だったのだね。

その後、どんでん返しがあって、女は椅子をけっとばして倒れたところで章が終わり、次章の冒頭、いきなり女が「北枕」で寝かされている。「死」の一字も出てこないが、この「北枕」で女が死んだことを読者は察しなければならないらしい。私には困難だった。なぜなら、ついこの間まで何十年もの間、私は北枕で寝ていたから。兎小屋と形容される現代の日本の住居では、部屋のつくりに従って寝るのであり、方角など気にしてられない。わが小屋は南北に長く、かつ、テレビが南端にあるから寝っ転がってテレビを見ようと思ったら北枕以外の選択肢はなかった……んだけど、つい最近、東西にも布団を敷けるだけのスペースがあることに気づき、ようやく北枕から脱して東枕になった次第(それでも、こないだ酔っ払って帰ったときは、東西の区別が付かず西枕で寝ていた。西枕は別にいいんだよね?)。

問題は死因。それをうかがわせる記述は(私が読んだ限り)どこにもない。椅子をけっとばして倒れたから、そのときどっか打った?それとも、あまりの憤りでショック死した?だが、Wikipediaには「毒を飲んで自死した」とある。どこにそれが書いてあるのだろう?唯一、死んだ女をクレオパトラになぞらえてる箇所がある。私は、この女が男を手玉をとろうとしたんだけど、その目的を達することができなかったところがクレオパトラみたい、と解釈したんだけど、クレオパトラは毒蛇に自らを噛ませて自死したんだった。そこか!なんと想像力を要すること!そう言えば、「風と共に去りぬ」でビビアン・リーとクラーク・ゲーブルが言い争いをしてて、翌朝になったらベッドでビビアン・リーがにこにこしてて、観衆はその間二人の間に「ちょめちょめ」があったことを読み取らなければならない。いろいろおつむを使わなくてはならず大変。そこへいくと、橋田壽賀子のドラマなどは、役者がぜーんぶしゃべってくれるから楽ちんです。

それにしても、「虞美人草」、昨日書いたとおり総じて楽しく読んだけれど、怒涛のエンディングは相当に不自然。ぐだぐだしてた人たちがいきなり立派なことを言い始める。漱石がプロの作家になって最初に書いた作品ということで、力みまくった結果でしょうか。執筆途中に体調を崩したときく。そもそも精神のリハビリのために始めた小説書きだったのにね。


支配する女

2024-03-23 11:01:51 | 日記

漱石の小説にはよく勝ち気で、気位が高く、他の人を支配しなければ気が済まない女性が出てくる。一瞬、へー、明治の世にもそういう人がいたの!と思ったのは、「昔の女性は男の三歩後ろを歩いた」と聞いていたからだけど、考えてみれば、時代・制度は変わっても人間の性格のヴァリエーションは太古の昔からそう変化はないだろうから、そういう人は現代はもちろん、平安の世にも、奈良の世にも、飛鳥時代にも、古墳時代にも当然いたのでしょう。それに、前にいて魚を獲らされてる鵜とその三歩どころかもっと後ろにいる鵜飼いのどちらに支配権があるかと言えば言わずもがな。鵜飼いに限らず普通は偉いのは後ろにいる人。戦国武将だって殿様は後ろに控えてるでしょ?(先陣を切る殿様なんて信長くらいのもの)

そういう「支配する女」は漱石の小説では大層もてる。あまたの男が群がる中、漱石が女に選ばせるのは支配されたがる男。漱石は、それをベストマッチと考えていたフシがある。果たして、漱石自身はどうだったんだろう?支配する女に支配されたい人だったのだろうか。私はね、別に特定の男女だけが特にもてるとは思わない。「蓼食う虫も好き好き」と言うからね。大谷選手は自分と同じような長身の女性を選んだけど、世の中には身長差のあるカップルもいるし、「蚤の夫婦」なんてのもいるからね(私のパソコンは「のみのふうふ」を第1に「飲みの夫婦」と変換した)。

今、読んでる漱石の「虞美人草」もそういうお話。この小説、前に読んだときは、文章が小難しくてよく分からなかったんだけど、今回はなんだかとっても面白い。漱石への理解が進んだのだろうか?逆に、嫌いになった部分もある。漱石が上流階級ばかり描いてるところ。例えば、漱石の作品の主人公はみな「大学出」なんだけど、どこの大学かは書いてない。なぜかな?ぼかして書いてるのかな?と思ったら違った。当時、「(帝国)大学」と言ったら現在の東京大学だけだった(第2号は京都大学。早稲田なんかは「専門学校」)。だから、漱石の小説で「大学」とあったらそれは全部東大なの(たまに京都大学が出てくるときは「京都」って断ってる)。だから東大生&東大卒の人達の惚れた腫れたのお話なんだよね、漱石の小説って。なにそれ、財務省じゃあるまいし、そんな偉い人達だけの恋バナなんて読みたくない、と思いつつも読んじゃうのは、結局、恋愛で人が考えたり思ったりすることって、東大出だろうが、漱石が書くところの「下女」「車屋」だろうが同じだからだと思う。まあ、それでも漱石の小説を読むのは大変。第1に難しい漢字が多い。恋バナにたどり着くのに一苦労。だから、当時、別系統として「大衆小説」が発展したのでしょう。私も、キンドルにダウンロードした漱石は悔しいから全部読むけど、その後は「江戸川乱歩」に向かおうと思ってる。

因みに、昭和の人間である私は、「明治の女性」と聞くと、「一本筋の通った」「高齢の女性」をイメージしたものだけど、漱石の小説で、恋愛模様を繰り広げる若い女性(支配する女を含む)が「明治の女性」だったわけですね。

因みの因みに、横野君は世間から「強い女性に支配されるのが好きな男」と思われてるフシがあるけれど、本人は「絶対に違う!(強い牝馬は大好きだけど)と叫んでおりました、というどうでもいい話を今回のオチといたしましょう。


ハンマーのレンタル料

2024-03-22 14:20:55 | 音楽

昨日、「年齢による衰え」のことを書いたけどね、期せずして、スズ子も、若手の台頭があったりしてそのことに悩んだ今週でありました(朝ドラ)。でも、若手の存在をエネルギーに変えてがんばってましたね、今日の放送では。

横野君も、ここんとこしみったれたことを言ってたけど、休肝日を設けたら逆に体調がいまいちになって、それで弱気になったらしい(不健全な体には不健全な魂が宿る)。よし、今日こそ飲むぞ、と思ったらあっという間に元気になった。とたんに鼻息も荒くなって言うには、たしかに、これからは練習に励んでも衰え分をカヴァーして終わりかもしれない、でも上手い人は、上手かった分、きっともっと「昔はこんなじゃなかった」って言ってがっかりして一日中ふて寝するかもしれない。そしたら衰えるに決まってる、いくら上手でも。ここで、もし、横野君も何もしないと、上手い人が衰えたのと同じ分だけ横野君も衰えちゃって、技術ラインは平行線を描いて差は埋まらない(ケース1)。

でも、ここがチャンスとばかり一生懸命練習して衰えを最小限にすれば、10年後には逆転できるかも!って言うのよ(ケース2)。

言ってることは良し!じゃあ、今日は歌ったの?楽器の練習をしたの?って聞いたらしてないって。朝から、こんな、見ないでも分かるようなグラフつくって悦にいってる(一太郎で元図を作ったのをPDFに変換して、それを画像に変換して、ペイントで大きさを整えたと言ってえばってる。そこまでして作る価値はないと思う)。こりゃ、やっぱりケース1だね。

これは横野君の話。私はね、相変わらず、外付けHDDのディスク化作業をやってます。「笑っていいとも」に続いて「タモリ倶楽部」もやっつけた。あらためて、この番組こそは本当にいい番組だった。取り上げるネタがレア!例えば、某大生が作る日本列島の立体地図を見ながらタモリさんとオタクっぽい学生さんが蘊蓄を語り合う回とか(ブラタモリをもっと過激にしたよう)、美術館を巡って男性の裸の銅像の股間についてあーだこーだ言う回だとか、駅メロを特集した回だとか……あと、この番組って横野君が喜びそうなクラシック音楽の話も結構取り上げてて、「誰も弾けない現代音楽」なんてNHKだって「題名のない音楽会」だってとりあげそうにない。「クラシック打楽器特集」なんて回もあった。普通のティンパニとか、シンバルなんかには見向きもしない。とりあげたのは、例えばマーラーの交響曲で一箇所だけで使われるハンマー!そのハンマーを持ってきた楽器のレンタル屋さんは、ホームセンターで買ってきて、台と込みで1回5000円で貸し出してるんだって。利益率は良さそうだけど半年に1回出ればいい方っていうからあんまり儲けにはならないか。幻想交響曲に使う鐘(音はドとソ)はそれに比べればずっとよく出て1か月に1回程度。トゥーランドットに使うドラは8年で1回だけだって。


リタイアの時期

2024-03-21 17:45:34 | 音楽

外付けHDDのディスク化作業の次なる標的が「笑っていいとも」。例によって作業しながら見てたんだけど、当初は芸人が騒ぐクイズが続いて、えー?こんなんだっけ?とちょっとがっかりしたけど、見続けていくと要所要所に貴重な「記録」が出てきて結果的に大満足。例えば、テレフォンショッキングに久米宏が登場したりとか。それは2013年の12月のこと。久米さんが69歳で、タモリさんが68歳のとき。既に久米さんのニュースステーションが終わって10年近く経っていて、「笑っていいとも」も翌2014年の3月で終わることが発表されていた。すると、久米さんがニュースステーションを辞めたのは60歳になる年、タモリさんが笑っていいともを辞めたのは69歳になる年、ってことになる。当時、なんで「いいとも」を辞めちゃうの?と残念に思ったけど、現在の私の歳は当時のタモリさんの歳よりちょっと下(はっと気がつくとそこまで来てしまった)。で、既に仕事を辞めてますからね、リタイアする年代だったんですね。だったら、タモリさんがそこから10年も「ブラタモリ」を続けてくれたことに感謝しないといけないのかもしれない(まだまだお元気そうだけど)。因みに、「いいとも」が終わったんで、タモリさんは「ブラタモリ」で日本中を回れるようになった。それから、久米さんは、ニュースステーションをもっと早く辞めようと思ってたんだけど、同年代のタモリさんが生放送の「笑っていいとも」でまだがんばってる、だから自分ももう少しがんばろう、と思って辞めるのが4年延びた、って話をしてました。

さてさて、私が数年前に仕事を辞めたのはそういう頃合いだったということで。じゃ、趣味の方はどうなるんだろ。趣味はずっと続けられると言ってもね、やっぱり気力、体力が要るからね。横野君もそのあたりのことをよく言ってる。ほら、横野君、おかま声で歌ってるでしょ?おかま声の維持って普通の声よりも大変なんだって。プロも結構若くして引退するらしい。あと、彼、いろんな楽器をやってるでしょ?やっぱり昔より指がもつれるらしい。だから、うーんと練習をしても、年齢による衰え分をカヴァーするのが精一杯で、練習すれば上手くなる、ってわけじゃないらしい。それってモチベーションに影響する。だから、どういう場所で、どのくらいの頻度で続けていくかが思案のしどころだ、って言ってる。

因みに、タモリさんと久米宏さんはほぼ同時期に同じ大学に通ってたんだって(吉永小百合さんも)。で、「モズ」ってジャズ喫茶店があって、そこにお二人とも通ってたんだって(当時は面識はなかったらしいけど)。あと、学校近くの雀荘とかラーメン屋の話で盛り上がっていた。因みに、横野君もお二人と同じ大学だけど、ジャズは門外漢だからそのお店のことを聞いても知らないと思う。年代も違うし。


バックハウスはパン屋さん!?(てるてる家族感想文)

2024-03-21 11:08:40 | 日記

朝ドラ「てるてる家族」を久々に見た(外付けHDDのディスク化作業で)。「笑いあり涙あり」ってキャッチフレーズは大概眉唾なのだけれど、これはまさにそのもの。とか言いつつ、初放送の際は良さが分からず、はまったのは再放送のとき。この間、関西の笑いのツボの理解が進んだのかも知れない。思ったことをいくつか。

四姉妹のモデルは実在し、次女夏子のモデルは歌手のいしだあゆみさん。そのいしだあゆみさんがドサ回りの歌手役で出ていて、夏子の持ち歌である「ブルー・ライト・ヨコハマ」を夏子に無断で歌ったのだけれど、ホントはいしださん自身の歌なのに「人の歌」と言ってるところが面白い。この歌はリアルタイムで聴いていたけど、今聴くと「ブルーライト」に注意が向く。当時、青色LEDはまだ発明されてなかったから、これはネオンサインの色なのだろう。私の父などは、こういう色に照らされて繁華街をほっつき歩いていたのだろう。私的には、いしだあゆみさんと言ったらこの歌と、あと朝ドラ「青春家族」。

「てるてる家族」には、近所に住む発明家のおっちゃんが登場する。おっちゃん(「おじさん」よりも響きがいい、と私は思う)が発明したのは即席麺。で、食品会社を起こしたというんだから、期せずして今再放送してる「まんぷく」とかぶります。即席麺の開発→競合他社の出現による業績低迷→カップ麺の開発(その際、フリーズドライの技術を取り入れ、カップ麺に向くエビを探し当てる)等々のエピソードは共通(そりゃ、モデルが同じだから)。ただし、発明家の役は、「まんぷく」は長谷川博己、「てるてる」は中村梅雀で見た目は随分違うけど、どちらも発明家らしい役作り。それから発明に一心不乱に協力するのが「まんぷく」は奥さんのふく子(安藤サクラ)であるのに対し、「てるてる」は四姉妹の三女の秋子(上野樹里)でした。

映画で四姉妹と言えば「若草物語」。原作は小説だけれど、私がこの題名を聞いて思い出すのは映画。と言っても、この原作を元に山ほど映画が作られていて、私が思い出すのはエリザベス・テーラーが出てた古ーいヤツ。最近はメリル・ストリープやエマ・ワトソンが出演したのがあるらしい。いけない、見てない、早急にアップデートしなければ。

「てるてる家族」の実家はパン屋さん。私、なりたい職業の一つがパン屋さんで、リタイアしたら近くのパン屋さんに弟子入りするって友達に言っていて、そしたらそのパン屋さんが数年前に休業して、よかった、弟子入りしないで済んだ、と思ってたら、知らないうちに再開してる。ちょっと焦ったけど、弟子入りできない立派な理由があった!そのうち奥地の家に引っ越すんだった。ほっとする私(別に友達に言っただけなんだから弟子入りしなくたって誰はばかることないんだけど)。

パン屋さんと言えば、「バックハウス」っていうピアノを弾くおっちゃんが昔いてたらしい。「バックハウス」って言ったら「裏の家」とかって意味?でも、この人ドイツ人。ドイツ語で「バッケン」は「(パンを)焼く」だからもしかして「パンを焼く小屋」?当たってた。横野君は、その「パン屋さん」が弾くハンマーなんちゃらって曲が大好きなんだって。


アイム総理

2024-03-20 15:55:17 | 言葉

漱石を読んでると「気の毒」という言葉がよく出てくる。AさんがBさんの惨状を見て「気の毒」と言う場合、誰の気が毒かというとそれはAさん。Aさんの気持ちに毒が入って痛む、ということ。ところが、この場合にAさんがBさんに「御気の毒様」と言うとよく分からなくなる。自分の「気」に「御」や「様」はつけないだろう。すると、この場合の「気」の主はBさん?Bさんの気持ちが痛んでることにAさんが同情するってこと?

これがドイツ語だったらこんな疑問は生じない。「気の毒」はドイツ語で「Tut mir leid」だけど、「mir」だから自分の気が毒なのは明らか。もし、「彼女の気」が毒なら「Tut ihr leid」になって、やっぱり明らか(「水車屋の娘」の歌詞に「Tut ihr leid」が出てくる)。

ところで、ドイツ人は、「ごめんなさい」と言うべきシーンでも「Tut mir leid」と言うけど、なんだかしっくりこない。自分がやらかしたのに「Tut mir leid」なんてどこか他人事。はっきり「ごめんなさい」と言っちゃうと責任をとらさられるのでこういう言い方をするのだろうか。でも、本当に責任をとれないのならこういう言い方の方が正直なのかもしれない。日本みたいに口ではお詫びしますと言って深々と頭を下げても実際には責任をとらないよりかはいいかもしれない。

因みに、漱石は「虞美人草」の中で「気の毒とは自我を没した言葉である……」から始めて「気の毒」という言葉についての考察を試みてる。「自我を没した」は「他人事」のことだと思って「そーだ、そーだ」と思ったけど、どうやらもっと難しいことを言ってるらしい。

英語の「I'm sorry」も直訳は「気の毒」だけど「ごめんなさい」の意味で普通に使われる。その点、「Tut mir leid」と同じ。

「アイム・ソーリー」と言えば、20年位前、某議員さんが、国会質問で舌鋒鋭く「総理!総理!」と連呼して総理大臣を追及する姿がよくテレビに映し出されて世の注目を浴びていた。そのことをご当人も意識していたのでしょう、国会を離れたなんかの会合でもネタで「そーり、そーり、アイム・ソーリー」とやっていたのをテレビで見た。さすがにはしゃぎすぎな感じがした。その後ですよ。この方が不祥事で議員辞職をして刑事処罰を受けたのは(好事魔多し)。その後、復権して、最近、党の役職につき、国会では過去の自分の事件を持ち出して「あたしは逃げなかった」と言って与党の議員を追及してる。転んでもただでは起きないとはこのこと。もし、この方の追及を受けた総理大臣が「アイム・ソーリー」と言ったら、この方はどういう反応を見せるだろうか?
可能性その1。「国会という神聖な場でふざけるあなたには総理の資格はない。即刻辞職すべき」と言う。こうした反応は高い確率で想定できる。「芸が無い」とも言える(国会では芸はいらないとも言える)。
可能性その2。「『アイム・ソーリー』は私の専売特許だ。勝手に使うな」と言う。私的には嫌いな反応ではないけれど、議論が個人間の争いに矮小化した感があり、国会ではふさわしくないと言われるかもしれない。
可能性その3。「ソーリであるあなたがソーリーと言った。自らの非を認めたものと理解します。即刻辞職すべき」と言う。シャレを残しつつ一応国会質問のカタチをとどめている。こういう反応を見せれば見上げたもの。ファンになってもいい(絶対言わないだろうけど)。


E電

2024-03-19 09:47:04 | 音楽

町屋は都電荒川線が通ってるんだけど、いつの間にか町屋駅の案内図の「都電荒川線」があった辺りが「東京さくらトラム」になっている(「トラム」は路面電車の意味の英語)。これは都電荒川線の愛称らしい。因みに、「東武スカイツリーライン」「東武アーバンパークライン」も愛称で、「東武伊勢崎線」「東武野田線」って名前自体が消滅したわけではないらしい。

それに対し、東武伊勢崎線(スカイツリーライン)の「業平橋駅」は、正式に「とうきょうスカイツリー駅」に改称したんだと。「なりひらばし」っていい名前だと思ってたから残念。やすやすと昔の名前を消さないでちょうだい、と言いたいところだけど、実は「業平橋駅」も最初からの駅名ではないそう。「吾妻橋駅」「浅草駅」を経た三つ目の名前だったんだって。じゃ、文句を言えた義理じゃないか………

漱石の小説には「電車」と「汽車」の二つの言葉が出てくる。文脈から、「電車」は現代の都電(当時の東京市電)で、「汽車」は東海道本線とかの鉄道の本線のことを言っているの?とあたりをつけた。検証してみましょう。現在の都電は、明治の初期は馬車鉄道だった。電化が完了したのは1904年。漱石の「虞美人草」が世に出たのは1907年。他方、東海道本線が電化されたのは1920年代だから、「虞美人草」の頃は汽車だった。時代的には合ってる。

因みに、「JR」の前身は国鉄だったわけだけど、国鉄の路線のうち、「本線」じゃないやつ、つまり大都市周辺で運転された近距離路線(山手線等)は「国電」と言われていた。それが民営化の際、「E電」になったんだけど、この名称は付けられたその日から死語になった。当時のことを覚えてる。「国電」に代わる名称を公募したらその中に「E電」があって、さほど多くの票を集めたわけではなかったんだけど、担当者が「悪くない」と思ってそれにしたって。でも、「悪くない」と思ったのが悪かったんですね。「国電って言ったらいけないんだ、E電と言わないとね」と言った外国帰りの友人がいたんだけど、たしかに「国電」は時代後れだけど「E電」て言ったらもっと変、と思ったものです。因みの因み、国鉄の前っていうのがあって、その時代には「国電」は「省電」だったそうな。そう言えば、古い小説に「省電」って出てきますね。

下の写真は、以前に大塚あたりで撮った都電荒川線。

そう言えば、「チコちゃん」で、日本の信号機の三色が横並びの理由は、路面電車に電気を供給するために道路の空中に張り巡らすケーブルの高さが関係してる、って言ってたっけ。

因みに、私が子どもの頃、横浜駅の辺りの道路をケーブルが覆ってた記憶がある。市電が通ってたんだろうな。横浜市電が全線廃止されたのは1972年!? じゃあ、記憶は合ってる。


石榴石三連発に狂喜乱舞して北小金まで乗り過ごした件

2024-03-18 11:21:48 | グルメ

ブラタモリの録画を見てたら三陸の鉄鉱石の旧採石場が出てきて、で、鉄鉱石の出来方を説明してて、石灰岩の層にマグマがぶつかると、マグマの中の鉄分が石灰岩にしみ出して石榴石(ざくろいし)ができる、石榴石になりきらなかった鉄分が鉄鉱石になる、という話。タモリさんの「石榴石とはガーネットのこと」との補足で「あー!」と納得の声をあげる林田アナウンサー。宝石が好きな人は「ガーネット」で反応するらしい。

と思ったら、今、夏目漱石の「虞美人草」を読んでるんだけど、「石榴石の装飾のついた金時計」の話がでてきた。おお!「石榴石」ってブラタモリで見たばかり、と喜ぶワタクシ。

さらにでござる。町屋のイタリアンに行って、ピノ・ノワール(という葡萄の品種)で作った赤ワインを注文して、グラスに注いでもらったら思い出した。

ピノ・ノワールで作ったワインの色をガーネットと形容するんだった。すなわち、石榴石。石榴石三連発に狂喜乱舞するワタクシ。興奮のあまりいつも以上にグラスが進んだ結果は、電車の乗り過ごし。

北小金まで行きました(証拠写真)。よく、北小金で済んだものだ。

このように、同じ事柄が短時間に重なる現象がよくあるけれど、思うに、偶然短時間に重なるのではなく、普段からそこらへんに転がってる事象に気がつかないだけで、なんかのはずみで注意が向くとそれに気がつく、と思っているワタクシ。文中の「林田アナウンサー」は音大出身ということで音楽ファンの間の認知度が抜きん出て高い、と言っていたのは横野君です。