拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ムシュロ(奥地日記Vol.?)/ゲットバックの「another man」

2024-06-23 13:59:54 | 言葉

奥地の家の生け垣を刈り込んだはいいが、刈り込んだ枝葉の量は膨大。これを、小分けしてビニール袋に詰め、それをリュックに入れて現住所に持って帰らなければならない。とりあえず、刈り込んだ当日は道に積もったヤツをかき集めて道具入れに詰め込み、次に行ったときから袋詰め作業を始めたのだが、これがなかなか大変。切り取ったままだと長い枝がビニール袋を突き破るから、園芸ばさみ又はノコギリで小さくし、それから袋に詰めるのだが、4時間やってこれだけ。

まだ同量以上が残っている。全部の袋詰めが終わるまで多分あと二日。その後、一袋ずつリュックに入れて持ち帰り、現住所で燃えるゴミに出す。多分、全部終わるまで半年はかかるだろう。車があれば運搬は一日でできる。あるいは、私がペーパードライバーでなければレンタカーを借りて、やはり一日でできる。なお、あればよいのは車であって俥ではない……ん、まてよ。リアカーでもあればやはり一日で終わるよな。いや、積載がいっぺんにできても一日では返ってこられない。どこかの「宿」(しゅく)で一泊か二泊しなければなるまい。

フルーツピッカーはようやく今日になって届いた。来年の収獲を基準とすれば、ものすごく「素早い対応」である。

ところで、奥地の駅前の中華にはこのところ行ってなかったのだが、今回、行き(昼頃)に店先で給仕担当の中国人女性(シェフの奥さんなのか店員さんなのかは不明。一応「マダム」と言っておく)とぱったり会って、私のことをちゃんと覚えていて、「おねーさん、お久しぶり」と声をかけられてしまったからには夕方行かないわけにはいくまいて。四時間の作業で喉がカラカラで一刻も早くビールを飲みたいところでもある。ということで、帰りに寄って、ムースーロー(キクラゲと豚肉の玉子炒め)と生ビールを注文。カラカラの喉はビールを瞬時に吸い込みいつもなら紹興酒となるところだが、今回は梅酒サワーを注文。

私がお店でサワーを注文するのは多分人生初である。サワーってアルコールを水で薄めているイメージがあって、味もアルコールも薄くて「損」な感じがして敬遠していたのだが、ここんとこ自宅ではサワーづいていたので試してみたのである。旨いし爽やかであった。

因みに、マダムに注文するとき「ムース↓ーロー」と言ったら、そこからマダムの中国語講座が始まった。
マダム「中国語ではムシュ↑ロって言う」
私「ムースーロー」
マダム「違う、ムシュ↑ロ」
私「ムシュ↑ロ」
マダム「そう!」ってな感じである。

後日、この話を他の人にしたら、中国は国土が広いからいろんな発音がある、と言っていた。そりゃそうだろう。国土の狭い日本だって発音はいろいろである。例えば、「あまちゃん」で流行語になった「じぇじぇ」は、ちょっと地域を違えると「じょじょ」になる。因みに、「じょじょ」で思い出すのはビートルズの「ゲットバック」。「JOJO」って人がああしたこうしたって歌である。因みの因みに、その「ゲットバック」で曲中、リコーダーの音が一瞬「ぴっ」って入る気がする。それから、歌詞の2番では「スイート・ロレッタ」の話になり、このロレッタは自分のことを「woman」だと思っていたが、ホントは「another man」だった、というのだが、要するに「おほほ」だってことだろうか。もしそうなら、横野好夫君は、歌においては「another man」である。


肝臓と糖尿病の話

2024-06-22 06:46:51 | 健康

健康診断の結果を聞きに行った。明らかに高いのは尿酸値。痛風が出るかも、と言われた。もう何度か出てる(そういや、最近は出てない)。あと、血圧とコレステロールは高めだが薬を飲むほどではない。その他、心臓、肝臓、腎臓は正常。糖尿病の心配はないと。いっときむやみに高かった血圧が今は下がってることは自覚していた(既述)。

実は、今回、一番診てもらいたかったのは肝臓の数値。半世紀弱に及ぶ暴飲の果ての今、肝臓が無傷とは思えない。ときどきやらかすのは肝臓が悲鳴をあげてるから?だが正常。丈夫なレバーを与えてくれた親に感謝である。ときどきやらかしたのは、どうやら、ある一定のsituationに関係しているらしい。最近は、そのsituationに陥ることがないからやらかすこともなくなった。肝臓のせいでなかったことの証しである。この歳で大丈夫なら、短い老い先から考えて、悪くなることはないだろう。

もう一つ、確認したかったのは糖尿病についてである。話は10代の頃に遡る。高校で尿検査をした際、尿から糖が出て糖尿病検査に行った。最初に行ったときは、甘い水を大量に飲むのだが、それが生暖かくて往生した。次に検査に行ったときは(なにしろ毎年ひっかかるので)、炭酸水になっていてたいそう飲みやすくなっていた。そのいずれの検査においても、血糖は高くない、逆に低いくらい、だから糖尿病ではない、だが、糖尿病予備軍だと言われた。だから、自分は将来糖尿病になるものと決めていた。糖尿病は遺伝の要素がある、と言うが、父がまさにホントの糖尿病と診断されていたから余計にその感が強まった。

ところがでござる。年月を経て40代になって受けた人間ドックでは、尿酸とかについてはダメだしを喰らったが、糖尿病については今後心配はない、しかも「大したものだ」とのお墨付きまでいただいた。これまでのいきさつからわが耳を疑った私であった。

それから更に20年が経った。この間、健康診断を受けずにきた。20年の月日(つきひ)は長い。お墨付きをもらった糖尿病もこれだけ不摂生をしてれば発症しているかもしれない、いや、してるに違いないと思い、受診することにした(無料の受信券で。区様々である)。まず眼科検診。糖尿病からくる網膜症は「ない」。そして今回、糖尿病自体も「ない」。血糖値が正常値であるほか、尿糖すら「なし」であった。20年前の「大したものだ」は本当であった。この歳で大丈夫なら、短い老い先から考えて、発症することはないだろう。

因みに、「ホントの」糖尿病であった(はずの)父は、日本酒はダメと言われたので晩酌は糖分の少ないウィスキーに切り替えていた。すると、今の私くらいの歳の頃だったろうか、糖尿病がなくなっている、との診断を受けた。それこそ信じられない話だった。糖尿病は治らないと聞いていたから。だが、最近、糖尿病も治ることがあるって話をちょくちょく聞くようになり、すると、父もホントに治っていたのか、と思う今日この頃である。


杏疑惑(奥地日記Vol.?)

2024-06-21 09:28:51 | 園芸

奥地の家の梅のことだが、梅酒にしたのは青い実(青梅)。刈り取らずに残した枝の上の方のヤツらがこぞって黄色くなったから、これをゲットして梅干しにしようと思い、「フルーツピッカー」とやらをポチったが、まだ来ない。いい加減腐るぞと思い、「フルーツピッカー」なしで収獲しようと出かけてみると、な、なんと、「一粒残らず」落ちてダメになっている。

一週間の遅れは致命的であった。このあと、「フルーツピッカー」は届くのだろうか。まあ、(もし届いたのなら)来年用として受け取ろうとは思う。

ところで、この「梅」について、売主さんが「杏(あんず)だと思ってた」との情報が入る。えー?最初、早咲き桜だと思って、次に青い実を見て梅だと思ったのに、ここでまた杏に訂正しなきゃいけないの?だが、花は2月に咲いていた。2月に花が咲くのは梅で、杏は3月だという。なによりも、有力な反証はこれ。

葉っぱの先が尖ってる。これは梅である。だから、私の中では杏疑惑は否定された。このあいだブランデーに漬けたヤツは杏酒ではなく、当初の思惑通り梅酒である、と信じている(信じる者は救われる)。

ところで、落ちた梅を拾っていたら誰やら近寄って来た。多分、向かいのウチのご亭主である。頼みがあるという。ウチの生け垣が道路にはみ出てるので、刈ってくれ、ということである。来るべくして来た。たしかにはみ出ている。帝国大学の樹の葉っぱはキャンパスの外の歩道を飛び越して車道にまで大きくはみ出てるが(下の写真)、

それが許されるのは帝国大学だからである。庶民の生け垣がはみ出ていてはいけない。こういう場合に備えて、枝切りバサミもノコギリも用意してある。だからご亭主に「分かりました!今日、これから伐採します!」と言うと、ご亭主は「い、いや、今日じゃなくても。一人で大変なら市のシルバーなんとかがあるから」と言うが、どうせ、完熟梅をとる作業がぽしゃったところ。私にはDo it yourselfが相応しい。ということで、この日は垣根を刈り込むガーディナーに急遽変身である。で、こんなだったのが(うん、たしかに伸びすぎ。帝国大学ほどではないが)、

4時間の作業でこうなった。

私が床屋さんに行ったときのビフォー・アフターと似ている。刈った後のすっきり感も同じ。同じと言えば、父も生前垣根の苅込をやってたな、反発してたけど同じことをやってるなと感慨深めのワタクシである。刈ってる最中に、今度はお隣のご亭主がやってきて、いろいろアドバイスをくれる。亡き父のときもそうだったが、垣根作業は社交場である。

刈ってて分かったのだが、生け垣の樹が古くて育ちすぎてしまってて、フェンスから出ている部分が葉っぱでなくて太い枝だから、チョキチョキ刈るでは足りず、ノコギリでギコギコやらないとダメ(髪の毛をハサミでチョキチョキでは足りず、毛根のあたりからバリカンでバリバリやらなければダメ……という感じ)。こうなったら、サザンカと梅だけ残して、後は全部「元から絶」って(引っこ抜いて)、床屋の例えで言えば坊主にして、空いたところにピザ窯を置こうか、と思う昨日今日である。

因みに「杏」は人の名前だと「あん」だが、果樹になると「あんず」と読むことを初めて知った今日この頃である。


地下鉄銀座線渋谷駅が地上にある件/外濠(まとめ)

2024-06-20 09:23:52 | 地理

昨年、ギャラクシー賞を受賞したタモリさんが受賞式で「渋谷の坂」について一言求められて仰ったのが地下鉄銀座線渋谷駅が「空中」にある件。学生で東京に出てきたとき「地下鉄銀座線に乗ろうと思ったら地下に地下鉄の乗り場がない。ふと見たら空中を地下鉄が走ってる。青山通りの地下を走ってたのが渋谷という谷にさしかかると空中になる。そんな起伏に富んだ東京が素晴らしいと思って坂道に興味を持った」とのこと。こういう場でいきなりふられても、ひょいと含蓄が飛び出すあたりはさすがである。因みに、地下鉄丸の内線が御茶ノ水の聖橋の下でいきなり顔を出すのも、本郷台地の下を走っていたのが神田川の谷に出ていきなり「天井」がなくなるからである。

今、渋谷は大改造中。いろいろ激変してるそうだが(まだ全く見てない)、銀座線の駅は相変わらず地上にあるそうだ(位置はちょっとずれたそうだが)。

タモリさんが東京の坂に興味をもたれたのは学生として東京に出てこられたときだったとしても、それ以前から地理・地学に興味をお持ちだったのだと思う。なぜなら、ブラタモリで仰ってたのだが、郷里にいらしたとき群馬の沼田の河岸段丘のことを知って、東京に出てきたとき真っ先に沼田に行かれたというからである。沼田は、私も尾瀬に行ったとき通ったが、河岸段丘はたしかにすさまじかった。

その受賞式で、仕事の上で最も記憶に残っていることを聞かれて、「いいとも」で作家の有吉佐和子さんの番組ジャック(最後までゲスト席に居座ってしゃべり続けた)を挙げていた。ただし、そこでちょっと気になる一言があった。その後、黒柳徹子さんも同じ事をした、と言うのである。はて(これは「さて」ではなく「はて」でよい)、私の記憶とは異なる。私の記憶では、最初に番組ジャックをしたのは黒柳さんである。有吉佐和子さんが、自らの番組ジャック中に、過去の黒柳さんの件を持ち出していて、「あ、意識してるんだなぁ」と思った記憶が傍証である(ただし、私の記憶の証拠能力は極めて低い)。だが、更に思い出してみると、黒柳さんはもう一度いいともに出て、一回目ほどでないにしろ、やはりかなり長時間ゲスト席におられた(それが期待されてもいた)。タモリさんがそっちを言ってるのなら、たしかに「その後」である。

さて(今度は「はて」でなく「さて」でよい)、ブラタモリ(と漱石)の影響で、随分東京を歩いた。まだまだ歩く場所は山ほどあるが、外濠についてはだいぶ勉強したので、ここいらで、お勉強の成果を図にして表してみた(先生から言われたわけでもないのに、こんなことをするのは大した物好きである。いや、言われないから喜んでやるのである)。

つまり、日本橋川の雉子橋から時計回りに、外濠川、汐留川、溜池、西側の外濠、神田川と「のの字」に描いたものが外濠である。このうちまだ歩いてないのは、御茶ノ水から浅草橋と、雉子橋から新橋のルートである。当然、歩くつもりである。


15年前のブラタモリ(本郷台地)

2024-06-19 12:01:58 | 地理

話を神田橋に戻す。そこから銭湯に行き、銭湯から大手町に戻るのは芸がないから御茶ノ水方面を目指して歩いてたら、目の前で中央線と総武線が交叉。

聖橋から遠くに見えた緑の鉄道橋が目の前。そこを総武線が走り、少し手前の低い鉄道橋を中央線が走る。御茶ノ水駅を出た辺り(この写真のちょっと左手)で両線は分岐し、総武線は秋葉原を、中央線は神田を目指すのである。因みに、鉄道橋の下は昌平橋。大谷翔平の「しょうへい」と字が違う。ファンの方にはお気の毒である。

はて、ではなく、さて、ちょっと目を左に転じるとかなりの勾配の坂がある。

この坂の上が本郷台地の突端である。私は今、突端の際(きわ)の下にいるのである。江戸幕府は、開幕後すぐに日比谷の入江(現在の日比谷公園)の埋立にかかった。その埋立に使ったのがこの台地から切り出した土砂である。

そう言えば、放送開始直後のブラタモリで本郷台地を扱った回があったと聞く。録画があるか?パソコンのリストを検索。あった!15年前の第8回である。早速視聴。番組に入る前にちらっと映っていたニュース映像に表示されたドル円相場が87円台!アシスタントが久保田アナウンサー。ナレーションが草彅剛でなく戸田恵子。エンディングの歌は井上陽水だけど曲が違う等々、すべてにおいて「今は昔」である。当時、タモリさんのお歳は現在の私とだいたい同じ。「にもかかわらず」と言うべきか、「だから」と言うべきか、とってもお若い。

その本郷の回で、本郷台地の南端を深く削っている神田川の流れが自然の流れではなく、人工的に掘削されてできた流れだと言っていた。そうなのだ。元の川は南下して江戸城の近くを流れていたのを、江戸幕府が治水事業の一環として台地を掘削して向きを東向きに変えたのだった。で、元の川筋が(昨日ネタにした)現在の日本橋川になったのだった。「川の向きを東に変える」と言えば利根川もそう。あちらは東京湾に注いでいたものを銚子沖の太平洋に注ぐように付け替えたのだった。

びっくりしたのは、「弥生土器」のネーミング。が最初に発掘されたのが本郷台地上の文京区弥生という地であったからだという。縄文時代の次が弥生時代と呼ばれているのも、基をたどれば文京区弥生にたどり着くわけだ。なんでも、台地の際(きわ)は当時の一等地で人がたくさん(と言っても現在とは桁が違うが)住んでいたのだという。

「際」と言えば、タモリさんが、「(台地の)際を歩くのいい。なんでも際がいい。人間も服と肌の際がいい」と言ったのに対して久保田アナの「脱いじゃうとダメ?」などという切り返しはまったくNHKのアナウンサー離れしている。タモリさんはその後何人かのアナウンサーとコンビを組んだが、今見ると久保田アナとの掛け合いはなかなかのものである。そんな久保田アナはご幼少のみぎり、鈴木雅明指揮BCJの演奏会で、マタイ受難曲の子どもの合唱を歌った経験があるそうだ。横野君に言わせると、これはすごいことなのだそうだ。


日本橋の上空に青空が戻る日

2024-06-18 17:46:14 | 地理

ということで、再び聖橋でカメラ小僧になった話である(「小僧」は本来は男の子を指すが○○小僧と言った場合は、老若男女を問わない)。相変わらず、カメラ小僧がたくさんいる。私と同様に、中央線と総武線と丸の内線が同じ位置で交叉する様子を撮りたいのだろう。私が現地に着いたときが絶好のチャンスだったがカメラが間に合わなかった。その後、30分間くらいねばって一番惜しかったのがコレ。

総武線と丸の内線は上下で交叉している。だが、中央線は写ってはいるが、御茶ノ水駅に停車中で他の二線と交叉してない。もう少し早く出発してくれてれば目的を達成できたのに……残念である。

時計の針を少し戻そう。皇居を一周した後、大手町の近くの銭湯に向かう途中で神田橋とやらにぶちあたった。

その下を流れるのは日本橋川。私は、この「日本橋川」については、外堀のことを勉強してる途中でちらちらとその名が出てきたのにもかかわらず全く調査を怠ってきた。だが、こうやってその上を渡ることになったのも何かの縁。調べてみた。すると、この川の一部も外堀の役割を果たしていて、ご多分に漏れず、この神田橋にも門(見附)が設けられていた。いったいどこから流れてくるのかと思ったら、小石川橋のあたりで神田川から分岐してこっちに来てるのだという。そう言えば、前々回外堀沿いを半周した際、水道橋と飯田橋の間に小石川橋があった。そのとき撮った写真を見てみよう。

おお!ホントだ!分岐して線路の下をくぐってる。これが日本橋川だったのだ!この流れは、その名の通り、日本橋の下を流れて(神田川と同じく)隅田川に注ぐ。だが、ほとんど、その上に首都高が通っていて、空を眺めることができるのはわずか隅田川に注ぐ直前の500メートルに過ぎないそうだ。日本橋の上空も例外ではない。これが極めて景観を害するから、なんとか首都高をどかすことはできないのか?って話は昔からあったが、夢物語であった。都知事候補が「どかす」と言っても誰も本気にしなかった。ところが、なんとその夢物語が実現する運びになった。どっちみち首都高が老朽化したので作り直さなければならない、なら地下化しちゃおう、ということになったそうだ。地下化されるのは神田橋から江戸橋の間。その間に日本橋がある。地下が開通してから上部の撤去を始めて、完了するのが2040年とのこと。よし、それまで生きるぞ。がんばって、この目で見届けるぞ。


皇居一周ラン&ウォーク

2024-06-18 11:34:06 | 音楽

石川さゆりさんのお父上は、食卓についてもお箸が出てないとご飯に手をつけず、なぜかと聞かれると「箸がなくて食べられるかっ」と言ったそうな(徹子の部屋)。石川さゆりさんは、「そういう態度は今じゃ許されない。『お箸がないんだけど』と言えばすむこと」と言っていたが、私に言わせれば「自分でお箸をとりに行けばすむこと」である。

はて、ではなく、さて、こないだ内濠沿いを歩いたら、皇居を一周するランナー達とたくさんすれ違ったので、よし、私も皇居一周ランをしよう、と心に決めて実行したのだが、途中で脚が痛くなった。「自転車」「歩き」「走り」では使う筋肉が違うらしい。思えば、かつて炎天下に二時間自転車を漕ぐのもへっちゃらだった私がひらすら歩くようになってから久しぶりに自転車に乗ったら脚がすぐ疲れたときも、使う筋肉が違うんだなと実感した。走ることが部活動であった点は半世紀前の話だから筋肉はすっかり別物である(使う筋肉云々の話ではない)。そういうわけで、走っては歩き、歩いては走りの「ラン&ウォーク」で完走。もともと写真を撮るときは止まろうと思ってたから予定通りと言えば予定通り。徐々に慣らしていけばよい(つまり、今後もやるつもりである)。

今回走った(歩いた)コースは、前回の「内堀~外堀」のコースとは若干異なるため、見た景色も異なる。例えば、

今回、内濠通り(橋からは少し距離がある)から正門鉄橋と正門石橋の二つが同時に見えた。

奥の黒いのが正門鉄橋であり、手前の茶色のが正門石橋である。前回は、正門石橋の手前からだと重なってしまって正門鉄橋が見えなかった(同時に二つの橋を見られなかった)。今回は、奥の正門鉄橋の方が高台にあることと、それを遠くから見たことによって両方同時に見えたのである。坂道は、二つの橋の間だけではない。外苑から二重橋までずーっとタモリさんの好きな坂道である。江戸城が台地のヘリに造られたことがここでもよく分かる。因みに、二つの橋があるから二重橋だと思われがちだが、二重橋は正式には奥の正門鉄橋のみを指す。昔、木橋だった頃、補強するために下に丸太を伸ばしていて、それで二重に見えたのだそうだ。

この二つの橋がかかってるのが二重橋濠。今回は、これより外側の日比谷濠と馬場先濠沿いを走った(歩いた)。「外側の堀」だが、外堀ではなくやはり内堀である。こっち方面の外堀の役目は外堀川(山手線他の線路の東側にあった。現在は埋め立てられている)が担っていた。その馬場先濠の様子がこう。

真っ黄色。人は、同じ黄色でも黄金(こがね)なら喜び藻なら「すん」と言う(植物学者は逆だろう)。隣の日比谷濠の水は普通の水の色。橋の両隣で堀の様子が全然違うってことは、水が通ってないのだろうか。

そんなこんなで、歩く時間が大半を占めたにせよ皇居一周を完了して、銭湯に向かう。そう、皇居の近くに銭湯があるのである。都会に銭湯があって、奥地に全然見当たらないのは不思議である。この後、御茶ノ水まで歩き、再び聖橋でカメラ小僧になったのであるが、その話は改めて。


専門家

2024-06-17 09:36:16 | グルメ

ってことで、予定通り夕食は回鍋肉。

久々のキャベツだからたっぷり使ったのだが、それよりも使ったのは豚肉。きょうび、近くのスーパーでもまとめ買いをしないと豚肉が100g99円にならない。だから在庫がたくさんある。勢いたくさん使う。写真にも現れてますねー、豚肉の多いことが。

こんな写真でもアップしてしまう恥知らずのワタクシでも、さすがにムースーロー(キクラゲと豚肉の玉子炒め)の写真はアップできない。なにせ、玉子を1個しか使わないと決めてるもんだから、視覚的に全く玉子炒めになってない。お店屋さんのことを言えた義理じゃない。例えば、こんな感じ(って、アップすんのかい!?)

あれ?思いのほか玉子が見える。それよりも目立つのはキクラゲですなー。キクラゲは腸内細菌のゴハンになるから身体によいそうだ。

はて、ではなく、さて本題。専門家の話三題。

その1。なんかの番組で、専門家が「30分の外出だったらエアコンは切らない方が経済的。2時間以上だったら切った方が経済的」と言っていた。じゃ、30分から2時間の間は?こうした疑問を普段なら絶対に言いそうなパネラーの面々が微妙な顔をして黙っていた。打合せで、そうした質問をするなと口封じされてるんだ、と思った。

その2。なんかの番組に経済の専門家が出てきて、「円安はよくない」と言ってる経済界の某重鎮の発言をつかまえて、「経済の教科書を読み直せ」と言っていた。当該専門家に言わせると、円安はマクロ経済(経済全体)的には良いことだそうだ。しかし、私は、別にけなされた重鎮が高校の同級生だから言うわけではなく、この専門家の意見に三つの理由から反対である。一つ目は、マクロのためにミクロ(個々の家計)が犠牲になっていいのか。国全体の経済が良ければ個々の食卓からステーキが姿を消してもよいのか。二つ目は、そのマクロですら、最近は指標が良くない。円安による物価高で消費が落ち込んでいるからだ。三つ目は、そもそも私は「経済の教科書を読み直せ」などという「上から目線」なことを言う人はきらいである。

その3。チコちゃんに、NHKの今井純子解説委員が出てきてNISAの説明をしていた。で、ご本人はNISAをやってるの?と聞かれてやってないと答えていた。おお!聞き所はここからである。なぜか、というと、株は長期的には儲かることが多いとしても、短期的には値下がりすることがある(よーく知ってます)、株価が回復するまで時間がかかることがある(よーくよーく知ってます)。すると、若けりゃいいけど、ある程度の年齢になると生きてる間に回復しないかもしれない、自分はそういう微妙な年齢だからやらないんだ、ということだった。素晴らしい説得力。絶対やらない、と心に決めた。因みに、私は今井純子解説委員のファンである。


独身オーラ

2024-06-16 16:26:56 | 日記

この半年、キャベツを買ってないからキャベツの料理を作ってない。餃子もタマネギで作った。理由はバカ高いから。この物価高の中でも異常な高値である。一個300円なんてキャベツの値段ではない。300円出せば、激安スーパーで弁当が買える。そうしたご時世の中、なんと、今朝、スーパーの朝市に行ったらキャベツの見切り品が一個50円!さっそく手を伸ばすと、近くにいたどこかのお姉様が私の袖を引っ張って「おねーさん、今日は新品が安いんだよ。だから傷がついてる見切り品なんか買わなくていいんだよ」と言う。え?そうなの?で、キャベツ売り場に目を転じると、おお!たしかに!一個99円だ。だが、待て。それでも見切り品の約2倍である。傷が付いてると言ったってちょっと黒いだけ。だから、お姉様に「こっちは50円だからねー。傷んとこなんてチャチャっと切ればいいんだし。それに、私、腐ったモノ食べても大丈夫だし」と言うと、大いに感心した様子で「そうか。そうだね。一人暮らしならそんなに量はいらないしね」と返ってきた。え?私が独り者だってなんで分かるの?独身オーラが漂ってるんだろうか。さらにお姉様のご親切(お節介)は続く。「おねーさん、ほら、同じ見切り品でもこっちの方がいいよ。傷がないよ」と言って別の球を私に差し出す。親切をむげにするわけにはいかないから「ありがとう!」と言って、その球を受け取ってさっきのヤツはコーナーに戻す。でも、さっきのヤツの方が大きい。黒いところを切ってもずっと食べごたえがある。ので、お姉様がどこぞへと引き揚げたのを確認してからコーナーに戻り、元のヤツもカゴに入れ、お姉様のご推奨品もカゴに入ったままでレジに向かった。結局、二個買うことになった。

今夜は、久々の回鍋肉である!

見切り品コーナーでは他にニラとトマトも買ったのだが、そのトマトが買い物袋の中でおされたらしく汁が出ている。もともと見切り品だから傷むのが早い。早々に食べきろっと。

因みに、競馬評論家のスガダイのYoutube番組にときどき登場する女性馬券師が、雑談コーナーで「自分で作った料理をSNSにアップしても(人の心に)刺さらない」と言っていた。では、見切り品コーナーで買った野菜の写真はどうだろうか?なおさら刺さらないと言われそうである。でも、私の心に刺さるのは一流レストランの料理よりも自分で作った出来損ないの料理や見切り品コーナーで売られている破棄寸前の食材である。こうして、記事を書きながら、今日買った見切り品の写真を見て恍惚とするのがワタクシという人間であり、こうした人間であっても、憲法13条によって個人として尊重されるのである。


2番じゃだめでした

2024-06-16 08:46:54 | 日記

昨夜のプロジェクトXは、スーパーコンピュータの速度世界一を目指したエンジニアの物語。世界一?もしかして、今度の都知事選に立候補してる某R氏の有名台詞「2番じゃだめなんですか?」に関係あり?年代を見ると、エンジニアが奮闘してる時期の真っ只中に某R氏が仕切った「事業仕分け」がある。関係大ありのこんこんちきだった。まさに、某R氏は、スパコンの開発費に対してメスを入れようとしたのである。

果たして、番組ではそのあたりのことを詳しく言うのか?いや、都知事選の前だから下手に言ったりしたらそれこそ某R氏に舌鋒厳しく「偏向報道」と非難されそう。すると「事業仕分けの対象になったが続行が認められた」「お金がかかりすぎると言われたことがある」って感じでさらっと流していた。選挙があるからだろうか?某R氏が怖かったからだろうか?これなら某R氏及び某R氏を支持する政党は黙っているだろう。下手に騒いだら、知らない人の知るところになって「墓穴を掘る」ことになりかねない。

以上は、某R氏の「2番じゃだめなんですか?」を否定的に解した場合の話である。否定的にとらえる人ばかりではないようで、某R氏の過去の「活躍」を紹介する際に、この発言が引用される場合がある。「かっこいい」ととらえる人もいるようである。

かくいうワタクシは、某R氏の支持では決してない(「支持ではない」は、「支持はしないが嫌いでもない」「嫌い」の二通りの意味があるが、そのどっちかであるかはここでは言わない。「内心の自由」は憲法19条で保障されている)。そして、このケースにおいては1番を目指すべきだったと思う(そしてそれを実現した方々には脱帽である)。だからと言って、某R氏の「2番じゃだめなんですか?」がそれほどの暴言とは思わない。某R氏は「だめなんですか?」と聞いたのである。ダメだったら「ダメです」と言えばすむことである。あのとき、言われた方はその場では反論しなかった。反論を言ったのは、後で、別の場所で、である。まあ、某R氏の気迫に押されてその場では反論ができなかったのかもしれない。すると、某R氏に対する最も適切なダメだしは「おじさんたちを攻めるときは、もっと優しくしてあげなければダメです」である。

その某R氏も、都知事選で2位ではダメである。競馬は、単勝を買った人にとっては2位ではだめだが、馬連なら2位に入ってくれたら御の字だし、複勝なら3位までOKである。

音楽のコンクールに出てる横野君のお友達とかは、日頃から1位、2位を争う世界で切磋琢磨されていて偉いなと思う。その点、横野君や私の生息地は順位とは無縁の仙境である。


♪ドーはドークダミ茶のドー

2024-06-15 18:04:52 | 音楽

てなわけで(二つ前の記事の続き)、食材に使うのを断念し、世間の皆様を見習ってお茶にすべくベランダに吊しておいたドクダミが乾いてぱりんぱりんになった。これ以上吊しておいて雨が降るとせっかく乾いたのが台無しだから(過ぎたるは及ばざるがごとし)、このあたりでお茶にしよう。ブンブンチョッパーで細かくしたら芳香が漂った。生のときの臭みはない。やはり世間様は正しい(食材にすらしようと思ってたくらいだから、私のハードルが低いこともたしかだが)。せっかくだから茶筒でも用意しようかとも思ったが、結局タッパーに入れた。

そこまでカタチにこだわる必要もないだろう。で、普通のお茶のように急須に入れてお湯を注いで、

飲んでみた。いける。身体にいいなんて信じられない(どういう意味?)。いくらでも飲めそうだから、それこそ飲み過ぎに注意である。

因みに、この記事のジャンルだが、タイトルがドレミの歌なので「音楽」にしようか、飲食関係だから「グルメ」にしようか、身体にいいから「健康」にしようか、在りし日の日常の話だから「日記」にしようか悩んだが結論が出ない。そういうときはデフォルトの「音楽」になる。

 

 


悪い人がお好き?(刑事コロンボ、罪と罰、ゲッタウェイ)

2024-06-15 07:55:06 | 小説

ドストエフスキーの「罪と罰」を読むのは二回目。「カラマーゾフの兄弟」はこないだ3回目の完読を果たしたが、考えてみれば、複数回完読したのは「カラマーゾフ」だけ。これでドストエフスキー・ファンと自称するのは看板倒れもいいとこ。「タンホイザーのマーチ」だけでワーグナー・ファンと称するようなものである。

で、今回なんで「罪と罰」を読もうとしたかと言うと、それに出てくる予審判事(刑事みたいなもの)が刑事コロンボに似ている、つうか、刑事コロンボは「罪と罰」の予審判事をモデルにしてできあがったと聞いたから。どれどれ確かめてやらうと思ったわけである。そしたらホントにそっくり。まず犯人の追い込み方。いかにも親しげに全然疑ってない風を装って近づいていって、なかなか本題に入らず(コロンボのように「ウチのかみさん」の話こそしないが)、遠くからチクリチクリと攻めていって犯人の精神を疲弊させるやりくちである。そして「ずんぐり」な風体。さらに「右の手を背中へ回し、左手をひっきりなしにふり回して」ときたら、これはもうコロンボそのものである。

更に「刑事コロンボ」の日本語吹き替えの台詞の雰囲気が「罪と罰」の日本語訳と似ている(「そりゃ、あなた」とか)。私は、予審判事の言葉を脳内でコロンボの声(=小池朝雄さんの声)に置き換えて再生していたがぴったりだった(その際、新シリーズの石田太郎さんの声(小池さんより低くて太い)にならないように注意した。オリジナルの小池さんの声へのオマージュである)。

これははっきり「クロ」である。すなわち、「刑事コロンボ」は「罪と罰」の予審判事をそっくりパクったという「罪」を犯したのである。それに対する「罰」は歴史に残るドラマを作ったという賞賛である。

ところで、「刑事コロンボ」の視聴者は、犯人のトリックを見破って犯人を逮捕するコロンボに拍手喝采を送るのであるが、観客が常に警察・検察の側にいるとは限らない。こないだBSで放送していた映画「ゲッタウェイ」の主人公夫婦は強盗殺人犯である(強盗の共同正犯の一人が殺人を犯すと、共同正犯全員が強盗殺人罪になる)。強取した金は自分たちがせしめたから義賊でもなんでもない。だが、警察の追跡を振り切りメキシコに逃げおうせたとき、観客は「あー、よかった」と胸をなで下ろすのはなぜだろう。主人公がスティーヴ・マックイーンだからか?ダブル・スタンダードと言わざるを得ない。

同様に、「不倫は文化だ」と言った俳優をさんざっぱら叩いた芸能マスコミが、「マディソン郡の橋」のことはいい映画だ言ってほめる。これだってダブル・スタンダードである。因みに、放送開始直後の「サンデー・モーニング」に当初出演されていた某氏(某有名人のお兄様であることを当初隠していたが直にばれた)は当該映画について「不倫の話でしょ?」と言って眉をひそめていた。このくらい首尾一貫して初めて「不倫は文化だ」を非難できるのだと思う。因みに、警察・検察の人は「ゲッタウェイ」を見てスティーヴ・マックイーンに「捕まれ」と思うのだろうか。

なお、「刑事コロンボ」だって、カーク船長(ウィリアム・シャトナー)やミスター・スポック(レナード・ニモイ)が犯人役で登場した回は、特に「スター・トレック」のファンは犯人を応援したかもしれない。


ドクダミと梅(続報)/マンションの賞味期限

2024-06-14 08:45:31 | 園芸

食べても食べても減らないドクダミ。最近は、食べ過ぎて胃腸が不調(韻を踏んだ)。降参します。世間一般に習ってドクダミ茶にします。ということで、吊して乾燥中。

ドクダミでググるとよく出てくる絵。収獲は関東の奥地で、乾燥は23区の奥地で、というわけである。

関東の奥地で収獲を待ってる完熟梅については、脚立に乗って届く範囲のモノはみんな穫ったので、上の方の枝になったヤツをとるべく高枝切りバサミと網を用意したのだけれど、

ハサミの幅が厚くて枝と実の間に入らず、思ったような成果は得られなかった。「フルーツピッカー」と称す別の器具をポチって、それが来るのを待っている。なんとか実が落ちる前に対処したい。間に合うかだろうか、とやきもきしてる現場からの報告である。収穫後、漬けるのはやはり23区の奥地で、である。

その23区の奥地の話。暑くなったから夜、窓を開けて寝ると、いっそう車の音がうるさい。特に、朝の5時6時台がひどい。荷台の音(ガシャガシャ)が響いてるからトラックが多い感じ。ウチの前の道路は区が幹線道路にして拡張しちゃったから、料金の関係で夜間に高速道路を走るトラックが朝になって高速道路を下りた後のルートになっちゃった、これが私の見立てである。

その23区の奥地のマンション、なんと専有部分の所有者のうち約半数はここに住んでないという。私がぶちぶち言いながら引っ越せないでいる間、半数の所有者がとっとと見切りをつけて去ってしまっていた。そう言えば、いっとき、「お宅を買います」ってちらしが随分入ってた。多くの住人があれに応じたのか?だからこのマンションの懸案事項だった「管理費の未納」がなくなったのか。専有部分を買い取った業者がたまってた未納金を払ったんだな。ところで最近はちらしが入らなくなった。マンションの賞味期限が過ぎたか(売り時を逸したか)。ちょうど固定資産税の請求書が来たところ。え?今、全国的に地価が上がったとニュースで言ってるのに下がってる。限りなく関東の奥地に近づいた。いよいよ賞味期限切れである。これが消費期限切れになったら一大事である。

そのマンションの管理規約変更について、理事が理事を選んでどうする(怒)と毒づいた私だが、まだある。理事の定数が3名から2名に減らされていた。3名なら一人が反対しても残りの賛成で可決だが、2名だと一人が反対すれば否決である。監事がいる?あのね。監事は理事会に出席できても議決権はないのですよ(管理会社はそのへんを分かってるのだろうか)。まあ、普通んとこだと、そのへんのことを意識しなくても、たいがい「全会一致」だから問題にならないだろうが、かりに私が理事なら変ちくりんな内容を総会の議案とすることに反対する。すると、残りの一人と監事が賛成しても否決である。総会で一人が反対しても多勢に無勢で決まっちゃうけど、理事会で否決されればそもそも総会に提案できないから決められない。まあ、こんなことでもめたくないからね、だから理事の番が回ってくるまでに逃げ出したいのです。

因みに、このマンションには、昔、若いお母さん達がマンションをよくしようとがんばってるのにいちゃもんをつける抵抗勢力のオヤジがいた。ところが、なんかの拍子に誰かにおだてられたらすっかりいい気持ちになったらしく、その後は理事でもないのに理事会に来て「オレが議事録に判子を押してやる」と息巻いていた。理事でも監事でもない人は議事録に押印する権利も義務もありません。ただ、押印したからといって無効になるわけでもない。大事な紙の上を猫が歩いてつけた足跡と同様、意味のない「余事記載」とみなされるだけです。


内堀~外堀

2024-06-13 10:23:33 | 日記

江戸城の外堀の見附(役人が番をする見張所)のことを書いたが、見附は内堀にも外堀にもあって、内堀と外堀の見附が直線上に並んでることもある。例えば、内堀に架かる桜田門(「門」は「見附」と同義。以下同じ)から伸びた道(今でいう桜田通り)が外堀(汐留川)にぶつかるところに虎ノ門があるし、内堀の半蔵門から伸びた道(今でいう新宿通り)が外堀にぶつかるところに四ッ谷見附がある、という具合である。外堀の門が突破されても内堀で防ぐという二重防衛システムである。とくれば、その間を歩いてみたくなるではないか。幸い、前日3時間歩いても身体のどこも痛くない。決行である。

まずは桜田門に皇居外苑から向かう。

真ん中に写ってるのが桜田門(櫓門)。この場所(皇居外苑)は一般に開放されているが、一応、内堀(日比谷濠)の内側だから江戸城の「中」である。だから、今私は桜田門を通って江戸城の外に出ようとしているわけである。写真に写っている堀は内堀のそのまた内にある堀であり(二重橋堀)、その内側(西の丸)には普通の人は入れない。今回は、ここを歩いてるうちに記憶が蘇った。学校を出て入った会社が休日にマラソン大会を開いたときの集合場所・スタート&ゴール地点がここだった。戻ってくるランナーは桜田門をくぐって来た覚えがある。

その桜田門の櫓門をくぐると、そこは中庭で、もう一つ門(高麗門。下の写真の右側)がある。

このように、門に入ってから90度折れてさらに門があるカタチのことを「枡形」と言うそうである。その高麗門から覗ける外界がまさに「桜田門外」であり、

井伊直弼が暗殺された場所であり、「犯科帳」の「鬼平」の遥か後輩たちが詰めている現代風番所がそびえ立つ場所である。そうか、こんなだから警視庁のことを「桜田門」と言うのだな。当時からここに警視庁があれば井伊大老が襲われることはなかったかもしれない。

この桜田門外からまっすぐ伸びているのが桜田通り(下の写真で車が渋滞している通り)で、

その先にあったのが、虎ノ門である(虎ノ門も枡形だったそうである)。

その現在の様子がこれ。

撮った位置は白黒の虎ノ門の写真と同じ。すなわち、左右を走る通りは桜田通りであり、右にずっと行くと桜田門にぶちあたる。虎ノ門は跡形もない(石垣の一部がどこかにあるらしいが)。

桜田門外に戻ろう。へー、お堀に白鳥がいるんだ!

ここから内堀に沿って、時計回りに歩を進める。すると、目の前に国会議事堂が現れた。

国会議事堂は、前日その脇を通ったばかりだが、そうか、あっちは裏通りだったんだ。皇居に通じるこっち側が表通りだったんだ。

んなことに感動しつつ、道路は上り坂。そう、江戸城は台地の縁に作られている。実は、この日、皇居に来たついでに大手門をくぐって(その際、持ち物検査があった)皇居東御苑を散策したんだけど、本丸跡に通じる道が上り坂で、そのときも「台地の縁」を実感したのだった。お城を台地の縁に作ると、防御等々で都合がよいらしい。

で、だいぶ上っていって、内堀も随分下の方に見えるようになって、半蔵門らしきものが見えてきた(下の写真の左上に小さく見える色の白っぽい構造物)。

そして、一番高くなったあたりで半蔵門に到着した。

ここは立入禁止である。「半蔵門」の名前の由来は、徳川家康に使えた伊賀者の服部半蔵の家来達がこの門外に屋敷を設けていたことというのが有力説だそうだ。この地からまっすぐ西に行ったところが四ッ谷。その四ッ谷に見附が設けられた。本日の最終の目標はそこであるから、半蔵門を背にして新宿通りを下る。

なだらかな下り坂。ときどき左右の横道に目をやると、相当の下り坂になってるから、この通りは台地の「尾根」を通ってるようだ。そして、四ツ谷駅に至る(前日も来た場所)。

ウィキペディアには「当駅が史跡「江戸城外堀跡」の範囲に建築されていることから云々」とある。200年前のここは水面だったわけである。

さすがに二日続けて3時間歩いた今日は、身体が疲れている。なので、今日は、外をほっつき歩くのはやめて楽器の練習でもしよう……あ、私は楽器をやらないのだった。一瞬、横野君になってしまった。あんな人格に乗っ取られたらたまったものじゃない。気をつけようっと。

 


外堀沿いを歩く

2024-06-12 08:41:48 | 日記

目論んでいた外堀通り闊歩の小旅を敢行。スタートは御茶ノ水。聖橋を渡ろうとすると、眼下に神田川と、これに架かる複数の鉄道橋が見えた。そう言えば、子どものとき定期購読していた「こども科学館」にこの様子が載っていて「見事な立体交差」と書いてあった。今、それを目にしている。なるほど、見事だ。地下鉄の丸ノ内線は地上にその姿を見せるし、

総武線は、左の鉄橋(緑色)を超えてやって来るし、

中央線は、その下をくぐって右に行く。

ラッシュアワーならこの三線を一同にして見ることができるのだろうか?マニアはいい時間帯を知ってそうである。気がつけば、周りにカメラを持った人が集まっている。外国人もいる。観光スポットのようである。

ここからしばらくは、ウルトラマンとハヤタ隊員が一体化するごとく、神田川と外堀は一体化しているから、それに沿って西に向かう。ほどなく水道橋駅付近に到着。遊園地の観覧車は、

こないだ、本郷台地等を闊歩したとき遠くに見えていたソレである。

そして、ほどなくして飯田橋駅付近に到着。飯田橋と言えば、大きな交差点に架かったこれまた大きな歩道橋のイメージだが、これが「飯田橋」というわけではあるまい。すると、駅の東口附近にあった!これが本家本元の飯田橋である。

この交差点のあたりで、ウルトラマンの最終回でウルトラマンとハヤタ隊員が分離するごとく、神田川と外堀は別々の水となり、神田川は直前で北に流れを変えるからこの橋は外堀のみに架かるのだな、この写真の様子からみると、

暗渠になってるのだな、と思ったのだが、後から調べてみたら、この辺りの外堀(飯田橋壕)は埋め立てられ(反対運動があったそうだ)、そこに○○プラザという施設が建ったそうだ。そう言えば、外堀の位置にたしかにそういう名の施設があった。すると、「飯田橋」は外堀の名残のような水面、言ってみれば掃きだめに架かっているのである。掃きだめにツル……ではなくサギがいた(上の写真の下部に小さく写っている)。まっこと、水辺にサギはつきものである。

外堀の水が復活するのは、少し先の牛込橋(飯田橋駅西口付近)の辺りである。総武線・中央線の飯田橋・市ヶ谷間に車窓から見える水面がそれである。

既に、線路&外堀は、皇居を囲むように南西にカーブしている。この水面も拝めるのは市ヶ谷駅を過ぎた辺りまで。四ッ谷に近づくと、水があったはずの谷は運動場になっている。

その後、四谷見附跡(見附(門)=役人が常駐する見張所。江戸時代には外堀のところどころ(牛込、四ッ谷、赤坂等々)に見附が設けられていた。四ッ谷見附の跡で一番幅をきかせていたのは公衆トイレだった。もちろん、もよおしたときはありがたい存在である)を経て上智大学脇のソフィア通りを歩き、紀尾井ホール横の急坂(紀尾井坂)を下りて清水谷公園に行く。台地の中にある窪地(谷)である。すると、そこに石碑があり、「右大臣」の文字が目に入った。おっ、「光る君に」を放送している最中だから、右大臣と言えば藤原の某?と思ったら、明治の元勲・大久保利通公だった。この地で暗殺されたそうで、公を偲んだ石碑だという。案内板を読んだら暗殺について「大久保公を知ってる人で、悲しまない人はありませんでした」と書いてある。
「先生!質問です」
「はい、拝島さん。なあに?」
「大久保利通を知ってる人がみんな悲しんだのなら暗殺者も悲しんだのですか?自分で暗殺しといて悲しむっておかしくないですか?」
「あなたね、そんな屁理屈を言ってるとろくな大人になれませんよ」
「『ろくな人』ってどういう人ですか?いい人のことですか?」
「あなた、もう学校に来なくていいから」(退学)

さらに歩を進めると赤坂見附に出る弁慶橋。ここら辺でまた外堀の水が復活している。

が、外堀の水はここまで。江戸時代には、この先に溜池、さらにその先には汐留川があって、それが外堀を兼ねていた。溜池から汐留川を経て浜離宮に至るルートは過日歩いたので、本日の外堀巡り歩きはここで終了。国会議事堂を拝んで帰ろう、と思って、日比谷高校に通じる新坂を上る。

これはかなりの傾斜である。ここを三年間上った日比谷高校の生徒さんはさぞや足腰が鍛えられることだろう。国会議事堂の周りにはおまわりさんがたくさんいた。

おまわりさんを見ると、なんとなく心がざわつく小市民のワタクシだけれど、臆することはない、国会議事堂は国会議員の仕事の場、国会議員はわれわれの代表者である。だから、国会議事堂はわれわれの庭である。

歩いた時間は、写真を撮りつつで3時間。残存している外堀は全部歩いた。江戸時代の外堀の全体から見れば半周くらいだろうか。あっと言う間に回った印象である。駅を過ぎるとすぐに次の駅が現れる感じである。東京の中心部の成り立ちが少し分かった気がする。

さて、地下鉄の国会議事堂前駅から地下鉄に乗って帰路についたのだが、いい機会だ、綾瀬で下りずにそのまま乗って、かの川を越えて禁断の地に足を踏み入れてご無沙汰している中華に行こう。で、実行。例によってムースーローの玉子の量は多いのだが、

小バエがたくさんいた。紹興酒を入れたグラスがいやな臭いがしたのは体調のせいだろうか、ドクダミの食べ過ぎだろうか、ドクダミの食べ過ぎで体調がおかしくなってるのだろうか。家でも洗い方が足りないと感じる臭いである。ここを密会の場にする案は白紙にした方が良さそうだ。