拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

「sterben」もいろいろ

2017-02-26 10:41:58 | 音楽

シュッツを歌う会で「Sterbenは『死ぬ』だからそっと歌おうね」とか言いながら、まてよ、フィデリオで、ドン・ピッツァロがいよいよ政敵殺害に着手する場面、(♯二つ)レードシドシラソラソファミファミッ、ミミッ、ソソッ”Er sterbe”……この「sterbe」はそっとなんて歌わない。「sterben」もいろいろだ、とあらためて(Erだったらstirbtだろって?これは願望を表す仮定法)。それよりyoutubeをリンクさせてるんだから音名書かなくてもいいのに……書く。この序奏、私の中では歌とセットなので。因みにリンクさせた音源でドン・ピッツァロを歌ってるのがフィッシャー・ディースカウ(一つ前の記事参照)。歌ってる表情が目に浮かぶ。

二人のドン・ピッツァロ

2017-02-26 08:24:28 | 音楽
テオ・アダムとフィッシャー・ディースカウと言えば、もう一つ思い浮かぶのがドン・ピッツァロ(ベートーヴェンのフィデリオに出てくる悪役(悪者とは書かない))。私が子供の頃、フィデリオの定盤はベーム&ドレスデンシュターツカペレだった。でもこれは3枚組で手が出ない。と思ったら、なんかの拍子にベームが爆撃で破壊される前にウィーンの国立歌劇場で録った演奏のレコードを発見。今から思えばマニア向けで初めてこのオペラを聴くというお子様には適当ではなかったが、2枚組で手が届く値段だったのでそっちに飛びついた。女声陣が素晴らしく、ヒルデ・コネツニのレオノーレは女神様のようだった。で、結局、ドレスデンのも欲しくなって後に購入。レオノーレのギネス・ジョーンズはビブラートびんびんで女神様にはほど遠かった(ジョーンズ砲の威力は生で聴かなきゃわからない。ジョーンズのイゾルデを生で聴いてから私は手のひらを返した)。びっくりしたのはテオ・アダムが歌ったドン・ピッツァロ。前に買ったやつではまったくこの役に興味が湧かなかったが、アダムの乾いた鋭利な声がこの役にぴったりで、一番の聴き所となった(ドイツ語学校の発音コースで期末に一人ずつドイツ語で何かしゃべるってとき、私はドン・ピッツァロのモノローグを選んだ。もちろんお手本はテオ・アダムだった)。実はフィッシャー・ディースカウもこの役をよく歌ってる。演奏会形式の上演で彼のこの役を生で聴いた。復讐のアリアで「Triumph!」(勝利だ)を高らかに、こんなに楽しいことはない、と言わんばかりに歌っていた。

トーマス教会のカントルが歌う第九

2017-02-25 17:47:35 | 音楽
(承前)そのコンヴィチュニーの第九のテナー・ソロがまた変わってて。シュライアーをほそーくしたようなリリックな声で、他の第九では聴いたことがないくらい丁寧に歌ってる。まるで古楽のよう……と思ったら、なんと、このテナー、ハンス・ヨアヒム・ロッチュ!トーマス教会のカントルでありんした。古楽のよう、と思ったのは案外的外れではなかった。へーえ。カントル(になるような人)も第九を歌うんだ。そういえば、かのヘフリガーは、本当は受難曲のエヴァンゲリストやリートばっかり歌っていたかったんだが、それだけじゃ食えないんで、オペラにも出たって話だった。私が最初に買ったドン・ジョヴァンニのLP(フリッチャイ指揮)でドン・オッターヴィオを歌ってたのがヘフリガーだった。

テオ・アダムのバリトン独唱(コンヴィチュニーの第九)

2017-02-25 11:35:07 | 音楽
初めて小遣いでレコードを買ったのは小学生のときで第九だった。当時LP1枚は通常盤で2000円、廉価盤は1000円で財布の中には900円しかなかったがきっと買えるだろうと根拠のない確信をもって町のレコード店へ。すると、あったあった、900円の第九が。しかも二種類。一つはベーム&ウィーン響(シンフォニカ)。もう一つがコンヴィチュニー&ゲヴァントハウス管。両方ともグロリアシリーズという廉価版シリーズで、ベートーヴェンの交響曲は1番から9番までコンヴィチュニーのがラインアップされていたが、第九だけはベームのもあって二種類だった。で、買ったのはベームの方。当時、ベームなんて名前は知る由もなかったが、ベーム盤のジャケットが見開きで立派だったので(その解説を書いてたのが某官能小説家とよく似た名前の評論家で、ベームのレコードなのにカラヤンの悪口ばかり書いてあった)。そのレコードはすり切れるほど聴いて(実際、すり切れて、数十年後に同じLPを買い直した。ジャケットはシンプルなものに変わっていた)、その演奏は、しばらく私にとっての第九の定盤となった(最近聴くとあれっと思うような箇所がある)。さて、その「最初のお買い物」から数十年経った今、急にそのとき選ばなかったコンヴィチュニー盤が聴きたくなった。もしかしたら私はそっちで「育った」かもしれないのだ。NAXOSで検索。おおおおっ!(ふろいんで)バリトン独唱がテオ・アダムだ!当時の私が今の私だったら絶対こっちを買ってた。で、聴く。いい!正攻法の横綱相撲。元、フルトヴェングラーの元でヴィオラを弾いていた人らしく、ところどころ大見得を切るような箇所があるが、ぐだぐだにはならず、どこまでもどっしりしている。そして、お目当てのバリトン独唱。弦も加わった二度目のファンファーレが「ジャン」と終わった後、ながーい沈黙(これまで聴いた中でいちにを争う沈黙の長さ。カラヤンと正反対)。で、いよいよ「O!Freunde!」。まさにテオ・アダムの声だ。しびれる。フリッチャイ盤のフィッシャー・ディースカウと双璧。

ヨハン・カスパール・ケルル

2017-02-24 10:10:11 | 音楽
シュッツの時代もまだ「長調」「短調」とか言ってなかったが、100年後のバッハになるとこれが大手を振ってまかり通るようになる。この100年の間に何があった?平均律の普及?時系列的には有力な論拠だ。因みに、バッハの平均律クラヴィーア曲集は、昔は「どの調でもできるよーん」を証明した作品とされていたが、最近は話が違ってきてるようだ(「Das Wohltemperirte」は「良く調律された」の意味)。そういったことはともかく、シュッツとバッハの間の100年間に活躍したドイツ系作曲家に興味津々。で、最近、注目してるのが、ヨハン・カスパール・ケルル。ブクステフーデやフローベルガー同様、この人も鍵盤楽器のための曲がたくさん残っていて、オルガンとかを弾く人にはお馴染みだろうが、合唱曲があまりない。やっと見つけたミサ曲とかを聴いたら、これがとってもよいのだ。楽譜も見つけた。ただ、声域やパートの問題があって、移調するなりしないとシュッツを歌う会ではできない。まあ、そのうち(何ヶ月後or何年後or何十年後)やろう。因みに「ケルル」は「Kerll」。「r」を咽の奥で発音すると「ケフル」っぽくなる。大昔の郵便局の通帳には「ぱるる」と書いてあった。

飛び道具(調性)なしのルネサンスの作曲家

2017-02-23 09:14:49 | 音楽
シュッツを歌う会で歌ったメンブラ(ブクステフーデの「我らのイエスの四肢」)、思った通りの面白さ。音は鳴るし音楽はよく流れる。ということで、今回の「脚」に続けて次回は「膝」。さて、春一番が吹いたので同じ会で余興で歌ったマレンツィオの「Zefiro torna」。歌い出しは第三音が♭で今でいう短調風。でも歌詞は「西風戻った(春が来た)、いえーい」って感じだから辛気くさく歌ってはいけない。じゃないと、後半、場面が暗転してホントに暗い話になったときに対比がつかない。大体、この当時、「長調」「短調」なんて概念はなかった。だから、短調っぽくても(短調じゃないんだから)明るい顔をして歌う。笑いながら怒る竹中直人さんの芸のごとし、はたまた笑うように泣く若い頃の大竹しのぶのごとし(例が逆の感じもするが)。思い出すのは、オルフェオ(モンテヴェルディ)のアーノンクール指揮、ポネル演出の映像。冒頭、現代の感覚からすれば哀愁漂う歌をトゥルデリーゼ・ビジン・シュミット(ミドルネイムは私の命名)が妖しいまでの笑顔で歌ってる。考えてみれば、この時代の作曲家は偉かった。「長調」「短調」なんて飛び道具がなくてもちゃーんと喜怒哀楽を音楽で表していた。マレンツィオの「Zefiro」も第三音の♭はつきっぱなしなのに、物語が暗転するところで見事に音楽が切り替わっている。

親切なのはどっち?

2017-02-22 08:51:36 | 日記
ピザを焼いて人にふるまおうとして置いといたら(しまい忘れた、とも言う)、ピザ生地を猫にかじられた。あまりおいしくなかったらしく、少しかじった跡がついてる程度だった。さて。250度で10分以上焼くから健康に問題がないのは明らかだが、問題はお客さんにこのことを告げるかだ。選択肢その1。「猫がかじったけど問題ないから食べてね」選択肢その2。空っとぼけてそのまま出す。そもそもの選択肢その3。出さない。そう言えば、世の奥様の中には、夫に腹がたったとき、夫の歯ブラシでトイレ掃除をして、それを元の場所に戻すという荒技を使う方がいらっしゃるそうな。えー。そんなことをしたら次に「口吸い」をしたとき自分にかえってきちゃうじゃん。え?そんなことする予定はないからいい?

「お父さん」「お母さん」じゃ分からない

2017-02-21 11:06:57 | 日記
「つるべの家族に乾杯」はスーパー高齢者を見るのが楽しみで毎回録画して見てる。もう80代ではびっくりしないが先週は91歳で会社の経理を担当している女性を見て久しぶりに「おおっ」。爪の垢を煎じて母に飲ませたい。その母、こないだ私を呼んで言うには「トイレの天井から何か白いものが降ってくる」。で見ると、なーんてことはない、わが家では見慣れた光景。「お母さん、これ埃だよ」「ええっ?」「ほら、紙で拭けばとれるでしょ」「ほんとだ」。これは、ぼけるぼけない以前の問題。よくこんなんで世の中を生きてこれたもんだ。「つるべ」の話に戻る。最近気になるのは、つるべさんがぶっつけ街中ロケで高齢の男性に話しかけるとき「お父さん」と呼びかけること。さらに、その「お父さん」の配偶者を「お母さん」と呼ぶこと。例えば「お父さん(呼びかけ)、お母さんが仕事やってはるの?」とか言ってるのを聞くと、え~、この「お父さん」(かなり高齢)のご生母様なら100歳超えてんじゃないの?で、仕事してるってすごいよな、とか思うとそうではなくて、その「お父さん」の奥さんのことを言ってるのだ。紛らわしい。私はこの言い方に断固反対。もし、私が「お父さん」とか呼ばれたら返事しないもんね。お父さんじゃないし(猫のお兄さんではある)。因みに、はるな愛さんが20歳以上歳下の彼氏と旅行したとき、「お母さん」と呼ばれて、(お父さんと呼ばれるよりはましだが)がっくりした、という話を徹子の部屋で披露していた。

アイゼンシュタイン

2017-02-21 08:36:45 | 音楽
仮面の忍者赤影は仮面をかぶっているため「どんな顔だか知らないが、きらりと光る涼しい目」(主題歌より)。これがお見合い写真ならかなり危ない。目だけで判断しろ、後は自己責任、だ。仮面の美女を自分の妻だと知らずに口説いた人もいる(「こうもり」のEisenstein)。「Eisenstein」とはかなり固そうな名前だが、なんと訳すのが相当だろうか?直訳したら「鉄石」(「あしたのジョー」には「力石」というボクサーがいる)。こんな石はないよな。あっ、もしかして鉄鉱石!?ネット辞書にも「鉄鉱石⇔Eisenstein」とある。でも、独和大辞典の「Eisenstein」にはそんな意味はない。Wikiのドイツ語版にもない。今のところ、鉄鉱石との関係は不明。なお、「Eisenstein」という名字自体はちゃんとあって、ぐぐるといろんな人が出てくるが、一番たくさんヒットするのはドイツ系ユダヤ人を祖先にもつソ連の映画監督。自分の妻を口説いたアイゼンシュタインはまったくヒットしない。それならフルネームでググったらどうだ?ということで「Gabriel von Eisenstein」で検索したら、なんとポーランド語のWikiのページがヒットした。Wikiでこの名前を独立項目としているのはポーランド語だけ。ヨハン・シュトラウスの顔写真があるから「あの」アイゼンシュタインのことであるのは間違いないが、全く読めない。

東中野の美猫

2017-02-20 09:03:01 | 日記

東中野の駅の近く、線路脇の柵の内側(線路側。人が入れない)に菜の花がだーっと植わってて、そこを猫が悠々とお散歩。後から写真で見るとなかなかの美猫だ。この日、このあたりで正味1時間半歌った後、松戸に移動して3時間合唱のお稽古。前の日の夜はシュッツを歌う会で3時間。その前の日はA合唱団で2時間。まるで馬の坂路調教。こんなに歌ってていいのか?とも思うが、いろんな所でご一緒の某女性(私の一つ上)はもーっとたくさん歌ってる。だから私も音を上げてはいけないと思ってがんばっている……が、真似をしてはいけない相手もいるのではないか、とも思う(絶対女性の方が強い。ジェンティルドンナしかり)。いや、最近風邪をひかないのはこんだけいろいろやってて気がはってるからだ、とも思う。いやいや風邪をひかないのは単に馬鹿になった(馬鹿度が増した)せいにすぎないとも思う。

鶯が鳴かずに泣く理由

2017-02-19 10:06:21 | 音楽
春一番が吹いたので、シュッツを歌う会(テナー募集中)で練習のおまけにマレンツィオの「Zefiro torna」を歌った。歌詞を見て気づいたこと。「e garrir Progne e pianger Filomena」(燕はさえずり鶯は泣く)。え?鶯は「鳴く」んじゃなくて「泣く」の?(pianger(e)=泣く。因みに「椿姫」でアルフレードの父ジェルモンがヴィオレッタに「piangi」(泣くがよい)と歌うのを聴くたびに私は憤りを感じる。泣かせたのはお前だろうが)。鶯(正確には夜泣き鶯=ナイティンゲール)が泣く理由はギリシャ神話にあった。ProgneとFilomenaはアテネの王の娘(いくらFilomenaでぐぐっても「鶯」が出てこないはずだ)。Filomenaは姉(Progne)の夫に犯され、このことをみんなにぶちまけてやるー、と言ったら男に舌を切られた。その後復讐劇とかいろいろあって、最後に三人とも神様によって鳥に変えられた。Filomenaには舌がない。だから鳴かない燕になった。おおっ、ガッテン。だからFilomenaは鳴かずに泣くんだ……あれ、まてよ?Filomenaは鶯の方だったよな(どっちがスザンナでどっちが伯爵夫人だか分からなくなったアルマヴィーヴァ伯爵の気分)。なんでもこの話にはいろいろなヴァージョンがあるそうで、Filomenaは舌を切られたけど鶯に変身させられたとするのもある。これなら「鶯が泣く」理由が分かる。それから姉妹を逆にする話もある。これだと、Filomenaは舌を切られてないから鶯になってもおかしくない。泣くのは、(妹を犯した)夫への復讐として夫との間の子を殺して料理にして夫に食べさせた(おぞましや~)ことの後悔ということで説明がつく。まあ、いろいろな話が混ざり合って「Zefiro torna」の歌詞になった、ということで。ふー。ようやく一息。なんてったって「鶯」と「ナイティンゲール」の違いから調べ始めたからなー。鳴き声もチェックしたもんね。

春一番(Zefiro torna)

2017-02-18 08:41:05 | 音楽
「ホフマンの舟歌」の歌詞はメロディーに負けないほど妖しくて淫靡。ゼフィール(西風)にチューして!とねだる(もっとましな訳しようがあるだろうに)。「ゼフィールのチュー」と言えばボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」(同人の「春」同様、首のひん曲がり方が有名)を思い出す。画面に向かって左側にゼピュロス(ゼフィロ)がいて、中央のヴィーナスに息を吹きかけている。これこそ「ゼフィールのチュー」。そう言えば、昨日は春一番が吹いた。ヨーロッパでは春の風は西風だが、日本では春の季語は「東風」(こち。漱石の「猫」に越智東風(おちこち)という人が出てくる)。でも、実際の春一番は南風だ。野良猫が悩ましい声で鳴く季節ももうすぐ。いや、動物に限らない。この生暖かいもあっとした風は人間にも作用するのではないか。キャンディーズの「春一番」にも、もうすぐ春だから「彼を誘ってみませんか」とある。しかし、この時期、夜の屋外はまだ寒い。バロン・オックス(私ではない。バラの騎士に出てくる本物の方)も、「恋愛のために良いのは5月と言われているが、私に言わせれば、もっといいのは6月、7月、8月」と言っている(歌詞だけ見ると、この三つの月は同格だが、音楽は「August」が最高であることを表している)。

善悪の基準(アニメ主題歌を歌ってみて思ったこと)

2017-02-17 09:04:42 | 音楽
「なつかしのアニメソング」というタイトルにつられて録画しても、ちっともなつかしくないというか全然知らない曲ばかり。大体、早送りしてカラーだともうだめ。もう30年は遡ってもらわにゃ。ということで、モノクロシーンを思い浮かべながら一人で歌う。ちょっとひっかかったこと。例えば、「ウルトラマン」(アニメではないが)。「敵を撃つ」って、そんなに簡単に敵味方の線引きをしてよいのだろうか。それに敵だからといって当然撃っていいのだろうか。この手の歌詞は多い。「悪い奴らをやっつけろ」(風のフジ丸)、「喰らえ、悪者」(宇宙パトロールホッパ)。同じ疑問。善悪の基準は何だ?日本の中世の「悪党」は支配階級に対する抵抗勢力という意味であって、「悪い人」ではなかった(すると、スターウォーズのルークたちは「悪党」ということになる。)。はてには「やなやつぁどんどんやっつけろ」(ハッスルパンチ)なんてものまである。「嫌なやつ」=「悪者」=「敵」=「やっつける対象」という公式は決していただきませぬ。日本中から(いまだに)悪者扱いをされている吉良上野介は地元では名君として慕われているそうだ。そういえば、「忍者はっとりくん」は伊賀忍者で、仇役が甲賀忍者の「ケムマキ」だったから、私の頭の中では「伊賀」=いいもの、「甲賀」=わるものの図式ができあがっていた。甲賀市の方にはまったく失礼な話だ。そうだ、「風のフジ丸」(命名はスポンサー(藤沢薬品)に因んだそうだ)はどこ流だ?ぐぐってみたら、伊賀でも甲賀でもない。徳川方の忍者と戦った、ってことは伊賀ではなかった。

カヴァレリア・ルスティカーナ(Bauernehre)

2017-02-16 09:24:48 | 音楽
年上のアケミさんへの思いを断念してお見合い相手との交際を決心したタケちゃん(朝ドラ)。そんなタケちゃんが一人酒をしているところにアケミさんが。以下、私の妄想。「あんた、お見合い相手と付き合うんだって?」「う、うん」「あんた、あたしのこと好きだと言ってたじゃない。あれウソだったの?」「だ、だってアケミさんがそうしろって言ったから」「あたし、あんたのこと、ずっと気になってたんだよ」「え、え~」……で、夜の街に消えていく二人……なんてことに朝ドラならなるはずがない。が、「カヴァレリア・ルスティカーナ」(マスカーニのオペラ)ならそうなる。子供の頃、このオペラで唯一知っていた間奏曲がなんともきれいな曲だったこともあり、この長いカタカナが(長いカタカナだからこそ)なんとなくかっこよく思えて意味を知らぬまま必死に覚えた。それがどうだ。オペラの内容はどろどろの愛憎劇。タイトルの意味は「田舎侍」だった。このタイトルをドイツ語にするとどうなる?「Landeskavalier(ritter)」?ブー。「Bauernehre」(直訳すると「農民の栄誉」)。因みに、自分の妻の浮気相手のトゥリッドウを決闘で打ち負かしたアルフィオは馬車屋。私は「馬車屋」と聞くと「吾輩は猫である」の「車屋」を連想する。車屋に飼われている「黒」は「吾輩」と違ってでかくて強くて鼠をとるのが得意。話を少し戻す。朝ドラに不倫はないと書いたが、そうでもなかった。ときどきある。「カーネーション」では糸子と綾野剛(が演じるなんとか)。「ふたりっこ」では「おとうちゃん」とオーロラ輝子。「青春家族」ではヒロインの父と遥くららさんが演じる誰とかさん等々。