拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

火災保険/漱石は華族と金持ちがお嫌い?

2024-05-31 13:05:18 | 日記

寅子が憲法14条を読んだ中に「(前略)門地によって(中略)差別されない」って部分があった。そう、だから門がない、又は小さいからと言って人は差別されないし、地面(庭)が猫の額であっても差別されないのである。

だが、人は立派な門が欲しいのであろうか。近所に、普通の家で庭も私の奥地の家とどっこいくらいなのに門だけやたらに立派(屋根付き)なお宅があった。

なお、都会のマンションの敷地は居住者の共有(例えば100戸のマンションなら100人の共有)だから、各人が土地について有する資産価値はうんと小さくなり、その結果固定資産税の土地分も小額になるのだが、私の場合、なんと、現住所のマンションの固定資産税は奥地の家(曲がりなりにも一戸建て)のそれよりも高い。私の現住所は23区の中でも最も地価の安い地域であり、建物だって築40年でほぼ無価値であるにもかかわらず、である。どんだけ奥地が安いか、ということである。

そんな奥地であるが、ガスも引いたことだし、このたび火災保険を付けた。全ての手続をネットでできる会社があったのでそこと契約した。登記事項証明書(登記簿謄本)くらいは現物を郵送するのかな?と思ったら、それすらもデータ送信で間に合い、完全にネットだけで手続が完了した。保険金額(火事のときもらえる金額)は、売買代金を元に算出する方法もあったのだが、それだと私の場合ただ同前なので参考にならない。なので、平米数から算出する建築代金を元にした。すると約1500万円であった。そうか、新築するとしたら1500万円くらいか……まあ、全焼してしまったら仕方がないが、そうでない限り、今の建物にがんばってもらうつもりである。雨が漏ったら洗面器を置くつもりである。

憲法14条には続きがあって、「華族その他貴族の制度はこれを認めない」とある。寅子の勉強仲間に華族のご令嬢がいたが、あの人はどうなったのだろう?華族と言えば、夏目漱石は、金持ちと華族が大嫌いだったようで、小説にその悪口がよく登場する。金持ちと華族がお金と地位にモノを言わせて学問の分野にまで口を出してくるのが気に入らなかったようだ。かと言って、平等主義ってわけでもなさそうで、こと学問については自分達の領分なのだから他の人は入ってくるな、といかにも上から目線である。特に、車屋と下女については上から目線も極まれり、である。因みに、漱石はその随筆に「播州の岩崎という人に不愉快な思いをさせられた」と書き、岩崎某との間に起きた事を細かく書いている。「仮名」ともなんとも断ってないから実名なのだろう。実名でよくこんなことを書くなー、と思ったのだが、一つ思い当たった。漱石は当時の金持ちの代表として「三井、岩崎」の名を挙げている。「岩崎(弥太郎)」は今の三菱である。漱石を不愉快にさせた岩崎某は財閥の岩崎とはなんの関係もないが、「岩崎」の名前から金持ちの財閥を連想して、それがきらいなものだから「不愉快な想い出」を書くに至ったのではないか、と勘ぐったワタクシもなかなかの下司である。


「半熟とは」他短編集

2024-05-30 06:44:46 | 言葉

横野君が毎週録画してるBSの番組があって、先週はとりわけガランチャとやらがエボリ公女とかに扮するといって楽しみにしてて、で、録画を見たらガランチャじゃなくて大谷選手が映ってた。大谷選手を優先してオペラは一日前倒しになっていた。横野君は遺憾千万、テレビ局に文句を言ってやるって息巻いてるから止めとけと言った。カスハラって言われるのがオチだから。あるいは、BS4Kを見ろ、と言われるのがオチだから。

徹子の部屋に出た某女優さんは「親子丼」を「親子水入らずで食べる丼」だと思ってたそうだ。あと、漱石の小説に出てくる熊本の宿屋の下女は「半熟」を、例えば玉子が4個だったら2個をゆで卵にして2個を生で食べることだと思ってたそうだ。

その下女さんがお客さんの質問にしょっちゅう「ねえ」と答えている。「いいえ」と言うべきときは「いいえ」と言ってるから、「ねえ」は「はい」の意味らしい。古い英語(アメリカの議会の評決のとき使われる)では、「賛成」のときは「Yea!」、「反対」のときは「Nay!」というから、その下女さんがアメリカに行ったら「反対ばかりする人」になってしまいそうである。

「チコちゃん」で「あみだクジ」の話をしてるのを聞いてて、浄土宗の「なむあみだぶつ」が「南無・阿弥陀・仏」であることを初めて知った。ってことは正しい切り方は「なむ・あみだ・ぶつ」であり「なむあみ・だぶつ」ではおだぶつ、「なんまいだー」に至ってはもはや「あみだ」がどこにも入ってないから無意味ということになる。

一昨日の大風と大雨のとき、一瞬油断して窓を閉めるのを忘れたらあっという間に窓際がびしょびしょになった。カビの元だから除湿機を動かした(写真右端)。

あっと言う間にタンクが水でいっぱいになった。これでいて乾燥が進むと今度は加湿器(写真の左端)を動かす。ご苦労なこったである。ちょうどいいところで落ち着かないのは為替水準と同じである。なお、写真上部やや左よりで腕をだらっと下げているのはワサビである。一応、何が写ってるかチェックした。なにせ、読者諸氏は、私が気がつかないモノをよく発見するから。美しくないモノばかりだが、見られて困るモノは写ってないようである。


歌曲「四つ葉のウマゴヤシ」

2024-05-29 07:18:22 | 音楽

漱石の「野分」を読んでたら、音楽会の話が出てきた。「動物園の近く」と言うから場所が奏楽堂であることは想像に難くないのだが、曲目の一つが「四葉の苜蓿花」(よつばのうまごやし)。そんな曲、聞いたことがない。明治時代の話だから現代においては別名で呼ばれているのだろう。「四つ葉」で思い浮かぶのは「クローバー」。「クローバー」は「シロツメクサ」とも言い、「シロツメクサ」の俗称が果たして「苜蓿花」(うまごやし)であった。したがって、この曲名を現代風に言えば「四つ葉のクローバー」である。

なお、植物学的に言うと、種としてのシロツメクサとウマゴヤシはマメ目マメ科までは同じでも属からが違うそうだ。たしかに、シロツメクサ(クローバー)の葉っぱには模様があるが(写真は宝篋山に上ったときに撮ったもの)、

ウマゴヤシの葉っぱには模様がない(写真はウィキペディアから拝借)。

にもかかわらず、シロツメクサの俗称がウマゴヤシなのは、シロツメクサも馬のこやし(エサ)だったからだろう。実際、どちらも牧草にされていたそうである。

ウマゴヤシになぜ「苜蓿花」という漢字を当てるのか?「苜」「蓿」なんて初めて見たが、どういう意味なのだろう?と思ったら、もともと「苜蓿」は「ウマゴヤシ」の意味であった。つまり、「当てた」のではなく、ウマゴヤシ専用の字であった。

ということで、いよいよ本題。「四つ葉のクローバー」は誰の曲だ?モーツァルトには「すみれ」って曲があるし、シューベルトは「野ばら」に曲を付けていて、植物つながりでこの辺?と思ったがはずれ。ググってみると時代をまたいでいくつかヒットしたが、漱石と時代が合うのは「ロイテル」って人の曲である。「Reuter」だから今風の発音では「ロイター」。そのロイターさんは1909年から1912年まで東京音楽学校の音楽教師であったという(ウィキペディア)。そうか、音楽の教師だったときに自分の曲を生徒に歌わせたのだな……いや、ちょっと待て。漱石の「野分」が雑誌に掲載されたのは1907年である。年が合わない。いくらいい加減を旨とする当ブログでもこの齟齬は見逃せない。

なにか資料がないだろうか。そう言えば、ウチの書棚に「漱石が聴いたベートーヴェン」って本がある。そこにヒントがあるかもしれない。あった。漱石が「野分」で描いた音楽会は、1906年に外国の演奏家が来日して奏楽堂で実際に開いたコンサートと曲目及びその表記が共通だと言う。ロイテルが「ウマゴヤシ」を作曲したのはまだ学生だった頃というから、1906年には外国の演奏家のレパートリーに入っていた可能性がある。なら、ロイテルが東京音楽学校の教師になる前にその曲が音楽会で歌われたとしても不思議はない。この後、「昭和戦前期の日本で、女学生などに愛唱されていた」そうである(ウィキペディア)。Youtubeで聴くことができた。ゆっくりでしっとりとした曲である。歌詞に「クローバー」と言ってる箇所があるが、戦前の女学生はここを「ウマゴヤシ」と歌っていたのだろうか(音符には乗るようである)。

因みに、その音楽会で演奏された別の曲には「タンホイゼルのマーチ」なんてのがある。もちろんタンホイザーである。あと、ベートーヴェン作曲のピアノとヴァイオリンとチェロのソナタと言ってるのは、ピアノ三重奏曲(大公トリオとか)のソナタ形式で書かれた第1楽章だと推測される。なお、漱石は「吾輩は猫である」で「ベトヴェン」と書いてるが「野分」では「ベートーベン」になっている。この間、ほとんど時間は経ってないのになぜ?漱石はイギリス留学中に「Beethoven」を見聞きし、それを「猫」において自分流に「ベトヴェン」と表記したのだが、そのすぐ後に件の奏楽堂の音楽会に行き、そのときのプログラムに「ベートーベン」とあったので、「野分」ではそっちを採用したのではないか、と横野好夫君が言っている。このことに限らず、本文中の音楽に関する部分は横野君から請け売りであることを申し添えます。


童が見た「野ばら」の詐称疑惑

2024-05-28 06:21:14 | 園芸

園芸初等科1年D組のワタクシにとって草木の世界は未知の世界。分からないことだらけ。例えばバラとツバキの区別は、
①中央部分も含めて花全体が花びらで被われてるのがバラで、花びらが周縁部にだけあるのがツバキ
②花びらがギザギザなのがバラで、丸いのがツバキ
③トゲがあるのがバラで、ないのがツバキ
④葉っぱの色が薄くて厚みがないのがバラで、濃くて厚いのがツバキ
だと思ってたんだけど、じゃこれは?

花全体が花びらなんだけどツバキなんだって(千重咲きのツバキ。写真はウィキペディアから拝借。以下の写真も同じ)。たしかに花びらは丸いし葉っぱはツバキっぽい。じゃ、これは?

花びらが周縁部にしかないけどバラ(ロサ・カリフォルニカ)。もうワケわかんない。トゲの有無も決定打にはならないようだし(モッコウバラにはトゲがない)。結局、花びら、葉っぱ、枝等々を総合的に見て判断するしかないみたい(その中でも葉っぱは結構決め手になる?花は服みたいにいろいろ替えられても葉っぱでお里が知れる、ってことだろうか)。

あと、蕾にもバラの特徴が出るらしい。ネットに写真を揚げて「これはツバキですか?」って聞いてる人に「八重咲きのツバキだと思ったのですか?これはバラです。蕾で分かります」と丁寧に答えてる人がいた。同じような疑問を持つ人が他にもいたことと、答えてあげた人が「あなたそんなことも知らないの?園芸なんかやめときな」って言い方をしなかったことにホッとした。ネット民は攻撃的な人(人格が疑われるような人)が多いからね。

因みに、椿と言ったら伊豆七島の大島の椿油を思い出すんだけど、同じ「大島」でも「大島紬」の「大島」は奄美大島(鹿児島県)だってことを最近知った。漱石を読んでたら「大島の表と秩父の裏」って出てきて、その後「鹿児島と埼玉」って続いて最初はちんぷんかんぷん。まず「表と裏」は着物のことだろうから「大島」「秩父」は織物のことなのかな?と想像して、それは合ってて、「大島紬」と「秩父銘仙」のことだったんだけど、「大島」と「鹿児島」が結びつかなくて往生した。今から考えると「秩父」=「埼玉」なんだから「大島」から「鹿児島」を連想すべきだったんだけど、どうしても「大島」と言ったら椿油の伊豆七島の方を思い浮かべちゃって(足立区と同じ東京都だし)。だから、しばらく登場人物が鹿児島出身なのかと思っていた。そんな具合だから、私、漱石を読んだと言っても、半分は理解していない自信がある。

椿油に対してバラからとった油はローズオイルと言って、美容にも精神にも良いってことは、大島紬よりももっと最近知った。すなわち、たった今知った。

あと、「椿姫」ってオペラがあるけど「バラ姫」ってオペラは浅学にして知らない。「バラの騎士」ってオペラがあるけど「ツバキの騎士」ってオペラは浅学にして知らない(「リボンの騎士」って漫画があるのは知ってる)。

歌曲でバラと言ったらこれはもうシューベルトやヴェルナーの「野ばら」(原詩の作者はゲーテ)。ところで、日本で「野ばら」と言ったら、植物学的にはコレ。

正しくはノイバラ(野茨)と言うそうな。これも一般的なバラの形状とは随分異なる……と、ここで問題。し、白い。歌の「野ばら」は♪紅匂う(Röslein,rot)と言ってるから赤。色が違う。ノイバラの詐称疑惑が生じた。ノイバラよ、貴様は本当に野ばらかっ?だが、ノイバラが自分で「野ばら」と名乗ったわけではない。そもそもゲーテは童に見られてこれを刺すも結局は手折られてしまう花を「Röslein auf der Heiden」と呼んだ。「野に咲く小さいバラ」という意味だ。じゃあ、大昔、この歌詞を訳した人が「野ばら」と言ったのか?否。訳した人は二種類の訳を起こしたがそのタイトルの一方は「野中のバラ」で他方は「荒野のバラ」。まだ原詩に忠実である。これがいつ「野ばら」になったのかは定かではない。時が流れる間に集団圧力でそう変わっていったのか。だが、そもそもノイバラが植物学において野ばらと言われていたからと言って、それを歌の野ばらに結びつけることが間違っていたのやも知れぬ。それぞれは「歌の世界」「植物の世界」というパラレルワールドにおける相容れない存在だったのかも知れない。横野君は、シューベルトの「野ばら」を歌ったとき、ノイバラをイメージして歌ったと言ってえばってたけど、お門違いだったかもね。お気の毒様。

なお、原詩の「Röslein auf der Heiden」についてだが、「auf der」だから文法的には「Heide」でなければならないはずだが、韻を踏むために「n」をくっつけたのである。詩人は韻を踏むためには何でもするのである。


文京区をブラマサコ(根津~小石川植物園~傳通院)

2024-05-27 06:53:28 | 地理

一昨日は、この演奏会に行ってきた。

力みとは無縁の透明な響きで心に沁みた。ヴィラールト(ルネサンス期の作曲家)の音楽は常に微温的だった。ゲストのリコーダーとヴィオラ・ダ・ガンバもとっても良かった。ステージ上の知り合いの数を数えたら4人だった。

会場はいつもと変わらずトッパン・ホール。最寄り駅は飯田橋駅か江戸川橋駅。いつもは飯田橋駅から歩くんだけど(南から攻めるんだけど)、地図を見ると、小石川植物園から傳通院を抜けて、北の台地から下りてくルートがある。一ノ谷の戦いでの義経の別働隊も、平氏の陣地の北の丘陵から攻め下ったんだった。よし!お天気もいいし、暇だから今回はそのルートを歩こう。血圧もさぞや下がることだろう。ということで、以下、文京区の台地と谷と坂を歩いた話。時系列的には、演奏会開始前に戻ります。

【台地を上る(一回目)】スタートは地下鉄の根津駅。駅から出たところに交差点がある。ここら辺は低地で根津谷と言うらしい。ここから帝国大学方面に坂を上る(え?帝国大学ってどこかって?帝国大学って言ったら帝国大学だよ。漱石の時代(の大半)は帝国大学って言ったら一個しかなかったし)。文京区は、台地がいくつもある(その間を谷がえぐっていて、両者を結ぶ坂もたくさんある。そのあたりが足立区と全く異なる)。その中の本郷台地をまずは上るわけ。坂の途中から道路横が帝国大学の敷地になる。その敷地は広大。やはり官営は違う(これに比べると、早稲田大学など箱庭のよう)。木々は鬱蒼としてて草の匂いがする。その木々の中で、枝がかなり広い歩道すら乗り越えて車道に大きくはみ出してるものがあった。

奥地の家の垣根の葉っぱも少し道路にはみ出てるが、帝国大学のはみ出しようはその比ではない。奥地のわずかにはみ出てる葉っぱでさえも刈らなきゃいけないかなー、と思ってるワタクシであるから、この帝国大学の葉っぱにはドキッとしたが、そこはそれ帝国大学である。そんな浮世の些末事に気を取られるようでは最高学府に相応しい学問はできないに決まってる。だから、帝国大学の葉っぱはこれで良いのである。

【台地を下る(二回目)】その帝国大学をぐるっと回ってしばらく行き、おしゃれなイタ飯屋さんの反対側の角を曲がると今度は下り坂が現れた。

浄心寺坂と言うそうだ。坂を下りきるとそこは谷(指ヶ谷)。白山通りが通っている。その通りの先、南の彼方に後楽園遊園地の観覧車が見えた(赤矢印)。

【台地を上る(二回目)】でも、遊園地には行かずに(ゴールはトッパンホールだから)、谷(白山通り)を渡って直進するとまた上り坂が現れた。

蓮花寺坂と言うそうだ。上るのはこの日二つ目の台地=白山台地である。

【台地を下る(二回目)】ここを上りきってしばらく行くと道路の右側が小石川植物園の塀になるあたりから下り坂になる。

御殿坂と言うそうだ。だいぶ下りたところに小石川植物園の正門があった。

小石川植物園が乗ってるのが小石川台地ではなく白山台地であるところがフェイントである。さらに行くと「白山浴場」に出くわし、一風呂浴びたい気分にもなったが我慢して先を行くとまた谷(小石川谷)に出た。千川通りが通っている。

【台地を上る(三回目)】谷(千川通り)を渡って直進し、おしゃれなイタ飯屋さん(坂も多いがおしゃれなイタ飯屋さんも多い)の角を曲がるとまた上り坂が現れた。上るのはこの日三つ目の台地=小石川台地である。

その途中に、時代がかった建造物が現れた。

近くにあった案内板を読むと、ここら辺は井上哲次郎って偉い哲学者の邸宅の跡地で、屋敷は空襲で焼けたが土蔵だけ残った、その残った土蔵がコレだそうだ(哲次郎が哲学者なのは偶然の一致?しかし、川上哲治は哲学者ではない)。ところで、地図によると、このあたりに傳通院があるはずだが、一向にそれらしき建物が出てこない。どうやら裏手から迫ったのがいけなかったようだ(地図からは表や裏が分からない)。ぐるぐる回って表に出たら、ようやく傳通院が現れた。

ここからは、傳通院の正面の大通りを進む。すると、大昔、桂小金治が司会をしてた頃のアフタヌーンショーで「しあつのこころー、ははごころー」と念じておられた浪越徳次郎さんの銅像が現れた。

浪越徳治郎さんが設立した指圧学校だった!そして、そのお墓が傳通院にあることを今知った。アニマル浜口さんの豪快笑いの元祖はこの人だったのかな、思ったのも今である。大通りをさらに行くと春日通りにぶつかった。春日通りの先、南の彼方には再び後楽園遊園地の観覧車が見えた(赤矢印)。

今度は、さっき見たときより大きい。直線距離が縮まったようだ。

【台地を下る(3回目)】だが、遊園地に行く暇がないのはさっきと同様である。時間がおしつまってきた、小石川台地を下ろう。今度の下り坂は道幅が広い。安藤坂と言うらしい。

カーブを経て下りきると神田川に出た。

トッパンホールはすぐそこ。遭難することなくたどりついて無事に演奏会にありつけた。

もし、ブラタモリがなかりせば、このような台地と谷と坂まみれのブラブラ歩き(ブラマサコ)をしなかったのは確実である。あと、漱石を読んでなければこの辺をブラつく対象に選ぶこともなかったろう。漱石の跡をたどるブラ歩きは結構人がやるそうで本も出てる。私などはまだ端緒に着いたばかりである。


「焼酎」の洗脳が解け、氷砂糖は氷ってないと知って梅酒を作った件

2024-05-26 07:29:39 | 

結局、採った梅は、傷んでるのを除いても2㎏あった。大体、容器もお酒も氷砂糖も梅1㎏にちょうどいい大きさや分量で売ってるから、容器は2本買ったし(この時期、梅を漬ける人が多いらしく、ホームセンターに容器がたくさん並んでた)、

ブランデーも急遽1本追加して2本用意した。

そう、お酒はご覧のとおりブランデーにしたのだが、一般にはホワイトリカー(焼酎)を使うことが多い様子。私も、当初、そのつもりだった。というのも、大昔、ある酒屋さんの店内にいたときのこと、梅酒用のブランデーを買いに来たお客さんに対して、超高齢の店主が「梅酒用のブランデーなど置いてない。梅酒は焼酎で漬けるものだ」と説教した際、聞いてた私も洗脳されたためである。だが、ある人が「拝島さんはワインが好きなんだからブランデーを使うといい」と言ってくれた瞬間、洗脳が解けた。そうだ、想像してみてもブランデーで作った方が絶対旨そうだ。度数も高いし(得した気分)。というわけで、ブランデーになったのである(お値段はホワイトリカーの倍だけれど)。

因みに、梅酒を漬けるお酒はアルコール度数が20度以上でなければならないことを初めて知った(ブランデーは40度弱)。酒税法の規定だそうだ。私は、学校を出て最初に働いた会社がお酒関係の会社で、そのとき酒税法も勉強したはずなのだが、このことはきれいに頭から抜けていた。その後、法律系の資格業に就いたが、酒税法は専門外もいいとこであった。

初めて知ったことはまだある。それこそ、私の無学を露呈するものである(露呈されなくても知ってる、と言われそうだが)。すなわち、作る際に氷砂糖を入れると聞いた私は、氷砂糖を求めてスーパーの冷凍食品棚を目をさらにして回ったが見つからなかった。「氷砂糖」というから氷ってるものとばかり思ったのである。買って家に帰るまでに溶けたらどうしよう、などという杞憂もした。真実に目覚めたのは30分くらいスーパーをうろついた後である。

はかない言い訳をさせてもらうと、そもそも私は料理に砂糖を使わない(砂糖を使うのはピザ生地を作るときくらい)。だから、砂糖の類いについては、南国の人が雪を知らず「砂の惑星」の原住民フレメンが雨を知らないのと同様、知識がほぼゼロなのである。だが、先にホームセンターに行って容器を買っていたらこれだけ無駄な時間は費やさなかったろう。というのも、容器の横に氷ではない氷砂糖が梅酒を漬ける客目当てにどどんと陳列されていたからである。そもそもなぜこんな紛らわしい名称が付いたのかと思ったら、ウィキペディアに「外見が氷とよく似ているため、この名がある」とあった。なお、ホワイトリカーで作るときは氷砂糖は梅1㎏に対して1㎏(1袋)要るけれども、ブランデーはそれ自体が甘いので半量でよい。だから、これだけは買い足さずに済んだ。

てなわけで、人生初の梅酒作りは端緒についた。「作った」と言えるのはカビずに半年経ってからである。それまで冷暗所に置けというので押入に置いた。

ワインも、押入に入れるのは推奨される保存法である。


もはや高血圧ではない

2024-05-25 06:37:57 | 健康

これまで区の無料の医療検診に行かなかったのは、行ったら絶対血圧が高い、死ぬ、薬を飲め、と言われるに違いないと思ったから。だが、こないだ区の眼科検診に行って無罪判決(ほぼ異常なし)を受けたら、それ以降、目の心配がなくなって大いに気が楽になった。検診って、いいかもしれない。それに、検査結果が悪くたって拘束されるわけではなかろう。と思って医療検診に行ってきた。こうした検診を最後に受けてから20年は経っている。その時は同業者で作る会が斡旋する人間ドックで、割引があっても有料だった。たしか、「今回は『このままでは死ぬ』と言っておきます」と言われたんだった。どこが悪くて言われたのかは覚えてない。でも、20年経ってもまだ生きてる。それに、人間がいつか死ぬのは当たり前である。「mortal」は「死ぬべき」という意味だが、転じて人間を表している通りである。

結果が出るのは1か月後。人間ドックのときはその日のうちに判決が言い渡されたが1か月も待たなければいけないのはタダたる所以か?それでも血圧だけはすぐ教えてもらった。1回目を計り終えたとき看護師さんが「一度大きく深呼吸をして」と言ったから、さては心配した通りとんでもない値が出てしまったか?と恐怖したが、1回目は上が140いくつ。2回目は130いくつ。なんだ、130ならもはや高血圧ではない。「もはや戦後ではない」と言ったのは池田首相、「もはやデフレではない」と言ったのは日銀の総裁、そして、私は、高らかに「もはや高血圧ではない」と言おう。

思えば、数年前に家で計ったときの数値は言えないほど高かった(それを見て、さらに血圧が上がったかもしれない)。最初に計ったのは母用に買った血圧計で。この数値で生きているはずはない、これは器械がボロなのに違いない、手首式がいけなかったのだろうと思って腕にまくヤツ(ちょっと高い)を買って計っても同じだった。そのせいかどうか、具合がよくない。どうにかせねば、と本気で思い、インスタントラーメンの粉末ソースを一度に使い切らないで数回に分けて使うようにし(経済的でもある)、人間界での活動を減らし、逆に、山歩きの分量を大いに増やした。すると、数値がみるみる下がってきた。実は、今回検診に行ったのも、そういう背景があったから、病院で計ると緊張するから高くなる心配はあるが、それを差し引いても低い値が出るかも、という予感があったのである。そして、予感が当たったのである。

いったい、あのときの高い数値はなんだったのだろう?自分ちの器械でも値が下がってきてたから器械のせいではない。考えられることその1。塩分の取り過ぎだった。だからラーメンの粉末ソースを減らして下がった。その2。生活にストレスがあった。だから人間界の活動を減らして下がった。その3。運動不足だった。だから山歩きを盛んにして下がった。以上のいずれであるかの特定は困難である。科学実験においては、一つ一つ要素を変えていってその都度結果を見て原因を特定するのだが、今回、一度にいろいろやってしまったからどれが効いたのかが分からないからである。遅ればせながら原因を特定しようと思ったら、今度は一つ一つ逆をやって様子を見ればよい。まず、ラーメンの味を元に戻す。次に、人間界での活動を増やす。そして歩く量を減らす。こうしていって、どの変更過程で血圧が上がったかが分かればそれが原因だったことになる。

因んだ話その1。ときどき、インスタントラーメンに粉末ソースを一切入れ忘れることがある(血圧に代わっておつむが心配になる)。それでも、「ちょっと薄いな」くらいで気付かないことがあるから、野菜や肉から相当味が出ていることがわかる。毎回入れ忘れれば健康にはプラスであろう。

その2。最近、朝起きるとき、相当に脚が疲れてることがある。歩きすぎかもしれない。過ぎたるは及ばざるがごとしである。

その3。「人間界の活動を減らす」「たくさん歩く」を一言で言うと「仙人になる」である。たしかに、仙人の血圧は低そうである。


梅がたくさん穫れた

2024-05-24 06:07:46 | 園芸

「猫の額」(奥地の家の庭)で梅の実を収穫。落ちるのを待つのではなく、脚立(売主さんが置いていってくれた)に乗って届く範囲でなってるヤツを枝から採った。

1.5㎏くらいにはなったろうか。青梅だから梅酒用にする。脚立に乗って届かなかったヤツは樹上で熟させて梅干しにしようと企んでいる。

あと、以前は雑草の代名詞くらいに思ってて、とっとと退治しようと思ってたドクダミが今一斉に花を付けてて、

しかも、薬草だし、天ぷらにすると美味しいと聞いたら急に愛おしくなって(葉っぱもハート型だし)、しばらく鑑賞してからありがたく収獲(退治ではない)することにした。蝶々もドクダミが好きだと言っている。

それより事件なのは、サルスベリの葉っぱがうどんこ病に罹ったこと。

罹ったヤツは枝の元の方から除去。するとその元の方が枯れている。弱った枝の先の葉が罹るらしい。弱ると病気になるなんざ人間と同じだ。私も、先週、ここ(奥地の家)の改造第1段が済んでホッとしたらちょっと体調が芳しくなかったからねー。とにかく、今後に備えて、次回は薬を持ってきて散布しようと思う。

それに対し、ホトトギス(植物)の葉にできた点々は、

病気じゃないらしい。病気だと思って刈り取ったら病気じゃなかった、と泣いている人の投稿を見た。

そんな「猫の額」で私の一番のお気に入りはこれ。

直系1㎝に満たない小さい花で、ニワゼキショウという。拡大するとこう。

小さい花が好きな私です。

 


JレノンとHシュッツの和音進行が同じだった件

2024-05-23 07:00:03 | 音楽

横野好夫です。拝島さんがボクシング映画のことを書いてたけど、私は、サイモンとガーファンクルの歌では「ボクサー」が一番好きでときどき聴く。

ついでに言うと、ABBA(二番目のBをどうやってひっくり返したらいいんだろう?)で一番好きなのは「Thank you for the music」なんだけど、オリジナルではなくて、映画「マンマ・ミーア」のエンド・クレジットでシックなピアノ伴奏に乗ってアマンダ・セイフライドがソロで歌うヴァージョン。

もっとついでに言うと、ビートルズで一番好きなのは、実質的にはジョン・レノンの曲の「I am the walrus」(俺はセイウチ)。一見(一聴)奇っ怪な曲なんだけど、多くのミュージシャンを刺激するらしく、世の中はこの曲のカバーで満ちあふれている。オリジナルと同様に弦やホルンを入れている演奏も多い。みんな楽しそうに演奏してます。

で、なんで、この曲が奇っ怪に聞こえるか、というと、まず歌詞が奇妙きてれつ。それから音楽面もコード進行が普通じゃない。全音でコードが移行する。例えば、さわりで「I am the walrus」と歌う箇所は、

ハ長調→ニ長調(♯がいきなり二つ増える)→ホ長調(さらに二つ増えて四つになる)って具合。こういう和音進行はない(階段の二段跳びを二回連続するごとし)……と思ったらあった。ビートルズから遡ること300年以上、教会音楽を書いたハインリヒ・シュッツの「Das ist je gewißlich wahr」(それはたしかなまこと)のエンディングに近い箇所に同じ進行があった。

そうそう、某会でこの曲をみんなで歌ったとき、「こんな和音進行、他にないよ」と言ったものだ。でも、あった。それがジョン・レノンだったわけ。ジョンもシュッツも孤高の人だと思ったらえらく遠くに仲間がいたって感じ。シュッツほどドイツ語の歌詞と音楽がぴったり融合している例はない、と言われるけど、ジョン・レノンも、奇妙きてれつな歌詞と音楽がぴったり融合。この歌詞にポールのイエスタデイのメロディーは合いませんからねー。

以上のことに思い至った昨夜の私は狂喜乱舞。早速、拝島さんに頼んで今ここに書かせてもらった次第です。拝島さんは、ホントは園芸のことを書きたかったらしんだけどね。でも、私のこの喜びを共に分かち合える人って、ビートルズとシュッツのどっちも聴く人だと思うんだけど、いったい、この世の中にそんな奇妙きてれつな人がどのくらいいるんだろうか……


「山川惣治」「ジャングルブック」「狼少年ケン」

2024-05-22 09:52:58 | 小説

続いて動画配信が奨めてきたのは2016年製の「ジャングルブック」。子どもの頃、子供用小説を読んで以来である。あれ?読んだ内容と違う。主人公のモーグリが狼少年で黒豹と熊が味方である基本線は同じだが、ほかは、いろいろ違う。例えば仇役の虎のやっつけ方が本では水牛の群れに踏み潰させたのが映画では木から火の中に転落させている。それから大蛇の扱い。本では一見味方なのだが実は催眠術を使って敵味方構わず飲み込む魂胆なのに対し、映画では徹頭徹尾敵である。

しかし、「狼少年」とくれば、私の年代はモーグリよりも圧倒的に「ケン」である。その主題歌は鮮明に覚えている。同い年の横野君に覚えてるところでイントロ部分を楽譜にしてもらった。

そうそう、これこれ。「わーお」は少年合唱で、「ボバンババンボン」は低い男声。この直後に本編が始まる。最近、この「ボバンババンボン」をCMで聴いた。いったいこのCMはどの世代をターゲットにしたんだろう。私達の世代だけでウケても商売にならないと思うんだけど。因みに「ボバンババンボン」に漢字を当てたら「戊番場番盆分母番場馬場戊番場番盆分馬盆」になった。それから、横野君は、最初の「わーお」を聴いてヘ長調だと思ってると「ボバンババンボン」で、え?変ロ長調?とフェイントをかまされた気分になる、ベートーヴェンの交響曲第1番の冒頭なみのフェイントだ、と言っている。

あと、ウソばかりつく人のことを「狼少年」という。年齢性別に関係なく。ちょうど、ドイツ語の「お客さん」(Gast)が実際の性別に関係なく常に男性名詞として使われるのと等しい。例の三文字のファミレスの名前はここから来ているのだろう。

「狼少年」ではないんだけど、「少年がジャングルを旅する」でうっすら浮かんでくるのは子どもの頃読んだ挿絵付きの本。はっきり覚えてるのは、大蛇が出てくることと、その大蛇に習って浅瀬を見つけながら沼を渡るシーンのみ。このシーンを思い出すたびに脳内から「少年ケニヤ」という響きが聞こえてくる。この際、調べた。果たしてそうであった。山川惣治作の絵物語「少年ケニヤ」にたしかに大蛇と沼を渡るシーンがあるそうである。是非とも読んでみたい。復刻版が市場に出ている。が、断捨離の最中に荷物を増やすわけにはいかないし……

だいぶ話が逸れて、もはや「少年」「冒険」だけのつながりになるが、子どもの頃(の話ばかりだが)、定期購読していた「こども科学館」に連載されていた冒険小説については、随分前に(と言っても、やはり読んでから半世紀経った後だが)戸川幸夫の「太郎の冒険旅行」であることが判明し、全24巻中18巻を古本で買い戻した。父親の発明した水陸空共用の乗り物で海底、地底、宇宙を旅する物語である。今考えてみると、いろんな作品の寄せ集めの感があり、特に、地球の侵略を目論んだ異星人が地球のバクテリアによって撃退されるところなどは近年スピルバーグがリメイクした「宇宙戦争」そのものである。因みに、この冒険小説には印象的な挿絵が掲載されていたのだが、な、なんと、それを書いたのは、上記の「少年ケニヤ」の作者である山川惣治さんであったことを今知ったところである。今回の記事の目玉であったはずの「ボバンババンボン」が完全にぶっとんでしまった私である。だからタイトルも「山川惣治」が最初に来るのである。


「シンデレラマン」「ミリオンダラーベイベー」「あしたのジョー」

2024-05-21 13:10:12 | 映画

共に、公開後20年くらい経つが、「シンデレラマン」と「ミリオンダラーベイベー」は見てこなかった。タイトルの一部の「シンデレラ」と「ベイビー」がなんだか子どもっぽく感じられたからかもしれない。このほど、動画配信が奨めてきたので見たら、あらま、どちらも大変な名作、感動作であった。以下、それぞれの主人公の似てるところと違うところをまとめてみた。ついでに「あしたのジョー」のことも書いてみた。

【似てるとこ】
・主人公がボクサーであること
・主人公がアイルランド系であること
・勝ち続けるまでは貧乏だったこと
・どんどん勝っていってクライマックスでタイトル戦に挑むこと
・タイトル戦の相手がとんでもないクズであったこと(なお、シンデレラマンの実際の対戦相手はいい人だったそうである。映画でクズに描かれてしまってご家族はお気の毒である)
・良いコーチ又はマネージャーに恵まれたこと

【違うとこ】
・一方は実話で他方はフィクションであること
・一方は男性ボクサーで他方は女性ボクサーであること
・一方はタイトルを獲得し他方は獲得しなかったこと
・一方は家族愛に恵まれ他方は恵まれなかったこと
・一方は充実した後半生を過ごし他方は安楽死を迎えること
・一方はアカデミー賞を獲らなかったが他方は獲ったこと

【あしたのジョーとの比較】
これら二作同様、「あしたのジョー」もボクシングを通じてどん底からはい上がる話である。丹下段平というコーチに出会ったことも、クライマックスで強敵とのタイトルマッチを迎える点も同じである。その試合の相手(ホセ・メンドーサ)が紳士である点はどちらとも異なる。タイトルを取り損なう点は「シンデレラ」とは異なり「ベイビー」と同じ。問題はその後である。矢吹ジョーがメンドーサとの試合直後に死んだかどうかについては説が分かれる。死んだんなら「ベイビー」同様悲劇の結末であるが、死ななかったのであれば、パンチドランカーの症状が現れていたから生活に支障が生じたとしても白木葉子がサポートしただろうからまあまあ胸をなで下ろせる結末である。事実、原作の梶原一騎が作画のちばてつやに伝えたラストシーンは「白木邸で静かに余生を送るジョーと、それを見守る葉子の姿」だったそうだ(ウィキペディア)。それを、ちばてつやが「まっしろに燃え尽きた矢吹ジョーの姿」に変えたそうだ。もし、原作者の原案通りに世に出てたら梶原一騎原作としては異例である。梶原作品の終わり方はたいがい身も蓋もないものだから。

【おまけ】
・体を張ったヒロインがアカデミー賞の主演女優賞をとった点は「哀れなるものたち」と同じ(ただし、体の張り方が違うが)。
・シンデレラマン一家の生活困窮ぶりを見てしまったら、もう「私は貧乏」などと言えない。
・「シンデレラ」の正しい発音は「シンダーエラ」である。そういう名称の女性アイドルグループがあるそうである(今、確認のためにググったら出てきた)。
・同様の映画に「ロッキー」があって、こっちは公開時に見た。と言っても、タイトル戦が終わって、勝って「エイドリアン」と叫んだのか負けて叫んだのかは覚えてない。よく覚えてるのは、牛肉を保存する冷凍庫の中でトレーニングしていて、その冷凍庫の所有者である友達がその場で牛肉を分厚くカットして「喰え」と言ったこと。ああ、私も、牛肉切取放題の環境で赤ワインを飲みたい、と強く願ったものである。
・「比較」と言えば、葉っぱや花による似た植物の比較(ネットでググると出てくる)は大変役に立つ。他方、当ブログの今回の比較は(いつもと同様)なんの役にも立たないことはよく承知している。世間様に対して大変お気の毒である。


加持祈祷

2024-05-21 08:26:40 | 歴史

漱石の「明暗」の主人公は病気で入院したのだが、病名は伏せられている。記述された手術の内容、さらに病気の概要として「楽な病気」「大した病気でもない」「下らない病気」等々の記述から「Ji」?と推測した。だが、ひっかかる点がある。「医者の専門が、自分の病気以外の或方面に属するので、婦人などはあまりそこへ近づかない方がいい」との記述である。「自分の病気」が「Ji」だとすると、「医者の専門」=「婦人が近づかない方がいい」とはなんだろう?真っ先に頭に浮かんだのが性病。だが、性病の専門医が「Ji」の手術をするのだろうか?調査開始。調査終了。推測は当たり。漱石自身「Ji」を患っていて(物書きの職業病?)、手術を受けたのは神田錦町にあった佐藤診療所で、佐藤医師の専門は性病であった。小説はそれを土台にしたものであった。佐藤医師は、漱石の主治医であった胃腸病の医師の友人だったことから、漱石の「Ji」の治療をすることになったそうである。

ところで、その治療の様子は素人目には現在の外科手術とさほど変わらない感じがする。漱石が生きたのは(主に)明治。その頃、既に、日本で西洋医学が浸透していた、ということか。

源氏物語では、病気になったら「加持祈祷」である。当時は「光る君へ」の時代=平安時代=今から千年前である。すると、加持祈祷から西洋医学への転換は、この千年の間に生じたこととなる。ウィキペディアには、「日本では1543年の鉄砲伝来以降に西洋医学も伝えられ」とある。なるほど、戦国末期に伝わった西洋医学が江戸時代の250年を通して広まっていった、とガッテンした。

だが、「西洋医学」と言っても、日本で加持祈祷が行われていたとき、西洋ではどうだったのだろう?ウィキペディアには、西洋医学の芽生えはギリシャ時代のヒポクラテスに遡るが、中世においてはまじない的な治療が行われていたとある。なんだ、日本の加持祈祷と同じじゃんけ。せっかくのヒポクラテスもかたなしである。

因んだ話その1。最近の「光る君へ」の放送回で、都の人々が貴族も含めて流行病でばたばた死んだ。西洋でも、中世にペストが大流行した。ボッカチオの「デカメロン」は、ペストから逃れるため郊外に疎開した貴族達が暇に任せて「お話の会」を開いた際に語られた話、という設定である。貴族のご婦人も実は下ネタがお好きだということがこれを読むと分かる。

その2。「(明治時代の)治療の様子は素人目には現在の外科手術とさほど変わらない感じがする」と書いたが、違うなー、と思ったのは、病室に畳が敷かれていて、そこに入るとき襖を開けることである。このことを書きたかったことが、今回の記事執筆の最大の動機である。

その3。学生の頃、聴いていた深夜ラジオ放送のパーソナリティが「Ji」の手術の体験談を語っていて、最初、病室にエロ本が置いてある意味が分からなかったが、術後、麻酔が切れたとき思わず読んだ、そのとき置いてあった意味が分かったと言っていた。

その4。キャンディーズ解散後にランちゃんが芸能界に復帰したのは映画「ヒポクラテスたち」においてである。このニュースを聞いた際は、え?ランちゃん、全然知らない若い監督の映画で復帰するんだー、と思った。その監督こそは大森一樹であり、後にゴジラ映画で随分楽しませていただいた。ランちゃんが復帰する映画の監督であったということ、大森監督が医大出身であるということ知ったのはたった今である。


ルーティーン

2024-05-20 08:39:33 | 

破れたシーツの上には乗らないが私の上には乗る、と書いたその証拠である。

正直、暑い季節になって薄着なところにケメ子に乗っかかれると痛い(写真でもわかる通り、ケメ子は爪をかけて踏ん張る)。だが、「いたい」というと済まなそうな顔をするから一応言葉は通じているらしい。食い意地は張ってるが相当に頭のいい猫である。なお、ワサビは私の上には乗らず、布団にもぐりこんで私の傍らで寝る……おお!ってことは、ワサビはシーツが破けてるのはいいんだ。

私の朝は、起きて猫トイレを掃除して、散らばってる猫砂を掃除機で吸って、猫にご飯をやって、で、ようやく自分のご飯を食べる頃に朝ドラが始まる。これを1年365日繰り返している。まさにルーティーンである(と書くと、「365日」は誤っている、日曜日に朝ドラはやってない、と言われそうである。なお、「パーフェクト・デイズ」の役所広司のようにドアを開けてお日様を見上げてにっこりすることはしない)。逆に、猫も、1年365日、決まった時間になるとご飯をくれと催促鳴きをする。これもルーティーンである(これは、一日の狂いもなく365日である)。

猫によっては、同じものばかり食べさせられると、もう飽きたと言わんばかりにぷいと食べなくなる輩がいるときくが、うちの猫についてはそういうことは絶無。ただし、ケメ子には吐き癖があるので、缶詰とドライフードの配分に配慮が必要。試行錯誤の末、最近は吐く回数がずいぶん減った(ワサビは、今にいたるまで(毛玉を除き)吐いたことがない)。その代わり、猫同士のご飯の取り合いを防がなければいけないって話は数日前に書いた。

10年前の私の計画では、母は100歳まで、猫は20歳(人間の100歳に相当)まで元気だろう、母と猫を見送ってからドイツに行こうと思っていた。だが、計画は変更を余儀なくされた。まず、母が88歳で亡くなった。母のような、頼りない活力のない人頼みの人こそしぶとく生き延びると思っていたから意外だった。認知症の恐ろしいところである。そして、行き先は「ドイツ」から「奥地」に代わった。猫の20歳は大丈夫そうである。それより、私の方がガタが来て怪しくなってきた。せめて猫が元気なうちはがんばりたいと思っているが、はて、ではなく、さて……


猫跨ぎ

2024-05-19 17:15:17 | 

ある晩、布団に入ったらビリッて音。その夜以来、布団に入る度にビリッが続き、いつしかシーツを敷いてるのに敷いてないのと同じ状態になった。こんな絵は通常はお目にかかれない。世のため人のために撮っとこうと思ったらケメ子が見てる。

よし、ケメ子がこの上を歩いてる様子を撮ろうと思ったらそこに立ちすくんだまま待てど暮らせど上を歩かない。この上に私が寝てれば迷わず私の上を歩くケメ子なのに。私を介さなければ布団の上を歩けないのか?この状態は猫にとっても奇っ怪なのか?「猫跨ぎ」とは猫も食べない魚のことを言うらしいが、私の辞書には猫も歩かない布団を付け加えよう。

それにしても、シーツと靴下とパンツはどうしてこう破れるのだろうか。人類は、なぜ穴の開かないシーツと靴下とパンツを発明しないのだろうか。そんなものを開発しちゃうと新品が売れなくなるからかもしれない。

因みに、破れるのはシーツだけではない。その下の布団も実は破れている箇所がある。どうせなら、破れたシーツから破れた布団が覗ければより絵になった(?)と思うのだが、そう物事が上手くは運ばないようである。


楽器を再開したきっかけ

2024-05-18 20:36:04 | 音楽

横野好夫です。神奈川県の中央(県央)で、モーツァルトのレクイエム等を好事家が集まって練習なしにいきなり通して演奏する会に行ってクラリネットを吹いてきました。

思えば、同様の会は首都圏各所でいろんな曲で行われ、私自身も主催したことがあるけれど、まさに、数年前、県央でモーツァルトのレクイエムを通して演奏したこの会こそが私が楽器を再開するきっかけであったのです。すなわち、ピアニストのヤマユリ先生(仮名)は、通常、この手の会ではピアノを弾かれるのだけれど、このときは「クラリネットを吹く」と仰られたことが、かつてクラリネットを吹いていた私の導火線に火を付けたのでありました。

その後、クラリネットのほか、昔いじっていたヴァイオリンも再開し、さらに、この期に及んでオーボエ、フルート、チェロを新たに始めることになったのだから、まっことこの会及びヤマユリ先生は私の余生に計り知れない影響を与えたのでございました。今回のクラリネットの相方がヤマユリ先生だったのも至極当然のことでございます。

てなわけで、この日は午前中に家(現住所。引越はまだ)を出て、会場近くのドトールで昼の腹ごしらえ。思えば、20年くらい前、仕事で外出したときのお昼はたいがいドトール。今回注文した「ミラノサンド」とブレンドコーヒーは当時と同じ組合せ。そう発するわが声に大いなる郷愁を感じたのでありました。

そのミラノサンドの一部が包んだ紙にはみ出ている。はみ出ているのはアボカド。アボカドを食べたくてこれを注文したのだから残すわけにはまいりません。さりとて、スプーンの類いはテーブルにないとなれば、猫になるしかあるまいて。舌を伸ばした、届いた、なかなか長い舌だ。で、ペロリ、完食いたしました。人目を気にしてては生きていけませんもの!