拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

下総の国に音楽を聴きに密入国した件

2024-06-30 19:49:04 | 音楽

横野好夫です。今日は、こちらの演奏会を聴きに行ってきました。

演奏会が執り行われたのは下総の国。ワタクシは、下総の国への入国ヴィザを持ってござらん。だから、江戸川を超えて彼の地に行くのは密入国となるからして相当な覚悟が必要。だが、TsY先生のピアノとE先生のクラリネットは是が非でも聴きたい(第1回千人通唱会では、このお二方とワタクシとでクラリネットのトリオを構成した関係である(TsY先生はピアノが本業だがクラリネットも吹かれる))。加えて、プログラムが重厚で魅惑的。で、結果は、密入国の危険を冒してでも聴きに行った甲斐が十分あった。前半二曲のE先生のクラリネットは出し惜しみなく超絶技巧が披露されたし、最後のブラームスは、TsY先生のピアノという大船に乗ったうねるような熱演であった。

終演後、ロビーでそのTsY先生とE先生が二人並んでおられる。こりゃちょうどいい。いっぺんに二人にご挨拶できるぞ。で、ご挨拶した。E先生は握手を求めてくださった。あと、聴衆の中に、味噌煮込合唱団(仮名)でともにアルトを歌ったお姉様がいらして、こちらともご挨拶ができた。なにやら、亡命中に祖国に戻って知人との再会を喜んでいる風のワタクシであった。

因みに、モーツァルトの「ケーゲルシュタット」の「ケーゲル(ン)」は9本ピンのボーリングであり、「シュタット」は「場所」の意味である。モーツァルトはボーリング場でこの曲を作曲したという噂からその名が付いたという。

因みの因み、私が決死の覚悟で渡った江戸川は、その原型は利根川であった。利根川は、江戸時代における河川大改修によって注ぎ口が東京湾から銚子沖の太平洋に付け替えられたものである。


無人駅

2024-06-30 10:09:22 | 地理

単線だと、駅と駅の間で上り下りの電車がすれ違うことはできないから、自然と駅には同時に上り下りの両線が入線することになる。そんな単線の某駅に向かって下り電車は高台から下りてくるし、

上り電車は谷間から上がってくる。

その某駅は、駅員さんがいる時間が限られている。時間が有限なのは駅員だけではない。券売機の稼働時間も有限である。

駅員さんもおらず、券売機も動いてなければ切符の精算はどうやればいいかというと、SUICAやPASMOを持ってれば簡易式のタッチパネルがあるからそれにタッチすればよい。持ってない場合は、乗車駅証明書発行機っていうのがあって、

そこから証明書をとって降車駅で精算する、というシステムである。

だが、時間に限りがあっても駅員さんがいるだけましである。世の中には無人駅がいくつもある。券売機がない駅もある。SUICA等のタッチパネルすらない駅がある。つまり、何にもない駅がある。降車駅がそういう駅だと分かってれば乗車駅で切符を買うが、分かってなくてSUICA等で入った場合、降車駅で出場記録を残せない。実際、以前、某線に乗ってからそのことに気付いてどうしようと思ったことがあるが、よくしたものでちゃんと車掌さんが回ってくるから車内で精算することになる。

因みに、タッチパネル等の設備の有無と駅舎の有無は別物である。駅舎があっても無人で設備が皆無の駅もあれば、駅舎はないが(あるのはプラットフォームだけ。だから、道路とプラットフォームが直通である)、タッチパネルはある駅もある。私の父の実家の最寄り駅(中央本線の某駅)がそうだ。この駅は戦後作られたそうで、私がうーんと小さい頃、その駅には、各駅停車の列車ですらほとんど停まらなかった。でも駅員はいたと思う。その後、1970年に無人化したそうである。その頃、SUICAなどありようはずもないから精算は車掌さんがやっていたのだろう。今では、各駅停車は全部停まるようだ。その駅も出世したものである。しかも、駅前に大きなスーパーができていた。「私の奥地」とどっこいである。因みに、だいぶ前に父の墓参りに行ったときは、へー、こんなところに!と思う場所にイタリアンの店があり、次行ったときは寄ろうと思っていたが、次に行ったときは、「へー、こんなところに」というロケーションが災いしたらしく、消えてなくなっていた。


クラシック・イントロ当てクイズ(架空)

2024-06-29 17:16:06 | 音楽

クラシック・イントロ当てクイズ(架空)。第1問。変ホ長調の和音がトゥッティで鳴るや否や横野君がボタンを押した。横野君はこう続くと思った。

司会者「はい、横野さん」
横野「ベートーヴェンの『英雄』です」
ブザーの音「ブー」
司会者「残念。もう少し聞きましょう」
横野君がすぐ切れると思った音は切れずに長く伸びた。

司会者「正解はベートーヴェンの『皇帝』。惜しい。同じベートーヴェンだし。どっちもフォルテだし。あとほんのちょっと待ってたら横野さんなら分かったはず。因みに、ベートーヴェンは、民衆の英雄だと思ったナポレオンが皇帝になって激怒して、英雄交響曲の楽譜を破いたんだった。つながりはあった。では、気を取り直して二問目」。
変ホの低ーい音が鳴る。横野君は、今度はちょっと待って音が伸びることを確認してからボタンを押した。横野君はこう続くと思った。

司会者「はい、横野さん」
横野「ワーグナーの『ラインの黄金』です。
ブザーの音「ブー」
司会者「残念。もう少し聞きましょう」
横野君の意に反して、ずっーと伸びると思った音は横野君がボタンを押した直後からのたうち回り始めた。

司会者「正解はリヒャルト・シュトラウスの『英雄の生涯』。あとほんのもうちょっと聞けば横野さんなら分かったはず。では、気を取り直して三問目。おっと、ここで早くも(博多華丸さんの声で)アタック・チャーーーーンス!」。
すると、まだ何の音も鳴ってないのに横野君がボタンを押した。
司会者「まだ曲が始まってない。これはお手つきだ。どうした、横野さん。焦って手が動いてしまったか。でも仕方がない、何か答えて下さい」
横野「ショパンの『英雄ポロネーズ』」
ブザーの音「ブー」
司会者「英雄つながりで、そうお答えになったか。残念。お立ちいただく。あと二問のご辛抱……」

第1問と第2問を間違えたときなぜ立たなくてすんだかは不明である。第1問、第2問とも正解は変ホ長調の曲であったように、この日のテーマは「変ホ長調」。因みに「英雄ポロネーズ」はイ長調である。なお、説明するまでもないと思うが、博多華丸さんの「アタック・チャーーーーンス!」のオリジナルは児玉清さんである。博多華丸大吉さんのうち、博多にご実家があるのは華丸さんである。パネルクイズ・アタック25は、オセロのルールに従って正解した人がパネルをとっていくのだけれど、私は最後までオセロのルールが分からなかったので、解答者のパネルの取り方についてはとうとう疑問のままで終わってしまった。


平岩紙/ブルーレイの行く末

2024-06-29 11:23:26 | 園芸

紙(昨夜のネタ)と言えば平岩紙。今週の朝ドラは、平岩紙の哄笑にぎょっとし、女優だなぁと思った。この人は、宮藤官九郎作品の常連なのだそうだ。私がクドカンに最初に触れたのは映画「舞妓Haaaan!!!」。当時は「クドカン」は私の脳にインプットされなかったが、今、あの映画を思い出すと、絶対クドカンだと思う。ググってみる。当たり!てな具合に「宮藤官九郎」は現在の脳にはしっかりインプットされていたはずなのに、「宮藤」を見て一瞬「みやふじ?」「きゅうどう?」とか思ってしまった。「宮」を「く」と読ませるのはかなり珍しいと思う。

「カネオくん」のウリの一つは、田牧そらちゃんが語る御尊父様のけちん坊ネタ。今回は、そらちゃんは人生でパフェを食べたことがない(びっくり)、食べたいというとするめを食べろと言われた(ダメ押しで笑う)という話。さすがである。このネタにはずれはない。

はて、ではなく、さて私の奥地の家の話。剪定した垣根の草木を袋詰めしたら16袋になり、これを三回に分けて現住所に運んだ。運ぶのに使ったクラフト製の紙袋が3回目のゴール直前で裂けた。よくもった。どこかの国の軍隊から誤射を受けたサンダーバード2号が火災をおこしながらギリギリ基地にたどり着いたのと同様のがんばりである。半年かかると思われた作業が1週間で済んだ翌朝はめずらしく7時過ぎまでぐっすり寝た。

「猫の額」のトキワマンサクは、道路側への延伸を阻止されたからだろうか、作戦の向きを変えたらしく内側に張り出してきた。

この調子だと、近い将来、悪の帝王ゴアによって家ごと恐竜時代にタイムスリップし、玄関をあけたらジャングルだったマモルの家(「マグマ大使」第1回)と同様の事態に陥りそうである。時間は有り余るほどあるのだからDo it youselfでガーデニングをする気はやまほどあるのだが、今回のように大量に出る刈られた草木の処理が問題である。自治体のシルバーなんとかに頼むと安いが刈り取った草木は置きっぱなしにされる可能性がある。となると、普通の業者に頼んだ方がいいのだろうか……

奥地の家の話のついで。これまで一案として、一部屋を視聴覚室にして、そこに図書館にあるような書棚をだーっと置いて、そこにDVD、ブルーレイをだだーっと並べることを検討していた。そんなところに、パナソニックがブルーレイ・レコーダーの生産を打ち切るとのニュースが舞い込んだ。ブルーレイは統一仕様のはずだが、A社製レコーダーで録画したものがB社製で再生できないってことがざらにある。私は、パナソニック製を愛用していたから、これは大事(おおごと)である。時代は配信動画だからそっちで見ろ、ということだろうか。たしかにNHKは「NHK+」の宣伝に余念がない。NHK+で見られるのは放送後1週間限りである。その前のヤツはNHKオンデマンドで見ろ、ということだろうか(10年前の録画を見ると、当時のNHKは、今のNHK+と同じ感じでNHKオンデマンドの宣伝をしていた)。だが、私のような「マイナー分野好き」が見たい映像は、自分で録ったもの以外はどの方法をもってしても見ることができない。果たして、私が20年以上かけて録りだめたDVD、ブルーレイはゴミとなってしまうのか。その間の私の人生は否定されてしまうのか。だが、考えてみれば、20年は私のこれまでの人生のたかだか3分の1である。だったらいいか、捨てても。ここにきて、急遽代替案が浮上。わが家では紙の本が復活しそうな気配である(昨夜のネタ)。なら、奥地の家の一部屋を視聴覚室ではなく図書室にしようか。すると、やはり、図書館にあるような書棚をだーっと置くことになる。

因みに、音楽ソフトは、MD等が廃れて大昔のレコード、テープが根強く生き残っている。本も紙の本が残っている。だが、家庭用の映像記録装置となると、スタートのベータ、VHSからしてなくなっている。その前は、8mmフィルム(8mmビデオではない)があったが、これを持ってたのは一握りの人々にすぎない。8mmフィルムでその幼少期の姿を見ることが出来る人はセレブの証しである。


紙の本

2024-06-28 17:35:41 | 日記

「ソフィーの世界」をダウンロードした。これでも、高校生のときは、教科書に出てくる哲学書は一通り読んだ。分かったつもりでいたが、今思うと1%も分かってないと思うので、読み返してみたい、と思っていたタイミングであった。今回ダウンロードしたきっかけは、朝ドラが終わった後も流れでテレビを見てる人にはバレバレだろう。そう、あさイチで紹介してたからである。高知なすを買うのも、「ソフィーの世界」をポチるのもあさイチの影響である。

こんな具合に、最近の読書のほとんどは電子書籍のキンドルで。いくら購入しても部屋は埋まらないし、どこにいてもすぐ読みたい本を読める。そもそもタダの本が多い(いくら著作権が切れていても、紙の本でタダで売ってるモノはないだろう)。だが、一つ気に入らないことがある。ところどころに傍線が引いてあって「何人がハイライト」との表示が出ている。つまり、多くの人が重要箇所だと言ってるとご丁寧にも教えてくれてるのである。だから心して読め!と言うことだろうか。大きなお世話である。だいたい、外国企業はお節介が過ぎる。フェイスブックも、むやみに「お友達に声をかけよう」とか奨めてくる。読んで良かったと思う箇所は自分で決めるし、お友達へのご挨拶だって自分で決める。「お友達」と言えば、バスの車内宣伝放送で、「1歳2歳のお友達、○○幼稚園に入りましょう!」と言っているのだが、幼稚園に入る前からなぜ「お友達」なのだろう、と奇異に感じるひねくれ者で友達のいないワタクシである。

そう言いながら読書生活をキンドルに頼り切っているワタクシだが、こんだけ依存してて、万が一、アマゾンがキンドルから撤退したら、これまでポチったヤツは一切読めなくなる。そんなことがあるものか……いや、つい最近、中国で、キンドルが撤退したそうだ。企業の逃げ足は速い。なんと、パナソニックはブルーレイ・レコーダーの生産を打ち切ったそうな(これは私にとって大事件である。回を改めて書くつもりである)。やはり、読書で最後に頼りになるのは紙の本なのだろうか。デジタル依存は見直した方が良いのだろうか。

だからってわけではないのだが、実は、わが家の本棚の紙媒体もちょこちょこ増えている。例えば、最近買った紙の本はこんな具合である。

こう見ると、最近の私の趣味がよく現れている。山座同定には大きな紙の地図をだーっと広げて定規をあてたいし、凸凹の地形の把握は印刷した地形図で見たい。草木の事典に関しては、私のキンドル端末は白黒だから、カラー印刷の紙の事典の敵ではない。実は、もう一つ紙の本が増える理由がある。奥地に行くときの乗換駅で30分電車が来ないのはざら。そうしたとき、構内にある本屋さんに自然と足が向く。しかも、場所柄、「山歩き」「田舎生活」系の本が、都市部よりもずっと充実している。だからポチる……いやネットではないからポチらない、現物を購入するのである。

わが家の紙の本の絶滅を防ぐかもしれない事象はまだある。わが家には前の仕事の関係で法律の本(紙の本)が腐るほどあったがだいぶ処分した。残したのは偉い先生の書いた所謂学者本である。それも開くことはないと思いダンボールに詰めた矢先に、また読みたくなり、ダンボールから復活と相成った。朝ドラの寅子のせいである。また、資格試験用のレジュメでも書いてみようかしらん。もう人を教えることはないから、誰のためということではなく自分のために。ところで、「偉い先生」の多くは過去の人である。だから、大先生が書いた本は、大概法改正で今では通用しなくなっている。そういう過去の遺物を残して現在通用する法律本を処分してるのがワタクシである。変だなー、と思う今日この頃である。

因みに、法律が改正で通用しなくなるってあたりは芸術と異なるところである。例えば音楽で五度の和音が綺麗なのは自然の摂理であり、お上(おかみ)に綺麗だと思えと言われたから綺麗なわけではない。お上が「これからは五度よりも二度に感動しなさい」と命じても無理な相談である(二度でぶつかるのが好きな人もいるが)。そこへいくと、法律はあくまでも「人の作ったもの」だから、人の手による改正で中身が変わりうるのである。ただし、法律の上位にある憲法となると話は違う。憲法が拠って立つ人権思想は近代以降普遍的である。


茨田リツ子/高知なす

2024-06-27 08:43:21 | 音楽

民法の「直系血族及び同居の親族は互いに扶け合わなければならない」という条文は、もちろんかつて法律職の末席を汚していたから知ってはいたが、今日の朝ドラでウメ子が「こんな当たり前なことを条文に書いて、姑を嫁におしつけようとする」と言ったのには思わずうなってしまった。そうか、そういう見方もあるのか。ウメ子の発言は、直接的には、姑の面倒はあなたたち(ウメ子の子=姑の孫=直系血族)で見なさいね、あたしは知りません、って意味のようだが、私は、もう少しひねくれていて、「私(嫁)は姑の直系血族ではない。家を出れば同居の親族でもない。だから姑の面倒は見ません」と言ってると思った。いやいや、法律ものと聞いて当初冷ややかに見ていたが、なかなか奥の深いドラマである。前作の「茨田リツ子」が同役で引き続き登場したのも、大サーヴィスであった。

そんな朝ドラを見て、ながれでテレビをつけてる人なら、私が、昨日、スーパーに行って高知ナスを探した理由が分かるだろう。「スーパーに大概ある」と言っても、そりゃ綾瀬駅前のスーパーにはあるかもしれないが、そこから徒歩50分の「23区の奥地」のスーパーにあるとは限らない。だが、あった。

米ナスも、長ナスも、もちろん普通のナスも売っていた。しかも、高知なすは1袋99円、米なすは1個79円である。最近、野菜は見切り品コーナーでしか見てなかったので気付かなかったが、今、ナスは旬真っ盛りなのだな。

「あさイチ」を見てなかった人のために一応解説すると、ナスは、血圧を下げる成分が他の野菜の1000倍(!)入っているという。さらに、高知ナスは、その成分が普通のナスの3倍(=他の野菜の3000倍)入っているという。パックにも「高めの血圧(拡張期血圧)が気になる方へ」という表示がある。科学的裏付けがあるのでこういう表示が許されるそうだ。下がったとは言え、血圧の上が正常値の上限プラスαあたりでうろうろしている私だから、さっそくこれに飛びついた次第である。

売り場には「高知なす」の他に「高知産なす」もあった。後者は普通のなすである。

で、夜、早速、天ぷらにして食べた。

美味であった。普段は捨ててしまうガクの部分も食べられると聞いて、天ぷらなら尚更いけるだろうと思って使ってみた。いけた。

ナスは、これまで栄養価に乏しい食材とされていたというが、あの紫色からしてポリフェノールを含んでることは容易に想像できる。ナスが含むナスニンという成分はポリフェノールの一種だそうだ。

ナスは、これまで印象の薄い食材だったそうで、子どもの好きな野菜ランキングにも嫌いな野菜ランキングにも入ってこなかったそうだ。私はパスタに和えてときどき食べていた。美味だが、オリーブオイルを吸い過ぎて、茹で上がったパスタと和えるときにはオイルが無くなっていて足さなければいけないことがままあった。昨日の番組ではその対策としてナスに塩をまぶせばいい、と言っていたが、塩はダメじゃん、血圧に。


アジサイ(リトマス試験紙と逆)/ご近所付き合い

2024-06-26 15:36:25 | 園芸

アジサイは、酸性土壌だと青色に、アルカリ性土壌だと赤色になると言うが(リトマス試験紙と逆)、「猫の額」(奥地の家の庭)のアジサイは、

薄い赤(ピンク)と薄い青(水色)が混じり合ってるから土壌は中性なのかしらん。なお、(普通の)アジサイの花のように見える部分はホントの花ではなく装飾花で、5枚で1セットの装飾花の中央部に小さな真花がある。これがガクアジサイになると、装飾花の群れと真花の群れが水と油のように分離し、装飾花は額縁のように外側に集まり真花は内側に集まっている。さらに、ホンアジサイ(ガクアジサイの園芸品種)はもはや装飾花だけで真花がない。花がなければ種もつかないから、もっぱら挿し木や株分けで増えるそうだ。アジサイに関する以上の知識は、つい最近仕入れたばかりの園芸初等科1年D組のワタクシである。「猫の額」のアジサイはどうかというと、あれえ?装飾花1セットごとに小さな真花がある点はノーマルだが、1セットの装飾花の花弁数がどうみても4枚である。ググると、そういうのもあるそうである。なお、真花を拡大すると雌しべと雄しべが見える。真花は装飾花の色に関わらず水色である。

今後、粛正の嵐が吹き荒れるかもしれない「猫の額」だが、このアジサイは、サザンカや梅と共に「Aグループ」(抜かずに残す草木)に入れるつもりである。

園芸関係の話をもう一つ。ポチってから届くまでうーんと時間がかかったと書いたフルーツピッカーがこれ。

先端の歯で実をひっかけて網に落とすという代物。柄は2メートルまで伸びる(商品によっては4メートルまで伸びる)。間に合ってれば使えただろう。完熟梅をゲットできただろう。だが商品到着までの2週間で完熟梅はすべて落下してダメになってしまった。時既に遅し。仕方がないので来年のためにポチったと思っている。そう考えれば早すぎる到着である。因みに、梅干しを漬ける気まんまんで食品用アルコール(消毒用)まで買ってあったので、とりあえず今年はスーパーで完熟梅を買ってそれを漬けるか、と思ってスーパーに行ったら、こちらも時既に遅し。季節を過ぎたものと見え、もはや売ってなかった。今年は先に青梅で漬けた梅酒の健やかな生育を祈るのみである。

前回奥地に行ったときは、お向かいのご亭主の要請で垣根の剪定をした。その際、ご亭主の言われた「私道はみんなで管理する」という言葉が私に刺さった。そうだ、この道路は住民の共有なのだから、自分たちできれいにしなければいけないのだな、お役所がやってくれるわけではないのだな、と思い、今回は、誰に言われることもなく家の前の道路の雑草抜きに精を出してたら、件のお向かいのお宅のご夫婦が車(俥(人力車)ではない)でどこかから帰ってきて、ご亭主が「暑い中大変だね(この日は猛暑であった)。そう言えば、この間刈った草木はどうしたの?え?持って帰ってる?そこに置いといてくれればゴミの日に捨ててあげるよ」とご親切(同様のことは、お隣のご亭主からも言われた)。奥様からも「すっきりしましたね」とお声がかかる。周りがいい人ばかりでよかった(周りの方々も、いい人が来てよかった、と思ってるはずである(自分でよく言うよ(と読者に代わって言う)))。てなわけで、ご近所付き合いは好調である。思えば、こんな風にご近所としゃべくるってマンション住まいでは絶えてなかったことである。

それでも、4時間の庭仕事の後はかなりの疲労感である。別に長距離を歩いたわけでも、高い山を登ったわけでもないが、こういう作業も馬鹿にしてはいけない。結構な労働である。「結構」とは、「量が多い」のほか、文字通り「良い」の意味もある。より健康になった気のするワタクシである。ただし、熱中症に対しては油断は禁物。あの健康そうな所ジョージさんも罹ったと言うし。


こらぁ

2024-06-25 07:20:19 | 言葉

上野公園は台地の上にあり上野駅はその台地の下(谷)にある。この台地は、大きく言えば武蔵野台地で、細かく言えば上野台地である(武蔵野台地は川によっていくつかの小台地に分断されている。上野台地は武蔵野台地の東端で、西隣は本郷台地である)。上野台地を体感できるのは上野駅の不忍池口の改札を出た辺り。目の前に崖があってその崖に張り付くようにビルが建っていて、1階から入って上階に出ると公園で(まるで屋上階)、そこに西郷さんがおわすのだが、その崖こそが上野台地のヘリである。昔はそのビルに「じゅらく」というレストランがあって、そこでよく生ビールを飲んだものである。ふと思ったのだが、「台東区」は台地の東にある故のネーミングだろうか。「上野」は文字通り台地の「上」にある「野」ということだろう。

話はがらっと変わる(が、あとで奇跡的につながる)。ウチの猫は泥棒猫である。例えば、こんな具合である。

私の昼食を狙うケメ子である。爪立ちをしている。猫族はそのうち二足歩行になるのではないか。もう少し見ていれば、そのうち手が出てくるが、その手でご飯に触られちゃうと困るので、ここらで「こらぁ」と言って諦めさせる。この「こら」についてはチコちゃんで解説していたが、もとは薩摩弁で、「ねぇ」「ちょっと」と言う呼びかけだったのが、明治維新の際、全国に警官として派遣された薩摩隼人が不審者に呼びかけるとき「こら」と言っていたら、それが怖かったので、「こら」が叱責の言葉になったそうである(薩摩と言えば西郷さん。ここで上野台地と話がつながったのである)。

ってことは、警官として全国に派遣されたのが他の地域の人だったら、今、猫を追っ払うとき「こらぁ」とは言わなかったことになる。だが、呼びかけの言葉がすべて叱責の言葉に適当とは限らない。叱責の言葉になるためには「おっかなさ」を伴ってなければならない。特に「ねぇ」は、熊本では「Yes」の意味になるらしいから(漱石の「二百十一日」にそう思わせる記述があることは最近書いた)、熊本では叱責の言葉になりようがないだろう。ウチの猫達も、「ねぇ」では悪さをやめそうもない。


流浪の民

2024-06-24 09:17:05 | 音楽

まひるが家に戻ってみると、下女が男を作っていた(大河ドラマ)。下女曰くその男は「なんでも言うことを聞く」。そういう男が好きな女性は確実にいるし、女に「なんでも命令されたい」と思ってる男も確実にいる。天の配剤である。

新しい民法では相続分は妻が3分の1で残りを子どもが分け合うと言っていたが(朝ドラ)、それは古い新民法の話で、現在の民法では妻が2分の1で残りを子どもが分け合う。今朝の放送で、確実に間違った知識が広がるのを憂えるワタクシである。では、残りは横野好夫君に書いてもらいます。

横野です。シューマンの「流浪の民」についての想い出は高校のときに遡ります。私が所属していた吹奏楽部と、音楽部という名の合唱部はともに音楽室を拠点にしていました(東京ドームを巨人と日本ハムが共用していたごとし。因みに、この括弧内、初稿では「東京ドーム」は「後楽園球場」で、「日本ハム」は「東映フライヤーズ」でした)。で、昼休みにはどっちの部員も音楽室に集まってくるのだけど、棲み分けができていて、音楽部はピアノの周りに集まって歌を歌い、吹奏楽部はちょっと離れた場所に陣取ってその歌を聴いておりました。で、音楽部がよく歌っていたのが「流浪の民」。

特に、途中で、ソプラノ→アルト→テナー→バスと順繰りにソロを歌う場面があって、

ここが一番記憶に残っています。最後のバスのソロを歌った人が、これみよがしに太く張った声を出すと、音楽部員の中におおー!という仲間内自賛の歓声が湧き上がったものでございます。

その後、大学で私は合唱に転じたのだけど、そこが古楽専門だったから、とうとうこれまでこの歌を歌ったことはなく、聴いたのも高校の音楽部の歌が最後でした。

ところが。それからきっちり半世紀後の今、所属しているA合唱団がシューマンのミサ等を歌ってるので、ついでに「流浪の民」を歌うことになりました。半世紀前に毎昼聞かされていたあの曲をいよいよ自分で歌うことになるとは!と感無量のワタクシなのでございます。

ところで、高校のとき聴いていたのは日本語訳。今回はドイツ語の原詩。それ故に初めて知ったことが多数あって、まずタイトルの「流浪の民」。私、戦争等で家を失ったりして、不本意に放浪する人々をイメージしてたんだけど、「Zigeunerleben」と言ったら「ロマの生活」じゃないですか。ロマなら移動するのは当たり前。さらに、歌詞には「ナイル川」(Nil)や「Spaniengarten」(スペインの庭)が出てくるんだけど、ロマは、ヨーロッパ人の認識では、「エジプトで生まれてスペインを通ってヨーロッパに入ってきた人」だから符合してます。

因みに、「ロマ」は昔は「○○○ー」と言われていたが、今日では世界的に差別用語とされていて、日本では放送禁止用語にもなっているそうな。それでいて、ヨハン・シュトラウスの喜歌劇の「○○○ー男爵」はそのままの表記がまかり通ってるってことは、前後になんかの言葉が付けばよいのだろうか。ドイツ語の「Zigeuner」も、やはり差別用語には違いないけど、どこまでダメなのかは明らかでない。ググってみると、ドイツ人も「Darf man "Zigeuner" sagen?」(「Zigeuner」って言っていいの?)なんて質問投稿をしてて、それに対する答えが「微妙」だったりしてなかなか微妙なようです。そう言えば、サラサーテの「チゴイネルワイゼン」ってヴァイオリン曲があるけど、あれを「○○○ーの曲」って直訳してたら、今頃「言っていいの?」って疑問が起きるところだった。そのまま「チゴイネルワイゼン」で輸入したことが結果的によござんした。

因みに、「チゴイネルワイゼン」と言えば、私の大昔の宴会芸でございました。すなわち、この曲の冒頭をヴァイオリンで弾き始めるのだけど、

赤で囲った超速の部分を口三味線で歌って、その後からヴァイオリンに戻る、という芸です。なかなかウケたものでございます、はい。


ムシュロ(奥地日記Vol.?)/ゲットバックの「another man」

2024-06-23 13:59:54 | 言葉

奥地の家の生け垣を刈り込んだはいいが、刈り込んだ枝葉の量は膨大。これを、小分けしてビニール袋に詰め、それをリュックに入れて現住所に持って帰らなければならない。とりあえず、刈り込んだ当日は道に積もったヤツをかき集めて道具入れに詰め込み、次に行ったときから袋詰め作業を始めたのだが、これがなかなか大変。切り取ったままだと長い枝がビニール袋を突き破るから、園芸ばさみ又はノコギリで小さくし、それから袋に詰めるのだが、4時間やってこれだけ。

まだ同量以上が残っている。全部の袋詰めが終わるまで多分あと二日。その後、一袋ずつリュックに入れて持ち帰り、現住所で燃えるゴミに出す。多分、全部終わるまで半年はかかるだろう。車があれば運搬は一日でできる。あるいは、私がペーパードライバーでなければレンタカーを借りて、やはり一日でできる。なお、あればよいのは車であって俥ではない……ん、まてよ。リアカーでもあればやはり一日で終わるよな。いや、積載がいっぺんにできても一日では返ってこられない。どこかの「宿」(しゅく)で一泊か二泊しなければなるまい。

フルーツピッカーはようやく今日になって届いた。来年の収獲を基準とすれば、ものすごく「素早い対応」である。

ところで、奥地の駅前の中華にはこのところ行ってなかったのだが、今回、行き(昼頃)に店先で給仕担当の中国人女性(シェフの奥さんなのか店員さんなのかは不明。一応「マダム」と言っておく)とぱったり会って、私のことをちゃんと覚えていて、「おねーさん、お久しぶり」と声をかけられてしまったからには夕方行かないわけにはいくまいて。四時間の作業で喉がカラカラで一刻も早くビールを飲みたいところでもある。ということで、帰りに寄って、ムースーロー(キクラゲと豚肉の玉子炒め)と生ビールを注文。カラカラの喉はビールを瞬時に吸い込みいつもなら紹興酒となるところだが、今回は梅酒サワーを注文。

私がお店でサワーを注文するのは多分人生初である。サワーってアルコールを水で薄めているイメージがあって、味もアルコールも薄くて「損」な感じがして敬遠していたのだが、ここんとこ自宅ではサワーづいていたので試してみたのである。旨いし爽やかであった。

因みに、マダムに注文するとき「ムース↓ーロー」と言ったら、そこからマダムの中国語講座が始まった。
マダム「中国語ではムシュ↑ロって言う」
私「ムースーロー」
マダム「違う、ムシュ↑ロ」
私「ムシュ↑ロ」
マダム「そう!」ってな感じである。

後日、この話を他の人にしたら、中国は国土が広いからいろんな発音がある、と言っていた。そりゃそうだろう。国土の狭い日本だって発音はいろいろである。例えば、「あまちゃん」で流行語になった「じぇじぇ」は、ちょっと地域を違えると「じょじょ」になる。因みに、「じょじょ」で思い出すのはビートルズの「ゲットバック」。「JOJO」って人がああしたこうしたって歌である。因みの因みに、その「ゲットバック」で曲中、リコーダーの音が一瞬「ぴっ」って入る気がする。それから、歌詞の2番では「スイート・ロレッタ」の話になり、このロレッタは自分のことを「woman」だと思っていたが、ホントは「another man」だった、というのだが、要するに「おほほ」だってことだろうか。もしそうなら、横野好夫君は、歌においては「another man」である。


肝臓と糖尿病の話

2024-06-22 06:46:51 | 健康

健康診断の結果を聞きに行った。明らかに高いのは尿酸値。痛風が出るかも、と言われた。もう何度か出てる(そういや、最近は出てない)。あと、血圧とコレステロールは高めだが薬を飲むほどではない。その他、心臓、肝臓、腎臓は正常。糖尿病の心配はないと。いっときむやみに高かった血圧が今は下がってることは自覚していた(既述)。

実は、今回、一番診てもらいたかったのは肝臓の数値。半世紀弱に及ぶ暴飲の果ての今、肝臓が無傷とは思えない。ときどきやらかすのは肝臓が悲鳴をあげてるから?だが正常。丈夫なレバーを与えてくれた親に感謝である。ときどきやらかしたのは、どうやら、ある一定のsituationに関係しているらしい。最近は、そのsituationに陥ることがないからやらかすこともなくなった。肝臓のせいでなかったことの証しである。この歳で大丈夫なら、短い老い先から考えて、悪くなることはないだろう。

もう一つ、確認したかったのは糖尿病についてである。話は10代の頃に遡る。高校で尿検査をした際、尿から糖が出て糖尿病検査に行った。最初に行ったときは、甘い水を大量に飲むのだが、それが生暖かくて往生した。次に検査に行ったときは(なにしろ毎年ひっかかるので)、炭酸水になっていてたいそう飲みやすくなっていた。そのいずれの検査においても、血糖は高くない、逆に低いくらい、だから糖尿病ではない、だが、糖尿病予備軍だと言われた。だから、自分は将来糖尿病になるものと決めていた。糖尿病は遺伝の要素がある、と言うが、父がまさにホントの糖尿病と診断されていたから余計にその感が強まった。

ところがでござる。年月を経て40代になって受けた人間ドックでは、尿酸とかについてはダメだしを喰らったが、糖尿病については今後心配はない、しかも「大したものだ」とのお墨付きまでいただいた。これまでのいきさつからわが耳を疑った私であった。

それから更に20年が経った。この間、健康診断を受けずにきた。20年の月日(つきひ)は長い。お墨付きをもらった糖尿病もこれだけ不摂生をしてれば発症しているかもしれない、いや、してるに違いないと思い、受診することにした(無料の受信券で。区様々である)。まず眼科検診。糖尿病からくる網膜症は「ない」。そして今回、糖尿病自体も「ない」。血糖値が正常値であるほか、尿糖すら「なし」であった。20年前の「大したものだ」は本当であった。この歳で大丈夫なら、短い老い先から考えて、発症することはないだろう。

因みに、「ホントの」糖尿病であった(はずの)父は、日本酒はダメと言われたので晩酌は糖分の少ないウィスキーに切り替えていた。すると、今の私くらいの歳の頃だったろうか、糖尿病がなくなっている、との診断を受けた。それこそ信じられない話だった。糖尿病は治らないと聞いていたから。だが、最近、糖尿病も治ることがあるって話をちょくちょく聞くようになり、すると、父もホントに治っていたのか、と思う今日この頃である。


杏疑惑(奥地日記Vol.?)

2024-06-21 09:28:51 | 園芸

奥地の家の梅のことだが、梅酒にしたのは青い実(青梅)。刈り取らずに残した枝の上の方のヤツらがこぞって黄色くなったから、これをゲットして梅干しにしようと思い、「フルーツピッカー」とやらをポチったが、まだ来ない。いい加減腐るぞと思い、「フルーツピッカー」なしで収獲しようと出かけてみると、な、なんと、「一粒残らず」落ちてダメになっている。

一週間の遅れは致命的であった。このあと、「フルーツピッカー」は届くのだろうか。まあ、(もし届いたのなら)来年用として受け取ろうとは思う。

ところで、この「梅」について、売主さんが「杏(あんず)だと思ってた」との情報が入る。えー?最初、早咲き桜だと思って、次に青い実を見て梅だと思ったのに、ここでまた杏に訂正しなきゃいけないの?だが、花は2月に咲いていた。2月に花が咲くのは梅で、杏は3月だという。なによりも、有力な反証はこれ。

葉っぱの先が尖ってる。これは梅である。だから、私の中では杏疑惑は否定された。このあいだブランデーに漬けたヤツは杏酒ではなく、当初の思惑通り梅酒である、と信じている(信じる者は救われる)。

ところで、落ちた梅を拾っていたら誰やら近寄って来た。多分、向かいのウチのご亭主である。頼みがあるという。ウチの生け垣が道路にはみ出てるので、刈ってくれ、ということである。来るべくして来た。たしかにはみ出ている。帝国大学の樹の葉っぱはキャンパスの外の歩道を飛び越して車道にまで大きくはみ出てるが(下の写真)、

それが許されるのは帝国大学だからである。庶民の生け垣がはみ出ていてはいけない。こういう場合に備えて、枝切りバサミもノコギリも用意してある。だからご亭主に「分かりました!今日、これから伐採します!」と言うと、ご亭主は「い、いや、今日じゃなくても。一人で大変なら市のシルバーなんとかがあるから」と言うが、どうせ、完熟梅をとる作業がぽしゃったところ。私にはDo it yourselfが相応しい。ということで、この日は垣根を刈り込むガーディナーに急遽変身である。で、こんなだったのが(うん、たしかに伸びすぎ。帝国大学ほどではないが)、

4時間の作業でこうなった。

私が床屋さんに行ったときのビフォー・アフターと似ている。刈った後のすっきり感も同じ。同じと言えば、父も生前垣根の苅込をやってたな、反発してたけど同じことをやってるなと感慨深めのワタクシである。刈ってる最中に、今度はお隣のご亭主がやってきて、いろいろアドバイスをくれる。亡き父のときもそうだったが、垣根作業は社交場である。

刈ってて分かったのだが、生け垣の樹が古くて育ちすぎてしまってて、フェンスから出ている部分が葉っぱでなくて太い枝だから、チョキチョキ刈るでは足りず、ノコギリでギコギコやらないとダメ(髪の毛をハサミでチョキチョキでは足りず、毛根のあたりからバリカンでバリバリやらなければダメ……という感じ)。こうなったら、サザンカと梅だけ残して、後は全部「元から絶」って(引っこ抜いて)、床屋の例えで言えば坊主にして、空いたところにピザ窯を置こうか、と思う昨日今日である。

因みに「杏」は人の名前だと「あん」だが、果樹になると「あんず」と読むことを初めて知った今日この頃である。


地下鉄銀座線渋谷駅が地上にある件/外濠(まとめ)

2024-06-20 09:23:52 | 地理

昨年、ギャラクシー賞を受賞したタモリさんが受賞式で「渋谷の坂」について一言求められて仰ったのが地下鉄銀座線渋谷駅が「空中」にある件。学生で東京に出てきたとき「地下鉄銀座線に乗ろうと思ったら地下に地下鉄の乗り場がない。ふと見たら空中を地下鉄が走ってる。青山通りの地下を走ってたのが渋谷という谷にさしかかると空中になる。そんな起伏に富んだ東京が素晴らしいと思って坂道に興味を持った」とのこと。こういう場でいきなりふられても、ひょいと含蓄が飛び出すあたりはさすがである。因みに、地下鉄丸の内線が御茶ノ水の聖橋の下でいきなり顔を出すのも、本郷台地の下を走っていたのが神田川の谷に出ていきなり「天井」がなくなるからである。

今、渋谷は大改造中。いろいろ激変してるそうだが(まだ全く見てない)、銀座線の駅は相変わらず地上にあるそうだ(位置はちょっとずれたそうだが)。

タモリさんが東京の坂に興味をもたれたのは学生として東京に出てこられたときだったとしても、それ以前から地理・地学に興味をお持ちだったのだと思う。なぜなら、ブラタモリで仰ってたのだが、郷里にいらしたとき群馬の沼田の河岸段丘のことを知って、東京に出てきたとき真っ先に沼田に行かれたというからである。沼田は、私も尾瀬に行ったとき通ったが、河岸段丘はたしかにすさまじかった。

その受賞式で、仕事の上で最も記憶に残っていることを聞かれて、「いいとも」で作家の有吉佐和子さんの番組ジャック(最後までゲスト席に居座ってしゃべり続けた)を挙げていた。ただし、そこでちょっと気になる一言があった。その後、黒柳徹子さんも同じ事をした、と言うのである。はて(これは「さて」ではなく「はて」でよい)、私の記憶とは異なる。私の記憶では、最初に番組ジャックをしたのは黒柳さんである。有吉佐和子さんが、自らの番組ジャック中に、過去の黒柳さんの件を持ち出していて、「あ、意識してるんだなぁ」と思った記憶が傍証である(ただし、私の記憶の証拠能力は極めて低い)。だが、更に思い出してみると、黒柳さんはもう一度いいともに出て、一回目ほどでないにしろ、やはりかなり長時間ゲスト席におられた(それが期待されてもいた)。タモリさんがそっちを言ってるのなら、たしかに「その後」である。

さて(今度は「はて」でなく「さて」でよい)、ブラタモリ(と漱石)の影響で、随分東京を歩いた。まだまだ歩く場所は山ほどあるが、外濠についてはだいぶ勉強したので、ここいらで、お勉強の成果を図にして表してみた(先生から言われたわけでもないのに、こんなことをするのは大した物好きである。いや、言われないから喜んでやるのである)。

つまり、日本橋川の雉子橋から時計回りに、外濠川、汐留川、溜池、西側の外濠、神田川と「のの字」に描いたものが外濠である。このうちまだ歩いてないのは、御茶ノ水から浅草橋と、雉子橋から新橋のルートである。当然、歩くつもりである。


15年前のブラタモリ(本郷台地)

2024-06-19 12:01:58 | 地理

話を神田橋に戻す。そこから銭湯に行き、銭湯から大手町に戻るのは芸がないから御茶ノ水方面を目指して歩いてたら、目の前で中央線と総武線が交叉。

聖橋から遠くに見えた緑の鉄道橋が目の前。そこを総武線が走り、少し手前の低い鉄道橋を中央線が走る。御茶ノ水駅を出た辺り(この写真のちょっと左手)で両線は分岐し、総武線は秋葉原を、中央線は神田を目指すのである。因みに、鉄道橋の下は昌平橋。大谷翔平の「しょうへい」と字が違う。ファンの方にはお気の毒である。

はて、ではなく、さて、ちょっと目を左に転じるとかなりの勾配の坂がある。

この坂の上が本郷台地の突端である。私は今、突端の際(きわ)の下にいるのである。江戸幕府は、開幕後すぐに日比谷の入江(現在の日比谷公園)の埋立にかかった。その埋立に使ったのがこの台地から切り出した土砂である。

そう言えば、放送開始直後のブラタモリで本郷台地を扱った回があったと聞く。録画があるか?パソコンのリストを検索。あった!15年前の第8回である。早速視聴。番組に入る前にちらっと映っていたニュース映像に表示されたドル円相場が87円台!アシスタントが久保田アナウンサー。ナレーションが草彅剛でなく戸田恵子。エンディングの歌は井上陽水だけど曲が違う等々、すべてにおいて「今は昔」である。当時、タモリさんのお歳は現在の私とだいたい同じ。「にもかかわらず」と言うべきか、「だから」と言うべきか、とってもお若い。

その本郷の回で、本郷台地の南端を深く削っている神田川の流れが自然の流れではなく、人工的に掘削されてできた流れだと言っていた。そうなのだ。元の川は南下して江戸城の近くを流れていたのを、江戸幕府が治水事業の一環として台地を掘削して向きを東向きに変えたのだった。で、元の川筋が(昨日ネタにした)現在の日本橋川になったのだった。「川の向きを東に変える」と言えば利根川もそう。あちらは東京湾に注いでいたものを銚子沖の太平洋に注ぐように付け替えたのだった。

びっくりしたのは、「弥生土器」のネーミング。が最初に発掘されたのが本郷台地上の文京区弥生という地であったからだという。縄文時代の次が弥生時代と呼ばれているのも、基をたどれば文京区弥生にたどり着くわけだ。なんでも、台地の際(きわ)は当時の一等地で人がたくさん(と言っても現在とは桁が違うが)住んでいたのだという。

「際」と言えば、タモリさんが、「(台地の)際を歩くのいい。なんでも際がいい。人間も服と肌の際がいい」と言ったのに対して久保田アナの「脱いじゃうとダメ?」などという切り返しはまったくNHKのアナウンサー離れしている。タモリさんはその後何人かのアナウンサーとコンビを組んだが、今見ると久保田アナとの掛け合いはなかなかのものである。そんな久保田アナはご幼少のみぎり、鈴木雅明指揮BCJの演奏会で、マタイ受難曲の子どもの合唱を歌った経験があるそうだ。横野君に言わせると、これはすごいことなのだそうだ。


日本橋の上空に青空が戻る日

2024-06-18 17:46:14 | 地理

ということで、再び聖橋でカメラ小僧になった話である(「小僧」は本来は男の子を指すが○○小僧と言った場合は、老若男女を問わない)。相変わらず、カメラ小僧がたくさんいる。私と同様に、中央線と総武線と丸の内線が同じ位置で交叉する様子を撮りたいのだろう。私が現地に着いたときが絶好のチャンスだったがカメラが間に合わなかった。その後、30分間くらいねばって一番惜しかったのがコレ。

総武線と丸の内線は上下で交叉している。だが、中央線は写ってはいるが、御茶ノ水駅に停車中で他の二線と交叉してない。もう少し早く出発してくれてれば目的を達成できたのに……残念である。

時計の針を少し戻そう。皇居を一周した後、大手町の近くの銭湯に向かう途中で神田橋とやらにぶちあたった。

その下を流れるのは日本橋川。私は、この「日本橋川」については、外堀のことを勉強してる途中でちらちらとその名が出てきたのにもかかわらず全く調査を怠ってきた。だが、こうやってその上を渡ることになったのも何かの縁。調べてみた。すると、この川の一部も外堀の役割を果たしていて、ご多分に漏れず、この神田橋にも門(見附)が設けられていた。いったいどこから流れてくるのかと思ったら、小石川橋のあたりで神田川から分岐してこっちに来てるのだという。そう言えば、前々回外堀沿いを半周した際、水道橋と飯田橋の間に小石川橋があった。そのとき撮った写真を見てみよう。

おお!ホントだ!分岐して線路の下をくぐってる。これが日本橋川だったのだ!この流れは、その名の通り、日本橋の下を流れて(神田川と同じく)隅田川に注ぐ。だが、ほとんど、その上に首都高が通っていて、空を眺めることができるのはわずか隅田川に注ぐ直前の500メートルに過ぎないそうだ。日本橋の上空も例外ではない。これが極めて景観を害するから、なんとか首都高をどかすことはできないのか?って話は昔からあったが、夢物語であった。都知事候補が「どかす」と言っても誰も本気にしなかった。ところが、なんとその夢物語が実現する運びになった。どっちみち首都高が老朽化したので作り直さなければならない、なら地下化しちゃおう、ということになったそうだ。地下化されるのは神田橋から江戸橋の間。その間に日本橋がある。地下が開通してから上部の撤去を始めて、完了するのが2040年とのこと。よし、それまで生きるぞ。がんばって、この目で見届けるぞ。