拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

義弟、プラスワン、兄妹(曲当てクイズその3。イントロ当てクイズ三連発)

2021-03-31 11:53:09 | 音楽

昨日のお題のウルトラマンの主題歌の歌詞は結構不思議である。♪むねーえに、つけーてる……はいはい、ウルトラマンの胸に付いてるカラータイマーね。ところが……♪まーあくはりゅうせい……え?マークは流星?ウルトラマンのどこに流星マークが付いてたっけ(馬じゃあるまいし)。しかも……♪じまーんの、じぇえーっとで、てーきををうーつー……ウルトラマンの必殺技にジェットなんとかってあったっけ。マグマ大使にはあるけど(♪ジェット気流だ新兵器)。そうか、半世紀たって分かった真実。ここまでは、ウルトラマンではなくて、ウルトラマンとともに怪獣と戦う科学特捜隊のことだった!たしかに、隊員の胸には無線連絡ができる流星バッジが付いている(アラシ隊員が科学特捜隊をクビになりかけたとき、隊長からこのバッジを剥がされた)。敵を討つジェットとは、ジェット・ビーグル(飛行機)のことだ。で、この後の歌詞は、♪ひかりのくにからぼーくらのために……これはウルトラマンのことだ。つまり、この歌は、前後半で描写対象が入れ替わっていたのである。因みに、ウルトラマンは、光の国(M78星雲)から僕らのために地球に来たのではない。怪獣ベムラーを追って地球まで来てしまい、宇宙船(球体)が壊れて故郷に帰れなくなったのである。ということで、本日のお題。やはり曲あてクイズであるが、今回は、イントロ当てクイズ三連発である。いずれも私の大好きな曲であるが、並べてみると、昨日のお題から今日、そして、その三曲の間に見事な連関があって私はかなり悦である。その1。ヒント=義弟。兄弟と言っても血はつながってないということが昨日かなりコメントで寄せられた。つうか、3段目の素晴らしすぎるブラス・アンサンブルを見れば、ノーヒントでも楽勝の出題である。その2。ヒント=プラス・ワン。この曲の出だしのトランペットのエキセントリックな咆哮は驚異的。しかも、その後の歌と調性的なつながりがまったく感じられない。でも、名曲だと思う。その3。再び兄妹に戻る。この三拍子は、一昨日の「秘密のアッコちゃん」の感じで歌ってちょうだい。私は、この曲、というよりも、このイントロ部分が大好きだった。正解した方への特典は、やはりこのご時世だからKußはやめて、Umarmungにしよう。これは「抱擁」の意味だが、千一夜物語では、当然その後の一連の行為が全部含まれている。だが、このたびの「抱擁」に何をトッピングするかは正解者のお好み次第である。

父母は子だくさん(曲当てクイズその2)

2021-03-30 07:56:48 | 音楽

昨日の答合わせから。正解は「ラミパスラミパスルルルルルー」でした(チコちゃんならこう言うだろう)。前作のサリーちゃんと同じ、「東映魔女っ子シリーズ」の一つなのだそう。え?アッコちゃんて魔女?違うと思う。鏡の精からもらった(借りた)鏡は魔法の鏡だが、アッコちゃん自身は生身の女の子である。この点、操縦機で鉄人28号を操る金田正太郎君と同じである。では前作のサリーちゃんはどうか?「魔法使い」ということだが、これは「魔女」とは違うのか?因みに、ドイツ語では、「Hexe」=魔女=悪魔とちょめちょめをして妖術を獲得したもの、「Zauberin」=魔法使い=手品師や素晴らしい指揮をする人にも使うからより人間ぽい、という別がある。なお、「魔女」と言っても「魔男」とは言わない。「間男」と紛らわしいからだろう。ということで、曲当てクイズ第2段!今回の曲は、冒頭や合いの手に入る金管も良いが、なんと言ってもバス(エレキベース)の動きが大好き。全曲、バスに聞き惚れてしまう。まず、最初からシに♭が付いてるところがよい。これがずっと続くと思いきや、ある小節の、しかも四拍目に♭がとれてナチュラルになる。バッハのマタイの第1曲のバスがしばらく♪ミーミで、途中からシーシになって、これが永久に続くと思いきや、半音上がってドになるときと同様の驚天動地の衝撃である。昨日は簡単に正解されたから、今回はノーヒントと行きたいところだが、一応いくつかヒントを。その1。このヒーローは兄弟が多い(逆に言えば、父母は子だくさんである)。その兄弟達の多くは、寝返りをうつのが難しそうである(ひっかかりそうである)。その2。この番組(オリジナル)は当時大人気で、制作が追いつかなくて最終回を迎えたのだが、その間、主題歌の演奏に三つのヴァージョンがある。少年合唱だったり少年少女合唱だったり、途中に大人のコーラスが入ったり入らなかったり、そして「われら」のところ、「わーれら」と付点を付けたり付けなかったり。さあ、待ってるよん。今回も景品付き。Der,die erst richtig antwortet,würde ich tausendmal meine süssen Küsse geben!え?昨日と同じ?違う。昨日は「熱いキス」だったが今日は「甘いキス」である。昨日同様、この景品は放棄できるからね。放棄したら、もらう権利は2番目の人にいくからね!2番目の人が放棄したら3番目の人に行くからね!(以下同じ)

秘密(曲当てクイズその1)

2021-03-29 09:03:56 | 音楽
ことさら左様に私は主旋律のほか、対旋律、合いの手、バスを聴くのが大好きである。例えば、さんざ記事にした「花のワルツ」でもう一つ書くと、ヴァイオリンが「ソーレ、ソー♯レ、ソーミラッ」と弾くところ、バスが「♯ラ、シ、♮ド、♯ド」と半音ずつ上がっていくところなんざどきどきする。だから歌も伴奏を聴くのが好きだし、伴奏がきれいなんで好きになったアニソンもたくさんある。この曲もそのうちの一つ。さあ、クイズだ。これは、なんというアニメの主題歌の伴奏でしょうか?

ホントはト長調だが、ハ長調にしてある。なにせ、うん十年前の耳コピの記憶だから、ところどころ自分で作っちゃってるところもあるが、先ほどyoutubeで確認したところ「概ね」合っている。リメイクもあるんだなぁ。そっちだとだいぶ変わっちゃってる。あくまでも最初のオリジナルである。ヒント1。「魔法使いサリー」の後番組。2。タイトル。3。最後の三小節はそのまま。さあ、分かった人、申告してね。ご褒美があるよ♥ Der,die erst richtig antwortet,würde ich tausendmal meine heissen Küsse geben。あっ、みんな逃げた。大丈夫、ご褒美を受け取るのは権利であって義務ではないから放棄が可能。その場合は「最初に正解した」という栄誉だけを差し上げます。コロナ禍だから「千回の熱いキス」はまずいよねぇ……因みに、独文冒頭のDerはdieの三格。ってことは、ご褒美のキスがもらえるのは女性だけということになる。「いわれのないジェンダー差別だ」というご意見は甘んじて受け入れましょう。曲に戻る。子供時代の私、3段目からのヴァイオリンが大好きだった(原調は5度高いから、上のCから降りてくることになる)。ヴァイオリンを弾きたいと思ったのはそのせいかもしれない。ここの部分があんまりシックだから、原作がギャグ漫画と聞いてもまったくピンとこなかった。

ペッ子、盆子、宙子/花のワルツのフルート

2021-03-28 08:49:47 | 音楽
一昨日、T子という隠し子がいる話を書いたらFBのお友達がT子の正体についていろいろ推測してるんで、「告白しよう。T子とはトライアングルである、だったらあのケースにいったいいくつ入ってるんだ」とボケようと思っていたら、トライアングルはお友達が先に書いてしまった。タンバリン、テューバ、テナー(の男子)もいずれも先に書かれてしまった。客に先にオチを言われた落語家の気分である。さすがにテルミンまでは思いつかなかった(私のお友達は博学である)。これからは、金管のT子はサブ・ネームで呼ぼう。ペッ子(林家ではない)、盆子(孔子の弟子の孟子に字が似ている)、そして宙子である(星飛雄馬の親友は伴宙太である)。この中では盆子がいい。高校の吹奏楽部で友達から楽器を借りてすぐに「紺碧の空」を吹けた成功体験がある。お里の知れないものでよければ安く手に入る。でも、絶対、絶対やめとこう。金管を吹けるところがない。今度こそは絶対ぽちらないぞ(もう、ポチってオイメーと泣きたくない。因みに、こないだ勢いでポチってF子が来てからというもの、日夜、F子との格闘である)。F子と言えば、昨日、花のワルツのことを書いたら、フルートのお友達が、チャイコのフルートは大変なのに報われない、と嘆いておられた。何を仰います!花のワルツのフルートは最高ではないですか。メインのワルツのメロディーでこそないけれど、合いの手で入るフルートはクラリネットとともに最高の聞き所。ということで、昨日の続きの楽譜である。昨日終わったところよりちょっと先、ABAのAの二巡目、ホルンがあらためてワルツを吹くところから。

ね?ね?フルート、萌えるでしょ?クラリネットとの絡み方がとくにいい。どなかたの美女のフルートと私がクラで絡んだら、その場で「結婚してください!」と言うだろう。因みに、このあとB(中間部)に入って、またAのワルツが戻ってくると、今度は、Aんときクラリネットが吹いていた合いの手を弦がやるんですよ。恐るべし、チャイコフスキー。てなわけで、この数日、白鳥のグラン・パ・ドゥ・ドウーの映像を見まくっている。黒鳥の32連続フェッテはいつみても興奮する。最近、ダンスづいてる感じ。チコちゃんとオカムラのダンスも楽しいし。

黒鳥の湖

2021-03-27 13:16:50 | 音楽


A合唱団の練習帰り、月夜の桜を見る。一滴もアルコールが入っていないので、くっくり見える(?)。さて、いろんな楽器に手を出しているワタクシであるが、メインは?と聞かれたら、これはもうクラリネットである。そのクラリネットで特においしいと思っているのが「花のワルツ」(チャイコフスキーの「くるみ割り人形」から)である。ホルンの合間を縫うように動くクラリネットのパッセージが大好物である(楽譜(移調楽器もすべてin Cに書き直した)の3段目と5段目から始まるやつ)。


つうか、この曲は、どの楽器にとってもおいしさ満点ではないか?出だしはオーボエだし、その後のハープはたっぷり聞かせるし(楽譜では省略)、ワルツのメロディー本体を奏でるホルンや弦楽器は言わずもがな。そこに入る合いの手はクラリネットだけではない。フルートも大層魅惑的である。みんなに平等においしいところを割り当てて喧嘩にならないようにしたチャイコフスキーは偉い!そんなことを感じながらユーチューブで聞いてたら、曲が入れ替わって、「白鳥の湖」(組曲)になった。うん、こっちはかなりオーボエ優位だなぁ、と思っているうちに、演奏終了。え?グラン・パ・ドゥ・ドウーがないぞ。第3幕で、王子と黒鳥が交互に踊って最後は二人一緒に踊っておおいに盛り上がるところ。そのなかで、黒鳥の32回連続ターン(「フェッテ」というそうだ)がバレエの最大のみものになっている。私は、低弦のズンタズンタで始まるここの音楽がわくわくどきどきで大好きなのだが(脳に響く感じ)、組曲には入ってないようだ。純粋に音楽だけを聴く人には、「空虚な音楽」と思われているのだろうか。バレエを「観に行く人」との随分な認識の違いである。よし、私がブログで補おう(って、別に私が補わなくても、あるところにはいくらでもあるが)。


掲載した楽譜の最後のところが32回回り終えるところである。そこで大喝采が起きて、曲が中断し、プリマが拍手に応える。オペラで、ハイCが決まった後、そこで演奏が中断するような感じである。それにしても、「白鳥の湖」というけれど、この一番の見せ場で活躍するのは黒鳥である。白鳥と黒鳥を同じプリマが踊ることもあるそうだが、別の人が踊ることもある。プリマはどっちを踊るものなのだろうか。

隠し子

2021-03-26 09:38:10 | 音楽

ホントはサビーネになるはずだったワサビである。顎の白いところがチャームポイントである。

朝、目が覚めたらラックにケメ子が乗っていた。エアコンの風がくるのでケメ子の最近のお気に入りの場所である。



じゃあ、ワサビはどこだ?と振り返ってみたら、目の前にいた。それが一枚目の写真である。因みに、ワサビの左奥に立てかけてあるのが、ときどきネタにする「キッチンにたてかけて油でぎとぎとになっている電子ピアノ」の電子(デンコ)である。この際だ。私の娘の中で、普段あまり紹介しない面々をお披露目しよう。リ子三姉妹である。お里の知れない娘が多い中で(我が家の話)、彼女らはヤマハ製だ。たまに会合に連れて行って披露することもある。



こうやって写真にして見て始めて気づいた。ジャーマン式はG、バロック式はBとケースにでっかく書いてあった!

さて、ここまで書いたら告白してしまおう。実は、私には以上紹介した面々のほか、隠し子が二人いる。押し入れの奥に閉じ込めてある。



一人は、先代弦子(つるこ)。写真の一番奥でたたずんでいる。御年約50歳。近年長い眠りから覚め、さあ、久しぶりに日の当たる場所に出ようねと言っていた矢先、骨折し、再び戦線離脱を余儀なくされた。そうこうするうちに二代目弦子が来たので、今後カムバックの見込みはない。

もう一人。その存在を私はすっかり忘れていた。というか、思い出さないようにしていた。T子である(写真左側手前)。当ブログを頭から読み返せば、登場する回もあるだろう。思わず、あの歌を口ずさみたくなる。♪T子という娘と、遠い昔に暮らし、悲しい思いをさせた、それだけが、気がかりー(ちょうど、某男声合唱団で「五番街のマリー」を歌ったところである)。Ruhe wohl! Ruhe wohl! もう、顔を見ることはないだろうから安らかにお休みしてね(因みに、T子は一人だから「Ruht wohl」とは言えない)。

子供がえり

2021-03-25 08:44:17 | 日記
高齢者の認知症のリスクが高まっているそうだ。ステイホームの深刻な副作用である。コロナかボケか、という人もいる。私はそのことを実感する。え?いよいよお前もボケたかって?私のことではない、母のことである。施設にいる母と普段は面会はできないのだが、このところボケの進み具合がひどく、プランの変更について話をしたいと施設から呼び出され、久々に母と会ってみると、自分の部屋にいるのに「おうちに帰りたい」と言っている。もっと驚いたのは自分のことを「あたし」と言ったことである。母が使う一人称は長らく「お母さん」だった。日本では普通のことだろうが、私はこれが子供っぽくて好きでなかった。大体、世のお父さん達もいけない。自分の妻のことを「お母さん」という。「かかあ殿下」と言う言葉は、こうした呼び方があって成り立つ言葉である。昔、西田敏行が秀吉を演じた大河では、秀吉がねねのことを「おかか」と呼んでいた。鰹節かっていうの。私がもし再婚したら、妻のことを「ザビーネ」と呼ぶつもりである。ザビーネという婚約者がいるという妄想にとりつかれたか、さては息子もボケたかって?ちゃう!現実(寂しい事実)を認識したうえでの妄想である。因みに、うちのワサビは当初「サビーネ」になるはずだったが、ヴォランティアさんが「まったく男の人ってろくな名前を付けようとしない」と言って却下されたのだった。母のことに戻る。だからと言って、母が「あたし」と言うのを聞くと、それはそれで変である。自我にめざめて「あたし」にしたのなら上々なのだが、どうやら子供返りして「あたし」と言ってるらしい。だが、私のことは、一応息子だと認識している。すると、子供が子供を産んだことになるが(学園ドラマにありそうな話だ)、その点は不思議とは思わないようだ。因みに、今回の「あたし」と言うタイトルを見て、私が敬愛する芥川賞作家にして超一流の官能小説家であらせられる宇能鴻一郎先生を思い浮かべた方がいるかもしれない。そうしたご同好の士の面々には違う話でごめんなさいね、と謝っておこう。メルケル首相も、イースターの時期に完全ロックダウンを実施すると決めたことを24時間後に撤回し、「私の過ち」と認めて国民に謝罪した。ステイホームと言えば、最近、たしかに人出が格段に増えた。応援のつもりでときどき言っていた五文字の店も、最近、7時頃になるとほぼ満席。ガラガラだったときは、密ではないし、静かで、キンドルで読書するのにぴったりだったが、最近は、なんだか喧噪がひどくて神経に障る。ガラガラ時代の静寂にそんなに慣れてしまっていたのか。いや、母ではないが、私こそ子供返りしたのかもしれない。告白しよう。私は田舎者である。一応、横浜市で育ったが、そこは横浜市チベット区と呼ばれた地域。ときどき「横浜」に行くと(横浜市に住所のあるわれわれが言う「横浜」とは、横浜の中心地域、港エリアのことである)、きまって頭痛に襲われたものだ。空気のせいか、喧噪のせいかは知れない。そもそも横浜線は、最寄り駅のあたりは単線だった。複線化したのは私が大学生のときである。ズーラシアができたのは、私の人生からすればつい最近のことである。因みに、当時の田園都市線は、その名の通り、まさに田園(田舎)を走る電車だった。ベートーヴェンはそうした田舎が大好きだったから、田園交響曲が生まれたのである(ボケの話がベートーヴェンで終わった。この結末は意図しなかったものである)。

「月とすっぽん」あらため「悦びの月」

2021-03-24 09:32:17 | 音楽
朝ドラのヒロイン千代が「お月さんのよう」と言われていた(先週)。もちろん褒め言葉である。「月とすっぽん」という言葉があるくらいである(グルメの中には、月見ったって腹の足しにはならないが、すっぽんは精がつく、と言ってすっぽんを上位にする人がいるかもしれない)。だが、太陽だって捨てたものではない。朝ドラを言うなら「おひさま」ってぇのがあったし、「陽子さん」という名前も多い。そこへいくと、千夜一夜物語に登場する美女は、例外なく「満月」に例えられる。なぜだろう。思い当たるフシがある。イタリア語で太陽は「il sole」(男性)で月は「la luna」(女性)。ところがドイツ語だと太陽は「die Sonne」(女性)で月は「der Mond」(男性)。なぜ性が逆になっているかについて、あるドイツ語の先生が、ドイツは北国だから冬の月は凍てつく寒さの象徴。それに対し、太陽はぽかぽかと優しい。反対に、イタリアは南国だから太陽はぎらぎらしている。言葉の性が逆なのはそうした事情があるからかもしれない、と書いておられた。そうした視点に立つなら、千一夜物語は熱い砂漠の国の物語。夏の太陽のぎらぎら加減はイタリアどころではないだろう。だから夜の月がいっそう魅力的。美女がすべて満月に例えられるのはそのせいかもしれない。さっき「月とすっぽん」のことを書いた。私は、すっぽんは一度だけ、務めてた頃の職場の宴会でいただいた。それから、大学生時代の愛読書が週刊少年チャンピオンだった関係で、「月とすっぽん」という柳沢きみおの漫画を読んでいた。当時、柳沢きみおはギャグ漫画家だったが、その後、知らないうちにラブコメの大家になってて驚いた。私が読んでた頃の「週刊少年チャンピオン」はすごかった。「月と……」のほかにも「ブラックジャック」「がきでか」「どかべん」「エコエコアザラク」「百億の昼と千億の夜」等々、綺羅星のごとく名作が揃っていた。おっとっと。すっぽんの話で終わりそうになった。ヴァーグナーの話をするんだった。ドイツでは「月は厳しさの象徴」と書いたが、そうでない場合もあるようだ。ヴァルキューレの第1幕で、ジークムントが「Winterstürme wichen dem Wonnemond」と歌う。「冬の嵐は悦びの月(Wonnemond)の前から消え去り」の意味(一般には、「冬の嵐は過ぎ去り」と訳されている)。ここではお月様が悦びの象徴になっている。時期も春だしね。この歌は萌える!ということで、今回のタイトルとあいなりました。ヴァルキューレのことを思い出す前のタイトルは「月とすっぽん」だった。

ミサ・パンジェ・リングァ(の話は終わりの方にちょこっと)

2021-03-23 09:41:43 | 音楽
昨日の記事に書いた「牧場のジョスカン」(ジョスカン・デ・プレ)は、「ぼくじょうのじょすかん」ではなく「まきばのじょすかん」だよ、と書こうと思ってはっと思った。同じじゃん。同じ「牧場」の音読みと訓読みである。なのに、「ぼくじょう」だと家畜を思い起こすのに、「まきば」だと緑の景色を思い起こすのは「おー、まきばはみどり」「丘を越え行こうよ……まきばをさして」と言った歌のせいだと思う(「市場」も「いちば」と言うと取れたて野菜のイメージだが「しじょう」と言うと株式市場のイメージでだいぶ異なる)。因みに、競走馬を産み育てるのは「ぼくじょう」(生産牧場)であるが、漫画(アニメ)で活躍した馬は「ミドリマキバオー」である。「オー」から連想するもの二つ。一つは、大昔に実際に活躍した名馬「タケシバオー」であり、もう一つはモーツァルトのオペラ「牧神の王」。さらに「タケシバオー」から連想するものは竹芝桟橋。そこから連想するのが去年行った式根島。フェリーに乗らなくても、竹芝桟橋の売店にはまた行きたい。くさやとか島がらみの食材を購入できる。話を戻そう……って、どこに?とりあえず、「牧場のジョスカン」に戻ろう。「マキバノジョスカン」は9文字で馬の名前に使える。音楽ではなくてそこかい!?って言われそうなので、一つだけ、ジョスカン・デ・プレの思い出話。ミサ・パンジェ・リングァの出だしは♪ミーミーファー。それを模倣して下のパートが五度下で♪ラーラーシーと出るのだが、このシに♭を付けるかどうか、私が学生指揮者のとき議論になった。完全模倣なら付けるべきだが、今日風に調性音楽っぽく歌うんだったら(当時は、今のような調性はなかった)シのナチュラルも「アリ」である。女性をくどくとき「まきばのジョスカン」の蘊蓄から入る「秘密結社」(真正古楽ファン)の面々は♭を主張していたが、「ホテルに行こ!」が口癖だった某学生指揮者(後から読み返してみたら「某」は無意味であったことに気がついた)は元々調性音楽出身なのでナチュラルなんだろうな、と思っていた。今どうなんだろう、と思って、手近なところでアルス・ノヴァの演奏を聴いたらナチュラルだった。なんか、ホッとする(って、別にこれが「正しい」とかいう話ではないが)。

ミサソレ感想文(古楽ファンが女性をくどく手口)

2021-03-22 08:42:25 | 音楽
昨夜、NHKでミサソレ(ベートーヴェン)を放送していた。ドレスデンの教会での公演だった。とてもいい演奏だったが縦の線がやや曖昧だったのはあの教会が響きすぎるからだろう。多分、各パートとも遠くの音は聞こえてないのではないか。東京カテドラルがそうだったから。ルネサンス期の音楽なら合いそうである。あの番組で演奏開始前にミサのことを解説している背後で鳴ってたミサ・パンジェ・リングァ(ジョスカン・デ・プレ)は、その時代の代表曲である。オケは、フルートが映って、オーボエが映って、さあ次はクラリネット……というところで音は聞こえるのだがなぜか奏者は映されない。その代わりにオーボエニストのアップが多かった。その口元のリードを注視するあたり、O子が来てからの私の変わりようである。印象深かったのは合唱の声質。ビブラートが少なくクリアー。どこの合唱団?と思ったら、ドレスデンの歌劇場の合唱団だった。へーえ。イメージが違う。私にとって、歌劇場の合唱団と言えば、(昔の)ウィーン国立歌劇場の合唱団。一人一人がソリストみたいですごいヴォリュームだった。そういうのを普通だと思って大学で入った合唱団が古楽専門の室内合唱団だったのが運の尽き。上記のジョスカン・デ・プレあたりをレパートリーとする合唱団である。4年間で徹底的に牙を抜かれ、卒業する頃には、私はせん馬(去勢した馬)になっていた。その時期に、ウィーン国立歌劇場合唱団を聴くと、例えば、ミサソレのグローリアの最後など「イイイイーーーーン、グロッオッオッオッオッオッオッオッオッオッオッオッオッオッリッアッデーイーパー……」って具合にりきみかえって野蛮。そう聞こえるくらい私の耳は古楽モードになっていた。だが、だいぶたってからその演奏を聴くとちっとも野蛮に聞こえない。だいぶ元のモードに戻った模様。もともとオペラ大好き人間である。室内合唱団で学生指揮者をやるくらいよく化けたものだ。羊の皮を被る狼である。だから私らこそ野蛮であった。練習帰りに一合100円で酒を飲ませる居酒屋でくだをまいて酔っ払っては高田馬場駅で「階段落ち」をやって頭から着地したりした(いっそうバカになった)。一方、室内合唱団には、正真正銘の古楽ファンもいた。彼らはバッハさえ「新しすぎる」といって敬遠していた。飲み方も彼らは上品だった。Nくんのアパートに集まって古楽のレコードを聴きながら蘊蓄を語り合っていた。秘密結社のようだった。そのくせ、彼らはしっかり彼女をゲットしていた。いったい、どうやってくどいたのだろう。私らのように「ねぇねぇホテルいこ!」などと直接的に誘うはずはない。多分、「ねえ君、牧場(まきば)のジョスカンについて語り合わないかい?あっ、だけど、いい場所がないなぁ。じゃあボクのアパートに行こうか。ジョスカンの新しいレコードを買ったんだ。一緒に聴こうよ」とか言って騙したに違いない。なんだ、あいつらの方がよっぽど羊の皮を被った狼じゃんけ……あれ?なんの話をしてたんだっけ。ミサソレを聴いた感想だった。まあ、いい、話が飛ぶのはいつものことだ。因みに、「牧場のジョスカン」とはジョスカン・デ・プレのことである。「デ」は場所を表す前置詞、「プレ」が「牧場」である。多分、「大草原の小さな家」の「大草原」(プレーリー)と語源は同じだろう。

ノートゥングのライトモティーフ

2021-03-21 09:16:43 | 音楽

追っ手から逃れ、ズタボロでジークムントがたどり着いた先が敵の館。武器は折れ、Waffenlos(丸腰)。かつて父(神々の長ヴォータン(女好き))は、ジークムントが困難に陥ったとき、必ず宝剣ノートゥングを手にするだろうと約束した。そのノートゥングはどこにあるのだ?実はノートゥングはすぐ近くにあった。もだえるジークムントの背後、館を支えるトネリコの樹(日本家屋で言えば大黒柱?)に柄まで深く刺さっていたのだった。そのことをオーケストラがノートゥングのライトモティーフ(=テーマ音楽。ダースベーダーが登場するときの帝国のマーチのようなもの)を執拗に奏でて暗示する。アップした動画はその部分である。トランペットが奏でる♪ドー↓ドーミソードミーがノートゥングのライトモティーフ。からむ木管はその変形である。吹いてみたい(ホントのことを言うと、一番やりたい通唱会はヴァルキューレである。これ、聞かなかったことにしてね、と言う必要はない。前からちょこちょこ言っているが同調した人は皆無だから。来世で実現しよう!)。ベルリン・ドイツ・オペラの「ヴァルキューレ」(「指輪」の第二夜)を会場で聴いたとき、この部分で私の目は蛇口の壊れた水道になった。ヴァーグナーの毒が体中に回ったことを実感した。さて、物語であるが、この場に敵の妻・ジークリンデが登場。亭主に眠り薬を飲ませたと言う。そして身の上話を始める。盗賊に誘拐され好きでもない相手と結婚することになり、結婚式で泣いていると、見知らぬ人(実はヴォータン)が現れ、剣をトネリコの樹に刺して帰って行った。これまで何人もが抜こうと試みたが抜けなかった。でも今分かった。これを抜けるのはあなただ。どうか、この剣をモノにして、あたしをかっさらって逃げてちょうだい!この会話の中で、この二人が幼い頃生き別れになった双子の兄妹(と言われているが、姉弟の可能性だってある)だということが判明。ジークムントは見事にノートゥングを引き抜きジークリンデと合体して第1幕の幕が下りる。私は、ジークリンデの身の上話をソロ・コーナーで二回歌ったことがある。ジークムントのパートをクラリネットで吹いたこともある。とか書いてたらまたやりたくなった。

モングラー

2021-03-20 17:54:25 | 日記
今朝書いた記事のことだから、今日中に済ませてしまおう。ジークフリートがノートゥングで焼き餅を真っ二つにするイメージは、ミュンヘン・オペラが「指輪」を上演したとき、ジークフリートに扮するルネ・コロがノートゥングを振り下ろすと金床がパカッと左右に割れたのを見て培ったものである。このとき、金床が左右に割れたのは人力だったか電動だったかは知らぬが、最初に収録した日はノートゥングが振り下ろされるよりも早く金床が割れてしまい、共同制作だったNHKの人は真っ青になったそうである。ドイツ人と日本人は似ていると言うが、日本人の方がずっと細かいし、清潔好きだと思う。こうした仕掛けによって物が左右に割れるシーンで思い出すのは、映画「三丁目の夕日」の第1作で、堤真一演じる修理工場の親父が、怒りまくって押し入れに隠れる堀北真希に迫るシーン。ふすまだかしょうじだかが左右にぶっとぶ。堤真一の怒りを表す演出だが、実は、あのシーンでふすまだかを左右にぶっとばしてるのはスタッフである(メイキングで見た)。「メイキングで見た割れるシーン」をもう一つ。「マグマ大使」で怪獣モグネスは、割れた山から登場するのだが、その山を割っているのもスタッフの人力である(少年雑誌に種明かしが出てた)。今から思うと「モグネス」とはモグラの怪獣であった。当時としては洒落た命名である。ウルトラQに出ていたモグラの怪獣などは「モングラー」である。この手法を使えば大抵のものは怪獣にすることができる。ウズラは「ウンズラー」、カマキリは「カマキリー」といった案配である(当時の人も、もうちっと考えたようで、ゴジラ・シリーズに出てきたカマキリの怪獣は「カマギラス」であった)。命名の妙と言えば、高校時代、私はひそかに吹奏楽部のクラリネットの一年上の先輩の某女史に憧れていたのだが、あるとき某女史は、部日誌で同学年の仲間に虫に例えた仇名を付けていた。例えばムラタさんを「ムラリンコロムシ」といった具合だが、なかでもイワタさんのことを「ワッタ」と命名された才気煥発ぶりに私は脱帽し、某女史に対する憧れはますますヒートアップした。「ワッタ」と言えば、「ガッパ」という怪獣がいる。ゴジラの東宝でもガメラの大映でもない日活が一本だけ作った怪獣映画「大巨獣ガッパ」の主人公であり、カッパの怪獣であるが、「バッタ」と「イワタ」をかけて「ワッタ」を想像する某女史の才知に比べれば、「カッパ」が「ガッパ」になるなぞはちゃちいと言わざるえない。因みに、私は大学生になってから某女史と仲良くなったが、時既に遅し、一つ上だから私より先に大学生になっていた某女史には医者の卵の彼氏ができていた。だが、某女史と二人で飲みにいったとき、その彼氏が医者の卵だもんだから、「バイキンが入るような行為」は一切しない(してくれない)と言っていた。今日的には、大いに推奨される態度であるが、当時、某女史は不満そうだった。私ならいっくらでもしてあげるのにと思ったが、某女史が私に乗り換わることはなかった。もう40年お会いしてない……

ジークフリートに餅太郎侍が登場したら

2021-03-20 09:12:18 | 音楽
(承前)で、ジークフリートがノートゥングで巨大な焼き餅を真っ二つにすると、中から餅太郎侍が現れた。日本刀の代わりに手にするのは、たった今ジークフリートから手渡されたノートゥング。おもむろに「もちからうまれたもちたろ~」と言って幕となる。この演出に対して会場はブーイングの嵐。しかし、聴衆に紛れていた桃太郎侍ファンはブラボー。「かぞえうたーっ」のかけ声もかかる(桃太郎侍は、人を斬るとき「ひとつ、なんとかかんとか……」の数え歌を歌う)。収拾がつかなくなり公演は中止。以上、ヴァーグナー・ファン(時代劇も見る)の一狂人の妄想である。なお、本当のエンディングは、オケの炎の後奏(Ddur。ラ♯ファファ|ラ♯ファファ|ラ♯ファファ|ラ♯ファファ|ラッ|ラッ|ラッ!)の中、熱狂のうちに幕となる。思い出すのはルネ・コロのソロ・コンサート。なかなかコロのエンジンがかからない。かかりだしたのはアンコールになってから。なんとアンコールを7曲歌った。その中に「ジークフリートの鍛冶の歌」(この歌の後に上記の後奏が続く)があった。イントロをオケが弾き始めたとき会場からはどよめき。アンコールにこの曲を歌うなんざ、1万メートルを走り終わった後にすぐフルマラソンを走るようなものである。しかしコロは歌い切った。会場は大盛り上がり。オケも盛り上がりすぎたか、上記の後奏がパート間でずれて、ララ♯ファファ|ララ♯ファファ|ララ♯ファファ|ララ♯ファファ|ラッ|ラッ|ラッ!になった。

宝剣で焼き餅を真っ二つ

2021-03-19 12:36:45 | 音楽
フィガロの登場人物は焼き餅やきばかりだと書いた。「やき」と仮名にしたのは疑問があったから。つまり、「焼き餅」は妬くのだろうか、焼くのだろうか、という疑問である。そもそもなんで焼き餅というのだろう。と思って調べてみたら、もともと単に「妬く」と言ってたのだが、「妬く」から「焼く」を連想して、焼くんなら餅だろうってことで、焼き餅になったそうだ。つまり駄洒落である。すると、もとの意味からすれば焼き餅は妬くのが正しいわけだが(そういう主張もあるが)、「餅」からしてみてれば、オレたちは焼かれるんであって妬かれる筋合いはない、と言うだろう。うちの電子辞書(シャープ製。もう20年近く使っている)に入ってる大辞林では「焼き餅」は「焼く」とある。ジェラシーでかっかする様子からも「焼く」が合ってる気がする。ところで、「妬く」を「妬む」と書くと「ねたむ」になる。焼き餅をやくのと妬むのとではどこが違うのだろう。同じ漢字を当てているのだから似たようなもので、特に男女間となると「焼き餅」になるのだろうか。因みに、ドイツ語だと「焼き餅」は「Eifersucht」で、「嫉妬」は「Neid」。両者は言葉的にはっきり異なる。「Eifersucht」は「愛情」がからんだときに用いられる。千一夜物語で姉が自分の彼氏と寝た妹の首を掻ききったのも「Eifersucht」によるものであった。以下は「Neid」にからんだ話である。ヴァーグナーの「指輪」に出てくる宝剣「ノートゥング」をジークムントもジークフリートも「ein neidliches Schwert」と呼んでいる。「neidlich」という言葉は辞書にないのだが(ヴァーグナーの造語?neidischはある)、直訳すれば「嫉妬的」な剣、一般には「妬ましい剣」と訳されている。この名称が悩ましい。いったい妬む主語は誰だ?考えられる主語その1。この剣の主であるジークムントとその子ジークフリート。剣を扱う自分たちより扱われる剣の方が立派なので妬んでいる。その2。世の中の人みんな。みんなが羨む名剣ということ。その3。剣自身。自分より切れる剣があることを許さない(白雪姫の魔女と同じ)。すっごく丁寧な訳では「誰もがうらやむ剣」となっていて、2の意味であったが、私は、イメージ的には1か3だった。つうか、あまりつきつめて考えていなかった(ヴァーグナーの歌詞をつきつめて考えると、気が狂う)。実は、いずれの意味であるかはもうどうでもよくなった。面白い演出を思いついた。「ジークフリート」第1幕で、ジークフリートがノートゥングで真っ二つにたたき切るのは金床だが、金床の代わりに「焼き餅」と書いたでっかい餅を舞台に登場させ、それをノートゥングで真っ二つにするという演出はどうだろう!「妬ましい剣」で「焼き餅」を切る、という解釈である。意味もなく裸を登場させる最近の演出よりよっぽど作品の解釈に沿っていると思うのだが。

オッフェンバックな私

2021-03-18 09:13:55 | 音楽
フェイスブックのお友達の投稿を見ると、人に希望を与える成功物語、感動をもたらす愛情物語、目を見張るようなきれいな写真等々感動的なものばかり。それに対し、我がブログを振り返ると、大半が「する」「いたす」「営む」といった類いの話。なんだか恥ずかしい。そう言えば、当ブログで最近、飛び抜けてたくさんイイネをいただいた記事はI美女とのツーショット写真だった。だよな、人はきれいなものを見たいんだよな。M美女とH美女が「手紙の二重唱」をデュエットすると聞けば(美女の二乗!)、それはそれは美しい情景が目に浮かんで聴いてみたくなるもんな。今、私はオッフェンバックの気分である。オッフェンバックはふざけたオペレッタばかり書いていた。モンテヴェルディやグルック、その他あまたの芸術家が題材にしたオルフェオの悲劇もオッフェンバックの手にかかると、ジュピターが蠅に化けて「ぶんぶん」言いながら美女に近づいていたそうとする話になる。だが、オッフェンバックは、自分も一度はシリアスなグランド・オペラを書いてみたいと思った。で、書いたのが「舟歌」の「ホフマン物語」である。よしっ、私も、真面目な、感動的な記事を書こう。
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この沈黙は、筆がぱたっと止まった様子である。だめだ、やはり人には分というものがある。分相応を超えると失敗する。ショパンはピアノの作曲では紛れもない巨匠であるが、背伸びして書いた協奏曲のオーケストレーションは甚だ評判が悪い。花形満が不振に陥ったのは、球を前でとらえていたのを大バッターを真似てためて打つようにしたからだ。思えばこのブログも12年やっている。変わらずこのスタイルである。変えるのはやめだ。やめたので、今日の記事を私らしく展開させよう。まず、M美女とH美女の二重唱について。M美女+H美女=2美女であって美女²(美女の二乗)ではない。理科系の人の反論の機先を制し、自ら断っておく。それにしてもそそる組合せである。なんでも、M美女はルチア・ポップになりきり、H美女はグンドゥラ・ヤノヴィッツになりきって手紙の二重唱を歌うというが(この組合せは、1980年にウィーン国立歌劇場が日本でフィガロをやったときの組合せである)、私としては、二人にはアリーチェとメグになってもらって、私はファルスタッフになりきって、「まな板の上のカモシカのように私を二つに分けてほしい」と歌いたい(歌わなくていいからそういうSituationに身を置きたい)。それから、ショパンの協奏曲について。オーケストレーションにケチをつけられる一番の原因は普通は3本一組のトロンボーンが一本だけぽつんと使われていて、その使い方も「どうしようもない」と言うのだが、アルゲリチがソロを弾いた映像を見てて、ここぞというところで一匹トロンボーンがバリバリ鳴らしていて面白かった。