拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

抵当権とキス

2021-02-18 20:35:48 | 日記
Selig sind die Toten(死せる者は幸せである)
Selig sind die Essen((サイゼリヤで)食する者は幸せである)
さて、わがブログでは、「聖子ちゃん」=松田聖子、「聖子さん」=橋本聖子さんという表記の決まりを設けよう。その聖子さんが森さんの後任に決まった途端、数年前の某スケさんへの「強制キス」について外国がどう思うだろうと人々が心配している。外国、外国ってさぁ、なんでそんなに外国のことばかり心配するわけ?たしかに人の目を気にする民族だからこその同調圧力なんだろうが(ロックダウンしているヨーロッパ諸国より日本の方がよほど息苦しいそうだ。その日本人の同調圧力は脳科学から説明できる、と中野信子さんがテレビで言っていた)。たしかにセクハラだったらもってのほか。だけど、キスされた男がいやじゃなかったって言ってるんでしょ?セクハラかどうかはされた方がどう思うかで決まるんだったら問題ないじゃん。もし外国が何か言ってきたら男が言ってやればいい。言えないんだったら私が言ってやる。「ちょー、気持ち良かった」(某スケさん違い)。だが、キスしたのが男だったら言語道断、女の聖子さんだったらからいい、ということであれば、これは猛烈に異議ありである。それこそ、いわれのない性差別である。因みに、ワタクシについては、この際いい機会だから、事前かつ包括的な同意を宣言しよう。すなわち、すべての女性がいかなる場所でいかなる状況においてもワタクシにキスすることに同意するものである(なーんて言うと、なんで男はだめなんだ、差別だと言うクレームが来るかもしれない。うーん。これに対しては理論的な反論はできない。ただイヤだと言うほかはない)。実は、聖子さんと写真週刊誌と聞いて、私がただちに思い起こすのはキスなんかのことではない。あれは数十年前、まだ聖子さんがばりばりの現役だった頃である。写真週刊誌に聖子さんの実家のことが載っていて、牧場を営んでおられて、「抵当が何重にもついている」とあって、私はびっくり仰天して、え?国民的英雄の聖子さんのご実家が何重にも抵当?と悲しくなったものである。モノを知らない私であった。商売をして銀行から融資を受ければ不動産に抵当権を設定するのは当たり前。融資のたんびに設定するから、二重三重なんてのはまったく普通である。そういうことを知らずに、ただ歌だけを歌っていた、某美女に守ってあげたいと言わしめた容姿だった私は「何重にも抵当」に青くなったのだ。そう言えば、学生時代、わが母校の大隈講堂がN大の抵当に入っていると聞いたとき愕然としたのも同様の心理である。てなことを言っているが、私自身は、未だに借金は嫌いであり、自前の不動産に抵当を付けたことはない。だから、先ほどの包括的同意のもとにキスして結婚するはめになっても借金はないからね、安心してね!包括的同意と同様、不特定多数に向けたアピールでありました。満足。Selig bin ich,der in Saizeriya viel getrunken hat!(冒頭とつながったかな?)

アラジンの魔法のトースター

2021-02-18 08:50:58 | 日記
ドイツのニュースを見てたらアナウンサーが「Variante」と言ってる。音楽用語では変奏だがここでは新型コロナの変異型のことだった。そういう話なら、「トム・ソーヤーの冒険」を読んでて「Pult」が出てきた。教会兼学校の説教台である(大草原の小さな家で、オルデン牧師が使ってたようなヤツである)。これが音楽だと「譜面台」。なるほど、斜めのあの感じが「Pult」なんだな。オケで「○プルト」と言ったら弦の奏者二人一組のことだが、これも二人で一台の譜面台を使うからである。さて、私が直近で読んでみたくなったのは「カサノヴァ回想録」。だが、その前に「デカメロン(ドイツ語版)」、さらにその前に今読んでる「千一夜物語(ドイツ語版)」を片付けなければならぬ。「千一夜物語」のドイツ語は、予想したとおり比較的簡単。だが、思わぬ困難が待っていた。お話の上にお話が積み上がるのである。もともと、シェーラザード姫が王から生き延びるために毎夜お話をするのだが、そのお話(これを登記風に順位番号1番としよう)の登場人物が命乞いのためにお話をする(順位番号1番の1番。このように枝番を付けてする登記を付記登記という)。さらにそのお話の中の登場人物が命乞いのためにお話をする(順位番号の1番の1番の1番。付記の付記)。ぼーっと読んでると、チコちゃんに怒られるだけでなく、いま誰がお話をしているのか分からなくなる。まあ、そういった大変さはあるが、レベル的には私にちょうどいいから(ドイツ語も話の内容も)、夕方サイゼリヤにお一人様で行くときはキンドルを持って行ってワインをなめながら読みつないでいる。至福の時間である。思ったよりも下ネタが少ない気がするが、きっと私がお子ちゃまのせいで意味を読み取ってないのだろう。「至福の時を過ごした」は「やった」(バッタではない)の意味であるらしいことを最近気づいた。その「千一夜物語」には「アラジンと魔法のランプ」も入っているらしいが(「アリババ」同様、後から付け加えられたらしい)、それはまだ出てこない。だが、「千一夜物語」の前に私の心をとらえるアラジンが現れた。トースターである。イギリスのメーカーのアラジン製である。今、コンベクション・オーヴンでパンもピザも焼いているのだが、庫内が高温になるまで待っていて、それが5分くらいかかる。ところがアラジンのトースターは特許技術により0.2秒で280度になるのだという。大きいサイズのやつは25センチのピザも焼けるという。ほ、欲しい。愛を諦めたアルベリヒ飯島は、今後、ピザを焼いて生きていく覚悟だ。だからいいよね、買っても(許可をねだる相手は私自身である)。

性分

2021-02-17 21:35:55 | 日記
森さんネタは、最後に私の感想で終わりにしよう。私は、森さんはあんなこと言うべきじゃなかったと思う。なにしろ、森さんとマスコミは天敵同士である。森さんにとってマスコミはライオンの回りをうろつくハイエナの群れ。その攻防戦は数十年続いている(森さんの首相辞任会見を今でも覚えてる)。かりに真意がご本人の言うように別のところにあったとしても、どっちにもとれるような発言をマスコミが善意に伝えてくれるはずはない。もし余人をもって変えられない御仁だったなら辞めなきゃいけなくなるような事態は避けるべきだった。でも言っちゃうんだよなー。因みに、私も、書かなきゃいいと分かっていながら思わず書いちゃうことがある。で、いい人だと思ってたのにこんなに下品な人だったのーって言って離れていった人もいる。性分である。だが、一介の市井人である私のブログは削除すればなかったことになるが、森さんのような偉い人の発言は消すってわけにはいかない。せめて、辞任表明のとき言ったようなことを謝罪会見で言っていれば事情が変わった可能性もあったかも。会見での森さんは傲慢に見えた。さすがにあれを見た後は、私も辞任すべきと思った。だが、後から考えると、あの場で森さんを取り囲んでたのはハイエナの群れである。ハイエナに対してライオンが吠えるごとく、森さんも吠えちゃったんだろうなぁ。なんでも、新聞社等のメディアは、記者会見の場に若手の記者を行かせると言う。大学4年間、なんの勉強もしないで(もしかすると歌ばかり歌っていて)、法律も経済も分かってなくて、あるのはワイドショー的なうすっぺらな知識だけなのに大手メディアの看板を振りかざして内容のない質問をし、あるいは、ずっと黙ってたくせに会見が終わって相手が退場するや、途端に元気になってその背中に罵声を浴びせるチンピラもどきを相手にするのはさぞや口惜しかろう。なんでベテランが行かないんだろう。繰り返すが、私は森さんはあんなことを言うべきではなかったと思う。辞任やむなしと思う。だが、人間性を含めて全否定するブームもイヤである。だから、森さんいいなと思ったことも書く。あのお歳で、しかも大病を何回も克服された身で、会見の場に自分の足でしっかり立っていた。すごいな、と思った(もし杖をついたよれよれ姿だったらあそこまで叩かれただろうか)。それから、辞任表明の中で「『老害』と言うけれど、老人だって社会の一員なんだからバカにするのは腹が立つ」と言っていた。それはその通りだと思った。それから、東京五輪招致が決まったときの写真を見ると、森さんが若人達と一緒に飛び上がって喜んでいた。こういう元首相はそうそういるものではない。

変な離婚原因

2021-02-17 08:43:58 | 日記
ある夫婦の会話。「森さんの今度の発言はひどい、許せない」「でも、マスコミが一部だけ切り取ってるんだよ」「全文読んだけど、印象は同じ。許せない」「でも今回のって活字におこされたものだけでしょ。映像がないんだよね。表情とか声のトーンで印象も変わってくるからね(注:それはありうることである。リモートでする証人尋問が電話会議方式でなくテレビ会話方式なのはそのためである)」「そんな風に擁護するのは日本だけ。世界中が怒っている。日本のイメージだってこれでがた落ちだよ」「世界、世界って言うけど、世界ってそんなに偉いのかね」「グローバルの時代だし、そもそもオリンピックはインターナショナルな大会なんだから世界基準なのは当然だよ。大坂なおみ選手だって今回の発言はよくないと言ってた」「でも、大坂なおみ選手は、『全部は読んでない』って言ってたぞ。全部読んでなきゃだめじゃん」「え?あんたってそこまでして蔑視発言を擁護するの?あんたとの結婚は考え直した方がいいかも」「そっちだって、そこまで人の話に聞く耳を持たない頑固者とは思わなかった。いいともさ。別れようよ」……ということでこの夫婦は別れた。後日、友人から「あんたたち、あんなに仲良かったのになんでこうなっちゃったの?」「森さんのことでね……」「森さんてあの森さん?ばっかみたい、なんでそんなことで別れなきゃいけないのよ」。たしかにこの結果は残念すぎる。過去を変えてはいけないのだが(バックトゥーザフューチャー)、どうせ架空の過去である。一つ台詞を変えてみよう。「大坂なおみ選手だって今回の発言はよくないと言ってた」「大坂なおみかぁ。かっこいいよね。優勝して欲しいよね」「うん、優勝してほしい」。これこそ大人の落とし所。過去を一箇所変えることによって、この夫婦は今もラブラブである。

あんな子がいいな

2021-02-16 21:16:47 | 音楽
さて、ズンコママのついでにネットで競馬予想の動画を見ていたら、ある予想屋さんが世間話をしていて、森さんの最近の事件のことを話していて、自分も奥さんのことを「ぐさい」と呼ぶことがあるから世間から叩かれるかもしれない、と危惧しておられた。私は、自分の関係者のことを「ぐさい」などといった事は一度もない。そんなことを言った日には、世間で叩かれる前に地表では生きていけなかったはずだからである。正真正銘のアルベリヒになっていたところである。そう言えば、某男声合唱団で歌ってるダークダックスの「あんな子がいいな」は、「あんな子」が自分の妻になることを妄想して歌う曲であるが、妄想の行き着く先は結婚したときの呼び方であり、その呼び方たるや森さんを許せない現代においては相当問題である。まず「お前」。「あんたに『お前』呼ばわりされる筋合いはない」と怒られそうだ。それから「君」。「あたしにコレステロールの高い黄身を食べさせて殺す気っ?」。極めつけは「かあちゃん」。「わたしはあなたの妻であって母親ではありませんっ」。まあ、しかし、未来の配偶者の呼び方を妄想するくらいは許してもらおう。私は、次回は「さん付け」にしようかと思う。早速模擬呼びかけ。二文字だったら○○さん、三文字だったら○○子さん、四文字だったら……四文字はあまりないが、あるとすれば「さくら子」あたり(知り合いにはいない。いたら書いていない)。発音に時間がかかるが、大丈夫、私は早口である。書きながら試してみた。「サクラコサン」。おおっ、超スピードで言えた。この早口を日々試すのはボケ防止に良いかも知れない。因みに、もしかすると夫婦別姓制が導入されるかもしれない(今日、休憩時間にテレビを付けたら野党議員が政府に夫婦別姓制について質問をしていた。こういう理性的なやりとりもしてるんだよな、国会でも。だいたいマスコミはパフォーマンス議員ばかりとりあげすぎである)。私は夫婦別姓制には賛成である。でも、選択制にしてほしい。私は、再婚するときは妻の氏を名乗るのが夢である。これも妄想である。今回はダークダックスの歌からして妄想まみれの回でありました。

編集後記。これで、今朝カットした内容の半分を復元。半日寝かせたらいろんなエッセンスが付いて、浅漬けではあるがいい具合に変容した。あと、森さんネタの復元がまだである。

ズンコ

2021-02-16 09:25:28 | 言葉
藤田菜七子騎手の前、JRAの女性騎手の先駆けの一人は細江純子さん。今、解説者で大活躍。その細江さん、テレビではきりっとして格好いいのだが、Youtubeで見る「ズンコママ」はだいぶ印象が違う。下ネタのオンパレード。皆さんはもしかすると知っているかも知れないが(!?)、私も下ネタは好きである。だが、ああ連発されるとちょっとひく。そっか、下ネタは発信する方は楽しくても聞いてる方はうんざりすことがあるのだね。人の振り見て我が振り直せ。気をつけよう……って待て。私の下ネタ風の記事は下ネタではなかった。言葉についての真面目な考察であった。自分で「下ネタ」って認めちゃだめじゃん。その言葉の話である。細江純子さんの「ズンコママ」を聴いて、すぐドイツ語をイメージした。ドイツ語のウムラウト(上に点点)はやっかいである。例えば、「Sünko」という言葉があったとして、あえて発音を表記すれば「ズィンコ」になるが、日本人が発音すると、えてして「ジュンコ」になったり「ズンコ」になったりする。細江純子さんの「ズンコママ」から私は、その「ズンコ」、つまり、ドイツ語のUウムラウトでちょっと「イ」の要素が足りなかったときの発音を連想したのである。ね?アカデミッシュでしょ?私の下ネタ風に見える記事もみんなアカデミッシュだからね。よーく読んでね。

君だけを愛す(るのは誰?)

2021-02-15 09:24:57 | 日記
昨夜も変な夢を見た。6人で和食屋さんにいる(コロナはおさまっている)。板前さんが上等の和牛の肉を6切れ持ってきた。目の前の鉄板で自分で焼くという趣向である。ところが、私と隣の某美女が食べる前にトレイが空になった。一人で2切れ食べた人が2人(あるいは3切れ食べた人が1人)いたらしい。犯人はどうやらあのイケメンらしいというところで目が覚めた。この夢は何を暗示しているのだろう。歌会の後に飲み会に行けない欲求不満の現れか。美女とステーキを食べたいという欲求か。イケメンに対するひがみか。さて。藤田菜七子騎手の後5年振りに中央競馬で女性騎手が二人誕生した。男社会の中で大変だろうががんばってほしい。かく言う私も、(男と女が逆であるが)麹味噌合唱団にアルトで入った当初は化け物扱いで茨の道であったが、我慢してやってるうちにいつしかお友達が増えてお花畑になった。まあしかし、女性騎手に対しては所属する厩舎の先生(調教師)が相当に鼻の下を伸ばすらしい。今回、新人女性騎手の配属先で先輩騎手となる男の子が記者に「あなたのときと先生の態度は違いますか」と訪ねられ、記者が質問を言い切るのを待たずに「全然違う」と。すっごく優しいのだそうだ。いや、男の子くん、厳しく言われた方が将来伸びるからね、ありがたいと思いなさいねと言うと(このあたりは私の脳内の想定問答である)、ぼく、褒められて伸びるタイプだから優しくしてほしい……うむ、気持ちは分かります。とにかく、女性騎手がGⅠで勝つシーンを是非みたい。ところで乗られる方のお馬さんは、既に、圧倒的に女性優位。昨年の牡牝混合のGⅠのタイトルは、のきなみアーモンドアイ、クロノジェネシス、グランアレグリアと言った牝馬がかっさらった。その前の年にはリスグラシューもいたし。昨日も、京都のレースで牝馬のラヴズオンリーユーが牡馬を蹴散らして、私に170円の儲けをもたらしてくれた。(だが、東京で牝馬のレフトゥバーズが負けて、トータルで500円の損となった)。ここで疑問である。「ラブズオンリーユー」は「loves only you」=「君だけを愛す」だが、主語は誰?「loves」だから「私」ってことはない。どっかの誰かが君だけを愛したって私には知ったこっちゃないと思うのだが。たしかに、ビートルズの歌にも「She loves you」がある。あれと、同じような、「あいつが君だけを好きだってさ!ヒューヒュー」と言った冷やかしなのかしらん。いや、もしかしたら、「love's only you」=「love is only you」か?「You are my love」って言い方はある。だったら、主語と述語をひっくり返して「love is you」というのもアリかも。だが、この馬の名前はお母さんの「ラヴズオンリーミー」から来ている。「me」ならやはり「ラヴズ」は動詞である。すると、「ラヴズオンリーユー」の「ラヴズ」も動詞で主語は三人称単数になる。捜査は打ち切り。私的にはここまでが限界である。それより、誰かみたいに誰かとドイツ料理屋に行って今度は人にとられないでアイスバインを食べたい(「誰かみたいに」は「ドイツ料理屋に行って」にかかるのであり、「誰かと」にかけているのではございません。あしからず)。

オーボエ協奏曲はアパパネのさえずり?

2021-02-14 08:45:00 | 音楽

サラメシでは取材を受けた人の好きな有名人がテロップに出る。もし私が好きな有名人を聞かれたらタモリと答えるつもりだが、取材される可能性はないので(昼飯時は家にこもっている)ここに書く。それより気になったこと。ちょっと前のサラメシで好き「だった」芸能人=野口五郎とテロップに出た。なんで過去形なんだろう。野口五郎さんは歳は私とあまり変わらずご健在である。で、過去形ということは、今は好きでないということか。野口さんが三井ゆりさんと結婚したことが気に入らなかったのだろうか(随分昔の話だが)。だとしたら芸能人も因果な商売である。いや、芸能人に限らない。音楽をする集まり(合唱団、オケ、吹奏楽団etc)の中にも隠れた愛憎劇が潜んでいるかもしれない。そういう会では、コロナも心配事だが、惚れた腫れたの末の刃傷沙汰が起きても困る(オペラ「道化師」を彷彿とさせる)。刃傷沙汰はするんだったら遠くでやってね。気を取り直して、二点、昨日の話の続き。「赤い鳥の娘」の実体はいまだ不明だが、「アカイトリノムスメ」については身元が割れている。ハワイにいるアカハワイミツスイの英語名(Apapane=アパパネ。写真はWikiから)を名乗る名牝の娘である。つまり、馬の娘=馬であるが、お母さんの名前が鳥だったので、「鳥の娘」でもあるのだ。それからモーツァルトのオーボエ協奏曲。第1楽章の第2主題、♪レー、ミレー、ミレ(再現部では♪ソー、ラソー、ラソ)……私は、モーツァルトは管楽器の協奏曲から入ったからこの曲もよく聴いた。この部分が大好きだった。一回目のミレー(ラソー)に対して2回目のミレ(ラソ)が短いところなどおしゃれ。今、聴くと、鳥(アパパネ?)のさえずりのようにも聞こえる。

赤い鳥の娘

2021-02-13 16:08:47 | 音楽
本題とは関係ないが、モーツァルトのオーボエ協奏曲のソロの出だしは高いドを何小節伸ばすのかなと思ったら4小節だった(O子では無理だがC子でなら吹けそうである)。ということで、早速本題。「赤い鳥の娘」と聞いて、いろいろ連想したが、ほとんどがはずれだったという話のその1。♪あーかいとりとんだ(ドードドドレミソソ)……違った、これは「シャボン玉」だった。その2。♪あかいとりー、はーいてたー(ラシドレミー、ミーファレミー)……違った、これは「赤い靴」だった。その3。赤い鳥の娘と言ったらチルチル・ミチルのミチルだな……ちがった、あれは青い鳥だった。その4。その3はそもそも人間の娘だと思ったところが間違いだった。「赤い鳥の娘」ならそれは鳥である。私的には、目下のところ、この説を否定する材料はない。その5。偉大の父母の間に産まれた3歳牝馬の名前である……これは違うと言わざるを得ない。件の良血馬の名前は「アカイトリノムスメ」である。これを「赤い鳥の娘」にしてしまったら、それは大阪なおみを勝手に「大阪直美」にするようなものである。だからこの説ははずれであるが、アカイトリノムスメの馬券は当たって、サイゼリヤに2回行けるくらいの儲けが出た。ほかに、まったくの人気薄だが「カナリキケン」の馬券も買ってあった。今年は、「安全パイ」を返上して、「危険なイージマさん」でいこう、当たったらサイゼリヤに1年間通えるくらいの儲けが出る、それを元手にサイゼリヤでデートして「今夜は帰さないよ」の殺し文句でくどこうという決意の現れだったが目論見はあっさりはずれた。そもそも、コロナがおさまってサイゼリヤの深夜営業が復活しなければ無理な話である。早くワクチンが行き渡りますように!

大量ゴミ(マス・ゴミ)

2021-02-13 09:01:04 | 日記
森さんの後任に川淵元チェアマンが決まりかけたが白紙になった。ご本人は一度はやる気になったが今は固辞しているという。そりゃそうだ。最後のご奉公と思ってたのに国会でまで選任にケチを付けられたらやってられるか、となるだろう。スポーツ関係者が言うように適材だとするとなんとも惜しい話である。それより気になったのは、マスコミが「後任者の決め方はみんなが納得する方法で」と言っていること。え?公益財団法人の会長(代表理事)の決め方は法律に書いてあるけど。理事会で決めるんだけど。「透明性のある方法で」と言うから、私は理事会をガラス張りにするんだと思った。ところが何とか委員会とかを立ち上げてそこで決めると言う。アスリートが参加する委員会と言えば聞こえはいいが、そこで決まったことに逆らえないと言うのでは、代表理事の選任を理事会の権限とした法律の趣旨を逸脱することになる。その意味では、森さんの鶴の一声で決めるのと同じである。マスコミ(及びそれに影響された当事者達)はこういうことを知っていて言っているのだろうか。ときどきマスコミはびっくりするくらい無知である。あるアナウンサーは、司法書士と聞いて図書館にいる人ですね、と言った。私はカサノヴァ(司書)ではない(憧れはするけれど。カサノヴァではなくて司書にである)。それから、ピアニストをゲストに迎えたアサイチで、「月光」が流れているのにテロップには「熱情」と出た。ピアニストさんはなにも言わないなぁ、これが大人の態度かぁ、ここで間違ってますって言ったらNHKの人が恥かくからなぁ、でもずーっと間違ったままなのかなぁ、と思っていたら、後に近江アナが訂正した(やっぱ、カメラの見てないところでピアニストさんが言ったのかな?クレームがあったのかな?ところで近江アナは3月末でNHKを退社するそうだ。フリーになるのかな。因みにフジテレビのアナウンサーだった菊間さんは弁護士になった)。マスコミは真実を報道するという建前だからえばっている。えばるならえばるだけの勉強をしてほしい。無知だしミスリードもする。ミスリードは大罪である。なのに謝らない。レベルの低いマスコミを持った国民は不幸である。漱石は「坊ちゃん」で新聞のインチキぶりに憤っているが、その頃から進歩がない。因みに、私のブログは、真実を伝える報道ではなく、受けをねらった大衆娯楽である。だから、ときどきインチキを書く。それゆえ私はえばってない。それでも私が書いた事実(fact)は真実(true)である。インチキは私自身について。自分で書いてるほどバカでもウブでもない(って、これがインチキだったりして)。

「ドン・ジョヴァンニ」に影響を与えたかもしれないカサノヴァ

2021-02-12 10:03:39 | 音楽
事件が起きた。O子といい感じで遊んだ後、A子のもとに行った。パパったら、最近新しく来たO子ばっかりであたし達のことはお見限りね、と言われないためにである。と、ところがA子が啼かなくなってしまった。B子もC子も同じである。O子とはまだ深入りしていない。O子としっぽりだったらA子たちが体を閉ざしても諦めがつくが、この状況では結局私はだれの愛も勝ち得ていないことになる。これが浮気の代償か。もうブログを書く気にもならぬ。これが昨晩の状況である。今朝になって、まずA子を訪れた。ごきげんをとりむすぶためである。順番を変えても無反応なA子。まてよ。一つ思い当たるフシがある。指サックである。もしやこれが原因か。はたしてその通りであった。サックをはずして戯れたら昔のようにA子が啼いた。ああ良かった。これでO子とも安心して遊べる。A子たちとも遊べる。ということで、再び嬉々としてブログを書いている私である(もっと細かく言うと、指サックを大きいサイズに変えたのだが、それによってキーの押さえに微妙に影響が出たようなのだ)。以上、起きた事実を淡々と書いたのだが、比喩のせいでなんだか淫靡なテイストになった。しかし、私は、淫靡な方では経験が乏しい。それでも想像で書ける。ポルノの女王と謳われた白川和子さんは最初に映画を撮ったときはvirgineだったと言う。それでも監督が演技中の白川さんの足をつねって白川さんが「痛い」と眉をひそめた表情がそれらしく映ってOKが出たのだという(「いいとも」でおっしゃってた)。ここからが本題である。真にその道の経験者であるカサノヴァについてググっていたら、「ドンファンと違ってカサノヴァは老若男女みんなを相手にした」という投稿が目に入った。「ドンファンと違って」?私の理解とは逆である。私は、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」(ドン・ファン)から入ったから、カタログの唄で歌われるようにドン・ジョヴァンニこそ相手を選ばずに数をこなした「先駆者」だと思っていた。この際、両者についてググってみた。すると、カサノヴァは実在の人物で回想録があるが、ドン・ファンは伝説上の色事師で、その伝承は少なく、(ドン・ジョヴァンニにもあるように)自分が殺した騎士長によって地獄に落ちることくらいしか伝わっていないそうだ。すると、映画で見るカサノヴァの「誰でもいい」っぷりこそが真実であり、ドン・ジョヴァンニのカタログの唄で歌われる内容は創作なのか。もしかして、ドン・ジョヴァンニの台本を書いたダ・ポンテはカサノヴァ回想録を参考にした?だが、この自伝が出版されたのはモーツァルトの死後である。それでも面白い事実がある。ドン・ジョヴァンニの初演(プラハ)にカサノヴァが列席していたそうだ(カサノヴァは、晩年チェコで司書(司法書士ではない)をしていたからプラハには行きやすかったのだろう)。さらに、ダ・ポンテの台本にカサノヴァの筆が入ったという説もある。少なくとも、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」はカサノヴァの実人生から影響を受けたということは言えそうである。

パガニーニと私はほぼ同一人(ツノガエルと比べたら)

2021-02-11 09:32:18 | 音楽
我が家の筒状四姉妹のうち、一番最近来たO子だけは他のC子、B子、A子(ちんどん族)と種族が違う。ちんどん族とは長い付き合いだがO子との付き合い方はこれから学ばねならぬ。そんな状況なのにO子のデビューの予定がある。Adagioで音符が白いとくればデビューにはうってつけ、これを逃すと一生デビューできないと踏んだからであるが、いかにも無謀。実は、一昨日、ゴジラとラドンに追いかけられる夢を見た。やめとけという天啓だろうか。因みに、ゴジラの驚異から逃れるためには地下鉄銀座線に乗ってパラレルワールドに行くしかないということになり、高い階から銀座線に乗ったのはいいが(あれは渋谷駅だ。改装後、ホームの位置はどうなるのだろう)、途中でぴたっと止まってしまい、あれ?これは夢かなと思ってるうちに徐々に夢から覚めていった。変な夢であった。ゴジラがシャトー・マルゴーを飲んでたし。そんな事情なので、毎夕O子と稽古をしているのだが、その後、A子とも遊んでいる。当たり前のようにくわえていたマウスピースがO子との後は異様にでかく感じられる。遊び道具はモーツァルトのコンチェルトの第3楽章。テンポは2分の1で。だから時間が倍かかる。吹き終わるとぐったり。それでもモーツァルトには違いない。ちんどん族とよく付き合っていたのは半世紀前。それからしばらく音沙汰がなかったが、最近付き合いを再開した。そこは昔取った杵柄。O子よりはよっぽど扱い慣れている。しかし、指の回りは戻ってない。だが、タンギングは逆に上達した。それはこういうワケである。昔は指がくるくる回った。タンギングが追いつかなかった。だから、タンギングすべきところもスラーでごまかした。ところが今は指が回らない。タンギングができる程度の速さでしか回らない。だからちゃんとタンギングをしているので上手くなったのである。だったらちんどん族と遊んでばいいじゃん、なぜいまさらO子にちょっかいを出すのかって?明白な理由がある。月に一回「小川さん」で遊んでいるのだが、小川さんは「O子命」でちんどん族には目もくれない(そもそも小川さんの当時、ちんどん族は完成してなかった。前身があることはあったようだが)。だからである。それと、ときどき違う女子に手を出したくなるものである(話の流れからこういう表現になってしまった。ここだけ取り出すと私は下司人間である。だが、もてる男でなければ下司にはなれない。なれるものならなってみたい)。かのヴァイオリンの天才パガニーニだっていっときヴァイオリンから離れてギターに凝った。子供の頃その話を読んだときは、もったいない、なぜずっとヴァイオリンを弾かなかったのだろうと思ったが今ではお気持ちが分かる。え?大天才と自分を一緒にするな?あのね、言わせてもらうけどね。そりゃ、パガニーニと私だけを比較のテーブルに置いたなら太陽と地中のミミズですよ。だけどね、同じテーブルにツノガエルも置いてごらん。ツノガエルと私の差を考えれば私とパガニーニはほぼほぼ同一人である。それにしても、ツノガエルは可愛い顔をして猛烈。あのでかい口に入るものならなんでも食べちゃう。でかい口はそのためのものである。そういう目でみると、オオサンショウウオだって、「オオサンショウウオは悲しんだ」なんて小説があったり、絶滅危惧種だったり、特別天然記念物だったりするから愛おしいが、あの大きながま口(とはよく言った)で片っ端から捕食していると思えば獰猛なハンターである。そう言えば、スターウォーズⅥ(ジェダイの復讐。いつの間にか邦題が「ジェダイの帰還」に変わっているが、私にとっては永遠に「復讐」である)に出てくるジャヴァ・ザ・ハットは、小さなカエル状の生き物を丸呑みしていたが、あの口なら、レイア姫を丸呑みにするあたりがリアルである。

運河

2021-02-10 10:42:40 | 言葉
まずは曲当てクイズ。三拍子で「ソファミ、ド、|ラソラ。|シラソ、レ、|ドシド……答えは末尾に。その「チコちゃん」(「その」って何だ?)で見るオカムラさんはご結婚後お幸せそうである。ねーねー、オカムラー、結婚ってそんなにいいものなの?お前(私)だって昔してただろって、もう別れてから25年経つから忘れてしもうた(私の最後の「Famlienstand」は「離婚」だから、ドイツで住民登録する際、聞かれるのは離婚年月日である。だからこれはしっかり覚えている)。昨日、DUETしたいと書いたら複数の麗しき方々から「してもいい」というコメントをいただき表面上はモテモテであるが、25年も一人のままという厳然たる事実が昨夜の空騒ぎが砂上の楼閣はたまた蜃気楼であったことを物語る(だいたい、騒々しいところに真実はない。真実は沈黙の中に潜んでいる)。そう、25年の歳月は私を巌窟王にした(「巌窟王」をよく知らないで書いている。書き終わったらググろう)。巌窟王は悲しんだ(オオサンショウウオか?)。このところ、何十年も録画してまで見ていた「新婚さんいらっしゃい」ですら、新婚夫婦ののろけに我慢ができなくてとうとう視聴をやめてしまった。そんなワタクシでも、オカムラさんが幸せそうなのを見ると心が和むのはなんだろー。そのチコちゃんで、しかし、最近、腑に落ちない話があった。お題は「火星人はなぜタコなのか?」で、その答えは「誤訳」。火星を望遠鏡で観察していたイタリア人が火星の表面に見える縞々を「canali」(ただの溝)と書いたら、それをフランス人が「canal」(人工的な運河)に誤訳して、あれが巨大な運河ならそれを作れる高等生物がいるはず、頭が大きいはず、ってことでタコになったんだという。しかし、「イタリア語の「canali」は自然の溝で、フランス語の「canal」は人工の運河である。だから「canali」を「canal」と訳したのは誤訳である」という解説は多いに疑問である。どう見ても、この二つの語源は同じである。フランス語の「canal」が「運河」ならイタリア語の「canali(e)」にも「運河」の意味があるのではないか。辞書を見た。思った通り、「canale(複数形はcanali)」には「運河」の意味がある。つうか、辞書の最初にくるのが「運河」であり、自然の「溝」は後ろの方である。だから、誤訳ということではなく、翻訳の過程で意味が変わっていったということではないか。なお、語源が同じでも現在は違う意味になっているものもたしかにある。例えば「Gift」。英語では「贈り物」だがドイツ語では「毒」である。さて冒頭の曲当てクイズの答合わせをしよう。正解は、チコちゃんのシンキング・タイムに流れるBGMである。

DUETのバーター

2021-02-09 09:39:06 | 音楽
ドン・ジョヴァンニの従者レポレロはカタログを持ち歩いていて、主がいたすたんびにお相手の名を書き込んだ。ドン・ジョヴァンニは相手は誰でもよかったということだから、こと自体がもたらす悦びよりもカタログを一杯にすることに主眼が移っていたのだろうか。ドン・ジョヴァンニ(ドン・ファン)と並んでその道の達人だったカサノヴァもそうだったようで、フェリーニ監督の映画の中で、どうにもその気になれないお相手とやり遂げるため、見える範囲で別の美女にポーズをとってもらって励むシーンがあった。もし、私がその手のカタログを自分自身のためにしつらえたとしても、最初のページからして真っ白である。だが、DUETをした相手ならどうだろう。手帳サイズにでっかい字で書けば、最初のページくらいはうまるだろうか。試してみよう。初期の頃、お相手を願っていたのはS年上容疑者であった。だが、あるときS容疑者が若いオトコを連れてきてそのオトコとDUETをした。失意の私は次にAもっと年上容疑者と何回かDUETをした。だが、早々に捨てられた。A容疑者は、魅力的かつ奔放なインテリ女性であったからその後何人かのオトコとDUETの遍歴を重ねた。私が女性不信になったのはこの頃からである(念のために言うが、今回の話は事実をベースにしたフィクションである)。たかがDUET、されどDUET、その道は男女の道に微妙に通じるものである。並んで歌う二人を見て、単に歌を楽しんでいるのか、それともその奥に燃えたぎる愛欲が潜んでいるかを見分けるのも一興である。それはそうとして、とりあえず私のカタログをお相手の名で埋めなければならぬ。K同級生容疑者とも一度した(誤解を招く表現。だが「DUETした」だと文章がしつこくなる)。え?その後は、最近2回お相手を願ったM一回り下容疑者まで飛ぶ?それでは最初のページすら埋まらないではないか。そうだ、楽器も入れよう。すると、Y先生容疑者が入る。さらに、この際である、屈辱的であるがオトコの名前も書こう。すると、F親世代容疑者とMちょっと下容疑者の名前が加わる。サウナで「故郷の話をしよう」とささやいてきた例の小太りのおじさんとは二重唱はしてないから着外である。そう言えば、某会で男二人の二重唱はめったに見ない。私が覚えている限り2回だけ。いずれも私がからんでいる。光栄なことである(?)。あっ、歌と楽器のコラボも入れればもう一つあった。若夫婦容疑者の夫殿にメサイアの「トランペット」を歌ってもらい、私がクラでトランペットのパートを吹いたことがある。夫殿も入れよう。ここまでか。うーん、これでは1ページも埋まらん。そうだ、名案を思いついた。「バーター作戦」である。某会では、あの人とDUETを歌いたいがあまりしゃべったことがないのでなかなか誘えない、という人が結構いるかもしれん。たしかに、DUETのお相手をお願いするのは、ダンスパーティで踊りのお相手をお願いするごとく、結構勇気のいることである。私がそこを斡旋するのだ。その際、バーターとして私とのDUETを抱き合わせるのである。「イージマさん、あ、あたし、彼と一緒に歌いたいんだけど、どうにかならないかしら」「え?彼?そうだねー、彼はイケメンで人気だからねー、3回は私と歌ってもらわないと。え?あの小太りの彼?彼なら1回でいいや」等々。

悪人になって美女を泣かしてやろうと思ったら包丁で指先を切って自分が泣いている件

2021-02-08 09:02:02 | 日記
「ガキデカ」「デカダン」ブーッ。最近の当ブログのキーワードで尻取りをようとしてあっという間に「ン」で終わって撃沈。え?「デカダン」なんてあったかって?それは昨日記事にした、某容疑者と歌ったオフマンの舟歌のことである。元から退廃的なうえにソプラノとカウンターテナーの組合せは一層デカダンだったという話である。そのデュエットについての記事であるが、某容疑者を恋泥棒に擬し、ボエームと絡めた内容は私的には大満足の出来。人妻の某容疑者(実際、大層な容疑者ぶりである)と噂になったらどうしよう、ご家族に迷惑をかける。罪なワタシ……と妄想してたのに、読者でそこにロマンスの匂いをかぎとったかもしれない人はゼロ。昨日、一番受けたのは「ノーブリーフ」の話であった。きっと、ワタシがいい人すぎるからいけないんだ。キャラを変えて悪人になろう。「ねーさんたち、悪いことは言わねえ。オレに近づくんじゃねえ。じゃないとケガするぜ」「ケガしたのはあんたでしょ。包丁で指先を切るなんてバッカみたい」そうだった。指サックをしてなんとか歌いまくる会は乗り切ったが、大層不便である。まずキーボードでの入力がままならない。いつもは英文タイプの要領でキーボードを見ないでたたいてるのだが、使えない指があって運指が違ってくるのでボードを見る。ところが各キーに書かれていたアルファベットが剥げてて見えない。だからいつもの100倍時間がかかる。今こうやって打つのも一苦労である。さらに、実は歌いまくる会の次回で、別の容疑者(この容疑者の容疑者ぶりにも定評がある)の保護観察のもと、あるデビュー(無謀な試み)を画策しているのだが、指がこれでじゃその準備もできない……って、言っちゃったではないか。大体私は口先男である。だから、ワタシとのロマンスはやはり思いとどまった方がいい。関係がなくったってDUETの某容疑者のように書かれちゃうんだから、関係をもったら最後、言いふらまかれ、お嫁に行けなくなるのは必定である(すると、既に人妻であれば、そういう心配(お嫁に行けなくなる心配)はないことになる)。なお、昨日の記事を読んでない方のためにもう一度言うが、私の記事では「容疑者」は美女、美男と同義である。